やっぱりマリ人は優しい
朝までスコールは続き、7時過ぎに起床。野宿だが、ビサウのあの地獄宿より随分心地良かった。顔を洗ってぼうっとしていると、バスがやってきた。
荷物代を請求されることなく乗り込む。ああ、素敵。
隣に座っていたコートジボワール人とガーナ人としゃべり、イミグレーションで入国スタンプをもらう。いかにも悪そうな顔をした警察官のオッチャンだったが、「ここで待ってな」といってスタンプを押してもってきてくれた。優しい。
ガーナ人の彼は英語が公用語なので、フランス語が話せない。そのため結構苦労していたようだった。「セネガルでは入国スタンプをもらうのに10000セファ、出国スタンプに5000セファも払わされたよ。」えぇ!日本人はビザすら必要ないのに!ひどいな!セネガル人は本当に金金金やろー!とまた愚痴る。「本当そうだよ。セネガルのせいでボクの資金尽きちゃったもん。」
同じアフリカ人からですら金をせしめようとするセネガルの連中。ますます腹立たしい。もちろん良い人も沢山いたのだけれど、金金金な奴率が高すぎる。
そんなこんなで、道も驚くほど整備されていてスムーズに目的地カイエに到着。ちょっとした同士のガーナ人に別れを告げ、宿を探していると、同じバスから降りた地元民の青年が「こっち」と案内してくれた。
市場の中へ入り、友人らしき男のいる店に行き、その男の案内のもと3人で宿へ。が、連れられたホテルは朝食付きだが17500もする恐ろしい宿だったので、もっと安いところが・・・と我がままを言うと別のところへ案内してくれた。
7000。若干高いが、これ以上連れ回すのも気がひけたし、疲れていたのでチェックイン。値下げ交渉は断じて応じてくれず。
そして案内してくれた二人に、ちょっと待ってて、そこでコーラでもおごるから!と言うと「そんなのいいよ!」と。そう言われると余計におごりたくなるんだよ。三人でコーラを飲んで、ありがとうとお礼を言い分かれる。
店のオッチャン達と少しフラ語で会話して、ミロファラニャーメニェーリ(飯が食いたい)!と言うとバイトの少年が近くの食堂まで連れていってくれた。ありがとう!
久々まともな食事をとる気がする。牛肉のぶっかけ飯。美味いじゃないか。
それから市場をぐるぐると歩いてまわり、さっき案内してくれた男とばったり再会し今度は日記用のノートを探しているといったらまた案内してくれ、川沿いの道をあてもなく歩き、にこにこ笑いが素敵なおばちゃんのところでピーナツと焼きもろこしを買い、明朝発の首都バマコ行きバスチケットを購入し、3時起きなので早々に就寝。
親切だが少し残念なマリ人もいる
2時半に目が覚め、荷作りをして3時に宿を発つ。暗い。昨夜も雨が降ったらしく、ぬかるんだ道を歩く。ああ、ヘッドライトがあれば・・・思い出してまた悔しがる。
4時すぎにバスに乗り込み、出発。眠る。アイマスクの代わりにタオルを目元に巻いて。とっても怪しい。
途中何度か休憩したり、バスの不調で20分ほど停車したりしつつも、今までに比べ随分楽な移動。マリ。いいじゃないか。
10時間後、14時ついにバマコに到着。市内を走るミニバスに、安宿の近くの「Assurance Lafia」という場所に行きたいと告げると「OK乗りな」と言われ乗り込む。場所知ってるなら安心だ。
としばらく揺られていると、「どこ行くんだ?」ときいてきた。いやいやさっき言うたやろ。アシュランスラフィアってとこの近くのオベルジュラフィアて宿に行きたいのよ。「どこだそれ・・・」的な事をつぶやきつつ運転手と話す。おいお前さっきOK言うたやないかー。
さらに揺られていると「ここだ。」とおろされた。ここだな?ここがラフィアなんだな?「そうだ。」そうか、じゃあありがとう。
降りた先にいたオッチャン達にアシュランスラフィアはどこですか?と尋ねる。「ん?ああ、それここじゃねえぞ。」
おいミニバスのお前達。ここちゃうやんけー!
タクシーの運転手をしていたおっちゃんが「1000で連れてったる」と言ってくれたがそんなに払えないのでとりあえず教えてくれた方向へ歩く。
何度か人に尋ねつつ歩いていると「ああオベルジュラフィアか!だったら同じ方向だから、ちょっと待ってくれれば車で連れてってあげるよ!」とインターネットカフェ前にいたアリという男に出くわす。
旅行会社で働いているという彼の、同僚とボスの二人を紹介され、少ししゃべる。ボスのジャーネーは、愛知万博の時来日してマリの所で働いていたらしい。「コンバンワ〜オツカレサマデス」
それから彼らの会社のホームページなどを見せてもらっていると「ああだめだわ。この子達いたんじゃ気がちる!」と同僚の女性に頼まれ、アリと共に子供達を家に連れて帰る。
ママと離れ悲しい子供達は、後部座席で泣き喚き、挙句嘔吐。アリ激怒。ボク掃除。
何やってんだ一体。
子供達を置いてまたネットカフェに戻り、ひと段落ついたところでまた家へ戻る。そして「なんならここに泊まってもいいけど」と言われるが遠慮する。まだ会って間もない。彼らのことをよく知らないし彼らもボクのことをよく知らないのだ。
「じゃあすぐそこの宿もきいてみたらどうよ。オベルジュラフィアいく前に。」というので一応いってみる。なかなかよさそうな宿だが15000もする上に町の中心から離れているので、やめておく。
家に戻り、「まあ、荷物おろしてゆっくりしていきなよ。」と言ってくれるが暗くなる前に宿に行きたい、なんならここから自分でもいけるから心配しないでくれと告げると、「そうか分かった!それじゃあ今から行こう」と車を出してくれた。
んが。「オベルジュラフィア・・・。ちょっとそのメモ見せて。」はい。「ああミッションカトリックか!」それはもう一つの宿で、ラフィアの近くにあるらしいんだ。「ミッションカトリックなら知ってるよ!あっちにしたほうがいいよ!」というか、ラフィアの場所知らないんでしょ?「う、うん。」じゃあミッションカトリックでも大丈夫です。
しかし、同じ方向って言ってたけどこれ全然逆方向だよね?「あ、ああまあそうだけど気にしないで!ところでさ、日本ではさ、誰かが手助けしてくれたら、助けてもらった方はなんかするの?」
遠まわしだが彼の意図する事が即座に分かってしまい、ショック。要は、車で連れてってやってるから何かくれてもいいじゃない、という。
それは何をしてくれたかどんな人かによるけど、ボクの場合はご飯とか飲み物をお礼にご馳走するぐらいかな。「お金は渡さないんだ。」うんお金は渡さない。「それが日本のカルチャーなんだ。」そうだよ。見返り求めて人助けはしないよ。「それじゃあさ、ジャミは、何をしてくれるのかな。」
何が欲しいんだ?「いやいやそれはその、オレはただ、いい人間関係が築ければいいんだけど・・・」などと言っているうちにミッションカトリックに到着。
宿のシスター達と、フランス語の拙いボクのかわりにやり取りしてくれるのはいいのだが、さっきの会話の直後なので、なんだか急に甲斐甲斐しく世話をしてくれている気がして、少し滅入る。
そして、去り際に、じゃあそこのレストランで何か飯でもご馳走するよ、と言うと「それだったらガソリンがいいな・・・」とガソリン代を請求してくるアリ。はぁ・・・でも1000以上はあげられないよ。「何で?2000でいいじゃん!」あーもうこれじゃあまるでセネガルと一緒じゃないか!
さっきセネガルの愚痴をもれなく彼にも話した後だったので、「分かったじゃあ1000でいいから。」と差し出した1000セファを受け取った。「ついでにそこで飲み物もいい?」さっきガソリン代のほうがいいっていったから今1000渡したのに。「あじゃあもう飲み物はなしなんだ?」いいよ。飲みなよ。
「ところで日本ではさ・・・」のあのくだりまでは、とってもいい奴で、今後マリ観光するなら色々彼の会社で世話になってもいいかなと思っていたのに。残念だ。
でも一応ここまで連れてきてくれたし、マリの観光スポットについて教えてくれたりしたので、ありがとうときちんとお礼を言って別れる。
が。また疲れた。マリ人だからといって皆が皆完璧に良い人なわけないのだ。当たり前だ。引き続き細心の注意は払わねばならない。セネガル抜けたからって油断しちゃあいけないよ。自分。
新たな出会いはサンドウィッチ屋さんから
土地勘を得るために、何度も迷いながら宿の近辺を徘徊し、美味い飯屋をみつけては足繁く通ってみたり、向かいの商店の息子ババに「英語を教えて下さい。」と頼まれ、いいよと言ったものの普通に英語が話せる奴だったので結局ボクがバンバラ語を教わっていたり、徐々にバマコに慣れてきたある日の昼下がり。
ビザを取りにいかないと。
あの忌々しい、スタンプだかシールだかのために東奔西走するのだ再び。聞くところによると、ここバマコのコートジボワール大使館に行けば、西アフリカの五ヶ国共通ビザ(コートジボワール、ブルキナファソ、トーゴ、ベナン、ニジェール)が取得できるということなので、インターネットで大使館の所在地を調べ、歩きだす。
商店のババに聞くと、「そこ遠いからタクシーで行かないと。」とのお答え。が、タクシーを使うのが基本的に嫌いな性分なので、とりあえずあてもなく歩いてみる。
腹が減りました。
丁度サンドウィッチ屋台をみつけたので、朝昼兼用お洒落に表現するとブランチをいただく。牛串と味付け焼きバナナを挟んだサンドウィッチ。妙な組み合わせに思うがこれが絶妙なのです妙ではなくて。タレと塩をまぶしてますます美味い。
と、隣にYシャツにネクタイを締めたいかにも仕事人な男がいたので、「トゥコネ、アンバサドコージボワ?」と妙なフランス語で尋ねると、「ああコートジボワール大使館行きたいの?」と英語で返ってきた。うん。「この住所なら、あっちの方向だなあ。丁度ボクもあっち向かうから、これ食べたら一緒に行こう。」
ひょんなことからコートジボワール人のフファーナに、大使館まで案内してもらえることになった。
「ボクはコートジボワール人だけど、ギニアのコナクリに住んでるんだ。ここバマコにも二年ぐらい住んだことがあるよ。で今は一、二週間だけ仕事で滞在してるんだ。」何の仕事してはるのん?「バラクフセインオバマ財団っていう、あのオバマさんね。まあ一種のボランティア団体なんだけど、それをバマコでも立ち上げるために来てるんだ。」へえ。なんやか大きな活動してるんだね。
具体的にそういうのを立ち上げる時ってどういう事をしなきゃいけないの?例えば政府に色々申請したりとか?「うん。もう大量の資料や申請用紙やらを作って書いたりしなきゃいけないよ。」
「で今日はこの後ボンカナマリナっていうミュージシャンに会いにいって、色々オファーしなきゃならないんだ。」なんだか大変にオオゴトなようです彼の仕事は。ところでフファーナは何歳なの?
「25歳だよ。」えっじゃあオレと同い年やんさ!1984年生まれ?「ううん、1985年の12月生まれだよ。」
え?じゃあまだ今23歳で、もうすぐ24になるんとちゃうの?「え?そうなの!?あ、そうか。そうみたい。というのもね、ボクのIDカードやパスポートは、全部1988年生まれになってるんだよ。こっちでは、プロサッカー選手になりたい人は、例え20歳でも15歳って偽ってIDを作るんだ。」現役期間が長くなるからだろうか。え、でもそういうのは体力の問題じゃ・・・「でボクのお父さんもボクをサッカー選手にしたかったから3年若くしちゃったんだ。」
しちゃったんだあそうなんだあ。
それでいいんだあ。
まあ、年齢なんて、あってないようなものだから。自分は1984年生まれだと聞かされて、公的にもそう表記されているからそう信じ込んでいるけれど、実際のところ何歳かなんて、本人に分かる訳ないんだもの。オレはあの時、母親の胎内から飛び出したその瞬間病院の壁のカレンダーに昭和59年11月と書いてあったのをみた!覚えている!だから間違いない!なんて人はまずいないのだから。
そんな話をしながら歩いていると、「そうだ、ボクの知り合いが大使館の場所知ってるよ。ちょっと電話かけてみるね。」トゥルルルル「もしもし、かくかくしかじかで。え!そうなの。うんありがとう。」
「それ住所違うよ。」
え?「ハムダッライACIてところらしいよ。」全然違うじゃん。なんとかスクエアとかメモってきたこの住所は一体ナニ何者。
「タクシーとバスどっちがいい?」と聞かれもちろん安いバスで、と答えたために随分バスを待つために時間を割いてしまい、13時半頃ようやく到着。すると「ランチタイムやね。14時半まで。」がごーん。
ちょうどすぐ近くにトーゴ大使館もあったので、そっちにも行ってみる。「ランチタイムやね14時半まで。」
仕方なく待つ。しかしフファーナは時間大丈夫なの?「うん、ミュージシャンとのアポは15時だからまだ大丈夫だよ。」吹き出る汗を拭きながら二人して待つこと数十分。
トーゴ大使館の職員が戻ってきて早速お尋ね申す。丁度オーストラリア人の旅行者もいたのでお尋ね申す。五ヶ国共通ビザが申請したいんだけれども・・・「ああそれならオレも昨日めちゃくちゃ探したんだけど、どこも発行停止してるよ今は。だから一ヶ国づつとってかなきゃなんないんだ。昨日と今日で5つビザとったけど、もう既に400ドル近く使ってるよ。クソだぜチクソー。」
がごーん。
五ヶ国共通ビザが取れないとなると、かなり出費がかさみ、痛い。非常に痛々しい。ここトーゴのビザも、一番安い一ヶ月のシングルビザが25000セファ。およそ5000円だ。既にガンビアやギニアビサウで大枚をはたいてしまっているので、できれば今後は抑えていきたかったのだビザ代は。
とりあえず、コートジボワール大使館でも聞いてみよう。とトーゴ大使館をあとにする。
時刻は14時26分。警備員のオッチャンに「まだやで。」と引き止められる。そして「ていうかその服装じゃ中入られへんで。」ときったないボクの短パンを指差して言った。ただビザ申請するだけやのに問題なかろう!と抗議するも、「セパボン(いくないよ)」。
警備室から電話をかけてもらい、中の職員と話す。「トゥコネフガンセ(フランス語は分かるか?)」ジュコネパ(わかりまへん)。「そりゃ困ったな。こっちは英語がだめなんだ。」ともかくビザの申請がしたいのですが、今日できますか?
「できるよ。パスポートと、写真二枚と、コートジボワールでの滞在先ホテルの予約票をもってきなさい。」え!ホテルの予約票て!ボク友達ん家に泊まるつもりやから、そんなの用意できません。というかあまり何言ってるか聞こえないので、中に入れてもらえませんか?「分かったカモン。」
入っていいって。と警備員のオッチャンに言うも、「ダメダメ!それじゃダーメ!ここで待ってな!」と止められる。「じゃあジャミはちょっとここで待ってて。ボクが詳細きいてきてあげるから。」とスラックスに革靴、Yシャツにネクタイおまけにメガネという完璧なまでの大使館スタイルなフファーナが代わりにききにいってくれた。かたじけない。
「それ、だみだよ。」ええやんかー短パンの何が悪いっちゅうのん暑いんやから。それにほんの10分やのにー。「お前ジャポネか?」うんそうだよ。「ジャポンはいい国か?」うん、いいよ。「オレも連れてってくれよジャポン。」今中に入れてくれたら連れてったるで。「ははは!じゃあ明日連れてってくれよ!」などとくだらない話を警備員としつつ待つこと20分。意外に長い。
フファーナが戻ってきた。「なんかね、友達の家に泊まるんなら、その友達の住所と、パスポートのコピーと、それからジャミのパスポートと写真二枚、で60000セファが必要だって。」
なんじゃそら!!!前代未聞のややこしさ!!!しかも60000セファて!12500円やんけ!そらあきまへん!あきまへんよ払えまへんよ!
だいぶ取り乱してしまったが、ともかくありがとう、15時にアポとってたのに15時半になってしもうてゴメンよ。と謝る。「大丈夫大丈夫、問題ないよ。」
今後のルートをかーなーり再検討せねばならないようだ。
それからタクシーでフファーナのアポ先を訪れ、会合が終わるまで外で待つ。チュッパチャップスをなめてみる。
「お待たせ!帰ろう!」とまたタクシーを拾って帰る。フファーナの叔母さんの家へ。
そこで彼が叔母さんに仕事の報告をするほんの少しの間お邪魔して、インターネットカフェでまたあれこれ作業をするフファーナを待ち、陽もくれた18時半、「ごめんね時間くっちゃって。」かめへんかめへんのよ。「まあ、今日はお互い様だね。」そやね。
ミニバスで町まで戻り、歩いて帰る。「ジャミはいつまでバマコにいるの?」うーんまだよく分からん。あと数日はいると思うよ。「じゃあさ、ボクの仕事一週間ぐらいで終わるんだけど、そしたら一緒にギニアのコナクリ、コートジボワールのアビジャンに行かない?丁度ボク帰るから。コナクリにもアビジャンにも家族が住んでるから全く問題ないし、案内できるよ!」
それは楽しそうなアイデアだねえ。でも、オレもうちょっとマリのあちこち見て回りたいから、二週間後とかならいいかも。「そっか。じゃあ二週間ここにいられるか調整してみるね。」ありがとう、でも難しそうなら本当気にしないでいいからね!「うん分かった!でバマコの後どこ行きたいの?」うーん。モ、モプティとか?とりあえず知っている地名を出してみたが、そこに何があるのか皆目見当もつかない。
「じゃあそこに何日いるの?」わかんねえなあ〜。その後また他の町にも行きたいし。「どこいくの?」わっかんねえんだこれが。あのね、ボクの旅はね、いっつもこうなの。先の先まで決められないんだ。決めちまうと頭がぱんぱんになっちまうんだ。「分かる分かる。そうだね。」だからイルシャアッラー(神の望むままに。なるようになるやろう)「イルシャアッラーだねそうだ。」
「ところで明日は何するの?」わっかんねえな〜特に何も。「じゃあさボクと一緒にミュージシャンに会いに行かない?明日は4人位とアポとってるんだけど、サリフケイタにも会うんだ。」え!サ、サリフケイタ!!?
西アフリカに来てから、出会う人々に好きな、もしくは有名なアーティストを教えてくれると十中八九、いやもう十割の確率で「サリフケイタやね」と返ってきていたので、俄然気になる存在だった人物。
会ってみたい!彼の音楽まだ聞いたことないけれどだけれども!ミーハーでいいじゃない!
「じゃあ明日朝八時に待ち合わせね。またね!」と宿まで送ってもらい別れた。
サンドウィッチに始まったフファーナとの繋がりだが、果たしてどうなることやら(ドラゴンボール口調で)。
クレジットカードを使用される恐れはなさそうです。段々人を見る目は肥えてきている。筈・・・。
大物ミュージシャンサリフケイタと、対面?
8時半丁度にフファーナの家へ。「ちょっとこれ試してみて」とシューズを渡される。そう、昨日のボクの格好があまりにも小汚かったので(ヨレヨレのTシャツにボロボロの短パン、穴の開いた偽クロックスのサンダル!)、「今日は役所へ言っておえらいさん方と会うからボクの靴貸すよ」と言っていたのだ。
久々、何ヶ月ぶりかに履くサンダル意外の物に若干違和感を覚えつつもサイズは丁度よかったのでそのまま借りて、さあお仕事開始です。
タクシーでなんたらのなんたら部門のプレジデントという人物に会いに邸宅まで。が、セキュリティの人達に尋ねるとプレジデントは今勤務中でオフィスにいるとのこと。ミニバスで町まで戻り、またタクシーに乗ってオフィスまで。
その道中、おもむろにバッグから「これ着てみて」とどでかくオバマ大統領がプリントされたロングTシャツを手渡される。ちょっと汗臭かったがリクエストにお答えして着てみる。「いいねえ〜」
閑静な住宅街の一角にプレジデントのオフィスはあり、セキュリティに「私ギニアコナクリに本部を設けるバラクフセインオバマ財団のフファーナムサと申します云々」と説明をすると、中へ入れてくれた。
クーラーのばっちりきいたプレジデントの部屋に通され、挨拶をする。がしかし、ボクは一体どういったポジションで・・・?短くボクのことを紹介すると、フファーナはさっさと仕事の話を始めたので、ボクはとりあえずあたかもオバマ財団の日本支部長かのような顔つきで笑顔を終始絶やさず、話を聞いているふりをしておいた。
「ありがとうございました!」話はうまくいったようだ。何がどううまくいっているのかはさっぱりわからないが、まあいい。
今度はこれまた閑静な住宅街にあるアフリカンテイストのちょっと高級なホテルへ。そこでもレセプションの女性に「私オバマ財団の・・・」と説明をし、資料を見せ、ここにいるらしい目的の人物と電話をつないでもらう。
ボクはそのお洒落なホテルをカメラにおさめるという重要な任務を遂行する。
「ありがとうございました!」電話で事が済んだが、これもなにやらうまくいったらしい。ナニがどう・・・。
そしてまたまたタクシーに乗り込む。次は誰?「サリフケイタ財団だよ」おお!ついにきたサリフケイタ!少し楽しみだ。
ノックノック。「こんにちは、私オバマ財団のかくかくしかじかで・・・」挨拶をし、椅子に座らせてもらう。おばさんと、ボスらしきおじさん、それから小奇麗な格好をした20代の男がいて、彼に「サリフケイタは好きですか?」と唐突に聞かれる。
うぇ!?もしやあなたが・・・サリフケイタ!?と勝手に思い込んで興奮したボクは、それはそれはもう!誰にきいてもサリフケイタがアフリカで一番のアーティストだって言ってますから!ですが残念なことに、ボクはまだあなたの曲を聴いたことがないんです・・・。「マリにはいつきたの?」4日ほど前です。「それじゃあ仕方がないね。」ええ!でも絶対聴きます!「よろしく!ボクの名前はモハメッド」え
お前ちゃうんかーい
道理でサリフケイタにしては若い上にラフな格好だと思ったわ!それにそんな大物が、いくら自分の財団とはいえ平日の昼間にこんな小さなオフィスにいるはずがないだろう。
誰も「ボクがサリフケイタです」なんて言っていないのに、勝手に興奮していた自分が急に恥ずかしくなる。
フファーナはボス、おばさんと早速話をはじめている。やっぱりさっぱり。それでも笑顔は絶やさず、なんとなく分かっているふりをして時々うなづいたりしてみる。
と、ボスが英語でボクに向かって話し始めた。「活動内容は大体分かったのですが、やはり本格的にそちらの財団と関係を築いていくとなると、こちらとしては、アメリカの大使館なり公的機関からレターをもらっていただかないと、信用できないのですよ。分かりますか?」
ええ、ええ、それは勿論おっしゃるとおりです。とオバマTシャツをきた謎の東洋人は返す。そしてまたフファーナがフランス語で切り返し、分からなくなったのでとりあえず黙っておく。
すると隣にいた、さっきのニセサリフケイタ(失礼な)モハメッドが「キミ、仕事は?」ときいてきた。仕事はやめてしまって、今はずっと旅をしています。一年アジア、一年オーストラリアにいて、今ヨーロッパとアフリカを・・・。「なるほど、じゃまあそれが今のキミの仕事なわけだね。ボクは今パリに住んでて、ここには休暇できてるんだけど、前はアメリカに住んでたんだ。」
などと英語で世間話や身の上話をする。
ようやく商談が終わり、「大変お邪魔いたしました。ありがとうございました。」と礼を言って帰ろうとしたその時、一人の女性がやってきて、モハメッドとなにやら話し始めた。「サリフケイタの娘さんだよ。」とボス。お、おお!左様でございますかどうもはじめまして。と挨拶をし、帰る。
どうだった?話はうまくいったの?「まあ、少しづつゆっくりとね。」ところでさっきのモハメッドは「サリフケイタの息子だよ」
うっそーん
そそうだったのか、ニセサリフケイタなどと表現してすみませんでした・・・。息子か・・・ところでオヤジは、本人はどんな顔なのだ?どんな音楽なのだ?CDショップへ行け!自分。
またもやタクシーを拾って、今度はアメリカ大使館へ。「知り合いが働いてるから、その人にレターの件頼んでみて、もしだめなら父にメールしてみるよ。」そう、彼の父親はコナクリにあるアメリカ大使館で働いているのだ。
それにしてもなんだこのアメリカ大使館は。でかすぎる。今までみてきたどの国のどの大使館よりもでかい。広大な敷地にどかんとモダンな建物。芝生はきれいに整えられている。
荷物を預け、身体検査を受け中へ。資料室のようなところへ連れられた。「インターネットタダだよ。ちょっと色々調べ物するときはいつもここに来てるんだ。」しかしクーラーがガンガンに効いていて、快適。
フファーナが調べ物をしている間、アラビア語辞典やギネスブック2009などが置いてあったので手にとってみる。
なんだか、だんだん、眠たくなってきた。おやすみなさい。
「ジャミ、行こう。」用が済んだらしい。起こされて大使館を出る。
今更ですが、ボクはアメリカの大使館に、どでかいオバマプリントのTシャツをきて入りました。
これからまだもう少しアポがあるらしいが、とてつもなく眠いので、ボクの付き人任務は本日これにて終了とする。「ジャミ今日は本当にありがとう。」いや何もしてないよ。「じゃあまた明日!何時でもいいから電話してね!」了解!んじゃね。あ、靴返さなきゃ「いいよ!まだ持ってて!」
にしてもいい加減あのサンダルは穴が開きすぎなので、新しいものを探しに市場へ。何軒かまわり頑丈そうなものを見つけ、3500といってきたのを2000セファ(約400円)で購入した。
それからネットへ行き、ここ最近毎晩通っているレストランへ行きここ最近毎晩食べているチキンヤッサをたいらげ、20時頃宿へ帰ると、入り口の所に一人の男が。いかにも「あーカギ忘れちゃった」な仕草をしていたので宿泊客もしくはスタッフだと思い、ちょっと待ってな、とボクが開けて一緒に入る。
冷蔵庫にさっき買ったバナナを入れてさあシャワーでも浴びようと部屋に向かっていたら、さっきの男と、宿泊客のアメリカ人女性が話していて呼び止められた。「ねえ、あなたこの人知ってる?」え?知らないけど。「さっきあなたの後に入ってきたでしょ。」うん。「なんかおかしいのよ。」
すると男は、「ボクは糖尿を患っていて、インシュリンを注射しなきゃいけないんだけどお金がなくて・・・それで、あの、一緒に薬局まで行ってもらえませんか?目の前で注射しますので・・・」と唐突に訳の分からないことを話し始めた。
「とりあえず、シスターに相談してみたら?」とアメリカ人のイライザが言い、シスターを呼ぶ。(ちなみにこの宿はカトリックのシスター達が運営しています)
その男はシスターのもとへ赴き事の次第を説明し始める。と、イライザが「あれガイドブックに載ってた詐欺の手口と一緒よ!」え!そうなん!?「第一おかしいわよ。さっきあの男はホテルをチェックアウトしてきたって言ったのに荷物なんて持ってないし、お金がないなんていいながら高級そうな時計つけてるし、体だってかなり健康そうじゃない。」確かに。
数分後、話を終えたシスターとその男がやってきて「ごめんなさいね突然この男性が不快な思いさせちゃって。でも、もし貴方達が手助けできるんだったら・・・」とシスターが言うと同時にまた男はいかにも苦しそうな顔をしながら「すぐそこに薬局があるので、ちょっと一緒に行っていただければそれで・・・」と説明し始めるが、「ごめんなさい貴方のような得体の知れない人と薬局まで歩いてなんて行けないわ。」とイライザが断る。
ボクも、「申し訳ないが・・・」と添える。すると案外素直に「分かりました。」と去っていった。
「知らない人間は絶対にここへ入れちゃだめよ。もし何か用がある人だったら門ごしに大声で呼べば私達が出ていくし、もしあの男みたいにカギもないのに勝手に入ってこようとしたら、門の外で待たせて、私達を呼んでね。」とシスター。ごめんなさいついつい関係者だと思って入れちまいました。
「であの男は一体いくら求めてきたの?」「44000セファよ。」ええ!!!なんという大金!およそ一万円!「しかもあの男、明後日には飛行機で国に帰らなきゃいけないのに5000セファしかないなんて言うのよ。」「訳わかんないわね!」支離滅裂。
「もしあたし一人でここにいたら、力ずくで何か奪われてたかもしれないわね・・・。」確かに。筋肉モリモリだったもんあの男。
「でもなんか、悲しいよね。本当に助けが必要な人もいるのに。そういう人には力になってあげたいけど、それを見極めるのってかなり難しいもん。」んだんだ。そしてボクは人を騙す人間が心底許せない。
被害にあった経験があるだけに。語ります。
それからイライザと旅の話で小一時間ほど盛り上がり、「明日もう出発するの。お互い気をつけましょうね!」と部屋に戻り就寝。
信じることって、果てしない。
今度こそ大物ミュージシャンと対面!
今日も今日とてフファーナと待ち合わせ、タクシーでどこかへと向かう。でどちらに?「ティケンジャファコリーってミュージシャン知ってる?その人とアポとれたんだ!」へえーそれってすごいの?「凄いよ!アフリカ人みんな知ってるんだよ!」
ほほう。ティケンジャファコリー。危険な肩コリ・・・そういやフファーナの一番好きなアーティストって誰?「エイコンと、これから会うティケンジャファコリーかな!」え!そんな大好きな人に会うのかこれから!
タクシーを降りると迎えの車がやってきて、少し奥まったところにある豪邸へ到着。あどうもこんにちは〜お邪魔いたします。
今日は通常営業、いつもの小汚いTシャツに短パン姿なので、若干いたたまれなさを感じつつ、ソファーに座らされ、本人様登場を待つ。マネージャーだかバンドメンバーだかの、ババという人と先に少し話をはじめるフファーナ。
ボクは背筋を伸ばし神妙な面持ちで、聞いているフリ。
しばらくすると、ドレッドヘアーにデニム、青いチビT(正しくはTシャツが小さいのでなく腕が太い)にラスタカラーのシューズを履いた、いかにもミュージシャンな男が登場。この人か!?本人か!?昨日みたいに「どうもモハメッドです」なんてことはないのか!?
良くわからないまま握手を交わし、引き続き訳の分からないフランス語をあたかも分かっているような、それでいて話はこっちにはふらないでねというような表情を保つ。
がしかし、突然ババさんが「キミはフランス語が分かるのか?」と聞いてきた。大変だ。はにかみ笑いですみませんジュコネパフガンセ(わかりませえん)と答える。「じゃあ英語で。キミはこの財団のメンバーなんだよな?」え!?そういうことになってるんですか?チラっとフファーナをうかがうと「イェス」とうなずいていたので、「ええその、一種のメンバーのような・・・」と曖昧な返事でごまかす。
「じゃあキミは今ここでどういう活動をしてるんだ?」え!活動?といいますと・・・あのですね、実の所、今現在はわたくし旅をしておりましてその・・・「あそうなの?てっきりフファーナ氏と一緒に財団で働いてるんだと思ったよあなんだそうだったのか。」ほっ
「それで今私達が彼に説明していたのはね、一体具体的に何をしているのか、それを見せてほしいということなんだよ。君達のような財団やボランティア団体の類の人間は山ほど訪ねてくるんだけど、どれも結局動かないままで、いつまでたっても何も始まらないんだ。」ええよおく分かります!はい!
フファーナも隣で同じように「ええおっしゃる通りでございます!」とうなずく。
そして資料を見せ、また何やらフランス語で話し、対談終了。「あの、最後に一つお願いしてもいいですか・・・?よろしければその、お写真をご一緒できれば・・・」とフファーナが尋ねる。「ははは!じゃあ外で一緒に撮ろう!」とババさん。
青Tのドレッドが本人でした。
「しかしキミみたいな人は珍しいな。こっちで日本人に会うことなんて滅多にないからな。」いやあのわたくしですね、前々からアフリカに来ることが夢でして、世界で一番来たかった場所なんです。それでその、アフリカが実際どんなものなのか見てみたいなと思いまして。「そうなんだよ!まさにそういう歌を去年だったかな?私達は作ったんだよ。テレビや新聞ではアフリカイコール戦争、暴行、犯罪、貧困といったネガティブな報道しかされないだろ?だけど実際はそれだけじゃない。それを知ってほしいからアフリカに来てくれといった歌を作ったんだよ。」
それは素晴らしい!わたくしも、見てもいないのにアフリカ危ないからだめだよなんて言うのはおかしいと思って、はるばるやってきたんです。そしたら、やっぱり全然違って、人々は明るく暮らしているし、ご飯は美味しいし。いくら発展してるとはいえ、今日本では様々な犯罪や問題を抱えていて、例えば親が子供を殺したり、子供が親を殺したりしているんですよ。「なんだそれは!信じられないな!アフリカじゃ絶対おきないぞ!もっと世界中の人々にアフリカに来て知ってほしいんだよ私達は。」
ババさんと少し興奮気味にしゃべり、ティケンジャファコリー本人と、フファーナと三人で記念撮影。
今日知ったばかりなのに、しかも曲も聴いたことなんてないのに、舞い上がっている私この上なくミーハー。
そしてラスタカラーにペイントされたお洒落な車に、なんと本人運転のもと乗せてもらい、バス停まで。
「日本でもレゲエは人気なんだろ?」ええ!それはとても!毎年沢山レゲエの音楽祭が開催されるほどですよ!「それはいいな。いつか日本にも行きたいな。」わたくしめが招待させていただきます!「ははは!」
この小汚い日本人にそういわれてもハハハと笑うしかないだろう。
バス停に着き、改めてお礼を言う。「またな!」日本で!と言うと「おう!喜んで!」と笑顔でかえしてくれた。
バスに乗り込もうと歩き始めると、こりゃ驚いた
瞬く間に人が集まってきて彼に握手を求めているではないか!「ね?本当にすごい人なんだから彼は!」とフファーナ。
そそんなに大物だったのか・・・!今更大興奮。フファーナありがとう!「こちらこそありがとう!でも本当ジャミはラッキーだったんだよ!」そうだなうんうん。「これからアフリカ人と会ったらその写真見せてごらん。皆うらやましがるから!」
いひひ。でもどうやってそんな人物とアポとれたの?「知り合いにお願いして番号を教えてもらったんだ。」そんな簡単にいくものなの?「簡単じゃなかったよー!大変だった。」
夕陽の沈む中、帰りのバスでフファーナは、終始笑顔だった。相当に嬉しかったのだろう。
今日知ったばかりのボクですら嬉しいのに、一番好きなミュージシャンに会えた彼なんて、比じゃないだろう。もしボクが、世界で一番好きなアーティストM.I.A.の自宅に窺って言葉を交わせたら・・・と置き換えて考えると、ただごとじゃないことは想像に難くない。
明日は早速インターネットでティケンジャファコリーを検索だ!曲ぐらい知っておかないと失礼。
泥どろの町ジェンネ
宿のシスターや、向かいの商店の息子ババ、それからパリ在住のコートジボワール人友達等に一通り「ティケンジャファコリー知ってはる?」という質問を投げかけたところ、驚きの打率十割で全員知っていて、写真を見せるとえらく驚かれた。
ますます大物だったらしい、あの青いチビTの男・・・。
バナナを朝から六本一気食いして一日吐き気に見舞われたり、早朝4時に腹痛で目が覚める癖がついてしまったりしながら、気がつけば一週間もバマコに滞在していた。
そろそろ飽きてきたので、移動だ。携帯電話のSIMカードも購入してフファーナと今後も円滑に連絡がとれるようになったし、万事オウケイ。
朝8時発のバスで一路東、ジェンネへ。
GANA TRANSPORTというバス会社を利用。バスの外装が綺麗だったのでガナに決めたのだが、中はまるでおんぼろ車だった。ぱっと見美人なのによくみると山芋みたいな顔をしている女性のようだ。山芋みたいってどういう顔
隣に、マリで仕事をしているフランス人と、その友達のマリ人が座っていたので少ししゃべる。が、どうもボクの座っている席は背もたれが不安定で、バスの揺れに身を任せるようにスウィングするので心地悪い。
幸い後ろの席が空いていたので、「この背もたれセパボン(良くないよ)」と隣の皆に告げ
ひょいとまたいで飛び移る。その瞬間
どんがらがっしゃーん
後ろの席は背もたれではなく座の部分が不安定だった模様です。座がまるごと抜けてコントの典型のようなずっこけを見せてしまった。「そっちもセパボンみたいだね・・・」と皆に同情まじりに爆笑される。
すると謀っていたかのようなタイミングで、聞いていたジャミポッドから「セ〜パボ〜ン」と流れてきたではないか。誰だお前は!
まさかのマライアキャリー。ホイッスルボイスでセパボンと熱唱されても・・・困る(正しくはinseparableと歌っていたのですが空耳的にセパボンとしか聞こえなかった)。
といったペティ(petit)アクシデントを挟みつつ、午後4時頃、バスを降ろされる。バスはこの先のモプティへ向かうので、ジェンネへ向かうボクはここでまた別の乗り物を見つけなければならないのだ。
運よくものの5分でトラックが通りがかり、若干高いが2000セファ(約415円)を支払い荷台に乗り込む。
子連れの母やおばちゃん達がごっそり積まれていて、「あんれまーなんだこいつはー」と好奇の目に晒されるが、ジャポネでございますどうぞよろしく、と挨拶をすると笑顔で迎えてくれた。
おばちゃんやキッズをカメラにおさめ、仕上がりこんな具合ですがいかがでしょう?と見せると「あんれまーやだよー」とえらく喜ばれた。
さっきまでずっと、窓の開かない、エアコンの効かないエアコン車に乗っていて息苦しい思いをしていたので、窓、というか空気全開のこのトラックの荷台で浴びる風がとても心地良い。
さらに大都会バマコとはうってかわって、沼や田んぼが広がるのどかな光景の中を突っ走っているので尚心地良い。
30分ほどすると岸に到着し、ガンビアの時と同じようにバスごと渡し舟に乗り、対岸へ。
そこでトラックが体調不良を訴えやがったので、仕方なく別のトラックを呼び乗り換え、さらに20分程走るとついにジェンネの町へたどり着いた。
どこの家も泥でできている。エジプトのスィーワオアシスや、モロッコのメルズーガといった砂漠の町でみかけた家に似ている。
予め調べておいたCHEZ BABAという宿へ向かい、荷物をおくと早々に出かける。喉が渇いて仕方がない。「コニチワー、モカリマッカ?ボチボチデンナー!」「ジャポン?アリガトーちょっとこっち来なよ!」すみません私可及的速やかに水分を補給する必要があるのでまた後で!
ああでたでたきたきた。ツーリスティックな町へ来るといつもこうだ。悪意はないのだろうが、ややうっとうしい連中が多い。ジェンネ。
水を飲みながら夕陽の沈む町を歩いていても、観光客慣れした連中が次から次に声をかけてきては「明日は何するの?あっちの村に行きたくない?それともドゴン族の村にツアーで行く?」と勧誘してくる。
そして、バマコにいたときよりも断然多い欧米人観光客。皆ツアー参加者のようで、家族連れがほとんどだ。なんだか一気に萎える。町自体はとても風情のあるいい所なのに、そのせいで観光客が大量に押し寄せ、それに伴ってややうっとうしい連中も増えるという悪循環。
己もその観光客の一部のくせに何を言っている。そういえばそうでした。人間はいつだって自分のことを棚に上げる。
町の中心には、世界最大と言われる泥でできたモスクがある。それが少しばかり楽しみでやって来たのだが、一人静かに見たいのに、「中入りたい?それともあの家の屋上から見たい?」と声をかけてくる人がいたりして、もういいや!となってしまった。モスク自体は素敵でした。
なんだか賑やかだな、とモスクの前を歩いていてふと思い出した。今日は月曜だ。確か毎週月曜はここで月曜市と呼ばれる市場が開かれるのだった。所狭しと野菜などの物売りが並び、人々が行きかう様は見ているだけでも楽しい。
モスクの向こうの川岸まで散歩をし、暗くなったので帰る。宿に帰っても、「明日は何をするんだ?ツアーには参加しないのか?」と色んな人に聞かれうんざりした。極力会話は挨拶程度にとどめておくことにしよう。
だってツアーなんかに興味ないから。
泥どろジェンネその二
夜は昼間の暑さが嘘のように涼しくなるので、室内にいるほうが逆に暑い。そのためこの宿では屋上に3500セファで泊まることもできるのだが、文明の機器(パソコン、カメラ、ジャミポッド、携帯電話等)をやたらに持ち歩いているボクは、セキュリティもそうだが、日中の暑さに機械がやられてしまっては、と500セファ高いドミトリーに泊まっていた。
便利なことのほうがそりゃあ多いが、こういった局面ではやはり、機械なんてもたない、小さなバッグ一つで身軽に旅をしている人が少しうらやましくなる。が私にはできない。文明と共にいたい派。
朝食をパン屑で済ませると、辺りを散策へ。「モーカリマッカ?ボチボチデンナ!」今日も朝から妙な日本語で話しかけられる。
彼らに悪意がないのは分かるし、ただ話しかけてきてくれているだけなのだろうが、やっぱり苦手だ。この「モーカリマッカ」という言葉が。前にもどこかの項で書いたが、どうせなら、「ねえねえお父さん、ボッキって何?」と素朴な疑問を投げかける「毎度おさわがせします」の小学生ツトムの物まねを唐突にしてほしい。
とはいってもボクが教えるわけにはいかないので(唐突に言われたいから)、軽く流して歩く。
すると、「とにかく足の裏を壁に!」と必死で逆立ちをして足裏を壁につけている少年に出くわしたので、すぐさまカメラをとりだし撮影。ますます必死になる少年。その友達は何故か逆立ちする少年の横でポーズをとりカメラを覗き込む。いい画がとれた。少年よ大志を抱け。
木陰で休憩しさらに歩くと今度は、川辺で洗濯をしている主婦や、暑さをしのぐためばしゃばしゃと水遊びをしている少年達に出くわす。「ムシェー(おにいさん)!ムシェーねーみてみてムシェー!」とカメラを構えるボクに呼びかけながら飛び込み、「ヌワアアアアアーーーーー!!!」と崖の上のとあるライオンばりの雄叫びをあげたり、撮った写真を「見せて見せてー」と駆け寄ってきたりしてまさに、元気ハツラツだ。
この暑いのによくそんなに元気でいられるな、と感心せずにはいられない。暑いうえに、この間買ったサンダルが足に合わないらしく少し歩くだけで異様に疲れてしまう。おまけにもう若くない。やはり生き物とは、老いてゆくのだな・・・。
「ムシェも泳げばいいじゃん!」と誘われる。できるなら今すぐ飛び込みたいが、あいにくカメラや携帯電話、さらにパスポートといった煩わしい荷物を携えていたので、やめとくわーと断る。ああ飛び込みたい。
袋入りの冷凍ジュースを買って飲みながら帰ると、いよいよ疲れを感じ、寝てしまう。
起きるとすでに17時をまわっていた。な、何をやっているのだオレは・・・これはまずいぞ。ジェンネ、まずいですぞ。
雰囲気はいいがいかんせんツーリスティックで、あまり居心地がよくないので、もう移動しようそうしよう。
モプティ。モプティ。特に際立ったハプニングは無い。
翌朝のバスでジェンネから3時間程の距離に位置するモプティという町へ向かう。バマコで出会ったオーストラリア人のカップルと再会し共に。
聞くと、彼らの乗ってきたバマコからのバスは、故障して停まった挙句に事故を起こし、やむなく車中泊を余儀なくされたそうだ。写真をみせてもらうと見事に窓ガラスが割れ車体が凹んでいた。ケガはなかったのか?「うんまあこれぐらい。」鼻に何かが激突したらしく、赤く腫れていた。
交通事故死だけはバスやタクシー等に乗っている間は自分では防ぎようがなく、運転手に託すのみなので、どうしようもないが、できれば遭わずに生きていたい。
幸い、今回も無事にモプティに到着。わたし生きてます。
カップルと一緒に宿を探し、ヤパデプロブレム(Hotel Yas Pa Des Problem)という、直訳すると「問題ございません」ホテルにチェックイン。
屋上にマットレスと蚊帳を用意してもらい一夜を過ごす。ドミトリー(室内)よりも1000セファ安く、しかも涼しい。
荷物を置いてインターネットへ向かっていると、「おいジャポネー!町までいくのかー!」とバイクに乗ったおっちゃんに話しかけられた。はいそうでーすと答えると「んじゃ後ろ乗りな連れてってやるー!」お金払わなくていいのかー!?「大丈夫いらねーよー!」そいじゃよろしくたのみまーす!
なんとなく問題なさそうな匂いがしたので乗せてもらう。「オレは英語が少ししかわからなーい!」ボクはフランス語が少ししかわからなーい!「なはは!じゃあおあいこだな!」
匂ったとおり、何事もなくインターネットカフェでおろしてくれた。少しは鼻がきくようになったかな。
ネットを終え、今度は腹ごしらえのため飯屋を探す。もう16時をまわっていたためほとんどのぶっかけ飯屋台は終了してしまっていた。「ボンジュールムシェ。何探してるの?」通りすがりの青年がきいてきた。ぼぼくは、お、お米が、た食べたいんだな。「じゃあついてきて。」と建物の間の間の奥の奥へ連れていかれる。
面倒くさいことに・・・・ならなかった。ありがとう!「どういたしまして。」普通にご飯屋さんに到着し、ピーナツソースのぶっかけ飯をたいらげる。
それから町を散策、ここにもあった泥のモスクをちらっと外から見学し、宿に帰る。
陽が沈み、空がなんともいえない淡い桃色をかもし出す。「オォー超アメイジングじゃない?」とオーストラリア人カップルも眺めている。なかなか居心地の良い屋上生活ができそうだ。
と思っていたら、なにやらザワザワとしてきた。大量のグループ客がやってきたのだ。「ワーォこれ超よくなーい?」アメリカ人らしい。
大量の観光客が苦手なボクは、いそいそとその場を離れ外へ。適当にサンドウィッチを食べて、宿の近くの土産物屋の男達としゃべる。「ちょっと見せたいものがあるからドウゾー!コンバンワアリガトサヨナラー!」呼んでおいてサヨナラってどっちよ!と思いつつしゃべると、意外にうっとうしくなかったので長居してしまい気づけば一時間もたっていた。
悪いことはしていない筈なのに、後ろめたさを感じる
驚くほど涼しい夜を屋上ですごし、なんなら早朝は肌寒さを覚えるほどだった。陽が本格的に昇り始めた7時頃に目を覚ますと、大量のグループ客は既に荷物をまとめチェックアウトをしている。「ツアー」に参加するようだ。
「オレ達は今日の船でトンブクトゥに向かうよ。」というオーストラリアンカップルと少し話し、屋台でサンドウィッチを食べ、今日も今日とてインターネットへ。このサイバー人間が。
すると「どうもコニチワー。」自称プロフェッショナルなガイドが声をかけてきた。「モプティにはどれぐらいいるの?」「ドゴンの村には行くの?」「ボートツアーはどう?」しりませんわかりません。本当に今後の予定がみえてこないのでそう答えながら歩く。
そこでバマコからのバスで隣だったマリ人のオスマンと偶然再会する。「やあ!なに今からネットいくの?そう、じゃあまたあとでね!お茶でも飲もう!ちなみにそのガイドの男ボクの友達だから!」左様でございますか。
一時間ほどバーチャル世界をサーフィンし終えるとオスマンがやってきて、「家に来ない?お茶淹れますよ。」と誘ってくれたのでお邪魔する。
オスマンと一緒にいたフランス人の女の子とも再会し、家へ。オスマンの兄弟だか友達だかもいて、お茶をいただく。
「ところでモプティにはどれぐらいいるの?」「ボクボート持ってるけど、村とかまわるボートツアー、どう?」「写真みせてあげるよ。これがドゴンの村で、これがボートで、楽しいよ〜」
ああ、なんだろうなぜだろうぜんじろう。こうやって「ツアー」に関わる事柄についてしゃべられると、一気にげんなりしてしまう。
客引きやガイドにその土地の見所を説明されればされるほど、ツアーという言葉を聞けば聞くほど、その場所に行きたくなくなってしまう。
さらに「マリミュージックはどう?CDあるよ!」「ネックレスもあるよ!これがジェンネ産のもので・・・ボク今日自分の村に帰りたいんだけどお金がないんだ。だからどれか買ってほしいな。スペシャルプライスにしとくから!」
勧められれば勧められるほど、CDもネックレスも欲しくなくなってしまう。欲しかったはずなのに。
「じゃあ何がいるの!?」と全てを断っていたら最終的にこう質問された。えっと・・・何も要りません。
なんだか、ツアーにも参加しないで、土産も買わないでただ「居る」だけの自分がとてつもなく不自然なように思えてくる。でも、こればっかりは仕様がないのだ。だって欲さないのだから。要らないものに無理してお金を払うなんてそれこそ不自然じゃないか。
じゃあ何の為に旅をしているの?
再三皆様が抱いているであろうこの疑問。改めて自分に問いかけてみる。
良くわからない。観光にはほとんど興味がない。でも行きたい。さまざまな土地に赴きたい。
おかしいのだろうか。そんな理由で旅をするボクは。
いんや、んなこたあない。理由なんていらないじゃないそうじゃない。天邪鬼だって怠け者だってかまわない、ボクはボクの旅をすれば、いい。
でも、少しぐらい観光に興味を持てるようになればいいのにな。どなたか観光を楽しめるようになる方法ご存知でしたらご一報下さい。
そんなことを言いつつもあがいてみるおれ
モプティの宿ヤパデプロブレムが思っていたより居心地がよかったためについ三泊もしてしまった。だってスウィミング、ぁプールがあってそこで一日くつろぐというリゾート客みたいなことができるんだもの。
危うく根っこが生えそうになっていた体を揺り動かし、次なる町バンジャガラへとミニバスで向かう。
朝の8時にはバスに乗り込みスタンバイしていたのに、結局人が集まって出発したのは15時前だった。その間に大雨が降りだしたりして、久々に雨男の威力を発揮。
モプティから60キロほどの距離なので、ほんの1時間弱で到着。乗り合わせたベルギー人の親子、スペイン人の女性三人組はそれぞれ既に「ツアー」に申し込んでいるらしく、バスを降りるなりガイドと共に消えていった。「ジャミラ!良い旅を!またどっかでね!」ウウィ〜。
バックパックを担ぎ宿へ向かおうとすると、図体のでかい男がやってきた。ガイドらしい。とりあえず宿に向かいたい。オベルジュカンサイはどこですか?「おう知ってるよ。こっち。」
宿に向かう間、やはりもれなくドゴン族の村ツアーについてあれこれ説明される。が、フランス語なのでほとんどわからないうえに、今はそれどころではない。股間が、厳密に言うと膀胱が今にも爆発しそうなのだ。チャラヘッチャラ、でない。笑顔ウルトラゼット、でもない。
到着するなりトイレに駆け込む。普段なら、通常営業なら水戸の肛門様がお怒りになって危機に陥る私だが、今回は珍しく膀胱様がご機嫌ななめでいらっしゃった。
一分以上も放尿し続けるなんて滅多にないので自分でも驚いた。
誰が私の膀胱事情を知りたかろうか。でも知らせたいこの思い。
ようやく落ち着くと早速ガイドが説明の続きをはじめた。未だにツアーに参加するかどうか定かでないので、とりあえず話だけ聞いてみる。一泊ツアーだとしたらいくらですか?「8000CFA」と紙に書いてみせるでかい男。え!8000!?安くないかい?きいていた相場は13000〜15000だったのに。
じゃあ、参加してみてもいいかな・・・。
と若干参加の意思をみせると、「あ間違えた。80000だった。」と訂正するでかい男。おうこら。ゼロ一個あるとないとじゃえらい違いじゃねえか。しかもたった一泊で80000てお前何代だただでさえこっちはフランス語が、そっちは英語が分からなくて会話になっていないっていうのによう。
丁重にお断りして腹ごしらえしに歩きだすと、「すみませーん。ジャポネー。」と別の男が追ってきた。英語が話せるその男の名はイブラヒム。「ドゴンの村には行かないの?是非お手伝いさせてください。」うーんまだ分からない。ちなみに一日ツアーだといくらですか?「食費、ガイド、タックス等ひっくるめて10000です。」お?今度こそ適正価格か?
それには交通費、宿代も入ってるのかい?「村で一泊するの?だったらキャンズミルです。」キャンズミル?っていくらよ。フィフティーンサウザンド?「ウウィ。テンサウザンドファイブサウザンド。」ということは、15000か!ならいいかも。
雨の中歩き、イブラヒムの家族が営む食堂でぶっかけ飯を食べる。ガイドの連中が連れていこうとするレストランは大概高めのところなのだが、ここはローカル向け、一皿250セファ(約50円)だったので少しイブラヒムの信用度が高まった。
で、お金の話だけど、15000以外には一銭たりとも払わなくていいんだよね?「ん?キャンズミルだよ。」だからフィフティーンでしょ?「テンサウザンドファイブサウザンド。」んだ。んだんだ。ワン、ファイブ、ゼロゼロゼロでしょ?「ん?違うよ!キャンズミルだから25000だよ!」
そりゃないぜとっつぁん。だって友達は一泊15000で行ったって言ってたもん。「それは無理だよ!日帰りなら可能だけど!いい?僕はガソリンからタックスから宿代から全部アレンジしなきゃならないんだよ?ガソリン代往復で5000でしょ、村に支払うタックスが4000でしょ、それから宿代に、食費だって!」食費はそんなかからんだろう。「スパゲティがいくらするか知ってる?6000だよ!」
は!?一体全体どうやったらそんなあほみたいな値段がやってくるんだよ!食堂でたべたら300セファの品が!「それはここだからだよ!ドゴンの村は高いんだよ!」
それじゃあ無理だ。ボクは明日そのままドゴンへは行かずブルキナファソに向かうことにするよ。
交渉してはいるもののやはりそこまでどうしても行きたいというわけではないのだ。前述の通り。「分かったラストプライスいくら出せる?」だから、友達が15000で行ったって言ってるからそれ以上は絶対に出せませんよ。「それは無理だよ・・・。」
宿に帰りこのやりとりをしばらく続ける。いや、本当に、だめならだめでかまわない。そのまま国境へ向かおう。すると
「分かった。いいよその料金で。準備しなきゃいけないから半額先にくれる?」交渉が成立してしまった。どどうしよう。本当に参加するのか?おれ。あ、えーと、うん、ちょっと待ってね。コンピュータを立ち上げ高速に処理を行う。参加しちゃっていいのか否か。
あがいてみましょう。
今更やっぱいいやなんて言うと激しく肩を落とされそうだったし、未だにそこまでの興味は沸かないけれど、近々マリにやってくる友達のために情報収集がてら参加してみてもええんちゃう、一応相場価格ではあるし。
参加しちゃうことに。
それからイブラヒムの家にお呼ばれしてアフリカンティーをいただく。誰も彼も皆「本場のアフリカンティーいかが?」と呼びはするけれど、全て中国産のガンパウダーと言うお茶だし、時間をかけて淹れる割には、そこまで美味くない。なんて口が裂けても言えない。
昼に降り出した雨がまだ止まない。明日の、一大決心の「ツアー」も雨の中執り行われるのだろうか。充分にあり得る。なんせ沖縄に三回行って三回とも曇りもしくは雨もしくは大雨だった男だから。
それよりもどれよりも、「ツアー」自体を楽しむことができるだろうか。どうなるおれ。
ドゴンツアーどうなった
今朝まで降り続けていた小雨はどうにか上がっていた。日頃の行いが良かったおかげだきっと。ところで、8時に宿に迎えに来ると言ったガイドのイブラヒム。現在8時40分。ここは日本ではないので、時間に対する人々の意識や常識が違うのは分かっている。分かっているがやっぱり私は日本人。
イライライラっ
9時を前にようやく現れるも「おはよう、元気?」と、何を詫びることもないイブラヒム。ここはアフリカ。大きな心で。「よく眠れた?いやあ、ボク、よく眠りすぎちゃった。」あはは、だから今来たんだよねお前。と返すもやっぱりゴメンの一言は、ない。まあ、いい。
バイクの後ろに乗りバスのやってくる場所へ。そこで「コランて知ってる?ドゴンに行くなら欠かせない物なんだけど。」何それ?「これこれ。」ああ、これか。
空豆みたいな物体で、よくおっちゃん達が食べているヤツだ。渋くてボクには食えたもんじゃないが、何故これが必要なのだ?「ドゴンで写真撮る時に、村の人達にこれをあげると喜ばれるんだ。」そうか。ふうん。でいくらなの?「1キロ3000セファ。(約600円)」は!?
高いわ!しかも既にツアー代金として15000セファも支払っているのにこの期に及んでまだ何かにお金を払わなければいけないのか?ええ?「いやこれはオプションだから・・・。」お前は昨日、15000支払ったらそれ以上お金は払わなくていいって言ったろう!で何故ここで新たに3000も払う羽目になるんだ!ええ?
「だからこれは、もし写真撮るならあったほうがいいっていうだけで・・・」じゃあ要らない。買わない。「うんオッケー。じゃあ行こっか。」
ああ死ぬ程面倒臭い!だからツアーの類が嫌いなのだ。漫画だったら頭の上らへんにプンプンと煙が出ていそうな顔でバスを待っていると、「あとでボクが少しコラン買ってきて、あげるから、それでいい?それでハッピー?」あ?ああはい。うんハッピー。
バスを待つこと凡そ40分。そもそも定期的に便があるわけないので、通りがかった車を停めて方向が一緒なら乗せてもらうというツアーではありえない手段で向かう。
いつまでもプンプン煙を上げていたって仕方がないので、突き進む車の荷台で心地良い風に吹かれ、今までとは違う風景に少し心躍る。
ジキボンボやコリコリといったふざけた名前の村々を越え、目的地カニコンボレへ到着。ジキボンボはまさにドゴン「族」と思わせるような茅葺き屋根の家が建ち並び、人々は見るからに原始的な生活を営んでいた。
「カニコンボレは特に何もないから、ここから4キロ先のテリという村に向かって、そこで一泊するよ。」
大体の人はどこか基点となる宿に不要な荷物を置いて気軽にトレッキングを楽しむらしいのだが、僕は一泊しかしないうえにそのままドゴンの村のその先の町へ行くつもりだったので、やたら電子機器の詰め込まれた25キロの荷物を背負って歩く。
「大丈夫?それ持ってあげるよ。」パソコンを入れた小さな方のリュックを持ってもらう。アニバラ(ドゴンの言葉でありがとう。兄腹・・・)
「ちょっと休憩しよう。」なかなか気が利くようになってきたじゃないか、と思いきやただ単に自分がウーンコーをしたかっただけのようだ。茂みに消えていったところを見ると。
30分程歩き、テリの村にたどり着く。村の後ろにそびえる断崖の隙間に滝がある。ネイチャー。。デヴィ夫人のように滝修行をしたい衝動にかられるがぐっとこらえ、イブラヒムについてゆく。どことなく、スリランカのシギリヤという巨大な岩山のあるところに似ているこの村。宿に到着。ドゴン族、といえど、村、といえどここは見事な観光地。宿というものはきちんと存在しているのだ。いいのか悪いのか。
激しい空腹に見舞われていたので、そこで可及的速やかにスパゲッティという、ドゴンの村らしからぬ料理を用意してもらい、たいらげる。
「他のみんなはイブラヒム、15000でツアーやってあげるなんて馬鹿げてるよ、って言うけどボクはツーリストの人達の手助けをしたいんだ。だからこんな安い値段でもやってあげてるんだ。でも・・・今晩の宿と食事代でほとんどお金使っちゃって無いんだ。もしジャミが明日の帰りのバス代1000セファを出してくれたらありがたいんだけどな・・・。」
ふざけるなお前。15000もあれば宿代も食事代も交通費もまかなえてさらに自分の手元に充分すぎるほどの利益が残るはずだろう。それなのに恩着せがましくさらに1000も請求してくるとは何事だ。改めてお前が15000で全部込みって言ったんだろう?と言って断る。
「少し休んだら村を歩いて、あの崖に建ってる古い建物を見に行こう。」と言って椅子にもたれ目を閉じるイブラヒムちゃん。
もしこれでばっくり寝られてしまったらきっと一時間は目を覚まさないだろう。そして益々ボクは機嫌を悪くしてしまうだろう。なので、自分は今からでも行けるから、休憩はいらないよ。と言いイブラヒムを働かせる。
泥仕立ての村、ジェンネやモプティにあるのと同じような、それよりもこじんまりとした泥のモスクを見て歩き、今は使われていない崖に沿っていくつも建っている小さな泥の建物をみにゆく。
「ここは今は山羊や鶏を殺す時にだけ使われているんだ。」一応ガイドらしいことも始めるイブラヒム。こちらでは、生き物を食べるために殺すときは、その役目の人以外は見られないようにするそうなのだ。
簡易トイレ程の大きさの小さな建物の間を歩き、登り、眺めのいいポイントで写真撮影。「じゃ、降りよう。」
ガイドツアー終了
ん?おしまい?あはっあははっ。宿に帰り、友達とおしゃべりを始めるイブラヒム。放置されたボクは一人村のまわりを歩く。
「ムシェー!ムシェー!」土産物を売りに子供達が集まってきた。「これ買ってー!500セファ!」うーんありがとういらないよー。と笑顔で断りつつカメラを向ける。撮られた写真をみて顔をほころばせる子供達。やはり子供は愛らしい。
「ムシェー!写真代100ちょうだい!」
スレてやがった。やはり観光地。愛らしく、ない。しつこくついてくる子供達に加わり15歳ぐらいの大きな女の子までやってきて、「マネー!ムシェー!マネー!」と請求してきた。それでも笑顔で流しながら先々歩く。
「ムシェー!!!!!」ケチな観光客にしびれをきらした子供達は一斉に走って追いかけてきたのでした。あら面倒くさい。
逃げると余計に追われるのが世の常なので、立ち止まり、振り返って、追いかけ返す。ウワアアアアアアというおどろおどろしい声と共に。するとビックリした彼ら、一世に逃げる。なんだか嬉しそうだ。
二、三回それを繰り返すとようやくついてこなくなり、一人でのんびりと歩けるようになった。疲れるまで歩いたら、いつの間にか隣村に到着してしまったので引き返す。
そこで丁度テリの村に向かっているハウイという名前の女の子に出会う。頭にカゴをのせ、中には大量の作物が詰め込まれている。前々から気になっていたのだ。アフリカの女性はいとも簡単そうに頭に荷物をのせ、なんなら時々手ぶらで悠々と歩いているが、どんな具合なのかと。
ちょっとそれやらしておくんなせ?とお願いすると「ウイ〜」と言ってボクの頭に載せてくれた。
がぐん。
く、首が!!!変な方向に曲がりそうになった。重い!こんなにも重い思いだったのか!?重いうえにバランスもとれない。1メートル歩いただけでふらふらしてどうしようもないボクを見かねて、「貸してごらん」とそれを自分の頭に戻し、やはり悠々と歩くハウイ。
尊敬しますアフリカの女性達。頭に荷物、背中に赤子を積んで歩く母の強さを思い知った。重い叱咤。
宿に帰り、シャワーを浴びていると外から聞き覚えのある声が。
モプティからのバスで一緒だったスペイン三人組が来ていた。陽が沈み、夕飯をたいらげ、しばらくおしゃべりをし、突如携帯から流れる音楽に合わせて踊りだしたドゴンの男と共に踊ってみたりしつつ、21時には屋上に敷いたマットレスに寝転び、就寝。
電気はないが満月のおかげで随分明るい夜。果たしてガイドが必要だったのかどうかは謎、疑問だが、思っていたよりも楽しめたドゴンの村。観光地なのでスレた人々がいるのは仕方がないが、雰囲気自体は素敵でございました。
コロコロ次の町へ
風が強く朝方6時、肌寒さを覚えて起床。荷作りをすませ、朝食にコーヒーと揚げパンをいただき、いよいよドゴン一泊ツアー終了。カニコンボレまでまた歩いて戻り、そこでイブラヒムはバンジャガラの町へ帰り、ボクはこの先のバンカスという町へ向かう。
「ジャミ、もし友達がドゴン来ることがあったら、ボクの番号教えて、紹介してね!」うん多分ね、うんありがとう、と曖昧に返事をし、別れる。そこまで悪くもないが、良くもないガイドだった。
タイミング良く通りかかったイブラヒムの友達のバイクに乗せてもらいバンカスへ到着し、そこですぐさまそのまた先のコロという町へ向かうバスを待つ。
「コロまで3500セファね。」とそこで働いているらしい男に言われるが、コロまでは1500だと聞いていたので、んなわきゃないだろ1500だ。と言い返す。すると「セネガリーズ。セネガリーズトランスポルトなんたらかんたら」と良く分からないことを言ってきた。も、もしやお前、セネガル人か!?そうなのか!?
それなら3500と言ってきたのも素直にうなずける。セネガル人なら・・・。荷物代込みで2000じゃないと払わない!と言うと「オウケイ2000だな。」と納得した。そもそも荷物代ってなんだいまさらだが。
待つ。待つ。待つこと3時間。「バイクで連れてってやろうか?」と色んな男に話しかけられる。いくら?「10000だ。」あほか!たった20キロ程度の距離でどうしたら10000も払えるか!?
四駆に乗った、ツアーガイドらしき男にも「コロまで5000でどうだ」と言われるが2000以上は払えない、と断固拒否して待つ。最終的に「2500だ。」と言われ少し決意が揺らいだが、やはり2000以上は払いたくなかったので断る。
これが後々仇に。
結局5時間近く待ち、さらに「バス来なくてタクシーだから3000!」と3000を払う羽目になっちゃったのだ。一緒に待っていたブルキナ人も同じ金額を支払っていたので諦めて払っちゃったのだ。
整備されていない道を砂埃にまみれながら走る車に揺られていてふと気づいた。たった今見えた看板に「KORO 50km」と書かれてあったのを。そ、そんなに遠かったの?実は?
何をどう勘違いして20キロだと思い込んでいたのかしらないが、それだったら2500払ってでも先の四駆に乗り込んでいればよかったじゃないか。500も多く支払い2時間も余計に待った愚か者。
16時過ぎにコロに到着。砂埃のせいで目と鼻が痛い。服も髪の毛も荷物も砂まみれだ。できれば今日中にマリを出国したい。そう、ここコロの町はマリとブルキナファソの国境の町なのだ。えへん。
が、残念ながらブルキナファソへ向かうバスは15時が最後だったらしく、今日はコロで一泊。
四駆に乗っていれば・・・後悔はいつだって先に立たないし後を絶たない。
客引きに連れていかれた宿の敷地内でキャンプ。外で寝るほうが快適で安いことが判明してからというものの、やたらキャンピングなわたし。
あみん以上に待ってるわ
日の出と共に目を覚ます。キャンプをすると必然的に生活リズムが太陽に伴うようになるのだ。健康的で経済的。てきてき。
昨夜買ってかえったサツマイモのフライドポテトを朝食代わりにし、荷物をまとめてバス停へ。ブルキナファソのウワイグヤという町までのチケットを購入し、待つ。
ミニバスなので乗り合いタクシーの倍近く人を乗せることができるため、同じく倍近く人が集まるまで待たなければならない。
バスに乗り込み寝転がって電子辞書でことわざ辞典を開いてみたり、不貞寝してみたり、オムレツサンドを食べに出かけたりするが、一向に出発する気配をみせないバス。
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアウアウアーーーーー
基本的に何かや、誰かを待つという行為が嫌いなボクに、一人静かにバスの出発を待つというのは酷だ。ほとんどの人がそうだろうけれど。そしてそれが連日のように続いているというのも相まって、益々辛い。
13時。ようやく、よーーーうやく人が集まったらしく、出発した。今日も5時間待った待たされた。
そして出発して10メートルで停車した。給油。
こいつらは、事前に給油しておくとスムーズである、ということを知らないらしい。ほぼ例外なくどのバスも、人を載せ、出発してからガソリンスタンドへ向かうのだ。あほか。あほだ。
コロをでてすぐの所に国境のイミグレーションはあった。そこでさっぱりあっさりと出国のスタンプを押され、ついにブルキナファソへ。
ちなみに、ブルキナファソのビザは未だ持っていない。モプティでそこらへんにいたマリ人に聞くと「国境でもらえるぞ」と言っていたので、多分大丈夫だろう。
大丈夫なのだろうか・・・
一旦ブルキナファソ日記へ
ブルキナファソを読み終えたら以下ご覧ください。
野宿が快適かもしれないとは言ったけれど望んではないんだよ
入国サイドのイミグレーションに到着すると、バスの集金係が全員のパスポート及びIDカードを集めて、まとめてスタンプをもらいにいってくれた。「1000セファ。」と言われたがボクは既に大枚はたいてビザを取得していたので自分でイミグレーションへと向かう。
もしかすると、ビザがなくても他の人達と同じように1000セファを支払えば通過できたかもしれない。だとしたら・・・20000セファも支払ったことが悔やまれてならない。ので、非アフリカ人はビザ必須である、ということにしておこう。
道中物売りから買ったカシューナッツをボリボリかじっていると、停車した窓の外から赤子が「トゥバーブー(白いひとー)」といつものように呼んできた。それをみてその赤子のおじいちゃんが「ほれ、トゥバーブに抱っこしてもらいな」とボクのほうに連れてきた途端、「ウギャーーーーー!!!」と恐怖に顔を歪め赤子は泣き出した。
さっきまで余裕しゃくしゃくでトゥバーブと連呼していた割にはいざ近づくと号泣。それがおかしくて、まわりの皆は爆笑。一人笑い事でない赤子が気の毒だが、笑顔で迎え入れようとしたのに号泣されたトゥバーブのちょっと悲しい立場も理解してほしい。
19時前にスィカッソというマリ最初の町へ到着、と思いきや、乗客全員降りはじめたではないか。あ、ははーんなるほど、乗り換えだな、ここで。
バマコ行きのバスはどれだい?と尋ねる。「こっちこっち。」ふむふむそっちか。あオフィスでチケットを書き換えるんだなふむふむ。「じゃあ荷物はここで預かってやるから、待ってな。」オウケイところでバスは何時発なんだい?「明日の朝7時だよ。」
12時間後だよ
ドリフだって8時には全員集合するのに、翌朝の7時ってそりゃないぜ。おまけにただいま絶賛停電中で何も見えない。
つべこべあべこべ言っても仕方がないので、いつものように寝袋を広げ、不貞寝。
いきなり日本からやってくるとこの景色はどう映るのだろう
起きると朝だった。7時発のバスは結局8時半に出発したけれど、一時間少々ならまだ許容範囲ということにしておこう。
何度も何度も停車しては客を乗せては降ろし、まるで市内バス感覚だったため若干イライラしたが、15時半には見覚えのある町へ到着した。バマコちゃん。
知っている町へやってくるのはやはり気分が楽だ。路頭に迷わなくて済む。
携帯を失くしてしまってから連絡ができなかったバマコの友達ババやフファーナに連絡をし、宿へチェックイン。
陽が暮れるのを見計らったかのようなタイミングでここバマコでも停電。ババの店でああでもないこうでもないとおしゃべりをして、いざ友達を迎えに空港へ。
タクシーで向かおうとしていたら、ババがわざわざバイクで乗せていってくれた。ジャミポッドを聴きながら夜の街を疾走するマリ人と日本人。少し冷たい夜風が気持ちEE JUMP。
到着すると、仕事帰りに先乗りしていたフファーナと合流。共に待つ。
予定時刻を少し遅れた21時過ぎ、エールフランスの航空機が着陸し、ついに友達がやってきた。お久しぶりでい。
さあ宿へ向かおう、とタクシーに乗り込み、たいのだが、どれもこれも7000だのという法外な金額を提示してくるので、歩いてみる。
が、空港の周りには特に何もないので、流しのタクシーなんて見当たらない。どうしましょう。と思いつつもおしゃべりしながら歩く。
ふと、友達が会話の途中で興奮したのか手をあげると、それをヒッチハイクの類だと嬉しい勘違いをしてくれた車が停まり、近くの町のタクシー乗り場まで連れていってくれることになった。アクションのでかい友達でよかった。余計な出費なく宿へ到着。
しかしどう見えるのだろう、ボクのようにモロッコから徐々にアフリカを攻めてきたのではなく、一気に日本からアフリカにやってきた人に、一体マリはどう見えるのだろう。きっと全てが新鮮に違いない。
もはや何をみても心動かない人間になってしまった今、その感覚がうらやましい。
コンサートに大統領来訪
翌日は早速バマコの町を案内。アフリカの飯を屋台で食べる。袋入りのジュースを飲む。衛生的に大丈夫なのか、とか、マラリアは大丈夫なのか、とか心配して落ち着かない様子だが、それさえも今のボクにはうらやましい。
ゴミゴミしたグランマルシェという大きな市場を歩くと、それだけで疲れてしまった。「どっかにさ、スタバみたいな、カフェ的なものない?」
ある、わけがない・・・カフェ的なものならブルキナファソにあったけれど、バマコにはそこかしこにふらっと立ち寄って一息つけるような場所は、ない。
「じゃあマリの人達はどこで休んでんの?」うーん。そんなこと考えもしなかったが、きっと各々の家や店の前であの、微妙な味のアフリカンティーを淹れて飲んでいるのだろう、それがマリの休息方法なのだろう。
17時、宿で知り合ったドイツ人のダニエル、メキシコ人のエンドリケに誘われ、皆でコンサートへと赴く。「Bassekou Kouyateっていうマリのアーティストで、ヨーロッパにツアーに出るほど超有名なんだよ。」そそうなのか、全くもって知らないけれどそれは見ものだ。
映画館をそのままコンサートホール代わりに使った場所へ入る。が、一体いくらするのだろうそんな超有名アーティストのチケット。「タダやで。」一気に足取りが軽くなりさっさと中へ。
前から二番目の席に着き、待つ。準備に忙しい人々がステージを行きかう。
するとなんだかざわついた状態のまま突然コンサートが始まった。誰がスタッフで誰がアーティストなのか全くわからないままに。
フランスパンに弦をつけたような、ウクレレサイズの楽器を持った男が4人、コーラス隊の女性が3人、ボウルのような半円形の木製楽器を机の上に置いたドラム的ポジションの男性が1人、お手頃サイズの丸い玉にジャラジャラと音のなる網をかぶせワサワサと手の上で転がすパーカッション的ポジションの男性が1人。
ボクの乏しい表現力で文字にするとまるで滑稽な様子になるが、これがとても格好いいのだ本当は。あちこちでフラッシュがたかれ始めたのでボク達も便乗して撮影する。
真ん中でフランスパンギターを弾きながら歌っている人がどうやらBassekou Kouyateらしい。メインコーラスの女性の太くて伸びる声は、頼もしささえ覚える安定感。あとのコーラス女性二人もメインを殺さないように抑えた声で良い。時折皆で振りを合わせて踊るのが楽しい。
特筆すべきはパーカッション担当の男。何がそんなに嬉しいのか終始スマイリーで、ぴょんぴょん飛び跳ねたりして素敵だ。何が嬉しいって音を奏でるのが嬉しいのだろう。それとも他に何か良い事が・・・金のキョロちゃんでも当たったのかそうなのか!?
それに対して終始控えめなのがフランスパンサブギター担当の、左端の男。観月ありさがみたらその場でトゥーシャイシャイボーイを歌われちゃうよ・・・。もっと自分に自信を持って!
勝手にそれぞれのキャラ設定をしながら、美しいマリサウンドに耳を傾ける。一曲終わるごとに司会者が現れて何事か喋るのだが、もちろん理解不能。誰かを紹介しているらしい。
と、皆が一斉に後ろを振り向き始めたのでつられて向いてみる。え?なになにどうしたの?「プレジデントだよ!」とフファーナ。え?
普通に客席に座ってらっしゃいましたマリの大統領。
セキュリティも何もあったもんじゃないね!などと驚きつつも折角なので撮影。何やらインタビューが敢行されると、テレビ局らしいカメラや取材陣が大統領にがぶり寄り。
それからまた何曲か演奏されていると、突然停電。それに伴いコンサートも突然お開きになった。
残念がる人も特におらず、さっさと撤収。なんだかやけにフェードインフェードアウトなコンサートだったが、素晴らしかった。タダだし。
手っ取りばやく動画でその素晴らしさどうぞってどう。
極東人、マリの公共電波に乗る
翌日フファーナと会うなり開口一番「ジャミ達テレビ映っとったで!」
一体何故我々がマリのテレビに?国際テロリストとして手配されたのかついに?そんなハイテク犯罪やった覚えはないのだけれど・・・あ。
昨夜のコンサートだ。そういえば、大統領以外にも、あのカメラ、確かがぶり寄ってきてたよな・・・我々に向かって。
かなりふざけた小汚い格好でいた上に、途中眠たくなって白目むきそうになったりしていたのだけど・・・そういうのも全部乗っちゃったわけですか?電波に・・・
おらやっちまっただ
乗ってしまったものは仕方がないが、一体どの部分が乗っちまったのだろう。誰かがYoutubeにアップしていてくれると助かるのだが。見つけたらご一報下さい。
アジア代表として大統領と同じ場に居たのが僕達だったなんて、アジアの方々には口が裂けても言えない。あもう言っちゃってる。
四の五の言ったところでどうにもならないので、つい先日みつけたベトナム料理屋へ皆で足を運んでみる。
ここマリには、どういうわけかベトナム人が多いのだ。中国人は世界中どこを歩いても絶対にいるので驚きもしないが、ベトナム人となると話は別だ。出稼ぎするにはあまり適した国とは思えないし、マリとベトナム間の国交がどういった具合なのかも知らないし。
まあいい。ここのところ西アフリカ料理に飽き飽きしていたので、ベトナム料理が食べられるなら彼らの事情なんてどうだっていい。
ネムを注文。いわゆるベトナム春巻だ。イコール生春巻だ。んが、出てきたのはなんと揚げ春巻!
それってただの春巻じゃん?と言いたいところではあったが、ひき肉たっぷりで揚げたてだったので、文句を言わずにぺろりとたいらげる。ああ美味い。アジア飯よあなたは偉い。
そんなふうにバマコの町をあちこち散策して一日を過ごし、運良く紹介してもらったより快適な別の宿に移動する。
宿というより、人ん家だ。今まで泊まっていたミッションカトリックという宿の向かいにあるカフェのオーナー、モハメッドのお家だ。
町から少し離れてはいるが、一泊3000セファとお安い上に、キッチンも使え、さらに、サル、イヌ、ニワトリ、ハト、ヤギが同居しているのだ。ボクが桃太郎なら今すぐにでも鬼退治に向かえそうなコンディションだが、生憎桃から生まれてもいないしきびだんごも持ち合わせていなかったので、普通に過ごす。
不親切だったろうか。心配だけど下痢で動けないんです
うん十万という大金をはたいてはるばる日本からやってきた友達だが、12日間しかマリには居られないので、いつまでもバマコに居るのは勿体ない、と次なる町ジェンネへ向かう。
できれば一緒に行ってあげたいのでが、ご存知の通り既にジェンネもモプティもドゴンも訪問済みな私。交通費も安くないし、おまけに昨夜からのお通じの良さ・・・「てか超下痢なんだけど」ギャルならこう言う。
不安気にバスに乗り込む友達に、ありったけの情報を提供し、大丈夫だよきっとと根拠のないエールを送る。無理もないだろう初めてのアフリカにやってきてまだ数日、しかも女の子一人なのだ。
やはり一緒に行ってあげるべきだったろうか。でも今日いまこの状態で行ったなら、少なくとも15回はバスを止める羽目になっていただろう。トイレの為に・・・
友達を見送ると速やかに家に帰り、大人しく過ごす。サルと遊ぶ。サルと写真を撮る。サルに噛まれる。サルにウンコを付けられる。イヌが嫉妬する。イヌをなでる。サルが飛びかかる。サルにパパイヤの種を与える。サルがたじろぐ。パパイヤの種に?
サル、サル、サル・・・・私はいつバマコをさる・・・発つのでしょう。これまたしばし休憩。
こういうのを沈没と呼ぶんですか
友達を放り投げて数日。一切の音沙汰がなく心配の度合いが増してゆく。もしかしてとんでもない事態に巻き込まれて・・・「邦人女性行方不明」なんてニュースが流れる羽目になったり・・・
日本でボクのことを心配している人達の気持ちがようやく分かった気がした秋の午後。
後でフファーナにその事を話すと、「ああ、ボクの携帯に電話があって、いまはドイツ人のダニエルと一緒だから大丈夫だよ!」と教えてくれた。は!生きてた・・・良かった・・・生きてただなんて縁起でもないけれど、無事が確認できて心底ほっとした。
無事が確認できたのはいいけれど、やっぱりこのまま放り投げっぱなしでバマコを去るのも心配だったので、友達が帰ってくるまでバマコに滞在することにした。
気がつくと2週間近くたっていました。その間どういった活動に励んでいたかというと主にインターネット。自炊。それから体調を崩す。この三つです。三本立てです。
これは俗に言うあれですか。フォーリンダウン沈没ですか。目的もなくただただ一箇所に留まりだらだらと過ごす行為通称沈没ですか。
いえ、そんなはずはない!沈没という言葉があまり好きでないボクはそれを沈没とは呼ばない。友達の安否を気遣いながら、次なる目的地への移動へ向けて体調を万全にすべく少しの間留まっていただけだ。断じて沈没では・・・没。
沈没だねこりゃ。
遂に発つ!バマコを発つ!
マリ観光を文字通り必死の思いで終えた友達が帰ってきた。どどうしたのその顔!目のしたにはドス黒いクマ、そしてやつれてこけてしまった頬。「疲れました。」言わなくても分かるよ分かっちゃうよ今なら!と先に言いたくなるほど疲れきった表情。
きくと、バスは遅れに遅れ深夜1時に到着するわ訳のわからない路上でおろされるわで一泊目から野宿をせざるを得ない状況に追い込まれ、その後もやたらバスに運のない移動を続け、モプティで素敵な家族との出会いを果たしつつもやっぱり帰りのバスも故障に伴い路上でおろされ、ヒッチハイクをしなければならず、したらしたでフランス人の乗った車に人種差別を受けたり・・・
挙句の果て気を取り直して最終日にバマコでお土産を買いに行ったら市場で見事にカメラをスられて・・・ぼろ雑巾よりもぼろぼろになって日本へと帰っていった彼女。
マリ、楽しめたかな・・・?これだけ散々な目に遭うのも滅多にないチャンスだから、ピンチではなくきっとチャンスだから、これはこれでOK!なのかな・・・。ボクがもっとしっかり注意を払ってあげるべきだったと反省。
それにしても、バマコに来てからやたら体調を崩す。しかも決まってバナナを食べた日に。発熱、吐き気に関節痛ってこれもしやマラ・・・まさかね。マラ・・・イア?
マラ・・・リア?
もう随分予防薬なんて飲んでいないが、きっと大丈夫。広瀬香美だって愛があれば大丈夫って言ってたもんね。症状自体は1日もたてば治まるので気にしないことにする。
遂にバマコを発つべく次なる目的地コートジボワールのアビジャン行きのバスチケットを購入。合計3週間近くも予期せず滞在してしまったバマコよ、いざさらば。
待つのって辛いんだよね・・・
あたし待つわ、いつまでも待つわなんてあみんは言っていたけれど、それにも限度ってものがあるんだよ。
朝8時と言われバス会社に早起きして向かい、待つこと6時間。ようやく出発したバスは彼ら曰く「アビジャン直行。乗り換えなしだよ。」
そんなことを真に受けて少し期待していたボクもボクだが、これはちょっときついんじゃないかな・・・。
8時間かけてスィカッソという、以前バス停で一泊したことのある町に到着し、それからさらに3時間かけて国境の町ポゴに到着したのが深夜1時。
まあ、国境が開く朝までここで過ごすのはいいだろう。と甘くみていたのが運の尽き。
スタッフにアビジャン行きの新しいチケットをもらうときに彼は首をかしげた。「うーんアビジャン!今晩か、それかシーユートゥモローだなあ。」
シーユートゥモローってどういう意味?え!もしかしてバス、夜もしくは明日にならないと出発しないということなのかそうなのか!?
そうなのか・・・あと何時間待てばいいのだろう・・・。ここはアフリカだから・・・。
五分でも電車が遅れるとブーブー文句を言う日本人や日本の社会が、とてつもなく素敵な気がした秋の空・・・。
あきらめて、待合い所のゴザに寝転び本を読む。パトリシア・コーンウェルという人の書いた検屍官シリーズの第10弾「警告」。腐乱死体に隠された秘密と猟奇殺人犯の正体も気になるが、文中に出てくる「マリーノはピザを、私は殻付きの牡蠣をルームサービスにとった。」「タリーと私はローストチキンとサラダを注文し、マリーノはスペアリブのバーベキューを選んだ」といった美味そうな食事の描写のほうが気になって仕方がない。
ああ、そんなもの食べてみたい今この瞬間。
今朝からオムレツサンドしか食べていない。昼もオムレツサンドだった。オムレツサンドか、オムレツ、もしくはフランスパンのみという選択肢しかないのだ。それって結局オムレツサンド。
30時間待ちの挙句の苦。
そういえばね、昨日はね、旅を始めて1000日目という節目的な日だったんだ。そんな日にふさわしくまるっきりオムレツサンドな時を過ごしたが、遂に時はきた。「バス出るってよ!」
同じく丸一日待ち続けていたオバチャンやマリ人の青年アバカ達と、まるで福引にでも当たったかのように小躍りして喜び、バスに乗り込む。
思えば長い待ち時間だった。人生のうちの30時間を無駄にバス停で過ごすのもたまにはいいだろう。が二度と御免だ。さあいざ進めバスよ!
ぶるん、ぶる、ぶ、ぶる・・・ぶん。
なーんーでーおーまーえーたーちーはー客を乗せる前にメンテナンスしとかないんだ!!!時間なら腐るほどあっただろう!
積荷を全て載せてから「バス調子悪いから隣のに替えます」って一体どういう心積もりなんですか!それでも全く怒らないアフリカ人の皆を見習い、ぐっとこらえ隣のバスへ。
今度こそ出発!ぶるん、ぶる、ぶるん、ぷしゅー
なーんーでーおーまーえーたーちーはー客を乗せる前に給油しとかないんだよ!!!時間なら死体が腐って検屍官が「これはかなり時間がたってるわね。」って鼻をつまみながら言うほどあっただろう!!!
非合理的すぎるにも程がある。日本ならこんな会社二分で倒産だぞ。
だめだめ。ここはアフリカ。日本の常識モチコンジャイケマセーン。
ようやくまともに走り始めたのはいいのだけれど、国境はどこだ?もう随分と走っているのに、イミグレーションらしき建物がいつまでたっても見当たらない。
もしや・・・まさか・・・ねえ?そんな。
あら?バスは二時間程走り、別の町にある同じ会社の支店に到着。およよ?
や、やっぱり・・・そうだったのか・・・確かに、思い当たるフシならあるんだ。
さっきから緑と白とオレンジの、コートジボワール国旗ばかりがちらついていたし、思い返してみると、あの夜、ポゴの町へ着く前に、「フロンティア(国境)だぞ」って深夜に起こされたような気がしないでもないし・・・でも眠たすぎて訳がわからず、すぐまたシートに沈んでいったんだ・・・
国境、スルーしちゃってる。
そそんなことがまかり通っていいのかい?バスで寝ている間に簡単に国境越えられちゃっていいのかいそれで?いいのかい・・・
しょうがない。越えちゃったものはしょうがない。今からスタンプをもらいに戻るなんて馬鹿馬鹿しいことはできないし、もう、いいだろう。どうにかなるだろう。
というわけで、急遽コートジボワール日記へ。
マリ(2009年10月16日〜11月3日、11日〜26日)