アジア諸国とは全く違う無機質な発展国

マレーシアを出国し、シンガポール側の入国イミグレーションへ。するといきなり建物が豪華になっている。国の違いがみてとれた。入国カードに記入し、しばらく並んで、入国。

再びバスに乗り込み出発。30分ほどでシンガポールのど真ん中に到着。高層ビルビルビル。民家なんてありやしない。

誰かが持っていた某地球の歩き方東南アジア編をみながら、コージーコーナーという宿をみつけチェックイン。が、屋上の簡易ベッドしかあいてないらしく、渋々そこへ。これで12シンガポールドル(約840円)もするとは、物価のギャップにおののく。

腹ごしらえをしに外へ。歩きまわったもののあまり見つからず結局宿のすぐ近くの食堂でチキンカツ定食を注文。3ドル。高いんだか安いんだか。

それから、もう10人中11人ぐらいはそう答えるであろう、シンガポールといえばのシンボル、マーライオンを一応拝んでおくべく歩く。

人に尋ねつつ歩き、橋を渡ると

ンガーーーーー

あ、いてはります、いてはりますよ、無表情で淡々と海に向かって水、吐いてはりますよ・・・!全く期待していなかっただけに思ったより随分、嬉しい。マーライオン。遠近法を用いて写真撮影。マーライオンが吐いた水が自分の鼻の穴につきささるアングルで撮影。それにハマり四人で橋の上で不気味に撮影会。

身近でみると、尚、大したことないただの像だった。これがもてはやされるのは、これがシンガポールという、歴史の浅い国にあるからだろうきっと。

歩き疲れくたくたになり帰る。そして12ドル支払って半ば野宿のような屋上で眠る。

ネパールの兄弟、プラカシュと感動の再会

寝苦しい。屋上でも蚊は容赦なく飛んでこられるらしく、寝ていられない。蚊帳を張り巡らせると今度は扇風機の風が入ってこず暑くて寝られない。

9時半、寝心地最悪の屋上での一夜をこえ起床。朝食はタダらしいので、トーストとコーヒーをいただく。それからインターネットで航空券を検索。シンガポールから、もう、飛びます私。翌々日の安いチケットを見つけ、もう、とっちゃいます私。予約完了。タイガーエアラインで180シンガポールドル。破格の安さに乾杯。

そして、今シンガポールでホテルマネジメントを学んでいるネパールで知り合った我が兄弟、プラカシュに電話をかける。午後には時間ができるというので、それまで適当に時間をつぶす。

キムさんとタスクはマーライオンをみて用がなくなったので、散り散りに消えていった。

手持ちのタイバーツを両替し、インターネットをしたり、ショッピングモールを散策したり。スーパーでインスタントヌードルとサモサを買い宿に戻る。粗食。

プラカシュにもう一度電話すると、「駅で待ち合わせしよう」と。近くのブギス駅という響きのおぞましい駅の改札口で、ヤギ子とドキドキしながら待つ。涙の再会スペシャルが密着していたらいい画が撮れたに違いない。

が、ひたすら改札をみつめていたら見事に妙な方向から突然現れ「ジャンゴーーーー!!!」不意打ちに驚きがっしりとハグ。ここはスローモーションで放送すると視聴率が上がっただろう。

どしたんプラ!お前太ったなー!「どしたんジャンゴ!どうやったらそんなに痩せこけるの!?」とこの数ヶ月ですっかり変わったお互いを罵り合い、プラの友達も一緒に四人でブギス駅のフードコートへ。せっかく会えたんだから、今日はオレとヤギ子がおごるよ、とモール内の小洒落たレストランへ行こうと誘ったのだが、日本人的に気を使われ結局安めのフードコート。

肉盛り、ヌードル、ナッツやなにかを炒めた物体、マーボー豆腐を頼んで皆でがっつり食べる。会っていない間におこった事や、プラのシンガポールでの暮らしぶりなどをきく。詳しくどういうことを学んでいるのか分からないが、その学校の先生だか何だかの家に住まわせてもらっているらしく、なら安心だね、と思いきやその家のベランダの小さなスペースで寝ているとかで、かなりひどい待遇だそうだ。

小遣いを稼ぐためにその先生だか何だかの経営するレストランでバイトをしているのだが、そもそも学生ビザで来ているプラカシュは働くことが許されていない。こっそりとバイトをさせてもらっているというのをいいことに、一日十何時間もコキを使われ大変な思いをしていると。

それでも同じネパールからきた友達もいるし、見た感じ太っているということは少なくとも食事はちゃんととっているだろうし、何より本人が元気そうなのでほっとする。

精算しようとしたら、「いいから!出すから!だいじょーぶ!!」と結局少し払わせてしまった。あかん、あかんでえ。

ともあれバスでイーストコーストロードというあたりへ。散歩。バスを降りるなり強烈な便意を催し近くにあったモスクでトイレを借り万事休す、ではなく九死に一生。

ビーチまで歩いて、写真をとったりしゃべったり。なんとプラカシュはシンガポールへ来て生まれて初めて海というものを見たそうだ。ネパールは内陸国だから。にしても、初めての海がシンガポールというのも、少々残念。汚いんやもん。アンダマンに連れてゆきたい。

帰りはタクシーで戻り、今度こそ払わすまいとヤギ子とがっちりプラカシュを押さえ込み、タクシー代を払いまた明日ね、と別れる。しかし、実際はきつそうだプラカシュ。この経験が将来、何かの役に立てばいいと切に願う。

旅した国々を思う

屋上生活も板についてしまい、ぐっすり10時まで寝て、朝食をとったら辺りを散歩。「無印良品」があるというので行ってみる。なつかしの無印。ノートを買おうと思ったが欲しかったものがないうえに、高いのであきらめ、さらにショッピングモール内をみてまわる。

モ、モスバーガーや・・・日本一好きなファーストフード店モスバーガーがここに・・・がやはり高いので断念。贅沢は敵。

ラッフル像という誰か全くしらない人の像をみて、高層ビルに囲まれた運河のまわりを歩き、そこに軒を並べるおしゃれなレストランのランチセットの高さにたじろぎ、退散。ここは私達のような平民の来る場所じゃないんだよ・・・

インターネットでニュースをみると、チベットが混乱状態にあるという。長い間武力制圧に耐えてきたお坊さん達が、ついに怒ってしまって、それをさらに中国政府が武力でおさえつけていると。ファーストフード店ディコスも破壊されたらしい。そこで働いていたチュドゥンやペマ、ロサのディコスガールズは無事だろうか。アルバイトをさせてもらったノマドカフェのシャンウェイ達は無事だろうか。

解せない。何一つ悪い事をしていないのに、いつも弱者は辛い目に遭う。

夕方、またプラカシュとブギス駅で待ち合わせ、近くの中華料理屋で食べる。今回はしっかり奢らせていただいた。

また夜の街を散歩。ドリアンみたいな気色の悪い形をしたドームを見物したり、飽きずにまたマーライオンを撮影したりして、皆でネパールにいるプラカシュの従姉弟、もとい僕やヤギ子の家族、サヌに電話をかける。

サヌも、子供達サモンラモンエモンも皆元気そうで安心。こうやって別れてもまだ連絡を取り合い、お互いがお互いを忘れずにいられることに幸福を覚える。

そうこうしているともう夜も遅くなり、翌朝早くから仕事があるプラカシュと惜別の時。明日僕もヤギ子もシンガポールを発ってしまうので、次会えるのは、いつぞや、いつか、分からない。

少しセンチメンタルな気持ちになったのを隠しつつ、バス停で別れる。すると「ジャンゴ、せっかくシンガポールまで会いにきてくれたのに時間なくて遊べんくてゴメンな、はいこれ。」といつの間に買ってきたのか、シンガポール土産のキーホルダーをプレゼントしてくれた。

ヤギ子と二人で今度こそ何かプラカシュにあげようと目論んでいたのに、結局何をあげれば喜んでくれるか分からず、何もあげられなかった。なのにプラカシュはまたくれた。本当は何だってよかった筈なのに。自分達の不用意を恨む。ありがとうプラ、大変やろうけどがんばるんやで!またネパール絶対行くけんね!

宿に帰り、屋上のベッドで日記を書きながら色々と考える。何か大きな動きをみせる前、それが今。いつもこういう時は実感がない。

さようならアジア、さようなら旅、さよなら、さよなら、さよなら

荷造りをすませ、朝食をとり、インターネットでデータを焼いたり、旅の整理をして、最後の贅沢じゃ、とショッピングモールでパスタを食べてしまう。カルボナーラなんていつぶりだろう。「今ならこのトマトスープがほんの2ドルで付けられますよ」という店員の口車にのせられ、さらに贅沢を。このうまさ忘れない。

宿をチェックアウトし、ブギス駅から電車でチャンギー空港へ向かう。30分程度で到着。窓からいくつか景色をみたが、なんなんだこの国は。ただただ無機質にマンションやアパートが並んでいたり、高層ビルがどかどかと建っていたり。中華系やインド系、マレー系の人間が集まってできた国だそうだが、じゃあ先住民は誰?誰がこの土地にいたのだ?

大きな小国シンガポール。発展している国らしいきれいな空港へ入り、なななんとスターバックスを発見し、最後の最後の贅沢にアイスラテのトールを注文。5.3ドル。ギャー。罰が当たりやしないだろうか。

そうこうしているとヤギ子のフライト時間が迫り、ここでお別れ。ヤギ子はインドネシアへと飛び立つのだ。また日本で会いましょう。

シャトルバスでバジェットターミナルというところまで移動し、タイガーエアラインのカウンターでチェックイン。さらりとイミグレーションを通過。出国。

待合室で残ったシンガポールドルを消化すべくまたもやコーラなどという贅沢品を買い、無料のインターネットをみつけたので十分ほどすると搭乗時刻に。

15時45分。飛行機に乗り込む。いよいよさようならアジア。旅もひとまずおしまいです。一時強制帰国をはさみつつも述べ10ヶ月近く旅をしてきたアジア。さようなら。僕はこれからしばらく出稼ぎ労働者になるべく

でっかい四国オーストラリアへ向かいます。

オーストラリア日記


シンガポール(2008年3月16日〜3月19日)