鼻血と下痢に始まるモンゴル

13時半発のバスに乗り込み、いざ中国をはみ出しモンゴル側の国境へと向かう。乗り込んだ途端周りから聞こえてくるのが耳慣れないモンゴル語になったのでなんだか嬉しくなってしまった。

出発して5分としないうちに中国側のイミグレーションへ到着。何だこの無駄に大きな建物は。そしてその前にずどんと構える巨大な虹のアーチは。中国の虚栄心がもろに象徴されているように感じられる。

出国のスタンプを押してもらう時、係官の女性に「バスノナンバーワカリマスカ?」と日本語で尋ねられた。バスのナンバーなんて覚えていないけれど、日本語お上手ですね。と答えると「スコシダケハナセマス。」と。

「サヨウナラー。」バスのナンバーは特に大した問題でもなかったようで、あっさりと出国スタンプを押されひとまず中国をはみ出る。ここでも係官を評価するボタンがあったので「満足した」を押しておいた。全国的にこういうカスタマーサービスの向上を図っているのだろうか中国は。だとしたらちょっと見直しちゃうじゃないか。

再びバスに乗り、モンゴル側イミグレーションへ。列に並んでいると、「キミ日本人?」あ、はいそうですが。「日本行ったことあるよ!ほら、これビザ。」と話しかけてきたモンゴル人にパスポートを見せられた。

はっはーう日本のビザってこういうのなのか。三年余旅していて初めてお目にかかったが、なかなか地味でダサい、何ともないデザインだ。どうせなら相撲レスラーだとか歌舞伎だとか芸者だとか外国人の好きそうなものを小気味よくあしらってほしかった。

それはさておき入国。幸運にも今年2010年の4月より日本人旅行者に対して30日以内の滞在ならビザが不要になったので、こちらもあっさりポンとスタンプを押された。いよいよモンゴル。

銀行で30ドルを両替すると、41100トゥグルクという謎めいた通貨を手にした。

乗客全員が入国手続きを終えると、バスは三度走り出し、あっという間に目的地のザミンウド(Zamin Udd。バスを購入する際、おばちゃんはチャメウタと発音していたので僕の中でこの町はチャメウタになってしまったという余談。)に到着。

さて、どうしましょう。ここから先の情報が、清々しいほどに皆無。とりあえず世界地図の中国、モンゴルページを開いてみる。ここから首都ウランバートルまでの間にいくつか町が点在しているようだ。

ならバスターミナルからその中のどこかに向かってみよう。とりあえず目の前にある駅で電車情報をチェックしてから。

電車を待っている人々で駅のホームは賑やか、チケットカウンターにも沢山の人が並んでいる。インフォメーションの所で、ここから、ウランバートルに向かう途中の町に向かうバスとかは出てませんかね?と尋ねるも、英語が通じない。ノーバス?ココ、ノーバス?地図をみせながら尋ねる。「ノー。」

何に対してのノーか解せずにいると、「どうかしましたか?」英語を話せるモンゴル人男性が間に入ってきてくれたので説明すると、「バスは一つも出てないよ。電車しか交通手段はないんだ。でも今日の分はもう売り切れちゃったみたい。」え!

どうちまちょ?「もしかしすると、空きが出た分のチケットが買えるかもしれないから、とりあえずここに並んで待つしかないかもね。」そうですか・・・ともかくありがとう。

とりあえず並んではみたが、次から次に割り込んできてはチケットを入手していく人もいたりして、ますます解せない。そしてその人達は一様に何か引換券的なピンク色の紙を持っていたりするのだ。そ、その魔法の紙オレにもくれよ。

カウンターの姉ちゃんが以前働いていた会社の友達にそっくりだったのでうっかりニックネームで呼びかけてしまいそう、にはならなかったが、一時間以上待ち続けていると、ボクのパスポートを受け取って、チケットの発行めいた事をし始めてくれたではないか。

ヤタ、ヤッタヨー(初めてのチュウ風に)!!

奇跡的にチケットを買うことができたお値段10300トゥグルクっていくらだ約721円だ。が、姉ちゃんときたらおもむろにボクの前にチケットを買っていたモンゴル人のおっちゃんに何やら説明している。ふむふむ、なになに、全然分かんない。

「空いた席を、ここから途中までの分と、その途中からウランバートルまでの二つのチケットで用意したから、その途中の駅についたら席を移動しなくちゃならないんだって。だからキミは私達と一緒に行動しなさいって。」あなるほど。了解いたしました。よろしくどうぞ。

駅のホームへ移動して、六人所帯のその家族と一緒に電車を待つ。全員オレンジ色のキャップを被っているので離れていても迷子にならない安心オプション付き。

少しだけ英語の話せるジッチャンに、予めインターネットで検索しておいた簡単なモンゴル語会話を実践してみる。

サインバイノー(こんにちは)。「おーサインバイノー!」バヤッラー(ありがとう)「テンキューテンキュー!」ダッチグイ(大丈夫)「ダッチグイダッチグイ!」ヤマルウンテ?(いくら?)「ヤマルウンテねーなるほどなるほど!」ジョルロンハーナバイナ(トイレはどこですか?)「あっちだよ。」

最後の質問だけ普通に「あっちだよ」と答えられたため、あ、うん。と何ともいえない微妙なリアクションをしてしまった。もっと上手い返し方もあったろうに。

17時になると乗車を開始し、家族に連れられ自分のシートへ。二段ベッドになる可動式の椅子が設置されていてインドの電車とよく似ているが、こちらは二段ベッドを作っても下段の人が頭を屈めずに座っていられる点で優れていると言えよう。やるじゃんもんごりあ。しかも定刻17時35分ぴったしに出発。

窓際の小さなテーブルで日記を書いていると、向かいの女の子にガンガン見られる、所謂ガン見をされた。書いている言語が不思議なの?それともボクの顔が不気味なの?DOTCH?

出発して十分。バスが走っていない理由が歴然とした。辺り一面平原なんだもの。道ないんだもの。もしかすると線路から離れたところにあるのかもしれないが、無いと言い切ってしまったほうが気持ち良いくらい、平原なんだもの。

さらに・・・三十分ほど走ると、突如飛び込んできた、馬にまたがった少年。お前はスーホか?スーホの白い馬なのか?(詳しくは小学校の国語の教科書参照)

何から何まで思い描いていたモンゴルそのもので、驚きを通り越してむしろ驚かない。これこれえ〜といった感じである。すこしうたた寝をかまし、モンゴルにいるのにイスラム教に関する本を読んだりしていると、徐々に夕陽が沈みはじめた。

雲がかかっていてくっきり見えないのが残念だが、この時間帯の空の色の移りにけりな模様は、何回みても、何万回見ても美しい。

今回の、この三年余にも及ぶ長旅を終えたら、きっともうこんな旅はできないだろうと少し前までは思っていたけれど、三月の告白を期に状況も心境も一転、やはり旅はやめられねえよおとっつぁん。でもしばらくは日本で労働して、日本の生活も楽しまねばならねえよ、などと気がつくと物思いに耽っていた。はっまたしても黄昏てしまった!

いよいよ辺りが暗くなり、礼の途中の駅に到着すると、向かいにおデブちゃん一家がやってきた。そしておデブのイメージをもうこれでもかというほど体現すべく、席に到着するなり物売りから買った瓶詰めの惣菜をむさぼりはじめた。

惣菜をピクルスやジャムが入っていそうな大きさの空瓶に詰めて売るというのもモンゴル独特で面白かったのだが、それ以上にそのおデブちゃん一家の食いっぷりに圧倒されてしまった。

右手に箸、左手にジュースないし1.5リットルの水。おデブ界においては最も権威のあるポージングなのだろう。か。

途中の駅で席を移動しなければならないと言われていたのだが、出発し始めても誰も来る気配がなかったのでそのままそこに居座ることにした。「あれ?誰も来なかったの?私達の所は来たから移動したよ。」と一緒に乗ってきた家族。「怖がってどけって言えなかったのかもよ〜。」んなバカな〜。「あごヒゲ生やしてるし。」関係ないよね。

寝台ではなく普通座席だったのだが、先ほどの駅で随分人が降りて、スペースができたので、三人分占領してごろんしちゃおうかしら。現に向かいのおデブちゃん一家は食べ終わるなりすぐさまごろんしちゃってるし。食っちゃ寝の典型。

と思いきや、「ちょこん。」と後から乗ってきた女性がボクの座っていた席の端っこに座っちゃったので横になれず。おや?二段ベッドのさらに上の、荷物用の棚がガラ空きじゃないか。攻め時じゃないか?

荷物用なのでただの固い板だが、横になれるだけましだろう。よじ登ってさあ寝ようとすると、チケットもぎり係のオバチャンに「降りなさい。そこで寝ちゃだめなの。」と注意される。が、家族のオッチャンが「まーまーええやないの。」と諭してくれたのでそのまま寝転ぶ。うん、実に危険なポジション。

落下したなら打ち身、捻挫、脳震盪の三拍子を揃えるには充分すぎる高さなのに、そもそも荷物用の棚なので落ちないようにガードしてくれるものが何もない。寝返り命トリネ!

寝返りの危険性に神経をすり減らしながらも何とか寝に入っていると、モンゴルに入ってからやけに鼻が乾燥し、ムズムズしてほじってばかりいたせいか、鼻血がどぼどぼと流れだし、おまけに便意まで催して突然ボクの体がどんちゃん騒ぎ、博多どんたく状態に陥ってしまった。

丁度いい具合に眠気がやってきていたところだったので動くのがかなり面倒だったが、背に腹は変えられぬ、モンゴルでウンコ漏らしには変えられぬ、トイレへ。鼻血も止まらない。

男子トイレがいつまで待っても空かないので女子トイレへ駆け込み乗車。トイレットペーパーを鼻に突っ込みながら女子便所で下痢をする日本人男性inモンゴルってこれどうなのでしょう。変態と形容されても何の反論もできやしないじゃない。

早々にぼったくられちゃう愚かな私


しばらく腹痛は続いたものの、寝返りを打って落下することもなくどうにか荷物棚での一夜を乗り越えた。9時過ぎに家族に起こされると、どこまでも平原だったはずの車窓の風景が、町に変わっていた。「あと五分でウランバートルだからもう起きなさいな。」

サブっ!そうだ私は北上してしまったのだった。寒いの嫌いなのに何故北上したのなんて今更聞かないで。10時前、ついに目的地、だったのかどうかもよく分からないウランバートルに到着。「じゃあ気をつけて旅してね!ばいちゃ」あうんありがとう!オレンジキャップの一族は去っていった。

駅を出るなり「タクシー?ホテール?」客引きがずんずん攻めてきた。もちろんウランバートルの宿情報なんてものも持ち合わせていなかったので、とりあえず歩いてみるからタクシー要りませーん。と歩きだすも、「安い宿はこの辺にはないよ!」といったニュアンスのことをしきりに言われる。

そういえばさっきの家族も、ウランバートルの宿は大体安くて20ドルぐらいだなんて恐ろしい事を言っていたような・・・。「ユーピーゲストハウス!?フレンズゲストハウース!?タクシーメーター!タクシーメーター!OK!」OKちゃうわ。タクシーは一体いくらなんや?「タクシーメーター!タクシーメーター!」やからいくらや言いよんじゃ!「タクシーメーター!タクシーメーーーーターーー!」一点張りですやん・・・

と、通りすがりの英語が話せる女性がタクシードライバーの通訳をしてくれ、「ここのゲストハウス行きたいの?だったらタクシーで行ってもそんなにかからないと思うから、乗ってけばいいわよ。」と。ご親切にどうも。じゃあ、乗っていきますか。他に当てがあるわけでもないし。

タクシーに乗り込みメーターをチェック、1260と表示。初乗り料金がそれか。大体1ドル。ちょっと高いが、まあせいぜい5ドルぐらいのもんだろう。

「日本人?ジャパニーズかあ〜それはいいや。」とやたら気さくに話しかけるドライバーを軽くあしらいながら五分ほど走ったところで再びメーターをチェック。2160・・・ほほう2160・・・ん?・・・え??

22160!!!!!!???待てーーーーい!!ストップストップストップ!!!!「どぼちたの?」

どぼちたのやあらへんが!たった5、6分で22160はおかしいやろ!こんなくそ高いの乗ってられん!降りる!降りて歩くわ!!日本円でおよそ1550円。たった五分で。あほちゃう・・・。

だがしかし、何一つ情報を持っていなかったため、これがぼったくられているという確信が持てず、もしかしたらモンゴルのタクシーは高いのかもしれないなどと思いつつ、いずれにせよ値段をしっかり確認せず「タクシーメーター」に合意してしまった己がぬかったな・・・と渋々20000トゥグルクを支払い降りる。

いとも簡単に大金を得られてほっくほくなのが誰の目にも見えるほど、ドライバーは急に甲斐甲斐しく「宿はそこの通りを抜けて右にいけばあるよ!ありがとね!」と説明したりしていた。畜生め。

おかげで昨日両替した分の半額を失ってしまった。チャメウタ(ザミンウド)からの夜行列車のおよそ二倍の料金を、たった五分のタクシー走行に支払った私。我ながら情けない。いくら長旅をして経験を重ねたところで、こうやってちょっとでも油断をすると簡単にやられちゃうのだ。ばかたれ。

不意にチベットの最新情報を得られてときめく胸

もし場所さえ分かっていれば絶対に駅から歩けたような距離に、書かれた住所はあった。が、どう見てもゲストハウスではなく、公営住宅な建物。住所に間違いはない。

ともかく書かれた通りの部屋をノックしてみる。あのすみません、ここってフレンズゲストハウスですか?「はいそうですよ。どうぞー。」「ハーイ。」「ハロー。」

オランダ人カップル二組が泊まっていて、オーナーはモンゴル人の青年。やっぱりどう見てもゲストハウスではなく、マンションの一室に二段ベッドを三組置きました、というもの。

インテリアや内装がまるで欧風、ついこの間までいたドイツと同じようなので、ここがモンゴルであることがにわかには信じがたいほどだ。

ともかく四日間近く溜まった汚れを洗い落とすべくシャワーを浴び、「これフリーだからどうぞ。」とくれたパンと紅茶を朝食に頂きながら、オランダ人カップル達と喋る。こういう場合のお決まりの会話。どこから来て、どこへ行って、どのくらい旅をしているのかブラブラブラー。

するとなんと、彼らはつい二週間ほど前に、ネパールでツアーに参加してチベットに行ってきたというのだ。実はボクもチベットに今一度行こうとしてたんだけど、かくかくしかじかで泣く泣く諦めこっちに来たのですよ、と説明。

で、どうだった?「まずネパールから中国に入る時に全ての荷物をチェックされて、彼女が持ってたダライラマ法王の本は見事に没収されたよ。それだけじゃなくて、ロンリープラネットのカラー写真のページと、台湾のページまで破られちゃった。」何それロンリープラネットまで!?酷いな!「あれには最初のほうに簡単にその国や地域の歴史について書かれてたりするからね。」

ラサはやっぱり監視厳しかったのかな。「うん、100メートルおきに警官が4人ずつ見張ってたよ。」至るところにカメラも設置されてるらしいしね。チベット人と話すチャンスはあった?「タシデレーって挨拶するぐらいはできたけど、何だろう、なんか彼らは、嬉しそうにするんだけど返事をするのを恐れてるように感じたよ。見られてるからね。」そうなのか・・・改めて、気持ち悪い。胸糞悪い人民の公安。

ところで、ジョカンの近くにあるディコスっていうファーストフード店があったかどうか覚えてない?「あ、あったよ。あのジョカンを背にしたら左っかわにあるやつでしょ?」そうそれ!そこでチベット人の友達が働いてるんだ。でも2008年の暴動の時に壊されたとかって噂できいて、心配してたんだけど、そうか、ちゃんとまだあるんだ!よかった!「うん、壊されてる様子はなかったよ。建て直したのかな。」

それからいかにチベットが制圧され、中国政府が酷いことをしているかについて語りあう。例えば妊娠したチベット人女性が強制中絶させられている事や、チベットの雄大な自然が核実験場として利用されている事など・・・。

ここ数日、チベットに行かれなくなってから鬱積していた中国政府に対する嫌悪感を吐き出せたせいか、少し気が楽になった。それに少しだけれど現在のチベットの状況が知られて、それだけでもモンゴルのウランバートルくんだりまでやってきて、ぼったくられた挙句にこの宿までたどり着いた甲斐があったというものだ。

ぼったくられた事も忘れるほど呪術的なモンゴルのラマ教に魅入られる

腹が減ったので散策がてら外へ。見渡す限り、ロシア文字。モンゴルには、モンゴル独自の文字も存在するのだが、現在はほとんどがロシア文字を使用していて、どこか異空間にいるような気になる。ロシア文字なのに周りを歩くのはモンゴル人だらけ。という意味で。

とりあえずいつものように真っ直ぐ歩き続けるのだが、一向に安食堂のようなものが見当たらない。そして全くといっていいほど中国語も見かけない。二箇所ほど中華料理屋はあったものの、そこの看板もロシア文字のみ。モンゴルの、中国に対する反感の現れのように思えてならないのはボクだけだろうか。

それに対して韓国もしくは日本食レストランのよく見かけること。カラオケパブもそこかしこにある。ますます反中意識が感じられるようだ。個人的には今まで出会った中国人も中華料理も好きなんだけどね。政府がうんこちゃんだからね。それは世界中どこへ行ってもそうなのだろうけれど。

マンションばかりが建ち並び、時々見かけても外国人向けのイタリアンレストランやアイリッシュパブ、韓国ないし日本食レストランばかりで一向にモンゴルの安食堂が見つからない。

ひたすら真っ直ぐ歩き続けていると、右手に教会が見えたので何となく寄ってみる。国民のほとんどはラマ教だと聞いていたので意外だったが、キリスト教徒がいても別段不思議はない。何故なら、あの十字架を掲げた建物はケニアの少数民族しかいないような地帯にも存在していたから。

教会の横の通りを歩くと今度は前方にお寺を発見。これはかなり興味深い。モンゴルのラマ寺はどんな具合なのだろうか。

うむ。チベット寺によく似てはいるが、屋根のペイントが黄色、ピンク、緑とより鮮やかというか、現代的に見受けられる。マニ車があったり、屋根の中央部分に二頭のヤギ(多分)にはさまれたチベット式の鈴(みたいなもの)のオブジェがあったりする点はやはり似ている。

お堂に入ろうと思ったがどうやら閉まっているようだ。「閉まってるみたいだわねえ・・・。」同じく参拝にきたらしいオバチャンが突然英語で話しかけてきた。え?今ボク心の中でつぶやいただけなのですが、おばちゃん聞こえたの?

「あなたどこから来たの?」あ、日本からです。「モンゴル人みたいな顔してるわね。でもそれにしちゃあお寺の写真とか撮ってるから一体何者なんだろうとか思っちゃって。」

ははは、日本人でした。「今閉まってるけど、もうちょっとしたら開くから一緒に入る?」あ、はい。それと、この辺で安いモンゴル料理屋とかご存知ないですかね?「そこらじゅうにあるわよ。」え?でも全然みかけなかったんだけどなあ。というかモンゴル語読めないしな。「お祈り終わったら案内してあげようか。私もお昼まだなのよ。」本当に!?是非とも!!

英語の先生をしているというこのオバチャンの名は、「ツィギー。ニックネームよ。よろしく。」ボクはジャミっていうんだけどこれもニックネームで、チベット名だとジャムヤンです。「あら!ジャムヤン!?モンゴル人にもジャムヤンて名前あるわよ!そっちのほうが覚えやすいわね。ふふ。」

間もなくお堂が開き、中へ。チベット寺を参拝する時と同じように左廻りでそれぞれの神様にお祈りしてゆく。バターランプや、バターとツァンパ(小麦粉と牛乳、水を練ったもの)で作られた飾り物もチベットと同じだ。

「ここはね、ナッルハジットゥという名前のお寺で、1990年代の改革の時に建てられたものでね、それまでは老人達しかお寺になんて来なかったんだけど、今はみてほら、老若男女色んな人がお祈りしに来るようになったのよ。」なるほど。

お坊さんが一人と、尼さんが四人、お経を唱えたりお祈りに来た人の相手をしたりしている。尼さんはチベット仏教と違って髪を伸ばしお団子に結わえ、ほんのり化粧もしている。可愛らしい。

ところでさっきから尼さん達が読み上げてるあのちっちゃい紙は何?「あれね、隣のキャッシャーでお金払って、お祈りする内容や名前を告げるとレシートをくれんのよ。それを渡すと私達のためにお祈りしてくれるようになってるの。」な何そのクーポンシステム・・・!

「私の場合は、旦那に問題があってね・・・。」え!もしかして病気とか?「違うの。」お金?「いいえ。他に若い女作っちゃったのよ。だからここでお祈りしてもらって、旦那に帰ってきて欲しいの。ちなみに隣にいるこの子も旦那に問題があるんだけど、彼女の場合は私と逆で、離婚したくてお祈りしにきてるのよ!」あ、そうなんだ・・・。

「願い事がある人はみーんなここへ来るのよ。このお寺がウランバートルで唯一承ってくれるところだから。それに他のお寺より強力なパワーがあるのよ〜。」ほ、ほほう・・・。チベットから伝わってきてモンゴルで発達したラマ教がまさかこういったものだったとは。チベットでお祈りしている人達とはまるで意識が違っているが、これはこれで面白い。

「私はお坊さんに九日間通えって言われて今五日目なんだけど、人によっては一日だったり二日だったりするみたい。私もここに本格的にお祈りしにきたのは初めてだから詳しくは知らないけど。だって、不倫相手ったら酷いのよ!電話かけてきて殺してやるー!とかって叫んだりするんだから。そもそも私の夫なのよ!お祈り来ずにいられないわよ!」

生きているうちは、どこにいても、人間というのは皆それぞれ問題を抱えているものなのだなあ、としみじみ思う。よし、じゃあボクもツィギーのために一緒に祈っとく!「本当!?ありがとう!よろしくね!」

「ツィギーさーん。」名前を呼ばれ尼さんと何か話し、戻ってきたツィギーの手には、ツァンバの塊と黒い布が。そして隣にいた離婚したい女性と一緒に、突然粘土遊びを始めた。童心に帰れみたいなそういうことかしら?

おや?そのツァンバがみるみるうちに人の形になってゆく。しかもチンチンやパイオツまできちんと作り上げて・・・!もしやそれ、旦那さんと不倫相手?「そうよ〜。これ作れって言われたの。」爪楊枝を使ってにっこり微笑んだ顔まで描いたりして、ツィギーさんちょっと楽しんでないかい?

それに黒い布を服に見立てて着せ、完了。お経にあわせてそれを片手に持ち、もう片手に数珠をもち祈る。ふと後ろの女性をみると、その人はツァンバで人形ではなく、小さな、お灸のような山の形をした物体をいくつも作っていた。

男女関係に問題のある者は人形を、その他の問題の場合は山の形だったり、饅頭の形だったり餃子の形だったりするのか?

お祈りが一段落するとツィギー達は人形を外に持っていった。捨てたのか焼いたのかは定かでない。まるで呪いのわら人形みたいだ。それからお酒を手に一杯もらったり、何かの種をもらったりしながらさらにお祈りは続いた。

ちなみにあの人形に呼び名とかってあるの?「ないわよ。あるとしたら、私の旦那と不倫相手の名前よ!」あ、そうか・・・これはこれは失敬・・・。「ナハハ。」

まわりには小さな山をひたすら練っていた女性の他にも、パンクファッションに身を包んだ30代の夫婦らしき男女、子連れの母親、ピンク色に髪の毛を染めた青年、左耳から後頭部にかけて大きな縫い痕のある中年男性など、実にさまざまな人達が訪れていた。

ある女性は五体投地を始めた。「今お坊さんが、彼女に7回から21回五体投地しなさいって言ったのよ。モンゴルでは、3と7は縁起の良い数字なの。」なるほど、21は7の3倍だしね!数学が苦手なボクにもこれぐらいの計算はできました。

一時間半近く続いたお祈りが終わる頃には空腹もピークを過ぎ落ち着いてしまっていた。「これから生徒の所に行かなきゃいけないんだけど、ジャムヤンも一緒に来られないかしら?外国人と英語で話す機会なんて滅多にないからきっと喜んでくれると思うのよ。」もちろん。ご迷惑でなければ。「じゃれっつらごーね。」

英会話の先生になりきり、よく分からない食べ物を頼む

町中のマンションの一室に連れられ、ピンポン。出てきたのは12歳の少年ビリゲ。「お母さん達は?」「どっかいってる。」「そう。こちら日本からきたジャムヤン。」よろしくどうぞ、ジャムヤンです。「よろしくお願いします。」

両親は日本で働いていたことがあるらしく、洗面所には「利根川シルバーセンター」と渋いプリントの施されたタオルがかけられていて、粋な雰囲気がかもし出されていた。

ツァー。と呼ばれる緑茶と牛乳とお湯を混ぜたモンゴルの一般的なお茶を頂く。見た目は白いが味は普通のお茶だ。「この子、外国人と口をきくの今回が人生二度目なのよね。」「そうです。」え!そんな、人生二度目の外国人がボクでよかったのだろうか・・・。

一応英語の授業の一環なので、なるべくボクとビリゲが会話をするように仕向けるツィギー。「ほら、何でもいいから質問あったらしてごらんなさい。」外国人と話した事がなかった時分は、ボクもかなりシャイシャイボーイだったのでビリゲが照れて静かになっちゃう気持ちがよく分かる。と間を持たせようとしてペラペラ一人で喋ったりしつつ、英語の音楽を聞いたりするのかい?映画はみる?などとボクからも質問をする。

徐々に緊張がほぐれてきたのか、飾ってあった家族写真を見せながら写っている人達の紹介をしてくれるビリゲ。「これはボクの母です、これは母の一番上の兄で、これが二番目の兄とその子供で、これが弟とその子供で、何歳で・・・。」

見ず知らずのお宅の家族関係を紹介されても普段はふーんと聞き流しちゃういけないボクだが、今回はちゃんと、なるほどお母さんの兄ってことは、叔父さんだね!というふうに、英語の授業っぽく他の言い回しを付け加えたりして、我ながら感心であった。

一時間近く英会話を楽しんだら、三人で写真を撮って、お暇することに。すると、「明日も来る?」とビリゲ。う、うんもし来てほしかったら来られるよ。「じゃあまた明日ね!今日は、先生と一緒にボクの家にきてくれて、ありがとうございました。それから、一緒におしゃべりしてくれて、ありがとうございました。」

ツィギー先生に教わったまんまの文章を復唱しただけだが、上手にいえました。こちらこそお邪魔しちゃってお茶まで出してくれてありがとうございましたそう言ってもらえて非常に嬉しかったです。と答えて退散。

結局朝から何も食べていないので、安いモンゴル料理屋を探して再び散策。が、新たに別の寺を発見してしまいついついそちらへ向かう。マニ車を回し、お祈りをし、写真撮影。何故チベット寺にこうも惹かれてしまうのか未だに謎だ。きっと前世はチベット寺かマニ車だったのだ。

それから宿の方向へ戻りつつ歩き、メインストリートにそびえるデパートの横の通りに入っていくと、ようやく一軒、それらしき店を発見。メニュー拝見。

ロシア文字なんだもんよー。まるで訳が分からない。宿のオーナー、バイカに聞いたモンゴルのポピュラーな食べ物、ボーツもしくはホショはないかと尋ねると、ホショはあった。とりあえずそれと、うーんと、えーんと・・・・メニューの中で安めの物を指差してみる。これかなー!

(行け!稲中卓球部で、どうでもよくなった田中を箱に詰めて送る際、「こんな感じかなー!」と適当にあて先を書き込んだ前野と同じテンションで。)

数分後、ホショと、650トゥグルクの品がやってきた。ホショは、揚げた餃子みたいな物と聞いていたので何となくイメージできていて、実際来たホショも平べったい揚げ餃子、みたいな物だったので問題なかったのだが、もう一品の謎の650トゥグルク。

白ご飯に、半透明のトマトソースをぶっかけたんだけど・・・どうかしら

としか形容のしようがない代物。一体何という料理名なのだろうか。が、意外にイケる。イケちゃうところが憎めない。

全く空腹が満たされないので、もう一品、謎の350トゥグルクを注文してみると、「ピロシキ一丁」と言っているのが聞こえたとおりに、ピロシキがやってきた。揚げパンの中にご飯とひき肉が入っている、ロシアのアレだ。まあまあイケる。

結局それでも満たされずスーパーでインスタントラーメンを買って帰って食べたらまたまた下痢をしましたそんな一日。色々あったよね。上記全て一日に起こった出来事ですからねえ。

日本は綺麗だし、人も優しいから大好きなんだって

翌日も、ツィギーと待ち合わせをしてビリゲのお宅訪問。今日はビリゲのおばあちゃんと、両親もいらっしゃった。「こんにちはー。」は!日本語だ。ここんにちはお邪魔しまーす。

お茶と、ホルカと呼ばれるモンゴル版焼きうどんのような物を頂く。上手い!この何とも甘い味付けが和食にそっくり。金平ごぼうやなんかに近い味だ。麺は太くて丸いバージョンのマロニーちゃんのよう。

ツィギーとビリゲは授業を始め、ボクはお母さんと日本語でお喋り。「前まで日本にいて、茨城県に住んでました。あと千葉県にも。」え!そうなんですか。ボクも千葉県に住んでましたよ。「えホントー?もう私日本大好き。全部キレイだし、人も優しいし、私今使ってるシャンプーとかボディソープとかもぜーんぶ日本から取り寄せてる。」

ス、スゴイね!!確かにキレイだし、人も優しいには優しいかもしれないけど、東京とかだとちょっと冷たいかもよ。道きいても教えてくれなかったりするかも。それに最近は皆おかしくなっちゃって、子供がお父さんやお母さん殺したり、逆に親が子供殺したり、自殺者も年間何万人もいて、ダメだよ。モンゴルでは自分で自分を死なせる人なんていないでしょ?

「ソウネ、モンゴルの生活はとっても大変。私も日本から久しぶりに帰ってきて、モンゴルでどうやって生活していこう?て思っちゃったけど、でもモンゴルの人は、生活大変でも、心が固い(強い)から、死なない。」でしょ。そうなんだよね。モンゴルの人たくましそうだもん。

やはり自殺者が多いのは先進国ばかり。物質的豊かさと引き換えに沢山の大事なものを失って存在しているのだ。ボク達の国や欧米諸国は。

それから日本にいた時の写真をみせてもらう。「ここでアルバイトしてたの。」焼肉屋さん!これなに?「ん?あそれトントロ。」トントロー!!!!!食べたい。仕事は楽しかった?

「うんとっても楽しかった。みんな優しいし、日本食も大好きだし。この写真の海はね、銚子。お寿司美味しかった!ラーメンもだーいすき。」

大好き。と言う時の彼女の表情が本当に幸せそうな笑顔で、そうか、そんなにも日本の事を好いていてくれてるのか、と嬉しくなる。ボクも旅をして、色んな国に行けば行くほど、自分はつくづく日本人なのだと再認識(時々あまりにも現地人呼ばわりされるので己のアイデンティティを失いそうになるのです)し、日本の事をもっともっと好きになっている。

「私のお母さんも日本が大好きで、彼女は自力で日本語を勉強したんです。」う!自力で!?先ほどからボク達の会話を静かに聞いていたおばあちゃんが、「私の日本語は、あまりよくないけど、いつか日本に行きたいです。」と口を開いた。

何がきっかけで日本語を勉強しだしたのかは聞かなかったので定かでないが、日本にも行かず、日本人と接することもなく自力でここまで勉強するなんて。尊敬いたします。勉強嫌いのボクにはほぼ不可能だもの。

しばらく日本語会話を楽しむと、「ビリゲがジャムヤンに英語で質問書いたから、答えてあげてね。」とツィギー。「今日も、きてくれてありがとう。これからいくつか質問をしたいのですが、聞いてもいいですか?」ビリゲ。もちろん!さあ来い。

「モンゴルの田舎には行ったことがありますか?それから、馬には乗ったことがありますか?」いいえ、ありません。まだウランバートルしかみていないし、馬にも乗ったことがないけれど、いつか乗りたいです。ビリゲは乗ったことがありますか?「はいあります。去年キャンプをしに行って乗りました。」

「モンゴルはどうですか?モンゴルの人々はどうですか?」モンゴルはとても好きです。ザミンウドからここまでの電車からみた景色はとてもキレイでした。モンゴルの人達も、中国人より英語が話せる人が多いし、親切だと思います。

等々簡単な質問にいくつか受け答えする。時折ツィギーが「ところでジャムヤンはどうしてヒゲを生やしてるのかしら?モンゴルでは、あまりヒゲはよろしくなくてよ。おじいさんとかが生やしているぐらいで、若い人達の間ではちょっと不恰好に見られちゃうわよ。」と素っ頓狂な具合に間に入ってくるので

もちろん日本の社会でもこんな不精ヒゲはよろしくないですよ。もし会社で働いていたら、こんなヒゲはまずダメです。例えば取引先の人や誰かと会うときにこんな顔だったら、こいつ大丈夫か?なってないんじゃないのか。と思われます。でもボクは今仕事をしていないし、日本にもいないからオッケーなのです。

「あなるほどね。了解。」それに、ボクは考え事をしている時にあごヒゲをジョリジョリ触る癖があるので、無いと考え事に集中できなくなっちゃいます。

ところでビリゲは彼女はいますか?「いないよー!」そっか。まだ12歳だもんね。あと二年ぐらいしたらできるね。「できないよー!」はにかむビリゲ。初々しくていいぞ若者その調子だ。「ジャムヤンは彼女いないの?」とすかさず聞いてくるツィギー。はははーこの間別れちまいまして。「あらまたどうして?」

あ、まあええと色々ございまして。「へえ、色々ねえ〜。」ここでわざわざ理由を語るのはなんとなく憚られたのでやめておいた。

「さてさて。そろそろ次の生徒の所に行かなくちゃ。」ではお暇しますか。お邪魔しました!またね。「今日もきてくれてありがとうございました。」ありがとうビリゲ。「ありがとう、お話楽しかった。」とママさん。

ツィギーと別れ、一人ぶらぶら歩き回ってみる。ウランバートルという町は、周りを小高い山に囲まれた盆地のような場所なので、ちょっと歩くと山がすぐそこにある。そしてその山の緑と空の青、雲の白のコントラストがなんとも鮮やかで美しいのだ。

山へ向かいましょう。適当に方向を定めてひたすら真っ直ぐ山へ向かう。住宅地、団地を抜けるとゲル(モンゴルの遊牧民が住まう移動式テント)の集落があり、その向こうが山となっているのだが、途中で疲れ、腹も減ってしまったので急遽退散。大体ボクの散歩はいつもこんな風に疲れた、もしくは疲れそうになったら折り返すパターンが多い。

町へ戻り歩いていると、正面からこっちに向かって歩いてきた変なおっさんに突然話しかけられた。モンゴル語は理解できないし、ジャミポッドを聞いていたのでまず聞こえない。無視して通りすぎるといきなりガバっと腕を掴まれた。何するんや!

おもむろに右手を差し出すおっさん。金よこせか。アホか。うわ酒臭っ!さらに無視して歩く。鬱陶しいやっちゃわ気色の悪い。

再びジャミポッドをしゃかしゃか聞いていると、またもや後ろからグワバ!と腕を掴まれた。またお前か!どうやらボクが無視し続けていたのがあいつなりに気に食わなかったらしく、両手で腕を掴まれ凝視される。そして何やら文句を言うおっさん。こ、怖いし気持ち悪い!

やから何や!放せ!と振りほどいてまた歩きだすと、落ちていた石を手にとり投げつけようとするおっさん。は!?むしろ石投げるべきなの俺やろ!!

殴りたくて仕方がなかったのだが、生来人を殴ったためしがないので、怒りに震えながらもまた歩きだす。まだ何か言っているが、聞こえないし分からない。

ああ腹の立つ。あんな飲んだくれの腹を満たす為に殺されて肉になる動物がいて、あんなろくでもない奴の喉を潤す為に酒や水があるのなら、他の健全な人の手に渡って欲しい。

不謹慎なのは頭では分かるのだが、こういう目に遭うと毎回、ああこんな奴死んでしまえばいい。と思ってしまう自分がいる。

でも少し時間がたって、平静さを取り戻すと、あああの時殴らなくてよかった、例えばナイフを持っていたとして、刺さなくてよかった。結果的に事なきを得たのだから。と思えるのだ。

ボクは物理的な喧嘩が得意じゃないし、旅でやせ細って骨皮君状態だから力もない。だからこういう場面で殴ったり暴力をふるえないのを、臆病だと思うときがある。でも、それはきっと違う。人を簡単に殴れたり、暴力で押さえ込む事は必ずしも勇敢で、強いとは限らない。と信じたい・・・。

でも、何かを守らなければいけない時には、やられるのを覚悟して立ち向かう、そういう男に私はなりたい。

あら?何の話でしたかしら。

扉をぶち破れ

宿に帰ってさあシャワーでも浴びよう、部屋に着きカギを差し込む。とそこにオーナーのバイカがやってきて「ジャミー!なんかね、カギ開かないんだ。だからもうカギ壊すしかなくなって、今業者呼んで待ってるとこなんだ。」え!!!!卍ですか!?

そういえば昼間も開かなかった。ガチャガチャ回しても開かなくて、思い切り左に回したら、確か、

ガチャ

って音がしたような・・・。あれはもしや・・・何らかのカギがかかっちゃった音なのだろうか・・・。ギョギョ・・・。

間もなく業者がやってきて。早速ドリルで鍵穴部分をグリグリ始めた。キャー!バイカ、あのさ、ボクも今日昼間ドア開かなくてガチャガチャやってたんだけど、もしかしたらその時に何かロックしちゃったのかも。「分かんないけど、本当どうやっても開かないんだよね何故だか。まあ、もう壊すしかないからね。」

何となく自分のせいかも・・・な気がして、オランダ人4人は「スポーツバーでワールドカップ観て来る〜」と出かけていったが、居残って業者のグリグリ作業を見守ることにした。そもそもサッカーに興味もないし。

業者といっても、日本のカギの救急車のようなプロフェッショナルなものではなく、大工みたいな風貌のオッチャンなので、精密器具を使って巧妙にカギを開けるなんてことは端からせず、いきなりドリルなのだ。

作業はなかなか難航し、気づけば時刻は既に23時を回っている。するとバイカが、「オランダ人二人が明日の朝早く出発するんだよね・・・。」おいおいそれってあれじゃん大変じゃん?もし今晩中に開かなかったら出発できないじゃん?そしてオレ達野宿じゃん。

ドリルの刃がボロボロになりながら、少しずつ開いてゆく穴。凄まじい轟音がマンションに響き渡り、近隣の住民も何事かとチラチラ見に来る。

三時間近く経過しても尚開かないので、バイカはその場でうとうとし始め、ボクは今夜の野宿先を思案し始めた。マンション前の公園のベンチがベストかもな・・・。

さらに若者の作業員二人がやってきて、ドライバーを使ってガチャガチャやること数分。

ガチャガチャ・・・・ガチャ。

あ、あ、あ、あ、開いたーーーーーあ!!!!!!やったーーベッドで寝られるー!!!!

ボウリング場でもないのに皆でハイタッチなどしちゃう始末。いやしかし良かった!!見計らったかのように四人も帰ってきた。タイミングのいい人達め。

「いやはや、良かった良かった。グッジョブ!ところでジャミ、こういうカギトラブルは三年旅してて何回あった?」と冗談まじりで聞かれる。こんなこと今までなかったよな、あ。

あった。モロッコのメルズーガにいた時だ。同じようにカギ開かなくなって、結局壁ぶち壊したんだよ。「本当か!真剣に!?おいおい二度目だよ。」もしかしてもしかすると、ボクはドアに関しては疫病神の類なのかもしれない。

やっぱりあのカギを左に思い切り回した時の「ガチャ。」が元凶な気がするので、チェックアウト時にカギ代をそっと添えよう・・・。

丘の上のモニュ

かくして無事に「室内で」一夜を過ごすことができた我々取材班。今日は特にツィギーやビリゲとの約束もしていないので、適当に一人散策に出かけよう。

この間食べたレストランで、またしても値段しか読めないメニューから2000トゥグルク(140円)のものを指差し注文。一体何が出てくるのだろうか。

ずどーん。ホルカだ。昨日食べたモンゴル版焼きうどん。お、お米食べたかったナ・・・。

美味しいけれど、2000トゥグルク分となると結構な量になるので飽きる。冷たくて甘い緑茶のような液体を飲みながらどうにかたいらげ、今度は駅へと向かう。

結局ウランバートルに滞在するだけで、モンゴルは終了してしまいそうなので、もう北京へ戻る電車のチケットを予約しておく魂胆。「土日分は売り切れですねー。」ですかー。え・・・!

三日前なのにもう売り切れ。諦めて国境のザミンウド行きまでの分を、来たときと同じ10400トゥグルクで購入。もちろん最安の座席。寝台だと二倍以上しちゃうんやもん。

昨日中断した山へ向かう作戦を再開。昨日とは反対側、駅の向こうの山を目指してみる。

こちら側は、ボクが泊まっている場所とはうってかわって、煤けたような、廃墟じみたぼろい建物や工場が建ち並んでいて、しかも道がきれいにつながっていないので歩きにくい。ある時は腐臭のするゴミ捨て場を、またある時は団地の柵の隙間を通り抜けて進む。と、

まるで異世界のような新築マンションが現れた。開発途中らしく閑散とはしているが、さきほどまでの陰鬱で不潔な雰囲気とのギャップが激しすぎて、そしてこの開発地区のすぐ後ろには緑の山と青い空が美しすぎて、何とも不気味な光景だ。

さらに山に向かって歩くと、川が。そしてそこで遊泳を楽しむモンゴリアン。水は思ったよりきれいそうだ。橋を渡ると今度は何やら金キン光る巨大な物体・・・仏像。

こんなキンピカの仏像を見たのはスリランカ以来ではなかろうか。随分新しそうだ。公園になっていたので写真撮影がてら仏像さまに近づく。人工的な金キンの仏像と、そのバックの真っ青な空。これもまた目に鮮やかで楽しい。

300トゥグルク(21円)でアイスを買って食べながらまだまだ歩く。おや?あれは・・・。てっきり下水施設だか貯水タンクだかだと思い込んでいた、丘の上にそびえたつ何かしらの建物が、近づいてみると、観光スポットだった。

沢山のモンゴリアンが階段を登って上へ向かっている。ここ数年の間にできたばかりなのだろう。仏像同様こちらもかなり新しそうで、どう説明すればよいのだろうか、何やら旗を掲げた歴史上の人物らしい男の巨大な石像と、円状に作られた巨大な壁画、が丘の上に造り上げられていて、そこから人々はウランバートルの景色を眺めることができるのだ。

運動不足解消のため階段を二段飛ばしで駆け上がると、見事に息が切れた。年・・・なんだな・・・。

岩に座って少し休憩。山と、反対側にはモンゴルの首都が一望できる。こうも風景が極端な場所はなかなか無いのではなかろうか。山の方も開発が進んで、ちらほら新しい建物がありはするが、その後ろにはゲルの集落があって、そのまた後ろにはひたすら緑が広がっていて本当に綺麗だ。

町の方は、ただただビルが建ち並んでいて混沌とした様子。きっとこのウランバートルから突然地方の遊牧民族達の住まう草原に行ったら、腰か、もしくは現を抜かしてしまうに違いない。

写真撮影を終えると来た道を戻る。やはり勾配は下りがきつい。さらに町から離れて山を登ってみようと歩きだしたのだが、思いの外足が疲れたらしく、一旦宿へ帰ることに。

19時を回っていたのでハンバーグと目玉焼き、ライスとサラダのプレートを食べて帰り、即刻シャワーを浴びて、オランダ人ときょうの出来事を報告しあう。

でねー何かよく分からないんだけど丘の上のモニュメント見つけてねーそんで「ジャミーーー!!!」

お、オーイ!おぬしは、北京で知り合った日本人、ヤス君やないかーい!辿り着いたらしい。彼は北京から国境まで、ボクが利用したバスより安い140元(1520円)でやってきたそうなのだが、そこからウランバートルまで、寝台席ではあるけれど500元(6500円)も支払ったという。 ボクは座席だったが料金はたったの10300トゥグルク(721円)だったので、えらい違いだが、心配ご無用、駅からここまでで20000も払わされてるから問題ないよ。何が。

それから少しウランバートルを案内。といってもスーパーとレストランの場所程度だが。

「えーもう電車のチケット取ってもうてんや。」うん。でももし変更可能で、ウランバートル近郊に面白そうな場所があるなら、もうちょっとおるかも。「そうできたらしよやー。」

ほら予定は未定。やはりチケットを何日も前に買うのはボクは苦手だ。さてどうなる俺のモンゴル。

こうなった。バカがまた盗られた

今朝早くオランダ人カップルはテントを担いで地方へ向かった。ツアーだと高くつくのでキャンプをしながら各地を巡るそうだ。

「ブラックマーケットで買ったの。なかなか面白いから行ってみたら?でもスリに遭いそうになったから気をつけてね。」

というわけで本日はヤス君と共にブラックマーケット散策へ。バスが出ているそうなのだが、歩けそうな距離だったので、あれこれ話しをしながら歩いて向かう。

すると突如、前方からやってきた酔っ払いらしき男に掴まれそうになったので素早く身をかわした。やはり何かがおかしいモンゴル。基本的には人々は親切なのだが、時々、一日に何回かこういった見境なく通りすがりの人につっかかってゆく酔っ払いを見かける。

モンゴル=草原=人々は中国と違って穏やか、と勝手に思い込んでいたのだが、そのイメージがやや崩れ始めた。

気を取り直してマーケットへと歩を進める。と今度は露店の少年に「オイ!オイ!」と言われ振り返るといきなり中指を立てられた。は?突然の出来事に訳が分からずお前何や?と眉間に皺を寄せ立ち止まったが、ガキだ、相手にしても仕方がないとそのまま素通りする。

そうしてブラックマーケットに到着。何がどうブラックなのだろう。一見至って普通の市場なのだが。スリに要注意と色んな人から言われていたので、カバンを前に持ち、時折写真を撮るカメラはストラップを腕に通して警戒を怠らないようにする。

どこのマーケットに行っても見かけるような、衣類や時計、日用品がひたすら並んでいるだけだし、これといって欲しい物もなかったので、さっさと歩く。が、何だろうこの違和感。アフリカやタイ、インド、中東の国々で訪れたマーケットのような活気が一切ない。

陰鬱としていて、客とのやり取りを楽しんでいる様子もない。それどころか、ただ通り過ぎようとしているだけのボク達を睨み付けてくる輩までいる始末。

一通り見て回り、一旦外に出ると安食堂があったのでそこで昼食をとる。モンゴル版焼きそばとポテトサラダ。なかなか美味い。が、ヤス君が「何でやろ何か手とか足震えて変な感じする。」と体の違和感を訴えたので、腹へってたからちゃう?と返す。「そうかなあ〜。」

食べ終えて、もう少しマーケットを見てから帰ろうということになり再び中へ。入ったのはいいのだが、何を見るでもなくひたすら中国がチベットを制圧する理由、目的について熱く語りながら歩いていたのがいけなかった。

突然オッサンが立ち止まり、道をふさいできたので、何やこのオッサン何しとんや邪魔やなあ。などと言っていると後ろからも横からも別のオッサンに押され身動きが取れなくなった。おいこらお前ら鬱陶しいくっつくなや。

別段人がごった返していたわけでもないのに何だったのだあいつらは、変なやつらだったなあ、あ?

もしかして・・・・・

あ。

あーあ。

カメラやられた。

あれほど色んな人から注意されて、あれほどさっきまで警戒していたのにも関わらず、チベットの話に白熱してそこへ全ての意識がいっていたせいで、所持品への注意を完全に怠ってしまっていた私。

ゲ!しかもずっとシャツの下にかけて体の前に持っていた小さなバッグもいつの間にやら開けられている!!!急いで中身を確認。な、ない・・・・ない・・・

オレのメモ帳が!!!!

まあこれは色々情報を書き留めてあったので多少困りはするが金銭的な打撃はほぼ皆無だ。が、カメラ。しくじったぜ・・・何度目だ。何度やられれば気がすむのだろう。ついこの間タクシーでぼったくられたりして、さらに一昨日は酔っ払いに絡まれたりして、モンゴル、そして自分の身の回りが何か妙だから気をつけないといけない。と日記にまで書いていたのに。

このざまですよ。

モンゴルは人が良くて安全、という勝手な先入観を持っていたせいで完全に油断していた。アフリカを旅していた間は常に危機感を持っていたおかげで何も盗まれたり襲われたりすることがなかったのだろう。要は、オレが悪い。

不幸中の幸いといおうか、事件現場に戻ってみると金にならないメモ帳は見事にその場に捨て去られていたので無事取り戻せたし、保険に入っているのでお金は戻ってくるし、撮っていたデータもつい先日パソコンにコピーしておいたので、そのあたりのダメージは最小に抑えることができた。カメラも最近ちょっと故障気味だったし、もう一台別のカメラを持っているし、問題ないと言えば、無い。

ことは無い!帰国したらネパールの友達プラカシュに送ってあげようと思っていたのだ。畜生。あんな見た目も心も小汚いオッサンに盗まれるぐらいならネパールを去るときにあげてくればよかった。

そして何より悔しいのは、一番悔しいのは、どうしても悔しいのは、カメラを失ったことよりも、

カメラを盗られたことで、あの薄汚れたクソ共が「やったぜまた簡単に盗れちゃったよおい。こりゃやめらんねえな。」と味をしめてさらにスリを続ける活力剤になってしまったことだ。

彼らのスリ稼業に加担してしまったこと。こんなに屈辱的で悔しいことはないのです。

カンボジアでクレジットカードを巧妙に不正使用され三十万円失い、中国でベッドに置きっぱなしにしていたスピーカーを盗まれ、チベットでカメラをスられ、セネガルでも不注意がもとで先輩がくれたヘッドランプを盗まれ・・・ようやく旅が終わろうとしていたこのタイミングで、追い討ち的にやられちゃうんです私という人間は。

家に帰るまでが遠足です。家に着くまでは気を抜かないように。いいですね?

小学生の頃からずっと先生に言われ続けてきた事を忘れ、一つの事に夢中になって他への注意を怠り、このオッサン変やなと思っていながらもまだ気づかず、彼らが去って数十秒経って初めて気づく。

これを阿呆と呼ばず、馬鹿たれと呼ばず、能無しと呼ばず何と呼びましょう?

何とでも呼んでやってください。こんな奴滅茶苦茶に非難されないといつまでたってもこういう被害に遭い続けるんですから。

長所でもあり同時に物凄い短所でもあるボクの特徴に、諦めが人の数倍ないし数十倍速い、過ぎてしまったことは仕方がないとじたばたもがかないことがあります。

盗られたと気づいた瞬間も、すぐに戻って後を追えば捕まえられたかもしれないのに、そう気づいた瞬間に真っ先に及んだ考えが、ああもうしゃあない。なのです。

そうじゃないだろう。ならお前は今後同じようにか、もっと大きな物を失った時にさえ、しゃあない。の一言で済ませてしまうのか?じたばたもがいて、必死に取り戻そうと努力もしないで。

出来る限りの最善を尽くしてそれでもダメならしゃあない。でもいいだろう。なのに何もしないうちからああもうしゃあない。と。お前はあれか、ちょっと履き違えた「去る者追わず精神」を持ったただの愚か者か。きっとそうだ。

そうなのだろう。だが、時既に遅し。もうマーケットを後にして、町へと帰っている途中。今からじたばたもがいたところで、悔しさが増して、時間を無駄にするだけだ。そう思い、この一件について考えることを中止した。

そして再びチベットの事、いかに自分達が政府やメディアの都合の良いように情報操作をされ、洗脳されているか、今後世界は、地球はどう暗転していくのか等について熱く語りあう。

旅を始めて、色んな国で色んな人や物に出会って、色んな考えや事実を知って、気づいたのだ。ただただ流されてくる情報を鵜呑みにしていてはいけないと。それじゃあただの、数字にしか成り得ないと。国にとって、政府にとって、企業にとって、自分という人間はただの何でも言うことをきく便利な受動態のうちの1にしか成り得ないと。

きっと日本に帰って、日本での生活を始めたところで、自分のすぐ周りでは目に見えるような変化も事件も起こらないだろう。働いて、遊んで、食べて、寝てウンコして。それはそれで楽しいかもしれない。

でも、ボクは幸運にも日本という国に生まれて、世界を旅する事ができて、少しずつではあるけれど世界を知ることができた。

そんな確率的にかなり低いラッキーな境遇(旅をしたくてもできない、知りたくても知られない、知らなければならない事すら知らない人達がほとんどなのだ。)にあるのにも関わらず、前のような何も考えない生活をしていていいわけがないのだ。

奇しくもボクがこういう考えを持ち始めた今日この頃に、大好きなアーティストM.I.A.(詳しくはブログないしスリランカ日記参照)が、同じようなメッセージをインタビューで伝えていて一層その考えはゆるぎないものになった。

そういった話を広場のベンチでひたすら語り合っていると、カメラを盗まれた事なんて大したダメージじゃない。と思えた。辛いことや嫌なことがあるといつも考えを地球規模、時には宇宙規模まで巡らせて、自分の身に起こったことを小さく見るのがボクの対処法らしい。そうやって乗り越えてきました。

悔やむのと省みるのは別だ。今日起こった事への反省点として、直感をもっと大切にしなければならないと思ったことがある。数日前からウランバートルの町を歩いていて、ふと覚える居心地の悪さやソワソワする感じ、それが具体的に表れた酔っ払いの事、やけにテンションの高いギャルに突然水をかけられて(!)不気味に思った事、ブラックマーケット近辺で起こった不快な出来事など。

そういった場面で直感した「何かがおかしい」という気持ちを重要視していなかったからまたやられたのだ。

考えるよりもまず感じろ、とは実に的を得た教訓です、ブルース・リーさん。

そうして予定変更、を変更


ヤス君にツィギーを紹介するのも兼ねて再びあのお祈り寺で待ち合わせをする。「今日が最後の日なのよ!これできっと願いは叶うわー!」そういって例のツァンバ人形を放り投げるツィギー。よ、よかったね!きっと万事上手くいくよ!

ところで、ボク電車のチケットを取って、もう明日出ちゃうことにしたんだ。「あら!そうなの?そっかあ。そのチケット、変更はできないの?」いや、まだ聞いてないから分からないけど。「明日私休みなのよ。だから日帰りで国立公園行って夜帰ってこない?ジープで行くと高いけど、ローカルバスなら安いわよ。」

なにぬ!?「で大きな岩山があるんだけど、昼間は普通なんだけどね、夜になるとその山影が女性の体に見えてとってもきれいなの。」へぇーそれはなかなか素敵そうだね。じゃちょっと駅に行ってチケット変更もしくはキャンセルできるか聞いてみるよ!

ファーストフードレストランに立ち寄り、ミルクティとホショ、ボーツで軽いランチをとる。客のモンゴル人達は皆テレビでやっているモンゴルドラマに釘付けだ。コメディ仕立てらしく、ツィギーもゲラゲラ笑いながら「あの男は、あの女の子の田舎にいた時の彼氏なんだけどね、今はもう新しい彼氏が都会でできちゃって、わざわざ会いにきたのに追い返されちゃってるの。」

か、悲しいやんか・・・そしてその女の子のファッションやメイクが、田舎に居た時は素朴で民族衣装を着ていて可愛らしかったのだが、都会に染まった後はメイクは濃く、ボディコンみたいな妙ちくりんな服を着てBボーイファッションに身を包んだデブ男と暮らしていて、実にみすぼらしくなっていた。

考えすぎというか、斜に構えすぎなのは重々承知だが、こういった伝統的な衣装や文化を持った誇り高き民族がアメリカナイズドされちゃうと、こんな風に味気ないものになるんだよ、と言うのを改めて見せられたような気になってしまった。

用事があるというツィギーと別れ、チケットの変更かキャンセルをしに駅へ。が、カウンターに到着するなりそのまま引き返す。週末というのもあってかいつも以上に混み合っていて、もちろんある人は割り込みあっていて、とてもじゃないが並んで待っていられない。英語も通じないのでキャンセルをして返金をお願いするのも一苦労だし、もうこのまま変更せずに明日の電車で発とうと決める。

宿に帰りくつろぐ。ヤス君は沖縄に居た時に一度自分の手でヤギを食べるために殺して、肉を食べるというのはこういうことなのか。と骨身に染みて思い知り、それ以来なるべくベジタリアンな生活を送るようにしているそうなのだが、ここはモンゴル。どこを見渡しても人々が口にしているのは主に肉、肉、そして肉。

せっかくだし。と久々肉料理を食べてみたのだが、やはり体調がおかしくなってしまったのでベジ料理を自炊することにしたからジャミも食うかい?と誘ってくれたのでお言葉に甘える。

ボクは、オーストラリアにいた時の豚小屋勤務で、ハムやベーコンはこうやって過酷な環境下で強制的に管理される豚達の苦痛と犠牲を経て作られているのだとこの目で見て、だったら今までよりもっと、きちんと感謝して頂こうと思ったクチなので、肉も野菜も魚もわけ隔てなく食べている。

のでモンゴルのこの肉まみれの食生活でもさほど苦労はしないが、たまにはさっぱりとしたベジ料理もいいよね。キッチン経験豊富なヤス君料理を頂く。美味い。

オランダ人カップルが出ていってから、客はボク達だけだったので、ひたすら二人で語り合う。トピックは多岐に及び、世界、宗教、日本、人生、未来・・・。

そしてボクが両性愛者であることも告げる。三月に告白し、人生が一変してから、旅先で出会った人(再会した友達を除く)に話すのはこれがおそらく二度目だ。

この間ドイツに居た時に、たまたまそういう話題がたちのぼり、ボクはバイですけどね、と努めて軽い調子で40歳の日本人男性に告げると、「まじで!?きっつー!自分あれやん!何でもええんやん!もうアザラシとかとでもヤレるんちゃう!?」と思った事を率直に言われ、がくーん。と結構なダメージを受けてしまい、それからは極力関係の浅い相手には言わないでおくことにしていたのだ。

自分の中で、「告白したんやから全員に言わなまた逃げてることになる」といった気負ったような気持ちがあり、かといって会う人会う人にいちいち真剣に事情を説明するのも煩わしいから、少し無理して軽い調子で言ってみたらこのざまで、やっぱりボクにはまだ全ての人の「両性愛者、同性愛者に対する認識や偏見、先入観」を軽く受け止める土台ができていないと気づき、あまり言わないようになっていた。

が、ヤス君はかなり広い心と視野を持った人間だと分かり、彼の抱える問題をクリアするきっかけというか、後押しにボクのこの話が少しでも役に立てばいいなと、思い切って告げてみると、やはり「あそうなんや〜。」と自然に受け止めてもらえて安堵。

他の人と話す時は真剣な話も軽い調子で話す事が多かったというヤス君も、ボクの思いがけない吐露を聞いて、真剣な話を真剣に話してくれた。互いをさらけ出して語り合うというのを、つくづくこの25年間することがないまま生きてきたので、この会話は楽しいし、興奮するし、生きていることを実感する。

アドレナリンだかビオフェルミンだかの物質が脳内に大量放出されていたのだろう、気づけば深夜の2時だった。やっぱり明日出発するのやめた。

切り絵のモンゴリアンと謎の団体エスペラント


翌朝再び駅に向かい、今日出発分の電車のチケットをキャンセルする。手数料10パーセントは取られたが、これで先の予定を気にしなくてすむ。

滞在延長の旨を報告し、この間訪れた丘の写真を、コピーする前にカメラごと盗まれてしまったので今一度撮影しに行ってきます、というとヤス君も行ってみたい。とのことなので一緒に。

階段を登って景色を眺めるポイントに辿り着くと、「キリエアリマスヨ。ワタシネ、ニホンイッタコトアル。コノ切り絵ハ、ニホンノオテラデナラッタ。」と自作のペイントや切り絵を売っていたモンゴル人のオッチャンに突然話しかけられた。

訝しげに近寄りつつも、興味が沸いてきたのであれこれ質問すると、日本へは四回も訪れたことがあり、日本のお寺でホーミーと馬頭琴というモンゴルの伝統音楽を教えつつ、お坊さんから切り絵を教わったという。

今は51歳で、昼間はここで商売をして、夜はひたすら絵を描き、娘は雑技団のようなアクロバットを日々練習しているというエンターテイナー一家。「三十年ぐらい前から色んな国に行ってル。」

中国やロシアの近隣国にとどまらず、アメリカやヨーロッパにも旅をした事があるという類稀なオッチャン。こういうオッチャンには時々会うが、大体はヨーロピアンや日本人。モンゴル人で、しかも三十年前からそういうことをやってのけているこのオッチャン。ただ者ではない。

そしてヤス君がモンゴルくんだりまでやってきた最大の理由が、モンゴル人から直接ホーミーを習うことだったと告げると、「今ちょっとノド調子悪いけど、歌ッテ(歌います)。」

「ホーミーは、腹から出す音と、喉から出す音があります。」そう言って歌い始めたオッチャンから、何とも言いえぬ不思議な音が発生した。

オォオォオォ〜と低い声を出しているのに、同時に笛のような高い音が出ているのだ。中学生の頃音楽の授業でホーミーの映像を見たことがあり、それがかなり衝撃的で脳裏に焼きついていたため音自体に驚きはしなかったが、目の前で、ナマで、しかもモンゴルで、モンゴル人が歌っているホーミーを聞くのは生まれて初めてだったため実に感動的であった。

ヤス君は、どこへ行けば習えるか、いくらぐらいレッスン費は必要か、などと詳細を尋ねる。ボクは感銘は受けても自分で習おうというところまでのパッションは湧き出てこなかったので時々口をはさみつつ話を聞いたり、失ったカメラ分の写真を撮影したりする。

一時間近くそこにいただろうか。団体ツアー客らしき外国人が現れ、ガイドの男性がスペイン語のような言語を片言で喋っていたので、スペイン人客かな。などと話していると、オッチャンが、「あのガイドの人二日前にもここに来てたの見て、気になったから聞いたらエスペラントだって言ってたよ。」と教えてくれた。

エスペラント?何人ですかそれは。それともその団体の名前?「そうじゃなくて、エスペラントっていう言語を喋ってる人達だよ。」え?ますます何だそれは?スペイン語のように聞こえてならないけど。「ちょっと彼らにもっかい聞いてみよう。」

謎のエスペラント団体のうちの一人のオバチャンに尋ねる。エスペラントの方ですか?「あらこんにちは。ええそうよ。」で一体それは何ですか?

「エスペラントという言葉よ。私達はオーストリア出身、彼はイタリア出身、それぞれ母国の言語を持ってるんだけど、ここではみんなエスペラントを喋っているの。」スペイン語のように聞こえますが・・・。そもそもその言語はいつから使われ始めたのですか?

「100年ほど前に、あるポルトガル人が提唱したものなの。例えば私達は今英語を喋ってるわよね?私はオーストリア出身であなたは日本出身、お互い英語が母国語ではないからフェアーと言えるわね。でももし私達がイギリス人やアメリカ人を相手に英語を喋るとなると、それは断然彼らの方が得意だから、フェアーじゃなくなっちゃう。」

「エスペラントはどこの国の言葉でもない新しい言語。皆それぞれの母国語を持っていて、それぞれのアクセントでエスペラントを話せばいいの。そうすればどこにも不公平なものはないし、世界中の人がこれを使うようになれば、もっともっと私達は交流しやすくなる。そう思わない?」

なるほど。これはまたまた面白い。確かに英語は割と世界中で使われていて便利ではあるけれど、ネイティブスピーカーの人達を相手にすると、彼らは容赦なく話すので時々分からないことがあるし、ボク達が上手く話せないとイライラさせたりすることがある。けどこのエスペラントは、どこにもネイティブスピーカーというものが存在しない言語だから、公平といえば公平かもしれない。

「あ、もうバスが出発しちゃう。行かなきゃ。それじゃ、良い一日を。」

パンフレットをくれたので見てみると、近々韓国と日本でもエスペラント団体の集いがあるらしい。今しがた出会った彼らも、エスペラントという言語を学ぶ人達同士の交流を深めるために各地を一緒に旅しているそうだ。

同じ志しを持った人達で旅するあたり、若干某ピースなボートのようだが、なかなか面白いことを考えつくものだななんて言いながら帰路についていると、「でもさこれってポルトガル人が思いついて作ったんやからやっぱりベースはポルトガル語なんちゃう?現にさっきポルトガルとかスペイン語みたいに聞こえてたし。完全に公平ではないんちゃう?」とヤス君に言われ、ハッ!それもそうじゃん!と気づかされた。

学ぶ学ばないは個人の自由ということにして、ともかくそういう新しい言語が存在していて、世界をそういう方向から変えていこうと奮闘する人々がいるという事実を知ることができただけでもよかった。

世界はまだまだ知らないことだらけなのだ。 知らないことがほとんどなのだ。

亀石さんちのゲルで悪夢

「ウランバートルから60キロぐらいのところにナショナルパークがあってね、タートルロックっていう岩とかあったりしてキレイだよ。」と宿のオーナー、バイカが教えてくれたので、おまけに電車もキャンセルしちまっているので、今日から二泊三日の小旅行へ。

ツィギーが連れていってくれると言ってはいたけれど、聞くとローカルバスに乗っていけば簡単にたどり着けるし、バイカの知り合いのゲルに泊まれるよう手配してくれるというのでヤス君と二人で向かうことにした。

ゲルというのはモンゴルの遊牧民が使用しているテントのことで、おそらく水も電気もないだろうから、スーパーでパンやお菓子など、二日間しのげる程度の食料を買ってからバスに乗り込む。

「テレリチ行きのバスに乗って、ミリヒーハッというところで降りるんだよ。そしたら迎えが待ってるはずだから。」念のためモンゴル語(ロシア文字)でその地名を書いてもらっておいてよかった。モンゴル語の発音の難しさときたらそれはもう・・・やたら「リ」に近い音をわざと舌足らずな風に発音するので喋りにくい覚えにくい聞こえにくいの三重にくい。

ウランバートル市街を抜けた途端何もない草原や山が広がり、それを目にしてそういえばオレモンゴルだった・・・と再認識。満員のバスに二時間立ちっぱなしで揺られると、ついに到着。ミリヒーハッ!

バスを降りると何やらこちらを窺っているオバちゃん。この人かな?「ゲル?」あ、この人かも。イェスゲル!バイカに書いておいてもらった、ゲルの人の電話番号をみせて、これオバちゃんの番号?ときくと「いや、違うわねえ。」あら?違うの?

でも他に人影はないし、一泊の料金を尋ねるとバイカが教えてくれていたところより安かったので、じゃあオバちゃんとこ行きます、と車に乗せてもらう。

大通りをそれて小道に入っていくと、ミリヒーハッの集落があった。そして突如眼前に立ちはだかるは巨大な・・・亀!みたいな岩。

さっき日本語で「亀石ツーリストキャンプへようこそ!」と書かれた看板をみかけたし、バイカもタートルロックがすごいと言っていたし、まさに亀みたいだし、これこそ亀石に違いない。しかし巨大だ・・・。一体全体何がどういうことになってこんな巨大な岩が妙な形に重なりあって、亀になっちゃったのだろう。

やたら亀ばかり連呼しているうちにゲルに到着。あら?オバちゃんの家ではないらしい。「サインバイノー!(こんにちは)」やけにニコニコした夫婦が出迎えてくれた。一歳前後の赤ちゃんもいる。ツーリスト用に作られたものではなく、家族が住んでいるところにお邪魔して泊めてもらうタイプらしい。いいじゃないか。

早速ゲルの中へ。わお・・・これがゲル。正面と左右それぞれに一つずつ、モンゴル式ソファーベッドのようなものが備えられており、中央には煮炊きをするための暖炉。ゲルっぽいやんかあ。荷物を置いて、お金の話を先に片付ける。

こちらはモンゴル、あちらは英語が話せないので筆談。「一泊13000トゥグルク。」ご飯付き?「イェス。」ご飯無しだと?「7000トゥグルク。」「あじゃあオレはご飯いいや。ミー、ノーフード!」ヤス君はやはり肉料理を危惧してか食事無しに。ボクはせっかくなのでモンゴルの家庭料理を頂きたく、13000食事付きに。

これ、三食ついてるの?ときくと、「一食3000。カケル3で一日9000。」た、高!じゃあ朝、モーニングね、ノーフード、オンリー、ランチ、ディナーOK?「オッケーオッケー!」

ここまでの交渉に軽く15分は要している。旦那の方は朝からウォッカを飲んでもう出来上がっているらしく、「ハイ!チョットマテクダサイ!ダイジョウブッデスカー!!!ジャスタモーメント。」片言の日本語と英語で一人ハイ。面白いけど、おっちゃん何でそんな鼻曲がってんの?曲がっているというか、陥没している・・・。

なんとか支払をすませ、ゲルのベッドに横たわると、激しい睡魔に襲われそのまま眠り込んでしまった。

すると関西弁を話す日本人の女の子と、西洋人の男がやってきて、「うわ日本人だらけじゃん。日本人が集まると、サムライとカタナの話しかしないからイヤなんだよ〜。」と男がうんざりしたように厭味を言っていたので、起き上がり、誰もそんな話しとるかボケー!と罵声を浴びせ再び眠った。

目を覚ますと、ヤス君がディジュリドゥ(アボリジニの楽器)を吹いていたので、あれさっき日本人と、西洋人来んかった?ときく。「来てないで。」え?はっ、夢だったんですか・・・何だ・・・

一度外に出て散歩でもしようかと思ったが、またしても恐ろしいほどの睡魔に襲われベッドに倒れこむ。

すると今度はさっきここまで車で乗せてきてくれたオッチャンにどこかへ連れ出された。「はい、ホースライディングね。」は!乗馬なんか頼んでないし!戻れ!引き返せ!頼んでもいない乗馬体験コーナーに連れられ、お金を払わされそうになった挙句、ゲルまで戻ってくるなり「タクシー代20ドルね。」と請求され激怒。お前が勝手に連れまわしたんやろが!払うかボケー!

・・・・。あら?

時刻は18時。また夢だったのか・・・恐ろしい、なんとも不快かつ現実的な夢だった・・・。こりゃまずい、このままだと一日何もせずに終わってしまいそうだったので、ヤス君と亀石を拝みに散歩へ出かける。

徐々に陽が沈む中てくてくと歩いていると、「日本人デスカー?チョットこっち来て話さナーイ?」と中々流暢な日本語で話しかけられた。り、力士!モンゴル相撲だ!

ごっつい体をトレーニング中の力士達に挨拶。ところで何でキミは日本語が上手なの?「日本にいたから。埼玉にいた。相撲のケイコして、あとバイトもしてた。」何のバイト?「朝新聞配達して、昼ケイコしたら夜銚子丸でバイト。」ちょ、銚子丸!!回転寿司チェーンやんか!

しかしかなりハードな生活だねそれ・・・「うん。」でもお寿司いっぱい食べれたでしょ?「あったりまえー。でもあんまり。」好きじゃない?「モンゴル人、生の魚食べないから。」そりゃそうだ。

「来月、ナーダム祭りがあって、ウランバートルでモンゴル相撲やるから皆トレーニングしてる。」あ、それこないだ誰かから聞いたよ。でっかいお祭りらしいね。朝青龍も出るの?「出ないと思うよ。もう引退してるし、日本の相撲とモンゴル相撲ちょっと違うし。それに彼今ものすごいお金持ちだから、ウランバートルのサーカスホール買い取ったし、色々ビジネス始めてるみたい。」

ほ、ほほう・・・相撲には詳しくないが、やはり祖国モンゴルからはるばる日本へやってきてそれなりの成果を収めただけあって、それ相応の富も手にしているのか。ふむふむ。

20分程おしゃべりして、「そんじゃあね。」と名前を聞いたけれどやはり発音難しくて忘れてしまった力士君と別れ再び歩きだす。「しかしのどかな場所やなあ。ウランバートルと大違いや。」本当に。モンゴルの総人口は270万人、そのうちの125万人もの人間がウランバートルに集まっているのだから、他の広大な土地がすっからかんなのも納得できる。

こんな場所でフェスとかやったら最高やろうね。山とかあって音も響きそうやし。亀ロックフェスティバル!「そやけどマナー悪そうやなー!皆ウォッカの瓶投げ捨てまくりやろうな。」確かに。

改めて亀石さんに到着。やっぱり亀だ・・・。

亀石の亀石たる所以を目の当たりにし、満足してゲルへ帰る。そろそろ晩飯が用意されてるといいんだけどなー・・・。おい。

煙一つ上がってないやんけ。オッチャン消えとるし、オバチャン隣の家で井戸端会議中。ちょっとちょっと、ご飯まだですか?催促。「ああ、あっちで待ってて。」といったニュアンスのことを身振り手振りで言われるので、じゃあ待ってるから、頼むよ。とゲルの前のテーブルに座って待つ。

来ない。オッチャンが戻ってきたので、腹減ったんですけど。と告げると、「アッチの、あの坂の上の家行きな。飯食わしてくれるから。ディスウェイディスウェイ!」え?お前らが作るんちゃうんけ。

言われるまま坂の上のもう一つのゲルへ向かうと、中から今朝バス停でボク達に「ゲル?」ときいてきたオバちゃんが「こっちだよー。」と手招きしてくれていた。よかった・・・何かしらは食えるらしい。

「はい、まずはヨーグルトね。」うわお、これはまさに自家製、裏の牛から搾り取った乳で作った新鮮なやつではないか!?「友達は?」あ、友達はね。ご飯いらないんだって。「連れてらっしゃい。お金はいいから!」え、ほんと?

仕事を終えた旦那さん、あ、このオッチャンも今朝一緒に車に乗ってたな、も帰ってきて、ヤス君も連れてきて四人で晩餐。「ヨーグルトうま!」炭酸が入っていそうなほど、シュワシュワしそうに酸っぱいので砂糖をいれて調整しつつ、メインのモンゴル風スパゲッティ炒めも頂く。

「やっぱ家庭の味が一番やなー!」本当にそう思う。レストランで食べてきたどのモンゴル料理よりも美味い。味付けもさっぱりしていて和食に近いし、何よりこの夫婦が最高にいい塩梅。人がいいのだ。

ごちそうさまでした。アムッテ(美味しい)!バヤッラー(ありがとう)!「これ、着てみるかい?」そう言っておっちゃんがおもむろに取り出したのはなんと、モンゴルの馬乗りが冬場に着るコートと、ブーツ、毛皮の帽子三点セット!

ヤス君と順番に着せてもらい、ゲルの前に立ち記念撮影。うわーますますモンゴル!しかしこれ温かいな!冬場のマイナス50度にも耐えられそうやわあ。撮れた写真を見てみるともうボクの顔はモンゴル人でしかなくなっていた。

「ちょっとこっち来て、手伝って。」今度はゲルの裏に連れ出され、何をするのかと思いきや子牛達をケージの中へ入れるのだと。皆でそうっと追い立てて、うまい具合にケージへ。時には投げ縄のようなもので捕まえて連行。

こいつら可愛いなあ!なんじゃこの潤んだおめめは!なでなでしながら、フランス料理とかだとこの子牛も食べちゃうんやんね。でもそんなこと言い出したらキリがないな。子牛だけじゃなくて全部同じ命を切り取って食べてるんやもんね。としみじみ話す。うーむ。

上ってきた月が空を仄明るく照らし、雲が流れてゆく。明日には満月になりそうだ。温かいホットミルクを頂いて、ゲルに戻る。

そんな幻想的な空の下、便意を覚え茂みで用を足す私。尻を拭く際に変な植物に触れてトゲが刺さり、痛ーっ!マンガだったら半ケツ状態で2メートル程飛び上がる勢いの痛さだよこれは、などと思いながらどうにか眠りにつく。

やっぱりモンゴルの酒飲みはろくでもない

実家に帰ると、知らないおっさんが中にいて、ボクが友達を連れているのを見るなり「何やそのストリートチルドレンは。」と侮辱したような言葉を放ってきたので怒り狂い、一体どうなってんだと思っていたら今度は窓の外にゾンビのような輩が現れ、中に入ってきたので必死にシャベルで頭部を殴打して対抗するも全く利かない。ああもうどうしよう訳が分からない。すると突然そのゾンビたちと野球をし始めた。

悪夢!!!!何じゃこりゃー!と目を覚ますと、ウワ!変なオバはんがゲルの中ぐるぐる回りながら呪文みたいな言葉叫んでるー!怖!またこれも夢かー!

夢ジャナーイ!!!! 現実やんか!あ、そういや寝る時一人オバはんゲルの中おったかも。しかしえらい酔っ払ってたから、これきっとまだ酔いさめてないで・・・「コラ!何しとんねん!さわんな!」とヤス君の怒号がとんだ。暗いのでよく分からないが、オバはんが彼の荷物をガサゴソしだしたらしい。

しばらくすると外に出ていったので、その隙にカギをかけるヤス君。な、何やったんあれ・・・「わっからんもう最悪や、めちゃめちゃ酔っ払ってたわ・・・」まだ4時半ですよ早朝。

あれからどうにか再び眠りにつき、8時半に目を覚ます。しかし昨日からの悪夢といい夜中のオバはんといい、何か薄気味悪い・・・。

持参していたパンで朝食をとり、このゲルよりさらに奥に見えるもうひとつ巨大な岩っころと、その後ろにあるらしいお寺を見学しに出かける。

ちょっとしたロッククライミング気分を味わいつつ、巨大な岩に到達。これまた何でこんな形に・・・転げ落ちもしないで静止しているのか。自然にはやはり敵わない。

岩山を反対側に降りて進むと、お寺を発見。こんなところに観光バスが。中国人の団体だろうか?やや?違う、日本人だ!「ああなるほど、これはこれで、こうなのねうんうん。」ガイドと話しながら何やら納得しているらしい彼ら。50代から60代前後の団体さん。しかしこのような辺鄙なところにやってくるなんて、日本のツアーも中々面白そうじゃないか。

階段を上がりお堂へ辿り着くと、管理人らしき爺さんがいたので、じいちゃんこれカギ開けていただけますか?中を拝みたいのですが。と尋ねる。「トゥーサウザンドトゥグルク。」微笑みながらそこだけ英語。「何やねん。がっかりやな。トゥーサウザンドて・・・。」

ウランバートルの呪術的なお寺からして、モンゴルのラマ教はつくづく世俗的な匂いをかもしだしていたが、こんな辺境の地にあるお寺の爺さんまで金金金かよ。中を拝ませて、それから「お布施等任意で。」って言うならいいのだが、いきなりトゥーサウザンドトゥグルクはないだろう。煩悩そのものやんか・・・。

とはいっても悪い人ではなさそうなので、雨宿りがてらお堂の前に腰掛けあれこれ語る。爺さんも、「変な日本人がやってきて何やら語っておる」といった具合で隣に腰掛けボク達の話を聞くでもなくぼうっとしている。

「そういやゲルのオッチャンら、今日ヤギ絞めるって言ってなかったっけ?帰ったら準備してるかもよ。」でも酔っ払いながら言ってたから覚えてないんじゃないかな〜。

絞めてました。

二頭いたヤギが一頭見当たりません。あ見当たりました。地面に転がって今まさに解体されておりました。「よーう!ヤギだぞ!あとでランチね!ハイ!ダイジョウブデスカー!ハイハイ!チョトマテクダサーイ!」オッチャンまた朝からウォッカ飲んでるやんか・・・「トゥデイウォッカ!トゥモローウォッカ!」は、ははは・・・

近所のオバチャンもやってきて解体作業をしている。絞めるのを終えたオッチャンはウォッカ片手に、身振り手振りと、ほんの少しの英語でこんなことを言いはじめた。

「昔な、ポリス二人とケンカして、オレブスって刺してやったんだへへ。そんでもう一人のポリスに銃で思い切り殴られて、この鼻こんなになっちまったんだよ。あへへ〜。」ほ、本当かそれは。だとしたらその鼻の陥没も納得できる。そしてきっと、十中八九、酔っ払ったこのオッチャンが暴れた末のケンカだったに違いないと予測できる。

「あれ?オレのパンがない。どこやろ。部屋ん中しまったはずやねんけど。」とヤス君が言い出したので、パンの捜索を開始する。「オバチャン、部屋にあったパン知らん?」実は昨夜ヤス君の小さいヤカンを無断で使用し、中に入っていた貴重なお茶をこの連中に飲まれていたというちょっとした事件があったので、念のためきいてみると

「おいこら何しとんねん。何勝手に食べてんねん!これオレのやろ!」夫妻の住む離れの部屋から、食べ終わったパンの袋が出てきた。「泥棒やん。しかもこれ盗ったんオレらが昨夜あっちでご飯食べてる時やで。絶対計画的やろ。金返せや。」言葉は全く通じないが意味は分かっているらしく(分からないわけがないが)1000トゥグルクを返すオバチャン。「足りんやろ。」さらに500。

仮にも客ですよ。家庭的なゲルに泊まって、フレンドリーに接するのは大歓迎ですよ、それで親交を深めるのなんて最高でしょう。でもね、仮にも、客です。お金を払って、泊まってるんです。その客の私物を勝手に取って、食べるって。犯罪やからね。

「ソーリー!ベイビーアンドドッグ!」赤ちゃんと犬が食べたと主張するオッチャン。情けない。赤子や犬が自らゲルん中入って人のパンを取って食べるわけがないだろうが。すると見せしめといわんばかりにわざとらしく自分の赤子の尻を叩き泣かせ、犬にナイフを投げつける。最低やん・・・。「赤ちゃんめっちゃかわいそうや。」

すっかり気分を害してしまって、ヤギのランチを頂く気も失せた。苦痛の内に亡くなられたヤギさんのご冥福をお祈りする。そこへ昨夜ご飯を食べさせてくれた優しい方のオッチャンが馬を連れて通りかかったので、ヤス君が事情を説明。すると「うちんとこ来るかい?」と言ってくれたので即移動。「ゴメンけど無理やわ。あと一泊だけやけどこんな所おられへん。」

荷物をまとめ、飲んだくれ泥棒夫妻のもとを離れる。と、またしても「トゥデイウォッカ!トゥモローウォッカ!」とふざけた事を言っていたので、ノーグッドやで。と言うと「ファックオフ」と言いながら中指を立ててきた。

信じられない。あの男は一生ああやって酒に溺れて自分を見失って周りに迷惑かけて死んでいくのだろうな、と妙に冷めた目で一瞥し、歩きだす。ファックオフなんてどこで覚えたのだろう。

客ですよね?客でしたよね?接客に対する概念が海外と日本では大きな差があるのはもちろん承知だが、それにしたって客の食料を盗んで食べて人のせいにした挙句中指立てる人間に、いまだかつて会った事があろうか?あるわきゃない。

優しい方のオッチャン、その名もインヘのゲルへ移動するなり、「はいヨーグルト。パンとかしかないけど食べてってね。外出るときは、これ、このカギかけて、カギはこの隣の倉庫に隠しておいてね。じゃ。」と軽い昼食をボク達によこしてインヘはさっさと仕事へ戻っていった。

「いやーあ!めちゃめちゃ落ち着くわ・・・ほんまあのオッチャンええ人やな。あと一泊でも移動してよかったわ・・・。」やっぱさ、昨日のオレがみた悪夢とか、異様な睡魔とか、直感的に何か嫌なものを察知しとったんかなとか思ってきだした。だってあんな昼間に眠たくなることも、あそこまで現実的な悪夢みることも滅多にないんやもん。「そうなんかもなあ。尚更移ってよかったよ。」

少し休むと、水を持って散策へ出かける。今日はぐだぐだ寝ていられないぜ活動的な一日にするぜという気合とともに。

バイカ曰く、この亀石地区の10キロほど先にテレリチという町があって、そこもナショナルパークの一部なので何かしらキレイな景色が広がっているそうだ。ではそちらへ参りましょう。一路東へ。

最近事あるごとにヤス君とは語りあっているが、此度もまた熱い語らいあいを繰り広げつつ何もない道を歩き続ける。日差しがきつく乾燥しているため、あっという間に足元はサンダル焼けし、唇が乾いてひび割れしてしまった。

途中小さな川を発見し、足と顔、頭をジャバジャバ洗ってみる。冷た!気持ちヒイ・・・水中にウジ虫に似た形の白いゴニョゴニョした生き物がいたが気にもならないほどに。

さらに歩くこと二時間。一向に見応えのある何か、が見当たらない。持ってきた水も底を尽きそうだし、疲れたよとっつぁん・・・おや?右方に何やら怪しげな新興宗教団体の施設のような建物を発見。トリック(というテレビドラマ)のロケで使われていそうな雰囲気。

もしかするとお店があるかもしれない、意を決し内部へ潜入。幾人かモンゴル人観光客らしき人々が中へ入っていく。と、ウェイトレスのような格好をした、まさしくウェイトレスが現れたので、何か飲み物を売っていませんでしょうか?と尋ねる。「イェス。カモン。」

ギョギョ。なんとレストラン併設。しかもメニューに日本語。一体何故・・・深まる謎・・・辺境の怪しげな施設内部のレストランのメニューに突如飛び出た日本語・・・高すぎる料金設定・・・どうするオレ達・・・

じゃ、マルチビタミンドリンク下さい。

ウランバートルのスーパーなら600トゥグルク(42円)で売っているジュースを二倍の料金で購入し、がぶ飲み。高いが美味い。喉の渇きを癒すと、急激に疲労と眠気を覚えてしまった。「危ない、このままやったら寝てまう。行こか。」

空調なんて現代兵器を備えているから危ない危ない。必死の思いでレストランを後にし、三時間かけて来た道を引き返す。「結局バイカの言ってた場所よう分からんかったな。」やね。でも大体オレの旅こんなんやから満足です。

疲れ切っているのにも関わらず語り合いは尚も止まらない、ロマンティックが止まらない。足ががくんがくん、志村けんのおばあちゃん状態になってミリヒーハッに帰ると時刻は既に20時近かった。

ゲルの前のテーブルで日記を書いていると隣のゲルの子供達がちょこまか遊びまわっていたので、写真撮影。撮った写真を見せてやると満面の笑みを浮かべてくれた。何だろう・・・ありがとうお前達・・・今私は物凄く癒されました。

蚊がいないかわりにサンドフライが大量発生していてちくちくかゆい。ちきしょー。と躍起になっているとインヘがおもむろに炭と一緒に牛糞を乾燥させたものを炊き始めた。「これでいなくなるから。」なるほど自然の蚊取り線香。若干ニオウけれど。

「ちょっとこっち来な。」インヘと、インヘのお父さんに呼ばれ林へ向かう。一体全体何だい?「ほらよお。これ。」地面に埋まった石を指差すジッチャン。はっ!ク、クリステ、じゃなくてクリスタルやんかあー!

「掘るぞ。」と言われ皆で掘り出す。ピッカーン。ジャミラたちは、モンゴルクリスタルの原石を手に入れた。これは何という石なのだろう?加工するとキレイになるのだろうか?高く売れるのだろうか?

クリスタルをボク達に見せ、掘り出すとそれに満足したらしく、インヘとジッチャンはまた子牛達をケージに入れる作業にとりかかっていったので、ボクも手伝う。ひっとらえーい!

捕まえた!んじゃ、ヨーシヨシヨシ・・・ホイナホイナ〜・・・なでなでしながらケージに連れて行くが、いやよいやよと必死に踏みとどまる子牛ちゃん。何もせんから言うこと聞いて、ちょ!と力任せに引っ張っていると「そうじゃなくて、こうやっておしりを片手で押してやるんだよ。」とインヘが教えてくれたので、実践。

あらまあ簡単。いとも簡単に動いてくれました。ジャミラはレベル18に上がった。子牛の小粋な動かし方を覚えた。

子牛と、子供達としばらく遊んでいると、オバチャンがゲルから「ご飯よー!」と呼んできた。非常にこう、温かい瞬間に感じられた。「ご飯よー」だって。

今日はモンゴル風ラーメン。「ラプシャだよ。」頂きます!うんまー!!!牛肉のだしがものっそ出とってうまい!アムッテー!「おうアムッテアムッテ〜。」改めまして、こっちのゲルに移動してきてよかった。

食後、馬に乗せてもらいまたもや観光客的な記念撮影をして、満月を眺める。「サッル。」月はサッルというそうだ。サルか。サルは日本語でモンキーなんだよ。「アハハハ。」

ジッチャンのリクエストで、ヤス君がディジュリドゥを披露する。初めて目にするらしく、長い筒状のそれを覗き込もうとする姿が実に可愛らしいジッチャンとバッチャン。

今日も寝る前にホットミルクを頂いて、ほっと一息ついたらおやすみなさい。

都会は都会で好きなんです

翌朝6時半に起床し、朝ご飯にパンとホットミルクをいただき支度をすると、バス停へ向かう。オバちゃんも用事があるらしく一緒にウランバートルへ。

去り際に裏の子牛をなでなでしに行くと、気持ち良さそうな顔をしてボクの腕をペロペロなめてくれた。朝っぱらから愛くるしいぜまったくよう。ベロはザラザラしているけれど。

対象物があまりにも少ないので、近いような気になっていたが、実は大通りからゲルまで徒歩40分近くもあった。バス停までもう少し、というところで車が通りがかり、オバちゃんに何やら話しかける。「乗って乗って」この車もあちらの方へ向かうらしく、便乗させてもらうことに。

一時間ほど走った途中の町で降ろしてもらい、そこからまたバスに乗り換える。「バスは700一人だからね。気をつけてね。じゃあバイバイね。」オバちゃんはこの町に用意があったそうだ。ありがとう。またね!バイバーイ。握手をして別れる。

某ウルルン滞在記なら涙の一つも流せば視聴率アップだが、生憎ボク達のことは誰も注目していないのでごくごく普通にバスに乗り込んだ。

帰ってきましたよ首都ウランバートルに。さきほどまでの草原や山とは全く別世界。でもこれはこれで落ち着くんだオレ。オーストラリアでしみじみ思ったことだが、やはりボクには水、電気のないアウトドア生活はあまり向いていないのだ。顔に似合わず。

必要とあらばそりゃあどこでだって寝られるけれど、基本的には毎日体をすっきり洗いたいし、歯だって磨きたい。パソコンだっていじったりしたい。現代人ですわたし。

バイカの宿へ戻るとすぐにシャワーを浴び、洗濯を済ませる。部屋でくつろぐ。チベットに行けなかった代わりに、ラサにいる三人娘チュドゥン、ペマ、ロサに手紙を書き、唯一自分でできるミサンガじみたものを糸三色を駆使して作る。

明日の電車でウランバートルを経ち、再び中国に戻るので、ちょっとした土産物を買いにお寺の近くの仏教グッズ屋さんへ行ってみる。

チベット語で「オンマニペメフン(日本の南無阿弥陀仏のようなもの)」と書かれた指輪と、魔よけのシール、を購入。ミーハー感たっぷりだが、いいじゃないかチベット好きなんだもの。

夕飯には、最後のモンゴル料理を頂くべくファーストフード屋へ立ち寄り、ボーツ(モンゴル風肉まん)、ホショ(モンゴル風揚げ餃子)、スープ、サラダ、飴ちゃん、ツェ(モンゴル風塩味ミルクティ)のセットを注文。肉ばっかだ相変わらず。

肉ばっかなモンゴルとももうすぐお別れだ。あと悪酔いした中年男共とも。

来た道戻るもなかなか楽しい


翌朝、ツィギーに連絡してちょこっと会うことに。メールアドレスを聞くがてら軽くお別れをしておきたかったのだ。出会いは大切に。

「え!ジャムヤンまだウランバートルいたの!?てっきりもう日本かと思ってたわよ!」そういえば電車をキャンセルしたことなど言い忘れていた。そういうわけなんです。今一度仏教グッズ屋へ。

これまたチベット語で「オーム」と書かれたネックレスと、魔よけのシールを追加で二枚、それからお香を購入。これで手持ちのトゥグルクを全て使い切った。モンゴルの貨幣など残しておいても使えやしないから。

連絡先を交換し、それじゃあまたね。ありがとうね。とツィギーにお別れ。宿に帰り、荷物をまとめていざ出発。ヤス君は来週ウランバートルから大阪にダイレクトで帰るためもうしばらくここに滞在。モンゴルエアーが期間限定でウランバートル、大阪間を格安で航行していてよっぽど悩んだが、やはり今一度中国へ戻ることにしたのだった。

そんじゃまた大阪で会えたらあいましょ。とヤス君ともお別れし駅へ。タクシーは使わずに歩く。ああタクシー・・・モンゴル初日で奪われた20000トゥグルクが痛い。

16時すぎに電車に乗り込み、定刻の16時半丁度に出発。今回もまた一番安い座席なのだが、前回の利用で、二段ベッドを早い者勝ちで確保すると寝転べることを知ったのですぐさま荷物をおいて二段ベッドを用意し陣取る。

ここ数日前から急激に気温が上昇し汗がダクダク流れる中走り出した電車に揺られ、風を受けながら景色を眺める。やはり何もないひたすらの草原。以前はもっとこの緑が深かったそうだ。今は荒野が緑色になった程度なのでみずみずしさはない。

小一時間眠り、またぼうっと景色を眺めていると、下に座っていたおばちゃんに「ちょっと、そこ代わってよ。」と言われた。なにを!?せっかく確保したのに。ちなみにおばちゃんの席はどこ?「29よ。」ボク28。「だったらあんたは下よ。あたしがそこなの。」

ちぇ。と思いつつ下に降りる。すると仲間のおばちゃんが「あたしらさ、ほら、体デカいから、あんた、一番上で寝てくれない?」と物置き部分を指差して言ってきたので思わず笑ってしまった。デブを自称するなんておばちゃん潔いね!オッケー分かりました。「あんがと。」

「これ食べな。」と白い奇妙な塊を渡されたのでかじってみると、モンゴルのチーズだった。スッパ!うわマッズいなこれ!とスッパい顔をするとみんな嬉しそうに笑い声を上げた。

お礼にボクの好物ドイツのグミ、HARIBOをあげる。読んでいた日本語の本を興味深げに手にとってはいるものの、見事にさかさまだったので、おばちゃんこれこう向き、ね、そんで上から下、右から左に読んでいくんやで。と教えてあげる。「あーはーん。」

ロシア文字でなくモンゴル独自の文字もかなり変わっていて、縦書きな上に左から右に書いてゆくのだそうだ。変なの。

日記を書いたり、ジャミポッドをきいたりしているとモンゴル版真矢みきみたいな顔をしたちょっと美人なおばちゃんが突然携帯を手にボクを撮影しだしたので、にっこり笑ってみせつつ隣の巨漢おばちゃんと並んでツーショットを撮られる。

「なんたらかんたらアサショーリュー!うんたらかんたらアサショーリュー!」とやたらアサショーリューを連呼しながらみんながこの巨漢おばちゃんの体型を指摘していて、当の本人も両手の人差し指を並べて「なんたらかんたらあたしとアサショーリュー」といった具合に何やら説明しているので、もしやおばちゃんアサショーリューの妹!?シスター!?と尋ねると、「うん、うんうん。」絶対通じてないのに頷かれた。

果たしておばちゃんが本当にアサショーリューの妹なのか、ただ体型がアサショーリューなだけなのか、今となっては真相を探りようがないが、何にせよ皆いい人達なので安心あんしん。

「これモンゴルポップス!」と今度は携帯に入っている曲を聞かされる。まさにモンゴルポップス、といった音で面白いがあまり好きにはならなかった。だって昔のカラオケソングみたいな軽い音な上にわけの分からないモンゴル語の発音なんだもん。

真っ赤な夕陽が沈み暗闇が訪れると、ボクも物置きによじ登り眠りについた。来た道を戻るのはあまり好きじゃないけれど、飛行機でたったの4時間で日本へ着くのならこっちのほうがやっぱりいいや。

さようならモンゴルども

翌朝7時、まわりがざわつき始めたので目を覚ます。いくらか電車を降りる人達がいたので下のおばちゃんを見てみると、「じゃあね。バイバイ。」あ、おばちゃん達も降りるのかバイバーイと手をふる。「ちょっとあんた、バイバイじゃなくて、あんたもよ!」え?ここザミンウド?国境?「そうよ。じゃあね。」もう着いた!

朝一のウンコちゃんをする間もなく電車を降りると、見覚えのあるザミンウドの駅だった。

ここから中国側の国境エレンホト行きのバスもしくはジープを見つけねば、と外へ出ると、大きなバスが停まっていたので尋ねてみる。「これ北京行くよ。」ありゃ、本当?いくらですか?それだと都合がいいや。「220元。」それなら前回来たのと同じ料金だ。乗ります。

人が一杯になるまでしばらく待ち、出発。五分で国境に到着。この短距離の移動で80元もジープ(ウランバートルで会ったオランダ人曰く)に払うのはやはり高すぎるぜ・・・。

荷物を形だけ(にみえる)検査機に通し、出国スタンプぽん。バヤッラ〜


再び中国日記

モンゴル(2010年6月14日〜6月26日)