早速慌てるインド
インド側のイミグレーションで手続きをすませ、いよいよ入国。した途端ネパールよりも更に濃さを増した顔が続々と現れ、なにやら叫んでいる。「ゴラプルゴラプル!トゥーハンドレッド!」「ゴラプルゴラプル!」なんなんですかあなた達突然目の前に現れて叫びちらしやがって。あの私バラナシにとりあえず向かいたいのですが、バスなり電車なりありますか?
「ない!ゴラプル行け!ゴラプルからバラナシ行けるから!ほら、そこの車に早く乗りな!」今回は珍しく某地球の歩き方インド編を持っていたので(ベトナムで出会った人が譲ってくれたのだ)、チェックしてみよう、と思ったがやはり面倒くさくなったので、もういいや、とその謎のゴラプル行きのバス、ではなくランドクルーザーに乗り込む。ちなみに100ルピー(約300円)。
いつまでたっても出発しないので、とりあえず寝て待ってみる。目を覚ますと車は満員、僕以外全員インド人だった。濃い。散々「お前濃いなあ」と言われて生きてきたけど、彼らは間違いなく僕を「お前薄いナ」と言えるほど濃い。8時をまわった頃ようやく出発し、走ること2時間。もう着いた。
正しくはゴーラクプルだったことをここへ来て知り、あてもないままおろされ棒立ちをキメていると、どこからともなくオッチャンが現れ、「どこへ行きたいんだ?ホテルを探してるのか?」ときいてきた。いや、バラナシへ向かいたいんですが。「オーケーオーケー、こっち来な!」バス停はどこですか?「いいからいいから!」
連れてこられたのは近くにあったツアー会社。やたら愛想のいいスタッフに「バラナシ行きですね?それよりまずはここで一泊なさいませんか?」結構ですとりあえずバラナシ行きのバス停を教えて下さい。「こちらで手配できますよ云々・・・」
と説明を続けていたスタッフが突然「それではこちらのオッチャンに20ルピーをお支払い下さい。」と。それって一体、何料金?何故私がこのオッチャンに払わなければならないのですか?「いいから払いなさい!」払いません「払うんだ!20ルピー!」誰が払うか!「出て行きなさい!」お邪魔しました。
用途不明なお金は払いません。そしてあてもなく、なんとなく、歩いてゆくと、バス停らしき場所へ辿り着いた。チケット売り場でバラナシ行きはないかと尋ねると「ここじゃないよ。」じゃあどこなの。とまたもや棒立ちをキメていると、新聞売りのオッチャンがやってきて「バラナシ行きたいのか?ちょっと待ってな!」と言って近くにいたリキシャ(自転車タクシー)をつかまえてきてくれた。
「もう話してあるから、乗り乗り!」本当にこれでバス停に向かってくれるのか若干不安だったが、まいいか、乗り込む。新聞屋のオッチャンありがとう。10分程走ると無事バラナシ行きバスのあるバス停に到着。おお、あの新聞屋はただただ親切な人だったのだ。改めましてありがとう。
そこでバスのチケットを買おうとすると「ネパールルピー使えまへんで」がーん。インドルピーなんて一銭たりとも持っていなかったので、ATMを探しに再びリキシャで奔走。プラスカードの使えるATMを探す。ない。ない。ない。手段が、ない。僕どうすればいいの・・・お金が、ない。
すると路上で両替をやっているみるからに怪しい男を発見。仕方がないのできいてみると、驚きの最悪レート。さらに手数料までとられちゃう始末。が、もう他に手段がなかったので泣く泣く、バラナシ行きのバス代程度のネパールルピーをインドルピーに両替。大損。
ようやくバスのチケットを買え乗り込もうとすると、さっきリンゴを買った果物屋のオッチャンが「そのバスやめとき!あっちのバスのほうがええから!」と至極親切そうに、心配そうに言ってきたので、あそうなの?そのほうがいいの?じゃあそっちいこか。
「おいこら!何でそっち行くんや!」えだって果物屋のオッチャンが・・・「ええからこっち乗っとけ!」と運転手に止められたが、もう荷物を背負ってしまっていたので、ごめんよオッチャン、と隣のバスへ乗り換える。
一体誰がただの親切で、誰が面倒な奴なのか、よくわからない。入国数時間で疲れを覚え、最後部の座席にどっかと座り、出発したバスに揺られ眠る。途中どこかから乗り込んできた男二人と「バラナシいくのか?」「日本人なのか」などとしゃべる。睡眠薬には気をつけろ!をモットーに警戒しつつ・・・。
腹の調子が芳しくなかったので、下痢を案じて食事休憩はリンゴ一つにおさえておく。その後も流れる景色とジャミポッドの最強コンビネーションを楽しんだり、横を走っていた二人乗りのバイクが僕の乗っていたバスにぶつかって転倒したりしながら、突き進む。
陽も暮れ始めた17時半頃、ついにバラナシに到着。ここはどこ・・・私はだれ・・・新しい町へ着いたときのお決まりのパターンで棒っとしていると、うまい具合にリキシャが現れ、とりあえず河のほうへ向かいたいのだが、というと「オーケー乗りたまえ」いくらだ?
「100だ。」んなわけねーだろ乗りません。「80だ。」ちょっとー高すぎやろオッチャン乗らへんよと交渉を繰り返し最 終的に「お願いします50で乗って下さいいいい」と頼まれたので、絶対にまだこれでも高いと知りつつ、またもや面倒くさくなってしまったので了承して乗る。
リキシャと車と人、人、牛、牛。
ガンジス河通称ガンガーに着くなり客引きの男が現れた。もう一度某地球の歩き方インド編をみてみようと開いたのだが、暗くてみえなかったので、その客引きに連れられるままプジャゲストハウスという宿へ。シングルルームが150ルピー(約450円)とあまり安くない上にトイレとシャワーもあまり清潔ではなかったが、いまさら他をあたる体力も気力もなかったので、とりあえず一泊することにした。
すぐさまバス移動で汚れた埃まみれの体を洗い流し、屋上のレストランでまた少量のネパールルピーを両替して、チャーハンとコーラをいただく。喉がカピカピに渇いていたのでこの世の何よりも美味しく感じられた。コーラよ今宵もありがとう。
ようやく落ち着いて、夜空と眼前に広がるガンガーを眺めて物思いにふけっていると、急激にネパールが恋しくなった。ネパールでは常に誰かと一緒で、楽しくて、それが久々一人ぼっちなものだから。そもそも一人旅なはずなのに、おかしなもので。
疲れて21時にはベッドに沈み込んだ。
ガンジスの流れより豚に気をとられる
翌朝、再び屋上のレストランでバタートースト(25ルピー。高!)を食べて早々に宿探し。昨夜某地球の歩き方インド編でチェックしたシヴァゲストハウスというところへいってみる。部屋を見せてもらうと、それなりに良い。値段もシングルルームで80ルピーとそこそこだったので、チェックインをして、ATMへと向かう。そう、現金が、ないのだ。ここでもプラスカードが使えなかったら・・・・一巻のおわりだ。ドキドキしつつATMを操作。頼みます・・・。
無事、おろせた。ほっとして宿へ戻り、荷造りしてチェックアウト。そこで昨日デポジットとして払っていた150ルピーを返してくれと言うと「無理だ。何故一泊しかしないんだ!?」僕には高すぎるからです「もう一泊ぐらいしていけばいいだろう!」無理です、では150ルピー返してください
「無理だ。それは返せない」返さんかえ!わしの金じゃろが!「75だけだ。」結局半額しか返してもらえず、そのデポジットが何を意味したのかも、何故全額返ってこなかったのかもよく分からないまま、シヴァゲストハウスへ移動。
たまっていた洗濯物を片付けて、ここにもあった屋上のレストランで、気をとりなおしまたもや朝食をいただく。日本人の方と少ししゃべって、散策へ。
遠くに見える浮き橋を目指して歩く。ガート、と呼ばれるガンジス河沿いの石の階段が並ぶエリアを抜けると、静かな街並みが続いた。そこで、目を覆わずに、いや、目をむき出しにせずにはいられない光景を目の当たりにした。
豚が、交尾をしているのだ。それは、動物なんだもの、性の営みはどんな生き物だって等しくするでしょうだがしかし、メスの上にまたがり腰を一所懸命に振るオス、の上にもう一つオスがまたがり一所懸命に子孫を繁栄させようと腰を振っているではないか。
なんだっていいんだ・・・
と動物の本能の部分を垣間見て衝撃を受けた僕は、気がつくとインドの子供達に囲まれていた。ルピールピーとお小遣いをねだってきて多少しつこかったので、代表者一名をこちょこちょの刑に処し、くすぐったがっているスキに逃げた。
陽が沈んできたので浮き橋まで行くのを断念し引き返す。ガートを歩いていると、キャンドルを持った少年がついてきて「家族はなんにんいるの?家族の人数分、家族のことを思ってこのキャンドルをガンガーに流すと、いいことあるよ。一個10ルピー。」と商売をはじめたのでキャンドル流さなくても家族のことは思っているから大丈夫だよありがとう、と断る。
「じゃあ5ルピー!ね?」ずっと、ずっとついてきて若干疎ましくなってきたので一つだけ購入し、河へと流す。同じように子供達に買わされ暗くなってきた中をたゆたう無数のキャンドルは、5ルピー以上の美しさを放っていた。
宿へ戻り少し休憩してから、モナリザレストランというゴージャスな響きのレストランへ。スパゲッティとスープを注文。安い。この二つで45ルピー(約135円)。味は、期待しないほうがいいだろう。意外に早くできあがったそれらをいただく。う、意外にうまい・・・意外続き。
旅の道中で出会った人にきくと「インドはカレー。カレーやで。時々チキンカレーとか、ベジカレーとか選べるけど、とにかくカレーやで」と、まさに日本人が抱くインドイメージそのもの、を思い浮かべていただけに、この意外なウマさは、想像以上に僕を感激させた。期待していないと、期待していなかった分喜びもひとしおなのだ。これからの人生、期待せずに生きよう、そしたら幸せになれる気がする。
ちょいとるんるんした気持ちで宿へ帰り、置いてあったカミュの異邦人という本を手にとり、軽く読んでみて、眠りにつく。まだ20時。要するに暇なのだ。
職場体験学習〜リキシャ運転手編〜
8時に目を覚まし、何をするでもなく引き続きカミュを読んだりして、ガートを散歩する。と、昨日キャンドルを買わされた少年にまた出くわし、今度は早朝ボートいかが?と誘われる。ここでは毎朝、多くの人達がボートにのってガンガーのど真ん中から朝陽を眺めるのだ。それが美しいらしい。きくところによると相場は30ルピー程度だったので、30ルピーで交渉すると、意外にすんなり成立し、じゃあまた明日の朝ね、と約束し別れる。
今朝はちょっと贅沢に、某地球の歩き方インド編に載っていた日本人の経営するお洒落なカフェにいってみよう、と探し歩く。そこへ登校途中の小学生達が大量に現れ「どこいくの?」ときいたきた。イーバカフェっていうお洒落なスポットを探してるんだけど、というと「それ知ってるで!連れてってあげる!」とリーダーらしき少年。
ついてゆくとすぐ近くにイーバカフェ。ありがとうなー!とお礼を言い中へ入ると、少年も一緒に入店。あら?やっぱり何かチップ的なもの請求されちゃうのかしら?すると「何かさ、何か、なあい?」と案の定請求されたのだが、あいにく手土産的なものも持ち合わせていなかったので、ごめんな今何もないわ・・・というと意外にあっさりと「わかった!んじゃね!学校いってくる!」と消えていった。昨日から意外なこと続きだぜ・・・。インドを大袈裟にとらえすぎていたようだ。
そこでアメリカンブレックファーストセットという、111ルピーもする豪華な朝食セットを注文。お洒落な雰囲気のカフェで、お洒落な器に入った、お洒落な朝食と、お洒落なゲロをいただく・・・ゲロ?いいえこれはオートミールという米国では定番の朝食メニュー。
シリアルを牛乳で煮込んだような、生温かいそれは、生粋のアジア人の僕にはどうもお門違いだったようで、何度チャレンジしてもゲロの域を出なかったので、大変申し訳ないが断念した。トロロを鼻水と思う人の感覚に近い。と思う。先入観の問題。
置いてあった日本のpenというお洒落な雑誌を読んだりなどして、しばしインドにいることを忘れ、外へ出た瞬間道ゆく人々の顔の濃さでそれを思い出し、バラナシ・ヒンドゥー大学を観光してみようと歩き出す。
するとそこへリキシャのあんちゃんがやってきて「大学行くの?まだ遠いから乗りや」と言ってきた。うん大丈夫、歩くの好きやから。と歩き続ける。「まあまあ、乗ったらええやん?」うんいらんでありがとう。何度断ってもついてくる。
最終的に「日本人?あー俺日本人の友達おるで!タケシ!」え?タケシ?へーそりゃ紛れも無い日本人の名前だね。「名前は何?」ジャミラだよ「へえー、それインドじゃ女の人の名前やで!」え!?そうなの!?まいっか!などと商売に関係ない話題で盛り上がる。
僕の歩くペースにあわせてあまりにもゆっくりとリキシャをこいでいるので、後ろから押してやると「いいからいいから、ちょっやめてえー!」今は僕がリキシャですから。「わかった!そんじゃジャミラ運転してみる?」え、うん!急遽リキシャの運転手に就職が決まった私ジャミラ。
あんちゃんを乗せていざ運転。む、難しい。思っていたより随分と。バランスがうまくとれない。スピードもうまくだせない。リキシャの運転手もラクじゃないことを知る。
しばらくすると大学の中のミュージアムへ到着、ここ寄っていきたいから、降りるね。ありがとう。と礼を言うと「そんじゃミュージアム終わったら今度こそ普通にリキシャ乗ってや!」え、うん多分、じゃあね。
ものの二分でミュージアムをあとにする。入場料が100ルピーに上がっていたなんてきいていない。ただでさえ入場料の類を払うのが苦手な僕は、迷うことなくひきかえし、今度は近くの寺へと向かってみる。まださっきのあんちゃんが待っていて「よし、乗る?」のらんよ、寺すぐそこやし「じゃあさ、寺終わったら乗る?待っとるからね!」わかったよ、じゃあね。
頼んではいないものの随分と長い間僕に時間を割いているので、あとで乗ってやるか、と思いつつビシュワナートとよばれる寺へ。サンダルを預けて裸足で入る。中は随分と涼しくて、石の床がひんやりと気持ちいい。少し休んでいくか、と腰をおろした瞬間便意を催し退場。
ミュージアムまで戻りトイレへ直行する。この緩やかなアレは、確実にさっき食べたお洒落な朝食の影響だろう。消化によさそうなことこの上なかったものあのゲロ。
さあ、さっきのあんちゃんのリキシャで浮き橋にでもいくか、と辺りを見回すが、既にあんちゃんはどこかへ消えていた。「待っとるからね!」と力強く言っていたのに、あっさり消えてしまうあたり、適当なインド人ぽくて、イイ。でも少しガッカリ。
気をとりなおし浮き橋のほうへ歩く。ようやくたどりつき、ガンガーに架かるその橋の上を渡っていると、反対方向からこっちにむかってきていた少年二人に声をかけられ、しゃべる。少年二人は、僕としゃべりながら歩いているので、来た方向に戻っている。
どこへ向かいたいのか謎なまましゃべり続け、対岸へ到着。「じゃあね!」と町へ消えていった二人。向こう岸に用事があったんじゃないの・・・と答えのない疑問を抱いたまま、ここにもあったミュージアムへ入場。12ルピー。
安さに惹かれて入場したものの、全くもって興味のないものばかりが陳列されていて驚いた。むしろ疲れた。観光嫌いがヘタに観光するものじゃない、と改めて思い知らされた。ここでもまた便意を催し、トイレへ。観光名所よりも各地のトイレ事情のほうを詳しく知りつつある。ここは見事に便座のない洋式トイレで、おまけに不潔だったので、驚異の空気椅子状態で事へ及んだ。
ミュージアムに来て歴史的遺産を何ひとつ興味深くみることなく、太ももあたりに筋肉痛だけを覚えて帰る人は、おそらくなかなかいないだろう。
話しかけてくるインド人に応える力もなくなりとぼとぼと宿へ帰る。バタンキュー、がこれほど似合う状態がかつてあっただろうか、と思うほど疲れ果てバタンキューとベッドに沈む。
夜は再びモナリザレストランへ。そこで昨日から気になっていた謎の「マポリタン」というメニューを注文する。普通にナポリタンがでてくるあたりさすがモナリザレストラン。そして、うまい。
映画撮影と焼けゆく体
夜中に何度も耳元を飛び交う蚊のせいで起こされ、血を吸われかゆみに眠りを妨げられ、イライラしながら6時起床。ほの暗い中外へ出て、ガートへ。昨日の少年とボートに乗る約束をしたのだ。約束は守らなければいけない。少年を探す。が、一通り歩いてもみつからない。
あんなに「絶対やで!絶対明日の6時にここ来てよ!」とお願いされたのに。まあそこはインド人。でもやはり少しがっかり。あきらめて、ボートに乗るのもあきらめて、ガートに座り、登りゆく太陽をじっと眺める。
真っ赤に燃える太陽と、それをこうこうと映すガンガーの水面。まるで燃え盛る炎でできた道のようだ。そしていつも思う。水面に映る陽の光は、いつも自分に向かって真っ直ぐ届いている。誰がみてもそう見えるのだが、それが自分だけに届けられているようで、特別な気持ちになる。自分特別扱い。
陽が登りきり、一日がまた始まったところで宿へ戻ろうと歩きだしたら、ネパールで別れたマヤとその彼氏チンペーと偶然再会し、しゃべる。世界は狭い。モナリザレストランへ行き、パンケーキでおしゃまに朝食。
宿へ帰りジャミポッドを聴きながら、筋力トレーニングを試みる。恐ろしく低下している自分の体力に幻滅し、すぐさまとりやめカミュを読む。洗濯を五分ですませ、昼すぎまた散歩へと出向く。
今日は昨日と反対側へ向かって歩く。するとなにやら映画の撮影中らしき団体が。どこかでみたことあるような、「ちがーう!ここは、こうもっと感情的にこうなのよ!」と、ダンスの先生が生徒を厳しく指導している。という光景。世界一年間映画製作本数の多い国だけのことは、ある。
いつまでも先生の厳しいレッスンが続くので、見飽きてさらに先へと歩く。すると火葬場に着いた。噂にきいていた、焼かれ、聖なる河に還ってゆく死体。が、実際それを目にすると、特に感慨深いものはなかった。あまりにも自然すぎて。人は死んだら灰になる。それだけのことだと思った。
さらにさらに先へと歩こうとすると「ここから先は遺族だけだから」と真偽のほどが定かでない情報を耳にし、回り道をして先へと歩く。路地裏をずうっと歩く。だいたいの感覚で。すると公園らしき広場に辿り着き、ベンチに座って休憩。リスがそこかしこでちょこまかと動きまわり、野良犬も木陰で昼寝をしている。実に平和な風景。
どこからともなく子供達が集まってきて、ジャミポッドを聴かせてやる。すぐさまビートに乗っかって踊りだす子供達。世界一年間映画製作本数が多くその99%に集団ダンスシーンが収録されている国だけのことは、ある。「これちょーだい」とジャミポッドをさして言われたので微笑んで、あきまへん、と断り、また歩き出す。
途中サモサ(カレー風味のイモなどが入った揚げ物)と水を買って、昨日とは反対側に架かっている大きな橋を渡る。ガンガーの真上を。下を見下ろすと見事な汚濁色。遠く向こう岸をみつめると、その汚さが分からないので美しくみえた。橋を渡りきったところで川岸へ降りてゆき、木陰にすわって日記をかきながら休憩。過ぎ行く子供達が「なんじゃあの男」という眼差しでみてくるので、タータ(バイバイ)と手を振る。
そうして来た方向を、違う道を通りながら帰る。知らない道を歩くのが好きなのだ。見たこともない風景がいつもそこにはあるから。適当に歩いていると結局ガートに戻ってきたので、そこを沿って歩く。ここでも子供達が集まってきて「バクシーシ!」
でた、バクシーシだ。物乞いのカジュアルな言い方。お金ないからあげれんよ。と言うと「じゃあペンちょーだい!ペン!ペンください!」あまりにも激しいペン欲に根気負けし、一本プレゼントしてタータ。
夜はしゃん亭という、なんと、そばが食べられるレストランへ。そこでマヤ、チンペーと合流し、共にいただく。かきあげそば。ネパールを去ってもなお、僕の前にはうまい和食がそびえたっていました。これを幸福と言わず何を幸福と言いましょうか。
読み続けているがなかなかどうして小難しいカミュの本をまた読んで、迫り来る蚊の恐怖に怯えながら床に就く。
妖怪に恐れをなして逃げるインド人
遅く起きた朝、筋力トレーニングと見よう見まねでヨガ風の柔軟を試みる。モナリザレストランへ行き、ターリーと呼ばれる、チャパティもしくはライスに、カリー、ちょっとした惣菜、ヨーグルトがついたプレートを注文。やはりモナリザさん安くてうまい。
今日もガートを散歩。ロバの死体が河を流れていた。お還りなさいませ。今日もどこからともなくインド人達がからんでくる。「はいこんにちはー。」と握手を求めてきてそれと同時に手のマッサージを始めようとするオッチャン達。いつもは素通りしていたのだが今日はちょっと揉まれたい気分だったので、「お金いらないから!」と言うオッチャンと握手ついでに揉まれてみる。
「立ち話もなんですから、座りましょ」とそこらへんに腰かけ、手の他の部位ももみもみされる。一通り終わってすっきりしたところで、心ばかりのバクシーシをあげようとしたら「150でございます」とお金はいらないと言っていたくせにしっかり金額を提示してきた。オッチャンさっき金いらん言うたやろ!じゃあはい10ルピーね
「だめ!100!」はあ?何でやそんじゃ15。「ノー!75!」そんな高いの払えません。「じゃあ、50!」もう。結局25ルピーを渡してすたすたと歩き始めた。「ケチ!」知りませんよお金いらないっていったのそっちなんだから。
陰のあるところで休憩していると、今度は子供達がわいてきて、「チンコマンコジキジキ!バラナシチンコハブラシ!」などと、誰かから教わったいけない日本語を連発してきた。うんそうだねちんこまんこだね、と同意するとゲラゲラと笑う子供達。
まだ年端もいかない子なんだから、せめてウンコネタでとめておきなさい。チンコマンコはもうちょっと大人になってから。「僕のお父さんの店くる?みるだけでいいから!安いよ?」しっかり客引きも欠かさない。ぬかりない。いきません欲しい物何もないからね。
さらにぼうっとガンガーを眺めていると、別の子供達がきて、僕の聴いていたジャミポッドを「ラジオ?それラジオ?聴かせて!」と興味深そうにのぞいてくるので、一緒に聴かせてやる。やっぱり踊りだす子供達。
さらに僕のリュックに突き刺さっていた、ウルトラマンにでてくる怪獣「ジャミラ」と「ガンQ」の人形をみて「これ何?ねーこれ何?」ときいてくるので、それはドースト(おともだち)ですよ、と答えると「ドーストドースト!」と嬉しそうに飛び跳ねて、近くにいたオッチャンを連れてきて「これドーストなんやって!ほら!」と、ガンQの人形をみせた。途端、そのオッチャンは、冗談でもなんでもなく、本気で恐れをなして逃げた。「う、ウギャーーーーーーー!!!!」
確かにこの、出国の際に地元の友達が餞別としてくれたこの眼球そのもののようなグロテスクな怪獣は、一見するとただただ気持ち悪いかもしれない。が、よく見ると案外かわいかったりもしてくるんだよ?オッチャンそんなマジと書いて本気で逃げ出さなくても、いいじゃない。しかし笑えた。
それから軽く二時間程インターネットという文明のテクノロジーを用いて日本の皆と連絡をとりあい生存を知らせ、夕暮れ時またしてもガートへ。今日も対岸でなにやら映画の撮影が行われている。涼しい風が優しく肌をなでる。家族のことを思って流されているであろう無数のキャンドルが優しく光を発する。穏やかな時間にしばし身を任せる。
夜はスパイシーバイツというレストランへ。久々に、イスラエル料理が食べたくなったので、シュニッツェルを注文。チキンステーキやはりうまい。割と久々、数日ぶりに肉を口にした。
空腹を満たし幸せな気持ちで宿へ帰っていると、どこかで見たことのある顔が現れた。
んあ!シューさん!イチさん!「あー!ジャミラ!!!」
カンボジアでカードを不正使用され史上最も疲れ果てていた時に、親身になって心配してくれていた、同じ宿に泊まっていた日本人の方達だった。あれからお互い一時帰国などして旅のルートは全くバラバラだったのに、こんなところで再会するなんて。やっぱり思う。世界は狭い。
突然で偶然の再会にやや興奮しつつ宿へ帰り、カミュを読んで寝る。
二度もガンガーへ投げ込まれ、死にかけるジャミラ
今日もこりずに、モナリザレストランで飯を食い、ぶらぶらと散歩をし、ガートに座る。するとガンガーで泳いでいた子供達にたかられ、ここでも「それ何?」とジャミラの人形を指摘され、みせてやると、
はひゅーん
ジャミラ、はるかかなたガンガーのど真ん中に飛んでゆきました。な、何するんじゃボケコラ!わしのジャミラ、わしの分身、むしろわしが分身・・・ともかく、かえさんかアホ!と突然の出来事に我を失いがちになっていると、その子供は自らもガンガーに飛び込んでゆき、すいすいと泳いでジャミラをキャッチし、戻ってきた。ほっと一安心。していると
ぁはひゅーん
今一度ガンガーのど真ん中へ飛んでゆきましたジャミラ。こらー!お前なんべんやったら気がすむんや!わしのジャミラ、わしがジャミラ、ジャミラのわし・・・はよとってこいバカタレ!と二度目の出来事にも関わらずまたもや我を失いがちでいると、またもや自らもガンガーに飛び込んでゆき、ジャミラを救出。
「へへへ。」と笑うその子供の坊主頭をペチっとしばいてやりたいのをぐっとこらえる。すると「へへへー」と笑いながら
ぱかっ
子供はジャミラの人形をぱかっと見事に半分にしてくださいました。そこからドボドボとガンガーの聖なる汚水がもれでてきた。なんというか、切ない。二度も窮地に立たされた挙句胴体部分をぱかっとあけられてしまったジャミラ。の人形。
ただの塩化ビニールの塊じゃん。という意見は受け付けないことにして、しょぼくれていると、昨日一緒にジャミポッドを聴いた子供達がチャイ売りをやっていて「あいつらよくないから、人騙そうとする奴らだから、もの渡したりしちゃだめよ!」と注意を促してくれた。
はい、以後気をつけます。もう三度とジャミラを危険にさらすことはしません。それからその子達と別のガートへ移動して、しゃべる。そこでも「チンコマンコジキジキ」だのと言ってくる子供達がやってくるが、そのモニとヴォル、という子達が追い払ってくれた。
ピーナッツ売りが来たので、3.5ルピー分買い、三人で食べる。暗くなってきたので、そろそろ帰るね、タータ、といって歩きだすと、ヴォルがついてきて「あの、10ルピーくれる・・・?」ときいてきた。とてもいい子達なのだけど、一度お金をあげてしまうと際限なくなってしまいそうだったので、ゴメンな、お金はあげられんわ・・・。と答える。「わかった!じゃあね!ジャミラタータ!」
夜はしつこくモナリザレストランへ。オムライスとベジトマトスープをいただく。向かいに座っていたスイス人の女の子としばらくしゃべって、日本の友達に手紙を書いてみたりなどして、宿へ帰り屋上へ。
実は今はディワリというお祭りで、花火があがっているのだ。
バラナシの夜空に打ち上げられる花火をしばらくじーっと観て、さっさと寝る。
爆竹で祝うハッピーディワリ
いい加減この壊れ気味のファンと、とどまることを知らない蚊の来襲に嫌気がさしてきたので、宿を変えることにした。昨日何軒かまわってみつけたのが、モナリザゲストハウス。何を隠そう、モナリザレストランが経営するゲストハウスだ。経営者はどれほどモナリザが好きなのだろうか。あの微笑みとロングヘアーがたまらないのだろうか。
シングルルーム、シャワートイレ付きで75ルピー。これはかなり破格の安さだと思う。価格破壊。どうでもいいが、「価格破壊」という言葉がなんとなく好きです。
モナリザゲストハウスに住みモナリザレストランに通う。モナリザが誰の絵なのかもいまいち分からないのに。ゴッホ?バッハ?ト、トッポ・・・?
そして今日もふらふらとガートを散歩する。そろそろ飽いてきた。次の町へ向かいたい。のだが、ある人を待っているため、向かえないのである。ある、人・・・。
夕方18時。メインガートへ足を運んでみると、沢山の観光客とインド人、そして河へ向かって座っている、オレンジ色の衣装を身にまとった七人の男達。
間もなく始まったのは、プジャと呼ばれる礼拝の儀式。鐘を鳴らし、ホラ貝を吹き、お香をかざし、炎をかざし、供えの花びらを散らし、水を散らす・・・。
それらが、ゆっくりとしなやかに、行われる。何か、とらえてはなさないものがある。ただじっと、見つめた。お香の煙が、全て河に向かって流れていったのが印象的だった。オレンジの衣装、オレンジの炎、オレンジの花びらも目に鮮やかで、焼きついた。
モナリザレストランでオムライスを食べていると、カンボジアで出会ったシュウさん、イチさんやマヤにチンペー達も来たので、マシンガントークを繰り広げる。会話って、楽しい。一人って、続くとつまらない。
宿へ帰り、部屋で置いてあった魁クロマティ高校という漫画を読んでみたり、携帯に搭載された夢のゲーム「ぷよぷよ」を全面クリアしたり、くつろいでいると、凄まじい音が。
爆竹が四方八方で炸裂しているようだ。人々はディワリを祝うために爆竹をならす。割と心臓に悪そうなこの祝い方、確か台湾や中国あたりでも正月に爆竹をならしてはいなかっただろうか。異文化のうえの共通点。
しかし銃撃戦のように凄まじい音。
いつになったら止むのだろうか。そろそろ終わらないだろうか。ディワリって一体何なのだろうか。ディワリとっとと終わればいいのに、うるさいな、やかましいな、いい加減にしないかな・・・
寝られない!
ガンガーのど真ん中から拝む朝陽
5時半に起床、真っ暗な中外へ。ヘッドライトで道を照らしながら待ち合わせの場所へ。肌寒くてえずく。間もなくマヤとチンペーがやってきて、共にボートのオッチャンと値段交渉。一人20ルピーで成立し、早速のりこむ。オッチャンの12歳の息子がボートをこぐ。こんなに朝早く、肌寒さを覚えるほどなのに、既に人々は沐浴をしている。宗教の力。信じる力。日本人らしき女性もやっていた。僕は、結構です。
太陽の昇ってくる方はモヤがかかっていてよくみえない。が、しばらく待っていると、赤とも何ともいえない、恍惚とさせる色が広がってゆく。徐々に光を増し、橙へと変わってゆく。やっぱり今日も水面に映った炎は僕へ一直線へ届く。一日が始まった。
約一時間のボートツアーを終え、チャイでほっと一息つき、二度寝。なんと怠惰な人間。いいえ、睡眠は最も手軽な幸福なのです。
飽きた飽きたと言っても次の町へはまだ向かえないし、他に行くところもないのでガートへ。一日中日記を書いたり、本を読んだり。そこでまたモニとヴォルに会い、おしゃべりする。ドーストドースト。暗くなってきたので帰ろうとすると、今回もまたモニがついてきた。
何を言うでもなくついてくるので困ってしまい、ピーナッツ食べるか?ときくと「テンルピー・・・。」ゴメンないよ、と言うと「ファイブルピー・・・。」参ったな、でも、今日(11月14日)はきくところによると子供の日らしいから、はい、どうぞ、と5ルピーをあげた。バイバイ。
モナリザで食事をすませたあと、日記用のノートを探しに歩き、購入。ついでにヘナも購入。ヘナとは女性がよく腕や足などに綺麗に施している、子供用タトゥーのようなものだ。宿へ帰り、早速ヘナを足に塗りたくってみる。絵画的センスが皆無の僕が描いたのは、やっぱりジャミラ。出来上がりをみて、己のセンスの無さに愕然とした。ヘナだから、数日間は消えない。足の甲でよかった・・・
なんとなく体にだるさを覚えたので、早めに就寝。
虚しい日々
飽いてもなお居座り続けているここバラナシ。ある人はまだ来ない。モナリザレストランへ通い、ガートを歩き、子供達と遊び、日が暮れるのを眺め、モナリザレストランへ通い、インターネットで時代に取り残されまいと情報収集し、宿に帰り、本を読んで寝る。
く、腐っている。
腐り始めた日々にいい加減うんざりしてきた。自分は今、何をやっているのだろう?何のためにここへ来て、何のためにここにいるのだろう?何がしたいのだろう?このままだと腐りきって、溶けてなくなってしまいそうだ。ある人はまだ来ないが、どのみちバラナシで待ち合わせているわけではないので、もう、移動しよう。そう心に決め、次なる町への切符を購入した。
あまりにも腐りきっていたので、この数日間の出来事は、見事に省略。
おさらばばらなし
今夜ついに二週間近く何をするでもなく滞在してしまったバラナシを発つ。荷造りをすませ、宿をチェックアウトしてバックパックを預かっておいてもらい、モナリザレストランへ。バナナハニーコーンフレークぶっかけヨーグルトを食べる。これが実に美味。お試しあそばせ。
ジャミポッドに入っていた東京事変の閃光少女という曲をエンドレスリピート。バラナシにきてからずっと聴いている。この曲を聴くたびにバラナシを思い出してしまうほどに。曲名をバラナシ少女に変えても問題ないのではないかというほどに。いや大問題。
ATMで現金をおろし、アユーシュという、腐っていた数日の間に仲良くなった子供のいるガートへと向かう。たこあげをしていたのでやらせてもらう。難しすぎてタコは地を這うばかりなのであきらめ、しゃべる。するといつものように大量に子供たちが集まってきては、僕の所持品(おもにジャミラとガンQ)をちょーだいちょーだいとねだってくる。
無理やりもっていこうとするガキがいたので、こらお前何しとんじゃボケ、と少々怒ると、ヒンディー語で何やら汚い言葉を吐いてどこかへ去っていった。アユーシュはそのガキが何と言っていたか分かるので「あいつは悪い奴だよ・・・。」とどこか落ち込んだ様子でつぶやいた。
はたからみていたアユーシュが落ち込むほどって一体何と言っていたんだあのガキは。ま、まさか、「お前なんか鼻毛はみでててキモいんだよ!このファッキンジャップが!」的なことを・・・許せない!鼻毛は割りと気にして処理しているっていうのに!
「向こう岸行かない?ボート出してあげるから!」とアユーシュ達が誘ってくれたので、お言葉に甘えてボートに乗せてもらう。子供にこがせてしまって申し訳、ない。対岸はガート側とはうってかわって、何もなく、静かに砂地が広がっているだけだった。アユーシュ達をおんぶして走りまわったり、同じくボートでやってきていたハンガリーの女性としゃべったりして、ガートへと戻る。
もう暗くなってしまったので、じゃあ、俺帰るね、またバラナシ戻ってくると思うから、そしたら手土産もってくるからね。と言うと「うん!寂しいけど、待ってるよ!手土産!絶対だよ!ね!手土産!手土産!」しまった。手土産なんて軽くいっちゃったものだから、過剰に期待させてしまった。
しゃん亭で今一度かきあげそばをいただき、いよいよ出発。リキシャと交渉の末30ルピーで駅まで向かう。途中リキシャのオッチャンが何故かマリーゴールドだかなんだか、例のプジャに使われていた橙色の花で作られた花輪を僕によこした。「旅立つ人に、マリーゴールド。」え。
駅に到着すると案の定「はい、マリーゴールド代。」とおててを差し出してきたので、頼んでないよ、オッチャンが勝手によこしてきただけなんだから、払いません、とそのおててをオッチャンの元へ戻し、しゃなりしゃなりと歩き出し構内へ。
待っていると映画「ホームアローン」でみたような大家族がとなりに現れ、少ししゃべる。ボンベイからきたそうで、これから帰るらしい。割とお金持ちそうな家族だったので、いちいちあれくれこれくれ、ルピーくれなどとせがまれなくてほっとした。
予定より1時間ほど遅れて電車が到着し、チケットに書いてある席へ。偶然にも日本人が3人いたので、少し話して、寝台で眠る。そういえばこの旅初めての電車だ。「これ、荷物大丈夫ですか?ちゃんとカギかけておいたほうがいいですよ?」と注意され、ほほう、やはり油断の多い自分にビンタ。こんなのだからクレジットカードもあっさり使われてしまうのだ。気を引き締めて再び眠る。
なかなか快適な電車の旅。
エロの町カジュラホ
夜中に震えるほどの寒さを覚え何度か目を覚ましつつ、7時頃サトナーという町へ到着。4人でオートリキシャ(オートで走るリキシャ)に乗りバス停まで向かい、そこでカジュラホ行きの切符を買いバスに乗る。サモサと蜂蜜で作った甘いお菓子を朝食がわりに食べ、ユミさんという電車から一緒の女性としばらくしゃべり、眠る。
3、4時間ほどで目的地カジュラホに着いた。バスで一緒だったインド人の男が、グリーンハウスという宿で働いていて、安いからみていってくれというので、見に行ってみると、広々としているし、日当たりも良好だし、確かに安かったので、ユミさんとツインルームをシェアすることに決めた。
チャイをもらって少し話してから、腹ごしらえをしに、某地球の歩き方インド編に載っていたラジュレストランへ。なかなかどうして小洒落たところだ。そしてやはり、高い。小洒落ている代が含まれている。(ここでいう高いはあくまで僕の主観であります。)
一番安くて腹のふくれそうな、ターリー(50ルピー、約150円)を注文。5分も待たないうちにやってきて、ぺろり。うまいではないか。これでまずかったら小洒落ている代のみということになってしまうから、よかった。うまくて。
そよ風がそよそよと気持ち良いのでついつい長居してしまった。しかもそのそよ風が、くさくないのだ。バラナシは常に牛のウーンコー等のにおいも一緒にそよいできていたから、ちょっと感激してしまった。カジュラホ、そよそよのんびりとしていてよさそうな町ではないか。
それからユミさんは早速遺跡群を観に行くというので、別行動。そう、ここカジュラホは、男と女があらゆる体位で組んず解れつしているさまが、ありありと彫り刻まれている遺跡で有名な場所なのだ。エロを追求するには多少のお金がかかる。入場料がかかる。エロは追求したいが入場料が苦手な僕は、一人辺りを散歩することにした。
池のほとりに腰かけ日記を書く。細い道をみつけ町から離れ村のほうへと歩く。するとさびれた寺院のようなものをみつけ、中へ入る。子供達がわいてでてきたので一緒に入る。中にも二人インド人の男がいて、話しかけられる。随分とガンジャ(マリファナ)をかましているらしく、うつろな目で神について熱く語られた。「いやだからあ、神様はあ、お前の心の中にもお、いるんだよお」
ガンジャの神様が宿ってしまってはいけないので、相槌だけ打ってその場を去る。さらに村のほうへと歩いていくと、さらに子供達がわいてでてきて、「これほしい?」とカジュラホ名物エロ遺跡トランプをみせてきたので、僕もそういう類のトランプなら持ってるからいらないよ、ほら。
と中国の一元ショップで購入した金髪のチャンネーセクシートランプをみせてやると、一同大興奮。中学生が下校途中の河原で初めてエロ本を見つけた時のあの怒涛の勢いそのもののような興奮ぶり。「みせろや!」「待てえや俺が先にみるんや!」「ずるいでお前ばっか!」トランプが、セクシーなチャンネーがちぎれてしまうほどにひっぱり合う子供達。仲良く見なさい。
「ねえ、このトランプちょーだい?」それは無理な相談だなあ。「じゃあ、このカジュラホトランプ20ルピーにしてあげるからちょーだい?」何故20ルピーも払った挙句セクシートランプを手渡さなければならないんだい?無理だなあ。
「わかった!じゃあ換えっこでええから!」と激しく懇願されるも、カジュラホトランプよりセクシートランプのほうが気に入っていたので、交渉決裂。その後の少年の落ち込みぶりは、まるで入試に失敗した中学生かのようであった。
そろそろ子供達が鬱陶しくなってきたので、町へと引き返す。また池のほとりに腰かけ、陽が沈むのをぼんやり眺めて、宿へ帰る。
夜はユミさんと、これまた某地球の歩き方インド編に載っていた、シヴァジャンタというレストランへ。オムスパライスというちょっと謎のメニューを注文する。なるほど、そばめしのかわりにスパめしで、それを卵で包んでオムライス風にしたものだった。よくわからないが、うまい。
すると何やら通りがにぎやかなので、見てみると、パレードらしき行列が。某ディズニーランドの電子パレードの縮小版だろうか。きくと結婚式らしい。花嫁、花婿を電飾たっぷりの椅子に座らせ、馬で運び、ラクダや楽器隊が後へ続く。通りすがりのインド人達も交ざって踊る。花火まであがったではないか。結構金のかかったパレードを楽しませてもらい、宿に帰り、就寝。
インド人面倒くさい
のんびりと起床し、洗濯をすませ屋上に干す。太陽をめいっぱいに浴びせられるので、洗濯物が嬉しそうだ。は、洗剤のコマーシャルみたいなことを言ってしまった。
昨夜と同じくシヴァジャンタで卵炒飯を食べ、少し本を読み、ユミさんと散歩へ。やはりこの町は風が心地良い。太陽もいいにおいがする。におったことはないけれど。雰囲気フンイキ。東側の寺院群をみにいってみる。
ヴァマン(多分)という寺にたどりつき、中へ入る。1ルピーだけお布施をして、陰で休憩。インド人が話しかけてきたので、少ししゃべる。が、一向に話が終わらないので、寝てみる。するとどこかへ行ってくれた。
起き上がりある人へ日本の携帯から電話をかけてみる。諸事情によりフライト日が遅延しているそうだ。もう少し、待たなければいけないらしい。
もうひとつのカクラ(多分)という寺を目指して歩いていると、また、インド人の男が現れた。とめどなくしゃべり続ける男。名をマンジューというらしい。そう聞こえた。饅頭・・・面倒くさい。ユミさんも、大分面倒くさそうだ。ただ静かに、この静かな場所を歩いていたいのに。決して嫌なヤツ、ではないのだが、ひたすら、面倒くさい。
「サドゥーに会わせてあげるよ」と何故か民家に連れていかれる。「あサドゥー留守だ」帰る。いい加減面倒くささの限界を感じたらしく、ユミさんは一人で先に帰ります、と早足で去っていった。じゃあ、そろそろ俺も帰ろうかな、というと、「ちょっと家寄っていきなよ」と連行される。
ここでも睡眠薬には細心の注意を払いつつチャイをいただき、マンジューの家族に挨拶をする。皆、突然の異国人来訪に興味津々の様子だ。子供達と少し遊んで、暗くなってきたので、今度こそそろそろ帰ろうかな、というと「途中まで送っていくよ」とマンジュー。
ここから道覚えてるからもういいよ、今日はありがとう、またねマンジュー。「あの、さ、色々、今日、案内したよね、だからその、ちょっとばかりの、その、お金を・・・」と案内料を遠慮がちに請求してくるマンジュー。
でも、案内なんて頼んでないし、むしろ勝手についてきただけだし、それに「僕達友達だよね」ってさっき言ってたでしょう?友達なら一緒に歩いただけでお金払ったりしなくてもいいよね。と言うと「わかった。それじゃあ、また明日待ち合わせしよう」と誘われたが、さすがに僕も面倒くささがピークに達していたので、明日の事は分からないから約束できないよ、と断り宿へ帰る。
疲れた。決して、断じて、マンジューは嫌なヤツではない。ただ友達になりたかっただけなのかもしれない。だが、お金を請求されたりすると、信じられなくなる。そしてそれとは別に何か、疎ましく感じてしまうものがある。もしかすると、僕が嫌なヤツになってしまっているのだろうか。ともかく、楽しめなかった。面倒くさかった。
夜はエロ遺跡群がライトアップされて綺麗だというので、ユミさんと、ブルースカイという、遺跡の目の前にあるレストランへ足を運んでみる。そして二分で後にする。高い。
どこへ行こうかと歩いていると、遺跡群のとなりにあるシヴァ寺院が、年に一度のキャース(多分)というお祭りで、一面にキャンドルを灯されていたので、せっかくだからと中へ入る。するとネパールのダサインでもやってもらったティカをおでこにつけてもらった。小さな炎が美しい。
結局今朝と同じシヴァジャンタレストランで、サムゲタンを注文。インドで韓国料理。さっぱりしていてうまい。店主がチャイとウィスキーをまぜた、チャイスキーを少しくれたのでチビチビと飲む。それからしばらくしゃべって、本を読み、バイクで送ってくれるというのでお言葉に甘えて宿まで送ってもらった。
またしても虚しい日々
ユミさんは二泊だけして次なる町へ向かった。カジュラホぐらい小さな町だと、エロ遺跡群さえみれば二泊程度で充分なのだ。が、僕はある人を待っているため、ここでもだらだらと過ごしていた。
宿のすぐ近くにあったサンジャレストラン、とカタカナで書かれた店へ行ってみる。ベジターリーとチャイを注文、うまさはなかなかだが、量が多くてありがたい。そこの主人サントスと、その息子サンジャ、娘アッチュミとおしゃべりして、アナザヘヴンという、宿においてあった本を読みふける。
凄まじい勢いで読み進み、あっという間に上巻読破。下巻は!?ねえ下巻は!?「ないよ」。下巻がないのに読み始めてしまった自分に後悔。続きが気になってしかたがない。今一番行きたい場所はときかれればブックオフと即答できる自信がある。
犯人は一体何者なんだ!?とアナザヘヴンの世界から抜け出せぬまま散歩をする。相変わらず色んなインド人が話しかけてくるが、軽く挨拶をする程度にあしらえば、しつこくついてくることもなくなってきた。ほっ。一日中そんなふうにあてもなく歩きまわり、陽が沈む頃帰る。
夜はまたサンジャレストランへ。チャーハンとトマトスープを注文。スープ、バターの味が強い。チャーハン、味薄い。がしかし量が多い。そしてサントスをはじめ皆いい人だ。誰が言えよう。味は微妙だね、なんて・・・。
しばらく家族と遊び、「明日学校でお祭りあるから一緒にいこ」と息子のサンジャに誘われる。また面倒くさいことにならなければいいけど、子供のせっかくの誘いを無下にすることはできないので、うん、いくいく、と約束をして宿へ帰る。
寒い。11月も後半ともなると、寒い。そして一人。余計に寒さが身にしみる。意味もなく孤独を感じる。一人旅のくせに。また、バラナシと同じような、何やってるんだ俺は、何がしたいんだ俺は思考になってきた。
ジャミラとジャミール
今日もシヴァジャンタレストランでオムライスを食べ、本を読んだあと、レストラン下の電話屋さんで、ある人に電話をする。今更説明するが、このある人とは、一、二年ほど前、江戸に住んでいた時のこと、代々木公園でフリーマーケットに出店していた僕達のもとへやってきて、なんとなく物色しはじめたので、売れ残りを始末してしまおうと、
お客さん、今このマガジンラックを買うと、もれなくネクタイがついてきます!いかがですか?「ネクタイイラナイヨ〜!」ネクタイですよ!もれなくついてくるんです!「ネクタイイッパイモッテルヨ〜!」と半ば押し売りという形でマガジンラックとネクタイを購入させたインド人、その名もカーンという人のことだ。
「ハロー」カーンとは別の人が電話に出た。もしもしこちらカーンの電話ですか?「そうですけど、ジャミラ?」何故、カーンでない人が出てさらに僕の名前を知っているのか。「私シャキールの弟のジャミールです。今どこにいるんだい?」カジュラホです「カジュラホ!?のどこ!?」シヴァジャンタというレストランのところにいます「んもー!今から迎えにいきます!」
そういえばカーンというのは名字で、下の名前はシャキールだったことを思い出した。間もなく「ジャミラですか?」と現れた弟のジャミール。こ、濃い。シャキールより格段に・・・やせこけて色黒になった堀内孝雄、でもないか。ともかく濃い。
「いつからカジュラホいるの?」数日前にやってきたのですが「何でもっと早く電話してこないんだ!シャキールから聞かされて、ちゃんと世話してあげるように言われてたんだから!」そうなの?す、すいませんどうも。
それからサクラハンディクラフトという、ジャミールの経営するお土産屋さんへ招かれる。
う、わ、わ・・・・・
そこで目にした光景は僕をうむを言わさず圧倒し、カジュラホのエロエロ遺跡群よりも恍惚とさせた。そう、そこに燦然と輝いていたのは、日本が世界に誇る文化のかたまり
漫画。
というか、稲中。ここでもまた会えるなんて。信じてた。どんなに遠く離れていても心は一つだって。そして今も心の中で生き続けてるって。
ジャミールとの会話もおろそかにしてしまうほど読み耽り、しばしインドにいることを忘れる。ようやく我にかえったころ、ジャミールがシャキールに電話をかけてくれ、しゃべる。シャキール今どこおるの?「バンコクだよ、インドに着くの明後日になりそうよー。」私待つわ・・・。
それからジャミールの家へも招かれ、ジャミールお手製チャパティとカレーをごちそうになる。辛いがうまい。スパイス王国の国民めさすが。くつろいだあと、約束があるから帰ります、また明日お邪魔します、とジャミール家をあとにし、サンジャレストランへ。
サントスがチャイをおごってくれたのでいただき、サンジャと自転車を借りて学校へ向かう。文化祭そのものだ。校庭に出店がひしめきあい、そしてインド人がひしめきあう。到着するなり大変面倒くさいフンイキ。日本人、ないし異国人なんて僕以外どこにもいない。完全にローカルの祭。当然インド人達は物珍しい僕のもとへたかってくる。「こっちきてー!ゲームやっていってー!」「こっちこっちー!」め、めんどくさい!
すると英語が堪能な少年達がやってきて「何でここにいるの?誰が連れてきたの?」サンジャと一緒に来たよ「これローカルの祭りなんだけど。つか俺サンジャ嫌いなんだよね。」と吐き捨て去っていった。なんやとう!?腹立たしい!なんとなく察したサンジャは少し元気をなくした様子で、「もう帰ろっかジャミ」とつぶやいたので、帰宅。子供のケンカに親が出るわけにはいかないけど、それにしても嫌な野郎だ。
自転車を返し宿に帰っていると、携帯電話にジャミールから着信。「今からおいで!」さっきお邪魔したばかりじゃないか。再びジャミールのお店へ向かうと、ギーとステラという名前のフランス人二人組がいた。伯父と姪だそうだ。伯父と姪で旅するなんて、ちょっと素敵。
それから4人でトランプを。RAMIというフランス産のゲームを教わり、プレイ。ルールは忘れたが、なかなか面白い。一時間程やったあと、「うちおいで」再びジャミールの家へ。
途中、肉屋でチキンを買う。ジャミールがチキンカレーを作ってくれた。やっぱり辛い。がうまい。スパイス王国国民め。「大根を食べると辛さがやわらぐのよ」とステラに言われ食べる。・・・大根も辛い。
インド映画をちらっと鑑賞して、解散。ジャミールから借りた本を読む。旅に出て改めて、読書の楽しさを思い知る。アナザヘヴンの下巻はないけれど。
アウトドアチャパティ
今朝もサンジャレストランでチャイとオムレツで優雅にブレックファーストしていたら、ジャミールから着信「何やってんだ!?早くおいで!」優雅さのかけらもない勢いでオムレツをかきこんで、ジャミールのお店へ。着くなり四駆車が待ち構えていた。ギーとステラも一緒で、「はい乗って乗って!」と促されるまま車に乗り込み、出発。どこへ?
そして出発して五分で車が故障し、引き返す。別の車に乗り換えて再び出発。どこへ?一体自分がどこへ連行されているのか皆目見当もつかないけれど、窓のない四駆車に乗り、立ちあがって受ける風がとてつもなく清清しく心地の良いものだったので、どこへ行こうがよい気になった。
30分程走ると「ジャミラ着いたよ!」川原に到着。そこで徘徊中のジャッカルをみかけた。ふ富士サファリパーク?車を停め、ほとりを陣取って、「木集めてきて」と頼まれ小枝をいくらか拾い集める。そして火をおこし、粉を錬るジャミール。それを持参したフライパンにのせ、焼く。
チャパティ。まさか野外でチャパティを焼くために連れてこられたとは。これがインド式アウトドアライフ。タッパーにカレーをつめて持ってきているあたりがなんともぬかりないジャミール。皆でいただきます。焼きたてのチャパティのうまいこと。食べ終わったら岩の上に寝転んでジャミポッドを聴く。
「あっちらへん行ってみよう」と対岸へむかって皆で散歩。いい具合の枝をみつけたので杖として採用する。ダムらしきところへたどりつき、ぐるりと周って車に戻る。歩き疲れたいい大人達は、「帰りましょ」さっさと帰宅。
帰路、道行く子供達が四駆車から首を出している僕にむかって満面の笑みで「ターター!!!」と手をふってくれるのが、地方都市をおしのびで訪れたスター、のような扱いだったので、若干悦に入った。
17時すぎ町に戻ってきて、疲れちまったので宿に帰り、スタッフにバケツ一杯の熱湯をもらい、風呂に入る。いい湯だな。水シャワーばかりじゃやはり疲れはとれない。
ボナペティ、セボーンエフミモザ
午前中は宿の庭にあったハンモックに寝転び、本を読む。1リットルの涙という、数年前に流行ったらしい本。五体満足で生活していることに感謝し、号泣。ドラマや映画は興味ないが、この本は、いい。
一気に読み終え、15時前ふらっとジャミールのお店へ顔を出すと「ジャミラおっそいよ!待ってたんだぞ!?」あれ?約束したっけ?してないよね?こういうやりとりが、何度かあった。約束してないのに待っていたんだと怒られても、困っちゃいます。少し、また面倒くさく思ってしまった。悪気はなくて、むしろ気にかけてくれているだけなのに。いけない。
そして今日も漫画(闇のパープルアイ)を読み耽っていると、夕刻フレンチのギーとステラがやってきた。きくと今夜は二人がおフランス料理を作ってくれるらしい。買出しをしてジャミールの家へ。
「チャタープルついたよジャミ!」シャキールに電話をしたらついに、ようやく、到着したと。私待つわと待ち続けたシャキールがついに・・・明日そのチャタープルという、彼らの故郷の町へ向かうと約束して、早速おフランス料理開始。何か手伝いましょうか?「お皿洗っといてくれるかしら」はい!終了!
私おフランス料理待つわ
インドで仕入れた食材で、おフランス料理ができるなんて。テーブルに並んだ、エフミモザという卵をおしゃれにクッキングしたもの、おしゃれに味付けしたチキン、おしゃれに炒めたナスとピーマン、とチャパティ。「足りない調味料とか色々あったけど・・・」と謙遜していたが実にうまい。おフランス料理ときくだけでおしゃれだと思い込んでしまう私の安直な考え。
滅多にないおフランス料理を逃すまいと必死にたいらげたため、腹がふくれてしばし動けなくなる。0時頃ようやく落ち着いて、宿に帰る。いやあ、実におしゃれな一日だった。
待ちに待ったシャキール、とニコンのカメラ
荷造りをすませ宿をチェックアウトして、ジャミールのお店へ。行くと日本人のお客さんが。一週間だけ旅行にきたお医者さんの方で、しばらくおしゃべりして、ジャミールの車でチャタープルへと向かう。
観光地でもなんでもない普通の町チャタープル。「ここが我が家だよ」と車を停め荷物をおろし、どっこらしょとふりむくとそこにシャキールがいた。久しぶりー!!!やっと会えたシャキール!!!!「久しぶりだねジャミラー!」家へお邪魔して、改めて再会を喜ぶ。
「はいジャミラ、これ。」あ、ありがとう!やったー!実は、日本からちょっとした荷物を持って帰ってもらうように頼んでいたのだ。母親からシャキールに届けてもらい、シャキールから僕のもとへ。インド人を面倒くさい面倒くさいと言っているくせに、ひょっとして一番面倒くさいのは僕なのではなかろうか・・・。手数かけました。
シャボン玉と、梅干、風邪薬と、そしてチベットで盗まれたものと同じ型のニコンのデジタルカメラ。嬉しさに胸がいっぱいになる。この一ヶ月半、カメラ小僧なのにカメラがなくてずっとただの小僧だったのだ。たまりにたまっていた撮影欲を満たすべく、ところかまわず撮影。
わざわざありがとうシャキール。カシャっ、ほんとありがとうねシャキール。カシャっ。気づけば十分たらずで51枚撮影していた。生まれたてのヤギカシャっ。シャキールの家族カシャっ。近所の子供カシャっ。
ようやく欲求が満たされ落ち着いてきた頃、ギーとステラがオートリキシャを買いたいというので、BAJAJという車屋さんへ。え、リキシャ買うってどゆこと・・・「オートリキシャでインドまわろうかと思って」みたことないそんなツーリスト。
結局新車は高すぎるとあきらめ、近くのレストランでコーヒーを飲んで帰る。その後シャキールの従兄弟アニーシュの家へ招かれ、そこでも撮影、雑談。
夜、ジャミールはカジュラホに戻るというので見送り、シャキールの家へ図々しくも泊まらせてもらうことになった僕は、ご飯におよばれする。シャキールのお父さんとお母さん、お姉さんにお兄さん及びその家族。総勢10名ほどのインド人に囲まれ、凝視されながら。
血は争えない、やはりここのカレーも辛かったので、辛いですね、を大袈裟に体全体で表現すると、一同大笑い。インド人のツボがいまいちつかみきれないが、大きなアクションが割りとうけるらしい。
シャキールと積もる話に花を咲かせる。彼は近い将来ここチャタープルに学校と病院を建てるらしい。「学校も病院もここにはないからね」なんと志の高い男だろう。スポンサーとかあてはあるの?ときくと「人からお金もらうのはいけないから、全部自分でやるつもり。」できる男は一味違う。スパイスきいてるよシャキール!それから僕の旅路の話などもして、大きなベッドに二人で寝る。すみません転がりこんじゃって。
しばらく日本人一人対大量のインド人、という状況が続いて気を張りっぱなしだったので、ようやく、友達に会えて一安心、よく眠れた。その友達もインド人ではあるけれど。
何をするでもないけどなんとなく楽しい
8時過ぎに起床し、中庭のようなところで顔を洗う。なぜかその姿をシャキールに撮られ、モーニングチャイ。皆としゃべったりジャミポッドを聴いたりして、シャワーを借りる。冷水。さ、さぶ!!!!その昔デヴィ夫人がテレビで滝修行していたのを思い出す。寒い。
かっちり目が覚めたところで、チャパティを揚げたプリーと、カリー、マンゴーピクルスをいただく。うまい。カーン家の辛さにも大分慣れてきた。マンゴーピクルスは梅のような味がする。しばらく屋上でヤギのグラビア撮影会などをして、「ジャミラわたしちょっとカジュラホに用事があるから」と再びカジュラホに戻る。
バス停のある少し賑わった通りでざくろジュースとオレンジジュースをおごってもらう。ざくろジュースには少し塩が入っていて、なんともいえない、がジュースィーで美味い。
バス、ではなくジープに乗り込み出発。いつものようにインド人で満員なため、右足がしびれる。
一時間ほどで見慣れてしまった町カジュラホへ到着。シャキールは仕事の用事があるというので、僕はまたジャミールのお店で漫画を読み耽る。耽る。耽る。
あっという間に陽が沈み腹がへってしまったので、ジャミールのお店の隣のバンガリレストランでマライコフタという、イモや野菜で作った見た目ハンバーグ、のような食べ物をいただく。驚いた・・・くそがついてしまうほど美味。
毎度思うが、僕は情景や見たものを文字で説明するのがことごとく下手だ。うまい、としか言っていない気がする。このマライコフタのうまさを彦マロのように伝えられないのが悔しい。イ、イモと野菜と謎のソースの大相撲秋場所やー!え。
店をしめジャミールの家へ帰る。タンダー(寒い)。ごろごろしているとシャキールも帰ってきて、今度はベッドに三人で寝る。すみません。
今回ももれなく慌てる去り際
今日もまだ用事があると早々に出て行ったシャキールを見やって、のっそりと起床、モーニングチャイで徐々に脳も目を覚まし、ジャミールのお店へ。魔太郎がゆく!という漫画にはまる。藤子不二雄A氏の漫画はいつもブラックでたまらない。続けざまにゴルゴを読みさらにブラックになり、気分は敏腕スナイパー。
ジャミール達は店ほったらかしてどこかへ行ってしまったので、店番を兼ねて店内で寝る。すると日本人の男性がやってきて、しゃべる。バンガリレストランでチーズナンをたべる。これまたうまい。16時半頃シャキールが帰ってきて「ジャミラ戻ろう」と言われ車でまたチャタープルへ戻る。
実家に着いて、荷造りをして、チャパティとカリーをいただく。「もう行かなきゃ」慌ててかきこんで、食べきれなかった分を袋につめてもらい、家族の皆にお礼を言う。バス停までシャキールに連れていってもらう。そう、シャキールは割りと忙しそうだし、僕も次なる町アグラーへ向かわねばならないのだ。
ローカルインド人以外滅多にきそうにないチャタープルからの出発なので、もちろんバスもローカルのみ。英語表記なんてどこにもないので、シャキールが全て段取りしてくれる。「このバスね」乗り込む。ちゃんと席に座れるように、アグラーで降ろすように、バックパックが盗まれないようにと運転手に伝えてくれた。
もう出発時間が近いので慌てて写真を撮り、バス代を払おうとしたら「いいからいいから!早く乗り!」え!でも「いいのいいの!またねジャミラ」ありがとう!忙しいのにお邪魔しちまって。また日本で会おうね!バイバイ!
18時、バスは出発。割と大きなバスではあるが、軽く100人は詰め込まれているぞインド人。その中にぽつんと謎の日本人ジャミラ。道中ところどころ更に人を乗せ進む。夜が更けるにつれ徐々に寒くなってゆく車内。こんなに寒いとは・・・あらやだ私短パン。
記念すべき日にうまくいかないのは僕の常
気がつくともう日付がかわっていた。そうか・・・、おめでとう俺。インド人がごった返す窮屈なバスにゆられ、首に痛みを覚え、短パンを穿いてしまったことを後悔し寒さに震えながら、僕は知らない間に23度目の誕生日を迎えていた。
早朝4時半、およそ10時間弱の移動が終わりバス停に到着。一体ここはどこ。某地球の歩き方インド編を開いてみると、イードガーバスターミナルであることが判明。こんな時間にもしっかり待機しているリキシャに乗り、シャンティロッジという宿へと向かう。タ、タンダ(寒い)・・・。
宿に到着したはいいものの真っ暗で、開いている様子がなく困っていると、リキシャの運転手がドアを叩き従業員を起こしてくれた。どうもすみませんね。チェックインをしていると同じ時刻に到着したらしい人が、はっ!「あらダーリンまた会ったわね!」
この子はチベットはラサで僕がバイトをしていたカフェにほぼ毎日通っていたイギリス人のヘレンではないか。少ししゃべり、すかさず誕生日アピールをする。「あらそうなのダーリンおめでとう!」
部屋へ荷物を置き、眠いのをぐっとこらえ屋上へ。寒い。シャキールの家でもらったチャパティとピーナッツをもぐもぐと食べながら待っているのは夜明け。徐々に陽が昇ってきた。23歳の夜明けだ。うんありがとう見事に曇って何もみえない。あきらめて部屋へ戻る。携帯をチェックすると、ネパールのディディ(ねえちゃん)サヌから「誕生日おめでとう」のメールがきていた。覚えてくれていたとは。ひでき感激。ね、眠い。
10時半に何者かに部屋をノックされ起き、屋上のレストランで軽く食事をしているとヘレンがやってきて、「一緒に散歩いかない?」と誘われたので共に辺りを散策。「今日金曜だからタージマハル休館日なのよね」え!そうなの!?ここで、僕の「誕生日にタージマハルを拝んでメモリアルな青春の1ページ」という計画がいとも簡単に崩れ落ちた。朽ち果てた。だいたいいつもこうなのだ。大丈夫慣れてるから・・・
というわけでタージマハルを裏から少しだけ覗きみて、ジョニーズプレイスというレストランへ。バナナラッシーを注文。たまげた。ヘレンもたまげた「これあたしが今まで生きてきた中で一番うまいラッシーだわ・・・」ちゃんと冷えたラッシーにココアパウダーとココナッツのスライスがのっかったいなせなヤツ。
全てがパルフェクト。ぬるくない、ちゃあんと冷え程よいヨーグルト味のラッシー、それに紛れ込んだバナナ、お洒落さを際立てる茶色の粉末ココアパウダー。食感と風味を与えるココナッツのスライス。嗚呼、パルフェクト。
それから誕生日おめでとうメッセージを期待してインターネットへ行き、受信件数が0でないことに安堵し、宿へ戻ってチョイと寝る。昨夜のバスが割りと疲れを残しているようだ。
18時再びヘレンと待ち合わせてジョニーズプレイスへ。一杯だったので他の西洋人と相席。つい先日はまってしまったマライコフタとナンとチャイを注文。いただきます。うまい。が、マライコフタはバンガリレストランに軍配。しばらく向かいの西洋人も交えてしゃべり、明日は早起きしてタージマハルへ行こう、と約束して別れる。
商店でハミガキ粉を買い、電話屋さんへ。サヌにかける。誕生日おめでとうメッセージありがとう。「おめでとうジャンゴ、元気にやってる?」それからサマン、ヤマン、ラマンと子供達にかわってもらいしゃべる。皆の声が久々に聞けて嬉しい。ネパールを発ってもう一ヶ月が過ぎようとしているのか。
ここアグラーはタージマハルさえ見れば用はないので、明後日出発の電車のチケットをもう手配しておく。ぬかりない男ジャミラ。
墓参り。タージマハル
6時に起床し、準備をして受付でヘレンと待ち合わせ出発。「タージマハルの前にあそこいかなきゃ」ジョニーズプレイスでバナナラッシー。完全に僕達中毒者。朝からおいしい思いをして、いざタージマハルへ。
が、まだ少し早く霧が濃すぎて何もみえないので、「あかんわこれ」とジョニーズプレイスに舞い戻り朝食をとる。コーンフレークと甘いミルクコーヒー。30分後再チャレンジ。
入場料750ルピー。いまだかつてこれほど高額な入場料を払ったことがない。がさすがにアグラーに来てタージマハルを観ないのは、ツタヤで借りてきたビデオを観ないより、日曜にちびまるこちゃんを観ないより、両国で相撲を観ないより、確率の低いことなので、ここは出し惜しまず支払い入場。
大理石でできた、見事なシンメトリーの、墓。詳しい話は某地球の歩き方インド編等各種資料をご覧ください。ロッカーに荷物を預けて中へ。まだ霧が濃くよくみえないので先に内部へ潜入、大理石を肌で感じる。こんなたいそうなものを、機械もない遥か昔に人間の手だけで造りあげたなんて。インド人やっぱりおかしい。
一通り内部捜査を終えたところでさっき飲んだバナナラッシーがばっちりきいてきたらしくトイレへ。綺麗、さすが観光名所のトイレだけあって清潔だ。しかもトイレットペーパーが設置されている。ボタンを押すだけで流れる。素晴らしい。ここ最近はすっかりインド式に慣れてしまい、不浄の左手と水を使い不浄のオケツを洗っていたのだ。
全景を撮るのに良いポジションに控え、霧が晴れるのを待つ。9時。徐々に晴れてきた。10時。ようやく綺麗に晴れ、大理石の墓グラビア撮影会。あらゆる角度から、墓を、撮る。しつこいぐらい撮る。しかしあれだ、早起きする必要性って、あったのかしら。
「もう大理石満足よね」とタージマハルを後にし、迷わず向かった先はジョニーズプレイス本日三度目。バナナラッシー。僕もヘレンも、だいぶイカれている。はたからみたら、あれヘロインやコカインの類かしら?と思わせるほど夢中でラッシーを吸い込む。好きなんだもの。
落ち着いたところで次はアグラー城へ歩いていってみる。2キロほど。巨大なラクダが追い越してゆく。何でもタクシーになりうるんだね。じんわりと汗をかきはじめたころ到着し、ここでも250ルピー(も!)払い入城。
なるほど、リスが可愛いのね。城よりもちょこまかと走りまわっているリスに気をとられ撮影。250ルピーも払っていたことを思いだしぐるりと全体をみてまわる。城内部のちょっとした窓枠や天井の模様が、美しかった。他は、あまり・・・自分でも分からない。何故こんなにも歴史的建造物に興味がないのかが。それよりもそこらへんにいるリスや猿に惹かれてしまうのかが。ひょっとして、馬鹿なのか?
ヘレンは先に帰るというので、一人残ってベンチで休憩。ぽかぽかと昼寝。それからリキシャ代5ルピーをケチって歩いて帰る。もれなく方向音痴を発揮したためかなり遅れた。
夕方、屋上からタージマハルと夕陽を眺め、ヘレンと、ジェイムスというイギリス人としゃべる。するとシャキールが気にかけて「ジャミラどう?大丈夫?」と電話をしてきてくれた。つくづくいいやつだ。ありがとう。
そして本日四度目のジョニーさん。狂っている。ベジチーズコフタ、ナン、チャイを注文。そこでエファンとフレッドというオランダ人と知り合い、しゃべる。オランダ語を教えてもらう。食べ終わったらビールを売っている近くのレストランへ移動し、乾杯。
「何歳なの?」ときかれたので昨日23になったというと、ヘレンが「え!?そうだったの!?なんでもっと早く言ってくれなかったの!?」と驚いていた。いや、昨日さ、朝僕伝えたよ、そしたらヘレンおめでとうって言ってくれたよね。「え!?そうなの!?・・・あたしものっそ眠そうな顔してなかったかしら?」
うんしてた「ごめん寝ぼけてて覚えてないわ」あまりにも新鮮なリアクションだったので、彼女芸達者だなとは思ったけど、まさか本当に覚えていなくて新鮮そのものだったなんて。ともあれ皆がハッピーバースデーを歌ってくれた。ありがとう。
皆でテレビのついているヘレンの部屋へお邪魔し、映画を観る。初代スーパーマン。古い。しかしイギリス人とオランダ人に囲まれているのは、容易くない。彼らは英語をぺらぺらとしゃべるから、話題についていききれないのだ。時々分からなくても雰囲気でアハハと笑って誤魔化す。上映が終了したところで解散。
またしてももれなく慌てる去り際
タージマハル、アグラー城のハイライトを見終えてもはや用済みになってしまったアグラー。今日はひたすら夜の電車を待つのみ。9時すぎジョニーさんへ。ベナーナラッスィーとオムライス。ラッシーはすこぶるうまいのだが、オムライスとのコンビネーションはあまりいただけなかったらしく、気分が悪くなる。
宿に戻りチェックアウトして、バックパックを預け一階のロビーのようなところで読書。驚きの速さで一気に読み終え、手持ち無沙汰になる。もう一度ダメ押しでジョニーへ。ベナーナチョコパンケーキとミルクコーヒー。店主だか店主の知り合いだかのオッチャンとしゃべり、「これ、いいにおいだろ?」と鼻を強烈に突く香水を嗅がされ読書で疲れた頭にガツンときて参った。
暇だ。某地球の歩き方インド編に目を通し、今後のルートを考えてみる。するとその某地球の歩き方インド編を持っている僕をみて日本人の方に話しかけられ、しばしおしゃべる。久々の日本語会話だったので興奮しいささか前のめりでしゃべりすぎた。
20時、ようやく出発。駅へ。バックパックを背負い、リキシャを探す。が、どいつもこいつも40ルピーより下げようとしないので、10ルピーじゃないと乗らない!というと「アハハ、だーれが10ルピーで駅までいくってえ?」と軽く笑われた。ムキになり、もう少し行ったところで拾えばいいだろう、と歩いてゆく。
確かアグラー城の向こうに駅はあったはずだ。昨日通った道を歩く。・・・。誰もいない。リキシャはおろか人影すらまばらで、焦りを感じる。時刻は既に20時半。電車は21時15分発。間に合うのだろうか・・・。重い荷物を抱えて小走り気味に歩いていると、「ちょいまち!」警察に呼び止められた。
な、なに一体私が何をしたっていうのさ今急いでるのですけど!「こんなとここんな時間にそんな荷物抱えて歩いとったら危ないで!どこ行くんや?あ駅か。ちょっとここで待っとき!」と制止され、待つ。そこに一台リキシャが来て、警察が説明してくれるも、今から駅は嫌だ、と断られる。
更に焦りを感じ始めそわそわしていると、一般のバイクのオッチャンが通りかかり、警察が再び呼び止め、「こいつを駅まで連れてってくれないか」と聞いてくれた。「いいよ、乗んなさい」あ、ありがとう!いくら払えばよいですか?「なーに俺はリキシャじゃないんだから、いらないよ」ありがとう!警察さんもありがとう!
お邪魔します、とバイクのうしろにまたがり、走りながらしゃべる。お名前は?「ヨゲーシュやで」ほんとありがとう、もうすぐ電車が出る時間だから本当に助かりました。「いいってことよ。」10分ほどで駅に到着し、今一度お礼を言って別れる。なんて心優しいインド人。
多くのインド人はどうにかして観光客から金をせしめようとしてくるのに、このヨゲーシュってば・・・。素敵だね。人にいいことをされると気持ちが良い。
ホームで待っていると21時15分丁度に電車が到着、乗り込む。僕の席に見知らぬインド人が座っていたので追い払い、ようやく落ち着く。そして電車は出発。
しつこい。何故またここへ。
真夜中を走る電車の寒さにまたしても目を覚まし、震える。翌朝7時半、電車が停まった。辺りを見回すと客はほとんど降りていて、乗り過ごしたかと思い近くにいた人にきくとまだ目的地ではなかったらしく安心。そこにまたしても警察が来た。今度は一体・・・
「外国人名簿に記入しておくれ」言われるまま名前やパスポート番号、国籍などを記入する。「荷物は何も盗まれてないかい?」ええ、大丈夫です。「オーケー。ご苦労であった。」一応インドの警察は外国人を狙ったそういった盗難事件も気にかけているらしいことを知り、また少しインドを見直す。
まだ着きそうにないので寝台に寝転び携帯電話に搭載された「ぷよぷよ」で遊んでいると、リンチェンという名のチベット人のお坊さんに声をかけられ、しばししゃべる。つい最近チベットに行ってきた旨を告げ、ポタラ宮の写真をみせる。
彼はネパールで生まれたチベット人だからポタラ宮を実際にみたことはないらしい。自分の祖国に行けないなんて。それから、シャキールが日本から持ってきてくれたお菓子「おいもさん」を一緒に食べたりしていると、12時過ぎついに到着。
バラナシ
ん。何しにここへ。散々、うんざりするほど滞在したはずなのに。実は、前回カメラを持っていなかったので、ガンガー始め、バラナシの写真が殆どなく、それはちょっともったいないな、せっかくだから撮りにいこうかな、と戻ってきたのだ。記録より記憶、写真なんて必要ないじゃん、て誰かが言ったけれど、記憶はいつしか薄れてゆくのです。やっぱり記録と記憶両方大事。
リンチェンに別れを告げ、リキシャをひろいガンガー方面へ。日本語がしゃべりたくなってしまったので、日本人女性の経営する久美子の家という宿へチェックイン。そこでしょうが焼き定食をいただく。
部屋で仮眠をとり、インターネットへ行きメールにて日本の皆へ生存を知らせ、もう18時なので宿に戻り、夕飯。ここでは25ルピーでバイキング形式のご飯がいただけるのだ。メニューもナスの炒めものやお好み焼き風の何か、それからにゅうめんなど、和風なものが多くてありがたい。
部屋に戻りしばらく本を読み、寝てしまう。
撮影
朝も宿のバイキング飯をいただき、ガートへ。ところかまわず写真を撮る。撮る。撮る。ここでアユーシュに手土産を買ってくるのを忘れたことに気づき、路上で売っていたネックレスを購入。バラナシの人間にバラナシで買ったものをあげるなんて、結構たちが悪い。
浮き橋のほうへ歩いては撮り、火葬場のほうへ歩いては撮る。ひとしきり写真を撮ったところで、次なる目的地への電車のチケットを購入し、宿へ戻りベランダからガンガーを眺め、ジャミポッドを聴きながら本を読む。
アユーシュに手土産をあげにゆく。いつもいるところでしばらく座っていると、アユーシュの友達のビスヌンがきたので、はい、とネックレスをあげると、期待値をはるかに下回る品だったらしく「いらない・・・。」と言われた。バラナシで買ったのがばれてしまったのだろうか。
にしてもいらないなんて、ちょっとショック。間もなく学校帰りのアユーシュがやってきて、再びネックレスをあげると。受け取りはしたもののありがとうの一言もなし。そんなに期待値を下回っていたなんて。それは、バラナシで買ったものだし、安かったし、いいものではないかもしれないけど、まさかそんなにあからさまにがっかりされるとは思ってもみなかったので、やはりショック。
それから気を取り直して写真を撮ったりして遊ぶ。するとビスヌンが、「ペプシおごって」と言い出し、まわりの子供達もペプシペプシと騒ぎだした。前はボートを出してくれたからそのお礼におごったけど、今回はないよ、おごれない、
というと今度は「ルピー?」と言い出したので少し面倒くさくなりはじめ、ビスヌン、そうやって誰にでもルピールピーってお金をねだるのはいい子のすることじゃないぜ、と叱ると「じゃあもう言わないから、僕いい子?」うん、いい子。割と素直にきいてくれた。アユーシュは皆がたかってくる間何一つ言ってこなかった。えらい子だ。
アユーシュ達と別れ18時、プジャーを拝みにメインガートへ。至近距離で、撮る、撮る、撮る。炎がゆらめいて美しい。このゆらめきが撮りたくてわざわざ舞い戻ってきたのだバラナシへ。
夜もまた宿でいただき、日本人宿だけに9割が日本人客なので、日本語で日本人としゃべる。なんと容易いのだろう日本語。22時過ぎまでしゃべりたおして、就寝。
待ちぼうけにも程があります
夜中に蠢く蚊とねずみのせいで安眠できず、7時半には目を覚ましてしまい、宿の朝食をいただき、さっさと荷造りをすませチェックアウト、リキシャをひろい駅へと向かう。
10時20分発の電車だったので10時前に到着し、ホームへ出ると「ちょっと遅れとるから11時15分やで」と係のオッチャンに言われ、腰をおろし待つ。そこに宿が一緒だった日本人の方と会い、共に待つ。
12時を過ぎても一向に電車が現れる気配はない。隣にいたインド人ファミリーの写真をとって時間をつぶしたりするも、一向に来ない。12時半、ようやくきたと立ち上がると「あれはパトナー行きだよ」逆方向の電車じゃないか。肩を落とし再び待つ。がしかし一人でなくて助かった。荷物を置いて売店やトイレに行ける。
どこからともなく「14時まで遅れている」という声を耳にし、愕然とする。ひたすら待つ。「15時半になったらしいよ」あきらめ、心を無にすべく何も考えないようにする。
不確かな「〜時らしいよ」という情報を信じないことにして、ただただ待っていると、あら?西の空に陽が沈み始めた。17時半。今度こそ来た!と喜び勇んで電車へ乗り込もうとしたら「それジョードプル行き・・・」また、違う・・・ここで一緒に待っていた日本人の方がリタイア。ガンガーへと戻っていった。一人残った僕は、「忍耐やで・・・」と自分に言い聞かせ待つ。
18時20分。なにやらまわりがざわざわし始めた。アナウンスに耳をすませると「6番ホームへ変更」慌てて移動する。ついに・・・
8時間遅れでようやく僕の乗る電車が到着した。勝った。長い戦いだった・・・。上のシートに座っていたバラナシ大学の学生に「ガヤに着いたら教えてください」とお願いし、眠る。が朝からろくに食べておらず空腹のピークに達してしまったため、ネパールで別れたコーズイさんがくれたカロリーメイトポテト味を貪る。貴重な非常食。少し落ち着きを取り戻しまた眠る。22時50分、学生さんが「着いたよ」と起こしてくれなければ寝過ごしていたにちがいない。
慌てて飛び降り、目的地ガヤへ到着。もう深夜近く、バスも終了していたため乗り合いリキシャを拾い50ルピーでブッダガヤへと向かう。寒い。肌寒い、とかではなく、寒い。30分程で着き、オームゲストハウスという宿の100ルピーのシングルルームへチェックイン。ひたすら待った一日だった。
仏様を思ってみる
9時前に目を覚まし、オームゲストハウスと隣接されているオームレストランで朝食をとる。台湾から仏跡を巡りにやってきたオバチャンと少しおしゃべりをして、寺巡りを開始する。ここブッダガヤは、遠い昔仏様が悟りを開いちゃった場所だそうだ。そのため各国の仏教寺院が軒を連ねているのだ。
タイ寺、ブータン寺、日本寺と立て続けにみてまわる。ヒンドゥー寺院のインド!という感じもいいのだが、やはり仏教徒ジャミラ、仏教寺院に入ると心穏やかになり、落ち着く。
そしていよいよ仏様が悟りを開いた場所、菩提樹のあるマハーボーディ寺院へ。他の寺院より格段に大きく、人も多い。サンダルを預け裸足で中へ入る。のどかだ。コルラしてさらに内部へ。思ったより内部は狭くくつろげる場所ではなかったので外へ出て、芝生で休憩。
ここブッダガヤも重要な見所は一日もあればみてまわれるので、翌日発つことを決め、次の町行きのチケットを予約し、ラッシー屋さんでバナナラッシーを飲む飲む。
宿に帰り読書。本って素晴らしい。あんな紙のかたまりが、時に人の心を動かし、知識を増やさせ、そして今僕のヒマを潰してくれている。
17時頃再び日本寺へ足を運ぶ。ここでは毎日座禅を体験できるということで、日々沢山の観光客が訪れているそうだ。既に始まっていたので座布団を借り正座する。一定の速度で読まれるお経と、スズメの鳴き声だけが広いお堂に響き、穏やかな気持ちになる。も、みるみるうちに足がしびれ、そっと仏様に思いを馳せたりする余裕などどこにもなくなる。穏やかな気持ちすらどこかへいってしまい「はよおわれ・・・」としか考えられなくなってしまう。未熟者めが。
小一時間で終了したはずなのに、とてつもなく果てしない時間に思われた。慣れないことはするものじゃない。陽は沈みもう辺りは暗いが、散歩へでかけてみる。するとマハボーディ寺院がライトアップされ燦然と光り輝いているではないか。おまけに豆電球で芝生にも電飾が施されているものだからクリスマス気分になり軽く浮かれる。
オームレストランでターリーとベジスープをいただく。適当な、雑そうな雰囲気のレストランだからあまり期待をしていなかったのだが、ものの10分でたいらげてしまうほどうまかったので驚いた。
スジャータスジャータ
8時に起床しオームレストランへ。一度うまいと知るとそこへばかり通ってしまう。ベジトゥクパトホットチョコレートという奇妙な組み合わせを注文。トゥクパはチベット料理なのだが、チベットで食べたものよりうまい、というかカレーラーメンに近い味だった。細かく刻んだ野菜もシャキシャキしてグッド。
荷造りをすませ部屋で本を読む。12時にチェックアウトし荷物を預け散歩へ。町を通り抜け橋を渡りスジャータさんが仏様にミルクないしミルクシェイクを飲ませた場所?へ。通りすがりのインド人に話しかけられ、新しくできたタイ寺をちらりとみて、さらに歩みを進めると、日本人の方に出会う。
日本人の支援でできた学校を手伝っているらしく、その学校を少し見学させてもらう。それからインド人のスタッフに事務所で色々と説明される。この学校がいかにしてできあがったか、今後どのようにしていくか、そして寄付を・・・と凄まじいスピードでしゃべられイェー、イェー、と相槌を打つのみであった。寄付を募られたのだが、今は申し訳ないができません、と丁重にお断りすると、意外にあっさり「分かりました」と。
毎回思う。お金で解決できることは、それは沢山あるだろうけれど、残念ながら僕には寄付できるほどの余裕なんてないし、困っている人や団体なんて際限なくあるわけで、何かお金以外のことができないだろうかと。がそんなことを思っているくせに青年海外協力隊などの非営利団体に参加するほどの奉仕心もない。結局何もしていない。何かはできるはずなのに。
それからスジャータの寺へ、畑のど真ん中を通ってゆく。ここものどかな風景が続いて和む。帰りにさっきの学校の先生とばったり会い、パムパムというたけのこのミニチュアのような形をしたじゃが芋味のものをもらって食べる。
そこで「子供達に休みあけの給食の時間にビスケットを配ってあげたいのだが、寄付のかわりにビスケットを買っていただけないだろうか」とお願いされる。それなら、と80ルピーで何十人分のビスケットを買ってあげた。「ありがとう。」
先生の知り合いの車に乗って町まで連れて帰ってもらい、オームレストランへ。ターリー。チャパティのかわりにプリーを。ハズれない。うまい。空腹を満たしたところで日本寺にある図書館へ足を運ぶ。
日本の本が!大量に保管されているではないか。ネパールで途中まで読んで続きが気になっていた風の谷のナウシカをみつけたので読む。あと二冊で終わる、のに閉館時間がきてしまいまた中途半端なところで止まってしまった。
再びお堂で座禅に挑戦する。座禅スタイルであぐらをかく。がやはりしびれてきて思考があやふやになりつつあったので時々正座に変えたりしてどうにか耐え忍ぶ。一時間ほどで終了し、少し休んで三度オームレストランへ。今度はベジエッグトゥクパを注文。ちょっと贅沢して卵を追加してみた。相席のオランダ人のオバチャンと少ししゃべり、宿に戻り荷物を担ぎリキシャでガヤ駅へ。
前到着した場所と違うところに着いてあたふたしていたので、リキシャのオッチャンが階段まで案内してくれた。ダンニャワード(ありがとう)。電光掲示板をチェックしてホームへ。まだ出発まで二時間もあるが、待つのには慣れた。八時間まで待てます私。
その二時間後、21時40分になってもやはり電車は来ないので、もう一度掲示板をチェックしにいき、ホームに戻ると日本寺でみかけた日本人のケンさんとヒロシさんに再会し、共に待つ。
すると隣に一人ぽつんと心細そうに電車を待っている女の子がいて「あなた達の電車は何時?」ときいてきたので答えると「同じハウラー行きだけど私のほうが一本早い便みたい」。それからその子も一緒に待つ。デンマーク人のマライカ。サリーを着てバックパックを背負っている。か、かわいい・・・。マライカはスワヒリ語で天使という意味だそうだ。エンジェル・・・。
12時を過ぎたころようやくマライカの乗る電車がきて、「またコルカタで会おうね!」とひとまずの別れ。さらに僕達日本人は待つ。近くにトイレがみつからなかったので、他のインド人達がやるように、線路に向かって放尿。日本でこんなことしたら、駅長室へすぐさま連行だろう。
深夜2時、ついにきた。ようやくきた。今回は四時間待ちですんだのでラッキー、と思ってしまうのは僕だけだろうか。日本で電車が四時間も理由なく遅れたら大問題だろう。でもここはインド。
さあS9の車両に乗り込もう、としていたらごった返すインド人のせいで中々乗れない。もっと落ち着いて順番に入ればいいじゃない。あら?あらあら?なんか、おかしいね?電車、動いてるね?ちょ、ちょ待てよ!これを逃すと八時間待ちどころの騒ぎじゃなくなるじゃないか!必死で入り口のドアにつかまる。が30キロ近いバカみたいな荷物のせいでバランスを保ちきれず、落下。ずるずると引き摺られる。あはは、このままだと電車とホームの間にはさまってつぶされちゃいそう。あはは・・・
「おい!しっかりせんかい!」インド人数人に起こされ我に返る。と、電車が停まった。同じように乗れなかった客が他にも沢山いたのだ。なら出発するなよ電車。四時間も遅れておいて何をそんなに急ぐ必要があるんだい?
どうにか中に入れ、席へ向かっていると「おい早くいけよ!」と後ろから男がせかしてくる。が、前も詰まっていて急ごうにも急げないのだ。それでも尚「何やってんだよ!」とせかしてくるものだから、行けまいが前みてみいや!黙って待っとれや!と日本語で叱ってみたが日本語なうえに方言なので通じるはずもない。
とうとう席に落ち着き、眠る。毎度電車の旅は寒さに震えているからと、今回は多めに着込んでいるのに、やはり震えた。
再会に胸を焦がす
7時40分、目を覚ましジャミポッドを聴いていると、隣のシートだった台湾人のお坊さん、ピートにビスケットをもらい、しゃべる。旅の終わりに台湾へも訪れるつもりだと話すと、「じゃあうちへ寄ってください」とお寺の住所と連絡先を教えてくれた。
11時をすぎたころ、電車が停まった。着いたのだ。目的地ハウラー駅(コルカタ)へ。別の車両に乗っていたケンさんヒロシさんと合流し、タクシーをつかまえてサダルストリートという安宿街へ。15分程で到着し、マリアというゲストハウスへチェックイン。確かマライカもここに泊まっているはず・・・。が姿は見当たらない。
とにもかくにも腹が減って仕方がないので、三人で近場のフライドチキンレストラン、という鶏肉っぽい名のレストランへ。チキンは頼まずエッグカレーとナンをいただく。
うまい。少々高めだから、うまくて当然だ。
たまりにたまっていた洗濯物をやっつけ、すっきりしたところで散歩へ。路地裏の少年気取りであちこち訳も分からず歩きまわる。モイダン公園というところに辿り着き、あまり綺麗ではないがのんびりできそうなので、あまり綺麗ではない池のほとりに腰をおろし日記を書く。
それから公園沿いを歩いていくと、ミュージアムのような、大きな建物が目についたので、入ってみようと思ったのだが、行列、そして入場料がいくらかかかるということでやめておくことにしてそのミュージアムの周りをうろついて入った気になる。道端でピーナッツを購入し、近くにあった別の公園で一人むさぼる。まわりは家族やカップルばかり。その中に一人小汚い日本人とピーナッツ。異様だったにちがいない。
聖ポールの教会をみつけたので、クリスチャンではないが参拝してみる。中庭に羊、の像が何体か置いてあるのだが、全員ずっこけて虚空をみつめている。彼らは一体。ひたすら哀愁を漂わせていた。
本格的に教会なので、多くの人が中でお祈りをしている。夕焼け時だったので教会のステンドグラス越しに陽の光が差し込んで美しかった。
宿へ戻りバケツ一杯の熱湯を持ってシャワーを浴びる。やはりシャワーは湯でないと。さっぱりして部屋でまどろんでいると、コンコン、誰かがノックしてきた。「ハイジャミラ」マ・・・・マライカーーーーー!!!!!!!!
わざわざレセプションで僕達の部屋をきいてたずねてきてくれたのだ。ハグをして再会を喜ぶ。昨日会ったばかりだけれど。そして、あからさまに赤面する私ジャミラ。夜一緒にご飯を食べる約束をして、再び部屋でまどろむ。
19時、ケンさんとヒロシさんも帰ってきたのでマライカと四人でブルースカイレストランというところへ。マライコフタ、ナン、パニールというものをマライカとシェアし、マンゴーラッシーで乾杯。うまい。このうまさはきっと、単純に食べ物だけのうまさ、ではない気がする。電車で出会ったピートとも再会して、皆でしゃべる。ああ、楽しい・・・!浮かれている。
宿に戻り部屋で大富豪。ルールを教えるとマライカは大体知っていた。同じようなゲームがあるらしい。世界共通のおもしろさ大富豪。「にしてもこのトランプかわいいね」とマライカ。くまのプーさんトランプを持ち歩いていてよかった。
22時すぎまで遊び、また明日ねと約束して眠る。あはは。何を浮かれているのだ。
動物園で胸を焦がす
10時を過ぎてもごろごろと寝ていたら、コンコン、はっ!このノックは!一発で飛び起きる。マライカいらっしゃい。実は今日の午後もうチェンナイという町へ向けて出発してしまうというのだ。そんな殺生な・・・。時間を惜しむべくブルースカイレストランで朝食をとり、動物園いこ!と四人でタクシーをひろい向かう。さながら遠足気分。
入園料が驚きの10ルピーという安さだったのでさらに浮き足立ち、調子に乗り飴ちゃんを購入し入園。元来動物園好きの僕だが、今日はさらに楽しさ倍増だ。クジャクさんに何かよく分からない鳥さんにトラさんにやる気のないライオンさんにゾウさん、そして、コルカタ動物園名物ホワイトタイガーさん。
そのホワイトタイガーさんを見たときのマライカさんのはしゃぎようを見て、誰かさん更にはしゃぐ。誰だ。写真をこれでもかと撮り続け、途中アイスクリームを買って食べ歩く。こ、これはまるで、中学生のデイト。初々しい気分だ。
13時すぎ、そろそろ帰らないといけないので、タクシーで宿へと舞い戻る。が渋滞。すると隣を走っていたバスに「India is Grate(greatすんばらしい!ではなくgrate。不快だ)」とインド人自らインドを皮肉ったようなペイントが描かれてあったのでマライカがクスクスと笑う。 それを受けぐふぐふと笑う男ジャミラ。
宿で荷物をまとめ、マライカは駅へと向かう。タクシー乗り場まで見送りにいって、「また会おうね!」とハグして別れる。取り残された三人の男。「なんかさびしいなあ」と。
特にやることもなくなってしまったので、インターネットをしていると、チベットで出会い、ネパールで再会し別れたタカさんミエさん夫妻から「今カジュラホいてるんやけど、なんかジャミラのこと知ってるていうインド人と一緒におるで」とメールが。な、なぬ!?もしやそれ・・・
すぐさまジャミールの携帯に電話をかける。「ハロー」ジャミラやけどさ、日本人のカップルおる?「おージャミラ!いるよ!ちょっと待ってね」「もしもーし!」やっぱり!夫妻は僕の去った少し後にカジュラホを訪れ、そこで偶然にもジャミールの客引きにつかまり、ジャミラという、他にそんな名前のヤツ二人といないような日本人の名をきかされピンときたそうだ。やや興奮気味にしゃべり、コルカタかどこかで会えたらいいね!と再々会を願う。狭い!世界は。
それからケンさんとハウホアレストランという中華料理屋へ行き、ワンタン、炒飯、ローストチキンと贅沢なメニューを食べる。しかも、もうすぐ帰国するからとケンさんがご馳走してくれた。ありがたや・・・厚くお礼申し上げ、それから旅行会社へ赴きバスのチケットを購入する。マライカのいなくなった今、コルカタに用は、ない・・・。
17時、ケンさんとプラネタリウムへ。まさかインドでプラネタリウムを拝めるなんて思ってもみなかったので、またしても遠足気分になる。18時すぎにスタート。しっかり持参してきたメガネをかけて天井を見上げる。英語で星の説明をされるが、ほとんど分からないのでただただお口をばっかんと開けたまま見上げる。
きれいだな。30分ほどで終了し、宿へと帰る。ヒロシさんはまだ一人でどこか出歩いているので、ケンさんと二人ブルースカイレストランでトマトポテトカリー、タンドリーチキン、ナンとマンゴーラッシーをいただく。
シャワーを浴び軽く荷造りをすませ、部屋で男三人語る。インドのことや、これからのことや、秘密結社フリーメーソンのこと。毎度この秘密結社の話をすると盛り上がってしまうのだ。23時半就寝。
ひとまずさようならインド
5時にアラームで目を覚まし、顔を洗い荷物をまとめ、ヒロシさんに別れを告げ、一人薄暗い町を歩く。ショハグパリバハンというバス会社のオフィスへ向かい、待つ。
6時、大きなバスに乗り込み、出発。まだまだ眠たかったので、ジャミポッドを聴きながら熟睡。しばらくすると起こされたので何事かと思うと、なんとお弁当と水が配られているではないか。まるで日本のツアーバスのような待遇。感激しつついただき、再び眠る。エアコン過剰で寒さを覚えつつ。
10時、国境へと到着した。そこで両替をする。2000ルピーが3200タカに。タカって何だ。他の乗客の流れるままにイミグレーションへ向かい、出国手続きをすませる。
そう、僕は世界一の人口密度を誇る喧騒の首都ダッカのある国、バングラデシュへと向かっているのです。バングラデシュに何があるかなんて、やっぱり知らないけれど。とりあえず人がうじゃうじゃらしい。楽しそうじゃないか。
北インド(2007年11月4日〜12月11日)
バングラデシュ日記へ