タクシーのおっちゃんうっさいだまれ。

待ちに待たされた挙句のスピードボートは、なるほど気持ち速いような気がして、20時すぎにヨルダンはアカバに到着。

船を降りてすぐさま手持ちのエジプトポンドを全てヨルダンディナールに両替する。疲れていたせいか面倒くさかったせいか、38ディナール(約5300円)を手にしたのだが、一体何ポンド渡したのか謎だ。

荷物検査を終え外に出るなり、タクシーのおっちゃんにたかられる。「アンマンか!お前アンマンいくのか!?ペトラか!お前ペトラなのか!?そそれともアカバ、手近にアカバですませるのか!?」ええいだまれだまれ!静かにしてくれ。ペトラにバスで行きたいと思っている。「バスはもうないぞ!オーケー!タクシーでスペシャルプライス25ディナールで行ってやろうじゃん!」25ってことは凡そ、凡そオレが両替した持ち金の半分以上じゃないか!ムリムリ!絶対そんなにするはずない!とりあえずアカバで一夜過ごすことにする。

「はっはーん!お前アカバにいったら無駄に時間とお金使うだけやで!アカバ行くのに5で、宿代が15でほらもうそこですでにほぼペトラまでのタクシー代!いいか!俺はダイレクトにペトラまでいくんだぜ!しかもペトラ出身の男ときたもんだぜ。俺は全て知っている!ガバメントプライスなんだ!」

矢継ぎ早に繰り出されるおっちゃんのツバが飛び散らんばかりの口撃は、移動や待機で疲れ果てた僕を心身ともに凹ませてくれる。いいから黙って、しずかにしてくれ。ともかく休みたいからアカバに行く。と言うと

「あっそ!お前は時間も金も無駄にするんやな!いいですよ!俺は子供達のっけてペトラ行っちゃうもんね〜!へへ〜ん!」

したり顔のその先のしてやったり顔で去っていくおっちゃん。いいから黙って・・・港から町まで5ディナールというのも破格の高さだったのだが、不覚にもあのおっちゃんから逃げるべく別のタクシーに乗り込んでしまっていたので、あきらめて支払う。700円て・・・

宿を何軒か巡り、ようやくドミトリーのあるエルサレムホテルというところへチェックインすると、あらま先ほど僕より10ドル安くて遅いはずのボートで僕より10ドル安くて早くアカバに着いたマサさんと遭遇。示し合わせてなくても安い所には自ずと集まるものです貧乏旅行者。

ダハブと同じような海沿いの町のはずなのに、ダハブよりもはるかに熱風吹き荒ぶようなアカバで一夜を過ごす。湿気のなさとこの熱風のダブルパンチで、洗濯物は一時間で乾き、僕達の喉ももれなく一時間で渇いた。そしたらペットボトルの水が0.5ディナール(70円)もするではありませんか。ヨルダン高い・・・

ペトラで何もしない罰当たりな貧乏

翌朝8時にアカバから二時間程に位置する、ペトラという町へバスで向かうことにした。バス停につくなりバスの運転手と値段交渉。「3ディナールだ!」んなはずないで2やろ!「荷物もあるだろ!」いいや、2やでイトネーン(アラビア語で2)!メーシ(OK)?メーシって言いんさい!「2.5だ!」2やって!メーシ?「メーシメーシ。」

2ディナールで交渉成立し、バスに乗り込み待機していると、昨日のあのうっとうしくて仕方のないおっちゃんが朝っぱらから現れた。僕をみつけるなりにやにやと近寄ってきたので、おいおっちゃんわし20も使わんかったで!へん!と言うと「いくらだ!?宿いくらだ!?」4ディナールでした〜「どこの宿だ!どーこーの、宿だ!」何でそんなん言わないかんのや!「どーせゴミみたいなホテルなんだろ!ベリー汚いんだそこ!」負け惜しみ方がとても小学生だったので、そこで相手にするのをやめた。

ヨルダン入国早々こんなおっちゃんに付きまとわれたばかりに、ヨルダンのイメージが俄然右肩下がりではないか。ともあれ、軽く1時間半待ったところでバスが満員に達し、出発。

砂岩?岩山?ともかく岩々した山に一本道を通してみました、というような道をひたすら突き進むこと二時間。目的地ペトラへ到着。そんな岩々した山の斜面に家を建て、群がり、造られたような町。そしてここにはペトラ遺跡というヨルダン屈指もしくは唯一の観光名所があり、インディージョーンズがアレでナニした場所で有名だそうだ。残念ながら某東京ディズニーシーのアトラクションでしかインディージョーンズを観たことがないので詳しくは知らない。

バス停ですかさず現れた客引きに連れられ、ヴァレンタイン・インという宿へチェックイン。早速外を散策する。ヨルダン屈指、ペトラでは確実に唯一の観光スポット、ペトラ遺跡の感動を味わうには、21ディナールもの大金が必要だそうだ。入場料が3000円近くするって一体。ピラミッドで骨身に染みた。僕と遺跡の相性占いは最悪なのだ。が、会う人会う人が口々に言う。「ペトラよかったよねそうだよね」

え、じゃあ、行ったほうがええかな・・・そうなのかな・・・いいえ。世界最大規模の遺跡ピラミッドですら5分で飽きて素通りしたんだから、もう遺跡には一言ごめんて謝って、入らないことにしときなさい!ジャミラという人格を熟知したのちの冷静な判断を己に下す。

「ねえねえ、じゃあ何しにペトラ来たの?」

人は僕にそう問いかける。

ケチってそんなにいけませんか

ペトラ遺跡に行かずしてペトラでの一日を終えようとしたその夜、宿でインディージョーンズのビデオを上映してくれるはこびになり、生まれて初めて、まともにそれを観る。金曜ロードショーやなんかの再放送も一切観ていなかったのです。

随所にくすっと笑えるシーンがあったりして、なかなかどうして大層な娯楽作なのだが、僕の英語力では全て理解することはできず、隣のアメリカ人が「まじウケる」と笑っていた時とりあえずつられて笑ってみたりしていた。そしてクライマックスに、なるほど写真でみたのと同じペトラ遺跡が映し出されていた。ほほう、インディーがすぐ近所のあの遺跡にいたのか。と感慨深げになってみようと試みるも、それよりインディーの青年時代を今は亡きリバー・フェニックスが演じていたことに感慨を覚えた。

かくして、「インディージョーンズおもしろかったねー」とペトラの地をあとにした僕は、一路バスにて首都アンマンへと向かった。もちろんバス移動のBGMはインディージョーンズ。気持ちね。

バス停から、 マンスーラホテルというこれまた日本人の巣窟的安宿に向かうためタクシーのおっちゃんと料金交渉をした末、同じ方向に向かうスイス人と同乗していると、「どうして日本人はあんなにしつこいほどに値下げをしようとするのか理解できないよ。観光客なんだから、地元の人達より値段が高いのは当然だと思うのに、彼らは地元の人達と同じ値段以上払おうとしないもんね。」と運転手に話しかける。してやったりと思ったのかどうか、運転手は嬉々として「そうなんだよ!日本人はよくないね!金がないなら、何で旅してるんだ?そんなに払いたくなけりゃ日本にいればいいじゃねえか!な?そうだよな!日本でも同じようにタクシー乗る時値段交渉やってんのかってんだ」

おいおい随分と好き勝手に言ってくれるじゃないかい。こっちには定価っていうものがあまりないでしょう。だから、観光客とみてやたらに高額を請求してくる人がいる。そういう人がいるから事前にしっかり交渉して、納得のいく料金を払うようにしないといけないんですよ。と言い返す。

間もなくスイス人が降り、僕とマサさんの二人のみを乗せた運転手は急に「日本ベリグッドよね〜」ま。なんと都合のいい御方。さっきノーグッドゆうてましたやん。「やや、時々ね、時々ノーグッド。ジャパ〜ンテクノロジートヨタ〜ニッサーン」お茶を濁された。まいっか。

宿にチェックインして、外を散策する。レモンジュースで喉を潤し、市場でバナナを買い、食費を節約しようと商店でインスタントラーメンを買おうとしていると、店番の子供が「85ピアストル(約100円)!」あこれね、はいはい、じゃあ、その5袋パックのもらおうかね、とお金を出していると、早くよこせと言わんばかりに僕の手の平から20ディナール札(約2600円)をふんだくって走り去っていった。ふざけとんのかあいつは?

まあいい、とお釣りを待っているが、逃げるようなそぶりをしながらこっちをちらちら見返しているので、はよお釣りよこさんかい、と追いかけとっ捕まえて、笑いながら羽交い絞めにする。ここまでは冗談半分だったのだが、それでも尚お釣りを渡そうとしないうえに随分と態度がLなので、お前たいがいにしとけよ、とお釣りを請求するがそれでも渡そうとしない。

ああ面倒くさいガキ。まだ返さないどころか攻撃的になってきたので、軽くシバく。するとどこからともなく男が現れ、「何やってんだ!あー!」とつっかかってきた。ますます面倒くさい。こいつがわしの金盗んだんや!と言い返すが英語が通じないのでもう日本語で文句を言う。

ようやく19.15ディナールのお釣りを返してきたので、あつかんしいぼけが!と吐き捨ててその場を去る。まるで僕が悪の権化のようなまわりの視線。確かに、またしても大人げなかったかもしれない。もっと冷静にお釣りかえしなよっ、と諭してやればよかったかもしれない。が、連日の移動で疲れているときにそんなあほみたいなことされたら、誰だって怒る、ものではないでしょうか。

ヨルダン、何故だろうやたら面倒くさい連中に会ってしまう。

死海で死人になりそこねた


気を取り直して翌日は、ヨルダンで唯一僕が行こうと決めていた場所、死海へタクシーをチャーターして向かう。アンマン市内から一時間ほどで到着し、入場料の7ディナール(約980円)を払ってビーチへ。そう、ここ死海は、その名の通り死ぬほど塩分濃度が高いがゆえに、生き物が住めない海なのだ。

一見ごく普通の海、海やんさ〜と歩を進めるうちに、おや?

わ、わて、浮いてる

そりゃあ水だもの浮くでしょう。違うんだ浮き方が尋常でないんだ。その濃すぎる塩分のせいで、寝転べば足の先まで水面に浮かび、水底に足をつけようともがけばポヨンと跳ね返されるのだ。そしてその水はぬるぬるとした感触で、お肌によさそうな気がする。

ということは、お顔にもぬるぬるしたほうがいいんじゃなくって、と迷うことなくザブンと頭まで潜ってみせる

ピギャーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!

んめ、目が!鼻に!く、口も!!!!!!

驚きの塩水を顔面にまんべんなくかぶったWATASHI。海水が目に入ったときの「あいたっ」や口に入ったときの「しょっぱっ」を百回分いっぺんにぶちまけられたような苦痛。目玉はたこ焼きみたいにくるっと二周半ぐらいしそうな勢いでその苦痛から逃れようと目の中でもがき、口はかつて味わったことのないような、読んで字の如く痛くて苦い味にとまどい、おろおろ。死に物狂いでシャワーまで逃げ込み、急いで洗い流す。

た、助かった・・・。のちにこのことを宿の皆に話すと「ようそんなことしようと思たな。あれはむっちゃ痛いて聞いてたからな」え?みんな知ってたんだ・・・

改めて、無知とは、時にあまりにも無敵で、あまりにも哀れなことだと骨身に染みて知る。

学習能力のかろうじてあった僕はそれ以降一切死海の水を顔につけることなく微笑み顔で死海水浴を楽しんだ。でも泥なら今度こそお肌にいいよね?と懲りずに顔面から上半身に泥を塗りたくってみる。

正解です。十分ほど放置してシャワーで洗い流すと、お肌がなんだかつるつるのすべすべになった。人は無知を悔い、失敗に学び、そして成功するのです。

午後には宿に戻り、ぶらぶらと街を練り歩いては和食恋しさにキッコーマンの醤油をゲットして胸躍らせてみたり、「巨大国旗がはためいています!」との情報を頼りに坂道を上がっていったけど、あれって、巨大?うーん、確かに大きい!でもそれって、松ちゃんでいうところの、「大きいリンゴとちっちゃいスイカ、どっちが大きいねやろ?」という感覚に近いような・・・と少しとまどったりして過ごした。

ちっちゃいスイカのほうがおっきいかな・・・

ウンコが落ち着いてできないので出国

翌朝。砂漠気候の国では仕方のないことなのだけれど、断水が続き、シャワーやトイレが満足に使えないし、死海も終了したし、というわけでたったの四泊五日でヨルダンを出国することにした。ここで会う旅人は往々にしてトルコ方面から南下する人か、エジプト方面から北上する人のどちらかで、僕以外は皆南下組だったので、そこで別れを告げ一人出発。

セルビスという、乗り合いタクシーでムジャンマシャマーリーというバスターミナルまで向かい、そこからまたセルビスでラムサというシリアとの国境の町へ向かう。そしてそしてさらにそこでまた別のセルビスに乗り換えダラーというシリア側の国境の町へ向かう。しち面倒くさい方法だが、直通のバスやタクシーで行くより幾分か安いのだ。

国境のイミグレーションで出国税5ディナールを支払い、スタンプを押される。「あ」っという間のあっけないヨルダンこれにておしまい。滞在期間が短すぎたせいか、エジプトからきたせいで異様に物価の高さを感じてしまったせいか、それ以上にいい人は多かったものの面倒くさい輩に出くわす確率が高かったせいか・・・多分二度と来ないよね。


ヨルダン(2009年6月22日〜6月26日)

シリア日記