勢い上げて濃さを増す

すったもんだ吐いたクソした中国を出国し、ネパール側のイミグレーションへバスで向かう。大抵の国境だと、出国側と入国側のイミグレーションは歩いていけるほどの距離なのだが、聞いて驚け驚いた、ここはバスで軽く30分。といっても山のてっぺんからふもとにゆっくりと降りていくので距離にするとそうでもない。

しかし、ただ国境を越えただけなのに、目に見えて違いが分かる。ここは中国じゃないと。漢字が見られなくなったのも明らかな違いだが、何よりそこらじゅうにいる人の顔が、濃い。肌は浅黒く、目鼻立ちも我々東アジア人よりくっきりしている。なんか好きだ、この濃さ。なぜなら僕自身、驚きの濃さでアジア全域をカバーする顔だから。

ネパール側のイミグレーションでビザを取得し、ついに、本格的にネパールへ入国。バスを乗り換え、いざゆかん首都カトマンズ、カトゥメンドゥへ!

走り出したバスに揺られ、窓を全開にしjamipodを聴きながら流れる景色を眺める。旅をしている中で最も好きな瞬間ベスト5ぐらいに入る。他の4つは、なんだろう。建物が中国とはまた違って随分可愛らしい。水色にペイントされた平屋なんか、雑貨みたいだ。雑貨屋というより、雑貨。所変われば建物も変わって、顔や文字や言葉や風景や食べ物や宗教や慣習や常識全てが変わってくる。同じ人間なのに、それぞれの形をもって進化してきたって、改めて考えると凄まじいことだと思う。

途中休憩をはさみ、初のネパール料理を食べる。ダルバートと呼ばれる、野球選手のような名前の、ネパール式定食。カリーと、いくつかの惣菜と、ご飯。飛びぬけて「うまい!」とはしゃぐほどのお味ではなかったが、空腹は最高のスパイス、ぺろりとたいらげた。

更に走り続けること数時間。頭痛を覚えて目を覚ますと、辺りは陽が落ちて、空が茜色に染まっていた。そういえば、夕焼けをみたのは随分久しぶりな気がする。チベットではいつも山の向こうに沈んでいったから、一度もこんな赤い空みられなかったのだ。やはり、いい。夕焼けは、いい。

何故人は、夕焼けを美しいと思うようになったのだろう。そして何故人は、ゴキブリを気持ち悪いと思うようになったのだろう。こういう固定観念も、もしかしてお国によって違ったりするのか?ある国では夕焼けをみると「あーやだきもい。」と罵り、ゴキブリをみかけると「素敵な茶バネ。いいもの見ちゃった」とスキップしたりするのか?いやしない。しないでしょう。

そんなことを鈍い痛みの続く頭で考えていると、街が見えてきたではないか。やや!?こりゃカトマンズ!?着いた!?やった!?俺達やったー!?「バスいかれた。」ゴールを目前にバス故障。ラサ行きで散々、バスには裏切られてきたからもう慣れっこだったはずなのに、ぃやっぱり悔しい。

修理している間外に出てマユ氏とチャイ休憩。すると店の子供が近寄ってきたのですかさずグラビア撮影。ネパーリキッズと初のカラミ。あらゆる角度から撮る、撮る、撮る。キラリと光った君の鼻水、逃さない。姉ちゃんもやってきて撮る。可愛い。子供のかわいさは万国共通だ。これは確かだ。例えゴキブリを賞賛する国があったとしても、子供が気持ち悪い国なんてない。絶対だ。

修理が終わり再び走り出す。もうかなり暗くなってきている。道が混雑し始め、ほこりと排気ガスが8時だよ全員集合しちゃい、むせる。渋滞に巻き込まれながら走ること1時間、ようやくカトマンズへ到着。ラサからバスで共にやってきたチベット人、ネパール人達に別れを告げ、本日の宿探し。

「キャメルが安宿街だよ。」キャメルかぁ。ネパールには来たことのあるマユ氏にまるっとお任せしてついてゆく。御多分にもれず、ガイドブックはおろか何一つネパールに関する情報を所持していない私ジャミラ。それにしてもキャメルって君、ラクダで栄えた街なのかしら?

正しくは「タメル」地区だったことを何度目かの会話でようやく知りつつもあえて、あたかも最初からタメルと発音していたかのように自然に、タメル宿多いなあ!と言う。まさか何一つ知らない上にタメルがキャメルでラクダだと思っていたなんて、言えない。言えないし言わない。

まるっとお任せしてついていった宿にチェックインして、夜のタメルを闊歩する。人だらけ、店だらけ。日本食屋が何軒かあったので、そのうちの一軒へ入る。あ日本だここ。メニュー日本語、料理日本語、でもウェイターネパール人。190ルピー(約380円)のからあげ定食を注文。

久々の和食、だが所詮海外で食べる和食だ、あまり期待しないほうがいいだろううまーーーーーい!!!!!なんだこれは!?拳銃で撃たれたアフロの刑事が死に際に思わずこぼした一言のような感想が思わずこぼれた。

まさしく和食。日本から遠く離れたこんな地で、こんなに美味いKARAアゲ定食が食べられるなんて!マンモスやっぴ、危うく一つ屋根の下で小雪役を演じていた元アイドルの往年の流行語が思わずこぼれそうになった。

ネパールの初夜は、和食の美味しさと、24時間バスにのっていたためにほこりまみれになった体中の汚れにつつまれて更けていった。(ちゃんとシャワー浴びました)

チベットじゃないから息切れない、日本じゃないのに和食うまい

熱っぽい体と止まらない鼻水、それからタン。風邪の諸症状が見事に現れながら起床、だが思ったほどだるさは無かったので普通に歩きまわる一日。ネパールもモモ(餃子)は有名な料理だそうなので、早速モモ屋へ足を運ぶ。「11時オープンだから」結局パンを買って食べながら歩き、残っていた中国元を全てルピーに両替する。やっぱりだるい。宿に帰りベッドに倒れこむ。30分程休憩して再び外へ。

先を見据えた男は、次なる目的地インドを見据えてビザ取得のためインド大使館へ向かう。なんとなく歩く。探す。尋ねる。するとどうだろう、そこらへんにいたおっちゃんが、英語できちんと道を説明してくれるではないか!なんて容易い!つい最近までいた何とかっていう国は、フォトの一言すら通じなかったというのに!なんだか容易くて嬉しくて、満面の笑みで礼を言い、教えられた方向へ歩き出す。

大使館・・・大きな使いの館・・・あれこちら小さな路地裏?重大な事実を忘れていた。そう、英語が通じてマンモスやっぴなのはいいのだが、会話ができたところで一人では容易く目的地に辿り着けないということを。方向音痴。

何度も尋ねながら二時間近くかかってようやく大使館をみつけた頃には「もう今日終わったよ」。

失意のうちに宿へ戻り、どっと疲れて不貞寝。16時頃目を覚ますと別行動をしていたマユ氏が帰ってきていたので、二人でダルバールスクエアという野球選手の名前のような広場へ。

お寺のような建物がいくつもあって、そこで旅人や現地の人達、あと猿、がそれぞれに憩っている。お寺の少し高いところに登り、我々も憩ってみる。夕空に、雲が流れ、ちぎれるのをみて、なんとも言えない幸福感を覚える。つくづく夕焼けが好きらしい。

日記を書いていると、サンコンと名乗る地元の大学生に話しかけられる。(因みにオスマンサンコンは黒い靴下しかはかないそうだ。プチ情報)「英語の勉強も兼ねて、ツーリストとしゃべるのが好きなんだ。あ、ちょっと紙とペンある?」

手に持っていた日記の最後のページを開いて渡すと、すらすらとお絵かきを始めたオスマンサンコン。一体なにごと?「はいできた。」とても上手に描かれたのはブッダの目とモンキーテンプルと呼ばれるお寺のストュパ(仏塔)。ありがとう。突然お絵かきしてくれて。

暗くなってきたので晩飯を食らいに行こうと歩いていると、チベット寺をみつけたのですかさず入る。子供から青年ぐらいまでのお坊さん達が読経している。ここでチベットで出会った「日本語ぺらぺらのチベット人」ニドュンからあずかったお布施を、少しずつお祈りをしながらおさめていった。そこには、何者にも邪魔されることなく堂々と飾られたダライラマ法王の写真。自由の意味を少し知る。

さて今宵も迷わず訪れたのは日本食屋。今日はちょっと奮発してトンカツ定食。隣に座っていた日本人の男性と旅の話をする。年のころ「おじいちゃん」層な彼は、もう随分前からネパールへ足繁く通っているそうで、何故そんなにもあなたを虜にしてやまないのかと尋ねると、

「ここは昔の日本みたいな、どこか懐かしいものがある。何年たっても変わらないものがある。」と仰った。昔の日本なんて2ミリほどしか知らないけれど、分かる気がする。昭和の温かい空気に似たものがあるような。しかし旨い。何が旨いってTONKATSU。味噌汁もお新香も。

食欲を満たした我々は腹ごなしにパン屋へ。冗談です、タメルに何軒かあるパン屋は、いずれも夜8時を過ぎると全品半額になるのだ。賢い我々は翌朝のごはん用に、買い置きしておくのだ。ピザパンとクリームパン(僕の手は異様に肉々しく、クリームパンのようだと形容されることがしばしばある。プチ情報。)を買って帰り、ピザパンを食べて就寝。あれ?

運命に近い出会いは一杯のチャイから

少し肌寒さを覚えて起床し、てきぱきと着替えて向かうはリベンジインド大使館。さすがに昨日行ったばかりだから迷うことなく到着、しかしすでにビザを求めて群がった異国人達の行列が。整理番号をもらい列に並ぶ。

待つこと軽く3時間。重いよ。ようやく順番がめぐってきて、テレックス代だかなんだか、用途不明な300ルピーを支払い、あ。というまに終了。五日後にまた来いとのこと。面倒なことこの上ない。

さっさと宿に戻り、今度こそモモを食べにゆく。う、うまいここのモモ。さすがマユ氏が太鼓判を押すだけのことはある。

食べてばかりもいられないということで、バスに乗りこみボダナートという所へ。30分ほどで到着。巨大な、青い空に白く映えるストューパ。そこに登り休憩。ちらちらこちらを窺ってくるネパール人姉妹に微笑み返しして、ついでに少しおしゃべりして、向かいのチベット寺へ。

ここでもニドュンから預かったお布施をしっかりおさめてまわる。そしてここにもダライラマ法王が。やはり、凄い。いや、本来普通であるべきことなのに、チベットを経てようやく拝めたダライラマ法王は、凄いと感じずにいられなかった。

裏の通りを適当に散策していると、なにやらいいヴァイヴを放っているチャイ屋があったので、そこでチャイ休み。子供の写真を撮ったりしていると、向かいに座っていた青年が話しかけてきた。お決まりの「どこからきた、何しにきた」というような会話。

預かったお布施がまだあったので、チベット寺を探している旨を告げると、「僕が案内してあげる」と。嬉しいのだけれど、こういう輩は大抵あとでガイド料の類を請求してきたりするから、マユ氏と考えあぐねていると、それに気づいたらしい彼は「お金とかいらないから!」と付け加えてきた。まあ考えたって、あぐねたって行ってみないと分からないから、よろしく頼みます、と連れていってもらうことにした。

プラカシュという名のその青年は、このすぐ近くに住んでいるらしく、専門学校のような所でホテルマネージメントを学んでいる学生だそうだ。なるほどホテルマネージメント。それにつけても、なんだろう、いい雰囲気。穏やかで、ほっこりとする町並みを3人で歩く。

小一時間で着いたのは、小高い山の上にあるコパンという名のチベット寺。空が澄み渡ってきれい。さあ参拝しようと門をくぐ、あれ、閉まってる・・・。諦めてまた明日来ようかと話していると、プラカシュがお寺のお坊さんにお願いしてくれ、中に入ることができた。ありがたい。

ここにはお坊さんのための学校も併設されていて、まだ沢山の子坊さん達が教室で勉強している。皆一様に袈裟を着て席についていてかわいらしい。

ストゥーパや、小さな石像などでかたどられたブッダの一生などをみてまわり、陽が落ちてきたので下山。町に戻る頃にはかなり暗くなっていたので、秘密兵器ヘッドライトを装着し、夜道を素敵に照らす。「家近いから寄っていきなよ。」うっかりすっかり打ち解けた我々、お言葉に甘えてお邪魔することに。

すると家族がわんさか登場。まだ3歳ぐらいの妹から、弟、姉、母、母、ハハ・・・ハハハ?あれ?プラカシュなんでお母さん二人もいるの?「一夫二妻でございます。」なんだか複雑な家庭環境・・・。妹にこれまた秘密兵器シャボン玉をみせてやると、えらく喜んでくれた。「飯食ってかえりんしゃい」もうすっかり図々しくなった我々はさらにお言葉に甘え、ネパールの家庭料理をご馳走になる。

やってきたのはダルバート。またもや野球選手のような名前のご飯。か、辛!!でも初めて食べたものより断然旨い。美しいほどにたいらげ、メールアドレスを教え、プラカシュの電話番号を教えてもらい、厚く礼を言って宿へ帰る。

そして今夜も「明日の朝ごはん」として買って帰った半額のドーナツを食べて寝る。いい一日だった。観光名所を巡るよりも、やはりこういうローカルなことにまみれたいと、改めて思ったのであった。

ローカルにまみれた輩と観光名所を巡る

穏やかな空気が気に入り、更に昨日の出会いもあってか、タメルの喧騒を離れボダ(ナート)に何泊かしてみようと会議の結果きまった我々は、数泊分の荷物だけ持ってあとの大きな荷物はタメルの宿に預けて、焼きギョーザ定食を軽くたいらげボダへと向かった。

ゲストハウスを何軒かまわり、少し裏手の安くてそれなりにきれいで眺めのよいところにチェックインした。二人で250ルピー。プラカシュに電話をかけ、ボダに「来ちゃった」と告げ例のチャイ屋で待ち合わせ。

少し早めに着いてチャイ休みしていると、時間ぴったりにプラカシュが現れた。テンプーという乗り合いバスですぐさま出発。どこへ。途中映画館を見かける。ネパール映画、面白そうだ。今度行こうと約束して、しばらく揺られる。「着いたで」

スワヤンブナート。というお寺らしい。またもやそびえたつ大きなストゥパをコルラ(ぐるぐる)して、入場料100ルピーを支払い中へ。ちなみにネパール人はタダ。いいなー!観光客がやたら多い。猿もやたら多い。

あまり落ち着かないでいるうちに頂上へ到達。「カトマンズが一望できるぜ」なるほどいい眺め。そこでおしゃべりしていると「名前ジャミラやろ?じゃあ、ネパール名ジャンゴね。マユは、マヤね。」とチベット名に続き現地名を頂戴した。意味は何なのだろうか。「でっかいって意味ね。ジャンゴ。マヤは愛って意味なんだよ」僕の何が一体でかいのか、ナニか?まさか。

大の大人3人がシャボン玉をしながらメルヘンティックに歩いて、マニをぐるぐるとまわして、チョウメン屋へ。焼きそば屋だ。ネパールでは牛肉よりもバッファロー肉が多く使われていて、もれなくチョウメンにもバフ肉が入っていた。美味しいけれど、牛肉のほうがそれは美味しい。贅沢は敵です。ホットレモンでほっと一息ついて、ボダへと帰る。

夕方のラッシュと重なってしまったため、大量の排気ガスと渋滞に巻き込まれた。頭痛くなってきたよ・・・するとさらりとサリーを着こなした美しい女性が乗り込んできたではないか。頭痛がおさまる不思議。

1時間近くかかりようやくボダへ帰り着き、部屋でリンゴをかじりながら3人で、写真をみせたり、jamipodに入っていたプラカシュの大好きなエミネムを聴いたりしていると、プラカシュが「日本ってだいたい月給いくらぐらいなの?」と質問してきた。

まずい。非常にまずい。いや、まずくはないのだが、できれば言いたくない。しかし嘘をついたって仕方がないので、だいたいこれぐらい、と答えると、やはり驚かれた。そりゃあそうでしょう、ネパールの月給の何倍もあるんだから。 悪い事をしたわけでもないのに少し「申し訳ない」に近い感情を覚えてしまった。

また明朝会う約束をして、プラカシュを見送る。シャワーを浴び、ハミガキをしながら外を眺める。星空と虫の声と、どこかから、おそらくお寺から聞こえてくるホラ貝の音。タメルの「日本食まみれ!わーい!」なところも好きだが、落ち着いてのんびりと過ごすには断然ボダがいい。「穏やか」の本当の意味を知った気になる。

朝練並みの早起きで観光嫌いがしっかり観光


5時半起床、もぞもぞと支度をしていたら「ジャンゴー」プラカシュ現る。朝からなんと爽やかな顔してるんだキミは。早速出発。三人で歩く。少し肌寒い。20分程「子供の頃ジャンゴはどんな人になりたかった?」などと割と朝っぽい爽やかな話題でトークしながら歩くと、到着。したのはパシュパティナートというお寺。広場でヨガをやっている集団があったり、更に爽やかな感じだ。

寺院内にはヒンドゥー教徒以外入れないそうなので、外から軽く拝んで、ベンチで休憩。猿、猿、猿。猿がいっぱーい。寺よりも猿の写真を多めに撮り、腹がへったのでチベット料理屋へ。チャンガモ(ミルクティ)とマントウ(まんじゅう)とダル(豆の何か)をいただく。辛い。

プラカシュはこれから店の手伝いがあるというので、宿へ戻って二度寝。

10時過ぎに起きると、窓から暖かい光が差し込んでいて心地良い。のんびりと荷物をまとめてチェックアウト、タメルへと舞い戻る。

昼は日本人の経営するレストランへ行き、日本風カレーをいただく、ゲ、ゲロうま・・・ネパールの日本料理屋のハズレの無さといったら、黄金期のTKプロデュース作品並みだ。それから、今まで泊まっていた宿はかなり陰気というか、陰鬱さが尋常でなく体調がすぐれないことしばしばなので、きっとあちらの世界のいわゆる霊的な何かがいらっしゃるんだわと会議の結果決まり、新たな宿を探し歩く。

何軒かまわって、最上階の見晴らしの良い部屋でホットシャワーが使え、お値段も二人で200ルピー(400円)なうえに、オーナーが岡田真澄にクリソツ、その弟がジョン川平に瓜二つという中々グッドな宿をみつけ、予約して、時間を持て余したので電気街へ向かってみる。

カメラ屋さんで、ためしにこのあいだ盗まれちゃったカメラと同じものがないか尋ねてみると、あった。あった!恋し愛しい僕のニコンちゃん・・・おいくらですか?「25000だよ」5万円だよ・・・日本じゃ23000円だよ・・・うしろ髪ひっぱられながらも諦めて宿へ帰り、少し休憩したのちやっぱり日本料理屋へ。

するとチベットで会ったタカさんミエさん夫妻と見事に再会、チキンカツ定食に舌鼓を打ちながら、マシンガントーク。話題の八割が中国のウンコ(トイレ)事情であったことを添えておく。皆辛い思いをしてきたのだ。

いとも簡単なバングラデッシュビザ

この日は朝から5番テンプーに乗ってマユ氏改めマヤと共にバングラデシュ大使館へ。先の先を見据えた男はビザの申請をしにきたのだ。到着。がっらがら。インド大使館のあの行列とは打って変わって、ビザ申請者たったの3人。用紙に記入して、パスポートを預ける。「はいそんじゃまた15時にきてねー。」なんとあっさりな・・・あさりのあっさりスパゲティよりもかなりあっさり。

宿に戻り洗濯などをすませ、昼はモモをいただく。そして街を歩いて、布を買う。家族にパシュミナ生地の布(東京に住むこ洒落た連中はこれをストールと呼んだりするらしい)を送ろうと目論んでいるのだ。何軒もみてまわり、デザインのよさげなところを発見し、早速値段交渉。

これいくら?「450よ」高い!さっきんとこ270やったんよ!?おっちゃんそらあきまへんわー私実家へ帰らせていただきます!と歩きだそうとすると「に、275!」ウェ!?あっさりと値が下がった。さらに、10枚買うからもうちょいまけて!と交渉。

電卓を互いにピコピコと打ち合いこの値段でどや!と交渉し続ける。「アピ!!」とリアクションをするとおっちゃんが笑った。驚いた時に使う言葉なのだ。アピー!結局10枚1700ルピーで交渉成立し、大量の布を抱え宿に置いて、再びバングラデシュ大使館へ。

「はいはい日本人お二人さんねー」あっさり。しかも無料。あっさりと帰り、あっさりとチャイ屋へ寄り休憩。なんだかあっさりとした一日だぜ。これで今夜も日本食食べたら、あっさりすぎて困っちゃうよ、ということで今夜は少し趣向を変えて、日本人経営のパスタ屋へ。あれ?趣向変わってない?

ペッペロンティーノのうまいこと。いつぶりだろうかパスタを食べたのは。とにかくうまいペッペロンティーノ。あっさりとした一日を少しこってりペッペロンティーノで乗り越えた。

何で僕だけ・・・何で・・・


本日三度目のインド大使館。今日こそビザが受け取れるのだ。8時半頃到着し、整理番号をもらい並ぶ。やっぱりインド大使館はこってりと並ぶ。本を読んだりなどして時間をつぶし待つこと4時間。ようやく順番がまわってきて、ビザゲット。ならず。また午後ここへ来ないとならない。なんと面倒くさく要領の悪いシステム。ビザ代650ルピーを支払い、宿に帰り日本風焼きギョーザを食べにいったりなどしてぐだぐだと過ごす。

17時、四度目のインド大使館。またもや並び、ようやくビザゲット。 あら?6ヶ月で申請したのに何故か3ヶ月しかもらえていない。尋ねると、「あんたはテレックスがうんたらこうたらで、3ヶ月しかあげられないんだってばよ!」

え?テレックスがどうのこうの?何と言っているのかよく分からないけれど、とにかく僕だけ、3ヶ月しかもらえなかったらしい。あとから友達のビザをみせてもらうと皆6ヶ月。テレックスがどうなったらこうなるんだよ。テレフォンセックスの類だろうか。身に覚えはないんだけど。

夜はマヤと、マヤがチベットで出会ったヤマダ君と、タカさんミエさん夫妻と晩餐。この日は夫妻の結婚記念日兼タカさんのお誕生日だそうだ。いつもより贅沢に、サラダ、マッシュポテト、ピザ、パスタにビールで乾杯。

「ディナー」という響きになれていない我々は、「晩飯」のごとくばくばくと喰らう。「談笑」という貴族のおしゃべりにもなれていない我々は相変わらずウンコの話などをして「爆笑」。そして宴もたけなわになってきたころ、さりげなく席を立って、隣のパン屋へ向かう私ジャミラ。ふふふ。

実は前日にバースデーケーキを予約していたのだ。ぶっといろうそくを立ててタカさんのもとへ向かい、お決まりのナッピーバースデーを歌う。サプライズにサプライズした様子のタカさん。絵の具みたいな人工的な色をしたチョコレートケーキをお紅茶とともに皆でいただいて、再び爆笑。

お腹も胸もいっぱいになったところで解散、宿に帰ろうと店を出たその時「ジャムヤーン!!!」そ、その声は!?チベットでお世話になったコーズイさんとサキさん!!!スローモーションで流すと結構感動的な場面にみえたのではないかという程がっしと抱き合い再会を喜ぶ。明日また会う約束をして、宿へ帰り就寝。

新たな家族との出会いはやっぱり一杯のチャイから

朝から村上龍のコインロッカーベイビーズを読んでのんびりと部屋で過ごし、プラカシュに電話をして今日遊ぼうじゃないかと誘ってみる。昼はインド料理屋でナンとチキンカリーをいただく。焼きたてのナンがほっぺたもげちゃうほどにうまい。ぺろりとたいらげバスでボダナートへと向かう。

いつものチャイ屋で待ち合わせして、どこいくどうする何するーと話していると「じゃあ今日はフィラリゴンバね」と歩きだす。今日もチベット寺。寺三昧。30分程で到着、美しい寺院内をみてお参り。ダライラマ法王もカルマパもいらっしゃる。写真を撮ったり、コーラ休憩をしたりして、ゆるりと歩いて帰る。通りすがりの子供達と撮影会で盛り上がる。中々良いのが撮れた。夕陽が息を飲む美しさだ。

プラカシュの家の近くでチャイを飲んで休んでいると、プラカシュの従姉弟のサヌとその息子サマンという二人がやってきて、一緒におしゃべり。「うちおいで。」と誘われたがもう18時を過ぎていたし、また今度、と丁重にお断りすると「15分だけよ!いいからおいで!」と連行された。

そこでもまたチャイをいただき、プギョー(おなかいっぱい)。「明後日双子の子供達の誕生日だから、きてね、つかこなきゃダメよ。」わかったじゃあまた明後日お邪魔するね。と約束し、タメルへと帰る。

今宵もまた日本食屋へ赴き、コーズイさん達と合流して談笑、爆笑。うどんとしょうが焼き定食。まったくハズレねえなちくしょう。その後カフェバーのようなところへ移動し、談笑、爆笑。話題はもっぱらチベットや旅の話。とそれから何故かキョンシー。何を隠そう私ジャミラ、キョンシーおたく。コーズイさんもキョンシー好き。どうりで意気投合しないわけがないわけだ。

誕生会に大量の日本人がおしかける


類が友を呼んで友が友を呼んで、その日は総勢八人でサヌの双子の子供達の誕生会へ馳せ参じた。
夜まで時間があるので、八人でダルバートを食べに行き、八人でチャイを飲み、八人でスーパーへ行き子供達へお菓子のプレゼントを購入し、八人でバスに乗り込みボダナートへ向かい、何故か四人で到着し、まあいっかとステュパに登って休憩し、四人でいつものチャイ屋へ向かうと残りの四人がそこにいた。

やっぱり八人でプラカシュの家にお邪魔し、ここでもチャイをもらい八人とプラカシュの九人で飲み、いざ会場サヌの家へ。まさか八人も連れてくるとは思ってなかったらしく若干驚いた様子のサヌ。が、笑顔で迎えてくれ、お邪魔します。

するとまもなくバースデーケーキが現れ、それをいまだかつてみたこともないほど小さく切り分けてくれ、皆でいただく。すかさずプレゼントを渡す。喜んでくれた。ヤマンとラマン、という名の彼らは珍しい男の子と女の子の双子で、これがまた驚きの可愛さ。今日で9歳。おめでとう。

それからシャボン玉で遊んだり、かけずりまわったり、おしゃべりしたり。ネパールのなんとかという酒を飲んだり、屋内フリスビーをしてサヌに怒られたり。していると、日本人八人のうちの一人、チベットで出会ったヤギ子という大きな女が、楽しくなっちゃった拍子に尻で窓を割った。

なんという破壊力。初めてお邪魔した家で窓を割るなんてそうそうできるもんじゃない。平謝りのヤギ子にサヌは「いいのよ気にしないで。ヤギ子は今日から私の妹ね」と笑って許してくれた。

八人のうち六人はその後タメルへと帰っていき、ヤギ子と僕二人は残り、お泊りさせてもらうことに。サヌお手製のダルバートを皆でいただき、皆がやるように手で食べる。なかなかうまく口に入れられないでいると、「こう、親指を使ってやんのよ」とサヌがレクチャーしてくれ、あなるほど、するりとお口に入ってきた。これで今日から僕もネパール人。遊び疲れて22時、皆と一緒に寝る。

ネパール映画とまたしてもお宅訪問

しんとした朝の肌寒さに毛布の温かさが心地良い。6時過ぎ皆につられて起きる。すると9歳双子の男の子ラマンが僕の毛布にもぐりこんできた。一緒に二度寝。かわいい奴め。7時になるとサヌとヤギ子が帰ってきた。

朝の5時からボダナートへ行ってコルラしていたらしい。またシャボン玉で子供達と遊んでいると、朝ごはんができた。ホットケーキとチャイ。「ラソー(いただきます)」と言って右手でぺろり。うますぎる。

8時、プラカシュ、ヤギ子と共にネパール映画を観に行く。大大ヒット中のオムシャンティオムというインド映画もあったのだが、せっかくなのでネパール映画「サクティ」を観ることに。昭和の映画館といった趣のそこでチケットを購入し入場。懐かしい雰囲気だ。

席に着くともうすでに始まっていて、主人公の、カウボーイハットがイケてる屈強な男サクティが、ヒロインと恋に落ちたら歌って踊って、敵がやってきたら歌って踊って、とにかく事あるごとに皆で歌って踊るという、まさにインド映画のような仕上がり。

途中休憩をはさみポップコーンを食べながら後半を鑑賞。やっぱり子供達と一緒に戦って歌って踊って、最終的に改心した敵とも歌って踊って、それでも悪い敵はナイフでずたずたにして血みどろってそれ残酷じゃないかしらという時にすら歌って踊って、終了。初のネパール映画は、内容云々よりもサクティが活躍するたびに大きな拍手で盛り上がる観客のほうが興味深かった。

それからタメルへ戻り、昼は親子丼を。う、うまい。一瞬でたいらげたあとまた別の店へ行き、今度は小倉アイスとかき氷をいただく。こんなにも日本食の充実した場所が、日本から遠く離れたネパールにあるなんてもはや奇跡。

夕方、またしてもボダナートへ向かう。マヤ、コーズイさん、サキさんと共に。なんと、コーズイさんのチベット人友達が晩餐へ招待してくれたのだ。日本語チベット語ネパール語英語ペラペラのチベット人テンドルさん。お宅訪問。住宅街にある大きなアパートで、お母さんとおばあさんに挨拶して、バター茶をごちそうになり、おしゃべりをして、早速ご・は・ん。

テーブルに並べられた大量のうまそうなチベットごはん。さあもりもり食べやさい、と言ってくださったので、遠慮なく一同とびつく。バイキング形式でもりもりいただきます。んっはー!どれもこれも絶妙な味付けでござらっしゃいます。美味しくって敬語も変になっちゃった。

計4回おかわりして満腹になったところで、コーズイさんが、僕がチベットで割りとモテていた話を皆にすると、おばあちゃんが「嘘やろ!?んなわけないやーん!」と大笑いなさらったのでつられて一同大笑い。はは、顔で笑って心で泣いて・・・なさらった。

21時頃、ごちそうさまでした。ありがとうございましたとお礼を言って、タクシーでタメルへ戻る。しかし家庭料理ってどれも美味い。味付け云々を超えた美味さがそこにある。のか。

ネパール人に和食を作って食べさせます

コインロッカーベイビーズを読破して、なんだか頭の中がぐるぐると小説の内容に染まっている中、カレー屋さんへと向かう。今日は一日雨のようだ。待ち合わせしていたヤギ子は既に一人大盛りカツカレーをむさぼり食っている。大盛りがこんなに似合うオンナ、なかなかいない。

僕は日本の喫茶店風ナポリタンを注文、あらやだ超うまい、ぺろりんちょしてそこで味噌と醤油と米と揚げ出し豆腐を、八百屋で野菜を、スーパーでコンソメを購入しいざボダナートへ。

が、そこでマヤが激しい頭痛に見舞われ、断念、僕とヤギ子の二人で向かう。雨のせいかバスがいつもより満員で、ケツ半分で座る。半分空気椅子。もう少しでケツ半分ちぎれるすんでのところで到着、九死に一生をえた。

プラカシュの家へ着いたら弟が温かいお茶、ティーを出してくれ、ほっと一息。しばらくしたらサヌ、サマンラマンヤマンもやってきて、チキンを皆で買いにいく。歩いて1分の距離にあったチキン屋で、200グラム程注文。すると殺したてのチキンを目の前でさばき、計量してくれた。やはり何度みても生々しい光景。

いざ調理開始。肉の解体はプラカシュに任せ、我々日本人班は野菜などを切り刻み、米を炊く。刻んだゴーヤと卵を炒めてゴーヤチャンプル。野菜の味噌汁。そして鶏肉と残った野菜を使ってヤギ子が適当に仕上げたヤギ子炒め。キュウリを輪切りにして大量の塩をまぶした漬物まがいのもの。できあがり。

総勢10人近くでいただきます。皆美味しいと言ってはくれるのだが、やはりネパール人にはもう少しスパイスが欲しいらしい。辛さなんて和食にほとんどないもんね。「うわキュウリからっ!」サマンが叫ぶ。

なんだ辛さあったじゃないそこに。ううんこれは塩辛さ。ただ塩をぶちまけただけ体に悪いだけで風味もくそもあったものじゃないんだよ。というかそれ以前にこれって和食なの?ゴーヤチャンプルは和食に分類されるにしても全国区な食べ物じゃないし、ヤギ子の謎の炒めものはもはや無国籍だし。

でも、「ミートチャー(大変美味しゅうございます)」と皆が言ってくれているのでよしとしましょう。満腹になったところでまたキッズとシャボン玉をして遊んで、アマ(お母さん)がしぼりたてのミルクをもってきてくれていただく。濃厚で美味。

サヌの家へ移動。ラマンを肩車して歩く。ダヤ(右)、バヤ(左)、シダ(まっすぐ)と操縦されながら歩く。到着するなりまたもやシャボン玉、キッズが取り合いするのでこらやめねえかと割って入ると、僕が標的にされヤマンとラマンと戦いごっこ開始。

どこにそんなスタミナがあるのか知らないが、もう老いかかっている僕は途中でダウンしてぼこぼこにされた。「もーやめなさい!」とサヌにとめられなければきっと今頃泡をふいていたに違いない。インスタントヌードルを皆で食べたらようやく落ち着いて、プラカシュ、ラマンと3人ベッドで一緒に寝る。弟ができたような感覚だ。末っ子には味わったことのない感覚。悪くない。

世界遺産パタン

翌早朝3時半、サヌに起こされる。キッズは今日サヌの実家のおばあちゃんのところへ向かうのだ。にしてもこんなに早くに・・・。半分寝たまま見送って、ほっぺにチュウをしてもらって別れを告げる。しばらくあちらにいるようだから、もしかしたらもう会えないかもしれない。少し寂しい。部屋に戻って二度寝。

8時前再びサヌに起こされ、チャパティとイモの何かとチャイをいただく。チャイって何故こんなにもほっとするのだろう。それから残ったヤギ子と僕とプラカシュとサヌでぐだぐだ、おしゃべりなどして過ごし10時、またご飯、ダルバートを作ってもらいぺろりとたいらげ、お礼に皿を洗い、タメルへと帰る。

午後、コーズイさん達と共に、観光へ。町全体が世界遺産のパタンというところへタクシーで向かう。街なのにチケットが必要、というところで、でも街だから外れや路地裏から入るとチケットを買わずにすむらしい、といういやらしい情報を手に向かったら、

運転手さんたらご丁寧にチケット売り場の目の前でおろしてくださった。買わないわけにいかないので、チケットを買って入場。日本語が達者な売り場の人に、お好み焼きみたいなのがあるときいたのだが、どこか知らないか、ときくてこれまたご丁寧に店まで連れていってくれた。

ネパール風お好み焼き、その名もチャタマリという食べ物を一同いただく。ん、んまい!お好み焼きフウだ!空腹も満たされたところでぶらぶらと散歩していると、やけに愛想のいいおじさんが現れた。聞くと孤児の学校の校長をしているそうで、是非一度学校をみてもらいたい、とのこと。怪しさに満ち溢れたおじさんだが、他にやることもなかったので行ってみることに。

確かに学校があった。中を見学して、校長室へ。すると大方の予想通りそこで寄付を募られた。いくらでもいいんだ、というから手元にあった6ルピーを差し出すと、「なんだ!?6ルピーで何ができる!?他の日本人達は500ルピーとかおいてったんだぞ!ポケットに戻してくれて結構です!」

と何故か怒られたので、それじゃあお暇させていただきます。と1ルピーも寄付せずに退室。寄付って、金額じゃなくて心じゃないのかね。校長先生さんよ。たとえ6ルピーでも、寄付してくれるその心に感謝すべきじゃないのかね。それでこそ聖職につく先生といえるのじゃないのかね。にしても6ルピーは少なすぎたろうか。いや、心は同じだ。多分。

また散歩して写真を撮ったり、人間観察をしたり。陽が落ちてきたところで、バス停へ向かいタメルへ。人が多すぎて、空気が悪すぎて頭痛を覚える。

頭痛を癒すには和食、それでなくても和食ということで、今宵もまた日本食屋へ。なんと今日は天ぷら定食。それに温かいお茶。ティーではなくお茶。ほっ。ほっほら治った頭痛。総勢約10人でしゃべり倒して、カラオケにいこうと盛り上がる。ここは日本か。

んが、ネパールにただ一つのそのカラオケ屋さん、一時間一人900ルピー。げ!日本よりべらぼうに高い。あきらめて解散。大ちゃん数え唄うたいたかったな・・・。

家飲み

9時半に起床して、屋上で背伸び。日差しが気持ちいい。昼はオムライスをいただき、今日もバスでボダナートへ。

プラカシュに電話して家へ。まだ帰ってないので姉のビムラとしゃべったり、外にいる子供達と竹でできたブランコで遊んだりしていると、「あコーズイさん」よくもばったり会うものだ。プラカシュも帰ってきて、皆でまたコパン寺へ。この、プラカシュの家からコパンまでの道のりが、すごく、いい。和むのだ。

お寺なのにレストランも併設されているのでそこでコーラを買って休憩、プラカシュに日本語を教える。1から10までの数字を分かりやすく。イチはitch、ニはknee、サンはsun、シはshe、ゴはgo、ロクはlock、ナナはno no、ハチはhacth、キュウはque、ジュウはzoo。これで教えると大抵の外国人が覚えられるのだ。ジャミラ式日本語。

お堂に入ってお布施をして周って、図書館で日本の本などを読んで帰る。プラカシュの家へ寄ってチャイとビスケットをいただき休憩、タメルに戻ろうとしたけれど泊まっていきんしゃいと言ってくれたので今日もお言葉に甘えてお泊り。コーズイさんサキさんマヤの三人は帰るというので見送って、結局いつものヤギ子ジャミラ。

屋台でソーセージとポテトを買って、おまけに商店でビールも買って、サヌの家へ。といってもサヌも実家に帰っているので三人だけだ。インスタントヌードルと適当につまみを作って、乾杯。人ん家で家飲み。音楽をきいたり写真をみてしゃべったり、くだらないことを言い合ったり。

下戸な僕はすぐに酔っ払いいい気分。本当にいい奴だ。プラカシュは。前に日本での給料を教えて驚いた様子だったのに、それでもかわらず時々チャイやバス代をおごってくれたりする。そして僕達もおごったりする。いい友達ができた。とつくづく思った。

さよならと鮮血

スボビハーン(おはよう)。今日はコーズイさんとサキさんがついに帰国、なので皆で見送りへ。ホテルにお邪魔して、チャイを飲んで、コーズイさんに新発売カロリーメイトポテト味をもらい舞い上がり、いよいよ出発。外へでてタクシーをひろい、乗り込む二人。お世話になりました、また日本で会いましょう。出会いと別れの繰り返し。さびしいけれど、会える人には必ず会えるようになっているのだ人生。

残った我々は、バトラカリという寺院へ。今日はダサインというお祭りの日で、ヤギやニワトリを神様に生贄として捧げるのだそうだ。いかがなもんでしょと軽い気持ちでのぞくと、ピシャーーーー!!!鮮血が舞う。

ニワトリやヤギを連れて行列を作る人々。流れ作業のごとく切られてゆく首。殺されるとも知らずにのん気にお供えの花をむしゃむしゃと食べているヤギ。お前!足元に広がる鮮血がみえないの!?お前の友達かもしれないヤギとかの血なんだよ!?ンメー。そいつの番が来た。

足をつかまれひっくりかえされる。ようやく危機を感じ泣くヤギ。清めの酒のようなものを体にまかれ、そしてククリ(ナイフ)でギコギコと・・・痛みに暴れる四肢とそれを押さえつける人、ほんの数十秒の出来事。

切り取られた首は神様に捧げられた。残った体はまだびくんびくんと動いている。恐怖を覚えた。死をあまりにも生々しくつきつけられ、言葉を失う。神様とか、宗教とか、一体何なのだろう。でも、これが、生き物が生きてゆく根本だ。生きてゆくためには誰かを、何かを犠牲にしなければならない。あでもこれは神事だからちょっと違うのかな。

朝から強烈なものを拝んだせいで食欲をうしなった我々は、さっぱりとしたもの食べましょ・・・と日本食屋へ。無論、それでなくても日本食屋だが。納豆定食をいただく。納豆初体験のプラカシュ曰く「ノーミトチャ(おいしくない・・・)」納豆の奥ゆかしさはまだまだプラカシュには分からないようだ。

午後はもう一度和食作りに挑戦すべく買出しへ。イモだと思って買ったらそれが山芋で、やけにモチベーションが上がった。ネパールで山芋に会えるなんて誰が思いますか。でもきっと会えるって信じてた・・・。

買出しが終わり宿へ戻ると、陽がくれかかってきたので屋上へ。ヤギ子とネパール語クイズをしたり、三線を練習したり、平和な、穏やかな時間を過ごす。こんなにせわしい街のど真ん中なのに、ここはいつも静かで心地良い。さすが岡田真澄とジョン川平の宿だ。夜ももれなく日本食屋で食べて、お腹いっぱいで就寝。

ダサイン祭りにジョイナス

今日はダサイン二日目、本番というか、メインの日だそうなので、プラカシュの家へお邪魔する。道中ばったりあった、チベットで共にバイトしたトモヤン達も連れて。到着すると既にお祭りムードで。プラカシュの部屋へ招かれ、コーラをいただいていると早速きましたティカ。

赤く染めたお米をおでこにはりつける謎の行事だ。一人一人にお祈りしてティカをしてくれるプラカシュのオトン。さらにお米の小さな苗を耳にひっかけてくれた。米米しい。さらにさらにお年玉的に20ルピーを全員に。オトンありがとう!皆でおしゃべりして、楽しく笑う。

ダルバートをいただき、勿の論素手できれいにたいらげ、酒を飲む。ちょいとなめただけであらいい気分。外に設置されたバンブースイング(竹のブランコ。ダサインのためだけに毎年設置されるらしい。)をやってみる。「ジャンゴどれぐらい高くこげる?」プラカシュに挑発され、昔を思い出しつつブランコをこぐ。へへどんなもんでい。負けじとプラカシュもこぐ。や、やるやんけ・・・負けた。俺より高いぜプラカシュ。

ぐき。

え?ぐき?って何今の・・・プラカシュブランコで捻挫。ば、ばか何しとるん!しかも思ったより凄まじい腫れ具合。ブランコ終了。家の屋上へ。皆でジャミポッドを爆音でききながら、踊る。アマ(オカン)も楽しくなって踊りだす。

ちょっとためらっていたマヤ達も、踊りだして、わけのわからない状態に。屋上というシチュエーションが未確認飛行物体を呼ぶ会のようで余計に不気味だ。楽しければいいじゃない。言葉はなくとも伝わるものが、世の中には驚くほど沢山あるものだ。

踊りつかれ陽も暮れたところで、歩いてサヌの家へ。和食リベンジ。今回は天ぷらとかきあげと味噌汁。そして今回はヤギ子とジャミラというぐずぐずシェフの他に夫妻にマヤもいるのでかなりスムーズにできた。

想像を絶するほど大量の揚げ物を、皆でいただきます。ん、うまいやんさー!天ぷらぽい!かきあげぽい!パクパク・・・もぐもぐ・・・

ムカムカ・・・途中からそのむつこさにリタイヤ者続出。やっぱり生き残るのはヤギ子。美味しく完食なされました。

旅の途中に小旅行ポカラへ

プラが作ってくれたブラックティーをいただきながらゆっくりと起床、二人で外へ。卵と揚げたてのドーナツを買って帰り、卵焼きと目玉焼き、それから昨夜の残った食材で味噌チャーハンを作る。ファファファ!超、うまい。味噌のうまさは言わずもがななのだが、やはり皆で食べるとうまさが倍増する。これは人間に限ったことなのか?動物達も一人より皆で食べたほうが美味しいと感じるのだろうか?

空腹も満たされたところで身支度をし、いざゆかん、どこへ?ポカラへ!割と遠出!タカさんミエさん夫妻とヤギ子とプラカシュと僕の五人で。マヤはカトマンズにステイ。ミニバスに乗り込みプラカシュ先導のもとバスステーションへ。そこでポカラ行きバスのチケットを購入しすぐさま乗車。12:45レッツらゴ。遠足気分だ。人生は遠足だ。

すぐさま眠気を覚え一同爆睡。

がすぐさま起床。悪路にミニバス。なんだか身に覚えのあるこの感じ。チベットからカトマンズへやって来るときや、ラオスからベトナムへ向かう時のようなこの感じ。はねるはねるバスはねる。寝ていられないので前に座っていた女の子とシャボン玉で遊ぶ。

二時間ほど走ったところでランチ休憩。ちょいとウーンコーをしようとトイレへ行ったら、カギがかからない。仕方がないとウーンコーに集中していると、がちゃり。案の定誰かに開けられる。「あ、ごめん!」ん?日本語だぞ?げ!夫妻の夫のほう、タカさんではないか!身内にウーンコー姿をみられ少し気まずさを覚える。

山々を越えゆくミニバスに揺られながらジャミポッドで歌う。気づけば辺りはもう暗く、まだだろうかポカラ。と思っていたら「ポカラやで」到着。バスをおりた瞬間雨。ありがとう。国境を越えても僕はやっぱり雨男。おまけにタカさんミエさんも夫婦そろって雨男女。ふらないわけがない。

それからいつものように宿探し。一軒目は一杯、二軒目は最初の言い値より高くされたので却下、三軒目も四軒目も一杯で、ここらへんでいつも大体面倒くさくなって妥協するのだが、運良く次にまわったマンダラという宿が値段も手ごろでホットシャワーも使え、そして部屋が広い。チェックインしてすぐさま外へ。空腹のピークがとうの昔に過ぎてしまい胃と頭がおかしくなってしまいそうなのだ。近くにあったビーハッピーというレストランへ。

貧乏旅行の最中とはいえ、これはプラカシュとの小旅行だし、ということでちょいと贅沢にパスタやピザ、サラダにポテトなどもりもり注文し、ドカ食い。会話もろくに楽しまずとにかく胃に食物を流し込む我々。ようやく落ち着いて会話のキャッチボールしようかと話しはじめたら、突然のスコール。僕と夫妻は顔を見合わせるなり「こうでなくっちゃ☆」見事な雨男女ぶりに乾杯。完敗。

雨がおさまり宿に帰ったら、ハズせないのが大富豪。旅の夜には大富豪。プラカシュにルールを説明していざプレイ。何なのですかこのたかが紙に絵と数字が書いてあるだけのモノがもたらす高揚感、エンジョイ感。ありがとう大富豪。幸福感まで覚えてプラカシュ、ヤギ子、僕は三人部屋、夫妻は二人部屋へ別れてスブラットリ(おやすみ)。

デヴィさんが落ちた滝・・・ショボ・・・

今朝はインド料理で朝食。パラタとチャイ。日中暖かそうなので半袖ででかける。レイクサイドと呼ばれるまさに湖側の安宿街に泊まっているので、歩いて湖をみに。えっと、単なる湖だ。今度はダムサイドと呼ばれるまさにダム側の安宿街へむかって歩く。えっと、単なるダムだ。そこでシャボン玉をとばしグラビア撮影会をひとしきり楽しんで、さらに歩く。

着いた先はデヴィズフォール。つまりデヴィさんの滝だ。何十年だか前に、観光にきていたヨーロッパ人のデヴィさんが、足を滑らせ滝つぼに落ちておまけに命も落としてしまったそうだ。それを嘆いた人々は、その滝をデヴィズフォールと呼ぶようになったとか。



それは、デヴィさんとしては喜ばしいことなのか?嘆かわしいことだろ?そして割と辱められている気がするのは僕だけか?オーマイガーデヴィズフォール・・・と呼ぶ人々の心の内には少なからず「足滑らせて死んじゃうなんて、あわれ」という気持ちがあるのではないだろうか。小バカにされている感が否めない。

ともあれ20ルピーの入場料を支払い滝を見学。5分で終了。ははは、デヴィさん。これは、ショ、ショボいよ・・・!観光名所になるほど巨大な滝では、ないよ!といいつつもせっかく20ルピー払ったし、と写真を撮ることを忘れないのは典型的な日本人ジャミラ。

デヴィさんちからすぐそばにある洞窟へも足を運んでみる。途中チベット人のおじさんに話しかけられ、何故か一緒に洞窟へ入り案内される。ほほう、ことごとく期待を裏切らないね、ある意味。洞窟、ショ、ショボいヨ!!さっさと出てさあどうしようかと話していると、チベットおじさんが、「この近くに亡命チベット人キャンプがある。ちょっと見にこないか?」と誘われ、特にすることもなかったのでついてゆく。

しばらく歩く。途中眺めのよい川があり、ここのほうがデヴィさんより洞窟より随分見ごたえあるよねそうだよねなどといいながら歩く。おじさん宅へ到着。「まあかけてかけて、お茶でもどう?うちでとれたミントがあるからミントティーなんていかがかしら?」じゃあ、いただきます。

ミントの濃い香り漂うティーを、いただく。すると飲んだ途端眠たくなって、目が覚めたときにはすっぽんぽんで貴重品全てはぎとられてしまっていた。

なんてことが万が一にもあるかもしれないので、おじさんがそれを口にするまでなんとなく待つ。あおじさん普通にがぶがぶ飲んでる・・・。大丈夫そうだ。我々もいただく。すると・・・!

大方の予想通りおじさんはチベットの工芸品などをテーブルに並べテレビショッピングを始めた。やっぱり。まいっか。買わないし。とりあえず品定めをする。買わないけど。一通り見たところで、そいじゃ我々そろそろお暇します、と帰ろうとすると、おじさん「待て!買ってくれよ。安いんだから!わたしらも生活かかってんだから!」困っちゃいました。結局ヤギ子が腕輪を一つ購入し、解放された。

しかしチベット人キャンプがのぞけたのはラッキーだった。

歩いて宿まで帰る。意外と遠い。疲れて少し休憩し、今日も昨夜と同じビーハッピーレストランへ。なんと今日は!ステーキを注文。空腹のあまり力がなくなり沈黙。きましたステイク。ドカ食い。ハッピー。私ビーハッピー!店員が物凄く愛想良いのだけれどちょっとオカマっぽい感じに「マイトモダチ〜」と絡んでくるあたりもそれはそれでハッピー。

帰ったらまたもやトランプ。今度はうすのろというゲームを。大人しくやるのは不可能なゲームだ。手元に四枚づつカードを配り、「うーすーのーろ!」の掛け声とともに隣の人に一枚カードをゆずり、反対の人から一枚もらう。そして四枚同じ数がそろった人はすぐさま地面においてある石、なり玉、なりを取る。その瞬間そろってない他の人も可及的速やかにそれを取らなければならない。が、石、もしくは玉は人数分より一つ足りないようになっているので、一番遅れた人、つまり「うすのろ」が負けとなる。瞬発力勝負なのだ。

大の大人五人が興奮のあまり乱闘。その後やはり大富豪で大乱闘をくりひろげ、深夜1時おひらき。

サイクリングで腐乱死体

9時過ぎに起床し、皆でビーハッピーレストラン向かいの小さなレストランへ。朝食セットを注文。ドリンクはラッシー。幸福だ。店員のおじさんが、なんだか、物凄く、いい。例えるならちびまる子ちゃんにでてくる花輪くんちの執事「じい」のような、微笑みっぷり。一発で気に入った。明日もまた来よう。

洗濯など雑事をすませ、皆で自転車を借りて観光へ。ミエさんは喉の調子が悪いため部屋で静養。適当に走っていると、ヒンドゥー寺院を発見する。小高い場所にあるので風が涼しい、少し休んで、次なる目的地へ。時に目的はないのだけれど。

プラカシュは最年少なだけあって、若い。ずいずいと進んでゆく。「およご!」プラはどうやら泳ぎたいらしい。川を探して走りまわる。あちこちと。すると遠くに泳いでいる人をみつけ、すかさずそこへ。

すぐさまパンツ一丁になりダイブ。「チショバヨ〜!(冷たいよー)」あれ?誰か浮いてる?ななめ後ろあたりに気配を感じふりむくと

ギャーーーー

浮かんでいたのはイノシシさん。イノシシも暑くて泳がずにいられなかったのかなあ?ウギャー!腐って乱れてるこれ死体だ腐乱死体だ・・・。幸い川下にいたのでそのまま遊泳続行。

先に泳いでいた地元のキッズ達は皆男女かまわずスッポンポン。子供はこうでなけりゃ。しばらく泳ぐと寒くなったらしく、岩に寝転がって日光浴をしていた。二人並んで寝転んでいるそのケツがいい具合だったので、ヌード写真を撮影。

遊泳欲が満たされたところで、帰る。するとプラカシュが「競争や!」と激チャリ(激しくチャリをこぐこと)を始めたので、負けじと追いかける。がしこーん。え。調子に乗っていたら自転車破損。とぼとぼと歩く。僕が自転車を借りると毎回壊れるのは何故。ベトナムでもそうだった。少し歩くと修理屋さんをみつけ、たったの5ルピーで直って宿へと帰る。

今宵もまたハッピーになるべくビーハッピーレストランへ。到着するなり昨夜のちょいとオカマっぽい店員が現れ「マイトモダチ〜」とハグされついでにキスされた。え?ななんで?前菜的な、アペタイザー的なサービスですか?まあ、いっか。ラザニアをいただく。ひゅーぅ、うまい。

そこでブッダの話、ブッダが生まれたというルンビニというところの話などをしているうちに、それがわけのわからない方向にふくれあがり「結局のところブッダはうちのお父さんなわけ。」などとでたらめにも程があるようなでたらめを言い出すと、プラカシュのツボにはまったらしく爆笑。笑うのは体にいいことだ。

今日はよく体を動かしたので、トランプをする余力もなく早々に就寝。

そびえたつ山々が、みえない


またもや「花輪くんちのじい」のところで朝食をいただき、昼過ぎタクシーをつかまえてサランコットというところへ。ここからアンナプルナという何千メートル級の山々が拝めるのだそうだ。これは楽しみ。タクシーをおり、頂上までは歩く。なかなかどうしてちょっとしたトレッキング気分になる道のりで、ようやく頂上に辿りついて、すかさずテルーの唄を流す。しっくりきた。さあどこだアンナプルナ

もくもく、もくもく

辺り一面雲雲雲。何もみえない。やはり、こうなるのだね。いさぎよく諦めて下山。ゆるりと降りて、帰りはバスで。次のバスが来るまで時間があるので、チャイを飲んで、広場にいたキッズ達とシャボン玉で遊ぶ。こいつら、めたくそ可愛い(素晴らしく可愛いさま)。瞳の大きさが凄まじい。ビー玉みたいにキラキラしている。カメラをむけるといっそう喜んではしゃぎまわってくれた。しばらくするとバスがきて、「タータ!(バイバイ)」と言ってキッズに別れを告げ乗り込む。

宿へ着いたころにはもう辺りは真っ暗で、すぐさま晩ご飯へ。飽きることなく今宵もビーハッピー。しかし、これが最後の晩餐、明日にはカトマンズへ戻ってしまうのだ。マカロニを食べながら、オカマ風店員にその旨伝えると、「トモダチ〜また来年ね!」とまたハグされた。写真を撮ったりなどして、おしゃべりに花を咲かせ、宿へ戻る。

明日は7時すぎには出発なので早く寝ないと、と思っていたのに、うずきだした。大富豪をやりたくてうずきだしてしまい、試合開始。中毒性のある紙キレだぜトランプってやつは。さながら中毒者のごとく大富豪をやりつづけ、深夜3時半になってしまった。

ただいまカトマン

翌朝6時半に起床し、荷造り。夫妻はこのまましばらくポカラに滞在し、そのままインドへ向かうので、ここでお別れ。ヤギ子と僕とプラカシュは、バスに乗りカトマンズへと舞い戻る。出発したバスの中でも「ジャンゴ大富豪やろや」とプラカシュに言われたのでやってみると、さすがに車中でトランプはきつく、気分が悪くなったので寝る。プラカシュはもう完全に大富豪中毒。

途中休憩をはさみつつ何時間も走る。気がつくと見覚えのある風景、タメルだった。なんだか、我が家に戻ってきたような、旅行から帰ってきたような気分。岡田真澄の宿へ戻ってまたチェックインして、空腹を満たすためナンサンドを食べに。するとそこでチベットで出会った三人娘と再会、また今夜飯を食う約束をして、宿へ帰りシャワーをあびる。ようやくホっと一息。

すると日本の携帯にメールが。サヌからだ。「ジャンゴまだ帰ってこないの?早くうちおいでんしゃい」。サヌ達も実家から帰ってきたようだ。また子供達に会える。嬉しいぜ。

夜、三人娘、ヤギ子と共にやっぱり日本食屋へ。からあげ定食をいただきながら旅の話に花咲かせる。旅人同士の、旅の会話は、情報交換にもなるし、何より楽しい。

家族と再会

朝昼兼ねてきんぴらサンド(ブランチと小洒落た連中は呼ぶ)を食べ、ききんぴら!?ネパールにはきんぴらまで存在するのだ、三人娘と待ち合わせをしボダナートへ。サヌの家へお邪魔する。

久しぶり!愛しの我が子達め。あれ?全体的に、黒い。あなた達。サヌの実家は山奥なので日差しも強いらしい。他の親戚の皆にも挨拶して、屋上で街をみおろしながらおしゃべる。そこで実家の村から持ち帰ったイキのいい豚、の脂身に味付けしたものをいただく。美味、だがいかんせんむつこい。少量におさえて、今日も和食を作ってさしあげるため皆で食料の買出しに。

今日もラモンを肩車。途中僕の顔面をつかみながらバランスをとろうとするので、やや端正な顔立ちが台無しになりがちだった。元から不端正だという意見は受け付けかねます。

卵と野菜と、やっぱり殺したてのチキンを購入し、クッキング。今日は若干中華よりでチャーハン、唐揚げと野菜スープ。三人娘がほとんどやってくれたので、前回よりもさらに良い出来だ。ということは、僕が加わると端正な味付けが台無しになるということか?そうなのか?いいえ。そんなはず、ない・・・。

たらふく食べたあとは「うすのろ」。ルールを説明するとすぐにのみこんだキッズ。「うーすーのーろ!」が「いーしーなーら!」「うーしゅーなーろ!」と若干ナマっているのが可愛い。大人がやっても落ち着いてはいられないこのゲームを暴れん坊将軍共がやるんだからさあ大変、修羅場。

へとへとになるまでやったところで三人娘達はタメルへ帰るというので皆で見送り。今日はヤギ子もいないので僕一人でサヌ宅へお泊り。家へ帰ってまたウシュナロをして、遊び疲れて就寝。

カジノでがっぽり、んもっこり


今日からキッズは学校なので、制服に着替えたサモンラモンエモンをサヌと一緒に学校までお見送り。ブレザー風の制服が可愛らしいので記念撮影して、いってらっしゃい。保護者の気分。

サヌも家事が忙しそうなので、タメルへ帰る。カツカレーを食べて精をつけ、写真を現像に出し、アルバムを買いに行き、ヤギ子とともに晴れた空の下屋上でフォトアルバムの作成にとりかかる。さながら図画工作の時間。プラカシュとサヌ一家にプレゼントするのだ。写真と、メッセージをふんだんに取り入れて。こうすれば嫌でも僕らの事を忘れないだろう。

夕方は小粋にパスタを食べて、マヤ達と合流しいざカジノへ。そう、あのカジノだ。初、体、験。Yak&Yetiというカジノへむかい、入場。一応ドレスコードもあるときいていたのでシューズとジーパン(ジーンズではない)をはいている。おお、これはまさに、カジノ。富裕層がかきあつめられている空間。とりあえず100ルピーをコインにかえて、自動式のブラックジャックをやってみる。負け、負け、負け。

ふらふらと一通り見学してまわり、今度はテーブルでブラックジャック。さあ、勝負だディーラー。チャリーン!か、勝った!初回から調子がいいので勢いづいて二回、三回と・・・んま、負け。手元のコインは残り一枚。勝負師は最後のこの一枚で起死回生するものだ。さあこいディーラ・・・

無料で提供される料理を胃に押し込んで、ステージでバンド演奏やダンスなどの出し物を見物し、さっさと宿に帰る。

慣れないことはするものじゃない。

国籍や貧富の差

今日もこりずにボダナートへ。プラカシュの家へ邪魔して、早速二人でアルバムをプレゼント。喜んでいただけたようだ。大笑いしている。それからアマ(オカン)とババ(オトン)にも見せて、大笑いしてもらい、サヌの家へ。もう一つのアルバムをプレゼント。引き続き喜んでもらえたようで。それから何をするでもなく部屋でおしゃべりをしていたら20時になっていたので、また僕以外の皆はタメルへ帰る。

残った僕はキッズと「イシナラ」をしたりして遊ぶ。するとサヌの妹がやってきて、しゃべる。この妹が、まだ21歳ぐらいの子で、ついこの間結婚したそうなのだが、「私と結婚しない?そしたら私日本に行けるし、家族皆の暮らしが豊かになるし。」などといい始め、その表情があまりにも真剣なので、結婚しとるやろ?できまへん。とかえしてしまい、そこから何故か日本とネパールの豊かさの違いなどについて語られ、日本人はいいわよね、などと言われ、少し凹む。

最終的にサヌが「冗談やからね!」とフォローしてくれ、妹本人も「そそ、冗談だから!」と付け加えてきたのだが、なんだか、疲れた。そして考えさせられた。いくら仲良くなっても、やはり確実にその間には壁というか、違いがあって、日本人はこうやって好き勝手に旅ができたりするが、ネパールの人達はそう簡単にはいかない。

普通なら、そんな金持ちの外国人がやってきたら、どうにかしておごらせようとしたり、サポートを頼んだりするものだろう。きっと僕が発展途上国の人間なら、そうするだろう。改めて、プラカシュやサヌ達の懐の深さを知る。ありがとう。

その後もう一人の妹がやってきて、またおしゃべり。この妹、綺麗な顔立ちだなあ。などと思っていると「ジャンゴ、ネパール人にみえるわね」とまたしてもお褒めの言葉をいただいた。ネパールもクリアしたこのアジア顔。この子もプラカシュと同じくホテルマネジメントを勉強しているそうだ。

23時過ぎまでしゃべり続け「ティハールのお祭りがもうすぐあるから、それまでいなさいよ。」とサヌにいわれる。え!ちょっと前にダサインのお祭りがあったばかりだろう?またお祭り?なんてパーティーピーポー。しかしさすがにあと十日以上もここにいるわけにはいかない、いい加減先に進まねば。気づけばネパールも一ヶ月が経とうとしているのだ。居心地の良さに時間を忘れていた。

保護者気分増す

7時に起こされキッズと一緒にチャイとドーナツをいただく。彼らは今日も学校へ。一体僕は何者なのだろう。仕事も勉強もせず人の家でご飯を食べては遊んでばかりいる僕は。どうもすみません。それから何故かサヌに連れられ出かける。テンプー(乗り合いバス)に乗って少し離れたところへ。サヌの知り合いに惣菜を届けに。以上。

10時半頃家に戻ってきて、すぐさまサヌは調理開始。忙しい主婦だ。どうやらキッズの弁当を作っているらしい。チャーハン。大目につくったそれを二人で食べて、学校へ。11時半、学校の前は弁当を持ったお母さん達でごった返している。

間もなく校門が開かれ、校庭へ。子供達が一斉に飛び出してきて、おっかさんと一緒に弁当を食べ始めた。サマンラマンヤマンも走ってきて、砂場の近くにシートを敷いて皆でいただきます。ほほう、ネパールでは、ランチタイムになると保護者ができたてのお弁当を持ってきて、こうやって仲睦まじく一緒に食べるのか。

微笑ましくて、いい。日本ではきっと両親共忙しすぎて不可能だろう。ご飯は皆で食べるものだ。食べるべきだ。つくづく思う。経済の豊かさと心の豊かさは、反比例している。なんだか胸のあたりにくすぐったさを覚え、子供達と遊んで、学校の前の駄菓子屋でメントスを一粒買ってあげ、昼休みが終わったので帰る。

そろそろタメルへ帰ろうかと言ったら、サヌも行くというので、一緒に。テンプーで30分程ゆられると到着。忙しないタメルをざくざくと歩いていると「ジャンゴ歩くん速い!」と注意される。こりゃ失敬、女性と歩くときはペース考えなきゃ。ついざくざくと・・・。

宿に戻り洗濯をしていたら「そんなんじゃアカン!全然アカンで!ちょっとかしんさい!」とサヌにこれまた注意され、手本をみせられる。「もっと腰いれてがしこーん洗わな汚れ落ちんで!」結局全部サヌに洗ってもらっちゃった。屋上に干してスッキリして部屋に戻るなり爆睡。

気づけばもう15時を過ぎていたので、サヌを見送りにテンプーステーションまで歩く。すると突如サヌが電気屋へ立ち寄り、何やら品定めをはじめた。ガ、ガスコンロ。ネパール語でぺらぺらとしゃべっている。値段交渉だろうか。と思いきや店をでてまた歩き始め、テンプーステーションへ。するとまたもや電気屋へ立ち寄り、ガスコンロを品定めし、店員と何やらしゃべる。

気がつくと隣にはガスコンロをかついだサヌ。え!買ったの!?主婦即決。こちらの物価でいうとそんなに安くはないコンロ(約2000ルピー)をさくっと買えちゃうサヌの家は、やはりネパールでは割と裕福な家庭なのだろう。

サヌを見送り宿に戻り、一息。久々に一人。時には一人の時間も必要だ。夜はトンカツ定食をいただいた。なんでそんなにサクっと仕上がっているの君は。

妖怪まがいの日本人

その後もタメルでうまい日本食を日本人と食べたりする日々が続き(と突然省略)、サヌの家に泊まっている私ジャミラ。今日も人ん家でパンケーキとチャイをいただいていると、サヌの義兄のラムという人がやってきて、しゃべる。

きくと彼は孤児院を作っている途中だそうで、詳しく話をきくうちに、寄付をしてくれないかという、ありがちな方向へいってしまった。くまったくまった。サヌの家族なだけに無下に断ることもできない。が、私ただ今住所不定無職の身ですので、何もできません。それとなく、やんわりと、誰かいればいいんだけど、僕は今住所不定無職だから・・・と返す。

俺が困ってしまっていることを察したサヌが、「学校に用事があるから一緒に行こジャンゴ」と連れ出してくれた。あんがとサヌ!どうやらキッズのテストの結果が返ってきたらしい。受け取って、家に帰る途中「だめだこりゃ・・・」と嘆くサヌ。見せてもらうと、平均62点ほど。僕としてはこれは上出来の部類に入るのだけど・・・とは言わず。

家に帰るなり子供達を呼びつけ、雷どっかん。怒髪天を衝く。「何やこの成績は!!もっと勉強せんかい!!オカンがっかりやでしかし!!」ルンチェ(泣き虫)のラマンがめそめそと泣き出したので膝に乗せてなぐさめてやる。だはは。いかにも家族っぽい風景だったので一人微笑む。空気を読んでいないのかしら。

それでもご飯になると皆ケロっと忘れてダルバートをばくばくと食べる。子供はこれだからいい。いちいち引きずらない。大人達もケロっと生きられたら苦労しないのになあ。

その後皆でサヌのお母さんの家、キッズのおばあちゃんの家へ。一戸建てで作りかけの家。ここを改装して孤児院を作るそうだ。ラムの話は割と本格的なものだったらしい。が、それと寄付を募るのとは話が別なので、そう簡単に日本人の援助はうけられないだろう。援助する側も信用できる機関などを通さないと安心できないだろうし。自分に経済力や強力な人脈があればとつくづく思う。力になれなくてごめんよう。

ラムと別れサヌ、サマンラマンヤマンとヤギ子と僕はテンプーに乗りパシュパティナート(前にプラカシュと行った猿があふれかえる寺)へ向かう。広場に座ってシャボン玉大会。青い空と白い雲と緑の芝生とシャボン玉とキッズがとても幸せな光景にみえたので、すかさず撮影。するとラマンがシャボン玉の液を全部こぼしてしまい、サヌはいつの間にか寝てしまい、大分適当な感じになっていたので、撮影を中止して僕も適当な感じに便乗する。

しばらく適当に遊んだところで、タメルへと帰る。明日、ついにネパールを発つ。万が一にも明日サヌ達に会えないといけないので、念のためしっかりありがとうとバイバイを言っておいた。

ツアー会社でネパールとインドの国境スノウリという町行きのチケットを購入。ネパール最後の夜なので、奮発してヤギ子、三人娘とイタリアンの店へ。ぬぬなんと、ピザ3枚にプロシュートとカルボナーラの大盤振る舞い。我を忘れて、他をも忘れてドカ食いするジャパニーズ。ものの15分でたいらげてしまった。幸せな気分で宿に帰り、「うちらめっちゃ強いで」とケンカを売られたので、買う。

大・富・豪。負けるごとに顔にペイントを施されるという罰ゲームがもれなく付いてきた。みるみるうちにあられもない姿に塗り替えられてゆく貧民共。端正な顔立ちを保ち続けている大富豪は何を隠そう私ジャミラ。端正ではないですかそうですか。

時を忘れ気がつけばまたもや深夜3時。最終的に勝ち負け関係なく全員塗りたくられる始末。ホモ田ホモ男や常にイカっているデーモン、のような不気味な集団ができあがり、ノンアルコホールでこんなにも楽しくなってしまった大富豪中毒者は、その後世に残すと一家の恥をさらさないでいられない顔を、丁寧にも自らのカメラにおさめた。

さようなら、ネパール

8時に起床し荷造りをすませ、最後の日本食をいただきに。ありがとうネパールの日本食。トンカツでシメる。一口24回噛みながらじっくりと味わう。

ボダナートへ。最後のお別れを言いに。プラカシュの家へいくとティハールのお祭りにむけてバンド練習をしていたのでそれを見学して、部屋でレモンティをいただきながら話していると、サヌ達もやってきて、「ウシュナロ」。大人も子供も交じり合い総勢8人で。最後の大騒ぎ。白熱。

16時、もういかないと・・・。と言うと「もうちょっとおりんしゃい」とひきとめられ遊ぶ。17時さすがにもう行かないと・・・と言うと「分かった」とバス停まで見送りにきてくれる。するとそこでサヌとキッズがカタ(チベットのあの別れ際に贈る白い布)と、「BEST FRIEND」とかいてあるビーズのブレスレットとネックレスをくれた。 さらにプラカシュが少し照れながらこっそりキーホルダーをくれた。ありがとう。ありがとう。

最後の最後にキッズにキスをしてもらい、サヌ、プラカシュ、それからちょっと可愛いサヌの妹とハグをして、「また来るけんね」と約束をして別れる。まるでウルルン。

タメルへ戻ると今度は日本人の皆が見送りにきてくれ、バスステーション行きのバス乗り場へ。が、どのバスも満員で乗れそうもないので、慌ててタクシーをつかまえる。皆にお礼を言う。するとヤギ子に「ジャンゴお金はあるの?大丈夫?」と母親のような心配をされ笑う。なかったらお金くれるのかい。

無事出発までに間に合い、一人、久々に一人スノウリ行きのバスへ乗りこむ。19時出発。さようなら、ネパール。やっぱり観光らしい観光は少ししかしていないけど、世界一高い山もみてないけど、この上なく楽しくて、美味しくて、幸せな一ヶ月だった。バスはずんずんと走り続け、夜は更ける。

翌早朝5時。真っ暗闇のなかバスが停まる。到着してしまったらしい。そこからシティバスという名のランドクルーザーに乗り換え、国境へと向かう。肌寒い。イミグレーションで便意を催しネパールに置き土産して、ついに、とうとう、出国手続きをすませ、愛しいネパールを離れる。

さあ、いよいよ、散々「色々大変だ」ときかされていた国インドへ!

ネパール(2007年10月3日〜11月4日)

北インド日記

※他の追随を許さないほど長くなってしまったネパール日記、読破してくださった皆様、お疲れ様でした。今後は更に長くなってゆきますが、どうかご贔屓に。