1212日間の旅を経て分かったこと、変わったこと

2007年3月5日、タイはバンコクからスタートして二ヶ月目でクレジットカードを不正使用されいきなり強制帰国をかましたり、オーストラリアで一年間ひたすら労働したり、パソコン購入とロックフェス参戦のために再び帰国したり、ドイツで身売りをしたり、旅とは少し違った日々もあったけれど、44ヶ国(チベットは中国、西サハラはモロッコとした場合)を旅して、ボクという人間が成長したのかどうかはさておき、振り返ってみて、分かったこと、変わったことが多々あったので、ここでそれらをとりとめもなく長々と書き連ねてみようと思う。

だってこれボクのホームページだからー

 一番大きな変化、これはやはり自分が同性愛者であるということを、こともあろうに言えてしまったこと。未だに、よくもまあ言えたもんだあんなに恐れて、死ぬまで隠し通すつもりだったのによう。と他人事のように思うことがある。

 根っからの貧乏根性のためにどんどん痩せていきながらも、一日一本と我慢して夕食時に飲むコーラの美味さ。あんなに美味いなんて知らなかったんだ。ちなみにペプシよりコカの方が若干シュワシュワが強く一歩リード。一日中町をあちこち歩き回って、疲れ果てて喉をカラッカラにしてから飲むのが美味さを引き立てる一番のコツである。これは日本でも違った意味で実践していたけれど(ファミレスに行くと決めた日は昼から断水。ドリンクバーのモトを取るため)。

 好き嫌いが割とはっきりしてきたこと。原色ハデハデな柄が好き、空の青と雲の白(チベットの空が自分の見てきた中で最も青かった)が好き、どでかく沈む夕陽はいつ見ても好き、セロリとブロッコリーとアボカドが三大野菜的に好き、押し付けがましい人が嫌い、見下したものの見方しかできない人が嫌い、中国政府の少数民族に対する弾圧が嫌い、アメリカの偽善的な正義感を振りかざした諸国に対する行為が嫌い。

 ガイドブックが必要ないこと。あるに越したことはないのだけれど、なくたって、あのほらボクは観光にあまり興味を持たない人間だから、世界地図を広げてえ〜何これこんなとこあったんや行ってみよー。と特に目標物を持たず移動をすることに興奮するのだ。その分苦労や損失も多々あったけれども。それを含めてもやはりガイドブックは必要ないと思ったのでありました。

 黒人に対する無意識の偏見、蔑視があったこと。それに気づけたこと。きっと日本にいる人達のほとんどが、アフリカや黒人ときくと、「怖い、エイズ、内戦、飢餓、野生動物、サバンナ・・・」こういった漠然としたイメージしか持っていないと思う。

アフリカという国があると思っている人もいるだろう(ネパールの友達サヌの長男サマンはアフリカ大陸を一つの国だと思っていて目玉がびよーんなりそうになった)。現にボクがそうだったのだ。が、実際に訪れてみると、確かにテレビで見知るようなネガティブな事柄も事実としてあるけれど、そんな混沌とした中でもみんな陽気に、べらぼうにパワフルに生きていて、学ぶべき点が多々あった。

バスは満員になるまで出発しないし、飯は不味い(美味いのもたまにある)し、体臭きついし、宿は汚いのに高いし、パンツはひったくられるし、マラリア多発地域だし、水道水飲んだらかつてないほど下痢したし、旅をするには過酷なことばかり。なのに、いざ離れてみると、また行きたくなっちゃっているのだ。

写真を撮って見せてあげると、今まで訪れたどこの国の子供達よりも嬉しそうにはしゃいで喜んでくれるし、バスの中でごく自然にお母さんが巨大なおっぱいをボローンとさらけ出して赤ちゃんにあげているし、それを誰も気にも留めないし、知り合いじゃないのにあっという間に友達みたいにベラベラおしゃべりするし、

日本人には絶対にできないような、血の問題だよこれは、と言いたくなるほど激しい踊りをさらっと汗だくになりながらやっちゃうし、それにあわせる楽器も滅茶苦茶なはずのに皆が揃うと音楽になっちゃうし、原色使いの柄物衣装は格好いいし、中国人ー!と声をかけてくるからちゃうわ日本人やー!と答えるとガハハと笑って手を振ってくれるし、枚挙に暇がございません。

 逆に白人に対する異常なまでの羨望、憧れがあったこと。気がつけば観る映画は西洋のものばかり、聴く音楽も西洋のものばかり。日本人は特に白人に対する憧れが強いのだと思った。みんな外人と結婚してハーフの子供が欲しいなんて言うが、誰もその外人を黒人だとは思っていないだろう。金髪に青い目の子供を想像しているだろう。

口には出さないけれど、これも無意識のうちに白人を上に見て、黒人を下に見ている部分が、きっとほとんどの日本人にあると思う。勿論ボクにも。蔑むというのとはまた違う、どこか「下」に見たような部分が。そして白人の友達と歩いているとなんとなく誇らしげな気分になっている部分が。今でこそアホらしい、恥ずかしいと言えるが、果たしてあとどれだけの人々がまだこういう無意識の意識を持っているのだろうか。

 そんなことを言いつつも、やっぱり西洋産の音楽を好きなこと。そればかり聴いていること。それはそれで、そんなもんだよ、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、と飲み込めたこと。でもハリウッド映画を見る目は明らかに変わりました。どこか冷めたような・・・。

 洗脳なんてされていないと思っていたけれど、実はきちんと操作されていたこと。例えば上記の白人に対する憧れや黒人に対する差別感だって、日本という国で生まれ育って、教育され、日本のテレビを見せられて情報を蓄積してきた結果だし、自国に都合の悪い事は中国のみならずどこだって編集して流すし、ほとんどの人達が何の疑いもなくそれらを受け入れているから、操作されていることにすら気づかない。これからはもっときちんと、いい意味で斜に構えた物事の捉え方が出来るような人間になってゆきたい。

 やっぱり旅をするなら発展途上国に断然惹かれること。先進国は、物質的な豊かさと引き換えにとても大切なものを沢山失ってきたのだと、アジアやアフリカを旅してひしひしと感じた。途上国にはそれらがまだまだある。

通りすがりの人同士でもすぐに打ち解けられて、ケンカをしてもその場で言いたいことを言い合って二分後にはお互いさっぱりしているような人間関係があって、もっと先進国よりも人と人との距離が近いのだ。コンピューターゲームなんてなくてもシャボン玉一つで子供達は大いにはしゃいでくれるし、それすら無くても自分達でおもちゃを作って遊ぶし(自転車等の壊れた車輪を棒を使ってコロコロ回しながらそこらへんを走りまわる遊びだけは何故だか万国共通だった)、今しがた知り合ったばかりの旅人を簡単に自宅へ招待してご飯を食べさせてくれるし、こちらも枚挙に暇がないが、何よりも、

自殺者の数が圧倒的に少ない。

みんな、途上国の人達は先進国のような、人工的に整備されて綺麗な環境に住むことに憧れて、ジャパンは、アメリカは、ヨーロッパはいいなあ〜と言うけれど、それって本当に幸せなのかな?だったら何故先進国にはこんなにも自殺者が多いの?何故途上国の人達は自殺しないの?たとい彼らの生活は辛くても苦しくても、家族や友達がいつも近い距離にいて幸せだからじゃないのかなあ。と思わずにいられない。

 偏見や先入観、世間一般の常識でものをみることほどろくでもないことはないと思ったこと。常に、これは本当にそうなのかな?と疑う余地を設けておいて、色んな人の色んな立場の話を色んな角度から見聞きして、ああそういう考え、そういう事なのか、と自分の中で納得いく答えや情報を手に入れようと努力しなければならないとつくづく思わされた。

例えば「ムスリム=テロリスト」。一部のイスラム原理主義者がテロリズムに走っているのは確かだけれど、その一部のムスリムのみがアメリカやイギリス等の強い影響力をもったメディアに情報として流され、あっという間に世界中の人々に「ムスリム?ああ恐ろしいテロリスト達だわね!」というとんでもない偏見が植えつけられているのだ。

んなアホな。中東、アフリカ、インド、色んなところでムスリムの人達と出会ったけれど、みんな旅人に親切にしてくれる(彼らの経典コーランに、自分より貧しい人や旅人に施しをするのはいいことだからどんどんやっちゃえと書かれているから)し、

宗教の話になると「神はアッラーだけだ!仏なんて偶像を拝んじゃだめだ!」というオッチャン達もいるけれど、若い世代には「仏教か、じゃボク達のブラザーだね。」と言ってくれる人も沢山いたし、イエメンなんて今まで旅してきた中で一番人が良かったと思えたほどだったし、ボクがあの国を訪れる直前、CNNチャンネルではしきりに首都サナアでのテロ行為の映像が流されていたが、いざサナアに行ってみるとテロのテの時も見当たらない平穏な空気だった。ムスリム=テロリストなわけがない。

そうやってメディアからの情報や今まで培ってきたあれこれを今一度疑って、見極めるのはきっとかなり大変で難しい作業になるのだろうけれど、ボク達は日本という比較的自由のきく国に生まれて、他の国の人たちよりかはずっと簡単にできる環境にあるはずだから、ボク達が本当のことを人々に知らせてあげなければならないんじゃないかな。と、義務感のようなものを持ちましたただの旅人ふぜいが。

 だから、もっと知りたいと思った知らないことを。ボクはあまり賢い人間ではないから、政治の事も経済の事も、歴史の事もちんぷんかんぷんだ。でも他の国の若者達はボクや他の日本人旅行者達よりもずっと、自分の国のことを知っているし、他国のことにも関心を持っている。そういった若者達をみて非常に恥ずかしくなった。「日本のあれこれは今どうなの?」と聞かれて、あまり詳しく知らないんだと答えるあの情けなさよ。

政治や経済等真面目なトピックだけでなくても、知らないことなら何でも知りたいと思う。常日頃からアンテナを張っておきたい。まだまだ怠け者だからこれもおおごとだろうけれど。

 世界広しと言えども、日常生活の中で国旗を掲げることにどこかためらいを覚えるのは日本以外にないのではないかと思ったこと。日の丸を掲げると何故ああも右翼的なイメージを抱いて、抱かれてしまうのだろう。自分の国が好きなのを、国旗を掲げることで表現するのはどの国でもごく自然な行為なはずなのに。同じように、愛国心という言葉にも何か右翼めいた印象を覚えてしまうのも変だ。

 中国の言い知れぬ巨大な力、アメリカの言わずもがな巨大な力は今後世界をますます変えていくだろうということ。12億という夥しい人口の力で成長を続けている中国。世界中どこを旅していても彼らの姿は目についた。乗り継ぎで寄ったアフリカはコンゴの小さな空港にすら、彼らは降り立っていたのだ。 どうみても観光ではない、商用らしき中国人が。

現地の人達と話し、中国人の話題がのぼると口をそろえて「中国人は嫌いだ」とみんな言っていた。強かで、現地の人達よりも上手にビジネスをやっていくのが気にくわないからだろうか?そこのところをもう少し聞いておくべきだったと反省。

逆にアメリカ人はヨーロピアンに比べて物凄く少なかった。他の旅行者達と、アメリカ人あんま見かけないねなんて話をすると、「彼らは外に興味がないんだよ。自分の国が世界で一番だと思っていて、大好きだから。あと色んな国に嫌われてるから旅しにくいってのもあるのかも」と言っていたりして妙に納得できた。

シカゴ在住のジンバブエ人青年と話す機会があったが、彼も「アメリカにいて外をみようとしない人達は本当にignorant(無知)だったよ。ジンバブエ(めちゃくちゃな政治を繰り広げるムガベ大統領で有名、ゼロが11個もついていたりする意味不明な通貨が崩壊したり大変な国)の話をしたりしてもまるで聞こうとしないからね。」

もちろんバックパッカーをしているアメリカ人にごく稀に出会うこともあって、彼らはそうやって自力で外にやってきているだけあって広い視野を持っているから話もしやすかったりするが、内にいる人達は果たしてどうなのだろう。一度この目でアメリカを見にいかなくてはならない。

 ボランティアというものに疑問を感じたこと。アフリカを旅していると数多くのボランティア団体をみかけ、ボランティア活動をしにやってきている欧米人や日本人、自分の国をよりよくしようと奮闘する地元のアフリカ人達にも出会った。それは素晴らしいことだと思う。何もやっていない、ただ旅をしているだけのボクよりずっと頑張っていると思う。

だけど、色んな人からそういったボランティア団体、NGO団体について話をきいてゆくと、何かちょっとおかしい点も浮上してきたのだ。

アフリカの小さな村に突然欧米人のボランティア団体がやってきて、「あなた達、なんて貧しいの!かわいそうに・・・私達が助けてあげます。」といってあれこれ支援を開始する。果たしてそこで暮らしていた村の人々は、自分達のことを貧しいと思っていたのだろうか?

彼らはずっとそういう素朴な暮らしをしていただけかもしれないのに、先進国の物差しで「彼らは貧しい」と決め付け支援をするものだから、「そうかオレ達は貧しかったのか。じゃあ支援してもらおう。」という気持ちになる。そうやって彼らの向上心を削いでしまってはいないだろうか。

助けを求めれば自己陶酔した欧米人達がすぐにやってきてくれる、と思ってしまわないだろうか。

それから、そういったボランティア団体の代表は、初めは純粋な志しがあったのかもしれないが、思いがけず大金が舞い込んできて、今は高級車に乗り、豪邸に住んでいたりするのかな。それってどうなんだろう。

結局はボランティア団体で働く人達も、お金がないとやっていけない、お金は欲しい。人間だから、現代世界に生きるにはお金は必要。だけどそれが屈折したせいか、ウガンダの大学生などは「卒業したらとりあえずNGOをたちあげる」人が数多くいるそうだ。儲かるから。

マリで出会ったギニア人の友達フファーナも、バラクオバマ財団というNGOの立ち上げに奮闘して、実際に政府から認可されマリとそれからギニアにもオフィスを持つ成果をみせているけど、話していて彼は「ジャミラ、これをどんどん大きくしていったらさ、ものっすごいお金が入ってくるんだよ!だから一緒に日本にもオフィス作ろうよ!」と言ったのだ。

若いのに実行力のあるのには感心だけれど、ビジネスマンとしては優秀なのだろうけれど、ボクはNGO団体にそういう考え方では参加できないよ。

以前はボクもスポンサーとしてある団体経由でウガンダの子供を支援していて、「偽善でもなんでも、やらないよりはやったほうがいいんじゃない?それでいいんじゃない?」と自分なりに飲み込んで、満足していたが、今はちょっと違う。貧しい人達を根本的なところから助けるには、もっと深く考えてから行動しなければならないような気がする。

 戦争は、時にビジネスチャンスだから、金儲けになるから起こることもあると知って思った素朴な疑問。アメリカの武器会社が色んな国に武器や兵器を売って、物凄い収益を上げてぐんぐん成長して莫大な額のお金を手にすると聞いたが、何故そうまでしてお金が欲しいのだろうか?結局人間なんて寝る時は二畳分ぐらいのスペースしか使わないし、食べられる量だってどんなに大食いの人でもそんなにいかない。

ブランド品や娯楽につぎ込んだとしても、武器を売って得たお金は有り余るものじゃないのかな。そんなもののためにイラクの人達が殺されたのかな(もちろんお金以外にも黒い理由はあるだろうけれど)。そんなもののために爆撃で腕をもがれ、生まれたばかりの我が子を焼かれ、頭をぐちゃぐちゃにされたのかな。

 よくも悪くも諦めが早くなったこと。カンボジアでクレジットカードを使用され70万円失い、中国でスピーカーを盗まれ、チベットでカメラを盗まれ、タンザニアで後ろから近づいてきた車にバッグをひったくられ、モンゴルでもまたカメラを盗まれ、世界各地で通常料金の何倍も払わされたりして、感覚が鈍くなったのか図太くなったのか、こういった類の嫌なことや苦しいことがあっても、それが物ならいいや、とすぐに諦めるようになった。その分、その場で取り戻す努力を怠ってもいるからどちらが良いとも言えないけれど。

 キミの宗教は何?と聞かれたら、一つの宗教を信仰してはいない、キリスト教もイスラム教もヒンドゥー教も尊敬しているけれど、60%ぐらいは仏教徒だと思う。と答えるようになったこと。日本人はよく「オレは、私は無宗教。」と言う。ボクも旅に出る前、出てしばらくは「ノーレリジョン。」と答えていた。

けれど、やっぱりボクは日本人で、日本という国で生まれ育ってきたから、色んな国で仏教寺院を訪れると、教会やモスク、ヒンドゥー寺院よりも随分落ち着くし、すっと自然に両手を合わせて祈ることができる。聞くと、ご飯の時の「頂きます」も仏教に基づいた習慣らしいじゃないか。

 外国語をもっと真剣に勉強したい、日本語もきちんと話せるようになりたいと思ったこと。旅をしていると、ふと「願いが一つ叶うなら何がいいか」などという空想をすることが時々あるのだが、毎回思い浮かぶのが、「世界中の言語を話せるようになりたい」なのだ。もし現地の言葉が話せたら、もっとずっと仲良くなれるし、突っ込んだ内容の話もできる。わおそれって最高。

が、そんな願いは祈ったところで誰もかなえてくれやしないので、勉強するのみ。英語はそれなりに話せるようにはなったが、やはり政治的な話や難しい単語を要する会話になると詰まってしまう。もっと伝えたいことを伝えられるようにならなければ。英語以外の言語も然り。あのうにょうにょした文字がカッコイイアラビア語にやけに惹かれるので、そちらも勉強したい。ちなみにクレイジーはアラビア語でマジヌンと言います(エジプトはマギヌン)。

それから、英語で話していたり、英文を読んでいたりして、日本語に訳すことの難しさを思い知った。英語では理解できているのに、いざそれを日本語にしようとするとなんだか翻訳サイトを使ったような意味不明かつカタい文章になってしまうのだ。これはきっとボクに英語力のみならず、日本語力も足りないからだ。

 もっと本を読みたくなったこと。日本語力を補うのも兼ねて、自分の知識を増やすのにはやはり本が最適だろう。有名な日本文学なんてほとんど読んだためしがないし、外国語の本も少しずつ読んでいかねば、と意気込んでみている。でも自己を啓発しちゃう類の本だけは、あれだけは苦手で読めない。これこそ偏見や先入観なのだろうけれど、まだ素直に読めるには時間が必要な気がする。

無理やりにまとめ

旅を始める前は、テレビやなんかで海外のニュースを見たって、ぁふーん、ぇそーう。とまるでピンときたためしがなく、興味をそそられるのはやたらセレブのゴシップだとか、そういった安っぽいニュースばかりだった。

それが、旅に出て、一つ一つ国を歩いて、その国の人々と言葉を交わし、友達が出来ていくと、少しずつその国で今何が起きているのかが気になるようになっていって、数珠つなぎでさらに色んなことに興味を覚えてきた。このボクが。三年前のひたすらおバカに生きていた自分からは想像もできないですこの現況。

前のように能天気にアヘアヘ暮らすのは、あれはあれで楽しかったけれど、もちろんそういうアヘアヘな要素を持ち続けていたいとも思うけど、それだけじゃ済まされなくなったなと、もっと深い生き方をしていきたいし、いかなければならないなと、1212日、一時帰国をしていた期間を除くと1045日という月日を経て、極東ニッポンを飛び出たボクは、そう思ったのです。

振り返って、思い返してみても、旅を始めた理由としていわゆる「自分探し」をしたいと思ったことはなかった。ただ行きたい、行ってみたいという好奇心と、それから少し「逃げ」があったように思う。それは言うまでもなく、同性愛者であるということに関して。

誰かと深く付き合うと、いつかちょっとしたことがきっかけで、このことがバレてしまうのではないかと恐れていた。けれど旅をしていれば人間関係は日本にいるよりずっと楽だし浅い。嫌なことや嫌な人があれば自分が他の場所に行けばいいだけなのだ。

そんな適当かつ少し曲がった理由だったけれど、結果的にこんなにも数々の気づきや変化が生じ、自分という人間を見つめなおすことができた。以前よりもずっと心は図太くでっかくなれた気がするし、えーとええと、いい加減まとめい。

はい、旅して良かった。

今回は一旦の終了と相成ったけれど、ふぉふぇへ。旅は、死ぬまで終わらないことに、なっちゃった。

Jamira


全旅行期間(2007年3月5日〜2010年7月1日)

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