早速鬱陶しい

ケニアを出国し、すぐさまエチオピア入国手続きをすませようとイミグレーションへ足を運ぶと、「これからランチタイムだ。14時にまたきなさい。」

時刻は12時。まさに今からランチというタイミング・・・あと十分でも早く来ていれば・・・と悔やんだところで彼らがランチへ行って14時まで戻らないことに変わりはないので、諦めて我々もランチ休憩をとることに。

イミグレーションオフィスを出た瞬間から「両替は?ねえドル持ってない?ねえね両替。あランチ?だったらあそこにレストランあるよところで両替は?」と引きも切らず喋りかけてくる男共。皆エチオピアン。

もう両替済ませたから結構。と断っても歩を止めず、結局レストランにまでついてきて向かいの席に座る始末。とりあえず飲み物と、ビリヤーニを注文してみる。「OK」ウェイターはそう言った。

数分後、ビリヤーニを頼んだはずなのに、何やら大きなプレートに、円く平らなスポンジ生地のような物体がのり、さらにその上に各種惣菜やソースが盛られている、という料理が現れた。「OK」ちゃうやん?

「インジェラ。」彼はそうつぶやいて去っていった。「ビリヤーニ」「インジェラ」何ひとつ語呂の合わない料理名を、間違えたのか、理解していなかったのか。それとも嫌がらせなのか、おもてなしなのか。真相は彼のみぞ知るが、出てきた以上食べるしかないので、頂く。

しかしこんな急なタイミングでインジェラを食べること(羽目)になろうとは。噂には聞いていたのだ。エチオピアの主食、インジェラについて。

曰く、「酸っぱい雑巾」。え。

酸っぱい雑巾を主食と掲げるエチオピア人・・・の味覚は一体どうなっているのだ?とその形容されっぷりを耳にしてからずっと気になっていた食べ物。

意を決し右手でつまんでお口にポイ。

酸っぱッ。そして間近にみると、その生地は牛の内臓のよう。センマイあたりね。あれも割りと雑巾の類だから近い。が、味は思っていたより随分易しい。

確かに胃液を不意に戻してしまった時のような風味があるのは否めないが、その酸っぱさと、惣菜ないしソースとの相性が、そこまで険悪でもないのだ。無論、ご飯で食べると尚美味しそうではあるが。

四人で挑戦し、皆同じような感想を持っていた。「うん不味くはないんやけど・・・でも何でこうなったん?」首をかしげる。

日本人、イギリス人にスペイン人の四人組が、何ともいえない表情でインジェラを囲んでいる姿が気になったのか、カメラを持ったエチオピア人に写真を撮っていいかと尋ねられた。

わしらは写真代払わんからな。どっちかっていうたらそっちが払うんやからな。と笑いながら言うと、それをみていた、向かいの鬱陶しい輩どもの一人が、

「日本人はブサイクだから金払わなきゃなんねえぞ」と不届き極まりない発言をしてきたのが耳に入ってしまったので、放っておけば良いのにお前のほうがブサイクや!と言い返しながらも視線はカメラでにっこり笑う、という仕上がりになった。

発言した本人はもう頭の禿げ散らかした歯抜けの中年なのに。ムキになる僕はまだまだ雑念の多い青二才である。

14時までそこで本を読んだり話したりして時間をつぶし、再びイミグレーションへ。警備のおっさんに、中入っていいか?と尋ねると「今何時だ!」と返してきた。

お昼休みはもうお仕舞いだよ役所のあんたら。という意味合いを込め時計を高々と掲げながら14時です!!と答えると「おだまり!」と何故か一喝されつつ中へ入った。通常ならケッ!何だこの傲慢なおっさんは!と腹を立てそうなところだが、その「おだまり!」の言い方というかニュアンスというか、間が、とても良かったので笑ってコラえる。

かくしてようやく入国手続きをすませ、トラックとバイクの手続きもすませ出発する頃には既に15時をまわっていた。

モヤレまでの道がウソのように舗装された道路が続き、すいすいと進むトラック。

80キロほど走ったところで茶休憩。通称ティーブレイクを敢行する。チャイを注文し、くつろいでいると、まわりの客達はほとんど、マキアートと呼ばれるコーヒーを飲みながら、葉っぱを枝から摘んで食べてクチャクチャ噛んでいる。この葉っぱはチャットと呼ばれるそうで、噛みタバコのようなものだろうか。皆モクモクとかみ続けている。

ユー!ユー!ユー!

振り向くと我々を指差しながらそう叫ぶ子供の群れがいた。ルー大柴の遠縁にあたる者達かい?ユーユー止まらないのでこちらもユー!ユー!と指を差し返す。写真を撮ってやると素直に喜んでくれた。

ユー!ユー!の狭間に時折マネー!やワンブル!が聞こえるがそこはご愛嬌ということに。

再び出発、走り出してしばらく。陽が傾き始めた。今日中に最初の目的地ヤベロという町に到着するのは無理そうなので、適当なところでわき道にそれ、いつものように人気のない草むらに停車。

沈む夕陽の綺麗なのをちらちらと横目で見つつ、夕食を作る。ツナパスタとインスタントラーメン。言うなれば、うどんとそば、肉じゃがと焼き芋、モモコとリンゴの組み合わせだろう。

パスタが丁度良い具合に茹でられたのでそれだけでもうウマい。ぺろりと四人でたいらげ、星空の下コーヒーを飲みながら焚き火の前で談笑。そろそろネスカフェゴールドブレンドあたりからCMのオファーがあってもおかしくない状況。缶飲料ではなく瓶の粉末で。

結局は何がしかのお金


翌朝。やはり窓の外には現地人の群れ・・・。まるで天然記念物でも見つけたかのような眼差しでトラックを囲む彼らに、モーニンおはよう。と寝起きの散らかった顔のままにっこり笑ってみせる。

するとはにかみながら返してくれたので、飴ちゃんを一人一個ずつプレゼントしてみる。さらににっこり笑ってくれて朝から清清しいじゃないか。

昨夜の焚き火の残りでまた火を作り、湯を沸かし、トーストを焼く。やっぱりそろそろネスカフェゴールドブレンドからのオファーが・・・黙ります。

のんびりと支度をし正午出発。一時間少々走ると町が現れ、小粋なカフェがあったので休憩してみると、そこがまさに第一目的地ヤベロであった。

マキアートを飲みながら休憩。そして今後のルートについて相談。というのも、ダヴィと仙人はこのまま一気に首都アディスアベバまで北上するのだが、ボクはここヤベロから西に行ったコンソという町で数泊したい心積もりだったのだ。マイケルもコンソの方へ行き、そのさらに西の町で、エチオピアの観光名物、「下唇にどでかいプレートを埋め込んだ民族」に会いたいという。

が、そのカフェで出会った欧米の老人観光客達から、なかなかその部族を見るのは面倒で、さらにお金も結構かかるという情報を得ると、「んじゃオレも北上するわ」とマイケル。

結局ボク一人がコンソへ、後の皆は北上ということに。

あらかじめまとめておいた荷物を抱え、お礼を言って三人と別れる。ちょっぴり寂しい。

バス停まで向かい、コンソ行きの乗り物を待っていると、「ハロー」と数人の青年達に話しかけられた。

看護士もしくは介護士の学校に通っているという。ハイルとファンキーという名前の彼ら。いずれも本名。鬱陶しい、金銭目的の輩は少し話すと大体分かるのだが、彼らからはそういったものが微塵も感じられないので割りと心を開いて喋る。

「これ噛んだことある?」と差し出してきたのはまさにチャット。せっかくなので挑戦してみりゅ・・・・苦っっ渋っっっ!苦虫を噛み潰した顔をそのまま何の芝居もなく表現。「あはは!はい。これと一緒に噛むといいよ。」とピーナッツと砂糖をくれた。

なるほど大分マイルドになった。が、皆のようにうまく噛み続けられず、すぐに全部飲み込んでしまう。果たしてそれが健康に良いのか害するのかも分からないままに。

次々に通りすがりの人々が立ち止まって、ボクを凝視し、時に話しかけてくる。子供達もすれていなくて可愛らしい。

いつまでたっても乗り物(トラックの荷台)がやってこないので、エチオピアの公用語アムハラ語を教わってみる。ハローや元気?ありがとう等の基本的な単語や、1から10までの数字、そしてやっぱり必須のちんちんと金玉を。

エナ(わたし)、アンテ(あなた)、といった単語はアラビア語のアナ(わたし)、エンタ(あなた)に似ていて、チャオチャオ(バイバイ)はイタリアの名残り(一時期支配されていたことがある)か全くイタリア語と同じだし、スィミマンノ?(お名前は?)なんてまるで日本語みたいな発音だし、意外と覚えやすい。

ん?おっと忘れちゃいけない。皆知りたい気になるワード。

クッラ(ちんちん)
クウォレッティ(金玉)。

18時を過ぎたころようやくトラックがやってきて、出発。ハイルとファンキーもコンソへ向かうというので一緒に。荷台で風を浴びながら山を眺めるのが楽しかったので立ちっぱなしでいると、二人が「しんどいやろここ座ればいいよ」とシートの上のスペースを空けてくれた。こういう小さな心遣いがとてつもなく嬉しいのだ。

コンソへは21時に到着。ここからさらに北上したアルバミンチという町出身の二人。今日はもうバスはないのでここコンソで共に宿探しをする。

歩いてすぐの所にホテルがあったのでいってみる。「ベッドの二つある部屋が50ブル(約350円)だって。」なかなかいいじゃないか。じゃあそこにしよう。「ちょっとこの部屋を三人で使えるかきいてみる。」別室だってかまわないのに。

従業員が来てボクの、外国人という姿を見るなり「現地人のあんたらは二人で50。ジャパニーズは一人で100。」と言ってきた。ここまであからさまに外国人料金をつきつけてくる宿も珍しい。畜生め。

「ふざけとるやん!他いこ他!」とボクのためにまた別の宿を探す。と、やはり外国人料金を要求されたのだが、10ブルの違いだけだったので、それにこれ以上彼らを引っ張りまわすのも気が引けたのでよしとする。

荷物をおいてレストランへ行くとここでも「インジェラね、現地人は10。外国人は20ブル。」外国人料金。

しち面倒臭い。こんな安食堂でインジェラに20ブルなんて絶対払いませんよ。と言うと10ブルになりはしたが、ハイルとファンキーは、一つ前に行った食堂のほうが安いから(現地人に対して)そっちで食べてくる。と。

二度目のインジェラは閉店間際の余りで作ったような代物だったためあまり頂けず、不覚にもお残ししてしまったが、空腹が満たせただけでもよいかな、などと思いながら三人で宿へ戻っていると、

「オレ達これから何か飲みにいくけど、ジャミも行く?」と二人。もうさっきコーラ飲んだし、疲れたから部屋で休むわ。そう答えると「あのさ、ちょっと10ブルほどくれない?」

サーーーーーーーーーーーー

急に真顔になり、何で?と聞き返すボク。「いや、ないならいいんだけど・・・。」少し気まずそうな二人。そのままボクだけ先に帰る。

嗚呼・・・。残念で仕方がない。とても感じが良く、英語も通じ、楽しい奴らだったから、このあと彼らの町へもお邪魔しようかなと思っていたのに。

10ブル。日本円にしてたったの70円ではあるのだけれど。金額の問題ではない。もし一緒にご飯でも食べてたら、色々助けてくれたお礼におごってあげたのに。何というか、要求されるともう、ダメだ。自らすすんであげたいのだそういったものは。一瞬で開いていた心を閉じ、壁を作ってしまう。

結局金か。と。

きっとここで10ブルあげたところで、それっきりお金を要求してくるような気配はなかったけれど、でも厭なのだ。現金をポケットから取り出し、彼らに手渡すその一連の流れがどうしても。まるで彼らとの時間にお金を払っているような、いくらこちらが仲良くなったつもりでいても、向こうはその先のお金しか見てなかったのか・・・、とやけにどす黒く陰鬱な気になってしまう。

数十分後帰ってきた彼らとは普通に笑って喋ったけれど、もうどうしようもない。壁が。がっしりと。

一人戦線離脱した意味はあったのかい

翌朝8時過ぎに目を覚ますと、隣室の彼らは既に地元のアルバミンチへと発っていた。もう少し喋っておきたかった。携帯電話の番号をもらってはいるけれど、きっとかけないだろう。全ては10ブルのせい。

はて、そんなわけでコンソ。この町は、エチオピア南部の民族巡りをする観光客が立ち寄る町らしいのだが、ボクはとりたててその巡り事には興味がない。何故なら、入村料にガイド料、撮影料に交通費諸々等と、あほみたいにお金がかかるからだ。

それに、四駆車をチャーターしてそういった村々を巡り、サングラスをかけ一眼レフをぶらさげて写真を撮り、はいどうぞと撮影料を支払う欧米人(が多い。特に老夫婦数組)観光客のような振る舞いをするのに抵抗を感じるから。

では何故お前はコンソに来たのだ。一人トラックを離れてまで。

あのね、ここに、とっても快適な宿があるって聞いたから・・・。

理由はただ一つ。それだけだ。観光にほぼ興味を持たないボクがいつも惹かれるのは、「あの宿ムッチャ良かったよ〜」といった快適な宿情報や、「あそこはあれが旨い」といったグルメ情報なのです。

して今回のその快適な宿とは。Strawberry Fields Eco Lodgeという、若干長い名前の宿で、エコロッジというだけあって広大な敷地にさまざまな野菜を栽培し、それらをふんだんに使用した料理が併設のレストランで食べられ、トイレは後々自然に還りやすいコンポスト式のもので、電気は太陽電池から供給という本格的なもの。

そして建物がエチオピアの伝統的な茅葺き屋根なのも良さげだ。が。「ごめんね今ドミトリーいっぱいだから、奥の2ベッドルームでもいいかしら?」はいもう別にどこでも大丈夫ですよー

ですよー

ですよー

あら?茅葺き屋根通り過ぎた。通り過ぎて、長屋の倉庫みたいなところにチェックイン(収容)された。

ま、まいっか!レストランでティーを飲みながら、情報ノートにくだらない事柄を記入したり、人間失格を読み終えたりする。太宰治作品に、エチオピアで初めて触れた。

あの本をならって自己批判をし始めると、きっとしばらく止まらない上にとてつもなく黒い仕上がりになりそうなので、それはやめておこう。

トラックでの移動中ずっとできなかった洗濯を一気に済ませる。よく晴れて風の強い乾燥した日なので、三時間もすれば洗濯物はカラッカラに乾いた。

ここで数泊のんびりと過ごし、パソコンをカタカタと打ち込みこのホームページの更新をするのもコンソへやってきた目的の一つだったのに、生憎この宿は太陽電池の本気エコ。使えない・・・。

昼食を宿のレストランでとるという、普段なら絶対にしないことをしてみる(宿併設のレストランは得てして高いものだから)。クルファタハラコという、え?栗端ハラ子さん?日本人名にきこえなくもないコンソ料理を食べてみる。

ベースはアフリカでお決まりの「とうもろこしをつぶした」食べ物。それを一口大に丸めてボール状にし、野菜とともに炒めちゃいました。栗端ハラ子さん。

薄味ではあるものの、なかなかヘルシーで旨い。幼虫も一緒に炒めちゃわれて紛れ込んでいたのも、とれたて野菜使ってます、みたいな気がして悪くなかった。

それから昼寝、町を散歩して覚えたてのアムハラ語実践などをする。することがないから。

夜。またもや宿のレストランで食事を。今度は無難にライス&野菜炒め。普通に美味。食べ終えてくつろいでいると、ここで働いているらしいスウェーデン人の女の子アネリンが、「ねえ、この曲知ってる?」と何やら口ずさみ始めた。

それはまさに

グーチョキパーでえグーチョキパーでえなにつくろー、なにつくろー
右手はグーでえ左手はチョキでえかたつむりいー、かたつむりいー

のメロディだった。知ってるよ!「ほんと!?ちょっと日本語で歌ってくれない?あたいフリーのジャーナリストなんだけどさスウェーデンのラジオ局で流すために各国語のこの歌録ってるのよ!」い、いいよ!

すぐさまICレコーダーを持ってきたアネリン。「それではいきます。」と録音ボタンを押し、「というわけで本日は日本人の方にお越しいただいてますー。お名前は?」ジャ、ジャミです。「よろしくねジャミ。じゃあ早速例の歌うたってもらっちゃおうかしら?」オゥケイいぇー。

若干の緊張がいとも簡単に伝わってしまいそうな歌声を惜しみなく披露。

「サンクス。ところで歌詞はどんな意味なの?」ええとですね、幼稚園で歌うようなものなんですけど、グーとチョキとパーでさあ何を作ってみようか、右手をグーにして、左手をチョキにしてそれを重ねるとあら不思議かたつむりが出来上がったよ。というような意味合いです。

「キャー!全然意味違うわね!英語やスウェーデン、アムハラやヘブライ語では、鐘が鳴るからもう起きなさいディンドンディーンっていう目覚ましソングなのよ。とにかくありがとう!ジャミでした」

録音されたものをその場で再生。ヘッドホンできいてみる。

ギョ

っとしました。

エチオピアの交通事情、解せない

鬱陶しい輩のいないこの宿は割と居心地が良かったものの、電気が使えないのでPCが使えない。これは致命的なので、一泊しただけで発つことに。

ここから首都アディスアベバへ向かう道の途中にある町アルバミンチ行きのミニバスへ乗る。先日残念な結果に終わってしまったハイルとファンキーが住む所だ。

ミニバスの料金は彼らから「24か5ブルぐらいだよ」と教えてもらっていたので、そして他の乗客達も24ブルを支払っていたので安心し、50ブル札を手渡すと、「はい、これお釣りね。」と10ブルだけ返してきた。「荷物代ね。」

忌まわしき荷物代。西アフリカで散々だった荷物代。これ以上そんなもの払ってたまるか。というかさっきまであんなに親しげににこやかに喋っていたのによくも平然とそんな事言ってこれるな・・・お前もか!最終的に外人は金か!コラ。あと15お釣りいるやろが。よこせ。24やけどその荷物代とやらに1払って25でいいから。

「そんなの足りない。」足りないもクソも他の人はそんなの払ってないだろう。不公平だ。はい、早よよこせ。渋々10ブルをもう一枚渡してくる。やーかーら、わしは50払ったん。んで料金は25なん。お釣りは25ないといかんのん。とっととあと5返せ!

「ノーグッド。」ようやく25ブルのお釣りを受け取る。何がノーグッドや!ああもう面倒臭い!

といった小ハプニングを経てアルバミンチに到着。一瞬、ハイルとファンキーに電話してみようかという考えがよぎったが、やめておこう。

ここからアディスアベバまでの直行バスが毎朝出ているらしい。が、エチオピアの長距離バスはどういうわけかいずれも早朝発しかなく、しかもそのバスの座席を手に入れるために早起きしてバスターミナル前に構え、ゲートが開くと同時にダッシュして着席しないとならないそうなのだ。

ねーねーチケット作ればいいじゃーん

誰もそういったアイデアを提案しないのか。常に彼らは出たとこ勝負なのか。

早朝四時に起床してそんな勝負に挑む気力も体力もなかったので、直行は諦め、町から町へ少しずつ移動することにした。

地図を広げると、この次の町はソド。ソド行きのミニバスを探し、待つ。

と、同じくソド行きを待っていたタドゥスという名の青年に話しかけられ、あれこれ喋ってみる。彼からも特に金銭目的のにおいはしなかったので、アムハラ語でジャミラと書いてもらったり、日本語でタドゥスと書いてあげたりして打ち解ける。

三十分ほど待っているとバスがやってきたのだが、「一人50出せば今すぐ出発してくれるらしいんだけど、ジャミはどうする?」とタドゥス。通常料金だとここからソドまでは38程度だそうだ。12ブルあれば飯が食える。が・・・皆平等に50払うというのだし、とっとと先へ進みたいのでその条件をのんで乗り込む。

「エチオピアの交通機関は難しいんだよ・・・。決まった料金てのがないから毎回交渉しなきゃいけないし、席は早い者勝ちだからドアが開くなり皆必死で駆け込むし。日本と比べてどう?」

ははは・・・日本では料金は一律だし、チケットを事前に買っておけば並ぶ必要も、席をめぐってケンカする必要もないよ。と答えるとタドゥスと、英語の分かる数人がクスクスと笑った。

途中停車でバナナ売りがやってきた。「町で買うよか大分安いからね」と二房ほど購入したタドゥスから、一本もらい、おしゃべり。「ジャミは日本のどこ出身なの?」ヒロシマの近くだよ。「ヒロシマって言ったら、ナガサキと・・・」そう、そこ。「あのさ、何でアメリカは原爆を落としたの?ボクらは、遠く離れた国の出来事だから、教科書にもたった一行、アメリカが日本のナガサキとヒロシマに原爆を投下した、としか書かれてなくて詳細を知らないんだよ。」

何故だろう?学生時分、文系ですと豪語しつつも社会科、こと歴史に関しては非常に疎かったため、そこらへんの詳しい事情をよく知らないニッポンジンジャミラ。

う、うんと、何だろう。きっと、とっとと日本を降伏させたかったんじゃないかな。もしくは、誰も知らなかった原爆の威力を試したかったんだよ。と思いつきで答える。「へえ〜。そっか!」ウソだったらごめんなさい。

16時、ソドに到着。地図を広げ、このままさらに移動をしようと目論みバスへ乗り込んだのだが、突然皆降り始めた。「バスの奴らが料金余計に要求してきゃーがった!」毎回このように抗議を兼ねた乗り降り、交渉が行われているようだ。

面倒臭くなったので、今日の移動はここまでにしよう。適当に安宿を探してチェックイン。

アルバミンチやコンソのように観光客が立ち寄るような町ではないので、人々は割と和やかで、レストランも別段高くはなかった。何もないけれどやはりこういう場所の方が、良い。観光客のくせに。

そしてここへきて初めてインジェラを食べ切った。何だかウマく感じ始めている予感。しかも、付け合せが最初はパンだったのをわざわざ、インジェラに替えてくださいと頼んでまで!何という進歩!進歩すべき点かどうかは別として、よくやったオレ

刻んだ移動の果てにアディスアベバ


ソドにて一泊ぐっすりと眠り、久々パソコンで作業もできたところで、いざ出発。ここよりさらに北の、ホサイナという町へ行けばアディスアベバへも容易くいけるだろうとバスターミナルへ向かうと、そんなことをせずともここからアディスアベバ行きのバスがあったじゃありませんか。

料金も、他の乗客の支払うのをじっくり観察して同じ額を支払い、これでもういちいち料金交渉しなくてすむと一安心。

13時に停車しレストランでランチ休憩。調子に乗ってまたもやパスタとインジェラを頼むと、パスタとパンがやってきた。ことごとく注文が通じない。まあ良いかとパンを食べる。

そして途中トイレへ。もちろんBIGGER ONE大きいほう。

すっきりしてさあ残りを食べよ・・・と席へ戻ると、ない。楽しみにとっておいた残りのパスタとパンが!しかも一番具の多かったポジション!

おい誰やわしの飯下げたんは!まだ食べよったんじゃ!しかもそれと分かるようにノート置きっぱなしにしとったやろここー!と言うも英語が通じず「何いってんのかしら?」という表情のスタッフ。

バスの乗客で英語が話せるオッチャンがいて、どうしたんだと聞いてきたので説明する。それをスタッフに通訳する。んが。

「食べ残しがテーブルにあって、そこに誰も座っていないと、もういらないんだと思ってすぐ下げちゃうんだよね彼らはハハハ。」

怒りが行き場をなくして萎む。じゃあ何故飲みかけのティーだけは置かれていたんだよ・・・。

腹八分目にも満たないまま代金だけは十分徴収され、煮え切らない思いを抱え再びバスへ。

食べ物の恨みは怖いというが、これは本当ですね。窓にうつった自分の、恐ろしく眉間にしわを寄せた表情をみて気づく。

7時間程かかってついにアディスアベバに到着。安宿のあるピアッサという地域まで歩き、何軒か回った挙句National Hotelにチェックイン。

ピアッサに差し掛かった途端「コニチハー」「ゲンキデスカー」「アリガトー」と胡散臭い連中から胡散臭いニホンゴが聞こえてきた。中には「コニチハータイマ(大麻)アルヨー!」と大ヴォリュームで叫ぶ奴も。

はいどうもーと流すように受け答えだけして早足で過ぎ去るのがこういう連中に出くわしたときのボクの行動パターンで、これを繰り返していると大体「こいつはあかんな」と諦めて話しかけてこなくなるので今回も同じようにさらーっと流して早歩き。

が、それを繰り返していると、ちょっと間違った捉え方をされたのか、「何でキミはいっつもそんなに急いでるんだ!?オレ達ともっと話そうぜ!」とさらに食いついてくる奴が現れ困る。

ちょっと色々忙しいんですよ。それに体調も芳しくないし。「そうなの。ね、ところでマリファナあるよ?それとも女がいい?キミの手助けさせてくれよフレンド」お心遣いは誠にありがたいのですが当方いずれにおいても間に合っておりますので。と振り切る。

察してくれよ。そもそも君らを疎ましがっていることを・・・

あちこちの大使館を奔走、ビザに振り回される首都

ここアディスアベバでやるべきことはただ一つ、いや二つ、ないし三つもしくはそれ以上。ビザや航空券の手配等である。いよいよアフリカの旅も佳境にさしかかろうとしている、らしい。

まずはイエメンのビザを取るため大使館へ。が、場所が分からない。とりあえず適当な方向へ歩いてみて、銀行員に尋ねてみる。割とお堅い仕事の人々だとこういった政府関係の場所を知っていることが多いし、英語も通じやすいのだ。

「んじゃね、まずはそこをでてタクシーパークまで行って、そこからトルハイロチまでタクシーで、さらにそこからトータル(ガソリンスタンド)へ向かうタクシーに乗り換えて、トータル手前でおろしてもらいなさい。さすればイエメン大使館に辿りつけるであろう。」

トルハイロッジ?という宿が目印なのか?アマサカナーロ(ありがとう)とお礼をいい、とりあえずタクシーパークへ行ってみる。が、タクシーなんてセレブな交通機関を使うつもりなど毛頭ないので、そこでまた、トルハイロッジはどこですか?と尋ねる。

「ああトルハイロチね。それ宿ちやうよ町名だよ。ここ真っ直ぐね。歩くと遠いからタクシーに乗っていきなさい。」

アマサカナロ。歩いてみます。タクシーなんて乗る金があったらその分食費にまわすに決まっているじゃないか。

しばらく歩くと、「トルハイロチトルハイロチ」と連呼するミニバスがあったので乗り込む。そしてここで気づく。彼らの言うタクシーとは、このミニバスのことだったのだと。

ま、紛らわしい・・・ミニバスとお呼びなさいよ!

トルハイロチに着いて、また尋ねる。通りすがりの女の子二人組に。イエメン大使館はどちらですか?「あっちよ。あたし達も今イエメン大使館向かってるの」

偶然にもビザを申請しに行くエチオピア人の女の子と出くわし、共に大使館へ。歩道橋を渡ったところにあった。アッサラームアレイクン。ビザの申請をしたいのですが。

「日本大使館からのレターと、27ドルを銀行で両替したレシートを持ってきなさい。」

な、何だそれは。

慌ててピアッサへと「タクシー」で戻り、日本大使館へと向かう。昼休みに入る12時前にどうにか着きたいのです。あでも腹減ったー、と近くのフルーツ屋でサラダとパン、マンゴージュースを頂く。

このサラダが、びっくりドンキーのメニューにあってもおかしくないほどびっくりなボリュームで、急いでいるのにも関わらず、いつもなら嬉しい悲鳴をあげながらたいらげるのにも関わらず、今回ばかりは、ハーフサイズとかなかったのかよと若干悔やみながらどうにか胃におさめた。

時刻は既に11時半。もう間に合わないや。あきらめてゆっくり歩く。

昼休み真っ只中の12時半に大使館に到着。向かいのカフェで時間をつぶし、13時半、入館。かくかくしかじかでレター(拝啓イエメン大使館様、この度わが日本国の国民ジャミラがそちらへ観光で訪れたいと申しておりますのでどうかビザの発行をお願いいたします日本大使館より。といった内容のもの)を作ってくれるようお願いする。

「アナタ、ニホンの方デスカ?」

待っている間、ボクと同じく訪問者であろう、一見日本人なのに何故か片言な人に話しかけられる。聞けば何ヶ月もエチオピアに滞在してこちらの民族楽器を習っているのだという。

「ニホンのドコデスカ?え!?四国デスカ!?oh I love Shikokuゥゥゥ・・・」

韓国かどこかの方だろうか?顔は極東人だから・・・。と、大使館の職員の方が来て、アディスアベバの地図はないかと尋ねる謎の極東人さん。

あら?

パスポートものっそ日本国やんけ!!何故そんなに片言・・・海外生活が長すぎるとそうなってしまうのだろうか・・・?そういえばボクの日本語も時々片言に・・・なっていない。

レターは明日にも発行していただけるということで、謎の日本人が若干気になりつつもその足でお次はインド大使館へ。日本大使館職員の方の「インド大使館は山の方やで。」という情報のみをたよりに、山の方へ歩いてみる。

大統領官邸を横切る。テロでもあったのかと思うほど多い軍人の量に驚く。

商店の主人に道を尋ねてもらい見事にインド大使館に到着。が、ビザ申請に関しては午前中のみ受付で、それに関する質問をしようにも職員がいないため断念。明日。

まだ入国してもいないのに既にインドにふりまわされる。


今朝は最初にインド大使館へ。ビザを申請したいのですが、料金を教えていただけますか?と尋ねると、

「まずこのフォームに詳細を記入しなさい。ちなみにこれ50ブル(350円)ね。それが済んだら料金チェックしてあげるわ。」

きたきた。インドインド。早速理不尽で訳のわからないことを言い始めたじゃないか。大体でいいので先に料金を教えて下さい。あまり高いと申請できないので・・・。と何度か頼むと、「日本人は、350ブルよ。」

というと、およそ2500円。思っていたほど高くない!というのも、昨日門番の男にきいたら「1000ブル(7000円)ぐらいだったと思うけど。」と恐ろしいことを言われたからだ。それでは是非とも申請したいと思います。

「はい、じゃあこれとこれに記入して。」申請用紙やらに記入し、よろしくどうぞ。と手渡す。「それから、パスポートのコピー、イエローカードは持ってる?」はいこちらに。

「じゃあこのイエローカードもコピーして持ってきて。あと、ホテルリザベーションと、フライト予約をプリントアウトしたもの、それから、最低1000ドル以上の所持金を証明できるもの、そうね銀行口座の残高とか、それらを全部用意したら発行してあげるわ。」

このおばはん・・・畜生めんどくせえ・・・というかビザを先に取得しないとホテルもフライトも取れないのですが。「予約だけだったらできるでしょ?」ホテルには泊まらず友人の家へお邪魔するつもりなんです。「じゃあその友達に、ここ宛にメールするように頼みなさい。そしたらホテルリザベーションは要らないわ。」

「で、5営業日はかかるから、今日申請したとしても、来週になるわね発行は。」

あまりここアディスアベバに長居はしたくなかったので、結局それじゃあイエメンのインド大使館で申請することにします。と全てをキャンセルして大使館をあとにする。

ああ何という煩わしさ!ビザの発行にかかる日数と手間の大きさは、やはりインドであった。ばーろー

ゲ!時刻は既に10時50分。急がねば・・・!小走りとミニバスを駆使し猛ダッシュで日本大使館へ。

11時18分に到着、レターを受け取るなりすぐさまイエメン大使館へ。日本大使館のある場所からミニバスを乗り継いでトルハイロチへ。キャー!もう11時50分!昼休みに入られては困る!小走りのその先の、爆走でもってバス停から大使館まで駆け込む。

アラレちゃんならキーーーンだ。

久々本気で走ったため、さらに日頃の運動不足が拍車をかけたため、文字通り息も絶え絶えでどうにか12時丁度に到着、さっさと申請して・・・と

アラ?Hey!

途中で別れた仙人とスペイン人のダヴィと再会しました。彼らはトラックと共に陸路と海路を利用してイエメンへ向かうのだ。

「んじゃ明日のこの時間に受取に来なさい。」

27ドル分の両替レシートを要求されたので、てっきりビザ代も27ドルだと思い込んでいたら、850ブル(約6000円)もして大いにあせった。おかげで所持金が残り5ブルになってしまった。いつだってギリギリ。

二人と共に近くのレストランでお茶をしばき、ダヴィがATMでお金をおろしたいというのでシェラトンホテルへと向かう。というのも、ここエチオピアでは何故か、ヒルトンかシェラトンの中にあるATMでしか海外のカードは使えないのだ。

アフリカ唯一どこからも支配されなかった強硬な国、そして人類発祥の地・・・なのに何故ATMがろくに使えない・・

説明するまでもないが、シェラトンホテルとは、世界的規模の有名ホテルチェーンだ。つまり、超高いホテルだ。そしてボク達は、そんなホテルにはどこをどう掛け違えても泊まることのない人種だ。

全員色あせて穴のあいたTシャツにジーンズもしくは長ズボン。かろうじて靴下は履いていたが所詮サンダル。そして私に至っては所持金5ブル(35円)。

「ヒーイズミニマム!! 」

おそらくシェラトンへ足を運んだ人間の中でボクが最小額だろう。たった5ブルでやって来る人間などそうそういないはずだ。

ATMでお金をおろしたついでに、勝手に中庭を散歩。セレブリティなフリをして、鮮やかに植えられた花の名前がかかれたプレートを見ながら「ほほう、これがハイビスカスか。綺麗だね。」などと談笑してみせる小汚い男三名。

それだけじゃ引き下がらず、今度はラウンジのカフェへ着席。5ブルしか持っていないボクは完全に恐怖する。「たまには金持ちのフリしてこうやって高級ホテルのカフェで休憩するのもいいもんだよ諸君。」とダヴィ。

ダヴィだけコーヒーとミネラルウォーターを注文。ウェイトレスがボクと仙人も聞こうとしたが、それを制して、以上です。と答えると「彼らは何もいらないのねっ。」

そんなお金ないものねっ。というニュアンスたっぷりにそう言われてしまった。そしてそれが見事に当たっているだけにグゥの音も出ない。

セレブを気取った貧乏人達は、「ねえねえこのコーヒーいくらだと思う?」「30!」「50!」と値段当てクイズをして、メニューをそっと開き「正解は23!」キャー!などと密かに盛り上がっていたのだった。

ちなみにそこらへんで頼む同じ大きさのコーヒーは、せいぜい3ブルです。な、何倍シェラトン・・・

束の間のセレブリティを楽し、めなかった我々三人。「ああこっちの方がだいぶ落ち着く・・・!」薄汚い道を歩きながらそう語りあった。

今度は航空券の手配に奔走

翌日無事にイエメンビザを取得すると、ほっとする間もなく今度は航空会社へ足を運ぶ。購入すべくはここからイエメンの首都サヌアまでと、さらにサヌアからインドのどこかへのチケット。

イエメニアというイエメンの航空会社のオフィスで尋ねると、アディスアベバ→サヌア→ムンバイ(インド)行きのチケットが399ドルだという。これはなかなか安い。インドのビザを取得してもいないのにインド行きのチケットを購入するのは少し心配だったが、まあ大丈夫だろうとたかをくくって、んじゃそれ下さい。決める。が。

「ご希望の16日サヌア発ムンバイ行きだと500ドルになっちゃうわね。安いシートがもう満席御礼みたい。その前の前の便、9日だと399ドル、その後だと23日なら安いわよ。」

なんと!見事なまでに、ボクに不都合な日程のみが安い!9日は早すぎる。23日は遅すぎルンです。かといって500ドルも出せない。101ドルの差は想像以上に大きいのだ・・・ええいもう知らない9日にする!9日でくれ!あクレジットカードでお願いします

「アタター。私クレジットカードの扱い方わかんないの。上司はもういないし、明日は金曜でここ閉まってるから・・・どうしましょ。土曜にアディスを発つんだったら今買わないと・・・」

そんなこと言われたってクレジットカード以外に支払える方法ないのですが。あんちきしょう何でこうどれもこれも微妙にうまくいかないんだよう。

諦めるしか方法がないので、土曜出発をあきらめ、オフィスをあとにする。

苛立ちながら道を歩いていると、やれチャイナチャイナ(チャイナと呼ばれる分には構わないのですがそこに小馬鹿にしたような含みをもたせている場合があるのです)だの、ギブミーワンブルだのとろくでもない連中が次々に話しかけてきてさらにイライラ。ファコーーーーーフ!!!といつか叫んでしまいそうだ。

手配完了、体調崩壊、エチオピア男ガッデム


考え直した末、やはり9日は早すぎる、第一インドビザに何日かかるかも分からないので、イエメニアでムンバイへ行くのを取りやめ、別の格安航空会社エアアラビアにて13日発のデリー行きを購入。その予約票を持って再びイエメニアのオフィスへ向かいサヌア行きの片道チケットを購入。

出国分の航空券を持っていないと彼らは片道では売ってくれないのであーる。

ともあれ無事航空券も手配完了。あとはサヌアのインド大使館で無事にビザが取得できるのを祈り、無駄にもう数日間ここアディスで過ごすばかりだ。

しかし体調が芳しくない。この町に到着した途端喉に違和感を覚え、最近はくしゃみ鼻水鼻づまりが止まらない。久々に朝晩気温の低い場所に滞在しているせいなのか、はたまた空気の悪さのせいなのかは不明だが、いつもなら24時間以内に風邪を治すクチなのに、もう既に4日間ほど続いている。

それに追い討ちをかけるように今朝のあの男・・・。

イエメニアのオフィスへと歩いていると「Hey what' up?元気?キミ日本人?あそうなの!日本サイコーだよね!あ、オレ?オレは学生で、北部のラリベラ出身なんだけど今試験のためにこっち来てるんだ。」

アディスアベバに来て以来、一日数回はこういった輩に話しかけられる。例によって歩を止めずそそくさとはいどうもありがとうまたねーと言うも、またしてもしつこくついてこられた。

「どこ行ってんの?」航空会社とは答えたくなかったため郵便局と答える。「じゃあこっちだよ。」道知ってるから。「でも郵便局今日土曜だからやってないかも。」別に構わない。そもそも用事なんてないから郵便局に。「郵便局のあとはどうするの?」オフィスをあちこち、それから大使館へも足を運ばなければならず、距離もあるのでキミはついてきてくれなくていいよ。とやや優しめにどっか行けと示唆するも

「ドンウォーリーメーェン。you know,オレは今日学校休みだし、ジャミと仲良くなりたいし、問題ないよ遠くても。」いや、大丈夫だから。ありがとう。

「じゃあ一つお願いきいてもらっていい?」来ましたよ。何だい?「実は今度の試験で、必ず必要な教科書があるんだけど、それを買うお金がなくて・・・もしジャミが手助けしてくれるならその教科書代をさ・・・」と言い始めたのを制し一転強めの口調をもってしてごめんよ手助けはできません、できませんからと返す。

「そんなに高い物じゃないんだよ!オンリー55ブルなんだ!」55ブルはボクにとってオンリーではないので。「わかってるよ!全額とは言わない!10ブルでもいいんだだってオレ達もうフレンドでお互い理解し合えてるだろ?」

会って15分しかたってもいないのに友達なわけないじゃないか。そもそもボクは人にお金をあげるのが好きじゃない。無理です申し訳ないけど。「カモーンメーェン(このメーェンがさらにイラっとさせる)。オレ学校卒業しないと仕事につけないんだ。そのためには今回の試験受けなきゃいけなくて教科書も必要で・・・もし信じられないなら教科書や試験の用紙とか全部見せるから!」中々引かないこ・い・つ。

何でボクがよく知りもしない人にお金をあげるのが好きじゃないか分かるかい?もしボクみたいな旅行者達が、キミらみたいな人達に簡単にお金をあげると、彼らはそれで味をしめて、きっとずっと働かなくなるからだよ。働くより物乞いするほうがラクだしね。

「オレは違うよ!そんなんと一緒にすんなよ!全然違う!!」一緒でしょう。違いが分からないのですが。「じゃあもういいよ、じゃあさ、とりあえずそこのカフェでお茶しない?朝から何も食べてなくて死にそうなんだ・・・。」

でボクに払えと?「だってオレの全財産これだけだよ!?こんなんでどうやって払えっていうんだよ!」じゃあいつもどうやって生活してるんだい?「観光客の人を案内したりして、そのお礼にお金をもらったりしてどうにかやってる。」なら他の人を当たったほうがいいよ。ボクは案内してもらう必要もないし、お金もあげられないから。

「ジャミはいい奴だと思ってたのに。」ごめんねそんなすぐお金をあげられるようなイイ奴じゃなくて。「いやお金をくれるからいい奴って言ってるわけじゃないんだけど!」

「頼むよ腹へってんだ・・・そこ入ろ!?」もう戻ったほうがいいよ。ボクといても時間の無駄になるだけだよ。「んもーーー!ジャミって難しい奴だな!オレを怒らせたいのか!?」

はぇ?

お金や食べ物をねだってきておいて、それで断られたらオレを怒らせたいのかってあなた何ですかそれ。それにさっきからもうボクのことは放っておいて戻ったほうがいいよと言っているではないですか。

「分かったよジャミ。one love! do the right thing man!」ついに諦めそう言ってにっこり笑って握手して去っていった。

所さんの、目がテン・・・・

どの口が言ってんだ「ワンラブ。正しい行いをしろよメーェン。」て。最後だけ上手くレゲエの精神をもってしてまとめたつもりなのだろうか。矛盾ですよ。言ってることとしてることが。矛と盾ですよ。

そのお言葉、そっくりそのままお返しいたします。

さようならエチオピア


徐々に回復しつつあるも、体調はまだまだ芳しくない。一人町を歩き、アボカドマンゴージュースやピザをむさぼり、しとしとと降り続ける雨に濡れる日々を過ごしているとあっという間にフライト日がやってきた。

足掛け半年。思えば遠くへきたもんだよねアフリカ。そんな大陸も今日で本当にお仕舞いです。

などと感慨に耽ることもなく、バスに乗り込み空港へ。入口で入念に荷物を検査され、チェックインの時間までベンチで待機。「人間失格」を読み返し、ジャミポッドを聴いて待つこと三時間。

カウンターが開きチェックイン。とても丁寧なイエメニア航空のスタッフの対応にほっこりし、イミグレーションを抜け出国スタンプを押され、出発ゲートへと向かう。

手元には7ブル(約49円)の残金。市内なら美味しいアボカドマンゴージュースが一杯いただける金額。 まあ、空港だし、ジュースは無理だとしても紅茶一杯ぐらいいけるだろう(市内では1〜2ブル)。

デキるビジネスマンの面持ちでレストランへ。尋ねる。ティーは一杯いくらですかな?

「13ブルでございますわ。」

む!むむむ・・・ではコーヒーはいくらかな?

「同じく13ブルでございますわ。」

さようでござるか・・・。むむ、おっといけない私急用を思い出し・・・退店。

大人しく出発ゲート前に座る。18時45分、ついに搭乗。キャビンアテンダントのお姉さんに迎えられる。

別嬪さん!

ずっと、半年間近くずっとアフリカンにまみれてきたので、やけに新鮮味を覚えた。そしてここへきてようやく、本当にアフリカのお仕舞った事を実感した。


怒涛のイエメン日記

エチオピア(2010年2月18日〜3月1日)