入国早々首がもげかける

無事出国スタンプをもらうと、勢いそのままにジープで来て、歩いて戻ってきた道をまたしても歩いて戻る。ややこしい。

汗をだらだらと流しながらイミグレーションに到着。オフィサーに笑顔で迎えられたのがちょっと救い。ビザを取得するためまたもや必要事項を用紙に記入し、ビザ代の40ドルを支払う。ビザのステッカーと入国スタンプを押してもらう間に、別のオフィサーに「はいじゃあ一人100ルピーずつね。」と言われたので何代ですか?と聞き返すと「アプリケーションフィー(用紙代)」だと。

へぇそんな不思議な料金徴収が知らない間にできていたのかへぇー。と不思議がりつつも出し渋っていると、諦めたらしく後ろへ下がっていった。何だ小遣いかせぎだったのかよ。

ダンニャワード(ありがとう)。ランブロッチャ(グッドです)。と微かに覚えていたネパール語でオフィサーに礼を言い、ネパールへ足を踏み入れると、早速「カトマンドゥ?」とバスの客引きがやってきたのでついていってみる。

手持ちのわずかなインドルピーをネパールルピーに両替し、この町唯一の銀行へ行きトラベラーズチェックを両替する。銀行とは名ばかりで見たところ掘っ立て小屋のようなこんな場所ですら、トラベラーズチェックが使用できる。アジアって旅易しい所なんだなと改めて実感。

連れられたバス会社でカトマンドゥ行きのバスの料金を尋ねると、「910ルピーだ。」という。さっきイミグレーションのオフィサーにきいたのは確か810ルピーだったんだけど、と返すと「去年まではね。今はどっこも910だよ。」と他の乗客らしい男性に言われるのでなるほどそうなのかな。

でも一応他も確認してみようと、バスターミナルへ行き、そこらへんにいるおっちゃんにきいてみる。「810ルピーだぞ。」やはり。してチケットはどちらで?

ちゃんとバスターミナルに併設された公営バスのチケット売り場があったじゃないか。もちろんプライベートバスのほうが若干乗り心地はいいやもしれぬが、100ルピー安いなら安いに越したことはない。

16時発のバスに乗り込む。「ネパール時間で16時だかんな!」とオッチャンに言われそういえばと思い出す。インドとは15分時差があるのだ。昔誰かが、「ネパールはインドのこと嫌いだから15分早めてるんだよ」と言っていたような気がするが、ともかくややこしいぜ。15分ぐらい大目に見ろよ。

ともあれ出発したバスに揺られながら、ついに戻ってきた!ああ!早く会いたい!和食!と家族に!期待に胸を膨らませ、腹を減らす。

流れる景色も、ここがネパールだと思うとやけに新鮮味を覚える。思い込みと思い入れがもたらす効果は大きい。

が、さすがに公営、安いだけあって、各駅停車なみにあらゆる所でストップしては次々に客を拾う。あっという間に満員になった。おまけにスコール。

バスの上にバックパックを乗せてあるので、濡れないか若干心配したが、濡れて困るようなものは入れていないし、レインカバーもかけてあるので大丈夫だろう。それにひきかえユッケとやらは、ラップトップを丸ごとバックパックに入れて旅をしているので、いつ漏電して壊れてもおかしくないし、いつ衝撃で壊れてもおかしくない状態なのだ。

再三の忠告にも耳を貸さず、「このパソコンばかだからもういいんだよ」と投げやりな態度なので、知ったこっちゃないことにした。物を大事にする日本人の、破れて穴の開いたTシャツを惜しげもなく着続けるボクの、美しい心を完全に忘れ去っているようだ。貧乏人の風上にもおけない。

スコールのせいか、はたまた山間部を走っているせいか気温が下がり、急に肌寒さを覚えた。寝袋を広げて眠りにつ

こうと試みるのだが、バス後方部に座っていて、おまけに道もあまりよくないため、車体が時にじゃじゃ馬、時に闘牛のように跳ね上がる。その度に目を覚まし、その度に首がぐぎんと変な具合に曲がり、寝られたもんじゃない。

美味しくて涙ちょちょ切れるという表現が大袈裟でないほどの喜び

二回ほど食事、トイレ休憩をはさみつつ夜通し跳ねながら走り続けたバスに揺られ、首の痛みに苛まれるもなんとか睡眠を得た我々取材班。

早朝の肌寒さを感じながら外の景色を眺めていると、山の向こうから丁度朝陽が昇ってきていた。なんと真っ赤な!そしてそれは、バスが走っているから?と一瞬おかしな疑問を抱いてしまうほど高速で山からまんまるく飛び出してきた。いつみても息を飲むような、視線を釘付けにさせるような巨大な存在だ。

7時過ぎ、遂にカトマンドゥに到着。ミニバスを乗り継ぎ、安宿街タメルへと向かう。前回泊まっていた宿はもうつぶれてしまって無いときいていたので、適当に何軒か歩いて探そうと思っていたら、ミニバスで隣にいたオッチャンが「わしホテルで働いてんねん」と案内してくれたのでついていってみる。

徐々に記憶が戻ってきて、見覚えのある街並みが目に飛び込んでくる度に、うわオレここで飯食った!
うわーここ来たことあるー!などとユッケに熱弁をふるうが、それこそ知ったこっちゃない彼は相槌もそこそこに、無視しはじめた。畜生めが。

メインのゴミゴミした通りを一つ裏手に回ったところにオッチャンの働く、Discovery Innというホテルはあった。なんだか高そうな面構え・・・とりあえず部屋を見せてもらう。うむ。清潔だ。ホットシャワーも出る。果たしてお値段いかほど・・・「600ルピー。」ありがとう。オッチャン綺麗やけどそらわしらには到底届かん額やわ・・・ウェルカムティーまでくれたのに申し訳ない。

と他を当たろうとすると、「しょうがないな!お前ら日本人だからスペシャル割引やで!他の欧米人は700払ってるんやからね!400でどや!」

一人200(260円)。インドルピーにすると約130ルピー。悪くはない。相談と商談の結果、チェックイン。「とっとと体を洗いたい」が決め手となった。

体を清め、バスでぐぎんぐぎんされた首を安め、いざタメルの町へ繰り出す。日本語がペラペラなスディールさんというオーナーがいることで有名なアティティツアーズという旅行会社へ足を運び、その後ダルバール広場という、その名の通りの広場へ向かう。

ここは二年半と何も変わっていないようだ。少しの間、高いところに登って道行くネパール人をぼうっと眺めながら、ああ、帰ってきたんだな。と物思いに耽ってみたりする。

柄にもなく耽ってみた結果、腹が減った。いよいよです。いよいよこの時この瞬間がやってまいりました。アフリカを旅していた頃からずっと思い描き、時に恋しさに胸を焦がし、時に今目の前にいないという現実に打ちひしがれ・・・ともかく夢見続けていたこの瞬間。

ネパールで和食たべましょう

記念すべきこの瞬間の、一発目に、ボクは日本風のカレーが食べられることで知られているロータスというレストランをチョイスした。

やや勇み足、力み気味で向かい、メニューに目を通す。野菜カレー、エッグカレー、チキンカレー、ポークカレー、カツカレー・・・カ、カツカレー!?

奮発しても 構いませんか

タ、タツタレーを一つ!滑舌が悪くなるのも仕方が無いだろう。半年もの間この瞬間を夢見続けていたのだから。

サラダと共にやってきた、カツカレー様。頂きます。もぐっ。

もぐもぐっ・・・美味い・・・

日本から直接ネパールにやって来た人達からすると、何の変哲もないただのカツカレーでしょうええ。ですがボクにとってこのカツカレーはもはや、タツタレー・・・カツカレーの域を遥かに超えているのです。

生きてここまで帰ってきてよかった・・・。アフリカで息絶えることなくここまで来られて、よかった・・・。

心からそう思えたのだ。ここへ来るまでの間、ユッケと仕様もない、本当に仕様もない事で口ゲンカをし、25歳にもなって本気でスネるという痴態をさらしたりもしたが、今なら水に流せる。いや、まだ腹立たしいけれど、半分は確実に流せる。それほどに美味かったのだボクにとって。

ところでその口ゲンカとはいかなるものかと申しますと、本当に子供の領域なのですが、人の話を聞いてないだ、お前はそうやってすぐにつっかかった物の言い方をするだ、うるさいぼけだハゲだ、そんな事でやんす。

そんな口ゲンカがもはやハミガキや排泄といった行為と同レベルに捉えられるほど日常茶飯の出来事となっていた今日(こんにち)。ふと、そういえば、これから行くロータスレストランには、カキ氷だかアイスだか、お前の好きな甘味があったはずだよ、と美味しい情報をくれてやろうと話し始めただけなのに、カキ氷だか、まで喋ったところで「あっそ。ふーんそれで。」

と言いやがったんでやんす。言い捨てやがったんでやんす。それにあっしカチーンと、氷だけにカチーンときやしてね、もう絶対教えねえ。人がせっかく美味しい話してやろうと思ったのに何だ今の返しは。俺もさんざ口悪い事を言っては来たがよ、あっそふーんそれでなんてそこで全てを遮断してしまうような事は言ったことがねえよ。

いや正しくは、あったかな。うるさいだのだまれだのと、言ったかな。でもよ、そんな、あっそふーんそれで、なんて冷たく言い放つようなマネはしたことがねえ。どんなときでも、どんな悪い口でも、そこに、今そのケンカを楽しんでいる風味を漂わせていたはずでい。

それがあの野郎ときたらこのざまだ。もうカッチーンですよ。あたしゃ宣言しましたよ。オレ本気でスネたからよ。そしたらあの野郎「今お前の背中がそこのちっちゃな子と同じくらいの大きさに見えるよ」なんてさらに言ってきやがるんで。

もうサーでやんすよ。完全サーっと引いてやりましたよ。それを察したか、しばらく黙ってましたがね、あっしもちと大人げなかったかななんて思って、「あの電気屋さんの照明きれいだね」なんて急にしおらしく話題をかえてきやがった時にゃ、無視するのをやめてちゃんと、うーん、と返しましたよ。

なんて大人なんだいあっしって奴は!でもね、結局ね、その後何回か、「で、何て言おうとしたの?」と聞いてきましたがそれだけは教えずじまいでしたよええ。水に流したようで根に持ってるんですかね。洗い流そうとしたら根っこがワッサワサ生えててぬけなかったでやんすね。

急な江戸っ子、カツカレーを経て今度は感動の再会

ついに念願が叶い、空腹も心も満たされた我々取材班は、いよいよある人物とコンタクトをとることにした。

電話屋さんにてダイヤルピッポッパ。「ハロー?」ハロー、ジャンゴやで。「ジャンゴー!今どこにいんの?」タメルに今朝ついたよ。「何でもっと早く連絡くれなかったんだよ!」だってシャワー浴びたり飯くったり忙しかったから。今から会いに行ってもいいか?「もちろんやんさ!」じゃあ、15時に、一番最初にわしらが出会ったチャイ屋さんで待ち合わせね。「オケー!」ガチャ。

丁度二年半前、ボダナートという町を歩いていて、ふと休憩に立ち寄ったチャイ屋さんで知り合い、仲良くなったネパール人のプラカシュという青年と、ついに再会を果たす時がきたのだ。カツカレーより感動を呼ぶかもしれない。

すぐさまボダナート行きのミニバスに乗り込み、出発。胸が高鳴るとは常套句として用いられる言葉だが、今ならその感覚が分かる気がする。興奮と、今にも駆け出したい衝動でもうズッポーンなのだ。

交通渋滞のせいで40分近くかかり、ボダナートに到着。覚えている道を辿り、プラカシュの家の近くのそのチャイ屋を目指す。

ユッケはなんだか面倒くさそうな足取りで、とぼとぼとボクの後をついてくる。会ったこともない相手との待ち合わせ場所に向かうのだから当然といえば当然だろう。

ヤ!いよいよだ!この角を曲がれば、チャイ屋があるはず!ドキドキが速度を増す。

チャイ屋!はあったのだが、プラカシュの姿が見当たらない。約束の時間を一時間近く遅れてしまったから無理もないか。直接家に行ってみよう。が、しかし何だか風景が違ってみえる。確かチャイ屋のすぐ前は三叉路になっていて、プラカシュの家へ向かう下り坂があったはず。

なのにそれがない。とりあえず見覚えのある方向へと歩を進めてみる。

ん、んん・・・そして徐々に見覚えのない風景へと飲み込まれる。ちゃうやん。

道、間違えてるやん。自分テンパってゴール目前で道間違えてるやん。

すぐさま来た道を戻り、反対方向へ。ユッケは完全に「こいつまたやりおった」という表情。ええまたやりおりましたよ。

そもそもチャイ屋から間違えていた。本当の待ち合わせ場所のチャイ屋に到着すると、やはり記憶の通り三叉路と、下り坂がちゃんとあった。自分の記憶をしっかり信じないで、変に斜に構えるから余計迷うのだ、毎回。

下り坂からは一本道なのでさしもの私も迷いようがない。見えた。ついにプラカシュの家が見えちゃった。着いちゃった。

実家で経営している電話屋さんのドアを開け中に入る。

「ジャンゴーーーーーーー(申し遅れましたがジャンゴとはジャミラのネパール名です)!!!」プラカーシュ!!!久しぶりやんなー坊主頭やんけどしたんやー!「ジャンゴもやんか!つか痩せすぎやろジャンゴどしたんやー!」アフリカでゲッソリいきましてーん!!!

ひとしきり感動と興奮の再会にちなんだ会話のキャッチボールをして落ち着きを取り戻すと、突然プラカシュが「あのさ、俺結婚したんだ!!」え!!!???

嘘やろ!?プラカシュはボクの二歳年下だからまだ23歳のはず。でもまあこっちの方では結婚適齢期なのかもしれない。びっくりしたが、それはめでたい話だおめでとう!で、相手は?「ビニって子なんだけど、色々あってね、まだ難しい状況にあるんだ・・・」え?どゆこと?政略結婚か!?

「いや、恋愛結婚だよ。でもまだ正式に籍は入れてないんだ。ネパールでは女性は18歳、男性は22歳以上じゃないと結婚できないんだけど、奥さんまだ17歳なんだよね。」は!!!??えーーーー!!!!何じゃそら!!!要するに、内縁の妻。お前はバツイチ子持ちの中年男性かと問い尋ねたい。

「で、こないだ奥さんの兄貴が殴りこみにきてね、ファイトしちゃった。というのも、彼女は両親とももう亡くしてて兄貴しか家族がいないんだ」そりゃあ、大事な妹なんだからそうなっちゃうかもねえ・・・しかしまたなんでそんな・・・「彼女を兄貴と一緒に住ませたくなかったんだ。だからまだ籍は入れられないけど、家に引き取って結婚ってことにしたんだ。」

その他の詳しい事情はあまり根掘り葉掘りきかないでおいたが、どこの国でも、どこの家族でも、なんだか似たようなもんなんだな、そう思った。しかし驚いた。

プラカシュの従姉弟の、サヌ一家にも前回お世話になったのだが、今回ネパールに帰ってきていることはプラカシュにしか伝えていない。サプライズで突然お宅訪問したろうぜ!と意気込んでいたのだがそれ以上のサプライズを不意にプラカシュにされたので、もう見事にしてやられた具合である。

陽気で丸っこくて、いつも外で豪快にタバコを吸っていたプラカシュのアマ(お母さん)にも挨拶。「ジャンゴー!元気しとったかね?えらい痩せたやんかー!」

そして件の奥さん、ビニもやってきて、「嫁です」挨拶する。17歳・・・まだ高校に通っているとか。明るく溌剌とした雰囲気の子だ。

なんとか驚きを飲み込み、いよいよ今度はボクがサプライズする出番だ。すぐ裏手にあるサヌの家へプラカシュ、ユッケと向かう。

とその道中、「ジャンゴ、ヤマンだよ。」とプラカシュに止められる。え?ヤ、ヤマン!!!??ヤマンとは、サヌの娘で、当時9歳になったばかりだったから、今年で11歳になるはずだ。

本当にヤマンなの!?えらい別嬪さんになってもて・・・しかも前歯しっかり生えてるやん!前は二本ともなくて歯抜けやったのに!きゃー変わるもんやねえ女の子ってえのは・・・サプライズしているのがどちらなのかもはやよく分からない状況。

ヤマンを連れて家に帰る。が、生憎サヌは不在。ヤマンに、サヌの携帯へ電話をかけてもらう。無論ボクがいることは内緒で。「インターネットしてるんだって。今から帰ってくるよ。」なんとまあ呑気にインターネットなんかしちゃってサヌったら。

ソワソワしながらソファーに座って待つこと15分。「帰ってきたよ!!」割と急だったので、粋な演出を計ることもできずに、普通に家に入ってきたサヌに向かって、満面の笑みで、サヌーーー!!と叫ぶことしかできなかった。

が、それにも関わらず、一瞬立ち止まり、何事か、何者が我の目の前に立ちはだかっているのかと考えた様子を見せ、その後すぐに「ジャンゴーーーーー!!!!」とハグしてくれた。

この再会も、ずっと夢みていたことだった。旅をしてきて、色んな所で色んな人と出会い色んな友達ができたけれど、一番気兼ねなく、楽しく過ごせたのがこのネパールの家族だったのだ。

それから、サヌのアマ(子供達のおばあちゃん)やサヌのお兄さん、ビスヌン達にも挨拶。サヌの子供は、ヤマンの他に、ヤマンの双子の兄妹ラマンと、兄サマンがいるのだが、彼らは今晩おじいちゃんの家に泊まりにいっているらしく会えなかった。明日リベンジ。

とりあえずこの二年半どうしていたか、簡単に報告しあい、興奮冷めやらぬ中だけれども、夜になってしまったのでタメルへと帰る。「明日からうちに泊まんなさい。荷物とか全部もってくんのよ。」

ありがとう!ああ〜嬉しい。

こうしてサヌ一家とのネパールの日々が開始せられるのであった。

感覚の違い、価値観の違い

翌朝タメルで過ごし、12時に宿をチェックアウトししばらくカフェで小粋にワイファイ(ワイヤレスインターネットのことです老婆心ながら説明)。ユッケは今しがた航空券をとってきたという。

という、のも、デリーで合流してから一ヶ月弱、ボクと二人旅をしてきたわけだが、つくづく旅のスタイルが相違することにお互い気づいたのであった。

あまり先を考えたり急ぐことなく、その日その時の雰囲気で旅をしたいボクに反して、短期間にいかに多くの街を廻るか考え、先々の予定をたててテキパキと行動しながら旅をしたいユッケ。あまりに対である。

そして、日本や欧州のように、発展してはいるが人との出会いに欠けるような国々よりも、土臭くて人々の笑顔がはみ出そうなほど大きくて、道を歩いているだけなのに陽気におしゃべりができる、アジアやアフリカの国々のほうが好きなボクに反して、ユッケは「都会がいいや」と今回インドの旅で改めて思い知ったそうなのだ。

そんな、もったいない・・・インドにはまだまだ見所だっていっぱいあるのに!もう二度と来ないなんてもったいなすぎるぜ・・・

とはボクの主観で物を言った際の意見であって、価値観や考え方、捉え方は人それぞれ、ユッケがそう思ったならそれは仕方のないこと、本当は帰国まで一緒に旅を続ける予定だったのだが、お互いに疲れてしまったのでここネパールにて数日後解散!となるのであった。

そんな航空券手配やなんかを済ませ、夕方頃に全ての荷物を担いでボダナートへと向かう。サヌ宅へお邪魔になるのだ。

手ぶらでいくのもなんだから、とスーパーでお菓子を大量購入してそれを差し出すと、子供達のハートは大方がっちりキャッチできたようだ。

ラマンとサマンは既にボクが現れたことは知らせていたらしく、特に驚かれる様子もなく迎えられた。ちょっとさみしい。しかし12歳になったサマンは今まさに第二次成長期を迎えているらしく、身長はぐんと伸びほぼボクと同じ、声はやけに低くなっている。

二年半・・・彼らがこんなにも変貌を遂げるほど、ネパールを発ったあともひたすらボクは旅を続けていたのかと思うと、時間というのは実に過ぎ行くものだな、と当たり前の事を思った。

再会したばかりだったからしばらく照れくさそうに、静かにしていた子供達も、ボクが積極的に話しかけたりカメラを使わせてやったりしていると、すぐに二年半前のやんちゃな姿に戻ってくれた。

ところでユッケはというと、実に気を遣っている!!!前々からこいつぁ実にわかりやすい人間だ、感情がすぐに顔に表れる人間だと思ってはいたけれど、ここまで単純なほどに分かりやすいとは。にこにこしながら子供達の相手をしてくれてはいるけど、常に姿勢は固いし、おまけに笑顔も固い。

晩ご飯の時間になり、キッチンに集合して、ネパール版ターリーともいえる、ダルバートというものを頂く。右手でもぐもぐ食べると、作ったサヌやおばあちゃんが嬉しそうにこっちを見てくる。やや大袈裟なくらいにミートチャー!(おいしい)とリアクションをする。

食べ終わると率先して皿洗いをやる。「ジャンゴ!ユー(ユッケはユーと呼ばれています)!いいからおいときな!手洗って向こういきなさい!」とサヌに言われるも、これぐらいやらせてくださいな〜。とユッケが洗った皿を、ボクはひたすら片付ける作業に集中した。要するに特に何もやっていない。

21時を過ぎると、「じゃあ、皆寝るからね。ジャンゴとユーはこのベッドね。」と大きめのベッドを用意してもらい、就寝。同じ部屋にはベッドが三つあり、ラマンとサマンが一回り小さいベッドを二人で、もう一つをおばあちゃんが使っていた。一部屋に五人の大所帯。

「はぁ〜・・・疲れた・・・タメル戻るわ俺」ははーん。よほど気づかれしたらしく、就寝前にユッケがそうぼそっとつぶやいた。そうか!?そんなにもか!?つくづくボクとユッケという人間は、性格が違うのだなあと実感。

が、冷静に考えて、会って二日目でその人の家に泊めてもらって気を遣わない日本人がいるだろうか。ほぼいまい。

必死の弁解

翌日、学校へ向かう子供達を見送り、サヌに「ジャンゴ行くよ」と行き先不明のままスクーターの後ろに乗せられ、サヌの旦那さんの仕事場の人、という人物と待ち合わせをし、謎の現金受渡しを行ってそそくさと帰り、昼ごはんを頂く。パニロティという、チャパティの生地を一口サイズにひねってスープにぶちこんだものだ。

なかなか美味い。が、ユッケは「もうお腹一杯。」とボクに食べさせる。それをみていたサヌが、「ユー!何で食べないの!?」ときく。「さっきサヌとジャンゴが帰ってくるのを待ってる間パン食べちゃったから。」するとサヌが何かネパール語でおばあちゃんに尋ねる。

「おばあちゃん、ユーがパン食べてるとこなんてみてないって!本当にお腹いっぱいなの!?それとも、美味しくない?」「美味しいよ!ただ、お腹いっぱいなだけだよ!」「私達が帰ってくるの遅かったから怒ってるの?」実に二時間半も、ボクとサヌがどこへ何をしに行ったのかも知らないまま悶々と待ち続けていて、疲れきっていたのだ。

「そんな、怒ってなんかないよ。」笑顔で取り繕うがやはり分かりやすい男だ。ユッケの残したパニロティをボクが食べたのはよかったのだが、結局「じゃあライス食べなさい!」とお米とダル(豆のスープ)を食べさせられたのであった。

そんなぎくしゃくした昼食の直後に荷物をまとめてタメルに戻るというんだから、言い訳に困った。咄嗟に、「ユッケはパソコンで、一人で集中して仕事しなきゃなんないんだって。だから遊びにはくるけど、寝るのはタメルにするって。」と口をついて出たが、無論信じちゃいない。

「分かった。でもだったら何で一日だけ泊まりにきたの?やっぱ怒ってるんじゃないの?」とサヌ。そんなんじゃないよ!と取り繕うボクとユッケ。

ひとまずサヌ達と別れる。完全に憔悴しきった様子のユッケ。よほどこたえたらしい。知らない国の、知らない人の家に泊まって一つ屋根の下眠ることが。ホテルに舞い戻るなり「楽やわ〜・・・」と漏らす。

インドで散々な目に遭い見事に嫌いになり、全然楽しんでいる様子がなかったユッケ。ネパールで少しでも癒されて、現地の人と触れ合えば旅を楽しめるきっかけになるかな、と思い半ば無理やりに連れていったのだが、やはり合わないものは合わないようだ。自分の価値観を押し付けていた事を少々省みつつ、一人サヌ達の待つ家に帰る。

そこで改めてユッケがタメルに戻ってしまった理由を尋ねられたので、正直に、サヌ達とユッケは会って間もないでしょ?なのに急に家に泊めてもらうことになったから、気を遣っちゃって、リラックスできなかったんだって。それだけだよ。サヌ達のせいでもユッケのせいでもないんだよ。

ずっとユッケが怒って出ていったのだと、サヌとおばあちゃんは心配していたのだった。「そっか。分かった。」明日また遊びにくるからユッケも。「ならよかった。」

割と常に色んな人がずかずかと上がりこんでくるサヌの家だから、ボクが急に現れても、そんなボクが急に友達を連れてきてもすんなりと受け入れてくれたのだろう。それが普通なのだろう。だから、そこで気を遣ってしまうというユッケの感覚があまり分からないのかもしれない。

それは仕方のないことだけれど、そうやって会って間もない人ですら家族のようにもてなして、出ていくとなると寂しがってくれるこの家族の温かさを、またしても愛おしく思っちゃったのであった。

最後の晩餐お好み焼き

タメルで一人夜を明かしたユッケの元を訪ねると、実にリラックスしているのがこれまたわかりやすいほどみてとれた。

朝食をとりにふる里という日本食レストランへ。チキンてりやき定食をがっつり頂きます。美味い・・・夜はサヌ宅で家族とダルバート、昼は和食。幸せこの上ない献立であります。

それから、日本の食材が売っているというお店を目指して歩く。今夜はサヌの家で我々ジャPAニーズがお好み焼きをふるまうのだ。地図を頼りに、時々そこらへんの人に尋ねつつ到着。ずらりとならんだ醤油、酒、みりん、インスタント味噌汁、カレーのルー、キューピーマヨネーズに心躍らせる。

が、総じて高額。参りましたな・・・。結局醤油と、どこでも手に入るが他より若干安い品々だけ購入し、帰る。

しばらくカフェでワイファイ作業に没頭し、ボダナートへと向かう。家へ着くと皆揃っていて、ラマンと一緒に野菜の買出しに出かける。

道端の量り売りをしている屋台で何種類かの野菜と、肉屋でさばきたてのチキン、それから小麦粉を買って帰り、早速調理にとりかかる。

何が出てくるのか気になる一同が、ボクの一挙手一投足に注目するが、ただ野菜を刻んでいるだけなのであまり見ないでいただきたい。

ユッケと手分けして野菜を刻み、いよいよ焼きの作業へ。ネパール料理にも、お好み焼きに似たチャタマリというものがあるので、いまだ気になっている一同には、ジャパニーズチャタマリだと説明し、納得させておいた。

和風ドレッシングも手に入れていたので、サラダにぶっかけてお好み焼きができるまでのつなぎにしようと差し出したのだが、あまり減らない。「おばあちゃんは火を通してないと野菜食べないんだよね。」がごーん。

ドレッシングも口に合わないのか、生野菜の部分ばかり子供達はつまんで食べている。ちぇ。

チキンの余った骨や肉を使ってユッケが中華風スープを作った。なかなか美味いやんさ。ボクはひたすらフライ返し。

お好みソースがなかったので、醤油とマヨネーズとオイスターソースを適当な割合で混ぜたものを塗りたくって提供する。最初はためらっていたが、一口また一口と食べてくれているようだ。「ミートチャ(おいしい)」

そう言ってくれてありがたいが、そこまででもないらしい。本当に美味しいと、前述のカツカレーの際のボクのように、取り乱すものなのに、至って冷静なのだこの一家。

意気込んで大量に購入してきた野菜と粉がわびしくボウルに残る。仕方が無いので自分達でがっつり食べる。美味いやんさ・・・!

仕事を終えやってきたプラカシュや近所の高校生ロシャン達にもやや強制的にふるまう。一応美味しいといってくれた。

一通り皆お腹一杯になり、お好みパーティが終焉を迎えると、おもむろにトランプを、それも中国で買ったセクシートランプを取り出しユッケがマジックを披露しはじめた。マジック云々よりも先にそのセクシートランプの、いやらしさを咎められた。

それもそうだ。いままさに思春期を迎えているサマンや、もうすぐ迎えるラマンがいるのだ。冗談でセクスィ〜とそのトランプを褒め称えると、笑ってはくれたがサヌはやや困り気味だった。

ユッケのマジックに一様に驚いた後は、「うすのろ」というシンプルで盛り上がるゲームをする。詳細は二年半前のネパール日記をご覧下さい。

それも一段落すると、プラカシュ達は家へ帰っていった、のだがその際にやや真面目な顔で、「そのトランプ、オヤジさん帰ってくるまえにしまっといたほうがいいよ。サヌは笑ってくれたけど、オヤジさんはそういうとこ本当に怒るから。」

は、はい・・・冗談半分でセクシートランプを取り出したが、ちょっと浅はかだったかもしれない。でも、二年半前に使っていた可愛いプーさんトランプはどこかにいっちゃったのでやむをえなかったのだ。

明日の飛行機で香港へと発つユッケを見送るため、今夜はボクもタメルに泊まることにした。22時頃、サヌの家を出発しようとすると、子供達がユッケに鉛筆と、サヌがカタとよばれる白い布(これから旅立ったり別れたりする相手にあげるもの)をプレゼントしてくれた。

最後の最後に、楽しい思い出ができたようで、いや実によかった。

テコンドー大会は空き地で

ユッケを見送り、再びサヌの家に厄介になる。相変わらず次から次に、どこの誰だかよく分からない来客があるこの家だが、隣の家に住むロシャンという17歳の男児がやってきて、「明日テコンドーの大会があるから、ジャンゴみにこない?」と誘われたので、早朝6時に待ち合わせをしていってみることにした。

そういえばこういえば、テコンドーってもともとどこの国の格闘技だったろうか?日本か?中国か?気になったので電子辞書で調べてみると、なんと、なんとと言うほどのものでもないが、朝鮮半島が発端なのだそうだ。

空手とどう違うのだろう?スポーツに疎いボクはそんなことも知らない。ふむふむ。蹴りを主としたスポーツで、顔面と急所以外なら基本的にどこを攻めてもオッケー。らしい。

なるほど。しかしなんでまたそんな朝鮮発の格闘技がここネパールで盛んに行われているのだろうか。という疑問をなんとなく浮かべているうちにバスで眠りこけてしまい、「ジャンゴ!」とロシャンに起こされると既に会場に到着していた。

ここが?かい・・・じょう?舗装中の道路沿いに広がる割と大きな空き地、そこに簡易テントと簡易リングが設けられ、会場と名乗られているようだ。

アマチュアのプロレス団体が巡業で地方にやってきた雰囲気を想像していただけると伝わりやすかろう。「やべ!もう始まってる!ジャンゴここでみててね!」と言い残し大慌てで胴着に着替えるロシャン。

今はチビっ子が試合をしている。チビっ子ながらなかなかの気迫でひたすらにケリを入れている。三本勝負らしく、一本決まるごとに一度椅子に座り、コーチらしき人物に水を飲まされ、「こうきたらこう!いいぞ!お前負けてねえぞ!その調子で攻め倒せ!」とエールを送られている様子が、いかにも格闘技試合っぽくて微笑ましい。

お次は中高生ぐらいの女の子同士の試合。これはなかなか見ものだ。ネパール人の、女の子が、ネパールで、テコンドーの試合をしている姿なんてそうそうみられたものじゃない。

チビっ子とはやはり体の大きさも威力も違い、迫力充分だ。そして、一本また一本と決まるたびに、リングの四隅に構えている審判が「ハイ!」と物凄く機敏な腕の動きをもってして、メインの審判の人に何やらメモ紙のようなものを手渡すのがこれまた、「試合ですからこれ。」と言わんばかりで面白い。

三本目で髪の長い女の子のケリが見事に鼻に当たってしまい、受けたほうの子が流血。鼻血ってこんなにも容易くでるものなのか。一旦椅子に座り、コーチの手当てを受け、勇ましくも再び戦う女の子。かっこいいじゃないか。

結局髪の長い女の子が勝ったようだが、試合を終えるときちんと握手を交わし、礼儀を忘れない。実に清清しい。

いよいよ我がお隣さんロシャンの出番だ。持っていたデジカメを構え、撮影開始。腕、頭、もも、股間に防具をつけて戦っているのだが、その防具の上ですらまともに受けると痛そうなケリをお互いにとばしあっている。

イマイチ、決まった!とか、一本!の基準が分からないため盛り上がりようがなかったのだが、周りの雰囲気からすると、ロシャンが押され気味らしい。

三本目、ラストの戦い。そこで、パシコーン!いや、スッコーン!か?いや、ベギョ!か。ともかくかなり、「入った感」のある音が響いた。ロシャンか!?ロシャンが決めたのか!?

「あてててててて・・・」やられっちまったようだ。

惜しくも敗退。残念だったけど、見応えあったよロシャン!「そう?有難う。」もうロシャンはでないの?「うん、ボクはあれが最後だったんだ。二位だよ。」え!あれそんな、一位二位を決める戦いだったの!?そっか、惜しかったけど、二位でも凄いじゃん!「んだね。昨日の試合で思いっきりけられた腿が痛くてさ・・・」

左足を引き摺りながらも音を上げず最後の戦いに挑む己よ。スポーツとは尊いものですなあ。全くの運動音痴がいうのも失敬な話ですが。

ところでこの大会は何時まであるの?「夕方まではあると思うよ。」そっか。じゃ、オレはロシャンの試合もみれたし、一足先に帰るね。「そう?ボクの友達の応援もしてってよ。」うーん、でも慣れない早起きしちゃったから、帰って寝たいや。「分かった。じゃあ気をつけてね。」

そういってボダナートに戻り、歩いていると、発見してしまった・・・ラピを。チベット版きしめんその名もラピを・・・。ああ美味い。ぺろりとたいらげ、家に帰る。

「ジャンゴおかえり!腹へったでしょ?」とダルバートを大盛り一皿頂く。たったいまラピも食べたばかりなのでこたえたが、残すわけにはいかないのでどうにかたいらげ、ロシャンの試合の様子を動画でみせる。

それからプラカシュの家でごろごろしたり日中を過ごし、夕刻。「ジャンゴ、仕事やで!」とサヌに連れ出される。

近所の水汲み場に到着。10リットル以上はあろうかという入れ物に水を入れ、「よろしくね」担がされる私。こんな労働らしいことなんて久しくしていなかったので、なんだかやけに新鮮だ。

今度は家の前の畑で、ポンプの水を汲む。結構力を入れないとポンプが動かないので、これもなかなかの労働。「ジャンゴ全然だめじゃん。」と子供達に野次を飛ばされる。

そして夜もやっぱりダルバート。ネパール人は、一日二食はダルバートを食べている。よく飽きないもんだ。「もうダルバートばっかでやになっちゃうよ。」飽きてんじゃん!プラカシュ。

「しかしジャンゴは、誰にでもナマステーって挨拶するよね。」サヌとプラカシュに言われたので、そりゃあ、しないよりしたほうがいいでしょう。知らない人でも、サヌやプラカシュの知り合いだったら、挨拶しておいたほうがいいでしょう。「でもそこらへんですれ違っただけでもしてるよね。」

目があったらナマステーっていってにっこり笑っておいたほうが、何もしないより相手も気持ちいいでしょう。「ジャンゴのナマステは安いんだね。」と言われカチン。ナマステに安いも高いもあんのか!?あ?たかが挨拶でしょうが。そんなの出し惜しみする必要がどこにあんの!?

「でも、ネパールでは、そんな誰でも彼でも挨拶する必要はないんだよ。」なんだか腑に落ちない気もするが、ネパールでは、とか、ネパールだから、と言われると反論のしようがなくなる。郷に入っては郷に従うべきだから。

日本語教室で先生まがい

「オハヨウゴザイマス。オゲンキ、デスカ?」おはようございます。はいとても元気ですよ。「デハ、イキマショウカ。」

昨日、夕方の町をサヌとぶらついていると、サヌの友達だか親戚だか知り合いだか(親族が多すぎてもうわけがわからないサヌ一族事情)の、パサンという女の子を紹介された。「彼女は今日本語教室に通ってんのよ。」そして明日の朝、一緒に教室に行ってくれないかと頼まれたのであった。

道中もう一人パサンの友達を迎えに行き、チャベルという町まで歩く。教室に到着すると、もう既に他の生徒さん達も着いていた。「みんなには、ジャンゴはネパール人って紹介するからよろしくね!」最近はほぼ90パーセントの確率でネパール人に間違われるし、面白そうなのでのってみる。

が、「ハーイ!ジャンゴ久しぶりー!いつの間に帰ってきてたの?オゲンキデスカー!」突然話しかけてくるめがねの女性。おや?これまたプラカシュの妹(異母)じゃないか!

というわけでみんなを騙す間もなく日本人であることがばれてしまった。そうこうしているうちに、先生がやってきた。これが噂のイケメン先生か。パサンが昨日からしきりに「センセイハ、トテモ、キレイデス」と言っていたのだ。

確かに整った顔立ちで、某ジャニーズ事務所に所属していても違和感はなさそうだが、その、少し伸びた後ろ髪をゴムでくくるのだけはやめて欲しい。どうか・・・ボクの嫌いな男の髪型ベスト1堂々ランクインスタイルなのだ。

一番前の席に座らされ、起立も礼もなく始まった授業の最初に自己紹介をさせられる。イエメンの日本語教室でもしたが、人前でしゃべるのはやはり得意ではない。

皆さんどうも初めまして。ジャミラと申します。三年前に仕事をやめて、今はずっとあちこちを旅行しています。と、日本語のあとに英語で説明しながら、三年と言うときには指を三本さしだしながら、極力分かりやすいように話してみる。

いくつか質問を受けてそれに答えたりしつつ、授業開始。今日は漢字と、それから数の数え方の勉強らしい。そういえば、日本語の数の数え方は実にややこしいな。日本人だから何とも思わないけれど、あれは実にややこしいはずだ。フランス語の数字もややこしいが、こっちもややこしい。うん。

「イッポン、ニホン、サン、サンポン?サンボン?ヨンホン、ゴホン・・・」数字によってマルをつけたりテンテンをつけたり、イチニチといったりツイタチといったり、キュウホンといったりココノカといったり、ロッコといったりムッツといったり、ええいややこしい!

いつか、どこかで出会った欧米人に「日本語は何で漢字、カタカナ、ひらがなって三種類もあるの?英語だったら、アルファベットだけなのに。しかもアルファベットなんて26個だけだよ?それを組み合わせるだけで言葉になってるのに、何で日本語はそんないくつもあるの?頭悪いよね」

と言われたことがあるが、確かにそうかもしれない。日本語は、英語よりももっと細かい、奥の深いニュアンスまで文字で表現するために、こんだけ色々あるんだよ。頭悪いんじゃなくてむしろいいんだよ。と反論した気がするが、果たしてどうだろう。今頃になって、もしかすると実にこんがらがった言語なのかもしれないと思えてきた。目の前でこんがらがっている彼らをみていると。

「ねえジャンゴサン、これって日本語で何ていうの?」と後ろの席の、ヒゲの濃い青年を指差すパサン。ああ、ヒゲね。ヒゲと言います。「ヒゲー!!」教わった単語をすぐさま投げつけるパサン。すると今度はその青年が、「背が低いことを何て言うの?」ときいてきたので、チッチャイ、かな。「チッチャイ!チッチャイ!」とパサンに言い返し始めた。

まるで小学生の、お互い嫌いじゃないのに罵り合ってばかりいる男女みたいで可愛らしい。チッチャイよりもチビっていったほうがしっくりくるよ、と教えてあげようかと思ったが、パサンに「何で教えたノー!」と言われたので自粛しておいた。

「ガッコウは学校で、キョウシツは教室だよね?で、センセイとキョウシは両方ティーチャーのことだよね?」うんそうだよ。と答えるなり、「キョウスィー!キョウスィー!ちょっとここがわかりませーん!」と先生を呼び止めるパサン。あまり呼びかけるときに教師とは言わないんだけれど、しかも語尾がスィー・・・。キョウスィ。

二時間の授業を終え、解散。まだ朝の9時。帰り道に、何で日本語を勉強しようと思ったの?と質問すると「今年から、日本がネパール人に対しても、ビザの発給を広く始めたから。それで日本に行って働きたいから。」とパサン。

みんな、日本で働いて、お金を稼いでネパールでリッチになりたいらしい。理由はともあれ、やはり他の国の人々が、自分の母国語を熱心に勉強してくれているというのは嬉しい。そして日本語を教え、あれこれ質問されると、さも自分がとっても賢い子になった気がして気持ちいい。愚かな悦。

家族のもとを離れ、少し一人に

家に帰り、パサンも一緒に朝兼昼ごはんのダルバートを頂いて、軽く荷物をまとめると、再び出発。「はい、これ持ってきなさいジャンゴ。」とサヌに携帯電話を渡される。「何かあったら連絡すんのよ。」

今日から何日間か、カトマンズから二、三時間の距離にあるナガルコットという町へ一人小旅行へ向かうのだ。さすがに四六時中サヌ一家や誰かと一緒にいるのも疲れるし、前回のネパールでもカトマンズとポカラ以外訪れたことがなかったので、この機会に新しい町をせめてみようという試み目論見。

バス停までサヌのスクーターに乗っけてもらい、「じゃあね、いってらっしゃい!あとで電話するから!」とバクタプル行きのバスへ乗り込む。まずはバクタプルへ行き、そこでナガルコット行きのバスに乗り換えるのが常套手段だそうだ。

乗り込むなりとてつもない睡魔に襲われ、そのまま一時間近く眠ってしまった。目を覚ますとさっきまで満員だった乗客はまばらで、「バクタプルだよ。」と料金回収係に教えられる。バス代がいくらか分からなかったのでとりあえず50ルピー札を手渡し、お釣りを待つ。が、返ってくる様子がないので尋ねると、「50ルピーですよ。」と。いやそんなするはずないでしょう。お釣り、下さい。「いやいや、50ルピーですよ。」

絶対にこの距離で、ローカルバスで50ルピーもするはずがないのだが、寝起きだったせいもあり、面倒臭くてそれ以上は聞かずに諦めた。

降りるとすぐにナガルコット行きのバスが待機していたのでそちらに乗り換え、出発。やっぱり眠い・・・何故だろう・・・そういえば今朝も5時すぎに起きたのだった。ネパール人みんな早起きなんだもん。

「ナガルコットですよ。終点です。」またしても、目を覚ますと目的地だった。ナガルコットは山の上にある町なので、その途中の山道なんかも景色がよかったりするはずなのだけど、その間ずっと寝っぱなしだったので、詳細は不明。少しもったいない気もしたが、寝て起きたら目的地というのもこれはこれで便利な、お得な気になる。

大きなバックパックは家に置いてきたので、歩くのが随分と楽だ。適当に宿を探す。小奇麗なホテルが目にとまったのでためしに見てみると、「700ルピーですね。」こりゃ失礼いたしましたよ。さらに歩く。

「おーい旅のお方。宿を探してるんですか?」ええ、まあ。「いくらぐらいの?」とても安い所、例えば150とか200ルピーぐらいの。「それまた随分。そうだな。ノリタケに行ってみるといいですよ。」ノリタケ?ああ、何かどこかで聞いたことのある名前。

教えられた方向へ歩くこと二分、憲武珈琲店と日本語で書かれた看板が目についた。確かここには、とんねるずの憲さん似のオーナーがいるので、日本人客に有名なんだとか。

店に入るなり、仮面ノリダーの写真がご丁寧にも額におさめられ、飾られてあった。「いらっしゃいませ!」あ、あなたがノリタケさん?それにしては随分若いような・・・「ボクはその息子です。」あ、なるほどに。ところで部屋は空いてますかな?「どうぞこちらへ。」

二階へ上がると、「父です。」「どうもようこそ!」あ、憲さんだ。これは確かに、似ている。そして実をいうと、ボクの父親も憲さんにちょっと似ているのだ。ということはだ、ボクの父親にも似ているということなのだ。

部屋をみせてもらう。部屋の目の前にテーブルと椅子が並べられ、そこでお客さんが食事をするようだが、こりゃちと近すぎやしないかい?とも思ったが、他をあたるのも面倒になり、チェックイン。

チェックインとは言っても、名前や何かを記帳するわけでもなく、ただ荷物を部屋に入れるだけだが。ファンタを飲みながら一息ついていると、携帯電話が鳴った。サヌだ。「ジャンゴー!今どこ?」無事ナガルコットついたよ。なかなか良さそうなところだね。「そうでしょ。いつ帰ってくるの?」うーんまだ分からないけど、二泊ぐらいはするかな。「そう。それじゃあまたかけるね。バーイ」

サヌは年齢にして32歳、ボクの7歳上なだけなのだが、接し方や関係性がまるでオカンと息子。ボクが子供達といつも遊んでいて、一緒に叱られたりしているせいもあるのだろうが、子を持つ人と持たない人との間には、明らかに大きな差があるような気がした。

しかし眠い。何故にこんなにも眠たいのだr・・・・

目を覚ますと陽はすでに傾いていた。そして、寒!布を羽織って散歩に出かける。山を登るだけでこうも気温が違うとは、いやはや。いやはやって何。

少し歩くと、腹が減っていることに気づき引き返す。宿兼レストランで、オムライスを注文。日本人の方がいらっしゃったので少しあれでもないこれでもないと談笑させてもらう。

ネパールに入る前、スィッキムを発つ頃ぐらいからずっと喉の調子がおかしく、咳と鼻水が治らないので、食後にはジンジャーティーを頂いてみる。生姜は万病予防に最適らしい。電子辞書曰く。

談笑にオーナーの憲さんも乱入し、突如「ボクの村には伝統的な踊りがあってね、こうね、こうやってねトゥールールー」と口ずさみながら真剣に踊り始めたので思わずジンジャーティーを噴出してジンジャーのみにしてしまうところだった。

突然とんねるずの憲さんが真顔で伝統的な踊りをはじめたらそれはもう笑うでしょうが。

三年てそんなにも長かったのか

そもそもここナガルコットへ来た理由は、久々一人でのんびりしたかったというのもあるが、一人で集中してこの旅日記を更新することにあったので、それを実行すべくパソコンの電源を入れようと思ったら、ものの見事に停電。

仕方が無いので散歩へ出かける。 そういえばどこかに展望台があるとかいっていたような。探してみよう。とりあえず全ての道を歩いてみる。ホテルの敷地などで行き止まりになると戻り、また別の道へ。

そこらへんの人に、展望台はどちらに?と尋ねればよいだけの話なのだが、今はなんだかそういう気分なのだ。シラミつぶしたい気分。

いよいよ行き止まらない道に辿りつき、順調に先へ進む。景色を見下ろすと、あちこちに棚田が広がりなかなかどうして美しい。

徐々に坂道になってくる。そこでついに「展望台この先左、右はアーミーキャンプ。」と書かれた看板を見つけ、目的地に近いこと、それから道を間違えていなかったことに興奮し、いやあもうこれは走るしかないでしょうに!と、思いついたように走り始めた。

き、きつい・・・。歩行、ではなく走行というものを久しくこの体はしていなかったので、ほんの数百メートル走っただけで息がゼエゼエと切れた。実際はハァハァと言っているはずなのに、ゼエゼエと表現するのは何故だろう。

本当に息が切れるとゼエゼエになるのだろうか。ということは、ボクはまだ本当の意味で息を切らせていないということか。それはいけない。もっと走らねば。「よお兄ちゃん、ここいらで冷たいドリンク入れときなよ。こっからまだ2キロあんだぜ。上いくともっと高いぜ。」

そういえば朝から何も口にしていなかった。が、冷たいドリンク入れときなよって気分でもなかったので、ありがとう、帰り道にでも寄ってみますと答え、さらに走る。

最近やけに肉体が衰えている実感があったので、ここらでケツの筋肉をプリっと引き締めていきたい心境でまだまだ走る。

結局息はハァハァと切れるばかりでゼエゼエの境地には達さなかったが、展望台には到達した。

露店の誘惑をするりと交わし上へ。が、展望できるような景色が広がらないじゃないか。そもそもここナガルコットは、晴れていると彼方にヒマラヤの雪山が眺めることで人気のスポットらしいのだが、雪山はおろか近隣の山すら見えやしないこの霞んだ景色。どうしてくれよう。

どうもこうもいい加減に腹が減ってしまったので、展望もそこそこに帰る。帰り道は、どこか虚しさをたたえながらとぼとぼと歩いた。とぼとぼ、なんて音はどこにもしないのにとぼとぼと歩く。とぼとぼと。

珍しくジャミポッドを携帯するのを忘れたため、歌うこともなく、なんとなく色んなことに思いを巡らせ、妄想というなの未来予想図を描きながら帰る。そんなときにアイデアというものはふっと浮かんでくるもので、この先の人生において目標とでもいえようか、一つ具体的にやりたい事を思いついてウキウキしながら宿へ帰る。オムライスを頂く。

電気が復活していたその隙に旅日記更新作業にとりかかる。も、いよいよペンが進むぜというところでまたしても停電。

ホットシャワーが浴びたい衝動にかられ、別の宿へ急遽移動することに。ここは水道がなくバケツの水しかなかったのだ。

雲海リゾートというホテルのドミトリーにチェックインし、三日間ためこんだ汚れを一気に洗い流す。さらば汚れよ。

部屋に戻ると、日本人の男性客がいたので話しかけてみる。「あの、失礼ですが、もしかしてこの間までダージリンにいらっしゃいませんでした?」ええ、確かにいましたが・・・「パゴダホテルに泊まってらっしゃいませんでした?」あ!はい確かに!おや!もしかして・・・!

ボクのほうは全く記憶していなかったのだが、どうやらインドのダージリンでも同じ宿に泊まっていたらしいのだ。そういえば、トイレに行こうと部屋を出て、トイレのドアを閉めようとしていた時、日本人らしき男性が階段を上がっていくのを見たような覚えがありますがその方だったとは。

聞くと中国で日本語教師をしていて、それを辞職して日本に帰る前に三ヶ月だけインド、ネパールを旅行しているという。中国でも日本語を習う人がかなり増えているそうだ。彼の住んでいた大連という町には日系企業も多いらしく、そのせいもあるらしいが、ますます日本語を習得しようという外国人の多さに驚く。

夜はまたノリタケ屋さんへお邪魔して、飽きずにオムライスを食べ、停電のせいで月明かりだけが頼りな夜道を歩いて宿に帰ると、この間レストランで談笑したミホさんという日本人の女性がいらっしゃったので、ろうそくの灯りのもと再び談笑。

互いの旅の経路を教え、ああだこうだと語り合う。旅をしている間、何度も交わす同じ内容の話なのに、何故か毎回楽しい。その都度自分がどういう旅を経てきてここにいるのか確認できるし、相手がどういういきさつをもってしてここへやってきて出会ったのかを知れるのだ。

「しかし三年ですか。えぇー三年かぁ・・・・なっがいなあ・・・三年かあ・・・。私なんか半年旅してもう長いなあなんて思ってましたけど、いや三年は長いですよ〜。」

しきりに、三年余の間旅をし続けていることに驚かれ、改めて、そうか三年ってそんなにも長かったのか、と思い知らされた。現時点で1147日目。長いような気もするが、やはりこの三年はあっという間だった。

そして日本にいる時以上に全てが濃く、記憶にしっかり焼きついている。例えば日本にいる時の、去年の今頃どこで何をしていたかなんてことは思い出せないけれど、旅の間の去年の今頃はいとも簡単に思い出せるのだ。どこの国のどこの町にいて、こんなことがあったというふうに。

「私はもうこの旅が最後かな。家族や親戚も早く落ち着けっていうし。」とミホさん。ボクもついこの間まで同じような考えで、そうやって社会的に落ち着いて、家庭をもって暮らしていくのが最善だと思っていた。

が、イエメンであのような事変が起こり、自分の生きたいように生きられる状況を手に入れた今、全くそんなふうに思わなくなったのだ。日本で落ち着いて生活したいならすればいいし、旅を続けたいなら続けるべきだ。と柄にもなく熱く語りかける。

うーむ。延泊

ナガルコットにきて二泊。なんとなく、二泊したら帰ろうと思っていたのだが、停電のせいで更新作業はあまり進んでいないし、もらった本も読み終えていない。何より、もうちょっとゆっくりしたい。

そう思い、サヌにもう一泊したら帰りますと電話を入れる。「え!そうなの!?そう。分かったじゃあねバーイ。」この間、ネパールを5月4日に発つ航空券を購入したと告げたとき、「何でそんなすぐなの!?ビザは15日まであるんでしょ!?さびしいじゃんかー!!」とサヌに言われ、なんとなく、なるべく多くの時間をサヌ達と過ごしたほうがいいのかななんて思っていたので悩んだが、やっぱりもう一泊したい。

今朝は早起きして、朝陽を拝もうとベランダに出てみた。朝陽、は確かに拝めた。が、ここナガルコットは、朝陽とともに壮大なヒマラヤの雪山が望めることで人気なスポット。雪山なんて一つも見えやしなかったよ。

東野圭吾氏のさまよう刃という本をぐんぐん読む。この方の本は非常に読みやすいので好きだ。次の展開が常に気になっちゃってどんどん進んでしまうのだ。

今日はノリタケ屋さんではなく、町の中心部まで歩いてそこのレストランで、エッグトゥクパとジンジャーティーを頂いてみる。

野菜たっぷりで汁まで美味いトゥクパに、まだ治らない喉を癒すべくジンジャーティー。そしてついに本を読み終える。終わった・・・。小説を読み終えるといつも、ふう、終わった・・・と一仕事やり終えた気になるのはボクだけであろうか。

宿に帰り、またもや停電のため更新作業はできず、まどろむ。そのまま夕方近くまで過ごし、夜はノリタケ屋さんでベジスープとベジチャーハンを注文。少し期待外れな美味さ。

やっぱり停電しっぱなしなので、今宵もミホさんとろうそくの下あれこれと熱く語らいあう。オーストラリアの豚小屋勤務で知った、肉を食べることの無常さ、残酷さ。自分の足で旅して目にした本当のアフリカ、テレビやインターネットで目にするニュースがいかに信用できないか。などなどと。

そういう錯乱した情報の中から、ちゃんと自分で見極めていかないといけないんですよねきっとこれからは。洗脳されたらいかん。といいつつも、既にボクらも洗脳されてるのかもしれませんよね。

「うんうん。例えば今、結婚したくないって言ったり子供を欲しがらない人が増えてたりするのも、もしかしたらどこかでそう思うように操作されてるのかもしれないしね。昔藤子F不二雄先生の短編漫画でそういうのがあったんですよね。」ほほーう。

旅は自分の視野をどんどん広め、心の受け口をどんどん大きくしてくれる。色んな国で、色んな人と話をして、色んな考えや気持ちがあるのを知り、そこでまた新たな自分の考えや気持ちが現れる。発見する。実に楽しい。

だから、日本で、どこかの会社や企業に属して一所懸命に働くことのほうが偉いだなんて思わないし、偉い偉くないの問題でもない。だけど、日本にいて働いていた時よりも、今のほうがずっと多くの事を知って、触れて、考えて、思って生きている。少なくともボクにとっては、日本で働くより旅をしているほうが学びは多いのだ。

やっぱりやりたい事をやっちゃいけないわけがないのだ。そんな時代じゃないのだ。

下山、戦闘

翌朝6時半には目が覚めた。咳、タン、鼻水がますます悪化しているが、ミホさんと少しベランダで喋り、荷物をまとめるとすぐにチェックアウト。三泊したので満足したらしい。

昨日の昼に食べたレストランで、全く同じメニューを注文。トゥクパとジンジャーティー。体調を崩すとやたらに生姜と野菜を欲する私。病は気から。野菜は木から。ん。

9時すぎにバクタプルへと下るバスに乗り出発。バス代を手渡し、お釣りを下さいと英語で尋ねると、隣に座っていた青年と、料金を受け取った男が驚いた様子でボクを見つめてきた。

「キミもしかして日本人??」そうだけども。「あー、なんだ!ボクも、このスタッフもてっきりネパール人だと思ってたから、急に英語話し出してびっくりしたよ。」どうもありがとう。ネパール人に間違われ率がそろそろ95パーセントに上がりそうだ。

バクタプルで、チャベル行きのバスに乗り換え、いよいよ帰る。来るときは50ルピー払わされたこのバス。今回もとりあえず100ルピー札を手渡しお釣りを待ってみる。と、70も返ってきたではないか!ラッキー

本当は30ルピーだったのねー。前回の50ルピーは悔しいが、今後このバスで30ルピー以上取られることはなくなったのでよしとしよう。大体はそうなのだ。ある程度の嫌なことや悔しいことがあっても、自分の中で上手に消化してよしとしていれば、きっと万事うまく切り抜けられるはずだ。全ては気の持ちよう。

テンプーという乗り合い三輪バスに乗って家に帰ると、子供達は学校にいっているようで、サヌもおらず、バアバ(サヌのお母さん)だけだった。バアバは英語が「フィニッシュ!」と「バーイ!」しかしゃべれず、ボクはほぼバアバの英語レベル程度のネパール語しかしゃべれないが、ナガルコットランブロッチャ(ナガルコットキレイ)!と言うと、「ランブロッチャ!そうかそうかよかったな〜」と返してくれた。

「ジャンゴ、飯は食ったの?」というニュアンスのことを尋ねてきたので、ナガルコット出る前に、トゥクパ食べたよ。とジェスチャーと英語で返事をする。

皆の帰りを待つ間、たまった洗濯物を済ませ、日記(肉筆のほう)を書いていると、サヌが帰ってきた。「ジャンゴおかえり、お腹すいてないの?」うん、すいてるよ。「何でバアバに言わないのー!?バアバもさっき聞いたんでしょ!?」あ、あれそうだったの?てっきり飯は食べたのって聞いてるんだと思って、トゥクパ食べたよって答えたんだよ。

「もーう!ちょっと待ってなさい」そういって手早くチャーハンを作ってくれた。いただきます。ますますオカンのようなサヌ。「あなたのためだけに作ったって英語で何ていうの?」はは。I made it just for youでいいんじゃない?「I made it just for you!!」それはそれは、どうもありがとう。

ボクのためだけに、ボクの好物だからと、わざわざ醤油味のチャーハンを作ってくれてありがとう。子供達はこの醤油がどうも苦手らしい。信じられない。

「バアバはおじさんのとこへ、私はマーケットいってくるから、ジャンゴしばらく一人でお留守番しててね。体調よくないんでしょ。だったらゆっくり寝てなさい。えーと、どこにも行っちゃダメって英語で何ていう?」don't go anywhereかな。「ドンゴーエニウェア!」ははは、んじゃいってらっしゃい。

子供達は小学校なのにかなり進んだ英語の教育を受けているらしく、特に長男のサマンはペラペラと話せるのだが、サヌは割と片言なので、こうして時々簡単な文を教えているのだ。

コーヒーを作り、一人でのんびりと飲みながら、三浦綾子さんの氷点という本を読み始める。ずっと読みたくて、日本からオーストラリアに持っていったのだが、結局読まないまま忘れて出国してきたといういわくつきの作品だったのだが、それをナガルコットの宿で発見し、読み終えた本と交換してきたというわけで。

すると、学校を終えたサマンヤマンラマンの三人キッズが帰ってきて、カバンをおろすなりボクにちょっかいを出してくる。小学生の大好きな戦いごっこはこういうちょっかいの出し合いから始まるのだ。

そしてボクも、放っときゃいいのにムキになってやり返すからどんどんエスカレートし、それがいつのまにかサマン(長男)、ラマン(次男)VSボク、ヤマン(長女)のチーム戦になっていった。

まるで稲中の公園ウンコ戦争。素手と素手の勝負だったのに、敵陣がホウキやペットボトルのフタといった武器を手にしたため、おのれ武器を手にするなどと卑怯な手を!武器は無しだ!「一個は持っていいんだもんね!」と互いに勝手に決めたルールを主張しあう。

時折ボクのデジカメを定位置にセットして、動画を撮影したりしつつ、戦闘は尚も続く。戦闘しながらもカメラを意識してチラチラ窺いながら「アチョー!」と格好をつけるあたりがまたガキっぽくて面白い。

ガキの戦闘とはいいつつも、サマンは既に12歳、身長もボクを追い抜かんばかりに伸びているのでかなりの体力を浪費する。ラマンも今年10歳、ぐんぐん力を増している年頃なのだ。

四半世紀、通称25年を生き延びて老い始めたボクはいい加減に疲れて、降参。

ラマンを連れてプラカシュの店へ遊びに行き、休憩。隣の商店でコーラを買う。ラマンも飲むか?と言うと。「フルーティ(マンゴージュースの商品名)がいい。」んじゃサマンとヤマンにもこうてったろか。ほらよ。「ありがとう!」冷たいうちに持って帰ってやんな。

我ながら実にわかりやすいアメとムチで誰かに突っ込まれたらちょっと恥ずかしいほどだ。突っ込まないで。

家に帰ると「ファイト!!」と戦闘再開の要請がでたが却下。理由は、ジャンゴ大佐の疲労。彼らの戦闘意識を削ぐべく、ラップトップの電源をつける。何か映画が観れると思いすぐさま大人しくボクの隣に座るヤマン及び敵陣。

何が観たい?ときくと「怖いのがいい!グラッジない?グラッジみたい!」グラッジとは、映画「呪怨」の英語タイトルのことで、偶然にも一つ持っていたので見せる。その前にこれ観てみな?と、怪談新耳袋という五分の短編ホラームービーを見せてみる。

英語字幕なんてないのでボクが簡単に通訳しながらだが、なかなか怖がってくれて楽しい。そしていよいよ、部屋の照明を消し、真っ暗闇の中呪怨を上映。「ポップコーンあったら最高なのにね!アメリカの子供がよくさびびってガッシャーンてぶちまけるじゃん。」とサマン。そういうのがまだまだ楽しい年頃らしい。

怖いシーンが来る度に、ボクもわざと、あれ何?今みた?何かいたよ?あれ何だろう?もっかい見ていい?と繰り返し再生したり、顔を覆って見えなくしている手を無理やりほどいて見せようとする。「やめてー!指の間からちゃんと見てるからー!」

「こらー!何やってんの!?ご飯よ!!」サヌがやってきて一旦停止、ダルバート。

食べ終えるなり「ジャンゴ早く!グラッジの続きみよー!」あんだけ怖がっていたくせに、やはり続きが気になるらしい。

再生。相変わらず恐る恐るの鑑賞で、怖いシーンが来る度にボクも大袈裟に怖がってみたりする。「ボクこれ見終わったあとでも一人で外歩けるよ。」とサマン。本当にー?本当に行けるかーあ?「行けるもん!」

どうにか最後まで観終えると、電気を点け、ほっとしたような表情の三人。「今度は面白いのがいい!」ヤマンはそのままベッドに入り、まだ目の冴えているサマンとラマンにはディズニー映画を見せ、就寝。

バイクでデート、ネパールの家庭事情


「ジャンゴ、昨夜怖い夢みなかった?」サマンが起きるなりきいてきた。いんや、なーんにも。「ボク怖い夢みて全然寝れなかった・・・。」だはは!12歳、変声期を迎えぐんぐん成長しているサマンも、まだまだ子供だのう。可愛らしいではないか。

しかし咳とタンが治らないどころか悪化の一途で、ついに黄色かったタンが緑色になってしまった。「タンの色が緑になると結構ヤバいらしいよ」とこの間のミホさんが言っていたが本当か?これはヤバいのか?

アユールヴェディック(ハーバルなもので作られた)咳シロップを買ってきて、早速飲む。マズ!メントールが少しすうっとして喉に良さそうだが、味は変に塩っぽくて最悪だ。良薬口に塩味。

昼ごはんのダルバートはちょっと遠慮して、この間ナガルコットで出会った日本人の方から頂いた永谷園のお茶漬けを食べる。「何それ?」お茶漬けやで。「オチャドゥケ?」ご飯にかけて、お湯ぶちこんで食べるのよ。「スープ?」みたいなもんかな。「ボクにもちょーだい!」いいよ。

サマンもチャレンジお茶漬け。「うん、美味い!」今まで何度か日本食を作って食べさせてきたが、今回が一番素直に美味いと言ったような・・・。そうか、お茶漬けでよかったのか・・・。変に気張って天ぷらとか唐揚げとか、お好み焼きとか、別によかったんだ・・・。

「ジャンゴ!行くわよ!」今日はサヌのスクーターに乗ってスワヤンブナートという、二年半前にプラカシュと行ったことのある観光スポットに遊びにいくのだ。いわゆる人妻とデートだ。

「いってらっしゃい」子供達に見送られ、サヌ運転のもと出発。後ろのボクはもちろんヘルメットなど着用せず。ジャミポッドを片っ方ずつ聞きながらドライブ。やはりドライブしながら音楽を聞くのは楽しい。

見覚えのあるスワヤンブに到着。お寺の中へ入り、しっかり拝みながら回る。サヌは仏教徒なので、毎朝仏壇の前で鐘を鳴らしながら香を焚き、お祈りをしている。その鐘の音でボクは目を覚まし、二度寝するのだが。

景色のよい所で他の観光客と同じように一休み。キュウリが売られていたので一本買って、半分ずつ食べる。と、キー!猿があちこちからやってきてキュウリを狙っているではないか。奪われるまいと急いで食べ終え、サヌのほうを見やると、「ギャー!」既に持っていかれた後だった。無念のキュウリ。

体調はずっと優れないのだが、空気の悪いせいか、頭が痛くなり、そろそろ帰ろうか、とサヌに言うと「もいっこあっちにも行かなきゃよ。」隣の山の頂上にある寺も攻めるらしい。では行きますか。

再びバイクに乗り向かう。が、ゴールを目前にして急な階段に阻まれ、徒歩を余儀なくされたので、駐車し歩きだす。なかなかきつい。「ジャンゴ速すぎ・・・。私疲れたわ・・・もうダメ・・・」ほなおいてくよー。丁度いいエクササイズやんかー。途中けもの道のようなところをくぐりぬけショートカットしつつついに到着。

こちらはスワヤンブとはうってかわって観光スポットでもなさそうな寺なので、極めて人が少ない。どうやらここはチベット人が住まうアパートメントも兼ねているようだ。が景色はよく、しばし休憩。

「かえろっか。」ジャミポッドを聞きながらゆっくりと下山。サヌ曰く、音楽をきいているとそっちに意識がとんで、上り下りの苦痛を忘れられるらしい。

今夜はプラカシュと一緒にパスタを作ろうと約束していたので、帰りにスーパーマーケットによってもらう。そういってサヌがつれていってくれたのは、大層な、近代的なデパート風スーパーマーケットだったので少々驚いた。ネパールにもこういうのあったんだ・・・。

パスタや、ツナ缶、サヌの日用品等を買い込む。「ジャンゴ、アイス食べたい。」入り口付近に構えられたアイス屋さんで一個ずつアイスクリームを食べる。まさにデートではないか。しかも子持ちの人妻と。全くもってドキドキしないけれど。

さらに市場で野菜を買う。と、そこのおばちゃんに「あんた日本人なの?ネパール人だよ顔なんかもろ。なかなか男前じゃないか。」と言われ、ははあ、いやあどうもとはにかむ。はにかみついでに、おばちゃんちょっとまけて、とお願いすると5ルピーまけてくれた。「ジャンゴ、値引き交渉したじゃん!やるじゃん」とサヌ。そやでーいっつもしてるんやでー。としたり顔で答えながら帰宅。

プラカシュの所へいき、材料全部買ってきたよー。と報告すると、「何でオレ呼んでくんなかったの!?」だってサヌとバイクでスワヤンブ行った帰りだったし・・・「それに、そういう意味でパスタ作ろうっていったんじゃなかったのに・・・オレが材料とかそろえて、作るのだけ手伝ってもらって、何ていうのかなーもてなしたかったんだよ。」

あ、そうやったの!?そっかゴメンゴメン。じゃあ次回もてなしてよ。今夜はまあ、いいじゃないか。「うん・・・。」それから世間話などをしていると、「もうオレ義母と義兄弟にうんざりなんだ・・・。」とプラカシュ。

彼の家庭は、ネパールに25パーセントの確率(サマン曰く)で存在する一夫多妻家庭で、プラカシュのお母さん、姉ちゃん、弟の他に、義母とその息子、娘が一人ずつ一緒に暮らしているのだ。この間日本語教室でばったり再会したのは、その義母の娘だったのだ。

どうしたの?何でそんなうんざりなんだ?「毎日毎日オレの母親と向こうの母親はケンカするし、イムラリ(義妹、日本語教室の。)はいっつもいっつもこの店の電話使って一時間以上もおしゃべりして・・・その電話代誰が払ってると思う!?オレだよ!?オレはこの店をまわして、この店から出る利益を給料としてるのに、あいつが電話を無神経に使いまくってるせいで、今月は儲けが全くないんだ!むしろ赤字なんだよ!3000ルピーも余分に払わされてんだよ!?」

予想外に深刻な話題だったので、店をプラカシュの嫁さん(17歳!)に任せ近くのカフェで話すことに。「もうオレ早くこの家と離れたいよ。オレの家族だけ連れて離れたい。」そっか・・・。でもさ、出ていくにしても何にしても、まずは彼らに伝えないと。

電話勝手に使われて困ってるんならちゃんと説明して、お願いしないと。ケンカじゃなくてね。もうやめてくれ。使いたいんなら金払ってくれって。「あいつらそんなの分かってるんだ。分かってるのに知らんフリしてるんだよ。」だったら尚更きちんと話さないと。

彼らのいないところでいくら愚痴をこぼしたところで何も変わらないよ。嫌な相手と、面と向かって話するのはかなりきついけど、それやらなきゃ一生先になんて進めないし、ここを出ていくことだって無理だよ?「うーん・・・そうだね。」じゃあ、いつ話す?「そのうち話すよ。」ダメだ。オレが出発するまでに話せ。約束できる?「わかったわかった。もういいから忘れてよ。」

きっと、ちょっと前のボクだったらうやむやにされても、しょうがないかと諦めていただろうけど、それじゃダメだ、ボクが攻め立てないとプラカシュはずっと言えずに苦しみ続ける。そこで思い切って、ボクがついこの間、死ぬまで誰にも言わずに生きていこうと心に閉じ込めていた、両性愛者であること、それを身内、友達、知り合い全てに告白して乗り越えたことを話した。

驚いた?しばらくボーっとボクの顔をみつめていたプラカシュ。「驚いた・・・。」きっとネパールだと文化や考えが日本よりも違うから、こんな事を告白するのはもっと大変だろうね。「うん。ネパールじゃ無理だよ。」

日本でもまだまだマイノリティで、あからさまに嫌がる人達だって沢山いるよ。でもね、それでも、嫌がられたっていいと覚悟して伝えてみたら、誰一人そんな反応する人はまわりにはいなくて、みんな受け入れてくれたんだ。だから、プラカシュも、言い辛いだろうけど、ちゃんと言わなきゃだめなんだよ。

「分かった。言うよ。」約束できるか?「うん。」よーし。

予想外の展開で思わず話しこんでしまい、家に帰ると既に19時半。いつもならもう晩御飯を食べている時間なのだけれど、今夜はボクがパスタを作るといっていたのでみんな腹を空かせてまっていた。「どこほっつき歩いてたの!!」サヌおかんむり。ゴメンゴメン、今すぐ作ります!

バアバもかなりお腹を空かしているようで・・・。バアバゴメンね!笑って許して。急いで作る。

店を閉めたプラカシュもやってきて、野菜を切ってもらう。さあ来いトマトツナパスタ。

ようやく出来上がる頃にはヤマンもテーブルに突っ伏して眠ってしまっていたが、無理やりおこして食べさせる。ラッソ!(いただきます)

ツナを食べるのが生まれて初めてらしく、「何これ?」ツナやで。「ツナって何?」マグロ、ツナやで。「何それ魚?」そう、魚。「あこれ美味しい。」毎回いちいち全てのことに質問してくるサマンも気に入ってくれたようだ。

500グラム茹でたのがあっという間になくなったので、もう500グラム。が、具とソースがあまりなくなってしまったため、急遽醤油とだしでやってみる。うん不味くはない。

が、昆布だしが利きすぎたのか、他の野菜に対して茄子とオクラがでしゃばりすぎたのか。終盤にさしかかり気持ち悪くなってしまった。おえ。和風の味付けもほどほどにせねばならぬと学習。

嘘つきは泥棒の始まりってこれほんと

いつもはサマンとラマンが一緒のベッドで寝ているのだが、昨夜はラマンがおじいちゃんの家に泊まりにいっていたのでサマンは独り。

「ジャンゴ。怖いから今日一緒に寝てよ。」えー。しゃあねえなこの野郎。と一緒に寝てやったのはよいのだが、案の定怖い夢をみたのか、夜中に突然「・・・が来る!」そういってボクの腕を掴んできたりしたおかげで、あまりよく眠れなかった。「あーよく寝た。おはようジャンゴ。」とサマン。

で、一体何が来たの?「え?何の話?」おいコラお前わしの腕掴んできたやんけ昨夜・・・が来る!って言いながら。「え何それ?ボク昨夜は怖い夢みてないもん。ジャンゴと一緒だったからよく寝れたよ。」

あそう・・・それはよかったよ・・・オレの睡眠時間返してよ・・・。そして咳はまだまだ治らない。

ベッドの上を整理して、布団を畳む。この家以外ではまず絶対にし得ない行動の一つが、この整理整頓だ。サヌ一家はかなりきっちりしていて、朝起きるなりベッドを整えて、ご飯を食べ終えるとすぐに皿だけじゃなくコンロ周りもキレイにして、ボクがいつもの癖で荷物をぶちまけていると、バアバが全てきっちり見栄えよく片付けるのだ。

ずっとこんな生活はボクには不可能だが、たまにやるにはなかなか清々しい。目覚めのティーを頂いていると、「ティモモ作るからジャンゴこれ手伝って。」と何やらこねくりまわしているサヌに頼まれる。

モモとはチベットやネパール風ギョウザのことだが、果たしてティモモとは何だろう。「こうやって、生地を伸ばして、ぐるぐる巻いたり、まあ適当にやっちゃってよ。」と言われるまま小麦粉の生地をつまんで、伸ばし、ぐるぐる巻いてみる。要するに具なしモモだそうだ。

サマンも一緒に手伝い、思い思いの形に巻いてゆく。こういった局面で、少年の心をいつまでも失わないボクのような人間が必ず作るのがそう、巻きグソ。アラレちゃんでいうところのうんちだよ。んちゃ。

無論うんちのみならずかたつむり等のキュートなものや、ただ結んでくしゃっとしただけの、これがアートだ、と言いたげな芸術気取りのものも作ったが。

蒸しあがるとどれもこれもよくわからない有様だったので、とにかくいただきます。皆はチリソースをつけながら食べているが、ボクは醤油。醤油人ですから。うまい。

その昔、中国の屋台で肉まんだと思って買って食べたら肉がないただの「まん」で意表をつかれたことがあるが、このティモモは、食べる前から具がないことを知っているので、残念な気持ちになったりすることがない分肉なし肉まんより美味しく感じられる。

「ジャンゴ、行くわよ!」今日も今日とてサヌとバイクデートだそうだ。で行き先はどちらで?「スンダリジャルってとこよ。スンダリジャルって、きれいな水っていう意味なのね。そういうとこ。」ほほう。それは見ものだ。ジョン(レッツゴー。)

出発前に、おじさんの単車を乗り回そうとヤンキーのような行為に及んだサヌは、見事に横転し足を痛めたため、ボクがスクーターを運転することに。まったく、不思議な人物だ。普段はオカンなのに、子供達がいないところだと「アイス食べたーい」「足痛い・・・」などといってボクより年下に思えたりするのだ。

のどかな道をひた走ること30分ほどで到着、またしても急な坂道が立ちはだかり、そこからは歩いて向かう。道の脇に大きなパイプが走っている。どうやら上流のきれいな水をこのパイプに通して各家庭に送っているようだ。パイプに触れるとしんと冷たくて気持ちいい。

登りつめると、なんたらナショナルパークと書かれた場所にたどり着いた。うむ?入場料?なんだここは?ネパール人10ルピー、外国人250ルピーと書かれてある。高!「ちょっと待ってな。チケット買ってくるから。」とカウンターに向かうサヌ。

ジョン(レツゴ)。チケットを受け取り、カウンターの前を通り過ぎるところで、「これみて、チケットにジャミラ・ラマってネパール語で名前かいといたよ。」とこともあろうか英語で話しかけてきたので、訝しんだスタッフが「ちょっとすみません。その人外国人じゃないの?」と尋ねてきた。バ、バレた・・・!

サヌは至って平静な顔で、「ホイナ(いいえ)」と答えそのまま中へ。ちょっと!サヌ!あんなところで英語で話しかけてきたらバレるにきまっとるやんか!「あっははーゴメンゴメン。」帰りは黙ってないとね・・・「ずっとオーウ(イェス)オーウって相槌うってればいいからね。」分かった。

そう言って中へ入ったのはいいが、何だここは。250ルピーも外国人に請求できるほどのものが見当たらない・・・。確かに山と、ダムのような湖のようなものはあるけれど、それだけだ。「この上まだまだ続いてるんだけど、大体ここらへんと一緒のような感じよ。」とすっかり疲れた様子のサヌは、遠まわしに行きたくないアピールをしてくる。

そっかー。ボクも若干疲れてきたので、じゃあかえろっか。と入場して十分で退場。何だったんだ一体・・・。

そして再びチケットカウンターの前を通り過ぎる。至って普通に、ネパール人のような面持ちで過ぎ去ろうとしたら、さっきのスタッフが、ネパール語で何やらボクに尋ねてきた。ゲ!全く分からない!にっこり微笑んでそのまま立ち去ってみたが、後ろから「ちょっと待てーい!やっぱりあんた外国人だろーう!」と多分言っていた。

彼らが何と言っているか丸分かりのサヌはさすがに無視しきれなくなったようで、観念して戻る。どうすればいいか分からないボク。「キミはどこから来たの?」と英語で聞かれる。サヌに「正直に言いましょう。」と言われ、日本でございます。「そうか。じゃあ、入場料は250ルピーだから、払わないといけないよ。」はい・・・。と渋々250ルピーを支払う。

スタッフは、怒りもせずに、料金を受け取ると、もう必要のないチケットを手渡してくれた。申し訳なさと情けなさでいたたまれないので、ありがとうもすみませんも言わずにそそくさと退散。すっかり凹む。当然の報いだ。

「アハハ・・・バレちゃったね。」そりゃあんなところで英語聞かれたら誰だって怪しむでしょうよ!でも、ともかくボク達がいけないことしたんだからしょうがないよね。「今日はツイてないね。」ツイてないっていうか、こうなって当たり前だよね。

少し前のボク(例えばモーリタニアで両替をした時とか)なら、やったねツイてるぜ、ちぇっツイてねえぜ。ちくしょう。などとただ単純にそう思っていただけに違いないが、今はひたすら反省。嘘はつくもんじゃないなあ・・・。こう反省できるようになっただけでも、少しは人間として成長したのだろうか。

帰りにサヌの兄ビスヌンの店へ寄り、今起こった出来事を説明し、しゃべりまくる。サヌは本当におしゃべりが大好きな主婦を絵に描いたような人物なので、おしゃべり始めると、長い。

待ちくたびれた頃ようやくおしゃべりも終了し、家に帰る。ここでもサヌがサマンにさっきの出来事を説明しはじめた。「え、何ジャンゴお金騙し取られたって誰に!?」どういう説明しとんねーん。そうじゃなくて、ワシらが、ネパール人になりすまそうとして見つかって外国人料金払わされただけやで。ワシらが悪いのよ。

「もっぺんグラッジ見せて」というサマンのリクエストにお応えして再び呪怨をみていると、突然ラップトップのケーブルがバチバチ!!と火花を散らして切れた。「グラッジだよ!これ呪いだよー!」

ぎゃー!呪いでも何でもいいけど、パソコン使えなくなっちまったじゃないか。新しいケーブル明日探しにいかなくちゃ。しかし今日は色々うまくいかないなあ。自業自得だ。

珍しく魚のフライを買って帰ったサヌとディップ(サヌの旦那さん)に、「これちょっとじいちゃんちおすそ分け持ってって。」と頼まれサマンを後ろに乗せスクーターで向かう。

道が分からないのでサマンがナビゲーター役なのだが、いつも曲がり角や分岐点に立ってから「こっち!」とか「右!」「真っ直ぐだってば!」と言うのでイライラし、もっと早く言え!ダメなナビやなあ!「ふんだ。そうですかそうですか。」とケンカをしつつも無事届け、家に帰ると魚のフライ入りダルバートが出来上がっていたので皆で頂く。

いつも仕事で、あまり家にいることのないディップが今日は一緒にご飯を食べていて、「ジャンゴ、ウィスキー飲む?」ときいてきたので、んじゃちょっとだけ・・・。と飲めもしないアルコールを摂取する。

「やめときなさいよ。まだ体調悪いんでしょ!?」と最初は言っていたサヌも、「これ飲んだらカアーってなって喉の痛みも治るわよ〜」と三人で乾杯。ウゲエ。熱い。そしてやはり不味い!

コップ5分の1杯ほどしか飲んでいないのに、五分後には茹で上がって今まさに食べられようとしているタコのそれよりもさらに若干赤いぐらい顔が真っ赤になった。アルコールなんて摂取したの、いつぶりだろう。ああ、ウガンダでR-Kellyのライブに行ってちょっとビール飲んで以来だ。要するに、随分だ。

ダルバートをたいらげると、早々にハミガキをすませ、ほんじゃわらくし、寝ますんでえ〜。とふらつきながら蚊帳をはりベッドに倒れる。

反抗期の息子と母親か


翌朝すっきり目覚めると、「ジャンゴ昨夜あなたなんだか恐ろしかったわよ顔真っ赤だし。」とサヌに言われた。それはそれは、どうもご心配おかけしまして。「もうジャンゴには酒飲ませないかんね!」うん。ボクも自粛します。

水汲みの労働をさせられたあと、一人で安宿街のタメルへと向かう。サマンが「ボクも一緒に行っていい?」ときいてきたが、すまないが一人で行きたいのだよ。と渋めに答えると「年頃の男が一人で出かける時は、彼女と会う時なんだよね。」とサヌ達に冷やかされる。

そうだと素敵なのですが、生憎ボクはただ爆発したラップトップのケーブルを買いに行くだけなので。と断って出発。

果たしてこのラップトップに合うケーブルが見つかるかどうか、と要らぬ心配をする間もなく最初に入った電気屋さんで発見、一件落着したところで、久々日本食を頂きたくてタメルのレストランへ。

しょうが焼き定食。いまだに治らない喉を考慮してのチョイス。生姜食べときゃいいだろう。ぺろりとたいらげ、15時すぎに帰ろうと外へ出る。なんだか頭が痛い。一雨きそうな予感。雨が降る前によく頭痛を覚える体質なのだ。

一歩外へ踏み出した途端、案の定雨がぱらぱらとふりだした。少々早足でテンプー乗り場へ向かう。と、あれよあれよという間に降雨量は増し、一挙にスコールと化した。何という事態!ありとあらゆる電子機器がもれなくボクのリュックには詰め込まれているのだこの瞬間!

おまけに新しいケーブルを購入したばかり!生まれたばかりの赤子を抱えるようにして何としてでもリュックを濡らすまいと走るが、そんな努力もむなしくリュックはおろか全身びっちゃびちゃ。

所々で雨宿りしつつどうにかテンプーに乗り込んだころにはもう濡れねずみ状態だった。濡れねずみって何ですか。

リュックの中をチェックすると、幸いそこまで濡れずに済んでいた。家に帰り、ケーブルがいとも簡単にみつかったこと、外に出た瞬間雨が降り出したこと、そして明日の朝もう一度日本語教室に遊びにいくことをサヌに報告すると、突然

「ダメ!日本語教室には行っちゃダメ!パサンに誘われたの!?」いやボクが行きたいってメールしたんだよ。「何で!?」だって楽しかったし。「ダメ!絶対ダメ!それともジャンゴはパサンのことが好きなの?」

は?好きってそりゃ普通に好きですよ。誰だって外国の人が自分の国の言葉を学ぼうとしてくれてたら嬉しいでしょ!だから教えてあげたいって思っただけ!何で好きとか嫌いとかそういうオトコオンナの話になるんだよ!「とにかくダメ!」

興奮するとネパール語でしか喋らなくなるサヌの通訳を隣人のテコンドー青年ロシャンにしてもらうと、「他の生徒は、パサンがジャンゴを連れていくことをあまり喜ばしく思ってないらしいよ。このことはパサンも知らないから、だから明日は体調が悪いって言って断った方がいいって。」

前回あんなに歓迎されたように見えた日本語教室。そんな中でもボクの乱入を快く思ってない人がいたなんて。残念だ。しかし誰だ?どうやってそんなことをサヌは知りえたのだ?この近所で日本語教室に通っている生徒は、プラカシュの義理の妹ぐらいで、その妹はものすごく歓迎してくれていたのに。

そこがどうもひっかかって腑に落ちないが、こうもムキになって止められると仕方が無い。体調が悪くなって行けなくなった旨をメールで送ろうとすると、電波の調子が悪くて送れなかった。明日の朝何も知らずに迎えに来るであろうパサンを思うと申し訳なくて、なかなか寝付けなかった。

というか何だこれは?ワシはサヌの何だ?ますます息子的存在になってきている。そりゃあ居候させてもらっているが、極個人的なところまで踏み入られる筋合いはないと思うのだが。ちきしょーまるで反抗期

きちんと冷静に話し合うと大抵のことなら和解できる

7時に起床すると、「パサンがさっききたけど、ジャンゴ体調悪いからって断っといたよ。」とサヌ。ふん、あっそう。と答える。一応笑顔は作るがお互いぎこちない。

そして今日はサヌの旦那さんディップの仕事場に連れられて、上司や同僚に会う予定だったのだが、「やっぱり行かなくていいわよ。ご飯食べたらどこでも好きなとこ行っていいからね。」とサヌ。何故。

理由はきっと昨夜のボクのリアクションのせいだろう。ディップは電気会社で働いていて、色々な部品やなんかを日本から取り寄せているらしく、上司達にボクを紹介して、それでもってボクが帰国したら日本の電気会社ないし部品会社の人を上司に紹介して欲しいと頼まれたのだが、ボクはそんな知り合いいないし、一応探してみるけど約束はできないからあまり期待もしないで欲しい。と答えたのだ。

なんだか物凄くプレッシャーをかけられているような気がして重い。とも言うと、サヌとディップは「そんなことないよ!全然無理にお願いしたりしてないから、もしできればでいいから。」と言ってくれ、とにかく一度ディップの会社がどんな仕事をしていて、どういうものを必要としているのか知らないと何もできない、行ってみるよ。と了承はしたのだ。

が、その時のボクの反応があまりにも「イヤイヤ」な印象を与えたせいで、彼らはやっぱり行かなくていいよと言ったのだろう。少し申し訳ないことをした気になる。お世話になっているのだから、それぐらい手伝ってもいいはずなのに。

「行かなくていいからね。」とボクに告げた後すぐにサヌはどこかへ出かけてしまった。素っ気ない。子供達も学校へ行き、ボクとバアバだけが家に取り残された。

プラカシュの店に行き、電話をかりてパサンの携帯にかける。今朝いかれなかったことを直接謝っておきたかったのだ。すると、「ううん、全然問題ないよ。ところで、午後ちょっと時間ある?もしよければ少し日本語教えてほしいんだけど。他の友達も一緒に。」もちろん!教室でなくて個人的に教えるなら問題ないだろう。ボクの訪問を嫌がる人はいないのだから。

昼ご飯を食べて、パサンと待ち合わせ別の友達の家へ向かう。この間一緒に学校まで歩いた友達だった。お邪魔しまーす。「来てくれてありがとう!」いえいえこちらこそ。

早速漢字や数の数え方を皆で勉強する。やはり楽しい。そしてなんだか落ち着く。今はサヌ一家の誰とも一緒に居たくない気分なのだ。いよいよ反抗期の息子が「家族となんていたくねーよ!やっぱダチだよな!」と吠える状況に近い。25歳にもなって。

17時近くまで過ごし、それではそろそろ、お暇させていただきます。と言うと「今日ウチに泊まってけばいいのに。」と誘ってくれた。できれば泊まりたいけど、どうだろう。ちょっと帰ってから家族にきいてみるよ。と携帯電話の番号をきいて家に帰る。

プラカシュの店に寄り、本日の出来事をあれこれ説明する。と、「その友達ん家に泊まりにいくのはやめといたほうがいいよ。もし泊まりにいったらきっと、大問題になるよ。」確かにそうかもしれない。もし仮にボクが外国人の友達を家に泊めていて、その友達が突然誰とも知らない他の日本人の家に泊まりに行くなんていいだしたら、いい気はしないだろう。

やはり泊まりにはいけないと断りの電話を入れて、家に帰る。少し気が重い・・・。サヌもディップもまだ帰っていないようで、子供達と映画をみたり、写真を撮ったりして遊ぶ。

20時。いつもなら夕食も食べ終わっている時間になってようやくサヌ達が帰宅。毎度おなじみダルバートをいただく。が、やはりサヌはどこか機嫌が悪そうなので、じっとサヌの目を見つめ、何でそんなに怒ってるように見えるの?と聞いてみる。

「怒ってなんかないよ!」疲れてんの?「うん、今日はあちこち行ったから疲れてるだけ。怒ってないよ。ジャンゴは今日何してたの?」パサン達に日本語教えてたよ。と答えた瞬間、「何で?パサンが誘ってきたの?」

違うよ。今朝直接謝れなかったからボクから電話したんだよ。そしたらもし時間があれば教えて欲しいって言われたから、もちろんって言って教えたんだよ。二人っきりとかじゃなくて、他にも友達いたから。

わざわざ二人っきりじゃないから、と付け加えるあたりがますます思春期の息子と過保護な母親風だ。やはり怒っている。パサンの名を口にした途端不機嫌になっているサヌ。

何か問題でもあるの?教室には行ってないんだよ?何も問題ないでしょ?何でパサンの事を話し出すとそんな怒ったような顔をするの?「怒ってなんかないってば!」パサンの事嫌いなの?「嫌いじゃないよ!でもね・・・!」でも、何?

またもやネパール語で話しはじめたので、長男のサマンに通訳を頼む。「ママが言うには、パサンは、悪い娘じゃないんだけど、どこかずる賢いところがあるというか、自分の利益になるような付き合いしかしないんだって。」

一体パサンとサヌの間にどういう過去があるのかは知りもしないが、要するにサヌはパサンがあまり好きじゃないって事じゃないか。それならそうと言ってくれれば昨夜だってすぐに理解できてたのに、サヌはそうやって言わずに、他の人達がよく思ってないとか何とか言ってたでしょ。

「というかジャンゴこそ何で今ここで昨夜の話掘り返したりするの?」サヌがパサンの話しはじめた途端j不機嫌になったからだよ!

「なってないってば!ジャンゴに対して怒ってもないからね。とにかく、パサンとはあまり親しくしないでほしいのよ。」とサヌ。分かったよ。でもボクはただ単純に、日本語を習いたいって思ってる人達に教えたかっただけだから。「うん分かった。もうこの話はおしまいにしましょう。」分かったおしまいね。

お互いに言いたいことを言い合ったおかげでスッキリ爽快。店を閉め終えたプラカシュがやってきて、サヌ、ディップと四人で、中国人は犬を食べるという話題で盛り上がって、就寝。

めでたく仲直り。舞台がサンフランシスコなら完全にドラマ「フルハウス」である。

皆でハイキング、そして新たな衝突

翌朝、炊き上がったご飯と野菜を前に、「ジャンゴ何か作って」と頼まれたので、醤油とごま油をどっぷり使ったチャーハンを作る。久々ダルバート以外のものなので個人的には非常に嬉しい美味しい。

が、いざ皆で食べ始めると、子供達、特にヤマンがあまり好かないらしく、ほとんど残してしまっていた。こんなに美味しい醤油チャーハンが嫌いだなんて・・・食文化の壁は大きいな。「悪い子達だわ。あたし怒ってるんだから。」とお残しした子供達を叱り、気を遣って彼らの残した分も食べるサヌ。

バアバも何も言わずにお代わりをしてくれ、ボクは醤油が大好きなのでもちろんお代わり。どうにかキレイさっぱりなくなった。朝っぱらから気遣わせてゴメンよ。

今日はプラカシュと、プラカシュの嫁さんビニと、サヌ一家のみんなで、カパンゴンパというチベット寺までハイキングをするので、一同よそ行きの服に着替えて出発。

カパンは丘の上にあるので、緩やかな坂道を登っていく。途中屋台でスイカやアイスキャンディーを買ったりしつつ、写真を撮りながら歩く。

30分程で到着したのだが、生憎カパンは閉まっていて中に入れず。少し休憩してさらに歩を進めはじめる。どこへ行くの。

とりあえず皆の後について歩くと、林に迷い込んだ。ロストファミリーかわしらは。さらにさらに進むと、別のゴンパが現れたのでそちらに行くのかな、と思いきやそこへも行かずまたもやよく分からない道を歩き始める。

ジャミポッドを携帯スピーカーで流しながら、ヒンディ音楽を皆で歌い、横向きに生えた木の枝にプラカシュとサマンがぶらさがり猿を演じたり、なかなか陽気なハイキング。

再び林に迷い込み、そこで休憩。さっき買ったファンタを皆で飲み、インスタントラーメンを、お湯なしでボリボリと食べる。ネパールでは割とポピュラーな食べ方らしい。スナックを買うより安いのだ。

プラカシュが突然巨大なくしゃみをしたので、ふと思いつきトイレットペーパーを取り出しこよりを作る。おもむろにそれを鼻に突っ込む。スポーツに打ち込まないボクの負けず嫌い精神はこういう場面で発揮されるらしい。

「ぎゃー!ジャンゴやめなさい!」とサヌ。「もうちょっと!その調子!」とサマン。こよりを鼻に突っ込んでもなかなかくしゃみが出ない体質のボクは、やたらに白目をむいて、涙ばかり流し続ける。その顔面の醜さが彼らの笑いを誘ったらしく、一同賑やかに。

結果3分近くかかってようやくくしゃみが出た。そのボリュームたるや林が揺れるほど、でもないがなかなかやかましかったので、「やったね!」と喜びあう。ボクらのティームが一つになった気がした。スポーツってこんな感じ?

「さあ、帰ろっか。」食べ終わったラーメンのゴミを持ち帰ろうとすると、たった今一つになったばかりのティームに全力で、「そこらへんに捨てときゃいいから!!」と止められた。は!?何それ!?あんたらは自分の国をもっと汚くしたいのか!?

「だってもう汚いし、ゴミなんてどこにでも捨てられてるし。」郷に言っては郷に従えということわざに倣って大体の事は受け入れながら旅をしている私だが、ポイ捨てだけは従えない。ゴミ箱見つけたらそこで捨てるから。と手に持って歩きだすと、「いいからよこして!捨てときゃいいの!」とサマンに無理やりもぎとられ捨てられた。

何でや!アホか!バカやろ!これがネパールだからと言われて今度ばかりは納得できない。恥を知れ!何もそこまでムキにならなくてもいいといわれればいいのだが、常日頃からいちいち質問ばかりしてくるサマンが今回ももれなくあれこれ言い返してくるのでついついムキになってしまった。

「そんなにキレイにしたけりゃ、そこのゴミも全部拾ってけば?」と生意気なサマン。誰も掃除したいなんかて言ってないやろ!オレはただ自分の出したゴミをポイ捨てしたくないだけや!「じゃあほらそこ、ゴミ溜まってるでしょ?あそこゴミ箱だからそこに捨てればいいよ」

いちいちつっかかってきやがって。何を言ってもポイ捨てをすべきでないことが理解してもらえないので、諦めてだんまりを決め込む。それでもしつこく「ほらそこもゴミあるよ!」とサマン。こんガキゃほんまに・・・無視。

が、家に着くころにはこのポイ捨て問題もフェードアウトし、普通に話しだす。どれだけケンカしてもすぐに普通に戻る感じが家族っぽくて良い。無論ポイ捨てについては依然許せやしないが。

家に帰ると各々好きなことを始める。ボクは少し伸びた頭髪をサヌに刈り込んでもらい、プラカシュの店に遊びにいく。と、凄まじい怒声が家の中から聞こえてきた。

義母と義兄弟にもううんざり、とプラカシュが言っていたのを思い出し、きっとそれが原因の口論だろうと予想する。が、ケンカをしているのはプラカシュではない。「ちょっと待ってて、様子みてくるから。」

「もうこんなのが毎日だよ。慣れちゃったよ。いい加減にしてほしい。」それにしてもかなりの大ゲンカだ。外まで声が響くので、何事かと道行く人達が立ち止まるほどなのだ。

ここまでこの家族と深く関わりあうまでは、ネパールはなんだか、皆フレンドリーで、誰とでも気兼ねなく道端でおしゃべりしたりしていて、きっと日本みたいないざこざもなくて平和なんだろうな、となんとなく思っていたが、そんなわけはないのだ。

一つところに人間が住まい、誰かと関係を築いていくと、大なり小なり問題は浮上して、衝突だって起こるに決まっているのだ。その点ボクはあまりにも楽な生活を、ここ数年の期間過ごしている。嫌な事や人があれば、次の場所に向かえばいいだけの、旅という生活。

マオイストという名のテロリスト、気がつけばたそがれ


そしてそんな、一見すると平和そうな国ネパールも、家庭のみならず、もっと大きな、政治的な問題も抱えているのである。

マオイストと呼ばれる、共産党毛沢東主義を掲げた反政府武装組織が年に何度も、ストライキやデモ、警察との衝突を繰り返しているというのだ。

それが幸か不幸か、ボクが滞在しているこのタイミングで活動を開始したため、今日からしばらく全ての交通機関はストップし、ほとんどの店は営業を停止してしまった。

困ったもんだなあ。「彼らはもはやマオイストではなくテロリストだよ。マオイストっていうのは単にコミュニスト(共産主義者)のことでしょ?でも彼らはマオイストの名をかりて市民を巻き込みながら警察と衝突して、その度にいくつもの犠牲者を出してるんだから、テロリストだよ。」

テレビの中継映像に目をやると、石を投げたり、車を燃やしながら警察と衝突している赤いバンダナや帽子を被った連中が映し出されていた。赤は共産主義のシンボルカラーのようだ。「今日も既に何人も死んだんだって。」

過去の歴史を振り返ったって、暴力からは何も生まれないって本当は皆分かっているはずなのに。暴力や戦争はいつだって上層部の人間の利益のために始まり、何も知らない人達の血ばかりを流す。

ところで、昨夜のケンカは一体何が始まりだったの?「もう最悪だよ。結局あのあと22時までケンカし続けてたんだよ!?」え!よくそんだけ体力が持つなあ。「そもそもはビムラ(プラカシュの実の姉)とイムラリ(義理の妹)の口ゲンカだったんだけど、そこに止めに入ったプロシャン(実の弟)までカッとなっちゃって事が大きくなって・・・。」そうだったんだ。

「その上誰も手なんて出してないのに、イムラリがパニックになって助けてー!殴られるー!とかって大声で叫びだすから近所の人達も集まっちゃったんだよ。」えぇ・・・

「もう本当にやってらんないよ。前はオレのほうの家族を連れてこの家出たいって言ってたけど、今はビニ(内縁の嫁さん)だけ連れて、どっかに部屋かりようと思ってるよ。自分の家族にも向こうの家族の側にもつきたくないんだ。ニュートラルなポジションでいたい。」

そっか。それが一番いいかもね。「でね、オレも言いたいこと全部言ったんだよ!」え!よく言ったなあ!約束守ってくれたんだね。「うん、で、電話も使いたけりゃ家の中に一台置く、その代わり料金は各自で払ってくれって言ったんだ。あと、オレ達も邪魔はしないから、そっちもオレの店や部屋に無断で入らないでくれ、お互いの生活スペースを尊重して生活させてくれってお願いした。」それで、向こうはちゃんと理解して納得してくれた?

「ははは。何て言ったと思う?義母は全部欲しいって言ったんだよ?つまり、オレとビニが住んでる部屋も店で使ってるパソコンも全部。もう既に父親の収入からいくつも小遣いをせしめてるのに、それだけじゃ物足りず全部欲しがってるんだから、呆れて物も言えないよ。」そりゃひどいね。でも言いたい事全部言えただけでも少しはスッキリした?

「うん、それはそうだね。スッキリした。」よかったよかった。ボクがこの間彼に話したことが、少しでも彼の後押しをしたのなら、こんな嬉しいことはない。ボクの話が大した後押しになっていなかったとしても、言いたい事をいえずに不満を抱え込んでいた状態を脱したのだから、どのみち嬉しい。

17時頃家に帰ると、ディップはヘナで白髪を染めたり、子供達は宿題をしたりそれぞれの時間を過ごしていた。お茶をいれてもらったので、屋上に持っていってのんびりと飲んでみることにした。

ジャミポッドをききながら、ゆっくりと山の向こうに沈む夕陽、それに合わせ次々と色を変えてゆく空をぼんやりと眺めていると、「そんなとこ座ってると危ないよ。」とサヌがやってきた。

ボクの隣にちょこんと座り、片方ずつイヤホンを耳につける。「将来、ジャンゴが日本で落ち着いたら、私を呼んでね。それで、一杯日本で働いてお金ためて、ネパールに帰って自分の家や車を買いたいな。」

うん、できたらきっと楽しいだろうね。じゃあまずは日本語を勉強しないとね。「うん、する!だって、私は愛する旦那と子供には恵まれたけど、それだけなんだもん。今の家だってお母さんのものだし、主婦だから収入もないし。なんで神様は私にこれ以上贈り物をくれなくなったんだろう。」

充分じゃない?愛すべき家族がいるって、一番の贈り物だと思うよ。「でももっときれいな家に住みたいし、車だって買いたいんだもん。」そんなさ、いっぺんに全部手に入れちゃうと人間すぐにダメになるよ。だから神様は全部いっぺんには与えないんだよ。「うーん。そうかなあ。」

などと話をしていると、そんなサヌの愛すべき旦那さんディップも上がってきた。「落ちるよそんなとこ座ってたら〜」そうボクに言ってからサヌにネパール語で何やら話しかける。

「ごめんジャンゴ、今さっき親戚のおじいさんが亡くなったから、ちょっと出かけてくるね。皆でご飯食べて先に寝てて。」え!あ、うんわかった。マオイスト達に気をつけてね。

そしてまた一人景色を眺める。山の向こうに沈んだ夕陽の光が、チベット国旗のように空に向かって伸びていた。そこでふと気づいた。もしかしてもしかすると、自分は今まさに、たそがれているのではないか。

やや、これはまさしく黄昏中だ!!自分がこんなにもたそがれうる男だったとは・・・ちょっぽし嬉しい

しばし再びのお別れ、テレビに映された浅薄な男

そんなサヌ一家での居候生活も、ついに今日でお仕舞い。これまた幸か不幸か、マオイストのせいで数日前から仕事も学校も休みだから、家族全員家にいて、ボクを見送ってくれるというのだ。

「もう明日からはネパール料理食べることないんだね、ジャンゴ。」とサマン。さらっと言ってくれるがそういわれるとやけに現実味を帯びて寂しい気分になっちまったじゃないか。

「はい、これ。ジャンゴの持ってる奴もうボロボロだったでしょ。」サヌがそう言って手渡してくれたのは、パシュミナの布だった。黒とグレーのグラデーションがシンプルで大人の雰囲気をかもし出すにはもってこいな柄。自分だとこの柄をチョイスすることはまずないので、嬉しい。ありがとう!

しかもボクの、三年前にベトナムで買ってからずっと使い続けていて毛玉や穴だらけの布がいかにボロボロかを察してくれていたなんて。尚嬉しい。

じゃあ、はいこれ。サヌとディップにはこれね、バアバはこれ。昨日ボダナートの土産物屋さんで購入した小さなストラップとネックレスを渡す。ストのせいでほとんどの店が閉まっていたためろくなものが買えなかったことがいたく悔やまれる・・・。「ありがとう!」

で、子供達には、はい。「なになに!?」ノートと、シャーペンと替えの芯をプレゼント。普段鉛筆を使っている子供達に依然、ボクのシャーペンをうらやましがられたことがあったのでこの選択。これでますます勉強を楽しんでおくれ。

「ありがとう、はいジャンゴ。これあたしが作ったの。」と言ってヤマンがくれたのはなんと、手作りのフォトアルバム!!家族の写真を一枚ずつ貼って、「これが私で、ご存知の通り名前はヤマンといいます。これは私達のお母さんで、サヌといいます。」といった具合に直筆のコメントまでそえてくれているではないか!

「ジャンゴへ。私たち家族のことを忘れないでください。私たちも忘れません。色々してくれてありがとう。みんなジャンゴのことが大好きです。今はもう私たちは家族同然です。最後に、一つ詩をかきます。」

Rose is Red
Sky is Blue
Oh my family members
I love you

薔薇は赤く
空は青い
まあ私の家族
アイラブユー

ん??ちょっと後半の雰囲気つかみ損ねたけどとにかくありがとう!まさか秘密裏にヤマンがこんな素敵なプレゼントを用意してくれていたなんてまさかのまさかにも思いもしなかったので、抱きしめてぐるぐる回したくなるほど嬉しかった。

思えばあっという間の二週間。子供達と戦ってムキになったり、ドラゴンボールをみんなでみながら悟空の天然っぷりを笑ったり、怖い映画をみて恐怖する彼らをまだまだ子供だなと愛しく思ったり、サヌのオカンキャラを反抗期の息子の心境で疎ましく思ったり、ネパール家庭の問題をまざまざと目撃してしまったり・・・。

二年半前とは皆随分変わっていた。成長して体も大きくなっていた、結婚していた。変わらないものなんてないのだ。ボクはこの二年半でどう変わったろうか?成長したろうか?

最後にみんなでトランプをして、写真を撮って、荷作りを終わらせる。プラカシュも来てくれた。空港までの交通機関は一切ないので、歩いていかなければならないという。「家族みんな一緒に行くからね。」え、空港まで!ありがとう。

いよいよ出発。と、バアバが「ジャンゴ、ほらよ。」といってカタをかけてくれた。前回もそうだったが、このカタ、ただの薄い布っきれなのに、何故出発時に首にかけられるとこんなにも嬉しいのだろう。言わずもがな、それがただの布であって布でないからだ。気をつけてね、という家族の思いが込められているから。

隣のロシャンもかけつけてくれて、総勢8名で出陣。ラマンと手をつないであるく。久しく人と、直接的な「触れ合い」というものをしていなかったボクに、この家族との触れ合いはとても懐かしく、温かいものだった。子供達をぎゅっと抱きしめたり、おんぶしたり、振り回したり、手をつないだり、叩きのめしたり。

プラカシュと、姉のビムラにも小さなストラップをプレゼントすると喜んでくれた。「じゃあジャンゴ、これあげる。」プラカシュも、キレイに包装された小さな箱をプレゼントしてくれた。何これ?「まだ見ないでいいよ。」えー分かった。飛行機乗ってから見るわ。「日本帰ってからでいいよ。」そしたら二ヶ月も先になるやん!「じゃ飛行機でいいや。」

20キロを超える荷物を背負って、危険な大通りを避け裏山を抜けて空港へ到着。ごく少数のツーリストバスが走るのみで、他はタクシーのかわりにリキシャが空港を出入りする客を運んでいる。全く迷惑なものだ。

空港のゲート前でセキュリティチェックがあり、そこを抜けようとすると、「ちょっとすみません、いいですか。」カメラを担いだ男と、マイクを手にした男に話しかけられた。テ、テレビクルー。

「どちらから来られてるんですか?」日本です。「日本の方ですか。では、今日はどちらから?」ボダナートから歩いてきました。バスも何もなかったので。「そうですか。あの、もしよろしければインタビューを撮らせていただきたいのですが・・・。」もちろん!

所謂ミーハーな人間であるボクは、テレビにインタビューされるということにすっかり浮かれてしまい、終始ニヤニヤ、いや、ニタニタしながらインタビューを受けた。このインタビューの主旨というのは、ただ単に外国人旅行者に突撃インタビュー!するものではなく、マオイストの迷惑な活動が、いかに外国人に影響を及ぼしているか、外国人からみて、マオイストをどう思うか。という至って真剣な内容だったのにも関わらず・・・。

カメラが回り、先ほど受けたのと同じ質問に答え、いよいよ本題に。「それで、今回このマオイストの活動によって、あなたはどういった影響を受けましたか?」そうですね、ここ数日間どこへも行けず、家にいなければならなかったので少し面倒でした。その分家族とリラックスできたというのもありますが。

「なるほど。では、こういったマオイストの活動を直接目でみて、それをふまえた上で、外国人旅行者の立場から、あなたはネパールの政府にどういった対策を期待しますか?」

えーと、ともかく今日は空港までの足がなく大変だったので、とりあえず空港までのバスを走らせていただきたいです。「そうですか。ありがとうございました。以上、現場からお伝えしました。」

インタビューを終えニタニタしながら、待っていた家族のもとへ戻ると、「もっと暴力をやめさせてほしいとかって言わないとジャンゴ!これは政治的な話題なんだから!」とプラカシュに言われ、はっ!オレは一体なんという愚かな回答をしたのだろうと今更気づく。

最後の最後にやらかしちまっただ・・・空港に着き、乗客以外入れないところまでくると、今度はサヌ、ロシャン、子供達がひとつずつカタをかけてくれた。「ちゃんと連絡しなさいよ。次はいつ帰ってくる?」わかんないけど、来年か、再来年来られたらいいな。「そう。気をつけてね。元気でね。バイバイ!」

チェックインカウンターに向かう。ついにお別れ。急に一人ぼっちになったようで寂しいが、今はそれよりも、さっきやらかした自分の失態を恥ずばかりでそれどころではなかった・・・

またとないチャンスだったのに。外国人という立場からテレビにむかって訴えかけることによって、何かしら、小さくとも政府に影響を与えられたかもしれないのに。現地の人達を勇気づけたり励ましたりすることもできたはずなのに。やっちまったよー・・・

別れの寂しさに哀愁を漂わせながら出国するつもりだったのが、その一件のせいですっかり、やらかしちまった感にまみれてしまい、結局終始その件を省みながらの出国となった。過ぎたるは何たらら・・・いつまで悔やんでもしかたがない。今はただ、あのインタビュー映像がお蔵入りすることを願うのみだ。


ギリシャ日記

ネパール(2010年4月15日〜5月4日)