プラカシュという男

エアアラビアという格安航空会社を利用し、カトマンドゥからUAEのシャルジャへと向かう飛行機の中で、プラカシュがくれたプレゼントをそっとあけてみる。

と、ヒンドゥー教の神様の一つ、ガネーシャの小さな置物が入っていた。プラカシュの手紙も添えてあった。

「ジャンゴへ。さようなら、なんてほんの短い言葉だけど、後になって心を苦しめることもあるよね。うん、だから、出会いと別れはコインの裏表みたいなもので必ずセットになってて、出会いがあれば必ず別れもあるんだってことを覚悟しとかなきゃいけない。でも願っていればきっとまた会えるよ。」

「幸せっていうのは、パーティみたいに時々しかやってこないけど、もし自分が今手にして持ってる中で、高望みしないでそれを得ようと努力してたら、きっといつだってやってくるよ。ボクみたいな貧乏人からの安っぽいアドバイスだけど・・・笑」

「最後に、店にずっといなきゃいけなかったせいでジャンゴとあまり遊べなくてゴメン。でも店やってないと一切の収入なくなっちゃうから・・・分かっておくれよ。で、このガネーシャ像をプレゼントとして贈るわけだけど、これはね、幸運を呼ぶ神様なんだよ。何かやりたい事、成し遂げたい事があるときに、まずこのガネーシャにお願いすると、きっと何だってうまくいくよ。ボクの念もこめといたから!色々ありがとう。またね!気をつけて。 プラカシュ」

粋な計らいしやがってプラカシュめ!このプラカシュという男は、普段割りと飄々としているのだけれど、去り際になると毎回こうやってさりげなく嬉しいプレゼントをしてくれるのだ。お金がなくて、自分達の部屋を借りることもできない、あー金金金が必要だー!なんていつも言ってても、一度だってボクにお金をくれとか貸してくれだなんて言ってこない。

第三国を旅していて仲良くなった友達の約七割が、「日本で働きたいからビザ欲しい。手伝ってくれる?」とか「一緒にビジネス始めようぜ。でも資金がないから貸してほしいな・・・」「仕事でケニアに行くんだけど航空券が高くてかえない。きっと返すから、700ドル貸しといてくれない?」と聞いてくるのにもかかわらず、プラカシュは一度たりともそんな事は言ってこなかったのだ。

サヌや、サヌの兄のビスヌンが同じように日本で働きたいから手助けしてよ、ってお願いしてくるのをきいて、少し怒ったように「そういうのは違うでしょ。確かにサヌはジャンゴを家に泊めてあげたりしてるけど、その見返りを期待しすぎるのは良くないよ。何か施したからって、その何倍もの見返りを求めるのはおかしいよ。」とボクに話してくれたこともあった。

そんな奴。この先一生友達でいたいと思えた奴。

行く先々でストライキ、目鼻やられた

手紙を読み終え、さきほどのインタビューでの失態のこともすっかり忘れ温かい気持ちになり、何時間か寝ていると、シャルジャに到着した。

そのまま乗り継ぎのための手続きをして、別の飛行機へ向かう。目的地はアテネ。何故またアテネに?せっかくアジアまで帰り着いたというのに逆戻り。わしゃアホか。アホだ。

シャルジャの空港のスタッフに「あれ?君こないだもここ来なかった?」デリーへの乗り換えの時に来ましたよ二ヶ月ぐらい前に。「やっぱり!顔に見覚えあったんだよ。」と言われ、少し嬉しくなる。遠く見知らぬ土地で、話した事もない相手の頭の中に、自分という存在が記憶されているなんて、とても素敵で、喜ばしいじゃないか。

再び離陸した飛行機の中で仮眠をとっていると、あっという間にアテネに到着した。

本来の目的地はドイツなので、今夜は空港のベンチで寝て、翌朝の便でまた飛行機にのる目論見。イミグレーションを抜け、バックパックをかついでそのまま出発フロアへと向かう。出発便の掲示板をチェックする。

んむ?飛び込んできた無数の「キャンセル」という文字・・・。キャンセルキャンセルキャンセル・・・むめま??

インフォメーションカウンターで尋ねてみる。もしかして、もしかしちゃうと、全便欠航ですか?「もしかしてもしかしちゃうと全便欠航中です。明日一日ストライキが執り行われる関係で。」

ストライキっ

ネパールで散々迷惑を被り、ようやくそれを脱したと思いきやここでまた足止め。無料のインターネットでメールをチェックすると、翌朝利用予定のジャーマンウィングスという航空会社からスケジュール変更のメールが。

「5日の朝10時発の便は、ストライキのため6日早朝4時発へと変更になりましたことをお伝えいたします候。」

ゲ!!!6日早朝って!今まだ4日の23時ですよ・・・!丸一日こんなところに留まらなければならないなんて・・・。

とりあえずベンチを見つけ、寝袋にくるまって寝てみる。

自然と目が覚めてしまったので、時計を見るとまだ朝の4時。ということはネパールは今朝の7時すぎか。体がまだネパール時間で動いているようだ。

これは、俗に言うところの、時差ボケか?いまだかつて、時差ボケというものを体験したためしがなかったので、ほほう、これが時差ボケか、なるほどふーむ、とやけに感心してしまった。オレ時差ボケしちゃってんだよねー。と誰かに言いたい気分。

7時を過ぎて、再び掲示板をチェックする。いまだに全便キャンセルキャンセルキャンセル・・・・。一日中空港にいてもヒマなだけなので、いっそ市内観光をしてみようと思い立ち、まずはバックパックを手荷物預かり所へ。

「その大きさですと、一日9ユーロですね。」結構ですありがとうございました。9ユーロなどという大金を荷物を預けるために使うわけにはいかぬ、こうなればこの20キロを担いだまま市内観光敢行!

メトロの駅に向かう。「本日は、ストライキのため終日運行中止しております云々・・・」ゲ!ではバスはどうか。「本日は、ストライキのため運行中止しております云々・・・」どいつもこいつもストストストスト!

「が、10時より16時の間は運行いたします。」お!?やるやんかバス!10時まで待ってバスに乗り込む。

40分ほどでシティセンターに到着。早速歩いてみる。重い荷物と共に。

所々警察官がいて何かを警戒してはいるが、町の様子は至って普通。地図も、見たいものも特にないので適当にあちこち歩いてみる。これがアテネか。

ツーリスティックな場所に迷い込んだらしく、土産物屋が立ち並ぶその通りが、原宿は竹下通りになんとなく似ていたので思わずクレープ屋さんを探しそうに、はならなかった。

腹が空いたのでパン屋でピザパンとチーズパイを購入。持ち帰りと店内だと料金が1ユーロも違うというので、迷わず持ち帰りに。

食べながら竹下通り気分で歩いていると、ドゥンドゥンドゥンドゥン、と、現れましたデモ行進。やはりストライキは本格的だったようだ。

かといって張り詰めた空気でもなく、デモ行進を横目にカフェでお茶する人もいれば、気にも留めず通り過ぎる人もいる。

二、三時間歩きまわったせいで疲れ果て、もうアテネいいや、空港帰ろ。とバス乗り場まで戻ると、その町の中心部でデモが激化、もちろんバスは再び運行中止となっていた。わて、どうすればええのん・・・

しばらくそのデモを眺めていると、爆発音に近いバン!という大きな音とともに人だかりがこっちに向かってきた。向かってきたというよりも、逃げてきたようだ。各々目や鼻をハンカチで押さえている。誰か感動的なスピーチでもしたの?

イ、痛たたたたったったー!

訝しく眺めていると突如刺激物が目と鼻に飛び込んできて、涙と鼻水が堰を切ったように流れ始めた。これはもしや、SAI RUI DAMN?催涙弾!!

布で顔を覆い慌ててボクも退散する。こりゃいくら待ったところでバスは運行再開しないだろう。ン?待てよ。確か空港行きのバスは中心部以外からもいくつかあったはず。

バスのルートマップを見てみると、中心部から少し離れたダフニという場所からバスが出ていたので早速コンパス片手に歩きだす。

交差点や分かれ道がある度にダフニはどちらですか?と尋ねる。「え!あなたどうやっていくつもり?バスとか動いてないっていうのに。ダフニって遠いわよ!」でも、一時間ぐらい歩けば着きませんかね?「まあ、そうね、一時間ぐらいかしら。」ありがとうございます。行ってみます。

が、いつまでたってもたどり着かないダフニ。消えた町ダフニ・・・。

「すぐそこのメトロ使っていってごらんなさい。」とキレイなお姉さんに教えられ、なんとなく歩いていきたかったのを諦めメトロに乗り込むと、あっという間に到着した。ダフニの町は消えてなんていない。

駅を出て、空港行きのバスチケットを売っているカウンターで尋ねる。「あんれま、バスもう終わっちゃったよ。」え!まだ15時すぎだから間に合うと思っていたのに・・・

しょんぼりしていると、近くにいたあんちゃんが、「メトロで行けるかもよ!」とアドバイスのちウィンクをしてくれたので、再びメトロに乗り込む。

結局町の中心部スィンタグマに戻ってきてしまった。もしかするとデモは落ち着いてバスも再開しているやもしれぬ、と改札を抜けようとした瞬間、再び目と鼻ツーーーン!!涙と鼻水ドゥルーーン!!!

アカン、アカンでー!来た道を戻る。おや?別のホームへ降りると、空港方面へ向かう電車が動いているではないか!乗り込んでみましょう。

一体この電車はどこまで向かってくれるのだろう。ひょっとするとこのまま空港まで行ってくれるかもしれないとのほのかに期待をしていたが、やはり人生そんなに甘くはなく、空港から5つ程手前の駅でストップし「ストライキのため本日は当駅が終点となります云々・・・」と放送され乗客全員降車。

仕方がない、高くつくだろうがタクシーで戻るしかないか、と駅を出て探す。が、タクシーすらほとんど走っていない。タクシー乗り場もない。ローカルバスがいくつか走っているようだがどれも空港へは行かない。どうしましょう。

ヒッチハイクしましょう。

空港へ行くには有料道路を通らなければいけないので、その入り口手前の道路脇に待機して、親指をグイグイっと上げながら通りがかる車にアピールすること十分。

一台の車がハザードランプとともに停車した!やったぜジャミラ!あのすいません、空港の方へ行かれますか?「え!あ、いや、今ちょっと道間違えて有料道路に入りそうになっちゃったからひきかえそうとしてたんだけど、うん、いいよ!空港行ってあげるよ!」

全くの勘違いだったが空港まで乗せていってくれることになった。もちろん有料道路代は支払います。

ジョージという大学生の彼は、免許を取ったばかりだったので休みを利用して運転の練習をしていたらしい。「だからちょうどいいドライブになったよ。特にどこ行ってたってわけでもないし。」ならよかった。助かったよありがとう。

無事空港に帰り着き、厚く御礼を申し上げて再び出発フロアのベンチへ。しかし疲れた・・・。全身に筋肉痛を覚え、パソコンをつけて大好きな「めがね」という映画を観る。疲れたときに観るとほっと安らぐ素敵な映画なのだ。

それからちょくちょく出発便の掲示板をチェックするのだが、何故だろう。翌朝3:55発ジャーマンウィングスのケルン・ボン行きの便がいつまでたっても表示されない。果たして本当に明朝出発するのだろうか?これ以上遅延されるとさすがに辛い・・・

心配になり、インフォメーションカウンターで尋ねるも、「私どものコンピュータでもジャーマンウィングスの便は一つも表示されていませんねえ。どうしちゃったのかしら。」と言われたので、ジャーマンウィングスのアテネオフィスに電話をかける。

「はい、3:55に出発しますよ。」え?あ、そうですか。それは確かですか?変更はもうありませんか?「はい、予定通り出発いたします。」なら良かった。ありがとうございました。

一安心し、空港内で一番安いレストラン、その名もマクドナルドで夕食をとる。久々口にする牛肉のハンバーガー(インドのマクドナルドにはチキンしかおいていなかったのです)に感激。

ベンチでごろごろと仮眠をとり、インターネットをしたりしているとチェックインの1時になった。そこからはあれよあれよという間に搭乗時刻になり、ついにアテネを出発。

ストライキには参ったが、言い方をかえれば、ストライキのおかげで不意のアテネ市内観光ができたので、これもまたよしとしよう。

さようならアテネ。再び訪れる可能性は限りなく低いけれどありがとう。


ん?中国日記

ギリシャ(2010年5月5日)