パスポートチェックにいちいちヒヤつく

実は二日前からコートジボワールに入っていたという事実についさっき気づき、気づいたところで特に何も起こらないので、いつものようにジャミポッドを聞きながら流れる景色に目をやる。

そういえば、マリや他の国に比べて、幾分か緑が深い気がするここコートジボワール。どことなくスリランカを思い出させるような濃さだ。深呼吸をすると緑の香りがして、清清しい。

そんな清清しさに心を和まされるのも束の間。やっぱりそう簡単にはアビジャンにたどり着かせてくれないようだこのバスは。またしても故障。

サンドウィッチのように軽く食べられるものはおろか、屋台すらない場所に立ち往生し、晩飯を手に入れることを諦めたボクはバスの中で不貞寝。

数時間経った頃エンジンの音で目が覚める。ようやく復活したようだ。少し機嫌を直し、再びシートを三つ占領して眠りに入る。

「おい!起きろ!むにゃむにゃなんたらかんたら・・・だ!」何だ一体何事だ何時だ今・・・どうやらポリスチェックらしい。深夜3時という一番起こされたくない時間帯に起こされ、パスポートを見せる。は!そういえば、マリ出国及びコートジボワール入国のスタンプが無いんだった!まずいぞ・・・

いつもなら早くチェックを終えて欲しいがために自ら、はいここにビザ、こっちにスタンプあるでしょ!と指差し見せるのだが、今回は大人しく黙っておく。

ポリス、何一つ気付くことなく返却。

ひ、ひやっとさせやがって・・・良かった。そもそもスタンプの意味や意義すら認識していなさそうなこちらのポリス連中。今はここが日本でなくてよかった。日本だったらたちまち大問題だろう。いわば密入国なのだから。

その後もポリスチェックがある度に少しひやひやしつつ進み、ポゴを発って25時間経った頃ついに・・・バマコを発って80時間経った頃ついに・・・

アビジャン到着!到達!

一生着かないのかと思った。とは体験者の談。

あらゆる節目において悲惨な目にあうのがジャミラの常

タクシーでトレイシュヴィルという安宿がある地区に向かい、Hotel le Succesという一番安そうな宿へチェックイン。シングルルームにシャワー付き、小さなバルコニーもあって3500セファ(約700円)となかなか。

ともかく三日三晩溜め込んだ汚れや穢れを清めるべく即刻シャワーを浴びる。泡という泡の茶色さに我ながら驚く。

それから久しぶりにまともな飯を食らい、インターネットに二時間強も興じるなどして、夜はここアビジャンで働いている、パリで出会った日本人の友達と再会する。

最後に食べたのがもはやいつのことだか思い出せないような高級品「アイスクリーム」を頬張りながら、これまでの道中や今後の旅路や色々な事柄について、マシンガンのようにトーク。

バマコで出会ったギリシャ人のおっちゃんパブロの話をする。パブロは、フランス人がつくづく苦手で、一部を除きほとんどがフランス語を公用語としているここ西アフリカの国々を旅しながらも、徹底してフランス語を使わないらしいのだ。

「どうやったらそんな真似ができるんだ!?オレがアフリカ人だったら死んでも使わねえぞ!考えてもみろよ、彼らのじいちゃんやばあちゃん達は、フランス人に支配されて、殺されて、酷い扱いをうけてきたんだぞ!?なのに何でそんな奴らの言葉を話さなきゃなんねえんだよ!その上フランス人はのこのことやってきて、我が物顔で町歩いて平気で物乞いの子供達を無視して・・・」

物乞いの下りはフランス人に限ったことではないけれど、確かにそうかもしれない。ずっと、西アフリカに来てからフランス語を覚えようとすることに違和感を覚えていたのが何故なのか、彼の話ではっきりしたような気がした。

マリで出会ったフランス人に「ここは西アフリカだから、フランス語を話せなきゃだめよね。」と言われた時もそうだった。何でだ?ここは西アフリカだから、西アフリカの言葉を話したほうがいいわよね。じゃないのか?とずっと思っていたのだ。

「でも、ここアビジャンは、フランス語以外の現地語ほとんど聞かないですよ。悲しいことに。」と友達。え!どんなにフランス語を一般的に使用していても、バンバラ語やウォロフ、マディンゴにフラ語など、今まで訪れた国の人々はそれぞれ他に彼らの言葉を持っていたのに。それが無いって・・・彼らのアイデンティティはどうなってしまったのだろう。

続けてパブロのしてくれた別の話をする。日本が中国に対して行った残虐極まりない、南京大虐殺の事。彼は、中国に長い事居て、日本にも四ヶ月居たことがあってどちらも好きらしいのだが、どうしてもこの事件だけは理解できないそうだ。

「あんなに、レストランで財布を忘れたら走って持ってきてくれたり、ドミトリーで寝る時は他人に迷惑をかけないように夜は静かにしたりする繊細で気の利く日本人が、どうやったらあんな酷いことができたんだ?人間として信じられないよあれだけは。」

そんな事をしておいて、何故今多くの日本人は中国人を嫌うのだ。嫌えるのだと聞いてきた。正直歴史にあまり詳しくない上に、南京の大虐殺が具体的にどれほど酷いものだったかも知らないボクだが、中国人を漠然と嫌う日本人が多いのは確かだ。不法滞在している中国人が問題を起こしているから、とか、中国産の食品が危険極まりないから、とかいう理由からなのだろうか。

中国へ少し行ったことのあるボクは、親切にしてくれたオッチャンや明るい飯屋の娘達に出会ってから、中国人のことが好きになったが、それでもやっぱり、ここアフリカで、道行く人達に「シヌワ(中国人)!」と言われるとどこかいい気分がしないのも正直なところだ。

それって、「白人が一番。アラブ人が二番で、アフリカやアジア人は三番目だよね。」と言っていたフランス人と一緒じゃないのか?中国人「なんか」に見られたくないと心の底で思っているんじゃないのか?

そうやって、パブロに出会って話を聞いて、どんどん色んな事を考えさせられて、それについて一緒に友達と話し合って・・・アイスクリームを食べて・・・

旅をしているとどんどん色んなものを知り、どんどん色んなものが見えてくる。それだけで観光なんてしなくても旅をする意義があるのではなかろうか。などと珍しく深い事を考えながら宿に帰り、疲れて眠ると・・・

クサイ!!!

夜中の3時、またしても一番起きたくない時間に目がさめた。トイレは外にあるはずなのに、何故か部屋のシャワーの排水溝から凄まじい勢いで便所臭が襲ってきたのだ。

はっっっっっ!!!!!

今日って、ボクの誕生日、しかも四半世紀を迎える結構な節目の・・・。

深い話で一つまた深い男になったと思いきや、四半世紀一発目に口にした言葉が

クサイ!!!!

だなんて。幸先良いにも程があるぜ。

番外編〜ジャミラの誕生日日記〜

今日は、夜中に異臭で目が覚めました。なんだか肘の関節や喉も痛みました。それからしばらく寝付けない状態が続いて、結局6時には起床してしまいました。

それなりの汚さなら我慢できるボクだけど、臭いのだけは辛抱ならないから、ホテルを変えようと町へ繰り出しました。

でもボクの望む金額の安宿はみつからず、諦めて帰りました。

宿の前でサンドウィッチを買って、コーヒーを飲みました。いつもと同じメニューだけど、今日は誕生日なので、ゆで卵と味付けした豆のサラダをはさんじゃいました。さらにコーヒーはセネガル風のものらしく、ジンジャーが入っていてインドのマサラチャイを彷彿とさせました。嬉しかったです。

それから今日は誕生日なので、西アフリカで一、二を争う大都市アビジャンにそびえるスーパーマーケットに足を運びました。目指すは醤油。つくづく醤油人なのだボクはと思いました。

でもたどり着けませんでした。

フィッシュソースにスウィートチリソース、春巻き用ソースまで豊富に取り揃えているのに肝心要の醤油さんを置いていないなんて、スーパーのなんたるかを分かっていないなと思いました。

醤油は諦めたけれど今日は誕生日なので、贅沢して990セファ(約200円)もするプリングルスのまがいものみたいなポテトチップスを買って帰りました。食べるのが楽しみです。魅惑のバーベキュー味。

一枚一枚を舌に転がしてじっくり味わって部屋でひっそり食べたら、今度はインターネットへ行きました。

そういえば朝からろくに声を出していなかったので気づかなかったのだけれど、喉がつぶれて声が枯れていたようです。場末のスナックのママの雰囲気がかもし出されていると思います。

これは実は由々しき事態と言ってもかまいません。何故かというと、ボクの喉はとても屈強で、生まれてから一度しか声を枯らしたことがなかったからです。今日は人生で二度目のハスキー声です。四半世紀早々です。

ちなみに一度目は、高校生の時、原付に乗って爆走兄弟並みに走りながら歌いすぎた時です。若気の至りとも言います。

そんな具合に、要するに特にいつもとかわりなく過ごした後、夜はベトナム料理屋さんへと足を運んでみました。今日はボクの誕生日だからです。

春巻きと広東風チャーハンを注文したら、春巻きが10個も出てきてしまってたまげました。見栄をはってピザを二枚頼む独身OLでもないのに。

それを察してか、店員のベトナム人の女の子が、小皿に載せた小さなシュークリームをサービスしてくれました。一人でパーティなのねこの人は・・・と哀れんでくれたために違いありません。

結局食べきれず春巻きはお持ち帰りにしてもらいました。久々にまともに美味しいご飯を食べることができて、幸せだなあと思いました。アジアっていいなあと思いました。

嬉しかったので、帰り際店員さんに、カムオーン、メルシー(どちらもありがとうの意)と笑顔で言ったのですが、場末のママ声だったのでほとんど何を言っているのか、自分でも分からないほど酷くしゃがれてなぞめいた様子でした。

いっそ場末のスナックでも経営しようかと思いました。そんな四半世紀最初の一日でした。

同じ日に生まれた土井たか子さん、林家三平さんもお誕生日おめでとうございました。

出会いはやっぱり屋台から

一つ上の男になった翌日、アボカドサンドウィッチを食べながらセネガルコーヒー屋台で朝食を決め込んでいると、隣に座っていたコートジボワール生まれのセネガル人に声をかけられた。

英語を話すセネガル人・・・若干警戒が必要そうだ・・・。

んが、バイジャオという中国人みたいな名前の彼は、なんとなく危険な、邪なにおいがしない。セネガル大嫌いなどといいつつも、全員が全員ひどいわけはないのだ勿論。良い人にも沢山出会ったのも事実。ただ他と比べると悪人率が高いのでついセネガル人ときくと斜に構えてしまう。

「ジャミの泊まってる宿、ナイジェリア人いっぱいいるでしょ。」ん?そういやあ、英語を話す宿泊客がちらほらいたような・・・。(ナイジェリアの公用語は英語)「気をつけたほうがいいよ。ナイジェリア人はお金のことしか考えてないから。」

セネガル人にまさかそんな助言をされるとは思ってもいなかったので驚いたが、彼は両親こそセネガル人だが生まれも育ちもコートジボワールなので、違うのだろう。

しばらく話すうちに、この人は大丈夫だと思われるようになったので、あまり警戒しすぎるような態度をとるのをやめて、電車の駅はどこか知ってるかいなんて訊くと、「歩いてすぐだから連れてってあげるよ。オレの仕事場の魚市場もその向こうだし。」

市場で働くフィッシャーマンだそうだ。しかし、案内料とか後で請求されないだろうか・・・。

「ところでジャミ、フランス語は喋れないの?」うん、ほとんどだめだね。ひどいよボクのフランス語は。そしてパブロの言っていたことを直接問いかけてみる。アフリカ人は、フランス語を喋ることに抵抗を覚えないの?だって、ずっとフランス人に支配されてたんでしょ。なのにそんな彼らの言語を喋るなんて嫌じゃないの?と。

「ははは!ジャミの言うとおりだ。でもほとんどの人はそんなこといちいち考えてないと思うよ。」そうか。そうなのか。「でも本当は好ましいことじゃないよな。ここはアフリカなのに、見てごらんよそこかしこの看板。全部フランス語だもん。日本は全部日本語なんだろ?」

もちろんそうだよ。日本人は日本語しか話さないからね。公用語は一つだけ。人種もほとんどが日本人だけだよ。考えてみるとこれは凄いことなのかもしれない。

「日本はもっと豊かな暮らしなんだろうなあ。」う、うん。物質的にというか、環境や経済的にはここよりずっと豊かだね・・・。「アフリカは、アフリカ人は、ダイヤモンドや石油、金とか資源は沢山あっても、それを加工する術を持っていないんだ。だから白人に全部持ってかれちゃうんだ。ヤツらは技術を持ってるから。」悔しいね。植民地支配は終わったっていっても、彼らは未だにアフリカ人をコントロールし続けてるもんね。そうやってダイヤや金を持ってって、自分達はさらに富を得るんでしょ。

「そうだよ!でもいつか、アフリカも日本やヨーロッパみたいになる日が来るよ!2000年後ぐらいかな?」

朝っぱらから二人で白人の文句を言い合い、最終的に2000年後に望みを託す。冗談交じりだが複雑な結論だ。

駅でブルキナファソの首都ワガドゥグ行きの電車の値段と時間を調べ、その後バイジャオの働く魚市場へ連れていってもらい少し見学したところで、部屋の中の貴重品に鍵をかけていないことを思い出し、帰る。「そりゃあ危ない。すぐ帰ったほうがいいよ。また明日の朝屋台でね!」

普通に良い人だった。おまけにアフリカ人の白人に対する気持ちも聞けた。なかなか有意義な一日の始まりだ。

友達の友達は、友達になり得る

が、そんな有意義な朝以降は、特に際立ったこともなく、インターネットに勤しんだり、スーパーマーケットへ行き遂に発見した醤油とごま油をたまらず購入したり、屋台でアチェケという飯を食べたり・・・そんな日々が数日続いた。

アビジャンもそろそろいいかな。一体何をしにはるばる80時間もかけてコートジボワールに来たのか、自分でもよく分からないが、コートジボワールに行った、と言えさえすればボクとしては満足なので、これでもいいだろう。

駅で翌日発ワガドゥグ行きの切符を購入する。23000セファ。およそ4700円。高くないかい。高いよ西アフリカ。アビジャンからワガドゥグまでの距離はおよそ900キロ。東京〜福岡間ぐらいだろうか。日本だとそりゃもっと高いだろうが、こちらの他の物価から考えると、この料金はやはり高い。

さらに手持ちの現金も減ってきている。トラベラーズチェックを換金できる銀行を見つけはしたが極悪レートな上にばかみたいに手数料がかかるし、国際キャッシュカードもボクのはこちらでは対応しておらず使えない。お金は大事だよ。もっと節約せねば・・・。

それから、パリで知り合ったコートジボワール人の友達アカスィに「アビジャンに行くなら私の友達紹介するわよ!電話かけてごらん。」と連絡先を教えてもらっていたのを思い出し、その友達の友達のマークという事物にかけてみる。

「おー!アカスィから話はきいてるよ!もうすぐ、18時頃に仕事終わるから、そしたら会おう!」と待ち合わせをし、プラトゥーと呼ばれるアビジャンの最も高層ビルが建ち並ぶビジネスエリアに向かう。

まるで発展都市のようにさえ見える。モロッコ、モーリタニアからずっと西アフリカを見てきたが、これほど大きな都市はアビジャンが初めてだ。ナイジェリアに次ぐ西アフリカ随一の大都市だときいていただけのことはある。

待ち合わせ場所のスーパーマーケットで電車の旅用のおやつを購入していると、「ジャミかい?」とにこやかな表情で巨大な男が現れた。マークさんです。

「ようこそアビジャン!いやあ、会えて嬉しいよ!ささ、車にのって!」35、6歳ぐらいだろうか。セカンダリースクールで教師をしているマークとその同僚と共に、彼らの職場へお邪魔する。

お邪魔するなり、「カメラある?写真撮っていいよ!てか撮ろう!ウッヒヒー」やたら甲高い笑い声がチャーミングな中年のおっちゃんマーク。職場の風景と、自分達の写真を撮り終えると、「んじゃ行こう!勤務終了!」さらにもう一人の同僚も合流し4人で車に乗り込む。

「ところでジャミはフランス語は喋れないの?」バイジャオと同じように質問されたので、同じように返答すると、「はっはっは!まさにその通りだな!でもフランス語を喋れると喋れないとでは、随分違うだろうこっちじゃあ。できればフランス語より民族語を喋りたいってジャミは言うけど、コートジボワールにはその民族語が何十もあるんだぞ?それならフランス語覚えたほうが便利じゃないか?」

利便性の問題で言うなら確かにそうだ。というか、そうなのか?そう考えると、数多く民族が存在する西アフリカでは、そうやってフランス語で統一されているほうがいいのだろうか?下手にどこかの民族の言葉を一つピックアップして公用語として扱うよりも、全く別モノ、白い人達の言語のほうが、スリランカみたいに民族同士の争いを巻き起こさなくていいのだろうか?

ふとそんな考えが浮かんだ。

しばらく走ると、ココディと呼ばれる地区に到着。マキへ。マキというのは、コートジボワール特有の居酒屋とバーと屋台の中間のような店の総称で、皆仕事帰りにここで一杯やっていくのだ。

大きな川に沿った屋外のテーブルに着き、皆で乾杯。「お腹減ってないかい?何か食べる?魚とチキンがあるみたいだけど。」じゃあポワソン(魚)で!「はっはー!フランス語喋れるじゃないか!」アンペアンペね・・・。「ちょっとちょっとねってハハハー!」

それからここでも、白人、フランス人を話題にトークを繰り広げる。「川の向こうの電飾がきらきらしてる豪勢な建物みえるか?あそこに住んでるのフランス人だよ。彼らはアフリカにいても自分達だけ豊かな生活送ってんだ。」なぬー!

隣のテーブルにそのフランス人達がいるのも構わず言いたい放題な我々。どうせどこへいってもフランス語以外喋ろうとしない人達だから、英語の会話なんて聞こえても分かっちゃいないだろう。

あれ?いつからボクはこんなフランス嫌いになったんだ?パブロの影響を受けすぎているような・・・しかもフランス人の素敵な友達だって沢山いるのに・・・イカン遺憾。慎みなさい。少しでも嫌な外国人を見るとそれだけで「〜人は」とその国民全体があたかもそうであるかのように偏見を抱くのがボクのいけないところだ。いや、ボクだけでなくほとんどの人がそうだろうけれど・・・そのせいで絶えずあちこちでいざこざが勃発しているような気がする。

そんな会話も、焼きたての魚とアチェケが到着するとすんなり終了し、「うまいだろう!」うんうまいこれ!と食に話題がうつされた。

「しかしジャミはもう明日にはアビジャン出ちゃうのかー。そりゃ残念だなあ。もっと色々案内してあげたかったのに。また来るんだぞ!」うん。ありがとう!

出会ってまだ3時間足らずなのにこの親近感。アフリカ人の素晴らしいところだ。このフレンドリーさは日本人にはなかなかない。大概初対面だとよそよそしくて気を遣いあって終始敬語だろう。よっぽどウマの合う相手でない限り。

しばらくああだこうだと喋り合い、宴もたけなわではござったが、そろそろ行こうか、とお勘定。そこでいくら?と尋ねると「いいのいいの!アフリカでは、招待した人がご馳走するんだから!」あ、じゃあごっつぁんです!

大体そう言ってくれるだろうなとは心密かに思っていたけれど、典型的な日本人なので、そこは日本社会風にお金を払う意思があることだけでもアピール。奥床しいんだかやらしいんだか。

また車に乗り込み今度はマークの自宅へお邪魔する。奥方と、11歳になる息子のサミュエルと二匹の犬が出迎えてくれた。新築一戸建てに愛する家族と座敷犬・・・絵に描いたような風景ではないか。こんな風景はアフリカではあまり目にしてこなかったので驚く。

さっき魚やアチェケをたらふく食べたばかりなのに、さらにベイクドポテトとトマトソースで味付けした牛肉をいただく。なんという贅沢!マークがしきりに息子のサミュエルに「お前学校で英語も習ってるんだろ?ほら、英語で話しかけてごらん。」と言うがサミュエルはうつむいてだんまりを決めこんでいる。

11歳ってそういう年頃なんだよね。親の知り合いなんかと喋るのはどこか億劫というか恥ずかしかったりするんだよね。若いって、いいよなあ色んな意味で。

四捨五入すると三十路にさしかかってしまった我が身と照らし合わせてひとり微笑んだりしていると、「んじゃいこっか!」とマーク。滞在時間20分で次は一体どこへ・・・?

「プガウってところにプリンセス通りってのがあってね、バーやクラブが建ち並んでるんだ。」とまたしても車に乗り込む。

時刻は既に23時。通常なら既に夢の中にいる頃なので、白目をむきうとうとし始めてしまった。バーやクラブね・・・うん・・・「ジャミ、ここがプガウだよ!ってあれジャミ白目?随分眠そうだなあ。」あうんへーここが!なるほどねうんうん・・・!

授業中寝ていたところを先生にあてられた生徒にそっくりなリアクションで申し訳ないが、眠気には勝てない・・・。それを察したマークは「明日も朝早くに出発するんだろ?じゃあここらへん車で通るだけにして、もう帰ろっか!」わざわざボクのために連れてきてくれたのに、気を遣わせてしまって申し訳ないが、そうしていただけると助かります。

ぱしゃぱしゃっとテキトウにそのプリンセス通りの写真を撮り、宿まで連れて帰ってもらう。「じゃあ、明日気をつけて行くんだよ!写真送ってくれよな。ジャミと会えて嬉しかったよ!」

友達の友達だというだけでこんなにも親切にしてくれて、本当に有難い。できればもう少し長居してもっとマーク達と親交を深めたかったが、先を急がなければならないのだ。何度もお礼を言い、別れを告げる。

先を急がなければならない?何故だ?時間ならあるはずなのに。

手持ちの現金が少ないのも理由の一つだが、何だかここ最近ずっと気が急いているのだ。自由な旅は、それはそれでどこか不自由で、時間に縛られた生活を日本で送ってきたボクは、知らず知らずのうちに、自分自身で時間に縛りつけようとしているのかもしれない。浦島太郎になるのが怖いから。

事実上密入国だった私の去り際の顛末

翌朝、最後のアボカドサンドとセネガルコーヒーをたいらげ、屋台のオッチャンやバイジャオにも別れを告げ、駅へ。

分かっている。分かっていたんだよ。定刻通りに出るわけないって。それでもやっぱり、ボクは根っからの日本人だから、定刻より前にしっかり来ちゃったんだよ。

午前8時半。昨日切符を買うときに「9時よ。」と言われその通りにやってきたが、今って一体何時なんですか。

陽が沈んでいるじゃありませんか。

ようやく現れた電車に乗り込み、出発したのは18時をまわった頃だった。今回は10時間でした。10時間、ただひたすら、廃人のように駅の待合いスペースに座り込み、虚空をみつめて祖国を思っていたのでした。

JapanRailwayの素晴らしさを思っていたのでした。

二等席は同じように待ちくたびれていた人々とその荷物でごった返し半ば戦場のようだ。「ここはオレが荷物置くんだちきしょー!」だとか、「ここはメディカルスタッフが使うから荷物置くんじゃねえちきしょー!」だとか。

ん?めでぃかるすたっふ?

これは驚いた。こんな電車でもちゃんと緊急用にそういったスタッフが配されているなんて。しばらくすると大きな薬箱を持って大きく肥えた男が現れた。彼がそのスタッフらしい。見るからに胡散臭いが、赤十字のプリントされたベストを着ると少しそれっぽく見えた。

向かいの席には母親と3歳と5歳ぐらいの息子が座っている。得意の仏様のような柔らかな微笑みを投げかけると、照れくさそうにはにかんだ。可愛らしいではありませんか。

発車するなり窓にかじりつき、嬉しそうに外を眺める彼らの名は、お兄ちゃんがアムサ、弟がクドゥスというそうだ。写真を撮ってやるとえらく喜び、もう怪しい東洋人に慣れたのか、「タータ!タータ!」とやたら話しかけてくるようになった。タータとはお兄ちゃん的な意味らしい。

二人と共に窓の外を眺めていると、時々チカチカと光る物体が草陰に見えた。ほ、ほ、ほたどぅ・・・

蛍だ!あの大都市アビジャンからまだそう遠く離れていないはずなのに、蛍が生息しているとは。おぬしなかなかやるではないか。

走り始めて数時間。もうすっかり夜だ。向かいでアムサとクドゥスが窮屈そうに眠っていたので、アムサを抱っこしてやり一緒に眠る。 子供はいいですね。実に愛らしい。

実に暑い。

窓が少ししか開かないお馬鹿な電車のせいで、寝汗をびっしょりかいて目を覚ましてしまう。アムサを抱っこしているのでなおさら暑い。

すると「サンフラン。(100セファ)」と言いながら乗客から集金をする謎の男が現れた。よく分からないがどうやら荷物代の請求らしい。そんなあほみたいな金払うものか。え皆素直に支払ってる・・・

「サンフラン。」ボクのところにもやってきたが用途不明なので払いません。と英語で言うと「お前フランス語わかんないのか?」ときいてきた。ええ分かりませんとも。と答え、「スィークワーサー?(それは何だ)」と尋ねると「へへーんフランス語わかんないのにフランス語で聞いてきやがったぜこいつ」みたいな事を言いながら去っていった。

は、腹立たしい!まあ金は払わずに済んだのだが。

気を取り直し再び眠っていると、夜中の3時に警察に起こされた。最近3時に目を覚ますことが多いような。

「パスポートチェックだ。よこしな。」といわれたので渡すと、パラパラっとめくるなりそのまま持っていこうとするので、これはもしや、ワイロの類では・・・と思いすぐさま、チェックしたなら返してください。と言うが完全無視して去っていったので、追いかけて、パスポート返せ!と言うと

「アイウォントトゥービートユー。」お前を殴りたいと英語で返答された。何じゃこいつは!ええからパスポート返せ!もうチェック済んだやろ!

するとそれを見ていたマダムに、「あとで返ってくるから待ってなさい。大丈夫よ。」と諭されたので諦めて席に戻る。

ああどうしようこのまま、パスポート返ってこないまま発車しちゃったら・・・再発行とか面倒なんだよしかもブルキナに日本大使館なんてあったっけ・・・などと不安に駆られそわそわしていると、数十分後警察が戻ってきた。「ジャポネこっち来な。」

ついにワイロの要求かこんにゃろ。絶対払わんからな!憤然とした態度でついていくと、「もしここでスタンプ押さなかったら、後々問題なんだぞお前。」と警察官。え?ん?もしかしてもしかしちゃうと・・・

ここ国境?

「そうだ。」あ、あは・・・あはは・・・・そそうだったんですか!てっきりボクは・・・それは失礼しました!オフィスに着くなりポンと出国スタンプを押され終了。

おまけに、マリ出国とコートジボワールの入国スタンプが無いことにも気づかれずに済んだではないか!なんとゆるいイミグレーション!

先ほどまでの危機感や不安感はどこへやら、一転してラッキーなオレ!となんならスキップしそうな勢いで電車へ戻り、安心して眠りについた。

ところでここまでで9時間。国境が丁度アビジャンとワガドゥグの中間地点ぐらいの距離だったから、あと9時間もすれば到着だな。10時間も待たされはしたけど、なかなか順調じゃないか今回は。

やっぱりもうやだアフリカ

硬いプラスチックの直角椅子で一夜を過ごし朝もやの広がる中6時に目を覚ますと、なんだか床が濡れていた。そしてそこにはクドゥス。あれあれ寝相の悪いこと。床で寝ちまってさあ起きんしゃい。と抱き上げると、なにやらアンモニア臭。

濡れた床・・・アンモニア臭・・・空白の数時間・・・ 謎は全て解けた!犯人はこの中にいる!

クドゥスお前おねしょしたやろ!!パンツびっしょびしょやんけ!!!!ああ・・・しかもボクの荷物も若干湿ってる・・・クサっ!!

さっきまで可愛らしいななんて思っていたのに、今は憎たらしさがこみ上げちゃってもう・・・よかった保育士にならなくて。クサい臭いに敏感で、それを発する人をやたらに忌み嫌ってしまうというイヤな性分のボクは、たとえそれが愛くるしい子供であっても同じように嫌悪感を抱いてしまった。

さらに何事もなかったかのように天使の微笑みを浮かべ「タータ!」と呼びかけてくるもんだから余計にイラっとしてしまう。大人げないにも程がある私。

そんな折、またしても警察がやってきて、パスポートチェック。今度は「トロワサン(300)」と言いながら乗客から集金している。何代だよ。一体何代なんだその金は。そして何故乗客は皆一様に素直に支払っているのだ。

「トロワサン。」ボクのところにもやってきたが、一体全体何のために我々は支払わなければならないのですか?と英語で尋ねるが勿論向こうは理解していない。そしてこちらも向こうのフランス語を理解していない。すると前の席の英語を話せる青年が「300セファ払わなきゃいけないんだよ。」と通訳してくれた。それは分かってるんだけど一体何のために?「これが彼らの仕事だから・・・」でもこれはきっとただの彼らの小遣い稼ぎだよね?彼らは政府から給料もらってるんだからボク達はこんなの払う必要ないよ。

と青年に説明していると、諦めたのか警察官はパスポートを返し去っていった。またしても金は払わずに済んだ。しかし朝からイライラ続きだ。

さらに・・・

ある駅で停車中、窓の外に子供達が集まって、ペットボトルはお金になるのか、はたまたそれに水を入れて売るのか、空いたペットボトルをちょうだいと乗客に向かって叫んでいた時のこと。

次々に乗客がペットボトルを投げて子供達にあげているのを見て、アムサも「おーい、ペットボトルやろうかー。」と飲みかけのジュースを持って見せびらかし始めた。

それからなにやら「いいだろー、お金よこせばこれやるよー」といったニュアンスの事を言い、ジュースを口に含んで子供達のほうに向かって飛ばしたではないか。

人を見下した態度をとる人間が許せないので、こら!何しとんじゃ!とアムサの尻を叩きしかりつける。前の席で見ていたオッチャンも何やらアムサに注意した。すると「怒られちゃった」という表情で大人しく空いたペットボトルを子供達にあげたので良かったが、悲しいやら腹立たしいやら・・・。

もし日本で、他人の子供をこういう風に叱りつけたら、どうなるのだろう。こちらではそれが至って普通なので母親も何も言わない、というかオッカサンは気にも留めず熟睡していたが、日本だと「ウチの子供に何するんですか!」と我が子の間違いよりも他人に我が子を叱られたことに憤るのだろうか。

そんなことがありつつも、子供とは瞬時に忘れていく生き物なので、また「タータ写真とってー!タータあれ見て!ねータータ!」とじゃれついてきた。やっぱり可愛いこいつら。

数時間後、まーたーしーてーもー、謎のパスポートチェック&集金がやってきたので、今度は、細かいお金がないので5000でお釣りいただけますか?と言うと「あーじゃあいい。」と去っていった。

しめしめだ。

その数時間後もまた集金があり、同じ手で免れる。で、一体今どこなんですか。もう出発してから24時間発ちましたけれど、ワガドゥグはおろかその手前のボボデュラッソにも到着していないではないですか。国境越えて何時間経ってるんだよ。このずたぼろ鈍行列車!

ああ厭だ、今度こそ本当に厭だもう。アフリカは移動が大変すぎる他の国々に比べて。いい加減うんざりだ。そのくせ料金も高いときたら最悪だ。

どんどん不平不満が溜まってきて一人プンスカする。そしてそれを通りこすと毎回、祖国日本の便利さ、和食のウマさなどに思いを馳せ、最終的に「うどん食べたい」という結論に達するのである。

思えば昨日の昼からろくなものを口にしていない。ピーナッツと、スーパーで買っておいたスナック菓子を少々、それからアムサたちが分けてくれたサツマイモのかけらだけだ。

そして今気づいた。延べ30時間以上、ウンコはおろか小便すらしていないことに。大丈夫かオレの体!?便意も食欲も然して現れないオレの体は、もう生命を存続させることを諦めちゃってるのか!?

冷静に考えこのままじゃまずいと思い、次に停まった駅でパンと水を購入。ついでに放尿。いくらかスッキリした。

深夜0時、本日四度目のパスポートチェック。今回は集金こそないものの、パスポートを持っていかれた。初回のパターンだな、と臨戦態勢でいると、「スタンプ押して後で持ってきてやっから。」と警察官。

スタンプ?そういえば、出国のスタンプはもらったがブルキナファソ入国のスタンプをもらっていなかった。スタンプ無しでもアフリカはどうにでもなるということを知ったボクは、入国のスタンプが無いことを大して気にしていなかったのだ。

待てよ?ということは、ここが国境なのか?昨日の出国側のイミグレーションではなくここが?ここまで来るのに30時間・・・じゃあ一体ここからワガドゥグまであと何時間かかるのだ・・・果てしない・・・そして誰だ「今回は順調」だなんて現をぬかした発言をしていたのは・・・。私だ。

それよりも、いつになったらパスポートは返ってくるのだろうか。既に1時間近く待たされている。しかも電車が煙を吐き出し今にも発車しそうな雰囲気だ。まずいぞ・・・

慌ててオフィスに駆け込むと、他の警察官が「席で待ってれば持ってくるから、早く戻んなさい!もう出ちまうぞ!さあ走れクイックリー!」およよー。急いで電車に戻る途中、ボクからパスポートを回収した警察官が「おい!こっちだ!」と呼びかけ返してくれた。

席に着くのとほぼ同時に電車は出発。おいおいなんだよあの警察官も乗ってるじゃないか。大人しく待ってれば良かったのですね・・・。でもパスポートは海外にいる間、命とパソコンとカメラとジャミポッドの次に大切な物なのだ。過剰すぎるほど注意を払ってしかるべきなのだ。これでいいのだ。

ともかく今宵もどうにか安心して眠りに着く。それよりも早くワガドゥグに着け。

期待と絶望と成就と別離


まさかの三日目。まさか三日間も電車に乗っているとは夢にも思わなかったし思いたくなかった。バスはだめでも、電車ならきっとそれなりに速いし早いだろう、とほのかな期待を抱いていたのがそもそも誤りだった。バスだろうが電車だろうが、ここはアフリカだ。それを忘れちゃおしめえよ。

幾分北上してきたせいか、朝6時、肌寒さに目を覚ますと大きな駅に到着していた。も、もしかしてまさかすると、遂にワガドゥグ!?「〜なんたらボボうんたら」「ボボがどうのこうの」まわりの人々の口からやたらボボと発せられるのから察してしまった。ここがワガドゥグではなく、ワガドゥグの随分手前の、バスなら五時間かかる町、ボボデュラッソであることを。

そっと地図を開いてみる。国境からボボの町まで所要5時間。とするとここからワガドゥグまでは、凡そ倍の距離だから・・・えーと・・・

まだ10時間も乗っていなければならないんですか・・・そうですか・・・

開くんじゃなかった地図なんて。計算するんじゃなかった距離と時間なんて。

7時過ぎにボボの町を出発するなり、不貞寝を決め込む。9時半に目を覚ますと、延々と広がる田園風景。途中停まった駅でビサップという、いつも飲んでいる袋入りの冷凍ジュースを買い、アムサとクドゥスにもあげて皆で飲む。

そういえば水分補給も久しぶりだ。そんなことすら忘れていた。体の全ての機能が「もういいや」と投げやりになっている様子だ。

アムサとクドゥスにカメラやジャミポッドや時計をいじられ、もうおしまいやで!とポケットに隠すも尚手を突っ込んできては攻撃を止めないので、他の手遊びを提案しカメラのことを忘れさせたり、ピーナッツを放り投げて口でキャッチするのを見せては練習させたりと平和な時を過ごす。

まだ着かないから。

噛み付いたりつねったり、戦いごっこをやめない兄弟を傍観しつつ微笑んでいると、隣の席の女性が「こらもうあんたらやめなさい!もうその子達離して座らせてよ!」と注意してきて、今度はボクが怒られちったという表情でクドゥスを抱えもう一つの席に座らせたり、おねしょしてから替えのズボンがないので下半身裸でいるクドゥスの滑稽な姿をカメラにおさめたりと平和な時を過ごす。

だってまだ着かないから。

段々西日が差してきたのは気のせいだろうか?いい加減精も根も尽き果てそうだ。子供達も遊び着かれてすやすや眠っている。

16時40分。風景が変わった。人口が増えた。道路が見えた。車が走っている!さらにその道はコンクリートだ!もしかして!もしかしてだ!

首都・ワガドゥグだー!!!!!!!!

発車までの待ち時間10時間、発車してからの乗車時間46時間、合計56時間。

トイレに行った回数、小便が一回、摂取した食料、パンとビサップと水とピーナッツとイモ。

長く、苦しく、精神面が非常に危ぶまれた戦いだった・・・

すっかり元気を取り戻したボクは、颯爽と荷物を抱え、その荷物が小便臭いことももう一切気にせず電車を降りる。ここでこの愛くるしい兄弟とはお別れだ。ちょっぴり寂しい気もするが、旅だから。縁があればまたどこかで会うだろうし、会わなくてもそれはそれでいいのだ。でも会えてよかった。

寝起きでまだ大人しいアムサとクドゥスにバイバイと言って頭をなでると、にっこり笑って手を振ってくれた。さあ、行こう。

二度目のワガドゥグ。また戻ってきちゃった。

そして勝手知ったる町と意気込み颯爽と歩きだすものだから案の定、間違った方向へ行き逆戻りして、通りすがりの人々に「あいつさっきもここ通らなかった?おいシヌワー(中国人)!どこ行きたいんだー?」と心配されてしまった。

方向音痴はその感度を緩めていない。よし、オレ順調。

そうして、西アフリカで一番居心地の良かった宿バオバブへ戻る。ああ・・・ようやく・・・ここで、アビジャンで購入した醤油とごま油を使って調理するのをどれだけ夢みていたことか・・・。

が今日はもう疲れ果てているので、そこらへんの屋台で飯を食らい、三日分の汚れをシャワーで念入りに落とす。

行くのに三日、出るのに三日かかったコートジボワールの旅。結局首都に数日滞在しただけだが、これはこれで良し。これで「コートジボワールに行きました」と言えるぜ。

しばし休息ののち


ワガドゥグにて数日、自炊を楽しみ英気を養ったあと、向かいますはいざトーゴ。という国。ブルキナファソの南、ガーナの東に位置する国である。

首都のロメまで一気に向かうバスのチケットを購入。早朝6時発なので前の晩からバス停で野宿を決行。

寒い。ワガドゥグまで北上するとかなり気温が下がってくる。5時に目を覚ますとおえええ〜とえずいてしまった。これだから寒いところは辛いのだ。

そんなことはさておき、今回はかなり期待できそうだ。何がって、バスがだ。5時半、出発の30分前に既に乗客はほとんど集まっているようだし、荷物も着々と載せられている。少なくとも30時間待ちなんていう恐ろしい目には遭わずにすみそうだ。

ウイー!感動的な朝です・・・。だって、バスが定刻のたった五分後、6時5分に発車したんだもの!!しかもエアコン完備って涙がちょちょ切れそうです。寒いけど。

チケットが手書きでなくエレクトリックなマシーンから印刷されていた時点で「ここは一味違うぞ」と予感していたのだ。さすがです。ちなみにバス会社の名前はSKV。フランス読みでエスカーヴェーです。TRFが三枚連続リリースしたシングルのうちの二枚目のタイトルでは、ない。

安心して眠りにつくも、二時間後には寒さに目を覚ます。見渡すと他の人々も長袖や布を着込んでいるではないか。なんという無駄なエネルギー消費!エジプトやモロッコ以来だこんなのは。寒いが、少し嬉しい。

昼前には国境に到着。さらさらっと出国スタンプを押してもらうと、

バスが目の前から消えていた。


トーゴ日記

コートジボワールとちょっぽしブルキナファソ(2009年11月27日〜12月9日)