アフリカへいくのだアフリカへ

オーストラリアはパースからシンガポール空港に着き、ショータのリクエストにより今一度マーライオンを 拝みにゆき、そのままマレーシアへとバスでむかう。

ジョホーバルという町でバスを乗り換え、マラッカへ。去年の三月、不意に訪れて見事にハマってしまったあの宿へ泊まりたいがために向かう。

「久しぶりやんかジャミラー!」

宿のマリックとジェイは、僕を覚えていてくれた。ありがてえ。ショータも一発でがしこんと気に入ったらしい。

それから、風邪をひき悪寒や発熱に襲われ、もしや今旬の豚インフルではなかろうかと危惧し、多くの日本人がそうしていたようにマスクを着用し、体の不調に伴いラリった目をして町を闊歩するその姿は危険人物そのもので、マレーシアの人々に怪訝そうな顔をされた。かまやしない。疲れた体を快適な宿で休めていると、気づけば四泊もしていた。

クアラルンプール経由でハジャイというタイ、マレーシア間の国境の町へバスで向かい、タイ入国。陸路でのビザなし入国は滞在期間が15日間になったらしい。以前は一ヶ月いられたのに。どうでもいいけれど。

そこから16時間電車にゆられ、懐かしのバンコクに到着。SWEETYというゲストハウスにチェックインし、カオサン内の旅行会社で、本来の目的地ケニアはナイロビ行きの格安航空券を探す。

「16300バーツだね。全部込みで。」

ぎゃー。およそ49000円。思っていたより安いじゃないか。これはもう、買い、かしら。

予定は未定が僕の常


翌日本格的に航空券を購入しようと再び旅行会社へ向かうと

「OK。でも、エジプトのカイロ経由になるよ。でカイロで18時間乗り継ぎ待ちしなきゃいけない。さらに、6時間以上空港にいると空港使用料が発生して800バーツ余分に払わなければいけなくなるけど、いい?」

え?えーと、うーんと、ちょっと待ってね

リバース。ウノでいうところの。土壇場で全ての予定をまるごとひっくりかえして僕は、バンコクを発った。

一路カイロへ向けて。どうせあとあとエジプトには向かうつもりでいた。それならいっそ、ナイロビスタートをやめにして、エジプトスタートにしてしまえばいいじゃない。

エジプト航空MS961号機にのりこみ、今更思う。「なんだかなー。ピラミッドって気分じゃないよね。」がこうも思う。「いきなり危険都市ナイロビで出端をくじかれるよりも、カイロから徐々に攻めていったほうがいいじゃないかこれはこれで。」

どうもこうも思ったってもうカイロへしか行かないのだから、機内食を大いに楽しもうではないか。ここのところ機内食のつかない飛行機ばかりでひもじい思いをしていた上に、エジプト航空がどれほどのものなのか予想だにしていなかったので、疲れに任せシートに沈みこんでいた僕の鼻腔に食べ物の匂いがさしてきたときは心躍った。

チキン、ピラフのようなもの、サラダとパン、ケーキにティー。思ったよりうまい。がとてつもない眠気に見舞われたので食べ終わるなり泥のように眠った。どうでもいいが、泥の眠るさまを誰か見たことあるのだろうか。テキパキしたハードワーカーの日本人もきっと結構テキトウなんだ本当は。

何時間も飛び続け、眠り続け、エジプト時間で早朝4時半頃、再び機内食がやってきた。パンやらクロワッサンにオレンジジュースとパパイヤの朝食。あと1時間半ほどで着くらしい。

窓の外を見やると、まだ星が瞬いている。眼下に、なにやら街のようなものが広がっている。ここは、どこだろう。オレンジ色の明かりで街がふちどられたように光り、長い橋や道路も同じように光っている。不思議な、謎の神殿を発見したような気になる。どこだここは。ダーマ神殿?

徐々に空が明るんでゆく。星は光を失い、太陽が一気におはようさん。そのさまをぼうっとみていると、はっ!低空飛行し始めた。そして、街が、そこを走り行く車がみえてきた。カイロ。遂にエジプトに、アフリカ大陸に上陸。

入国早々エジプト人に・・・

カイロ経由でドイツに帰る女の子にグッドラックと別れを告げ、ビザ代15ドルを支払い入国。豚インフルエンザを懸念してサーモグラフィだかなんだかで体温を調べられたが幸い問題なし。

ATMでお金をおろす。選択ボタンに「500,1000,1500,2000・・・」とあるのだが、一体全体1ポンドっていくらだ?そんなことすら調べずやってきたので、とりあえず、フンイキで、2000ポンドをおろしてみる。確か安宿が1ポンドとかでえーと、300円ぐらいだったような・・・てことは1ポンド300円!?

え、てことは2000ポンドって600000円!?んなわけ、ないですねだってそんなに口座残高ないから。まあともかく、これだけあれば街までいけるのは間違いないので、バス停へ。

インドで出会ったユミさんという方が今カイロにいるということで、宿の情報を教えてもらっていた。その宿の住所と最寄の駅名をたよりに尋ねる。ナーセル?ナーセル駅いきたいんですけど

「ん?むにゃ?あー、それやったら27番に乗りなぱい。」

乗客僕一人。間もなく運転手が現れて出発。「2ポンドと、荷物代1ポンドね」あうん。それが一体いくらなのか、正しい値段なのかもよくわからないままゆられ、初めて目にするカイロの街を窓から眺める。なるほどこういうところですか。古びた建物が並び、バスや車が縦横無尽に行きかう。そして埃っぽい。

30分ほど走ったところで「ここやで」と降ろされる。細かいお金を一切持っていなかったので200ポンドでもお釣りちゃんとくれる?と乗り込むときにきいたら「大丈夫大丈夫」といってお金を受け取ったまま一向にお釣りをくれる気配がなかったので若干心配していたが、途中運転しながら他の乗客に「これ細かいのにかえてくれるけえ?」とわざわざ頼んでくれていたので、降りる時にしっかり197ポンドもらえた。優しい。普通か。

そこからが問題で、バスを降りたはいいものの、宿までの地図も何もないので、住所のみを頼りに尋ねる。駅のツーリストインフォメーションできいても、何ひとつインフォメーションしてくれなかったので、道ゆく人に尋ねる。アラビア語は一切わからない。英語でかかれた住所をみせながらなんとなく発音してみる。スーク、イッタファファ・・・?「あーあそこか!あっちだぜ」分かるんだ。

そんなのを繰り返しながらしばらく歩くと、なにやら賑わいを見せる通りにさしかかった。ん?なんか、におうぞ・・・大通りを右に曲がり果物屋やらがずらりと並ぶ小さな通りに入る。

あった。サファリホテルという、日本人にとっても×6有名な宿。大荷物を抱え6階まで登り中にはいると、いましたユミさん。「ひさしぶりー」スタッフがいないようなので、現れるまでロビーでインド以来どういった経路を辿ったか、互いの事情を話す。

間もなくスタッフが現れチェックインし、ユミさんにトマトと卵の炒め物という、中国でよく食べた、絶対にどこで食べてもうまい料理を作っていただき皆で食べる。げろうま。はずれないのだこればっかりは。

はっ・・・・・

また、また会えたんだね僕ら・・・・

稲中卓球部。

日本のマンガや小説がこれでもかこれでもですかというほど置かれているなかに、燦然と輝く永遠のアイドル、稲中。

奮える胸をおさえつつ、外へ。トラベラーズチェックを両替しにアメリカンエキスプレスのオフィスへ。あ、今更だが1ポンドはおよそ17円だそうだ。誰だ300円だと思い込んで一人びびっていたのは。

少し町を歩き、宿に帰ってチョイ寝をかまし、いざ尋常に、INACHU。こればっかりは死ぬまで読み続けたっていくらでも笑える。そしてさらに、20世紀少年という、物凄く人気なのは知っていたけれど読んだことのなかった漫画も読んでみる。なるほど秘密結社。

ネットカフェで日本の皆と交信し、シーシャという中近東発祥の水タバコ屋を求めて歩く。迷う。迷い込む。バスや車の部品屋が立ち並ぶ一帯に迷い込んだらしく、引き返そうとしたら、30歳ぐらいの男に呼び止められた。

「あ;そrぎあおrgはいrがいお!」

全くもって理解不能だがこっちへ来いということらしい。行ってみると、まあ座れよと促され、怒涛のアラビア語口撃。さっぱりなので、とりあえず彼らの発する言葉をリピートしてみる。「エンタ!エンタおがいgはいふいwhef!」わけがわからないが「だはは!」喜ばれた。どんどんそいつの友達やら通行人も集まってきて、今度は片言の英語も交えつ話す。「シャイ飲む?シャイはティー!ティー!」あティー飲む!

いくら?ときくと「いらんいらん!わしおごったる。」名前をエイメンという男にごちそうになり、持っていたカメラで写真を撮ってやるとこれまたえらく喜ばれた。「あーこいつモハメッド!写真とってとって!」それから彼らの発するアラビア語をひとつひとつメモしてゆく。アラビア語講座の始まりです。

シャイのおかわりにオレンジジュースまでもらって腹がたぷたぷなのに「アシュラップ!アシュラップ!」どうやら飲めということらしい。ぐびぐび

すると皆より随分英語の話せるハーティムという男が現れ、より詳細にアラビア語を教えてもらう。「アコォル!食べるね。」メロンと、パンにクセのあるチーズをはさんだ物体をいただく。「ラズィーズ!おいしいね」ラズィーズ!

所狭しと部品屋が軒を並べる中二階にあるハーティムのオフィスにお邪魔して、引き続きアラビア語講座。どうやら文法は英語と同じらしいので、割と学びやすい。19時頃、アショーファックブクラ!また明日な〜とおいとまして、宿に帰る。あら?シーシャは?

宿の日本人の皆に誘われ、晩飯を食べにレストランへ。ライスウィズチキンというのを注文してみる。どうやらフライドライスのようです。初めてしゃべる人ばかりなので、こうみえて人見知りな僕は、割と大人しい。いや、大人し、くもない。

帰りにアイス屋へ寄る。エジプト人、アイス大好きなんだね。大人も子供もこぞってアイスに群がっている。それから念願のシーシャ。シャイを飲みながら、吸います吸います。水を通すのでほとんどニコチンやらはないらしく、非喫煙者の僕でも美味しくいただける。味も色々。大体アップル味で。ぶくぶくと音をたてながら、吸います。ふわーっと、くらーっと、心地よい。のんびりとしゃべりながらぶくぶくするのが、よい。

その日本人の中のお一人が、なんと同郷、さらに同じ高校の二学年先輩だったことが判明。エジプトですこちら。世界はますます狭くなる一方だ。

今朝着いたはずなのに、なんだかもう何日か既にいるような気がするのは気のせいな気がしなくもない気がする。

バイトはじめました

宿近くのパン屋さんでピザを買い、食べながら20世紀少年を読み耽る。宿のスタッフと、イギリス人の女の子にアラビア語を少し教えてもらう。難しい。まあ、昨日始めたばかりだからね。

13時前、地下鉄に乗ってオールドカイロというところへ足を運んでみる。宿においてあった某地球の歩き方エジプト編の情報を頼りに。マルギルギスという駅で降りて、歩く。えーと、というわけで一体、ここには何があるの?オールドカイロへの行き方しか調べずその他詳細は一切見なかったので、とりあえず歩いてみる。

何が、あるのだろう。何も、これといって際立って目に楽しいものが、ない。駅前にミュージアム的なものはあったが、興味はないのでひたすら歩く。が、本当に特に何もなく、普通の街並みが広がるだけだ。とるものもとりあえず通りすがりのエジプシャンキッズをカメラにおさめる。喜んでくれる。こういうのは楽しい。

シャイ屋にさしかかると、昼間っからシーシャをくゆらせて気持ちよさそうなオッチャンに声をかけられ、シャイとシーシャをごちそうになる。プハー。が、特に喋ることもなかったので、お礼を言ってさらに歩きだす。

途中通りすがりの男に何やら話しかけられたが分かるわけもないのでン?とききかえすと頭をペチっとやられてカチンときた。何だったんだあれは。ペチンするなペチン!

ちっとも面白くないので再び地下鉄に乗り帰る。その足で部品屋連中のもとへ。エイメンはどこかに行っているらしく、二階のハーティムのところへ。お客さんが来ているようなのでしばらく待って、それからまたアラビア語講座。

「何でもききや。教えたるで」しばらく勉強すると、「ちょっと仕事手伝ってくれる?」とハーティム。彼のもとで働く、15歳ぐらいのアシュラッフとアハマッドゥに連れられ外へ。

「ねーねーそのネックレスちょうだい!」とせがまれるがラー!(No)と断る。そしてなにやら「アシュラッフにアメーシャってゆってみて!」「ちがうで!アメーシャちゃう!そんなん言ったらいかん!」と、僕を介してのおちょくりあいが繰り広げられる。意味は分からないがこういう中学生的なテンションも万国共通らしいということは分かった。アメーシャって、何?童貞?

車の荷台から部品を運び出し、それをオフィスまで持って帰る。運び屋です。「ジャミラありがとう!」とハーティム。マフィシュムシュケラ!(ノープロブレム)やで。さらに勉強して、また少し仕事を手伝っていると、エイメンがきてしゃべる。エイメンはほぼ9割アラビア語で容赦なく話しかけてくるので、僕も分かったような顔で反応する。

「ジャミラ腹へった?」アナガーィン(腹へった)と言うとコシャリという、ご飯にパスタとマカロニをトマトソースでまぜこぜしながら食べるエジプト料理をごちそうになる。ラズィーズうまいね。「決めた、ジャミラなエジプト名アブッドゥな!」アブッドゥ?あはい。お国かわれば名前も変わってゆきます。

それでも最初にジャミラと名乗ったものだから、モハメッドからは「おーガメラ!元気?」と亀の進化形怪獣みたいな呼び方もされ、ますます名前は変わってゆきます。

ほぼ全国民がムスリム、イスラム教徒なこの国で、ハーティム達とふと宗教の話になったので、僕は仏教徒だと言うと、「仏教徒は仏像とか拝んで祈るんだろ?なんでそんなことするんだ?だったらこのペットボトルでもよくない?」偶像崇拝をよしとしないイスラム教の考え方。そんなこと言われてもそこまで熱心な仏教徒ではないので、軽くそれもそうだねと流す。ムスリム相手に宗教の話をしだすと妙にピリピリするのだ。

20時前、また明日来るぜ、と宿に帰る。すると、なんと、今日は皆でカツ丼を食べるらしい。先ほどコシャリを食べたばかりでやや満腹だが、このまたとないチャンスを逃す手はないと、いただきます。とろろこんぶ汁までついている!幸せですとろろこんぶ

そして今夜もシーシャへ。今日は金曜日。毎週金曜はなんたらというお祈りの日で、いつもより多めに祈るらしい。それを尻目にプハー。プカー。一日をしめるのによい。これ。

部屋で20世紀少年を読む読む読む。

ピラミッドがだめならもう、駄目でしょう

7時半に起床し、早々に外出。観光嫌いの僕でも、やるときはやるのだ。1.5ポンド、凡そ25円のピザを食べあるきながらタフリール広場のバス停へ。997番のバスを待っていたら、ラムという名の男に話しかけられた。「どこいくの?」ギザのピラミッドです「しかしあれだね、なんでまたこのバスに?ローカルバスなのに。」いや、ガイドブックに載ってたから。「ほーう。でもこっちのほうが断然安いから!」とバスに乗り込みなお喋る。

ドバイで働いていて、ハンガリー人の妻を持つらしいラムと、覚えたてのアラビア語を話し、また教えてもらう。30分ほど走ったところで、うわ、見えちゃった、ピラミッド。

間もなくギザに到着し、降りる。が。ラムに促されて降りたそこはツアー会社で、「政府公認だから安心だよ、まあ話だけでもきいていけば?」と言われ、中へ。むむ?入るなりスタッフが現れ、早速ツアーの説明をし始めた。いや、ツアーとか興味ないのですが。「何が見たいんだ?」ピラミッドと、スフィンクスを外から眺められればそれで充分です「ピラミッドは見れるけど、スフィンクスはフェンスがあって見れないよ。」ええええ。

しばらく攻防が繰り返され、ピラミッドを外からと、スフィンクスが見たいだけだと再三言っているのにもかかわらず、「ミュージアムと寺なんかも加えて300ポンドです!これ以上一切かかりません!」などと言ってきて、とりあえず自分の足でみてきて、それで本当にスフィンクスが見えないのならまた戻ってきてツアーをお願いします。というと「本当だよ!本当にみれないんだよ!政府はお金を少しでももうけようとしてフェンス作っちゃってるんだから!何をそんなに迷ってるんだい?」

と結局、ラクダに乗ってみたい願望と、ラクダに乗りながらピラミッドを見ると何かが変わるかもしれないという希望に負けて、チケットや諸々込みで200ポンドを支払った。高い気がする・・・。(○ったくられました)

オフィスからラクダに乗り、入り口に向かう。人生初のラクダに少し興奮。が、道行く人の視線が妙に恥ずかしい。もろ観光客っぽいこの感じが嫌だ。

ガイドの男が来て一緒にラクダに乗り、中へ。砂漠のほうへまわり、ピラミッドが一望できる遠景で写真撮影。「こう、ピラミッドを掴んでる風な写真とる?」と提案されるままポーズをとる。一人でこんなことをやっているのが、ラクダの際のまわりの視線並みに恥ずかしい。やはりこういうの、もしくはこういう所は一人じゃダメなようだ。スリランカのサファリも似たような感じだった。誰かと一緒のほうがまし。

それからスフィンクスへ。ここでガイドとラクダが待っていると言ったのだが、これ以上みる所もないので、そこで終了にしてもらい、一人歩く。

何の200ポンドだったのだろう・・・。

あ、スフィンクス。観光客があらゆる角度から写真を撮る。萎える。薄々、入場したあたりから思っていたのだが、やっぱりだめだ。遺跡。ラクダに乗って、世界的に有名なこのピラミッドやスフィンクスを見れば何かが変わると思ったが、やっぱり変わらない。どうしようもなく遺跡に興味のない男なのだ。自分でも驚嘆してしまうほど。

それからは流れ作業のように、せっかく来たんやからもったいない、という気持ちのみで写真を撮影。歴史を感じられる人々がうらやましい。物売りは面倒臭いし、暑いし、もはやピラミッドの真横を歩いているのに視線は真っ直ぐ道路。興ざめしている自分にも興ざめ。ピラミッドや遺跡好きの皆様にリンチされてもおかしくない。が仕方がないのだこればっかりは。

するとラクダの男が「写真を撮ってあげる」というのでいいえ結構、と無視して歩いていると「いいからいいから!タダだから!」と無理やり僕を担いでラクダに乗せた。しめたりという表情でラクダを立たせ、歩かせる。なんじゃこりゃ。まんまとしてやられた。「はい笑って笑って〜」しばくぞ。

数枚写真をとられたところで降ろされ、カメラを返せというと「お金ちょーだい」すざけんなお前タダやゆうたろが。「僕はタダでいいけどこのラクダはあのおっちゃんの持ち主やからおっちゃんにはあげて。」と隣にいたおっさんを指さす。あほか、とカメラを奪い返し歩きだす。これだから観光名所を余計に嫌いになるのだ。物売りや何やらが沸いて出てきて面倒臭い。

もう、ピラミッドが駄目ならきっとどこも駄目だろう。潔く遺跡はみないことにしよう。と心に誓い、バスで早々に帰る。ピラミッド近辺は飲み物も高そうなので、帰るまで我慢。途中で水を失くしたまま炎天下のピラミッドを歩いていたので喉がからからのけらけらだった。

ペプシを一気に飲み干し、宿に到着。水を浴びて、20世紀少年を読んでチョイ寝。宿泊している日本人の皆と喋る。どうやら、南京虫がいるらしい。やたら体がかゆく、尋常でない腫れ方をしていると思ったら南京様の仕業だったのか。初めて実物を目にしたが、デカい。赤い。気色の悪い。昼間は影に潜み、夜毎現れては血い吸うたろかとチューチューやっているらしい。

気を取り直して部品屋連中のもとへ、行くなり皆に「何やっとったん!今何時やとおもてるん!遅いやんかー」と言われる。そんなん言われても・・・少しアラビア語講座をして、今日も運び屋の仕事を。がふっ!重い。米俵ぐらいの大きさの部品を担いで運ぶ。必死の思いで倉庫まで運び、アシュラッフとアハマッドゥとセックスがどうのこうのと思春期の青年談義に付き合い、オフィスに戻って休憩。

まかないの時間です。パンとギブナ(チーズ)、ポテチにオリーブや野菜。パンをちぎってチーズや野菜をはさみながら食べる。ラズィーズうんまいねー。シャイをもらい、一服していると「アブッドゥ、お前は今日からムスリムな!」とハーティムに言われる。ここで断固オレは仏教徒だ!なんて言おうものならたちまち面倒臭くなりそうなので、うんオッケオッケと軽く流す。柔軟に。

夜は夜とてシーシャへ。これからウガンダへ行くという人達に、一緒に来ちゃいなさいよと諭される。が、となると当初の予定と若干狂う上に金銭的に結構な無駄が生じてしまうので、予定は未定が私の予定なんて格好いいことをいいつつもノリに身を任せられない僕だった。ノリも大事だけど家計も大事。

アレキサンドリアでバナーナ

「おかんは、ズンバというサルサとレゲエを合わせた踊りというか、エアロビクスに行きよるんよ。まさにアフリカの匂いやわ」

今朝受信した母親からのメール。サルサとレゲエは、どちらかというとキューバやジャマイカの匂いがするんじゃないだろうか。まさにアフリカの匂い嗅ぎ違えてはるよ・・・


数日間バイトに勤しみ、20世紀少年も全巻読破したので、部品屋のハーティムに「明日からしばらくアレキサンドリアなどを観光してまいります。また来週あたりね。」と伝え、カイロから数時間の距離に位置するアレキサンドリアという街へ向かう。宿で出会った、これからウガンダへ行くユーキさんアオイさん、ユースケさんのお三方とともに。

バスより電車のほうが安いと聞き、カイロの中心にあるラムセス駅から乗り込んだのだが、どうやらこの車両は三等席がないらしく、二等で41ポンドも払ってしまった。(聞いていた料金は19ポンド。)今更バスに乗り換えるのも面倒なので、あきらめて出発。

エアコン過剰。これだから上等なクラスは嫌いなのだ。三等のオンボロ車両で、窓を開け放して風を感じて小粋に歌っていたいのに、窓は開かないわ電気は無駄遣いするわ料金も高いわで、ろくなものじゃない。しまいには足元が冷たくなってしまう始末。景色も大して目新しいものでもなかったので不貞寝。

二時間弱で到着し、安宿めがけて歩く。お三方がしっかり地図をもって先を歩いてくれるので安心安心。「北はあっちです」とあまり役に立たない情報を方位磁石片手に提供しながら役に立っている気になっている男約一名。

同じビルに四軒ほど安宿が並んでいるのをみてまわり、安くてスタッフの愛想が良かったガミールホテルというところにチェックイン。愛想が・・・良い?というよりは、なんかおかしな薬でもヤって楽しくなっちゃっているような風情。目元がやけにドス黒い。

「お前達仕事は?」今無職だよと口をそろえて答えると「ダーハッハ!無職はアラビア語でサーヤっていうんだぞ!サーヤサーヤ〜!ティタファナーナぁ!」えバナーナ?一言何かしゃべるごとに謎の「ティタファナーナ〜!」と付け加えるのがどうしてもバナナに聞こえて仕方がない彼の名はワリッド。

わざわざ部屋のドアをあけてまで改めて「サーヤサーヤ〜ティタファナーナ!」と言ってくるのが、若者風に言うとちょっとウザいので、もう彼をバナーナと呼ぶことにした。

朝出発前軽くパンを食べてから何も口にしていなかったので、旨いと噂の魚料理が食べられるシャバーンレストランへと足を運ぶ。まだ18時前なのに大繁盛。ちなみにエジプトは今の時期陽が沈むのは20時前なので、まだまだ昼間並みに明るい。

魚コーナーで「これとこれとこれをこれぐらい」とエビや魚を指差して選び、「これはグリル、これはフライがいいか?」ときかれるのでお任せして、テーブルにつく。サラダとパンが先にやってきたのでドカ食い、しそうになるのをぐっとこらえる。魚までに腹が太ってしまってはいけない。

店員が料理を持ってこちらのほうに歩いてくるたびに「きた?きた?」とチラチラ窺ういやしいジャPAニーズ。それが数回繰り返されたころ、ついに我々のもとへお魚天国現る。

いただきます。サバと、もうひとつ謎の魚のトマトと塩で味付けしたグリル、小さくて赤い魚のフライ、エビのボイル500グラム。う・・・・うまくて涙がちょちょ切れても誰一人疑わないほどにうまい。魚待ちしておいてよかった・・・。口数すくなにひたすら食べる。僕はマイ箸を常時携帯しているので、そいつでもって食べる。魚はやはり箸が一番食べやすい。

久々に腹一杯になるほどものを食べた気がする。幸せな気分に浸り、街を散歩する。ちなみに会計は一人20ポンド(約340円)。

海沿いの街ここアレキサンドリアは、一応地中海に面しているらしいのだが、海は残念ながら鉛色。それでも陽が沈み始めるときれいに映える。座って夕陽を眺めていると、ん?あらら?右前方に謎の人影インザシー。浜口?この汚い海に一人潜って何かを捕らえようとしている男がいた。

夕陽よりもその浜口が海に潜る瞬間をカメラにおさめようと躍起になってしまった。アレキサンドリアはカイロより随分涼しく、若干肌寒さをも覚えるほどなのに、浜口はそんなのどこふく風でひたすら潜っている。男だ。

カイロの宿にいたパクさんという日本語がぺらぺらの韓国人に「アレキサンドリアはぁ、もぅ本当にアイスが美味しいですからぁ、コーンもこんなに大きくて1.5ポンドでトルコアイスみたいですからあ!」と物凄くオススメされたのでアイス屋を探してみることに。

何軒かは見つけたのだが、どこも特に取り立てて大喜びするようなものでもない。値段も普通だ。パクさんアイスどこやろ・・・結局何軒か見つけたなかで一番安いところで食べてみる。

満面のスマイルで「ベリグッドよ〜」とアイスを手渡してくれたおじいちゃんには申し訳ないが、不味い。マンゴー、ストロベリーアイスの持つあの果実感も、コーンのサクサク感も皆無。コーンに至っては湿気てしまってもう何が何だかわからない。

一日の終わりに残念な思いをしてしまったが、魚は非のうちようがないほどにうまかったのでよしとしよう。

バナーナますますラリる 針路を迷う 砂漠へ向かう 

「朝食は10時でいいかい?」と昨夜きいてきたバナーナ。はいOKですよろしくね。

10時。ロビーのソファーに転がる目元のドス黒いジャージ姿の男。バナーナ。こらお前何寝とんじゃ。朝飯作れい!とたたき起こす。

「ようサーヤサーヤ!おはよう!」サーヤはいいから朝飯早くして腹へったよ。「わかったよ」と言いながらあなたの向かう先ってシャワールーム。お前は朝シャンせんでよろしい。

結局11時に朝食。え?ただのパンと、チーズとジャム。これを準備するのに何故1時間もかかっちゃったの・・・?「アチ!アチチ!ちょっとこれみてみて、できてるか確認してみてー」とスプーンに乗せられたゆで卵を持ってくる。バランスゲームみたいなことしなくていいし、ゆで具合も自分で確認しなさいよもう。うん、大丈夫ちゃんと茹だってるよ。「ティタファナーナ〜!」バナナめ。

食後のシャイ(紅茶)も「これから砂糖かってくるから」とさらに待たされ、ようやくやってきたと思いきやカップの大きさがばらばらで倍近く量に差がある。もう全部適当。「はいどうぞ」と言いながらいの一番に自分が飲み始める。「前ね日本人のお客さんきてね名前がヨウキナヤマモートでね・・・」ちょっと待ってえ?陽気な山本?「ヨウキナヤマモート」バナーナが言うぐらいだからそれはそれは陽気なのだろう陽気な山本さん・・・。

遅い朝食を終え、今夜発のスィーワオアシスという場所へ向かうバスのチケットを35ポンドで購入し、アレキサンドリアの観光スポットにもなっている図書館まで歩く。

壁一面に世界各国の色んな言葉が彫られていて、「キ」や「川」、「絵」など脈絡のない日本語も並んでいて面白い。お三方は中に入るというので、入場料を払いたくない僕は外で待つ。

気がつくと浮浪者よろしく眠りこけてしまっていた。いけないいけない。海沿いを歩いて、地中海の風を感じる。海は、鉛色。ここでも寝転んでしまう。「こいつ大丈夫か?」と通りすがりのエジプト人に心配されたらしい。しかしやけに眠いのだ今日は。寝すぎたせいだろう。

GADというお店でファラフェルという、パニーニサンドのようなものを買って隣のシャイ屋で食べる。コロッケや野菜、パストラミも入っていて実にうまい。

お三方は次なる観光スポット、要塞へバスで向かうというので、僕は、今朝からのとめどない下痢と、調べものがしたいのもあって一人宿へ戻る。スッキリしたところで再び外へ。ツーリストインフォメーションでリビア領事館の場所を聞く。

というのも、バナーナの話によると、ここからバナーナの友達がリビア行きのバスを運転しているから、もしビザがとれたらそれで行けばいいよということなのだ。が、リビアはブータンと同じように自由な個人旅行ができないうえに、ビザ取得もかなり難しいらしい。だからもう諦めて飛行機を使いリビアを飛ばそうと思っていたところにバナーナの話。できることなら陸路がいい。

歩いて15分ほどで到着し、尋ねると「日曜の朝10時にまた来なさい」と。その際に何が必要でしょう?「パスポート、写真、パスポートのコピー。」聞いた話だとそれにパスポートのアラビア語表記や、ツアー会社やら何やらからの招聘状か何かも必要でかなり面倒だときいたのだが、それだけでいいのですか?「いいよ、でも二週間ちょいかかるよ。」ちなみにビザ代はおいくらほどで?「75ポンドぐらい」そんなに安いの!?

といっても荷物検査員の話なのであまり鵜呑みにしないほうがよさそうだ。けれどもし本当にそれでビザがとれたらこれはかなり、快挙となりうる。

少しルンルンで宿に帰ると、お三方も戻ってきていた。彼らは一泊二日のアレキサンドリア小旅行だったので、これからカイロへ帰る。マイクロバスに乗り込む彼らを見送って、一人バナーナとリビアについて話す。本当にそんなに簡単にいくのだろうか。「大丈夫、スリーバナーナ。」僕も大概適当な人間だとは自覚していたがこのバナーナはそれを軽く上回る適当さだ。スリーバナナって何。バナナ三本で国境通過できるというのか。

もう一度GADでファラフェルを食べ、長時間のバス移動に備え整腸薬を飲み、20時、モウイフゲディードゥというバスターミナルまでマイクロバスでむかう。

旅行者は僕のみなので、向かいの家族の視線がどぎつい気もするが、それよりどぎつい蚊の攻撃。待合いスペースで小一時間待っている間に何匹退治したことか。ここで野宿したら10万円くれるといってもやらな・・・やろっかな。

22時十分前位になってようやくバスがやってきて乗り込む。あばよ、この蚊!カ!か!

そして案の定このバスもエアコン過剰気味だったので、ジャージにフリース、布までかぶって完全装備で臨む。

思いがけず訪れたクレオパトラの温泉はただの溜め池

9時間程バスに揺られ、運転手に起こされると、目的地スィーワオアシスに到着していた。辺りはまだほの暗い。早朝5時半。あらかじめ調べておいた宿、パームトゥリーホテルに向かう。スタッフはもちろん熟睡中だったので、「とりあえずパスポートだけあずかっとくねむにゃむにゃ、部屋のカギ?あとで渡すからまあ寝なさいむにゃむにゃ」と寝ぼけながらの対応だった。むにゃむにゃしちゃって。

蚊が多いのですぐさま蚊帳をはり、引き続き就寝。壁には寝苦しくて前の客が蚊と戦ったであろう痕跡がいくつもみられる。張り倒された蚊の死骸と血痕。蚊帳さえあれば万事オウケイなのに。

10時すぎに目を覚まし、チェックインをすませ早速散策へと向かう。スィーワオアシスはとても小さな町で、中心に砂で作られた城のようなものがそびえたっている。砂漠の町に来た気分になる。まさにエジプトの匂いやわ

腹がへっては散策もできぬということで、朝食をとろうと歩きまわるのだが、ない。レストランはあるがどこもまだやっていないし、軽く食べられる屋台的なものもない。どうしたものかと歩いていると、シャイ屋を見つけたので、何か食べるものはありませんか?と尋ねると、

「うちにはないな。なに何か食べたいのか?」覚えたてのアラビア語で食べたい旨を伝えると、奥から「これ食べるけ?」とパンとコロッケのようなものを持ってきてくれた。いくらですか?「いいよ、食べな」ありがとうオッチャン!そんじゃシャイを一杯ください。

思いがけず食べ物にありつき、シャイとともに朝食をすませ、お礼を言って散策を開始する。ジャミポッドを聴きながら適当に歩く。なにやらここには鉱泉があるらしいのだが。ん?左方にプールのような・・・もしやあの小さなプールが、鉱泉・・・。いやまさか、とさらに歩を進めるも鉱泉らしきものは他に見当たらない。あれだったのね。

気がつくと村にさしかかり、そこにも砂がかたまってできたような山があった。寺、なのか?入場料15ポンド必要とのことだったので、迷うことなく素通りした。

しかし日差しがきつい。真昼間に半袖に短パンという無防備極まりない格好で歩きまわるアジア人の愚かさよ。滅多にかけないサングラスをかけているから余計に「あのおいたんヘンだよ」と通りすがりの女の子達に言われていたに違いない。

何もない道をひたすら歩き続ける。と、ら?あらら?あれはもしや・・・オエイスィス!湖だ!半ば駆け足で湖へと向かう。

骨?

いくつか魚が群れていたりはするのだが、あまり綺麗とは言えない仕上がり。そして、骨。何者かの白骨が転がっているではないか。もしや事件・・・Xファイル・・・

湖のほとりをさらに歩くと、村に続いているような小道があったのでそちらへ向かう。普段は方向音痴が容赦なく発揮される僕だけど、一人の時は割りと危機感をもって行動しているので、今のところ方向感覚は大丈夫だ。迷うことなく帰れるだろう。

もうちょっと、もうちょっと行って何もなかったら帰ろう、と思っているところでいつも何かが現れてずんずんと先へ進んでしまう。ここでも、小道の先に小高い砂山と、そこに砂の家を建て巣食う、じゃなくて暮らす人々があったので引き返すことなく向かってしまった。

登りたい・・・

突発的な「あの砂山に登りたい衝動」にかられ、砂に足をとられながら登る。サハラ砂漠横断!とかやってのけてしまう人の気がしれない。こんなに歩きづらい砂の道をひたすら突き進むなんて、彼らよっぽどのMだ。イタ苦し気持ちイイのだろう。

ようやく村や町が見渡せるほどの高さまで登り、あと一歩で頂上だというのに、足場が悪いのと、サンダルがすべるのとで断念し、降りる。来た道とは違うが大体こちらの方角で間違いないだろう、と思われる道を歩いて帰る。

時々水を補給しつつ歩くこと小一時間。あれれ?町はどこ?わたしはだれ?ほんの二時間ほど前に「迷うことなく帰れるだろう」なんて宣言していたのだれ?

足も疲れ、喉も渇き、もうとっとと帰りたいというのに、迷っちゃったじゃないか。仕方がないのでとにかく大きめの通りを歩いていると、またもや鉱泉のような、さっきのプールのようなものが現れた。

「CLEOPATRA BATH!」いやビックリマークはなかったが、気持ちビックリマークがつきそうな勢いでクレオパトラバスと書かれていたので驚いた。これが、その昔クレオパトラも浸かっただか泳いだだか飲んだだか知れない鉱泉か。

・・・例えるなら、冬場の学校のプール。藻なんかが繁々と生えているあの感じ。底のほうからブクブクと気泡があがってきているのは鉱泉らしいが、お世辞にも美しいとは言えない。だがせっかく迷い込んだ挙句偶然にもクレオパトラ鉱泉にたどり着いたので、足と顔と頭だけバシャバシャと洗ってみる。クレオパトラ顔になれるかしら。

警備員にきくとひたすら真っ直ぐ歩けば町に着くというので、来た道を戻る。さっきもひたすら大きめの通りをひたすら真っ直ぐ来ただけなのに、今見ているこの景色に見覚えがないのは何故だろうか。方向音痴のひどさを神隠しか何かのせいだと思い込んでしまう自分が悲しい。

ようやく宿に帰り、すぐさまフレッシュなジュースを飲みに出かける。が、どこも閉まっていた。金曜のこの時間は休みなのだろうか。イスラムは。諦めて商店で炭酸飲料を買い一気に飲み干す。のべ四時間以上歩き続けていたようだ。

強すぎる日差しのせいで顔面が少し痛い。黒かった体がさらにその黒さを増している。そろそろインド人と同等の黒さだ。アフリカ人も夢じゃない。

夕食をとろうと町を歩くも、やはりあまりない。あるのは観光客向けの高いレストランで、観光客といえど貧乏旅行者の、さらに「いかに貧乏に旅をするか」と節約ばかり考えている僕には高すぎる。しかしいくら探しても地元民が行くような安食堂らしきものが見つからず、泣く泣くその高いレストランで、一番安い6ポンドのスパゲッティトマトソースを注文する。

驚きの早さでテーブルにやってきた。味は悪くないが、量が少ない。かといってこれ以上注文できる身分でもないので、さっさと食べ終え店をあとにする。スィーワオアシス、穏やかでいいところだけど、安くてうまい飯がないとこれはまずい。まずいです。

バナナとみかんを買って帰り、宿で食べながら一人パソコンにぎっしり詰め込んだ映画を観る。何やってんだ。

海が透けてはるよ・・・ダハブ

スィーワオアシスで映画を観始めた時点でこりゃまずいと思い翌日のバスでカイロへ舞い戻り、数泊休憩。運び屋のバイトは少し億劫になり行かず、丁度同じタイミングでダハブという町へ向かう人がいたので深夜のバスでカイロを発つ。

しつこいほどにエアコン過剰なバスでほとんど寝られないまま8時間過ごし、翌朝8時半、紅海の広がる町ダハブに到着。タクシーでディープブルーという宿に向かいチェックイン。

手始めに町を歩く。日本人に有名なセブンヘブンというもうひとつの安宿で、他の日本人やダイビングをしているオーストラリア人としばしおしゃべり。一年弱あちらにいたおかげで、アクセントですぐにオーストラリア人の判別が可能になっていた。

それからインスタントラーメンで朝食をすませ、いざ海へ。シュノーケリング。ディープブルーな海が広がる。ざっぶん。結構冷たいがすぐに慣れ、水中眼鏡でもぐるとすぐそこに珊瑚礁とそれに群らがるトロピカルな魚さん。サマカ(アラビア語でサカナ)さん。

シュノーケルを加えたままハヒョー!と興奮を声にする。ダイビング・・・楽しそうに深いところを潜っている人々をみて、出不精面倒臭がりの僕が若干ライセンスを取ろうかなどと考えてしまう。それほどに透明度が高く美しい海なのだ。

30分程泳ぐと寒くなってしまい、宿に帰る。ピザ食いたいと口にしながら歩いていると、「作っちゃう?」作っちゃうことに。小麦粉と水だけで生地を作り、その上にトマトソース、ピーマン、サラミ、オリーブ、オニオン、レタス、にんにく、チーズをてんこ盛り。それをフライパンで焼くだけという作業。

たまげた。エジプトで、しかもフライパンでこんなにもカリっと、そしてとろりと仕上がるなんて。

宿がインターネット無料という素晴らしい環境なので夕方までネットの世界をサーフィンして、もう一度泳ぎに海へ。

陽も沈みかけていて風もあるので、二分で寒さを覚えた。地元のエジプト人が飛び込んでいたので、それにまざって飛び込む。「ヤッラヤッラー(いけいけぇ)!せーので飛ぼうぜ!」それなりにいい年であろう風貌の男と三人でせーので紅海に飛び込む己の姿に少しテレる。

塩味のするシャワーを浴び、宿の皆でキングズチキンというレストランへ向かい晩飯。グリルドチキン、サラダ、モロヘイヤのスープ、ライス、パンで15ポンド(約300円)。 実にうまい。モロヘイヤのスープがとろろよろしくとろっとしていてこれまたうまいのだ。

旅の夜はやっぱりトランプ。中国の一元ショップで購入したセクシートランプで大富豪に興じる。「オフィスで脱いだ秘書!」「プールサイドの情事!」「Yバックの女!」「ジャングルガール!」等数字やマークに関係ない切り札の出し方がミソ。

タバコさえ買ってくればシーシャが吸い放題というさらに素敵なオプションが宿についていたので、ミックスフルーツ味のシーシャを皆でプカプカと吸いながら談合。談笑。砂糖もりもりのシャイ(ティー)とのコンビネーションが心地良い。

二年ぶりにおでましました嘔吐下痢脱水腹痛

運動音痴で面倒くさがりという怠惰この上ない人間のこの僕が、何を血迷ったかスキューバダイビングのライセンスを取得しようと思い立ち、ダハブのこの町で長期滞在をにおわせながら、一日中まったりと紅海の風に吹かれたり、一日中こってりと麻雀をしたりと過ごしていたある日の朝。

昨夜は皆でカレーライス大会を催し大いにたいらげた。それが功を奏したのかはたまた前日に飲んだ豆乳がしゃしゃり出たのか、それとも昼間一切の食物を口にしないで夜急にドカ食いをしたのが祟ったのか、キた。二年ぶり、ベトナムぶりに来た。

下痢はかれこれ中学二年の頃からのことなので、むしろ通常営業なのだが、今回はちと様子がおかしい。出し切っても出し切っても止まらないこの思い。そして、視界がぼやけて眩暈を起こす。あら、全く同じパターンじゃないの、ベトナムの時と。ということはこの後は、あははっ予想通りの展開

水分補給をせねばとこの間もらった、三ヶ月前に賞味期限の切れたポカリスエットの粉末でイオンウォーターを作り口にした瞬間、急激な腹痛。胃腸をしぼられるあの感じ。そして吐き気。賞味期限切れが原因?

トイレに駆け込むなりゲリゲロを交互に繰り返し、立ったり座ったり忙しない。さらにどっと吹き出る汗。DASSUI。

取引先を駆けずり回る営業のサラリーマンよろしくトイレを往復し、ヨーグルトと整腸薬でとにかく悪の根源を追い出す作戦を決行。出て行け悪玉!

数十秒おきの腹痛が数分、数十分、一時間と間隔を広げてゆき、午後にはどうにか落ち着いた。前日に、同じ豆乳を飲んだコニー氏が同じ症状で倒れていたのをみて「大丈夫ですかぁ?かわいそぅ〜」とまるで他人事のように接していた翌日にこの有様。

時間差攻撃でやっぱり豆乳が躍り出た可能性が高いが、人の痛みは自分も同じ目に遭って初めて分かるもの。病に倒れる度に思う。もっと思いやりのある人間に、私はなりたい。宮沢賢治。

腹痛にキリキリしながらも懲りずに初心者麻雀部の活動を続行していることは、負けず嫌いという解釈でいいよね?負けず嫌い。腹痛にも負けず麻雀を続けるそういう人間に私はなりたい。

そして話は変わるが縁あってかなくてか、今後の予定が更に大きく覆されそうとしている。人生は益々未定になってまいりました。

わたしはダイバー

気がつけば既に一週間程もたっていたダハブ。何をしたかといえば、ネットサーフィン、漫画、シュノーケリング、飯、初心者麻雀、ネットサーフィン、ネットサーフィン、ネットサーフィン。あら腐ってる。

いいえ。これは士気を高めている段階と呼べます。ただがむしゃらにひたすらに腐ってたのとはわけがちがうのです。そう、今日からわたし、ダイビングの講習。

町で一番安値でオープンウォーターとアドバンスのライセンス(そろばんでいうと三級と二級、炎の出る魔法でいうとメラとメラミ)が取得できるダイビングセンターで申し込み、韓国人のインストラクターヤンさんのもと、同じく韓国人の生徒キム君、そして同じく韓国人のダイブマスター(そろばんでいうと一級、魔法でいうとメラゾーマ)講習中のジュー君、四人でスタート。

教科書なんて開いたの数年ぶりで、開いた途端に気が萎えたけれど、簡単なテストと答え合わせをおどろくほど適当に、これはテキトーではなく適切にという意味合いで、適当にすませてくれ、早々に海へと向かう。

器材のセッティング諸々を何度かレクチャーしてもらい、生まれて初めてウェットスーツに身を包む。このなんともいえない締め付けられ感、嫌いじゃない。酸素ボンベを背中に担いで水の中に入った瞬間、オレの中の眠っていたダイバー魂が着火した。

着火したところで何が起こるわけでもないので、ヤンさんの指示にしたがいレギュレーター(口につけるアレ)を装着し、潜る。水の中にいるのに呼吸ができちゃうなんて、違和感ばりばりだけど、不思議に面白い。

その日はいくつか、あくまでも講習の一環なので簡単な技能を身につけるべく水中めがねに水が入った時や、酸素ボンベが切れた時の対処法などを学び、近くをすいすいと潜って終了となった。

翌日も同じように潜っては技能講習、陸に上がっては学科講習を繰り返す。学ぶって結構大変。が、ライトハウスというサンゴや魚のスポットへ潜るとそんなこと忘れちまうほどに美しい。水中で頭上を魚が泳ぐさまを、肉眼で初めて観た。水槽で飼われたウオの気分。

オープンウォーターコース最終日の三日目は、学科試験が初めに執り行われ、86点で見事合格、車に器材を積み込みサウスというポイントに向かう。そこで二度潜ったのだが、日々連続で潜っては勉強するという、近年稀に見るほどに体と脳を使っていたので、やっつけ潜りになってしまった。

めでたくオープンウォーターダイバーになったら間髪おかずに翌日からアドバンスコースの講習。学科を軽くこなし、今日は水中で方向を知るためのコンパスの使い方などを潜りながら教えてもらい、終了。

疲れていたので宿でくつろぎ、いつの間にやら男だらけの巣窟と化してしまった宿で、フェチ話に花を咲かせる。ワキにグっとくるとか、可愛い女の子が検尿を提出する瞬間イケないものを見た気になっていいとか、いささか常人とは思えない性癖の持ち主がたむろしていたようだここは。それに比べれば軽く髪の毛をひっぱられたいなんていう僕の話なんておままごとレベルだろうきっと。普通が一番。

アドバンスコース二日目は、カメラを手にしてライトハウスに住まう生き物を激写、という楽しい講習内容であった。無数に行きかう小魚の群れのど真ん中を泳ぎながらシャッターを押す快感。50分ほど潜り、少し休憩したら車に乗って今度はアイランドというスポットへ。サンゴが大量に軒を連ねる中をかいくぐって突き進む。先生のヤンさんが率先して「水中で足ヒレはずしてたたかいごっこをしましょう」と促すので、皆で蹴りあったりする。

陸にあがったらあがったで、「一枚は普通の、一枚は奇天烈な写真をとりましょう」とこれまたヤンさんが率先して促してくださるので、石を拾って食う様を撮影されたりする。なんてオカシな講習。

いよいよアドバンスコースもといダイビング講習の最終日。今日はキャニオン、ブルーホールというスポットへ車で向かう。まずはキャニオン。ここで初めて、30メートルの深さまで潜る。若干ビビりながらも、ヤンさんの後へゆっくり着いてゆく。耳抜きをこまめに行い、気がつくと30メートルの水底に。意外にイケた。そして慣れた。依然ウミガメや巨大魚の類は現れないが、いつまでたってもどこまでも青く透明な海には心底感動させられる。

ブルーホールは、岩の間の小さな穴から一気に30メートル潜行し、サンゴ礁に沿ってゆっくりと泳いでゆくというもの。このサンゴのスケールたるやただごとではない。そして右手はサンゴや魚があふれていてにぎやかなのだが、左手は一面飲み込まれそうなほどのブルー。他には何もない。恐怖心すら覚えるが、どこか魅力的な恐ろしさ。この向こうには誰も知らない魚たちだけのナニかがあるのかしら。人間社会のように繁華街や風俗街が広がっているのかしら。などと妄想を繰り広げた。

すると一匹の細長い魚がずっとヤンさんの後をついていっているのに気づく。レギュレーターから出てくる気泡を追いかけているらしい。その表情が真剣そのものにも、ふざけているようにもみえて、実に滑稽。女子のブルマ姿をそれとなく必死に目で追う男子のような表情。ある意味無邪気でもある。

なんてことを考えながら泳ぎ、ふとゲップをしたい欲求にかられるまま実行すると、さっき飲んだネスカフェがちょいと酸味を帯びて舞い戻ってきた。すっぱ・・・が下手に慌ててレギュレーターを外して酸素を消耗するのも癪なので、そのまま何事もなかったかのように振舞ってみると、そのうち落ち着いた。

40分ほどで終了。遂に、全講習が終了。後半からは半ば義務的にダイビングをしていた気分だったので、正直全部終わってくれてようやく休息がとれると安堵したが、一方これでもう紅海に潜ることはしばらくないのかという寂しさに似た侘しさもこみあげてきた。

ヤンさんにありがとうございましたと深くお礼を言い、晴れてアドバンスダイバーに成り上がったジャミラ。わたしはダイバー。中型二輪と普通免許意外に何も所持していなかったのでちょっと嬉しい。ステータスってやっぱり必要。

帰るなり「これじゃダメだ。女性客が寄り付かない」と一致団結した男子共で、憩いの間の大掃除をはじめる。半裸の男が皆一様にだらけた様子でインターネットを黙々としている宿なんて、女性客のみならず寄り付かないだろう。

見違えるほど美しく健康的になった途端、誰からともなく元の定位置に戻ってインターネットを再開する。そういうスタンスもいいよね。

夜は料理番町兼紅一点のユミさんの指揮のもと天ぷらとお好み焼きを作ってにぎやかに憩う。

※やはり紅海の美しさを文字で表すのは至難の業だったので、写真どもをごらんください。

やっぱり無駄足無駄金は避けられないさだめ

昨日ある人からのメールをチェックして以来、「予定が大幅に覆されようとしている」のがいよいよ現実味を帯びてきて、もう数日いるつもりだった今朝の今朝、出ます。と荷造りを始める。

その予定の覆され方なのだが、今後の大きな流れはさておき、まず選択されるのが、あと20日ほどビザを延長してダハブに居座るか、意を決しその20日間で他の国を巡るか。今朝の数分で後者を選択し、バスのチケットを購入し、宿代の精算をする。期限付きの旅が苦手なので若干の焦りも感じるが、たまにはきっかりと旅するのもよかろう。この時点でもはやジャミラがどう動くかわけわからないというあなた。そのうちに。

そもそもケニアに行くつもりがエジプトになり、そしてエジプト以降は西アフリカへ行こうとしていたのが僕の計画でした。それが、大きく覆るという。ひとつ航空券も予約しちゃった。よろしくお願いします。何を。

バスは夜に出発するので、紅海納めをすべく皆で泳ぎに。いや、泳ぐなんて生ぬるいものではなく、遠泳。宿近くのマシュラバというポイントから、ライトハウスまで。直線距離で見た感じ500メートル。ひたすら平泳ぎ。およそ30分で無事到着。口々に「意外にイケるね」「意外にイケましたね」と意外とイケた男達。マシュラバにサンダルを置いてきたため、復路も自動的に遠泳となった我々、またもやひたすらに平泳ぐ。

帰りは潮の流れとともにあったので「イケるね」「イケましたね」意外でもなくイケた男達。遠泳って楽しいね。「これ毎日やったら帰る時ムキムキっすよね」「だね」口では何とも言えるがそれを毎日続けられないから誰一人ムキムキにならないのが悲しい現実。

夕刻、宿がざわめいた。遂に女性客が訪れたのだ。いつになくよそよそしい一同。あの、乳首をかきながらだらだらとネットをしていた姿はいづこへ?動物っておもしろい。

皆で夕飯を食べにゆき、女性を囲む。僕は一足先に宿に戻り荷造りを完了させる。21時すぎ、皆やジュー君も戻ってきて、見送られバスターミナルへ。22時発でいざ向かうは・・・

カイロ。

なんだでなんでだで?予定の変更にともない僕はダハブからほんの一時間のところにあるヌエバという町へ向かいたいのに、9時間もかけて舞い戻ってきたカイロ。全ては荷物の多さが原因。どうせダハブにいてもカイロには戻ってくるだろうと予測し、カイロの宿にいくつか不要な荷物を置いてきていたのだ。それが災いし、予定の大幅な変更にともない、無駄にカイロへ戻ってこねばならなくなった。でもね、予定って未定なの。だからこれもきっと何か意味が・・・ない。

終わりよければ全てよしってことはこれ全てわろし

荷物を取りにくる以外に何か用事を作らないとますますカイロへ戻ってきたことがアホ臭くなってしまいそうな気がしたので、とりあえずちょいとバイトをしていた部品屋の連中に会いにいくことにした。手ぶらで行くのもなんだから、ダハブで覚えたダハブ編みという、日本人バックパッカーの間で何故か定番とされている編み物を作製して向かう。

「アブッドゥ!何やっとったんや!」かくかくしかじかでダハブに沈没寸前だったんです。そして明日エジプトを発ちます。とボスのハーティムに告げ、奥のオフィスで仕事がひと段落つくのを待つ。その間ハーティムのアシスタントのアハメッドとしゃべるのだが、相変わらずのウザさにげんなりしてしまった。

「アブッドゥ!何でこないだまでつけてたネックレスつけてないの!?あれちょうだいよ!」お前がくれくれうるさいから宿においてきたんだよ。さらに中学生のようにちょっかいを出してくるのでお前ええ加減にせんかいとシバいたり。

一時間以上まってもハーティムは戻ってこなかったのでダハブ編みと手紙をおいてそっと部品屋をあとにする。さようなら部品ども・・・。

さらにカイロに戻ってきたことにもう一つ意味を持たせるため、ハンハリーリという土産物街へ繰り出し、シーシャを買うことにした。そう、あのブクブクやる器材。何軒もまわりながら吟味するが、吟味すればするほどどれを買ってよいか分からなくなってきたので、疲れを覚え始めたときに入った店で、半ばやっつけで決めてしまう。いいのさこれで。シーシャ一式セットで50ポンド(約850円)。

一緒に買いに行った友達は転売目的で5つも購入しやがったので、帰りはタクシーを使おうと乗り込む。地下鉄ナセル駅分かりますか?そこまでよろしく、と運転手に言うと「ん?地下鉄?ナセル。オーケーオーケー!10ポンドね!」いや、9ポンドで。「いいや、10ポンドね!」と特に値下げ交渉する気もなかったが面白半分でそんな会話を繰り返していると、タクシーを止め、通行人に道を聞き始める運転手。道知らんかったんや・・・

場所がわかったのかなんなのか、「この先歩くとメトロ!そこ越えていけばいいんじゃない!オレあっついし、もう帰りたいからここで降りてね!」と突拍子もなさすぎることを言い始め、その場で下ろされる。なめとるのう・・・ここどこや・・・まええわ、とにかくこんなんじゃ1ポンドたりとも払えんな、話にならん、と憤怒しつつ立ち去る我々。「ちょっと待って!10ポンド払え!」これまた耳を疑うような発言ですこと。

怒りにまかせて英語と少量のアラビア語でまくしたてると、みるみるうちに野次馬が集まってきて「あんた!タクシー代はらわんか!」と野次馬らしく野次をとばしてくるので、やから、こいつはな、地下鉄ナセル駅行け言うたのに行かんかったんや!なんで金なんか払えるか!あほか!と八つ当たり。

結局運転手もあきらめたので、1ポンドも払わずタクシーを後にした。当然といえば当然でしょう。しかし久々激しく口論をした。インド以来な気がしないでもない。

購入したシーシャを郵便局で梱包して送り、カイロにおける全ての用事を済ませた。これで心おきなくエジプトを発てると思っていたのに・・・。

夜、別のホテルに泊まっている友達を誘ってエジプト最後のディナーをともにしようと、僕と同じホテルに泊まっていた別の友達が呼びに向かうと、そこのスタッフに「スタッフに無断で部屋へ入っていかないでください。」と注意されたそうだ。それはごもっともな意見だ。

約30分後、改めて今度は僕が友達を呼びに別のホテルへ向かい、きちんとスタッフに尋ねた。友達がここに泊まっているのですが、彼はまだ帰っていませんか?「さっきも言ったでしょう!私がレセプションです!勝手に入らないでください!彼ならまだ帰ってませんから!」何をそんな剣幕な。勝手に入ってないのですが。ともかく、彼が帰ってきたら伝えてくれるように頼み、宿に戻る。

小一時間後、そろそろ飯を食っておかないとバスに間に合わなくなってしまいそうだったので、もう一度皆で友達を呼びに行くと、「言ったでしょう!勝手に入らないでください!」いやだから入らないで今あなたに尋ねてるんですけど。「彼ならまだいません!ほんっとにおかしな人達ですね。」はい?

その後偶然にも外でその会うべき友達と会えたので、話をきくと、ずっと部屋にいたらしい。スタッフは、部屋にいるかいないかチェックもしないでただただ出ていけの一点ばりだったわけで。おかしなのはどっち?

晩飯を終え宿に帰る途中、そのスタッフにまた出くわした。「あいつらだよ。さっき無断で入ってきたの。」などと小声で話しあい、日本語の話せるスタッフが「あの、無断で入らないでください。それでもし何か盗まれたりしたら困りますから。」

ですが、私は入ってません、まずスタッフにききましたから。「でもそっちの人は勝手に入ったんでしょう?」それはそうらしい、でも私ではないので。それよりも、きくと友達はずっと部屋にいたっていうじゃありませんか。なのに確認もしないでいない、出て行けって、心外極まりないのですが。

自分らの非など何ひとつ認めず、とにかく無断で入るなとそればかり。しつこい。分かりましたと最初に注意された時に詫びているのにも関わらず。もう二度と来ませんからご心配なく、と言うと「はいもう絶対来ないでください!なんたらかんたらぶつぶつぶつぶつ・・・」

なんて態度Lなスタッフ!宿泊客以外全員敵とでも思っているような。あまりにその上からものを言うような態度に腹がたったのでつい、こいつ頭おかしいんちゃう?と日本語が口をついて出たら

「だあれが頭オカシイデスカ!!日本語分かりますよ!警察呼びましょうか!!」とスタッフ爆発。うっさいぼけー!と子供じみた文句を言ってその場を去る、大人気ないわたし。「ドロボーーーーー!!!」

ついには泥棒呼ばわり。いくら話しても無駄な相手がいると、オーストラリアでつい最近学んだ経験があるので、もう時間の無駄だとあきらめる。宿のセキュリティを徹底的にするのはいいことかもしれないが、だからといって他の宿の客をやたらに怪訝に扱うってそれじゃ素敵な接客業なんてできやしない。そう思いますわたしは。

なんてエジプト最後の瞬間に何故か接客業の何たるか、などについて考えをめぐらせているうちにバスの時刻がやってきて、ヌエバという町へと出発する。

待つってつらいよ

バスで隣り合ったアメリカ人といくつか話し、ひたすら眠る。エジプトのほぼ全域をカバーしているであろう、デルタ社のバスは、鬼のように寒いうえに窮屈だ。

翌朝6時ヌエバに到着する頃には首がカチコチであった。サロンパス貼りたい。バス停と港が同じ場所にあったので、そのままヨルダンはアカバという町へ向かう船で紅海を渡ろうとチケットオフィスへ向かうが8時にならないと開かないという。

それまで路上で不貞寝をし、オフィスが開くのと同時に中へ。驚愕の70USドルという船代を支払い、一時間後ようやくチケットを入手、港へ。

ところがどっこら、船は15時半出航だと。現在午前9時。果報は寝て待て。質素で簡素なイミグレーションでエジプト出国スタンプを押してもらい、ベンチで寝て待つ。と、カイロの宿で一緒だったマサさんと再会する。

11時、僕の払った70ドルのスピードボートより10ドル安いフェリーが出るというので、そちらのチケットを買っていたマサさんは先に出航。ではあちら側で。

15時半。おそらく今って、出航時間。出航のシュの字も、船のフの字もにおわない。気配がしない。「予定は未定ってお前いつも言ってんじゃん★」それはわたし自身の予定。船会社の予定はしっかりしてよ。とはいいつつも、 ここの船が遅れることはしばしばあると噂にきいていたので、気長に寝て待つことにする。

17時。おっかしーなあ!10ドル安くて遅いフェリーはきっともう、アカバに到着してるんじゃないかなあ?10ドルという値段の差とクオリティの差が比例してなさすぎて、若干苛立ちを覚えたのを、ドリトスを食べてまぎわらす。

結局乗船したのは18時、出航に至っては19時前。スピードボートを気取るあまりに、この船デッキに出られない。海眺められない。この美しい紅海を汚れのこびりついた窓越しにしか拝めないなんて。船内で入国スタンプを押される。

最後の最後に嫌な思いをさせられたんだから、そのまた最後ぐらい紅海の美しさで浄化させておくれよ。そんな小さな願いも叶わぬまま、エジプトの旅は終わった。知らぬ間に一ヶ月過ぎていたってことは、きっと楽しかったのだろう。半分をダハブで消化している点から考えて、ダハブがご多聞に漏れずしっくりきたのだろう。マアッサラーマ〜

エジプト(2009年5月21日〜6月22日)

ヨルダン日記