まるで外国人がいない

出国するなり現れたポーターに有無を言わさず荷物を運ばれ、料金を請求されたので残っていた手持ちの25ルピー(高くないか)を渡し、ショハグのオフィスへ。バス代はインド側で半額(235ルピー)、バングラ側で半額支払うシステムだったため、ここで残りの550タカを支払い、入国。

リキシャ(これは無料)でもうひとつのオフィスまで行き、待機。11時、バスが到着し乗り込む。非インド、バングラデシュ人は僕だけだ。

ここでもインド側より質素なもののまたしても水とクラッカーを支給される。好待遇。そしてまたしてもエアコン過剰で寒さに震える。途中ハイウェイレストランにて休憩、冷え切った体を温めるため外へ出て光合成。

再び走りだしたバスに揺られ、眠る。15時半、なにやら港のような場所へ到着した。ここから先は川だか湾だか知らないが、ともかく行き止まりだ。まさかここがダッカではないだろう?と自問自答していると、乗り込んだ。バスごと船に。わお。

久々船というものに乗ったので、不覚にもうきうきしてしまい、デッキへ出て沈み始めた陽を眺める。が、ものの10分で対岸に着き、バスへ戻り出発。途中一面に広がる黄色の菜の花畑などが視界に飛び込んできたが、すぐに飽きてしまいまた眠る。

気づくと辺りは真っ暗で、なにやら街らしき光景が。ところどころ高いビルなどもそびえ立っている。もしや、まさか。20時、ついにダッカへ到着。バスを降り、恒例のここはどこ。わたしはだあれ。棒立ち。

タクシーがよってきたので、インドを発つ前にインターネットで調べておいた宿「アルラジャックホテル」までと尋ねると「オッケー200ね。」なぬ!?高いだろそれは「結構距離あるし。200ね」一体どの程度距離があるのかも、自分がどこにいるのかも見当がつかないので、あきらめて200タカ(約400円)支払い、アルラジャックホテルへ。

渋滞。なかなかすすまない。それでも20分程で到着した。ということは、距離的には大したことなかったんじゃなかろうか。まあいい、済んだことだ。チェックイン。「今テレビ付きの部屋しかあいてないから、250ね」

どぅえ!?日本円にして約500円。インドの宿は大体250円程度だったから、およそ二倍。まけてくれ。高いじゃないか。「無理よ。250ね。」他に当てもないのでここでもあきらめ、テレビ付きシングルルームへチェックイン。

腹ごしらえにホテル下のレストランへ。はっ!ここも高い。初日からこんなに出費がかさんでは先が思いやられるので、ナン二枚とチャイ一杯(28タカ)という質素極まりない食事にとどめる。レセプションから借りてきた情報ノートに目を通していると、なんだか、視線を感じ辺りを見回す。

ぎろぎろ。じろじろを通り越したぎろぎろとした熱視線が四方からむけられているではないか。外国人が珍しいらしい。皆一様ににこやかなのはありがたいが、そんなに見つめないで・・・。

部屋に戻りテレビをつけてみると驚いた、日本が誇るカルチャー、アニメが放送されているではないか。らんま二分の一やスラムダンク。英語吹き替えであまり意味は分からないものの、楽しいので、ぎろぎろとそのテレビを凝視し、眠りにつく。

お宅訪問したら面倒くさかった

起床するなりらんまを凝視して少し笑い、外を散策してみる。とりあえずホテルを出て右に。ぎろぎろ。好奇の目。「ハロー、何人?」日本人だよ「あっそうじゃあね」と話しかけてきた割にはあっけなく去ってゆく人あれば、満面の笑みで握手を求めてくる人あり。一体彼らに僕はどう写っているのだろうか。だが決して悪い気分ではない。ちょっとした著名人を気取る。

情報ノートに書かれていた「歩道橋の手前の店」をたよりにスイーツ屋さんへ足を運び、ドーイと呼ばれるヨーグルトのようなものを注文する。

ぎんぎんに冷やされ少し凍り気味の、マイナスとプラスを行き来している絶妙な温度、口に入れるなりシャリっと溶け広がる甘みと淡い酸味・・・。僕はこの世に生まれてきたことを感謝した。たったの15タカでこんなお手軽に幸せが手に入るなんて。

だが、幸せは長くは続かない。ほんの50秒で胃に流しこんでしまったドーイの余韻に浸りながら、とりあえず方位磁石片手に南を目指して歩いてみる。

なにやらミュージアムのような建物をみつけたので、立ち寄ってみると、入場料がわずか2タカだったので迷わず中へ。 やはり歴史的資料には全く興味を惹かれなかったので素早く一周するのみだったが、なんせ2タカだ。悔いはない。階段に腰かけ一休みしてまた南を目指すと、湾岸のような場所に市場があった。ショドルガットという場所らしいが、人、人、人まみれ。なんならこの市場には人も売っているんじゃないかと思えるほどの人だ。

「4タカかかるけど、中へ入れば船とか近くで撮れるよ」と通りすがりのバングラ人に話しかけられ、4タカなら、と中へ入る。一緒に入ってきたその男は名をジュエルといい、「そこいい眺めだよ」と案内をはじめてくれた。

せっかくなので少しベンガル語を教えてもらおうと思い、美味しいはベンガル語で何というの?ときくと、ほとんど英語が通じなかった割りに「えなにお腹減ってるの?それじゃうちに来ればいいよご飯あるから」あうん、意図していたのと違う方向へ話が進んでいってしまったが、流れに任せジュエルの家へ。

小さなボートで対岸へ渡ると、ローカルの住宅街そのもの、のようなところへ到着し、ジュエルのアパートにお邪魔する。なりすぐさまベンガル料理が並べられ「さあ食べて食べて」いただきます。ご飯とカリーと、魚のフライ。ジュエルの小学生ぐらいの息子ボッピとラッビが少し英語を話せたのできくと、「美味しいはモジャだよ」と教えてくれたので、モジャー!と叫ぶ。

食べ終えてボッピとシャボン玉で遊んだりしていると、ジュエルが「屋上が眺めいいから、そこで写真とりなよ」と言うので屋上へ。確かに。雑然としたダッカの街並みが見下ろせた。二人きりになったところでジュエルが突然「実はさ、子供の学費とかかさんじゃって、結構苦しいんだよね。あの・・・ちょっとお金を寄付してくれない?」やはり。大方予想はしていたので驚きはしなかったが、やはりこの「突然現れて案内して食事をごちそうして金を要求する」パターン。

申し訳ないがお金を差し上げることはできません、と丁重にお断りすると「前に来た日本人は5000タカもくれたよ」はい?だから、何だっていうのでしょう。「本当に困ってるんだよ・・・」それではさっきリビングに置いてあった上等なDVDプレーヤーを売ればよいではないですか「わかった!1000ルピーでいいから!」話にならないので「実家に帰らせていただきます!」と荷物をまとめて出て行く嫁の勢いでアパートをあとにする。

それでもジュエルはついてきて「ようし!じゃあ500でどうだ!」どうもこうもないでしょう。そもそも会って二時間の相手にどこの誰がお金を寄付しますか。「あーもうそれじゃハッピープライス100!これでハッピーだろ?」ぽっかーん。お口ぽっかーん。ハッピープライスって、なあに?スーパーのチラシみたいな台詞をよくもこんなふうに使えますね。

あまりにもしつこいので、行きのボート代10タカだけ返そうとすると「そんなのいらない!50タカ!」ああそうですか、じゃあ1タカたりともあげません、とボートに乗り込む。「わわかった!」とその10タカを受け取りようやくジュエルは去っていった。

美味しいご飯をいただいておいて何だけど、やはりおかしい。本当に困っている人も世の中には沢山いるはず。時にはそういう人達にお金という方法で手を差し伸べることも必要かもしれない。だが、彼は「日本人お金持ってるんだから、くれて当然だろ。そしたら俺働かなくていいし」と他人の善意に甘えてただただせがんでいるようにしか見えなかった。まずは働いてみようよ、ジュエルさん。

方位磁石片手に来た道を戻っていると、またもや通りすがりのバングラ人に話しかけられた。「日本人?僕の伯父さん日本語が話せるんだ、ちょっと電話かけるから話してみてくれない?」とその場で電話をかけはじめ、話をさせられた。「モシモシ」本当に日本語だ。少し話して切ると、満足してくれた様子で「僕ナジバラって名前ね。近くのレストランで働いてるからちょっと寄っていかない?」誘われるまま懲りずについてゆく。

コーラを注文し飲みながらしゃべる。ぎろり。まわりから熱視線。そろそろ帰ろうかな、とコーラ代を払って出ようとすると「いいよ、おごり!」ありがとうナンバラ!「ナジバラね」

帰り道がよく分からず方位磁石をにらめつけていた僕を見かねてホテルまで連れて帰ってくれ、ありがとう!またね、とナンバラさんに礼を言い、シャワーを浴び、19時前、情報ノートの「青いヤツ」をたよりにホテル近くの屋台へ。タマゴスープとチョプティ、フスカというものを食べる。

・・・大変だ。美味すぎる。タマゴスープはあんかけ風でとろっとしていてまるで、まるであんかけだ。そしてチョプティとフスカは、カリカリっとしたナニかに、野菜や豆がアレされて、ゆで卵のスライスと、ドレッシングのようなナニかがかかった、まるで、何だこれは。表現力のなさをうらむほど美味く、安い。これだけ食べて20タカ。ドーイに続いて、お手軽な幸せが手に入ってしまった。

一人悦に入っていると「ニホンジンデスカ?」と日本語で話しかけられ振り向くと、不健康そうな、やたら肌の浅黒いバングラ人がこっちをみていた。はい、そうですと答えると「ワタシ、二十年前タカダノババで働イテマシタ」え!え高田馬場!?アカシという名の彼としばらく話し、「また遊ビマショウ、電話シテクダサイ」と携帯電話の番号を渡される。

レセプションでガイドブックを借り、部屋で少しベンガル語を勉強して就寝。

右往左往ダッカ

そもそも何のためにここバングラデシュへきたのか。「なんとなく」これが一番の理由だが、この他にも、インドビザ再取得という任務があったため、今日はらんま観賞もそこそこに、バスでグルシャンというダッカの中心部へ向かう。

グリスタンという近くのバス停へ着くと、人人人バスバスバス。英語表記も何もないので、そこらへんに沸いている人達にグルシャングルシャンと語りかけ、バスを教えてもらう。「このボナニ行きのバスでも行けるから乗りな」と言われそのボナニ行きバスへ乗り込んでみる。グリスタンやらグルシャンやらボナニやら、ややこしい。

ボナニで降ろされ、で、グルシャンはどちらに?と棒立ちをキメているとグルシャン1へ向かう途中のオッチャンに話しかけられ、ついてゆく。グルシャン2というのもあるそうだ。さらにややこしい。すると情報ノートに書かれていた大使館への目印「ケンタッキー」を発見し、そこを左に入る。

なにやら行列が目に入った。老舗のラーメン屋が支店でもオープンしたのかしら?とのぞいてみると、インド大使館だった。げえ。外の道にまで続く長蛇の列の最後尾に並ぶ。「お前バングラ人じゃないだろ?ならあっちだ」どうやらこれはバングラ人用の列だったようで、外国人は並ばずにさっさとカウンターまでたどり着けた。現地人に間違われなくてよかった。

申請用紙に記入し、係員に手渡すと「パスポートのコピーがいるよ。あとこの写真はあんたちっちゃすぎるよ。」何もかも適当な国のくせに、写真の大きさにはこだわるんだ、インド。断念し写真屋を探す。「何か探してんのかい?」あ、写真屋を探しているのですが。「おう、連れてってやるよ」とこれまた通りすがりのオッチャンに連れていってもらう。

コピーは6タカだったので、写真も安そうだな、と安心していると「100タカです」え!バングラの物価基準が読めない。出来上がりは一時間後なので、連れてきてくれたオッチャンに、近くに安い食堂はありませんか、ときくと「よしじゃあ、一緒に行こう」とバスに乗りグルシャン2へ。レストランへ入りメニューを眺める。た、高い。申し訳ないのだけれど、もう少し安いところはないだろうか、と言い外へ出る。「あ、いけねえ、仕事もどらなきゃ。んじゃな!」と名刺を渡されオッチャンは去っていった。

結局自分で安食堂をみつけ、パラタというインドのパンケーキのようなものと、惣菜、ペプシを注文。いまさらながら、バングラ料理はどれもうまい。インドほど辛くないので日本人向けだ。店員がにこにこと、時ににやにやとこちらを凝視してくるので、写真を撮ってあげる。

少し休み一時間経ったのでバス代をケチり歩いてグルシャン1、大使館まで戻る。ははは、案の定受付は終了していた。ネパールでもこんなことあったような。「日曜は独立記念日で休みだから、次は月曜にきなさい。」ちなみに今日は木曜日。イスラムの国では金曜と土曜が休日らしい。そこで日曜の独立記念日ときた。三日間も何をしろというのか。

諦めてグルシャン2まで歩き、グリスタンへと戻るバスへ乗り込む。 「これちゃうで」慌ててとびおり乗り換える。二十分程走ったところで、なにやら見覚えのあるモニュメントをみつけたので、降りる。

ここは、どこ?全く持って見覚えのない場所に降り立ってしまった。どこをどう勘違いしてあのモニュメントを見覚えられたのだろうか。仕方がないので方位磁石を取り出し、東西南北の感覚のみでグリスタンを目指す。人に尋ねつつ。

「あっちのほうだけど、遠いぜ?」大丈夫です、ありがとう「バスに乗りな」大丈夫です歩きますありがとう。ここでもう一度バスに乗ってしまうと、本来の二倍バス代がかかってしまって悔しいので、歩く。(バス代は10タカ程度。約20円)

陽も沈みはじめ、くたくたになりながら途方もない、見覚えもない道を歩き続ける。このまま僕は異次元へと迷い込み一生歩き続けるのだろうか、腹も減ったし。

ぱっ。すると突如、突の然に、今度こそ見覚えのあるグリスタンのバス停へ帰り着いた。安堵し、やたら愛想のいいオッチャンの手招きする交差点の屋台でバパピタという、ココナッツの蒸しパンを食べる。生きててよかった。バパピタ!

宿に戻りほこりと排気に薄汚れた体を洗い流し、らんまに癒され、屋台へ。チョプティと焼きそばとタマゴスープをぺろり。

何故人は迷う


今日はミルプールという地域にあるニューマーケットを目指し、バスに乗り、方位磁石をたよりに歩く。道行くバングラ人に尋ねる、ニューマーケットはどちらに?「ええ?ものっそ遠いけど、あっちのほう。」歩き、尋ねる、ニューマーケットはどちらで?「え!?バスのんなきゃダメよ」やめた。ニューマーケットやめた。

不気味に笑いかけてきたオッチャンのレストランでパラタとチャイ(11タカ)を注文し、休憩。空腹を満たし再び歩きはじめると、バングラキッズが「お金ちょーらい!」とたかってきたので、いつかマヤがやっていたように、キッズを真似てお金ちょーらい!と手を差し出し返すと、えらく面白かったようで、

また「お金ちょーらい!」とついてくる。しつこくお金ちょーらい!と返し続けると、笑い転げて、最終的にお金のことなどすっかり忘れ「どこいくの?」ときいてきた。ショヒドミナールっていうちょっとした観光スポットに行きたいんだと言うと「連れてったげるよ」と道案内を始めてくれた。

ここで初めて自分が恐ろしく、全くもって間違った道を歩いていたことに気づいた。が、取り乱して「あこいつさては方向音痴・・・」と悟られてはまずいので、いやまずくはないが、平静を装った。間もなくショヒドミナールに到着したが、ただの薄汚い広場、という雰囲気だったので、キッズの写真を撮って、んじゃね、ありがとうバングラキッズ!と礼を言いもと来た道へ戻る。

もと来た道へ戻ることすらままならなかったらしく、警察に道を尋ねようやくバス乗り場に辿り着き、ニューマーケットへ向かうバスをみつけたので乗ってみる。隣に居合わせたオッチャンとしゃべり、走ること数十分。

これは、歩いて行くには遠すぎたな。では何故あのガイドブックにはあたかもミルプールにニューマーケットがあるような書き方をしていたのだろうか。それとも、ただ単に僕が地図の縮尺を把握しきれてなかっただけなのか。後者の可能性が高い。「ここだよ。」オッチャンに教えてもらい降りる。

さてニューマーケット。なるほどあそこだ。こればっかりはいくら方向音痴の僕でも分かる。あそこがニューマーケットだ間違いない。見よ、この人の群れを(本ページトップ画像参照のこと)。南極に住むペンギンは、その果てしない数の群れの中から、親子の別を見分けられるらしいが、彼らもまた、そういった能力を持ち合わせているのだろうか。このような大群の中で生まれ育つと。そんなことはないのか。そうか。

ただでさえ人口密度の高いダッカの街の、その密度をさらに高めたニューマーケット。ここが修学旅行先だったりしたら、何人も行方不明者が出て大変だろう。帰りのバスに数人のバングラ人が紛れこんでいてもおかしくない。やたらに色黒でホリが深くヒゲの濃い生徒には要注意だ。

マーケット内を少しみてまわるだけで人に酔ってしまい、レストランで休憩しようとメニューを眺めていると「なにあなた、ニホンジン?」と日本語で店長らしき人物に話しかけられた。「僕オギクボ住んでたのよ」はあ・・・荻窪・・・東京近郊多いな。ところでこのマンゴージュース、いくら?「70だよ」

え!70もすんの!?そりゃ無理だな。一日の食費より高いや。「いいからいいから、飲んでいきなって。マンゴージュースいっちょね!」ちょっと!飲みまへんよ!完全に予算オーバーです。「はいよ、ほら飲みな」あららっもうグラスに注がれちゃってるじゃないか。仕方ないので飲む。それからその店長と世間話をする。「僕近々居酒屋オープンしようと思ってるんだよねえ」ダッカで?「うん、流行りそうでしょ」そうだね、あまりそういうのみたことないし。いいと思うよ。

陽が落ちてきたので帰ろうとすると「いいよ!マンゴージュース代は、おごりね!」あ、ありがとう!助かります!近くの文房具屋にダッカの詳細地図が売っていたので、それをデジタルカメラに収める。その画像をズームでチェックしながら、グリスタンまで歩いて帰る戦法だ。我ながら賢いではないか。

二、三度間違えるも無事に帰り着いた。そこで数日前屋台で出会ったアカシと再会した。「ハンバーガー食べマスカ?」あ、はい。お店や事務所が所狭しと立ち並ぶ古いショッピングモールのような場所へ入り、中のレストランでチキンバーガーを奢ってもらい、少し話す。まだ仕事が少しあるということで、「また明日電話してくだサイ」ありがとう、ごちそうさまでした。と別れ宿に帰る。

停電。ホテル全体が真っ暗な中部屋に帰り、シャワーを浴びようと蛇口をひねる。熱湯どころか水さえも、停電の影響で出ないようだ。部屋にいても何もできないので屋台で軽くチョプティとタマゴスープを食べる。

帰ると電気が復活していて、念願のらんま二分の一鑑賞。

アカシんち

今日は独立記念日らしく、そこかしこにバングラ国旗が目立つ。日本の国旗の、白い部分を緑に塗り替えただけのデザイン。妙に親しみを覚える。

この間、グルシャンから帰る途中間違えて降りてしまったファームゲイトというところにインターネットカフェをみつけたので、そこまで一時間半かけて歩く。 メールをチェックし、近くの安食堂でぱぱっとライス。

そうして、一時間半かけて来た道を帰る。 たった10タカのバス代を節約するために。いいのだ。どうせ時間も有り余っているし、いき急ぐことはない。グリスタンのバス停近くにあった電話屋で、アカシにかけてみる。「それじゃあ今から迎えに行きマス」

ホテルの前に腰掛けて待つこと10分、アカシがやってきた。「ウチへ行きまショウ」とリキシャへ乗せられアカシんちへ。割と近所。

お邪魔いたします、と中へ入るとアカシの奥さんのリマと、小さな女の子がいたので子供?ときくと「ドゥラリは、お手伝いさんです。」たった9歳のドゥラリは、家が貧しいためこうしてアカシの家に住み込みでお手伝いをしているらしい。ショックを受けた。まだ小学3年生なのに。日本ではまず考えられない状況だ。

「ご飯食べてくだサイ」い、いただきます!チキンカリーと、卵焼き、ご飯にそれから、イリッシュというバングラデシュの国魚のグリル。どれもこれもモジャ。モジャモジャだ。もしかすると、これはバングラ入国以来一番のモジャっぷりかもしれない。屋台の味もあれはあれで幸せだが、この、イリッシュ。まるでブリの照り焼き。ブリモジャだ。さらにセレブのドリンクスプライトまでご馳走してくれ、お腹も胸もいっぱいでございます。

その食べ終わった皿をさげるのは、9歳のドゥラリ。少し後ろめたいような、申し訳ないような気持ちになってしまった。だって、こちらは成長しきった大の大人の男。こんな小さな子を働かせて・・・。といってもここで厳しくコキ使われている、というようなふうではなく、同居しているお手伝いさん、といった雰囲気だったのでほっとした。

それからベンガル語を少し教えてもらい、写真を撮って、あれやこれやと話をする。そろそろ帰りたいな・・・と思い始めた頃に丁度アカシが「そろそろ帰りマショウカ」と促してくれたので、リキシャで宿へと戻る。「明日は仕事だから、また明後日遊びマショウ」ありがとうアカシ!

バングラデシュへやってきて一番最初にジュエルというろくでもない男と出会ってしまっていたので、アカシの家へお邪魔するときも、少し警戒していた。が、何もなかった。何も要求されなかった。ただただいい人なのかもしれない。

部屋に戻るもテレビの調子が悪く何も、らんますら観れない。ヒマだ。ヒマなので、浴衣を着てタマゴスープを飲みに外へ出てみる。

ただでさえぎろぎろと凝視されるダッカのど真ん中を、謎のアジア人が浴衣に身を包み闊歩しているとなると、ぎろり度はいやでもアップするだろう。軽く笑って通りすぎる者あれば、「なにそれかっこいいジャン」と話しかけてくる者あり。スープをたいらげ、ピーナッツを買って部屋に戻る。

ここで冷静に事態を分析してみよう。とあるアジア人観光客ジャミラは、その夜テレビが映らずヒマを持て余していたため、浴衣を着て外出したそうだ。

はて、一体彼はどういう思考回路をしているのだろうか。ヒマ=浴衣で外出ちゃえばルンルン、という単純明快な方程式を打ち出し実行したのだろうが、これは明らかに間違っている。あわや変質者。そもそも何故浴衣を持ち歩いているのかその意図さえも不明である。

この日の彼の日記には「浴衣ええ具合」と割とルンルンだった様子が記されている。これを読み返した今僕は具合が悪い。

インドビザはいつも面倒

バス停近くの屋台でいつものようにパンとチャイで朝食をすませ、グルシャンへ。インドビザ申請を今日こそ。さすがに二度目なので、「ほぼ」迷うことなく大使館に到着。

前回同様バングラ人の行列をすり抜け、カウンターへ直行し整理番号をもらい三階へ。 隣り合わせたバングラ親子の子のほうとしゃべる。サイフという名前らしい。お財布くん。二時間程待たされようやく順番がまわってきた。申請、というより、面接に近い。先に面接していたヨーロピアンの女の子は、希望していたビザがもらえず抗議している様子。

そう、ここバングラデシュのインド大使館の連中は、タチが悪く、あれこれといちゃもんをつけてあまり長期のビザを発行しないのだそうだ。そして僕の番「ほほう。六ヶ月マルチのビザがほしいとな?」はい。「なぜじゃ?なぜそんなにも必要なのじゃ?」これからまだ観たい場所が沢山あるので。「ほほう。うむ。ではおぬしは三ヶ月ダブルの刑に処す。」

三ヶ月ダブルの悪夢再び。ネパールでもそうだったように。なにかとビザに縁がない男だ。だが憐れむことなかれ、正直なところ、あと三ヶ月もあれば予定している箇所など簡単にまわれてしまうのだ。ぬかりない男だ。そうなのか?そうでもないか。

「ではまた一週間後におとずれよ。」え!?一週間も!?五日間だとお聞きしたのですが。「そうじゃ。五、営業日じゃ。金、土と休みをはさむから、実質一週間じゃ。」がくん。今日この日までの三日間待つだけでもかなりの忍耐力を要したというのに、さらに一週間待たなければならないなんて。メトロポリタン人口密度高いシティここダッカで、あと一週間も何をしろというのか。

グルシャン2まで歩き、屋台でサモサと焼きそばを食み、バスでグリスタンへと舞い戻る。帰宅ラッシュの時間帯でただでさえ混み合っている道が更に混み合い、一時間ほどかかった。

バスを降りるなり「バパピタ〜!」と蒸しパン屋台のオッチャンがにこやかに手を振ってきたので、バパピタを一つ食べ少し休んで宿に帰る。

あ。テレビが、直っている。嬉しさのあまりすぐさまらんまへとチャンネルを合わせる。しばらくテレビを凝視して、屋台でいつものようにチョプティ、フスカ、タマゴスープの黄金トライアングルをたいらげ、夜半までらんまにトムとジェリー、果てはアニマルプラネットまで楽しみ就寝。テレビって、素敵だね。

ドカドカのドナドナ

日本の皆へ年賀状などをしたため、郵便局へ出しにいき、電話屋でアカシへかける。「仕事が終わったら15時に迎えにイキマス。」まだかなり時間があるので、一時間半歩きファームゲイトのインターネットカフェへ向かう。気づくともうすでに14時半だったため、帰りはバスで。

15時過ぎにホテルへ戻るとアカシが待っていてくれて、アカシの家まで一緒に歩いてゆく。やたら牛が目につくが、何かあるのだろうか。

アッサラームアライクム(こんにちは)、リマに挨拶をして、またベンガル料理をご馳走になる。あいも変わらず美味い。食べ終えて一息ついていると「それじゃジャミラさん牛買いにイキマショ」。アカシの弟もやってきて三人で「牛」を買いにいく。肉屋にでもいくのかしら。

まさか。本当に牛を買いにきたらしい。切り身とか、骨付き、とかの次元でなく、牛を。いつもは道路としてリキシャや車が行きかっていたところがもはや、市場と化していた。千頭を軽く越える量の牛牛ぎゅうぎゅう。そして万を越える量の糞糞、フンっ!

むにゅ。あ、やってもうた。足の指の間に糞のめりこむなんともいえない奇妙な感触。それに気をとられているとアカシと弟はすたすたと前へ進み、牛の品定めをしているので必死であとについてゆく。目ぼしい牛をみつけては値段交渉を繰り返す。既に足は糞まみれ。もう、どれだっていいじゃない・・・バコっ!痛い。余所見をしていたせいで牛さんのヒップアタックを喰らう。踏んだり蹴ったり踏まれたり蹴られたりとはまさにこのことだ。

吟味と交渉の末ようやく納得のいく一頭をみつけたらしく、その場で現金一括払い。札束が飛び交う。カード払いなんて無理でしょう。マシンがここにあったとしたら数秒で糞にまみれます。

気になったので、いくらで買ったの?ときくと「36000タカですよ」。日本円にしておよそ72000円。これが高いのか安いのか、全く見当がつかない。残念ながら牛をまるごと購入した経験はないので。

弟が牛をひっぱって歩き、気を使ってくれたアカシと僕は二人でリキシャに乗り、アカシのお母さんのいる実家へと向かう。数十分後、閑静な住宅街の中の、大きな家に到着。お邪魔します。アッサラームアライクン、家族の皆へ挨拶する。「お母さんは僕よりお金持ちダヨ」なるほど広々とした家だ。プレステもある!しかも2だ。フルーツとクッキー、チャイをいただきエレガントにおしゃべりをして、牛を置いてリキシャで帰る。

また明日ね、と思いきやそのまま今度はリマの妹の家へつれていかれ、アッサラームアライクン、ワライクンムッサラーム。お邪魔いたします。リマの妹の3歳ぐらいの子供が出迎えてくれた。なんだこいつは。ぱちくりおめめでべらぼうに可愛いじゃないか。名をレジョンという。そこでビリヤニという、こちらの炊き込みご飯のようなものをご馳走になり、セレブのお抱えドリンク、コーラまでいただき、レジョンにシャボン玉をプレゼントして、一緒に遊ぶ。ここにも小さなお手伝いさんが働いていた。

今度こそまた明日ね、と宿へ帰り、何か酸味がひろがっているなこの部屋、と思っていると己の足元からだったので、即座にシャワーをあび、サンダルもろとも念入りに洗う。

思いがけず牛のお買い物にお供して、疲れはしたがとても有意義な時間を過ごせた。はて、あのお牛さん、これからどうするのだろうか。知る由もなかろう。

セレブ家族のおませなティーン

まだサンダルがほのかに鼻をついてきたので、つけおき洗いにして、外出、ショハグのオフィスへ向かいインドへと帰るチケットを購入。屋台でクレープとチャイを流し込み、ATMで4000タカをおろす。すると残高が637タカと表示されていた。日本円でおよそ1300円。え!?そんなまさか、ははは、そんなはずはない。まさか・・・?カンボジアの悪夢が蘇る。使われ・・・た?

やや、そんなはずはない。今回は一度たりとも肌身から離していないのだ。それに暗証番号も知らないのに第三者に使えるわけがない。ん?待てよ・・・確か予想では70000円程度の残高だったと思うが、ほほう。これはもしや、ドル表示ではないか?

やはり、637ドルであった。まぎらわしい。過去のトラウマを穿り返すようなことしないでいただきたい。ドル表示のばか。ほっとしたところでアカシに電話をかけ、歩いて家まで向かう。到着してバナナをいただき猿っぽくむさぼりついていると、「散歩いきマショ」と外へ。

散歩という割にはリキシャに乗せられ、しばらくすると豪邸、といってもさしつかえないような大きな家に辿り着いた。アカシの叔母さんの家らしく、アッサラームアライクム。お邪魔して、叔母さんの娘プリマとも挨拶をし、しゃべる。何度かアメリカに滞在した経験のある15歳のプリマは、「英語はファーストランゲージよ」と自身豪語するほど小さい頃から英語を勉強しているらしく、インド人風のアクセントは強いもののぺらぺーらだ。英語脳をフル回転させ必死で会話を続ける。

そこで昼ごはんと甘いお菓子をご馳走になり、プリマや叔母さん達とおしゃべり。ひとしきりしゃべり、英語に少し疲れたところでアカシの家へ帰り、テレビでNHKが放送されていたのでそれを観ながらくつろぐ。16時を過ぎた頃さきほどおいとましたばかりのプリマから電話がかかってきて「今夜皆でどこかへ行かない?」とのお誘い。

18時までアカシんちでくつろいでいるとプリマ達が車でやってきたので乗せてもらい、出発。運転していたのがプリマのお父さんだと思ったので挨拶をすると「彼はただのドライバーよ。パパじゃないわ。」げ!そうなの!?専属ドライバーのいる家庭。

大きなデパートに到着し、中へ入る。さながら日本のデパート。どこを見渡しても金持ちそうな人間ばかりがたむろしている。そんな中ぽつんと浮いている小汚い謎のアジア人。ぐるりと一回りし車に戻り、再び走り出す。

「あれは大学よ。」「あそこらへんは車屋さんが並ぶエリアなの。外車も多いわ。」「ダッカはあと10年もすればアジアで一番大きな都市へと変わるわ。」なかなかまわりに英語を話す相手がいなかったらしく、嬉しそうにしゃべり続ける、裕福な家庭で愛されて育ったであろうおませなティーン、プリマ。そのませた感じが若さを象徴しているようで、なんともかわいらしく、微笑ましい。

ふと気がつくと見覚えのあるエリアにさしかかり、見覚えのある場所に停車した。これは、ケンタッキーフライドチキンではないか。中へ入るとそこもまた、セレブのみが立ち入りを許されているような雰囲気。ケンタッキーだけれど。それもそうだ。屋台や安食堂の何倍もするのだから。カーネルおじさんめ。

「二階に行って座ってて」といわれるままアカシと席についていると、後からプリマと叔母さん、もといチキンがやってきた。「遠慮しないで食べて」サクっ・・・いつぶりだろうか、このサクサクっとしたほくほくチキン。ケンタッキーよ。まさかバングラデシュでケンタッキーを口にできるとは夢にも思っていなかったので、ありがたく、骨の髄までしゃぶりつくし、ようやく我に返ったころおしゃべりを再開させる。

挙句の果てにチョコサンデーまでご馳走になってしまい、申し訳ないやら有難いやら美味しいやら。それからホテルまで送ってもらう。帰りの車中で「そこらへんにいるバングラ人は簡単に信用しちゃだめよ。彼らは騙そうとするから。」とプリマに注意された。うん、気をつけます。

ホテル下のレストランでアカシとチャイを飲み、「また明日ね!おやすみ」部屋へ戻る。ご馳走されっぱなしでかたじけない一日だった。

イッドゥウルアジャハー。血祭り

夜中に何度も便意を催し目を覚まし、これはもしや、また食中毒の類に当たってしまったのだろうかと疑念を抱いていたのだが気がつけば9時まで寝ていた。おや?なにやら様子がおかしい。いや、腹の調子はもう良くなっているようだから大丈夫だ。様子がおかしいのは外。赤い。五メートルに一度、地面が赤い。

鮮血

そして血の海の中力なく横たわる牛、牛、牛。この間市場で売られていたお牛さん達は、こういうことだったのか・・・。血の海を踏み分けながらアカシの家へ歩いてゆく。一頭、また一頭と牛が首を切られている。三日月型の鋭利なナイフを片手に、返り血で真っ赤に染まったシャツをきた職人が次々に牛を切ってゆく。

朝から、重い。「お前よく朝っぱらから焼肉なんて食えるよな」のあの重さの数十倍はあろうか。ヘビーだ。牛肉ではなく牛なのだから。しかし、こういう光景を目にするたびに思う。こういうことなのだ。そもそもは。

生きるということは、誰かが誰かを傷つけ、殺め、その命を食べ自らの血や肉にかえることなのだ。普段の生活ではそれがあまりにも遠いところにありすぎて、ピンとこないだけで、本来こうなのだ。命は重くて当然だ。

などと考えながら歩き、到着。チャイをいただき少し落ち着きを取り戻したところで、アカシの実家へリキシャで向かう。

と思いきやアカシの伯父さんの家へ立ち寄る。屋上へ案内されるとここでも既に、一面血の海であった。「いらっしゃい。ちょっと、こっちへ来なさい。」と招かれ伯父さんのところへゆく。「ほらほら、写真、ね?」と立たされた目の前にはさきほど首を切り落とされたばかりのお牛さま。

解体途中で内臓も丸見え丸出し状態だ。そこで、まるで修学旅行のクラス写真のように爽やかな表情でレンズをみつめる伯父さん達。と一人ひきつった笑顔の男ジャミラ。

いよいよアカシの実家へ向かう。途中アカシが「今日はイッドゥウルアジャハーというお祭りで、お金持ちの人が牛を買って、家族みんなで食べて、貧乏な人にもわけてあげるんデス。」と教えてくれた。なるほど、それでさっきからところどころ家の前に小さな行列ができていたのか。牛待ちか。

到着。ここも既に・・・事の後で、駐車場が見事に赤く染まっていた。一昨日の夜一緒に買いに行ったお牛さまだ。正直、今まさに首を切り落とす瞬間、に立ち会わなくて済んでよかった、と密かに安堵。小心者めが。

「今日はイックモバラッと挨拶するんダヨ」と言われ(祭りの名前やこれらの発音はあくまで僕の聞き取ったものなので、定かではありません)イックモバラッと皆に挨拶してお邪魔します。それから特別な日に食べるシャマイという甘いお菓子をいただき、続けざまにご飯をいただく。いただきます。

が、一向に皆食べる気配がしないので、食べないの?ときくと「お客さんが食べ終わってから食べるのが礼儀なのデス」文化の違いは時に奇妙だが、面白い。一緒に食べたほうが美味しいのにな。

それからテレビを見たり、おしゃべりをしたり、くつろぐこと数時間。陽も暮れたころようやくお牛さまの解体が終わったらしく、もはや牛ではなく肉と化したお牛さまを袋いっぱいに詰め込んで、持ち帰る。とここですんなり帰るわけにはいかないのがアカシの華麗なる一族。少し気疲れする。

今度はリマの実家へお邪魔する。アカシの実家の真向かいに位置していた。ここで、この至近距離で彼らは恋に落ち、結婚したらしい。ご近所版ロミオとジュリエットだね。というか、アカシとリマだね。

そこにまたべらぼうに可愛らしいレジョンと、そのミニチュア版みたいに可愛らしい弟がいたので、遊ぶ。そしてご飯ですよ。やや満腹気味だが、せっかくのご好意なので、いただきます。キチュリという料理、それからビリヤニと肉。クッモジャ(むっちゃおいしい)!それからリマの妹の旦那さん、つまりはレジョンのお父さんとしゃべる。皆フレンドリーでありがたい。夜も遅くなってしまったので、帰る。

いざ帰るとなると、少し寂しくなってしまったりもする。あれほど気疲れするとかほざいていたくせに。

トムとジェリーを観ながら眠りにつく。

図々しさの極み

コンコン。誰かが部屋をノックする音で目を覚まし、寝ぼけたままドアを開けると「ジャミラさ〜ん」アカシだ。どうしたのこんな時間に「受付でジャミラって尋ねてもそんな人いないって言われて探しマシタヨ。」あ、それはそうだねごめんよジャミラはただのあだ名だから。

「それより、今日ここチェックアウトしてウチにおいでよ。」あうん、と半分寝たまま返事をし、直後目を覚まし、え!いや、いいよ!さすがにそれは迷惑だよ。「全然迷惑じゃないヨ。空いてる部屋があるし。ここにずっといると高いデショ」そこまでいってくれるなら、お邪魔しちゃおうかな!

慌てて荷物をまとめ、10時のチェックアウト時間ぎりぎりに下へ降り、11泊分の料金2750タカを支払う。50まけてくれまへん?「2750ね!」まからなかった。リキシャに大荷物をのせアカシんちへ。出戻った嫁のイメージで慎ましやかに、お世話になります、と挨拶してお邪魔する。

「それなあに?ちょっと弾いてみて」とリマにリクエストされ、全く練習しなくなりもはやただのかさばるお荷物さんになってしまっていた三線を久々に披露する。あぁあ、ろくでもない演奏ですみません。

昼食に、ご飯と、ビーフカリーをいただく。このビーフは無論、つい先日まで呼吸をし、エサを食み、糞をし、まさに生きていたお牛さんである。心を込めていただきます。人間とはかくも残酷で都合のよい生き物だ。

それからまたアカシの伯父さんの家へ。屋上でおしゃべりして、そこになっていたグァバをもいで食べさせてもらう。渋いが美味。「飯食ってきなさい」さっき食べたばかりとは言えず、ご馳走になる。

カシャっ カシャっ

どこからともなくシャッター音が響いてくるので顔を上げると、伯父さんとその息子が一斉に僕の「写メ」を撮っていた。彼らからみた僕はどうやら天然記念物らしい。できればツチノコあたりのポジション希望。どうせなら幻の生物でいたい。

「ジャミラ、国歌うたってくれよ」とやぶから棒に伯父さんからリクエストされたので、ご馳走のお返しにと、神妙な面持ちで厳粛に、うろ覚えの国歌を斉唱してみる。今度は伯父さん「ムービー」を撮影していた。ツチノコが動いた!という心境なのだろう。

「ところでその国歌の詞は一体どういう意味なんだ?」ときかれ、返答に困る。確かあれは、天皇を敬うような歌詞だったような・・・よく分からない。と答えると「なんてこった。自分の国の国歌だろ。なんで意味がわかんないんだ?んもー」確かに。言われてみると僕は自分の国、日いずる国日本の国歌はおろか、何も知らない気がする。もっと知っているべきだ。反省。

アカシの家へ戻り、風呂を借りる。「ゴロンパニ(お湯)いりますか?」ぜ、ぜひとも!とお願いすると、お手伝いのドゥラリがバケツ一杯の熱湯をもってきてくれた。重たいだろうに、ごめんね、ありがとう。「ユアウェルカム」と言ってくれた。久々の熱い湯。やはり入浴とはこうあるものだ。水だけだとやはり物足りない。

夜はアカシの家でゆっくりと過ごす。しかし、ドゥラリがせっせと働いてくれているのに、僕がくつろいでいるのが申し訳ない。23時過ぎ、そろそろ寝ましょうか、と別の部屋へ案内される。蚊帳つきの立派なシングルルーム。ありがとう、おやすみなさい。

隣の部屋はドゥラリが寝ているそうなのだが、彼女には大きすぎる、キングサイズ並みのベッドがぽつんと置いてあるだけだった。そこで毎夜独り眠っているドゥラリを思うと、なんとも切なくなってしまった。寂しいだろうに。

おませなティーンとおませにドライブ

9時にのんびりと起床した頃にはもう既にドゥラリは働いていた。アカシの部屋へいき、モーニングチャイでしっかと目覚める。NHKを見たり、世間話をしたりして午前中は家で過ごす。

午後は、プリマの家へお邪魔します。が特に何をするでもなく皆くつろいでいたので、ちょうどテレビで放送されていたチャーリーズエンジェルに見入る。いよいよデミムーアとキャメロンディアスの対決、というところで「ご飯ですよ」台所へ向かう。もうちょっとだったのに、とは言わず。夕飯時のアニメを観たいとむずかる幼児じゃないんだから。

今日も今日とて豪勢だ。ご飯、ビーフカリー、エビまであるではないか。慣れた右手でもぐもぐとたいらげる。「レッツゴービレッジ」ん?手を洗うなり車に乗せられ、出発。村ってどこの?

車中でプリマにジャミポッドを聴かせる。「あたしAKONって好きよ」なるほど、エイコンはネパールのプラカシュも好きだったなあ、こっち方面でも人気らしい。小一時間でポッダという目的地に到着。砂浜のようなところで、沢山のバングラ人が憩っている。丁度夕陽が沈み始めたところで、眺めはなかなか。が、ふと足元に視線を落とすと、お牛さまのがい骨や、人糞らしき物体がごろごろと。お世辞にもきれいなビーチ、とは言えない。

一通り歩くと「これからダッカ、いえバングラデシュで一番のスウィーツを食べに行くわよ」と移動。なんだその、バングラデシュ一のスウィーツとは。銀座だか代官山だかのキッチュなスウィーツ屋さんを勝手にイメージする。

ここはバングラデシュだ。ごく普通の商店街のようなところに到着し、その一角の、スウィーツ屋さん、というよりも甘味処、といったほうがしっくりくるお店へ入る。「ミスティっていうの。甘いって意味なんだけどね、まんまよ。」大きな鍋に一杯の、蜜に浸された謎の白い玉。言ってしまうと食欲が失せてしまいそうだがあえて言わせてもらう。カエルのタマゴに似ている。これがバングラ一とな。いただきます。ふふーむ。

あ、あわわ・・・う、美味い。スポンジのような食感なのだが口に入れ噛むとじんわりと溶けて甘みが一気に広がる。まるで、まるでスポンジそのもの。バングラ一かどうかは別にしても、ドーイと競る美味さ。ローカルのみぞ知るスウィーツ屋さん、ではなく甘味処。ごっつぁんです。

プリマの家へ戻り、ポップコーンをほおばりながらおしゃべり。19時近くなってきたので、そろそろ帰ろうか、と言うと「車で送ってあげるからもうちょっといなよ」とひきとめられ、もうちょっといてみる。

いよいよ、そろそろ帰ろうかな、と言うと車で送ってくれた。アカシんち。

とここで何事もなく帰るわけにはいかないのが華麗なるアカシの一族。伯父さんの家へ連行され、また、超至近距離で撮影され、ご褒美にデザートとヌードルをいただく。

いい加減アカシんち向かうでしょう。と思っていてもそこで帰るわけにはいかない華麗なるアカシの一族。お次はプリマのいとこの家へ連行。お邪魔します。アカシの伯父さん、とか、叔母さん、とか、実家、とか、プリマのいとこ、とか、もう誰と誰が血のつながりを持っていて誰と誰が・・・などと考えだすとわけがわからなくなってきた。ともかく、アカシの一族だ。

そこでチャイをいただきながらおしゃべりをしていると、プリマに「ジャミラはさ、アカシのことは信用してるの?」うん、それはもう、色々世話になってるからね「じゃあ、あたしたちのことはどうなの?信用できる?」う、うん。プリマ達にも随分世話になってるし。

「じゃあさ、あたしたちのこと信用してるんなら、ウチ泊まっていきなさいよ今夜。いいでしょ?」いや、でももう荷物とか全部アカシんちに持ってっちゃってるし・・・「取りにいってあげるわよ。ね?」ははは、えーと、じゃあ、お邪魔しようかな。

というわけで、一泊分の荷物だけ取りに戻りプリマの家へ。アカシも少し心配したようすで「ジャミラさん一人で大丈夫?」ときいてきてくれた。ありがとう。大丈夫ですよ。それからプリマの怒涛の英語攻めにあい、必死で答える。

「呼べば遊べるオトコなら何人かいるけど、特定のカレシはいないの今は。」「ジャミラは前の彼女とは何で別れたの?」「ねえねえ、ミーンガールズっていう映画しってる?あたしのスクールライフってさ、まさにあんな感じ。」

アメリカのティーンに感化された見事なまでにおませなバングラティーン、プリマの恋愛事情や素性を知れて、親しみがわいた。そして「ねえ、マニキュア塗ったげようか?」ノーと言えない日本人、指をドス黒く塗られる。「ゴス系でいいじゃん。」小汚さ満点のアジア人指だけゴス系って一体。

0時近くまでガールトークに付き合い、シュブラットリ(おやすみ)。

イヴにもらったプレゼント、別れ

今日はついにインドビザの発給日。グルシャンにいってきますと言うと「車で連れてってあげるわよ」とプリマ。ここのところずっとリキシャか車で、誰かと常に一緒だったから正直バスで気ままに行きたい気もしたが、お言葉に甘えて大使館まで連れていってもらう。

プリマは行かずドライバーと僕の二人だけだ。ドライバーは全く英語が通じないので、ベンガル語であれこれ話しかけられる。何を言っているのかさっぱりだけど、気を張らずに済むので少し楽だ。

10時過ぎに到着し、行列を追い越しカウンター前で待っていると、警備員に「あんたアメリカ人かい?」ときかれる。ついにこのアジア顔、太平洋を越えたか、と思ったがさすがにそれはありえないので、日本人ですと答えると、「はははそうかそうか、そら入った入った」なんだこの警備員さてはとりあえずアメリカ人か?ときいてみただけだな。やけに適当オーラがはみ出している。

三階で控えの証明書を見せ待っていると、30分ほどで順番がやってきて「ハロー、ほら、これがあんたのパスポートだよ。ハバグッデイ!」前回面接をされた横柄なインド人、今日はやけに機嫌がいいな。ともあれ、ようやく、念願のインドビザ取得。そもそもネパールで何らかの手違いが生じて僕だけ三ヶ月のダブルしかもらえない、なんてトラブルが起きなければここへ通う必要などなかっただなんて、今更考えないことにする。

ここ一週間近く、ずっと華麗なるアカシの一族巡りにいそしんでいたためインターネットにもいけていなかったので、ドライバーにお願いして連れていってもらう。もちろん英語が通じないので携帯電話でプリマに通訳を頼みつつ。

メールをチェックし、アカシの家へ戻る。道中ドライバーに「バクシーシ」を要求されたので、そもそも一族の人間ではないのに我がままいって連れてきてもらっているし、と心ばかりの50タカを渡そうとすると「200」と金額掲示してきたのでやっぱりバクシーシするのをやめた。

荷造りをすませ、今度は伯父さんの家へ。今日もご飯をご馳走になり、その、天然記念物がエサを食うさまを相変わらずの超至近距離で写メールされる。

食べ終えると、伯父さんの小学生になる息子が「バドミントンする?」と誘ってくれたので屋上で対決。車やリキシャの移動ばかりで体を動かさないばかりか、一日に何度も贅沢な食事を口にしていたせいで完全に不摂生極まりない体だったため、久々の運動がやけに気持ちよい。楽しい。

いよいよ白熱してきたところで「もうおしまい。戻っておいで」と伯父さんに呼ばれ、少ししゅんとしながら戻る。「はい、これあげるよジャミラに。」唐突に伯父さんがロングTシャツとバングラデシュの刺繍入りキャップ、フェイスタオルと香水をプレゼントしてくれた。あ、あ、ありがとう!こんなにもらっていいの!?「いいよ!着てみんしゃい」早速着用。するなりカシャっカシャっ。撮影は怠らない主義伯父さん。

本当にありがとう、また来ます、とお礼を言い、伯父さんの家をあとにしプリマの家へ。そこでまたテレビを観たりコーヒーを飲みながらおしゃべりをしたり。「日本人って皆目が小さくて鼻が低くて顔が大きいのに、ジャミラはなんか違う気がするわ」と皆に顔をのぞかれながら言われる。割と濃い目のアジア顔だもんで、すみません。精進します。

それからアカシ達とももしかしたらもう会えないかもしれないので家へ電話をかける。そしてドゥラリに色々世話してくれてありがとうね、と伝えると恥ずかしそうに「ユアウェルカム」と答えてくれた。

会えないかもしれないと思ったおよそ20分後、アカシとリマがわざわざ来てくれた。「ジャミラさん、これ、ギフト。」と、前にちょっと欲しくて探してるんだよねーと言っていたパンジャビ風のシャツと、シルバーのブレスレットをプレゼントしてくれた。皆ありがとう、もう充分、色々もらったのに。かたじけないよ。

皆で最後の晩御飯を食べ、22時前、ショハグのオフィスへ。が少し早かったらしく、そこで待機していると、「あたしたち、一緒に待ってようか?それとも、帰る?」とプリマがきいてきた。あ、うん大丈夫だよ、多分あと数十分でバス来ると思うし、ありがとう。

「ジャミラさ、寂しくないの?もう帰っちゃってもいいの?あたしたちは別に遅くても大丈夫だからね。ジャミラが決めてよ」うんちょっと寂しいかな、じゃあ、バスが来るまで待ってておくれよ「OK。you know what、あたし寂しいかんね」とつっけんどんな口調は変わらないが、素直な一面をみせてくれた。おませなティーンだけど、心優しいごく普通な女の子だな、プリマ。

「これあげる。」と自分がはめていたがい骨、いやドクロの指輪をくれた。ありがとうね。「ゴス度が増したわね。いいじゃん。」最後まで僕をゴス系に仕立て上げようとしてくれてありがとうね。プリマ。

23時、バスがやってきて乗り込む。本当に何から何までありがとうアカシ。「ワタシのこと忘れないでクダサイネ。また電話シテネ」うん、また来るし、すぐまた電話かけるからね。プリマとはスカイプできるから、また明日かな。「そうね、また明日ね」リマも美味しい料理ありがとう。「いいえ。また来てね。気をつけてね。」皆とハグして、別れる。

思えばあの時屋台でタマゴスープに舌鼓を打っていなかったら、アカシや、華麗なるアカシの一族とは出会わなかったかもしれない。不思議なものだ縁というのは。本当に世話になってしまった。それなのに、過去のトラウマのせいでなかなか信じられず疑ってしまっていた自分が、残念でならない。できればいつだって人を信じていたい。

走り出したバスに揺られすぐさま熟睡。がやはりエアコンが過剰なため何度も夜中に目を覚ましつつ、翌朝8時、国境の町ベナポールに到着。

イミグレーションにて出国手数料300タカを支払い、 インドへ戻るべく出国。

改めて、華麗なるアカシの一族に感謝。

バングラデシュ(2007年12月11日〜12月25日)

魅惑のパラダイスアンダマン日記