私の聖地・・・胸の高鳴り

わずか40分のフライトを経てついに着陸。ス・リ・ラ・ン・カ。胸の奥のこのこそばゆい感じ。ドキがムネムネとはクレヨンしんちゃんのお言葉だがまさにそれ。飛行機を降り、キャー!!特に何もないのに。そして、荷物受取所までの道のりに「Welcom To Sri Lanka」という看板をみかけてキャー!!!それだけなのに。あの御方はこの国で生まれたのだ・・・。

イミグレーションをぬけてついに入国、キャー!!!!スタンプ押されただけなのに。空港を出て、両替屋を探す。ない。キャ、キャーちゃうわ。困った。すると怪しげな男に話しかけられ、「両替してやるよ」と。

無視を決め込んでいたのだが誰に尋ねても空港内には正規の両替屋はないとのことなので、仕方なくその男に両替を頼む。1インドルピーが2.1スリランカルピーになると。極悪レートやないの・・・。1インドルピーは3スリランカルピーぐらいなはず。が、他に手立てはないので少しばかりを両替し、バスターミナルまでの無料シャトルバスへ乗り込む。

「お降りの際は、ボタンを押して下さい」あれこれ日本車。少し親近感をおぼえ降りもしないのにボタンを連打。

バスターミナルでスリランカの中心コロンボ行きのバスへ乗り込む。つい先日市民バスを狙った自爆テロがあったばかりなので、怪しい人間が乗っていないかぎょろぎょろと警戒する。腰に爆弾巻いてないよね?そこのオッチャン?パイナップル爆弾買い物カゴに入れてないよね?そこのオバチャン?

バス停ごとに一人づつ大きな銃を抱えた軍人が立っていて、警戒している。これなら大丈夫かな〜、とすぐに気をぬき、ジャミポッドでルルルと歌う。だってここはスリランカ。もしかしたらあの御方が幼き頃この通りを歩いたかもしれない。あの店で牛乳を買ったかもしれない。そう考えただけでルルルと歌わずにはいられない。あの御方?

あるところにマヤという女の子がおりました。その女の子はイギリスはロンドンで生まれ間もなく両親の生まれた国スリランカへ連れられ、そこで育ちました。スリランカではシンハラ人とタミル人という二つの民族が共存していて、少数民族のタミル人は総人口の80パーセントを占めるシンハラ人の支配するこの国に不満を抱えており、何で公用語がシンハラ語なんだ、もっとタミルの文化を尊重しろ、なんなら分離して独立させろ、と政府に反発し、タミルイーラム解放の虎、通称LTTEという反政府組織を結成し、30年も昔から戦い続けているのです。そして少女マヤは、タミル人でした。さらにマヤの父親は、アルラーというコードネームで活動するLTTEの指導者でした。

マヤが9歳の頃、激化する戦いに、三日間でたった一つのパンしか食べられない苦しい生活に耐え切れず、マヤと弟、母親は彼女の生まれたイギリスへと亡命しました。

時は流れ、イギリスはロンドンで育ったマヤは、ヒップホップなどあらゆる音楽を好きになり、アートに興味を持つようになり、自分でも色々とデザインをしたり、ミュージシャンのプロモーションビデオを作ったりとクリエイティブな活動に精を出していました。そんな時、ピーチズという、卑猥な歌詞を連呼して卑猥なパフォーマンスを繰り広げる非常に他に類を見ない個性的な女性アーティストのツアーに同行していたマヤは、彼女から「あんたも何か音作ってみれば?」と勧められ、「あら、やっちゃおうかしら」と一台の機械を手に音作りを始めました。

すると見る見るうちにその才能は開花、爆発し、M.I.A.というアーティスト名でより本格的に活動を開始しました。M.I.A.とはMissing In Action、戦闘中行方不明者を意味します。つまり彼の父親。自分の体験してきた過酷なスリランカでの日々や、内戦の実情などを歌詞に盛り込みつつも、あくまで音を楽しむマヤに、人々は魅了されていきました。そしてついにアルバムデビューを果たします。アルバムのタイトルは「アルラー」。

2005年初頭、遠く離れた地NIPPONトーキョーで、とある一人の青年が、彼女の音を耳にしました。彼は思いました。なな、なんじゃこれ・・・、こんな音、耳にしたことがない、それから再生ボタンを何度も押し続け、気がつけば彼女の虜になっていました。いまだかつてこれほどまでに心が躍り、高揚し、中毒化し、尊敬したアーティストはいないとばかりに。


(参考資料:ジャミラ!M.I.A. OFFICIAL WEBSITE

一時間弱でコロンボに到着、人に尋ねつつYMCAという宿泊施設へ。「ドミトリーは満室ですね。ダブルルームならありますが」。当方単身ですので隣の宿へ。「満室だわね」困り果て駅の近くに宿はなかったろうかと歩いていると、「ニホンジンデスカ?」とスーツを着た怪しげなスリランカ人に声をかけられた。

バングラデシュで散々日本語を話す濃い顔の連中には慣れていたので、驚きはしなかったが、少し警戒をしつつ、そうですが、と答えると、流暢な日本語で「去年まで語学学校と貿易の勉強のため横浜に住んでいました。私はサミーラです。」左様でございますか、私はジャミーラと申します。名前に親近感。

「宿を探してるの?一緒に探してあげようか?」と言ってくれたので、お言葉に甘える。駅の近くの何軒かの小さな宿を共に尋ねてくれ、僕のかわりに値段をきいてくれるのだが「どこも1000とか800ルピーだね。」え!1スリランカルピーはおよそ1円。千円てこと!?無理だよそれは泊まれないや・・・。

「そうだね、ちょっと高いかもね、だし、あそこは危なそうだからやめといたほうがいいよ。ボクんちの近くに安い宿あるけど」とサミール。が、少し離れたところにあるというし、どうせコロンボには何泊もするつもりはないから、有難いが、あきらめてYMCAに泊まることにします。「じゃあ、何かあったら電話してね、あボク保険会社で働いてるんだ」と電話番号を渡され、別れる。

YMCAに戻り、ダブルルームに泊まります、単身だけど。とチェックインし、部屋へ。部屋どこ。A3て何その部屋番号。迷路のような建物だ。二、三度迷い到着。部屋が広いのはいいのだが、風呂とトイレが部屋にない。それで565ルピーは高かろう。コロンボに特に用はないし、妙に落ち着かないし、もう明日移動してしまおう。

大荷物と共に行ったり来たりを繰り返したので、滝のように汗をかいた。シャワーを浴び、スッキリしたところで駅まで情報収集をしに。小雨が降りしきる。窓口で、キャンディという町へ向かう電車の時刻をきくと、一日に何本もあるということなので、明日発つことを心に決める。

大雨。スコールの中駆け足で宿まで帰る。安食堂なんて探してられないので、宿の向かいのレストランへ。イリヤバコット(そう聞こえた)という焼きビーフンのような物体と、クリームソーダを注文。スリランカなんだから、セイロンティー、お紅茶の名産地なんだから、紅茶にしておけばよかった。このクリームソーダ、おっさんの整髪料みたいな味がするんだもの。

相席していた男と少ししゃべる。スリランカは今の時期いっつもこんなふうに雨が降るの?「いんやー、今日からだね。昨日までは晴れてたよーそりゃもう。」あ、やっぱり。ボクが上陸するタイミングで。

食べ終わってしばらく雨が止むのを待っていたのだが、一向に止む気配がないのでずばばばと雨の中を駆け抜け部屋に戻る。A3どこだよ。また二、三度迷い到着。

ウェルカムウォーター的に部屋においてあった怪しげな水を飲む。うむ、普通の水だ。ベランダへ出てみると、おやまあよく見えますこと、ヒルトンホテル。一体一泊いくらするっていうのだろうあちらは。

そばかすなんて気にしないわと気丈に歌う娘と関連性があるのか気になる町

荷造りをして昨夜と同じレストランで朝食を。三角パラタおむすび、のような、他に例えようのない物体と、クリームソーダの教訓をいかしチャイを注文。パラタおむすびは中にカレーのようなものが入っていてなかなかうまい。チャイ、ちょいとこちら甘すぎやしねえかい?と江戸っ子なら言わずにいられないほど甘い。

両替をしたいのだが、銀行ではインドルピーを取り扱ってないらしく、街の両替屋さんを何軒かまわり、念のため正規のレートをインターネットで調べる。1インドルピーは2.72スリランカルピーだそうだ。なるほど。一番レートのよい、1インドルピーが2.7スリランカルピーのところで替える。空港は確か2.1の極悪レートだったような。悔しいが仕方がない。

宿に戻りバックパックを担ぎチェックアウト。駅で3等席の一番安い切符を買い、ホームへ。日記を書きながら待っていると10時に列車が到着、乗り込む。胸が高鳴る。もしかするとあの御方がこの列車に乗っていたかもしれないじゃないか。

走り始めたと同時にジャミポッドを再生。向かいのスリランカ人とおしゃべり。窓から顔を出すと、車両と車両の間のスペースに立っていた若者が、片手で取っ手を掴んで列車からはみ出してこっちに手を振ってきた。こりゃどうも。

わなわな・・・徐々にジャングルジャングルしてきた。これだ。こういうのを待ち望んでいたのだ。「世界の車窓から」で放送されていそうなこの感じ。車窓からジャングル眺めて一人大興奮。

各駅停車らしく、のんびりと進みゆく列車。電車というよりも列車と表現したほうがしっくりくる。すると隣に座っていたじっちゃんとばっちゃんが、「これ食いな」とクラッカーとクッキーをくれた。ィストゥーティ(ありがとう)!

どんどん、ずんずん緑が濃さを増していった頃、約三時間の「世界の車窓から」の末、かつての古都キャンディに到着。駅を出て、恒例のここはどこ。わたしはだあれ。

とりあえず歩いてみる。すると、どこか見覚えのある西洋人の女の子がバックパックを背負い立っている。向こうもそう思ったらしく「どっかであなた見たことあるんだけど・・・」と話しかけてきた。

はっもしかして、インドのバラナシで会ったかも!ね!スイス人でしょ!モナリザレストランで少し話した!「あ!そうだわ!あっひゃーすごい偶然!今ついたの!?あ、あたしアンジね。」うん、宿探そうとしてるんだけど、ガイドブックの類何一つ持ってないからね。「それなら、今このスリランカ人に宿紹介してもらうところだから、よかったら一緒に行く?」い、いぎゅ!

いよいよ世界の狭さを実感し、地元の学生だというそのスリランカ人に、ピンクハウスという宿までつれていってもらった。スリランカはゲストハウスと言っても、自宅の一部屋お貸しします、といったアットホームなタイプの宿が多いらしく、ここもそういった、人ん家タイプのゲストハウスだ。

とてもフレンドリーな家族が出迎えてくれたのはいいのだが、一泊500ルピーと少々お値段がはる。今晩はここに泊まり、すぐにでももっと安い宿をみつけないと破産してしまう。

他にも数人スウェーデン人やドイツ人が宿泊していて、皆と中庭で少ししゃべる。そして猫。とてつもなく可愛い猫がやってきたので激写。ズームにして鼻先の肉々しさまで撮影。

宿探しへ外を散策。歩いていると「ニポンジンデスカ?」とまたもや日本語で話しかけられる。ランカンという名のその男に、安宿を探しているんだと告げると「バーミーズレストが一泊150だよ」と教えてくれた。ひゃ、150!?安すぎやしないか!?教えられた道をたどってバーミーズレストを目指す。

そんなの無いやんさ、言われた所に宿なんて一つもないよ。と迷い、近くの店の主人に尋ねると「ほら、あんたの後ろ」ふりむくと、廃墟のような古ぼけた建物の入り口に小さく「BURMESE REST」と書いてあった。なんだここは。恐る恐る中に入り、ごめんくださーい。「はいはい」

愛想の良いオッチャンが登場。ここが150ルピーで泊まれる宿だときいたのですが「そうですよ。部屋みますか?」ぜひとも。「ここはビルマ人の僧侶の宿なのですが、一般の方も泊まれるようになってるんです。」ほほう、それでさっきからお坊さんがちらほら。「あそこのポットのお湯で、紅茶飲み放題ですよ。キッチンも使えるので自炊もできます。」素晴らしいですね。「メディテーション(瞑想)ルームもありますよ〜」なんと!「はい、こちらが部屋です」

ベッドが二つに蚊帳もしっかり備え付けられており、さらに勉強用のテーブルと椅子。広々としていてさらに窓を開けると日当たりよくがぽかぽかとしている。これで一泊150ルピーですか!?本当に!?「はい、まあ、うちは商売目当ての場所ではないですからねそもそも。」

お紅茶をいただき、オッチャンとお坊さんとおしゃべり。「これもどうぞ、食べなさい」とヨーグルトとパパイヤとリンゴもいただく。中庭には亀が五匹も離し飼いにされている。亀!

19時過ぎまでお邪魔して、オッチャンに教えてもらった近くのレストランで夕食。ライス&カリーが美味しいらしい。辛い。辛い。店長にシンハラ語を少し教わり、ヒーヒー言いながら宿へ帰る。

スイス人のアンジに今しがたみつけた素晴らしい宿の事を教え、皆で酒盛りをしていたので参加し、ウォッカを少し飲む。おえ。色々と語り合い、猫をいじりたおし、22時過ぎ就寝。

このゴーヤチャンプルを和食だと思わないでください

7時半、早々にピンクハウスをチェックアウトし、バーミーズレストへ。お坊さんのカヴィが部屋へ案内してくれ、チェックイン。コーヒーとクラッカーをいただき、早速のんびりとおしゃべり。

外を散策。パンをかじりつ。散策。んが。あまり特に何もないかも。とかく、少しのんびりしていこうここでは。

宿に戻り、ティーをいただきながら皆とおしゃべり。それから、食材の買出しへ、歩きだした途端雨がふりだした。ゴーヤ、じゃがいも、米、卵、チキンキューブを買って帰る。久々の自炊だ。

ゴーヤチャンプル。ではなくナニかを適当に炒めただけの、物体が出来上がった。そして食材を使いきらんばかりの勢いで作ってしまったので、皆にも食べてもらうことに。

「ほほーう、これがジャパニーズサムライフードってわけかい」オーストラリア人のゲイリーや、お坊さん達に食べてもらうと口々にうまいとは言ってくれるのだが、お恥ずかしい。これが和食の真髄だと思われてしまっては日本の皆さんに申し訳がたたない。ような炒め物体。でも味は悪くない。

次はカヴィが作ったビルマ料理、モハグ(ときこえた)という魚のスープ。アジアンフード独特のにおいがするがうまい。続いてスリランカ人が作ったフライドライス。辛。うま。

多国籍の人間が集まり、各国について語り合う。イラン人のアゥシャンというオッチャンと、オーストリア人のお坊さん、オーストラリア人のゲイリーに、ビルマ人のカヴィ、ニポンジンのジャミラ。それからスリランカ猫と亀。

夜は冷え込むのでブランケットを借りて部屋に戻る。

ハーバルハーバル

パンとチャイで朝食をすませ街をぶらぶら歩いていると、イラン人のアゥシャンと会う。「これからアリヤハラってとこ行くんだ。」アリヤハラ?「バスで一時間ぐらいのところにあるちょっとした観光スポット。」へえ。僕も行っていい?「もちろん。」

そこに何があるのか全く知らないが、他に用事もなかったのでバスでアリヤハラへ向かう。誰かと一緒にバスに乗っていると、ついつい甘えて熟睡してしまう。小一時間ほどで到着したらしく、アゥシャンに起こされ降りる。

ほほう。入場料に100ルピーもとられ、少し驚く。寝仏と、洞窟の中に、遥か昔に描かれたペイントがあった。すると突然スリランカ人が現れ、ガイドを始めた。頼んでないけれど勝手に説明してくるものだから、ついついアゥシャンは質問などしてしまう。

この近くにナランダという別の遺跡もあるというので、バスを拾ってそちらにも行ってみる。ガイドももれなくついてきた。間もなく着いて、1キロほど歩くとナランダ遺跡。入場料が必要らしいのだが、チケットカウンターらしきものはない。池に囲まれた小さなスペースに、申し訳程度遺跡があるだけだった。正直これに入場料は、払いたくなかったのでラッキーだ。

まわりには数軒民家があるのみで、あとは緑にあふれているので静かで落ち着く。そろそろ帰ろうか、とアゥシャンと相談していると、ガイドの男が「ハーバルガーデンが近くにあるから、ちょっと見てかない?」やはり、最終的にこのハーバルガーデンへつれてくるのが目的だったのですね。

というわけで、ちょっとばかり見学へ。サンダルウッド、ココア、レッドパイナップル等、まさにハーバルな、自然な品々を栽培している。ぐるりとガーデンを歩いてゆくと教室のようなところに辿り着き、そこで各種ハーバル商品のサンプルを試用。天然のココアをいただきながら、色々と試す。肌に優しい除毛クリームも試したものだから、脛の一部だけつるつるになってしまった。

さらに歩を進めると、マッサージコーナー。ハーバル商品を体に塗りながらしばしマッサージ体験ができる。言われるまま寝転がり、マッサージをしてもらう。いやはや気持ち良い。人に揉まれると何故こんなにも気持ち良いのだろうか。自分ではいくら揉んだところで大して気持ち良くないのに。

さすがにこれは無料というわけにはいかないな、と思いマッサージをしてくれた青年に心ばかりのチップを渡し、最終的にお店へ到着。うまいこと出来ているね。が、特に欲しいものはなかったので、退店。アゥシャンはまた次きた時に買いますと。買わないでしょう。

本当に良さそうな物ばかりだったのだが、いかんせん高いのだ。市場の平均価格がどれくらいかは知らないが、それにしても高い。

バスでキャンディへ帰る。またしても熟睡してしまいアゥシャンに起こされた。腹が減ったので夕食を。ライス&カリー屋が閉まっていたので、近くのムスリムホテルというところでフライドライスとヴァダを注文。にんにくがもりもりで臭かったが、元気にんにん。

宿でティーを飲みながらしゃべる。お坊さんのカヴィは考えが柔軟というか、お坊さんという人物に対するイメージとは全く別の人物で、とても話しやすい。ますます居心地の良い宿。

決意の40ドル、くつろぎのキャンディ

数日間、特に何もせずのんびりと過ごすキャンディの日々が続いた。

今日は、40ドルもする遺跡周遊チケットを購入した。こんなにも観光にお金を使うなんて、今までの自分からは想像もつかない進歩。だってここはスリランカ。あの御方が生まれた地なら、隅から隅までしっかとこの目に焼き付けておきたいじゃないか。それに、一応アジア最後の地だし。あとはささっと移動してしまうだけだし。たまにはしっかり観光もいいじゃない。

野菜を買ってきては自炊し、もぐもぐ食べながらおしゃべり。他にもシンガポール人、韓国人、アイルランド人、イスラエル人にカナダ人までやってきて、さらに多国籍さを増した。皆と世界地図を広げてああでもないこうでもないと指さしながら語るこの楽しさよ。ウキウキ感よ。世界は広いが、どんどん狭い。

明日からはしばらく周遊の小旅行だ。旅をしているのに明日から小旅行とはなにごとだ、と友達に言われたが、確かにそうだ。なにごとだ。だが僕にとってはただごとではない。しっかり観光をするのだから。

シギリヤズィギリヤロックだぜ

6時過ぎに起床、小旅行なのでいらない荷物は宿に預け、コーヒーを飲んでからアゥシャンと一緒に出発。そこらへんのバスに飛び乗って、適当なところで飛び降り、ガンガーレストランという、ハーバルフードのお店で朝食をとる。

ヴァダと、それから不思議な物体、お米からできているらしいのだが、見た目チョコレートケーキのようなものに、カリーをつけて食べる。う・・・ウゲ・・・・・ゲロ・・・・ゲロウマ。しかも体に良いときた。砂糖不使用、もちろん肉や魚も不使用、完全ベジタリアン、そして低カロリー。そいでもってこのウマさ。スリランカ人やるわね。右手でぺろりとたいらげ、バス停へ。

本日の目的地シギリヤ行きのバスは確か7時40分発、今はっと、7時35分。え!時間ないやんか!「あれシギリヤ行きだよ」と通りすがりの男に教えられたが時既に遅し。バスは発ってしもうた。諦めて、ダンブラという、シギリヤへの道の途中にある街へ向かうバスに乗る。

やっぱり甘えが生じて熟睡。「ジャミラ着いたで」起こされて到着。ダンブラのバスターミナルでシギリヤ行きのバスを探す。「次は12時発だね」今って10時。そんなに待てない。オートリキシャで行こうと値段交渉をするも、やはり高いので、仕方なくバスを待っていたら、10時半のバスがあった。あるんやん。出発。

出発するなり左手に、MIA TRADERSという何かの会社の看板をみかけ、思わず身を乗り出してしまった。MIAはもはやジャミラを狂わせる呪文。

30分程で到着、どれどれシギリヤいかほどかお手並み拝見、何があるのか知らないけれど。と少し歩いていたらどぅわ!巨大なお岩さんがそびえたっていた。か、かっくいい・・・。大きな空の下、緑に囲まれて一つどかんと大地に居座るお岩さん。

何枚か綴りになっている周遊券を見せ、シギリヤ用の部分をちぎられ、いざ登頂。ここで10年もガイドをしている誰々さん、というスリランカ人にガイドをされそうになったが、お金は払えないので断り、一つ一つ階段を登ってゆく。この鉄の階段が若干錆びているのがスリル。

のぼりきると、小さな洞穴のようなスペースがあり、中に係員が待ち受けていた。「はい、こちら」と目をやると、壁になんとも美しい女性が描かれている(本ページトップ画像ないしフォトページ参照)。これがうん百年も昔(多分)に描かれて、今も色あせないままその美しさを失わずにいるとは。あらゆる角度からグラビア撮影をして、階段を降り別の順路を辿る。

ドラゴンクエストの世界だ。なんて思いながら歩いていると、頂上に向かう階段の両端に、大きなライオンだかトラだかの、ひづめをかたどった岩が鎮座まします。ますますドラクエ・・・。そしてついに頂上へ!360度どこを見渡してもほとんど緑。国土の7割近くが緑(多分)というのもうなずける。やわらかい風をあびて少し休憩。そしてその風に乗り悠々と飛ぶ鳥を羨望の眼差しでみつめる。

下山。いや、この場合下岩と呼ぶほうがよいだろうか。ともかく降りていると、同じ宿に泊まっていたアイルランド人のジョアンナとカナダ人のウェズとばったり再会。いかに素晴らしかったかを伝えて、またねと別れる。

バス停まで戻った頃には喉がはりつかんばかりに渇いていたので、通常よりかなり高い観光地価格だが、コーラを買ってがぶ飲み。丁度バスが来たのでダンブラへ戻る。

レストランで軽く飯を食らい、ここでアゥシャンは別の地へ向かうのでお別れ。またキャンディかどこかで会いましょう。一人本日の宿探し。何軒か訪ねるもどこも少々高い。5軒目のグリーンハットという宿で交渉し、どうにか400ルピーまで下がったのでチェックイン。ここも民家タイプの宿だ。

ここダンブラには特に何もなく、ただシギリヤ近辺だともっと高いときいたから泊まりにきただけの場所である。シャワーを浴びて、辺りを散策する。寺やミュージアムがあるにはあるが、もう夕方でしまっていたので、ひたすら歩く。

すると道路沿いの家から「おーい!こっちおいでー」と呼ばれた。おいでーと言われるまま犬のように素直に行くと、家の中へ招かれ、チャイを出された。オッチャンとオバチャン、息子に娘達。突然通りがかった異国人に興味を持ったらしい。が、もしかするとこのチャイに眠たくなる粉が混入していたりしては危険なので、皆がそれに口をつけるのをさりげなく待つ。

警戒するのもばかばかしくなるほど皆がぶがぶと飲むので、僕もがぶる。オッチャンはもう既に晩酌を始めて酔っ払っているらしく、「やだようこの酔いどれは!」とオバチャンに叱られている。「ハハハ、オレはなあ、魚屋なんだぞうべべべ・・・」一人気持ちよくなっちゃったオッチャンを放置して息子のマッチ、娘のナディーシャ達とトランプで少し遊び、20時前お邪魔しましたと宿に帰る。

皆優しい。さて、明日はどこへ行こう。

ポロンナルワ、やっぱり遺跡はごめんなさい

たった一泊、寝ただけの町ダンブラを発つべく、荷物をまとめ早々にチェックアウト。昨夜の家族が経営しているレストランでパンとサモサと紅茶で朝食をすませ、次ポロンナルワってとこに行きたいんやけど、こっからバスってある?ときくと「あるよ、ちょっと待ってな。」と言い道路に出て、次々に通り過ぎるバスを鋭い視線で見るオバチャン。「よしあれだ!」とバスを止めてくれた。どこにポロンナルワの文字があるのかまったく分からない。シンハラ語表示しかないんだもの。ともかくありがとう!助かった!とお礼を言い乗り込む。

しばらく走るとバスが停車し、突如全員降り始めた。え?ここがもうポロンナルワ?いいえ。検問だ。スリランカ人全員、バスに乗るには身分証明を持っていなければいけないらしく、銃を抱えた軍人に掲示している。荷物検査もされ、僕もパスポートを掲示してみる。「ジャパニーズか?」そうです「ははは、そうか、OKありがとな」外国人よりも現地人に警戒しているらしく、僕はあっさりと終わった。テロ対策。

ついこの間、こういう民間のバスの中にテロリストが紛れ込んでいて、バスごと爆破、10人近い市民が命を落としたのだ。殺戮からは何も生まれないのに。

再びバスで走ること一時間、ポロンナルワに到着。降りるなりオッサン達にかこまれリキシャに乗らないか、レンタサイクルはいかが?とたかられるがそもそもどのくらいの大きさの町なのか、分からないので断り、とりあえずその場を去ろうと歩く。見事遺跡の入り口にたどり着いた。周遊券をまた一つ使う。そこからパレスだかなんだかの方面まで歩いていると、警備員のおっちゃんが「ちょっと距離あるから積んでってやるよ、乗った乗った」とバイクの後ろに乗せてくれた。

「ほらここだ。」ありがとう!ありが・・・と・・・遺跡だらけ。そりゃそうだ、遺跡を観に来たんだもの。が、着いた途端のこの言いようのないがっくり感は、何。古びた岩に何かしら彫られていたり象られていたりするだけじゃん。なんて口にしたら遺跡の人に怒られるかもしれないが、遺跡の人って誰だか知らないが、やはり僕には遺跡は合わないらしい。歴史を知れば深みもでてくるのだろうが・・・人には向き不向きがある。

あ、大トカゲ!と遺跡よりも通りすがりの大トカゲに興味を惹かれつつとりあえず全体をみてまわる。いくら遺跡は合わないとはいえ、大枚はたいて購入した周遊券をムダにするほど罰当たりな人間ではないつもりだ。突然のスコールに見舞われ、ドーム型の遺跡で雨宿り。お邪魔します・・・

少し小ぶりになった頃また歩きだす。が、疲れた。遺跡お腹いっぱいです。そこにタイミングよく出店を発見し、バナナ四本とブラックティー、パティスというサモサのようなものを食べながら休憩。

するとオッチャンたちが突然「大雨くんで」と店をたたみ始めた。んなバカな、

ザーーーーー!!!!大雨きた。なんで分かったん!?ときくと「音がすんのよ。」大雨の来る音って何だよう。ところでどっか安い宿知らない?「知ってるよ、俺の兄弟がやってるとこあるから、連れてってやるよ。」あ、じゃあこのあと寝仏拝みにいったらまた戻ってきますここに。

十分ほどでおさまり、寝仏を拝みに。こんな大雨が降っていたというのに、さすがは仏様、寝っ転がってらあ。さっきの店に戻ろうと歩いていると、まーたまた雨が降り出し、近くにあったオッサン達がたむろしているチケットのチェックポイントで雨宿りをさせてもらう。

「おーい!」さっきのオッチャンがオートリキシャで迎えにきてくれた。乗せてもらい、兄弟が経営するというアヌジャゲストハウスへ。600ルピーと言われたのだがそりゃきついぜとっつぁん、と500ルピーにまけてもらいチェックイン。

雨もすっかりあがったようなので、町まで歩いてみる。小さな川に沿って歩く。歩く。町どこや!40分近く歩いてようやく町へ戻る。すると今朝レンタサイクルだなんだのとたかってきた連中がまたやってきて、「まあまあ、ちょっと休憩してけよ」と引き止められしゃべる。

が、どうもしっくりこない連中。あまりずっと一緒にいたくない気質の連中。「マッチャン!なあマッチャン!」と僕のことをマッチャン呼ばわりし始めた。どちらかというと僕はミッチャンなのですが。「マッチャンってのはダチのことを言うんだよ。」あなるほど「マッチャン!なあなあマッチャン!」分かったからマッチャン連呼しないでくれよ。「マッチャン!たばこおごってくんない?」ええと、何故でしょう、どこにそのような義理がございましょう。「んだよマッチャンけちくせえな」情けない、大の大人がたばこ一本欲しさに倍近く年の離れたうら若き青年にたかるなんて。

面倒くさいのでその場を立ち去り、パンを買って帰る。途中スリランカンキッズの写真を撮りつつ。遠い。

17時半、持ち帰ったパンを食べたら夕食終了、なんとさもしい。まだ明るいので外へ出ると、隣の家のマノチと名乗る男に呼び止められ、家でティーをいただき、少し喋る。「ガンジャあるけど、やってく?」と誘われたがいいえ結構、と断ると「そっか、じゃあどっか行こうぜ」と連れ出され、どこかと思いきや昼間拝んだばかりの寝仏だった。まだ寝てるよ仏様。

疲れたのでマノチと別れ部屋に戻る。ヒ、ヒマ・・・。20時就寝。

アルナダプラ、遺跡はもうこりごりなのに

7時には荷造りを終えチェックアウト、レストランでヴァダ一個とチャイで朝食。これで61ルピー、高い。バス停まで行き、待っている人達にアルナダプラへのバスはどれですか?と尋ねる。「来るはずだけど、まだ見てないねえ」待つ。タクシーやリキシャの連中が「アルナダプラはバスターミナルからじゃないと行けないぜ、そこまで連れてってやろうか?」と言い寄ってくるが、そんなはずはない、このバス停にもとまるはずだ、と断り、待つ。

通勤途中のサラリーマンとしゃべりながら30分近く待っていると、「お、あれだよ!」ついにやってきて乗り込む。アルナダプラまで93ルピーだったので、紙幣で90ルピーと、2ルピーのコイン二枚を渡すと、「1ルピーお釣りねえや」と言われ、まあいいかとあきらめたら、走りだしてしばらくしてから「ほい」ときちんと返してくれた。普通なら皆面倒くさくてもしくはチップとして返さないのに。いいおっちゃん。

写真をとりながら走る。川でごく自然にゾウさんが水浴びをしていたりする。今回もやはり途中検問があった。三時間ほどしてアルナダプラ到着。今回はもう、昨日にも増して何があるのか分からない。昨日はまだ、遺跡がある、ということは知っていたが、アルナダプラにおいては、この周遊券が使える場所がある、ということしか知らない。それが遺跡なのか、はたまたシギリヤのようなでっかい岩の類なのか。そして、ここはどこ・・・

ともかく周遊券を使わなければもったいないので、通りすがりの人達に、券をみせながら、これが使えるところはどこですか?と尋ねる。皆地元民なのでこのような券を買って観光などしたことないものだから、知らない。困ったものだ。

で、知っているのは大概観光客を相手にするリキシャの運転手達なのだ。歩ける距離だと悔しいので、極力乗りたくないのだが、今回は場所も、建物の名前すら分からないので、リキシャで向かうことに。「150ルピーな」あ、じゃあやっぱりいいです。交渉の結果70ルピーに下がり、出発。

10分ほど走り到着。あぁぁ。ミュージアムだそうです。カウンターで周遊券をちぎってもらい、中へ。ちゃんと使えて良かった。のだが、この歴史的遺産の数々・・・やっぱり興味ない。客は僕一人で見学し放題だっていうのに、独り占めできる嬉しさなどは、全くない。

軽く全体を歩いて、終了。本当に、僕みたいな人間に見学される由緒ある歴史的遺産の品々に申し訳なく思う。が仕方ない。よね・・・。

カウンターで他にこのチケットが使えるところはあるか尋ねると、何ヶ所かあるらしく、おばちゃんがメモに書いてくれた。それを手に歩く。

なんたらモナストリーに到着。ちょっとした遊園地みたいに入り口に地図がある。大きな敷地内にいくつも遺跡やら何やらが転がっているらしい。中へ。

手始めに、またもやミュージアム・・・を一瞥して遺跡群へ。あたた・・・これまたポロンナルワと似たような遺跡さま達。ムーンストーンと呼ばれる素敵な名前のものもあったが、見てみると「あぁ、こちらが、ムーンストーンさまでらっしゃいますか」という程度で、ささっと歩いて退場。

もう、ここまで興味をもたないといくらお金を払っているとはいえ失礼極まりなくて追い出されても文句も言えないのじゃなかろうか、と自分で思うほど、ひどい。自分、ひどい。

しかし、荷物を全て背負ったまま歩いているので、えらく疲れた。この町で一泊する予定ではあったのだが、もう観光らしい行事は全て終わったし、一刻も早くあのバーミーズレストに戻りたくなり、陽も暮れかかっているが今日のうちにキャンディに帰ることにした。

バス停でしばらく待つも来ないので、道行く人に尋ねると「バスターミナルまでいかないと」と言われバスターミナルへ。

公共のバスなのかどこかの会社が運営しているバスなのか分からない。安いエアコン無しのバスに乗りたかったのだが、今日はもうエアコン付きのバスしかないから、と言われエアコン付きバスに乗らされる。隣に座っていた子供にクラッカーをあげると、お父さんがチーズをくれた。素晴らしい物々交換。これでチーズクラッカーが食べられるじゃないか。

17時に出発。エアコン過剰で寒い。いらない。余分なお金を払って寒い思いをするなんて。頭痛を覚える。バスの集金係の青年と話す。「この仕事結構きついんだよ。一日バスに乗りっぱなしで気持ち悪いし、しかもな、給料なんて一日500ルピーだぜ。」およそ500円。日本だと一時間も働けばそれの二倍近く稼げるというのに。

20時頃、いとしの古都キャンディへ帰還。レストランでヴァダとミックスジュースをいただきすぐさまバーミーズレストへ。ただいま。落ち着く・・・。スイス人のアンジもこちらに移動してきたようだ。

ティーをがびがび飲みながら皆とおしゃべり。お金を払って遺産を眺めるよりも、ただここでこうして皆とのんびりしゃべっているほうが、随分と楽しい。ということに気づけただけでも、良しとしよう。

ファンタスティックモンク とんでもない坊主

ガンガーレストランで朝からヘルシーフードをドカ食いして、スーパーで瓶入りのコーラを二本買って帰る。宿にはなんと、冷蔵庫もあるのだ。これでいつでも冷え冷えのコーラが飲める。

アイルランド人のジョアンナ、お坊さんのカヴィ、従業員のオッチャン達としゃべる。またこれから南部の小旅行へ出かけなければいけないのだが、昨日までの北部ツアーで、もう、なんだか、疲れてしまった。

インドでもらったハンモックを中庭に吊るし、昼寝。

キャンディでも例の周遊券が使えるところがあるらしく、行ってみる。お寺とミュージアム・・・。靴を脱がなければならないらしく、クロークに預け中へ。「それでは入場できません」と身体検査のところで言われる。ああ、リュックね。これ預ければいいのね。「いいえ、そのタンクトップと短パン、いただけません。」ドレスコード。肌の露出の多い衣服は寺院を参拝する時禁止されていることがある、ことは知っていたけどそんなこと気にもとめずにやってきたため、退場。

着替えてもう一度参拝する体力も気力も失ってしまった。ああ、んもう。やめにして、宿に帰りハンモックで日記を書く。

するとカヴィが中庭にいた亀をひっくり返し始めた。カヴィ、そちらお好み焼きではないからひっくり返しちゃだめよ「いひひ。こいつらひっくり返ったら絶対起き上がれないんだぜ」と満面の笑み。慈悲深いはずの僧侶にあるまじき行為!と言いつつもひっくり返された亀さんが可愛かったのでグラビア撮影。

三線やらリコーダーやらを持ち出して、練習。おまけにシャボン玉もくりだす。はしゃぐ坊主。シャボン玉が飛び交う中三線やリコーダーを吹く坊主。ファンタジー。ジョアンナも来てはしゃぐ。「だはは!ねえあとでこの坊さん達の写真ちょうだいね。こんな坊さんみたことない!」するとお坊さん「その写真他の人に見せないでよ!お師匠様に怒られるから!」羽目をはずした僧侶の写真はあまりいただけないらしい。

ジョアンナとレストランで夕食をとる。スリランカ風焼きビーフン。うまい。醤油もかけてよりうまい。インターネットを少々して、帰る。

また皆としゃべる。するとジョアンナが預けていた部屋の鍵をカヴィが失くしてしまったらしく、スペアの鍵でも持ってくるのかと思いきや、巨大なハンマーを持って現れた。「まさかあなた、それでドア破壊するんじゃないでしょうね!?」「え、だってそうでもしないと開かないじゃん。」なんというお坊さん!

結局鍵が見つかったので破壊されずに済んだが、しかし考えが突拍子もないというか無鉄砲というか、ファンキーだね。 それから「手相をみてあげる」というのでみてもらう。お坊さんに手相をみてもらうなんて、結構当たりそうな気がする。

「えーと、ジャミラ。ふむふむ。あなたはね、二度離婚します。」え?え!!!それだけ?「うん、離婚するよ」続いてジョアンナ。「ああ、あなたもうすぐ死にます」んぬ?ぬえ!!!?僕もジョアンナも噴き出す。ぶはは!「ちょっと、この坊主ろくなもんじゃないわね!ドア破壊しようとするわ人の手相みるなりもうすぐ死ぬって。いいの?あの写真ばらまくわよ、あのとびきりファンタジックな写真。」「あそれだけはやめて・・・」

その後も、ボクがお金は極力節約しないとね、と言うと「何言ってんだあよお金なんか使えばその分巡り巡って戻ってくるし、せっかく旅行にきてるのに何も観ないんじゃ意味ないだろ、見境なく使っちゃえばいいんだよ!」と説教したり、宿で飼っている猫をつかまえて「この猫どっかに放り捨てたいんだよね。飯食ってばっかで何もしないし、かわいくないし。ボクさもっとちっちゃい、かわいらしい犬が欲しいんだよねー。」と僧侶にあるまじき言動を繰り返すカヴィ。

お坊さん=慈悲深く、いつだって慎ましい態度で穏やかなイメージがあったのだが、誰もが皆そうではないらしい。人間だもの当然といえば当然かもしれない。が、にしてもカヴィは凄まじい。大分ファンキーだね。

それでも祖国ビルマの事など、真面目な話をしはじめると、ちゃんとした考えを持っていたりして、あやっぱお坊さんだ、と思う。面白い奴だ。でもさ、ほっぺたのほくろから生えてる長い毛は抜こうよ。「縁起よさそうだから抜かない」って君は言うけど。ほくろ毛に縁起かつがせるのやめよ?

聖地巡礼再び

キャンディでのんびりとティーミュージアムへ足を運び優雅にセイロンティーをいただき、従業員に「違いをお楽しみ下さい。」と言われるも違いもくそも分からず「ガストのドリンクバーと、違う、のかなあ・・・」と頭を抱えてみたりしていた昨今の僕。今日からまた巡礼の小旅行が始まるのだ。遺跡はもう、多分観ない。

6時半に起床し、またもや必要最低限の荷物だけを背負って宿を出る。生気を養うためガンガーレストランへ。さあ今日もハーバルフードをもぐもぐ食べあ、れ?定休日。あきらめてバス停近くのレストランでヴァダを食べる。バス用に2個お持ち帰り。

8時半、何事もなくバスに乗り込め出発。ジャミポッドで景色を眺めつつカラオケ。二時間弱でハットンという場所へ到着、ここからさらに乗り換えてダルハウスというところへ行かなければならないので、近くの人に尋ねると「電車の駅のほうへいきな、そっちにバスくっからよ」。

言われたほうへ歩くと、確かにダルハウス行きのバスが待機していた。後部座席でお持ち帰りに買ったヴァダをむさぼる。間もなく発車し。

茶摘みの歌がどこからともなく聞こえてきそうな、いやむしろ聞こえてきてほしいような茶畑の広がる山を越え、地元民の心のオアシス、になっているかもしれない湖を越え、テロ対策の検問を切り抜け、とりあえずの目的地ダルハウスへとたどり着いた。

今回は、バスを降りてもあたふたしない。何故なら、バーミーズレストのカヴィが某ロンリープラネットスリランカ編を貸してくれたから。 迷わない。

迷わないのは大いに結構なのだが、いかんせん周りにスリランカ人観光客の集団しかいなくて逆に迷う。おっと、紹介が遅れたがここにはアダムズピークという2000メートル級の山があり、スリランカ人達の聖地の一つとして知られているのだ。そのため巡礼ツアーに来たスリランカ人老若男女が次から次に集まって、今ボクを迷わせている。

そしてバーミーズレストで聞いた話の通り、やたらそのアダムズピークへ登るまでの道なりに露店が軒を連ねている。七割が的屋で、その商品の八割が大量生産されたテディベア。誰がこれから聖地巡礼、登山をするというときにテディベアを欲しがります「ママ、あれ欲しい〜」か・・・いました。

キッズはどこの国も同じなのですね。登山には邪魔になるからいらない、なんて大人ぶった考えよしなさい、あ〜クマたん可愛い〜あれ欲しい〜、と物欲に正直な子供達よ。君に幸あれ。でも登山中「重たい〜もういらない〜」とぐずり始めたりなんてしたら、クマたん山に置き去りにしますよ。

そのテディベアの大量さに驚き思わず子供達のクマたんを山に置き去りするところまで想像力を働かせてしまった。 我に返ったところで宿探し。何軒かまわった末、つい先日ここを訪れたという韓国人のナムチャンが教えてくれた、グリーンハウスという宿へチェックイン。シングルルームで400ルピー。

それはいいのだが、部屋に荷物をおろすなりスタッフに「飯はどうするんだ?もちろんウチでアットホームに皆で食べるだろ?」と聞かれる。おいくらですかちなみに。「一食200だ。宿代少し安くしたんだからな、それぐらい平気だよな。」200!?それは少々倹約旅行者のボクには無理です。「えぇ!?なんだと!?ちょっと待ってて。」

と奥の部屋へ行き、数分後戻ってきた。どうでもいいから外出させておくれ。「ボスがお呼びだ。」は?何の用でしょうか。言われるままボスの部屋へ。「やあやあ。いらっしゃい、私がボスだ。見ての通り足が不自由だからここまで来てもらった。悪かったね。」

いいえ、ところで何か?「君はあれだな、飯はウチで食うんだろ?」さきほども申しましたが少し高いので、ボクは外で適当にすませてきます。「あぁ!?君はここがどういう場所かわかってるのかね。こんなアットホームな宿に泊まったなら、アットホームに美味しい家庭料理を食べるのが当たり前だろう。」ははは。何度も言っているように、是非食べてはみたいのですが、ボクには高すぎるので無理です。

何故客人がわざわざ部屋に呼び出されウチで飯を食えと説教されなければならないのか、少し苛立ちを覚え始める。「日本人だろう!?それぐらいのお金あるだろう!!ウチも商売なんだ!ご飯込みでの宿なんだ!」そんなことチェックインする際に一言もおっしゃってないでしょう。夕飯は結構ですと事前に伝えてから僕はチェックインしましたが。「まったくケチな人だなあ・・・ったくなんたらかんたら。」しつこいですよ!?いらんゆうたらいらんのじゃ!もう出てっていいですか?

声を荒げてようやく解放され外へ。ナムチャンが「ちょっとスタッフがしつこいのよ」と言っていた意味が分かった。なんと居心地の悪い宿なんでしょう。

イライラしてしまっていけない。心が濁ってしまっていけない。あてどもなくふらふら歩き、山のふもとで日記を書いていると、空まで濁り始めた。雨が降るかもしれないので近くの屋台でティーとパラタをいただきしばし休憩。16歳だというバイトの少年が、「アイム、フロム、スリランカ!」と突然宣言したので、ブフー!!で、でしょうね、だと思いますよ、誰も君を外国人だなんて疑ってないよ・・・とその唐突さと真面目さに笑みが沸いてしまった。

ありがとう見るからにスリランカ出身の少年よ。おかげで少し落ち着いた。宿へ帰り、シャワーを浴びる。スタッフがいたのでハロー、と挨拶をするも、無視をきめこまれ再び苛立つ。

不貞寝して、夜は別の宿に併設されているレストランでベジフライドライスを食べる。そんなにうまくもないし、宿のスタッフは腹立たしいし、雲行きは怪しいし、モチベーションががくんと下がってしまった。

部屋に戻り、一人静かに本を読み、明日の早起きに備えてさっさと眠る。急激にキャンディのあの宿を恋しく思う。

アダムズピークの美しさと間違えてばかりでいる男の醜さ

3時。早朝、いや深夜に起床。寒い。着替えてすぐさま出発。

例のテディベアが並ぶ露店を潜り抜け、アダムズピークを目指す。 防寒具をがっしり着込んで歩く。夜空にはまだまだ星が瞬いている。が。順路にしっかりと設置された街灯が、目にやかましくせっかくの星達があまり見えない。

沢山の巡礼者と、外国人観光客達が続々と頂上を目指して歩いている。寒い。寒い。暑い!保温効果の高いジャンパー(アウターとは呼ばないで)を着ていたら次々に汗が流れ始めたので脱いで歩く。

寒い!丁度はないの丁度は!?所々休憩ポイントがあって、チャイやら軽食が売られているのだが、そこから流れてくる音楽もやかましい。朝っぱらから爆音でそんなスリランカ音楽流さないでおくれよ。

歩く。登る。階段を一歩一歩。徐々に速度が落ちてくる。アダムさんのピークどこや・・・どこやのん・・・ああもう面倒くさい、寝たい、きつい、足重い、しかもマフラー落とした。弱音ばかり心の中で吐きながら。けれども登るしかないのだよ。どんなに辛くても前に進むしかないのだよ。

出発から二時間、5時。ようやく頂上にそびえ立つ建物が目に入ってきた。最後の砦とばかりに傾斜のきつい階段が現れ、「あんちゃん!」君の心へ続く、長い一本道は、いつも僕を勇気づけた〜、小梅に励まされながらずきずきと痛む足を引き摺りゴールへ一歩一歩向かうあんちゃんの心境で、登る。待ってろ小梅!

到達。わ。喜びをかみしめる隙間すらないほど人が多い。そして電気も多い。こんなにいらない。陽が登るまでまだ少し時間がありそうなので、座って待機。汗もひいて落ち着いてきたころ本来の寒さを取り戻し、震える。まさかスリランカでこんなに寒い思いをするなんて。眠気も相まって意識が遠のいてゆく。

寝たら死ぬわよ!と誰かに言われたような気がして意識を取り戻すと、反対側から陽が昇り始めたと皆が騒ぎ始めた。ふわっ!反対側、つまり東の空が徐々に明るみを帯びてゆき、オーロラのような息を呑むようなグラデーションをみせている。一秒一秒変わる空の色を逃すまいと、カメラを連写。

星はその光を奪われ姿を消してゆき、太陽が空を支配した。この地球って、もしや太陽を中心になりたっているのではなかろうか、太陽様あ。太陽教があったら迷わず教徒になってしまいそうだ。それぐらい巨大で、圧倒的な存在。

陽が完全に昇りきったところで即下山。帰りは下りだから楽チンだろうなんていうのは素人考えさ。そうさ素人さ。太ももがヒクヒク。がさっきまでは暗くて見えなかった景色が、緑が一望できて清々しい。

途中ハーバルグッズのブースみたいなテントが設置されていて、そこでハーバルティ試飲キャンペーンを行っていたのでちょっといただく。生姜湯だ。中学のマラソン大会を思い出させる味。マラソンでへろへろになってゴールした瞬間「はいどうぞ!」と配られるあの罰ゲームに近い飲み物。汗だくだくで暑いっていうのにさらに熱い飲み物を配るなんて、なんとサディスティックな連中だったのだろう。

帰りも二時間弱を要し、食堂でチャイとパンでささっと朝食をとり、休む間もなく移動。アダムズピーク終了、もう充分です。宿に帰り荷物をまとめチェックアウト。すると「440ルピーね。10%税金かかってるから。」とスタッフ。もう面倒なので、払いますが、そういうのは最初に言っておくべきだと思うのですが。と文句を言うと「わかった。じゃあ400でいいよ。」と結局払わなくて済んだ。ありがとう。

ハットンへとバスで舞い戻る。一番前の席で一人エキサイト。検問を一つ通過して11時過ぎ到着。次なる目的地はエラ。エラ行きのバスはどちらに。「電車やで」というわけで駅へむかい切符を購入。次の電車は14時。結構待つんだ。

ホームのベンチに腰かけさっき買ったヴァダを食べる。寄ってきた子供達の写真を撮って遊び、読書をして寝る。それでもまだ12時半。ヒマだ。

一度駅を出て、近くの商店で水とバナナを買う。駅で買うと高いから。しかし天気が良くぽかぽかと穏やかな一日だ。一番ホームだときいていたのだが念のためもう一度きくと、「三番ホームやで」

と三番ホームへ降り立つと丁度電車がきた。そして丁度14時。タイミングの良い男だぜ。乗り込むとその瞬間スリランカの女子集団が乗っていて、クスクスと笑われた。笑わせるのは良いが笑われるのは好きじゃないので、少しイラっとする。昨日からのイライラをまだひきずっているせいか、居心地が悪い。窓が遠いので景色もみられないし風も入ってこない。というか、この電車で本当にあっているのだろうか。素朴な疑問を覚え、方位磁石で進行方向を確認。よし。東に向かっている。

走り始めて一時間弱、向かいに座っていた男に「どこへいってるんだ?」ときかれエラだよ、と答えると「え?はぁ?エラ?って、どこ?」おいおい地元民なのにエラ知らないのかよこれこれ、とチケットをみせる。「ああ!エラ!!この電車コロンボ行きだけど。」ん?

ん?

西に向かってるじゃないっ。あからさまに慌て始め、男に礼を言い次の駅で降りる。ちきしょうぜってえ電車の皆に笑われてるぜ、笑われるの嫌いなのに・・・あの居心地の悪さは「お客さん、電車ちごてるで」のサインだったのだきっと。

駅員に事情を説明。「そうかそうか。でも今日はもうエラ方面に向かう電車はないからな、ここで一泊してったらどうだ?」見るからに何もなさそうなこの町で一泊というのも乙なやり方だが、ヒマはごめんなので、かなり面倒だが、キャンディまで一度戻ることにした。「そうかそうか。じゃあ、チケットこれな、はい。」親切丁寧な駅員でよかった。

キャンディ行きの電車が来たので乗り込み、出発まで待機。すると清掃係のオバチャンや切符係の男がやってきて、しゃべる。皆口が真っ赤だ。ああ、噛みタバコ。「あんたもやってみるかい?」と勧められたので木くずのようなものと葉っぱを一緒に口に放り込み、噛み噛み。

ぶべーーー!やはりこの味慣れない好きになれない。渋い!我慢してしばらく噛み噛みしていると「まずかったらもういいよ」と言ってくれたのでぺっと吐き出す。舌が真っ赤に染まっちゃった。

オバチャンがやたら「それちょうだい、あそれちょうだい」と僕の身につけているアクセサリーの類をみてはせがんできてうるさかったので、バナナを一本あげて黙らせる。

16時半ようやく出発。今度は窓際で景色も風もあるし、心地よい。18時前に見慣れたキャンディへ到着。明日のエラ行き電車の時間をきいて、バーミーズレストへ帰る。皆に情けない事情を説明。「だはは、そうなん!」方向音痴を電車規模で発揮するわたし。

まだジョアンナが泊まっていたので、一緒に晩飯を食べにレストランへ。それからスーパーやインターネットに立ち寄り、宿で今夜も皆とおしゃべり。死ぬほど落ち着く。

そして今夜もカヴィは「あのスイスのアンジ、男みたいだよね。声ひっくいし、タトゥーすごいし。」と失礼きわまりない発言を連発していた。

エラ、エラ、エー、エー、エー

6時半、面倒くさくて行くのをやめようと思ったが、聖地巡礼中の身だから今、と眠い体を起こし、出発。ガンガーレストランへ。やった。してやった。今日は開いている。定休日や小旅行でしばらく食べられなかったこの味。嬉しいあまりお持ち帰りまで購入してしまう。だってウマいんだもの。

8時の電車に乗り込む。今度は間違いない。何度も確認したぞ。ドイツ人のドレッド娘も同じ電車に乗るらしく、しゃべる。シュトゥラキという名前。とても気さくでしゃべりやすい子だ。

ペラデニヤという駅で電車を乗り換え、寝る。起きる。トイレへ。ウーンコーをしようと腰をおろしたら、穴があいているだけだった。インドの電車と同じタイプで、振り落とされたウーンコーは線路のど真ん中に置き去りにされるパターンだ。

ヴァダを食べる。んうまい。ガンガーレストランは何から何までウマい。それから覚えたての1から10までの数字をドイツ語で読み上げて「またなんで数字やのん・・・」と不思議がられたり、近くにいた地元民にシンハラ語を教わったり、電車の旅を楽しむ。

盛り上がりを見せ始めた頃、ハットンに到着、シュトゥラキはアダムズピークへ行くというのでここでお別れ。ジャミポッドを聴き、寝ては起きジャミポッド、寝ては起きて食べる。二時間ほど走ったところでハプタレという駅にとまった。随分山のほうへきたらしく、景色がすばらしい。町の雰囲気も良さそうだったのでよっぽど降りようかと思ったが、エラ、エラ、エラ。

「エラ行くの?」向かいに座っていた男に話しかけられた。そうです。「僕エラ出身なんです。」ほほう、じゃあどこか安い宿ご存知ないですか?「知ってるよ。いくらぐらいの宿がいいの?」500ルピー以下のところが。「そうかー、よしわかった!」

ハプタレから三駅でエラに到着。リキシャに乗せられ宿に向かう。5分程で着いた。え!ここ!?これで500ルピーはかなり上等なんじゃないのー!?興奮していたら「あ裏まわってね」その裏手にある宿だった。はい。少しの間でも興奮させてくれてありがとう。

民家風宿で、家族が出迎えてくれた。興奮は冷めやったもののここも充分綺麗な場所なので、チェックイン。荷物をおいて早速散歩へ。皆が口々に言っていたのだ。「エラはいいよー!エラ最高だよー」と。何がそんなに皆の心をがっしりとらえて離さないのかこの目でみなければ。

適当に歩く。道が分かれたら、どちらにしようかなで決めながら歩く。確かにのどかで、のんびりとしたいい場所だ。が、とりわけ最高だよー!と太鼓判を押すほどでもないように思う。

屋台でティーを飲んで、歩く。すると「寺→」の看板があったので向かってみる。

「お寺いくの?」と地元の青年に声をかけられた。ラスィータという17歳の高校生。「お寺は中をのぞくには鍵が必要なんだ。で鍵はそこの家のオバちゃんがもってるんだ」と案内してくれ、鍵を借りて寺の中へ。ドラクエ?

あらら、また寝てる。またこんなところで寝てるよ仏様。それからそこにはってあったタミル人の神様のポスターについても説明してもらい、「近くに洞窟あるけど、そこもみたい?」うん、せっかくやし行ってみようかな。「じゃあ案内するよ。」と向かう。

かなり急な坂道を登ってゆく。もう既に息を切らしている僕に反してラスィータは裸足ですいすいと先のほうへ。年齢と、生まれ育った環境の差を思い知る。若いって素晴らしい。

アダムズピークよりは随分楽だが、しかし疲れる。到着したと思ったら、まだ奥に入れるらしく、ヘッドランプで照らしながら登る。「着いたよ。」ひーひー。ただの洞窟でした。

ラスィータと少しおしゃべりをして、写真を撮ったら下山。そろそろ、ガイド料じみた何かを請求されるかなあ、と思っていたころ「新しい携帯電話が欲しいんだよね。でもあと2000ルピー足りないんだ・・・」と遠まわしに言ってきたので、そっか、じゃあ働いて稼がないとね。と返す。すると意外にも「うん」とそれ以上何も言ってこなかったので、一安心。メールアドレスを交換して、またチャットでもしようねと別れる。

爽やかにグッバイできたのでよかった。お金がからむとどうしても対等でいられなくなる。それが嫌なのだ。帰る。ラスィータの真似をして裸足で歩く。なんだか急速に楽しくなってしまい歌う。なんならスキップだっておかまいなし。

食堂でパンとヴァダを食べる。ライス&カリーは少し高いから我慢。節約。ティーで〆て宿へ戻り、シャワーを浴びる。

ウギャーーー!!シャワーの蛇口のあの孔から大量の蟻が発生。殺生はできる限りしない性質だがこればっかりは全員逃がすなんて不可なので、流します。

気をとりなおしシャワーを浴びる。ホットシャワー・・・いつぶりだろうかこの「んはー」と思わず声が漏れてしまう感覚。北部インドコルカタあたりぶりだろうか、ずっと水シャワーだった気がする。温泉に入りたい。いいえ、贅沢です。これで充分。

久々にアラームを気にすることなく熟睡ができる夜。

泊まろう、あやっぱ発とう、あやっぱ・・・予定はいつだって変わります


早起き癖がついてしまったのか、7時過ぎには目を覚ます。近くの食堂でパラタを食べ、ティーでほっと一息つき、散歩。まだ行ったことのない方向へ。

歩く。歩く。わたしは元気。リトルアダムズピークと呼ばれる山があるそうなのだが、看板もみつけたのだが、どうみても今わたしは山を下っている。おそらく一本道だったはずなのに、リトルアダムズピークに辿りつけない自分。わたしは元気。

景色もいい。のどかでいい。が、いまいち皆が「エラええら〜」と強調するのが分からない。とりたてて特別なものはないと思う。はて。移動しようか。

宿に帰り、パパイヤを切って食べながら、内部の種が密集する部分を観察してキモ!と一人パパイヤに罵声を浴びせたり、塩をなめてみたり、ぷよぷよをしたりしていると、スコールがきた。大雨。

荷造りをしてみる。14時。チェックアウトをしてみる。スコールは止んだ。某ロンリープラネットを開き、ウェッラワヤという町へ行くことにする。

バス停でオバア達と待つ。ウェッラワヤと言うと「ああウェッラワヤ!あウェッラワヤかい!」と行き先を理解してくれたらしく、バスが来たら「ウェッラワヤ!あこれウェッラワヤ!」と教えてくれて、一緒に乗り込む。

やはり景色は素晴らしい。一時間弱で到着。さあて、どんな町だろうか。とりあえずここで一泊してみよう。と歩きだす。が、宿があまり見当たらないし、大して面白そうなものもないような気がする。

やっぱ発とう。バス停に戻り、カタラガマ行きのバスはどれですか、ときくと今まさに出発するところだというのですぐさま乗り込む。山をぐんぐん進み、町が続く景色。

二時間半もしないうちに、それらしき場所へ着く。すると途中乗り込んできた男に「サファリ行くの?」ときかれる。そう、僕はサファリツアーに参加するべくカタラガマという町へ向かっていたのだ。はい、と答えると「サファリに行くんだったら、カタラガマじゃなくてここティッサマハラマだよ。カタラガマからはツアーでてないよ」と言われ、え、そうなん!?降りる。ティッサマハラマ。

「私レジナゲストハウスっていうとこで働いてて、そこでツアー申し込めるからね。」と言われるままレジナゲストハウスへ。シングルルームが700ルピーだなんてぬかすので、それは無理、高すぎるから無理、と言うと一番安い400ルピーの部屋を紹介してくれたのでチェックインし、サファリ会議。

「138USドルかな今は。」え!?そんなするの!?こらあきまへん他当たります、と言うと「あじゃあ特別に90で!どう?」ぐんと下がりましたね。でも相場が分からないので、とりあえず他も当たってみて、それから返答いたします。と外へ。何故か「湖がきれいだよ」とすすめられそちらの方へと歩く。

西洋人の老年男性と道で出会い「今わしワニみたでそこで」と教えられる。うっそ、もうサファリ?近所の湖にワニがいるだなんて、日本じゃ考えられない常識。

サファリツアーを申し込める会社が見当たらない。町へでて探すも、ない。すると宿の男と会い、ツアー会社が見当たらないというと、「マーケットのほうにあるよ」。歩く。ない。

「何してるの?」と通りすがりの男に声をかけられ、ツアー会社を探しているのだと言うと「俺のとこで申し込めるよ」と男。いくらですか?「135ドルかな。」やはり相場はそれぐらいなのだろうか。90のところを見つけているので、結構です、ありがとう。と去ろうとしたら「わかった!もちょっとまけるから、ともかくリラックスしてうちのオフィスでお茶でも飲みながらディスカスしよう」としつこいので、オフィスへ。が、結局95ドルにまでしか下がらなかったので、どうもお邪魔しました、と宿へ。

「どうだった?ファイナルアンサー、いくらならだせるの?」と宿の男。いくらまでまけられるの?「もうまけたじゃないか。よしわかった、朝食つけます!」うーん、分かった、じゃあ90朝食付きで。交渉成立。部屋に戻ると「あの700の部屋500にしてあげるよ内緒で」えほんと?あ、そんじゃうつろっかなあ。

贅沢してしまった。だって700の部屋きれいで寝心地よさそうだったんだもの。スリランカルピーで支払うと9000ルピー(1ドル100ルピー計算)だそうなので、前金6000ルピーを渡し、レストランへ。こんなに観光に大金をつぎ込むことがかつてなかったので、無駄にどきどきしてしまう。

ライス&カリーでも食べようと思ったら、満月の夜は店閉まってます、なんていうので、結局安食堂で揚げロールと春巻三つのみ。最近こういう軽食しか食べていない気がする。飽きる。

また早起きなので、21時には就寝。

サファリツアーは、皆でわいわいが醍醐味、きっと・・・

5時半に起床、準備をして外へ出たらジープと運転手と、宿の男が待機していた。6時に出発。どうやら、今回のツアー参加者は僕一人らしい。途中食堂により、朝食をお持ち帰りで買ってくれた。そこで宿の男は降り、運転手と僕で向かう。まだ肌寒い。陽が昇りはじめたころ丁度湖にさしかかり、写真を撮る。水面に写った太陽が二度おいしい。

小一時間で到着。サファリの入り口に門があり、「Welcome To YALA」とかかれてある。ヤラナショナルパーク。軍人にパスポートをみせて、中へ。さっきもらった朝食を食べる。アッパムと、フィッシュカリーとコットゥ。げ、超うまい。ちょーうまい。

それからレンジャー(警備隊)も一人乗り込み、三人で出発。さっそく野孔雀や野ブタが姿を現す。「あれ、向こうの水辺にいるね。」と言われるほうを見やると、いましたワニ。水辺にたたずんで一人考え事をしていました。「あ、あれスリランカの国鳥ワイルドチキンだね。」ようするに野ニワトリ。ちょっとお洒落な色合いだけど、まあ、チキンだね。美味しいのかな。食べないよね国鳥だもの。

ゆっくりと進む。また野孔雀。大きく羽根を広げた雄が、ふぁさふぁさとはためかせながらぐるぐるその場を回っている。雌に求愛しているらしい。とても美しいのだが、後姿が、紅白歌合戦小林幸子の巨大セット裏、のように骨組み丸見え状態でちょっとださい。そして雌は雄ほど美しくない。何故鳥や虫、その他動物達は雄のほうが色鮮やかな羽根や模様をもっていて美しいのだろうか。何故ニンゲンは雌のほうがきらきらと着飾って美しいのだろうか。

「あ!シカ!」奈良にいるのとは一味違う、ディズニー映画に出てきそうな可愛らしいシカが群れている。「んあ!ジャッカル!」野良犬とどこが違うの・・・そして初めて、孔雀が羽ばたいて空を飛ぶ姿を目にした。孔雀って、飛べるんだ・・・。インドの国鳥キングフィッシャーもちらほら。

ジャミポッドのプレイリストをあの御方M.I.A.にして、ジャングルサウンドを聴きながらサファリを駆け抜ける自分に興奮。

ワシが木の枝にとまって全くあさっての方向をみている。そして岩山がごろごろとしている場所にさしかかる。猿はもういい。サファリでなくともどこでも見られるから。さあ次次。と進む。

っえっ?ちょっと戻って戻ってえっ?今のってもしや・・・わっゾウさんやーーー!「ワイルドエレファントだよ」すべての動物にワイルドとつけてその野生っぷりを強調する運転手とレンジャーをそっちのけでゾウさんを激写。野ゾウ、彼は動物園で餌付けされているのとは違うのだ・・・「一頭でいるからきっとオスだね、親離れした。メスは群れるから。」ほほーう。

休憩ポイントでジープを降りる。ここ以外では何人たりとも降りることが許されていないそうだ。そして数年前の津波被害で、ここでも47人が命を落としたらしく、石碑が建てられていた。

再びジープに乗り込み出発。「ペリカンやシカが今鳴いてるね。きっとヒョウを恐れてるんだ。」ということはもしかしてもしかするとユキ姉に会えるってこと!?ヒョウ頭ユキ姉に!!!俄然「一人」盛り上がるわたくしジャミラ。

が、惜しくもユキ姉には会えず。あきらめて、引き返す。ゾウさんももうどこかへ消えてしまっている。孔雀ももういいですお腹いっぱい。10時、門を出て退場。運転手に少しいやいやながら100ルピーのチップを渡す。チップ習慣のない日本人としては、もう払ってるんだからいいじゃないか、と思ってしまうが、まあよしとしよう。

宿に戻り、食堂で、またも春巻を食べる。スリランカって、意外にご飯のバリエーションが少ない。ライス&カリーか、パン、こういった軽食の類しかみていない気がする。

宿代と残りのサファリ代を支払い、ティーで一息。改めて考える。サファリって、一人で行ってもあまり面白くない。皆でいって「やーだーゾウさんお鼻ながーい」だの「きゃーユキ姉あいたーい」だの馬鹿みたいに騒ぐのが、いいんだと思う。一人だと何やってんのかしらオレ、と時々冷静になってしまうのだ。皆さんもサファリへお越しの際はくれぐれも多人数での参加をお勧めします。

宿の男にバス停まで連れていってもらい、少ししゃべる。色々と世話をしてくれたのに、最後まで、どこかでぼったくろうとしているのではないか、などと疑ってしまい、きちんとお礼ができないままバスがきて乗り込んでしまう。本当はとてもいい奴だったに違いないのに。

タンゴールという海沿いの町を目指す。隣り合った女の子とお母さんの写真を撮ったり、ジャミポッドをきいたりしながら。

割と早いうちに到着し、おもむろに某ロンリープラネットスリランカ編を取り出すも、よく分からないのでいつものようにとりあえず歩く。サンタナゲストハウスというところを400ルピーでみつけたが、少し陰気な感じがしたので他にも何軒かみてみようと歩く。

ビーチ沿いのラビンドゥゲストハウスを発見、尋ねると「700ルピーだよ」あちゃちゃこりゃ無理だ、「じゃあ600だ。」うーん、無理だなあ「分かったじゃあ500!」うーん、無理!が、今からサンタナゲストハウスまで戻る手間を考えると、もういいかという気持ちになり、チェックイン。早速ビーチへ。あら。汚。濁っている。

やはりアンダマンを知ってしまうと、そんじょそこらの海で感動するのは容易くない。おまけに波も高くとてもじゃないが泳げない。ただぼうっと歩いていると、少年が二人やってきて「300ルピーの部屋あるよ」と話しかけてきた。え!安!みせてもらう。マリッカゲストハウス。どうやらその宿の子供達だったようで、経営者のオカン、その名もマリッカが登場。

バス・トイレは共同だけれど、ともかく安い。もうチェックインをしてしまったので、またあとでこっちに移動します。と一旦ラビンドゥへ戻り、事情を説明。かくかくしかじかで、宿を移りたいと思います。「じゃあ、500ルピー払ってから行ってね。」え?30分しかいなかったのに?「そりゃそうでしょ、チェックインするだけしといて安いとこ見つかったからじゃあそっちいくなんて、おかしいでしょ!」それもそう、なのか。そう、だな。結局ラビンドゥに泊まることに。

町のほうへ散歩へ出かける。が、どうも雲行きが怪しい。もくもくと怪しい。一雨来そうなので帰っていると民家のおっちゃんが「急げー!もうくるぞ!」と叫ぶので走る。宿についた瞬間ドバババーーーーーー。スコール。

シャワーを浴び、ベッドでごろごろと時間をつぶしていると雨が止み、外へ。すると「日本語勉強シテマス」というインターネットカフェのオッチャンに声をかけられ少ししゃべる。根拠はないのだが、なんかこのオッチャン、人が良い雰囲気がして好きだ。

屋台でアッパムと、豆のサラダとヴァダを買う。やはり屋台だと安い。本来こうでないと。なのにスリランカは屋台よりも食堂のほうが多いから、ついつい高くついてしまう。

部屋に戻り、一人寂しく食べる。ぷよぷよを二度全面クリアしたところで就寝。何やってんだ。

毎日移動する忙しない男

8時過ぎ、町の食堂でコットゥを食べる。そこで「昔埼玉のホンダで働いてマシタ」というスリランカ人と喋り、マリッカゲストハウスへ。

昨日泊まりにこられなかったことを詫びて、チャイをいただく。ポットに満タン。ここも津波の被害で半壊し、今建て直している最中だそうだ。当時の写真をみせてもらったり、亡くした家族の話をきかせてもらう。

ポットにひたひたになるまで注がれたチャイを、計五杯ほど飲んで、腹がたぷたぷになった頃、アドレスを交換し、ところでチャイおいくら?ときくと、「いいのいいの!無理やり飲ませたようなもんなんだから!」と遠慮をするので、いいえ、お気持ちだけで結構ですから払わせてくださいな。と75ルピー支払い別れる。日本人的なこういうマリッカの遠慮のし方がえらく気に入ってしまった。

宿に帰りチェックアウト。バス停へむかい、次なる町ミリッサ行きのバスに乗り込む。代金がいくらか隣の人にきくと「100だぜ」というので、んなことあるかい!そんな高いわきゃないやろ!集金係がきて、ミリッサはおいくらで?ときくと「100だぜ」嘘やろ!そんな高いことってあるわけ!?と言いながら渋々渡すと、何故か20ルピーお釣りがかえってきた。80ルピーでもまだ高い気がするが。

まいっか、と窓の外に目を向けたらなんだかもう、景色がよくみえない。運転手がスピード狂でした。

落ち着かないまま小一時間程走ったところで、マタラというところのバスターミナルに到着。そして全員何故か50ルピー払い戻されている。僕も。「これ本当はコロンボまで行くんだったんだけどよ、ここで終わりになっちまったんだ。」結局30ルピーだったのですねここまでのバス代。

乗り換えてミリッサ行きのバスヘ。10ルピー。え!じゃあ合計40ルピーでよかったものを80ルピーもとられていたという計算じゃないか。なんとまあ・・・いっか。

30分程でミリッサに到着。ここも海沿いの町で、ビーチ沿いにいくつも宿はあるのだが、どこも若干高めなので、道路を隔てて反対側に数軒あるゲストハウスを探す。ウォータービューゲストハウスというところを訪ねたが、「あらごめんなさい。これから家族全員でアダムズピークに行くのよ〜」と。OK楽しんできてね〜。もう一つのANARASINGHEゲストハウスという、発音の面倒くさそうな宿を発見。ア、アナラシンゲ?シン毛?

でかい。庭付き一戸建て風ゲストハウスだ。おいくらでしょう?「400ルピーね、シングルルーム。」意外に安い。じゃあ、300!「分かったわ、350でどうかしら。」オウケイチェックイン。荷物をおいてすぐさまビーチへ。一人泳ぐ。なかなか青くきれいな海だ。が一人。波打ち際でパシャパシャと水をかけあう麦わら帽子をかぶり水着の上に着たYシャツを前でしばったモダンな彼女はいない。

波でか!ぎゃあぉ。と一人慌てて、耳に水が入ったので終了。ケンケンで歩く。さらに雨もふりだしたので、小走りで近所のパン屋へ駆け込み、コットゥを食べる。たったの10ルピー。おかわりをいくらかして、宿へ戻り、シャワーを浴びたら再び外へ。宿をでて右へと歩く。歩いたことのない道のわくわく感はえもいわれぬものだ。

ジャングルのような小道をぬけてしばらく歩くと、ビーチの近くの通りに戻ってきた。そこでライス&カリーの看板をみつけ、入る。スリランメャレストラン。他に客はなし。本当に営業しているのかさえ分からない。店主夫婦がでてきて、注文すると、間もなく食欲をそそるいいにおいがしてきた。

ライスに、フィッシュカリー、ジャガイモや豆、その他野菜をふんだんに使った惣菜が五種類もあって、かなり健康的な上に、絶妙な味付けでどいつもこいつもうまい。今まで食べてきたライス&カリーの中で一番うまい。うれしくておかわりを頼むと、なんとビリヤニとティーをご馳走してくれて、これだけ食べて80ルピーでいいなんて言うものだから、嬉しくなって100ルピー渡して帰る。

ここ数日は軽食でつないでいたものだから久々腹一杯に食べた気がする。

夥しい数の海UNI栗

今朝も起きるなりスリランメャへ。まだ準備中だったので、座って待っていると、朝食らしくパンと目玉焼き、それから絶妙な味付けのダル。瞬く間に食べ終え、チャイを飲みながら店主のオッチャンとしゃべる。

ビーチへ向かい、岩に登って辺りをながめてみる。はっ、こうして上からみるとかなり海の青さが分かる。が、岩のふもとの浅瀬になにやら黒々とした物体が山のように転がっている。

うに。海栗。海胆。雲丹。その数何百。とって食えやしまいかと、観察、考察。電子辞書でウニについて検索、「棘皮(きょくひ)動物の総称。からだは栗のいがに似て多くのとげをもち、とげの間に管足がある。種類は多く、大きさや色はさまざま。上面中央に肛門、下面中央に口がある。ムラサキウニ、アカウニ、バフンウニの卵巣は食用。」

食欲減退。肛門だの卵巣だのと言われるといやに現実味を帯びてしまった。一応小型ナイフも携帯していたので、ワイルドにその場でかっ食らうこともできたのだが、改めて間近でみると、うにょうにょとそのトゲのある物体は、当然ながら蠢いていて、余計に食べる気が失せてしまった。でも、醤油かけて食べると美味しいんだよね。

しばらく一人で泳ぎ、岩の上に寝転び、日焼け。満遍なくきれいに焼くため、水着をちょいとTバックに近い形に食い込ませる。このあられもない姿を誰かにみられるのは、ちょいと気まずい。

昼食もスリランメャ。ライス&カリーにコークもつけちゃう。ああうまい。恐るべき速さでたいらげ、一旦宿に戻り、リュックを背負って今度は海と反対の山の方へと歩く。ジャングルジャングルした道が続き、どんどんウキウッキしてくる。通りすがる人々にハローとやたら挨拶。

ミリッサ駅を発見、電車も通っていたのか。などと写真を撮っていると、向かいの家の人達に声をかけられ、「ベイビー!」ベイビーって僕のこと?その呼び方はいくらなんでも無理があるよベイビー。「ベイビー!」あ、ベイビー、赤ちゃん、赤ちゃんの写真を撮れと。ジイサンが大事そうに抱えた生まれたてのベイビーをあらゆる角度から撮影し、「その写真ちょうだい」と頼まれる。それからティーをもらい、しゃべる。

オカンと、17歳ぐらいのオニイチャンと、4歳ぐらいの弟もいて、シャボン玉で遊ぶ。兄貴に、「日本で働きたいんだ。何か仕事紹介してくれない?」と聞かれるが、当方住所不定無職の真っ只中なので、そのようなことはできませんと丁重に断る。

写真現像したら送るからと住所をきき、イストゥーティ(ありがとう)とティーのお礼を言い、先に進む。(一時帰国後きちんと現像して送りました)

道路でクリケットをする子供達を横目に歩いていると、トラクターに乗ったオッチャンが通りがかり「乗ってくけ?」と言ってくれたので、乗せてもらう。トラクターで散歩なんて、お洒落。

突き当たりでおろしてもらい、再び歩くと、宿のほうへ戻ってきたらしく、散歩終了。シャワーを浴びたらスリランメャ。三食全てここだ。

オッチャンしかいないのでオバチャン達は?ときくと「今日は実家に皆帰ってるから俺一人留守番なのよ。」フィッシュカリーとライス、ダルをいただく。相変わらずうまい。「だもんで今夜は暇だからさ、一緒に酒でも飲もうぜ」

というわけで隣町まで酒を買いにバイクに二人乗りで向かう。酒屋では、自分でビンを持ってきて何ミリリットルくれ、などと量単位で購入することができるらしく、ウィスキーの空き瓶に半分ほどと、屋台でつまみを買って帰る。

ココナッツの酒らしく、水割りにして飲む。意外と飲みやすい。が、たった二杯でもう気分がよくなってしまった僕は、オッチャンの話をきいているのかきいていないのか、ソファーに寝転ぶ。21時すぎまで喋って、宿までバイクで送ってもらい、また明日ね、と部屋に戻り即就寝。

しっくり来ないゴール

昨夜珍しく酒を飲んだせいか、ぐっすりと9時半まで眠れた。早々に荷造りをして、ぷよぷよで脳を目覚めさせ、チェックアウト。ビーチを見ることなくスリランメャへ直行。

最後のライス&カリーを注文。もう今日移動しちゃうんだ、と告げると大盛りさんにしてくれた。苦しくなるほどの大盛りをたいらげ、ティーで〆たら出発。ありがとう、また来年あたり来るからね、待ってろよ俺のライス&カリー、ついでにオッチャンとオバチャン。

バス停で少し待っていると、お次の目的地ゴール行きのバスが来て乗り込む。 後部座席に座り、海沿いを走る心地良さにジャミポッド効果も相まって、楽しくなる。

一時間ほどで到着、せっかく楽しくなってきたところだったので、降りたくなかったが、降りないとまた引き返す羽目になるので、降りて宿探し。ここは昔オランダの植民地だったらしく、そこかしこにオランダ風な建物が残っているそうだ。

某ロンリープラネットスリランカ編に載っていた宿をいくつか訪ねるも、「1500ルピーだね」「2000です」「700ルピーでございます」と恐ろしく高額な部屋ばかりだったので、途方に暮れる。と、リキシャの運転手が「オレの叔母さんがやってるとこ紹介してやろうか?」と話しかけてきたので、連れていってもらう。

「この部屋、3ベッドで800ルピーよ。」スリーベッドも必要ありません。「あらそうなの?じゃあ、1ベッドのあの部屋なら500だけど。」ようやく出せる範囲の値段の部屋がみつかり、チェックイン。ここは物価が高い町なのだろうか。オランダ気取り価格だろうか。

散歩に出かける。城壁あたりが見晴らしが良さそうなので行ってみる。が、スリランカンカップルで溢れかえっていて肩身が狭そうだったので、ぐるりとまわるだけにして町のほうへ。インターネットカフェをみつけ入る。スカイプという画期的な「チャットやら通話がインターネット越しにできますよ」というソフトを用いて日本にいるユッケという韓国風生肉みたいな名前の友達と通話をする。

もうすぐタイに戻るから、生肉もくればええじゃないか、と誘うと、「あ、じゃいこっかな。」意外な返事。バンコクで合流することが決定し、にわかに浮き足立ってしまった。

陽が暮れかかってきたので、今一度カップルの溢れかえる城壁近辺にむかい、腰かけ、大海に沈む夕陽を眺めながら、物思いに耽ってみる。宇宙規模で耽ってみる。太陽のいかに巨大かについて考えてみたり、過去や現在、未来についてじっくりとじんわりと考えてみたり。

暗くなったところで耽るのをさっさとやめにして、飯へ。バス停近辺のレストランで、ルティと、屋台でリンゴとヴァダを買って帰る。

案の定道に迷う。宿はどこ。するとどこからともなくオッサンが沸いてきて、道案内をしてもらう。そこで「津波でオレは全て失ってしまったんだ。だから100ルピーちょーだい。」と要求される。あまり真剣に困っていそうではなかったので、それではありがとう、さようならと立ち去る。

そして懲りずにまた迷う。宿どこやねん・・・。今度は若者に「ジョイント(非合法な葉っぱの類)買いたいから100ルピーおごってくれへん?」とせがまれ、残念ですが、赤の他人の快楽のために奉仕することはできません、と断り立ち去る。

今度は物乞いに遭い、一体全体宿はどこ!んでこの短時間のうちになんでこんなにろくでもない連中に絡まれるん!

ようやく部屋に戻った時にはもうなんだか気分ががた落ちしてしまい、ちょっと心を落ち着けようそうだお茶でも飲みましょ、とコップに水を入れコイルヒーターで沸かそうとしたら感電。心臓が、揺れた。

さっさと買って帰った飯を食べ、寝る。寝てしまおうこんな夜は。

オランダ風の悪霊が棲み付いています

寝てしまいたかったこんな夜なのに、全く眠れない。1時間起きに何故か目が覚めるわ、さらに蚊帳の中まで蚊が侵入していたらしく血は吸われるわで、発狂寸前。この寝心地の悪さは何だ。やけに目が冴えて、おかしい。何かがおかしい。結局ほとんど眠ることなく、6時半には荷物をまとめてチェックアウトしてしまう。一分でも早く出たかった。部屋自体は悪くないのに、宿の雰囲気も悪くないはずなのに、無性に居心地が悪かった。

早々に駅へ向かい、コロンボ行きの列車に乗り込む。通勤ラッシュらしく席は一杯で、立ったまま揺られる。体がだるい。無敵のジャミポッドを聴くも、寝不足とこの体のだるさのせいで、ひとつも楽しめず。

二時間ほどでコロンボのフォート駅に到着。バンコク行きの航空券を探すべく歩いていると、道端で偶然にもキャンディで出会ったカナダ人のウェズと再会、彼は今日スリランカを発つらしく、夕方のフライトまで時間をつぶしている最中らしく、「暇やし」と僕の航空券探しに付き合ってくれた。

ツアー会社で尋ねると、例の格安航空会社ミヒンランカで20800ルピー。ということは、ミヒンランカのオフィスで購入するとこれまた少々お安いのではなかろうか。ミヒンランカのコロンボオフィスの住所を調べ、道行く人々にききながら、バスに乗り向かう。

皆言っていることがめちゃくちゃで、あちこち右往左往した結果、一時間近くかかってようやくたどり着いた頃には汗だっくだくだった。荷物は少ないとはいえバックパックを背負っていたものだから。

18360ルピーで、やはりツアー会社よりいくらも安く購入することができた。右往左往した甲斐があった。来た道を戻り、バスステーションまでウェズと共に行き、近くのレストランでコークの1.5リットルボトルをどんと購入し、一気飲み。喉が渇いて枯れる寸前、九死に一生を得た。

ウェズと別れ、キャンディ行きのバスに乗り込む。というよりむしろ、倒れこむ。疲労。体のだるさは拍車をかけて増し、おまけに頭痛もおぼえはじめた。隣のスリランカ人に話しかけられるも、愛想笑いすらできないほど苦しい。

列車より速いだろうとバスを選んだのに、渋滞のせいで結局四時間近くかかってしまった。目も乾いて濁ったような気分になり、今度は悪寒が襲ってきた。死に物狂いでバーミーズレストを目指す。こ、こんな時には・・・ビタ・・・ミン・・・スィー・・・とみかんを買って歩いていると、エラ行きの列車で出会ったドイツ人のシュトゥラキと再会、宿を教えてというので一緒に向かう。僕の今の状態を察することなく物凄い盛り上がりをみせるシュトゥラキのテンションにあわせるべく、はははそうだよねだよねー、と必死に相槌を打ち、ついにバーミーズレストへ帰還。

みかんを食べ、水分をとり皆としゃべるが、悪寒がさらにひどくなってきたので、ふらふらしながら部屋のベッドに倒れる。宿のオッチャンが教えてくれた、風邪にきくというアユールヴェディックティー、サマハンを飲み、持っていた粉末のポカリを水に溶かして飲み、寝る。体が熱いのに寒い。とにかく熱をださせようと厚着をして、ブランケットをかぶって寝る。

全てはゴールのあの宿から始まったのだ。あの居心地の悪さ。霊の類がいてとり憑いたに違いない、と非科学的な事をぼんやりとした頭で考える。でも、きっとそうだ。悪霊・・・退・・・散。がくっ。

風邪は24時間以内に直すクチです

とにかく寝た。時計を見ると8時。13時間寝ていたらしい。憩い場でティーをのみながら皆としゃべる。「昨夜は目も真っ赤で今にも死にそうだったけど、今はだいぶ顔色もよくなってるよ。」とオッチャン。おかげさまで大分よくなりました。

ガンガーレストランで、ヘルシーでハーバルで尚且つデリシャスな朝食をとる。久々ちゃんとしたものを食べた気がする。軽食でつないでばかりいたのも悪かったのかもしれない。そこにつけこまれ霊にとり憑かれたのかもしれない。まだ霊のせいにしている。

バンコクへ発つまで数日、聖地巡礼の強行ツアーも終わったことだし、のんびりとキャンディで過ごそう。

あと何日かスリランカで過ごす分には若干多すぎるルピーを、米ドルに両替して、部屋へ戻りくつろぐ。うむ。全て良い方向に動いている。体調も。スッキリしてきた。

読書をしていると、オナラの出そうな気配があったので、さらにスッキリすべくプっと出すと、はっ!!!勢い余って下痢が出てしまった!!!かつてないスピードでトイレに直行し、ついでに洗濯。な、情けない。この年になって「うんこもらし」のレッテルを貼られるのはごめんだ。きっと大丈夫、この一連の怪しい作業、誰にも見られていまい。(お食事中の皆様申し訳)

スーパーで軽く買い物をして、再びガンガーレストランへ。コットゥと、ドーサ、得体の知れないスイーツを買って帰る。まだ腹を下しているらしく、トイレにしばらくこもり、皆としゃべる。

パパイヤを少し食べて、残りの半分を冷蔵庫に戻すと、あら?冷やしておいたコーラが一本ない。誰だ!オレの命の水を盗んだ奴は!コーラの恨みは恐ろしいぞ。

シャワーを浴び、また皆としゃべっていると、カヴィが何やら不自然な物体でテーブルを拭いていたので、それ何?ときくと「ジョアンナが置いてったバッグやで。小汚いから雑巾にしちゃった。」相変わらずのファンキーぶり。それまだ使えるやん、オレもらってもいい?「ええよ。こんな小汚いの捨ててしまえばいいのに。」再利用やで、物を大事にするのは日本の心やからね「ビルマでは古くなったものはさっさと捨てるんだぜ」本当か。お前だけじゃないか。

ガンガーのお持ち帰りセットを食べ、インターネットに行ったりして、また宿に戻り皆としゃべる。そういえばこの猫名前はなんていうの?と以前カヴィが捨てたがっていた猫の名をきくと「あそれ?そいつタイガー。」名前もファンキー・・・。猫のタイガーを膝に乗せ、しゃべる。

つくづくカメラに縁がない


中学二年の頃から腹は下しがちだが、それにしても下痢が続く。今日もガンガーで朝食。昼過ぎには閉まってしまうので、夕食の分もお持ち帰りで買って帰る。

すると同じく小旅行にでていたらしいスイス人のアンジが戻ってきていて、聞くとホテルの部屋を少しの間開けっ放しで出ていたせいで、パスポートやカメラ、現金など全て盗まれてしまったそうだ。部屋を開けっ放しで出るなんて信じられないが、かわいそうに。幸い、保険に入っているしパスポートも再発行されるようなのでよかった。

部屋に戻り、手紙を書くなどして、ふと思いつき庭のカメのグラビア撮影会でもしようとベッドに置いてあったカメラを取ろうとしたら、手を滑らせて落としてしまった。

急速に嫌な予感がして、すぐさま電源をつける。「レンズエラー!」の表示。軽く血の気が引いた。床がコンクリートなため衝撃がもろにレンズに響いたらしい。ああ・・・壊れた・・・カメ!何で今この瞬間にカメを撮影しようなんて思ったのだオレ!

チベットで盗まれて、わざわざ新しい物をインド人の友達シャキールに持ってきてもらったというのに、三ヶ月もしないうちに壊してしまった。後悔の波が押し寄せる。あの時もっと丁寧に持ち上げていれば・・・ちゃんとケースに入れていれば・・・カメ!カメのせいだ!カメの馬鹿!しまいには八つ当たり。

何度も何度も、もしかしたらひょんなことから復活するかもしれない、と電源をつけたり消したりするも、「ご臨終です」。あきらめて、手紙の続きを書いたり、インターネットへ行ったり、だらだらと過ごす。

夜は夜とて皆としゃべり、だらだらと過ごし、また後悔。でも、ジャミポッドが壊れるよりはましだし、こんな広い地球の、さらに広い宇宙の中のちっぽけなカメラが一つ壊れたぐらいで、ぐじぐじするなオレ。と凹んだ時に毎回用いる宇宙規模思考で前向きにとらえる。

脳味噌に好影響を与える液体

今朝もガンガーレストランでピットゥ、ヴァダなどハーバルなフードをテイクアウェイ。そして隣のアユールヴェーディックショップ(アユールヴェーダとはインド医学のこと。それに基づいた健康的な商品を売っている)をちらっと見てみる。友達にプレゼントするべく、天然のオイルや、ベビーコロン、各種薬などを買い、さらに見つけた怪しい液体その名もメモリーブースター。

説明書きを読んでみると、こういった具合だ。

「テストの前の勉強時に、こいつをごくんと飲んじゃえばあら不思議、ややこしい方程式もすらすら覚えられちゃう!一家に一本、脳みそガツン!メモリーブースター。」

いかにも胡散臭い。賢そうに見えるスリランカの女の子がパッケージに写りこんで机に座ってこちらをみている。おひとついかが?といわんばかりに。 迷わず購入。これで百人一首を全部覚えちゃお。

宿に戻りチョキンチョキンに冷えたパパイヤをティーのお供にいただき、それから前一度行ったがドレスコードにひっかかって断念したミュージアムへ再度挑戦。

小雨がふりしきる中歩き、サンダルを預け中に入る。あの、ミュージアムはどちらに?「ここちゃうで」しとやかにサンダルまで脱いで入ってきたのに、ここちゃうでとは。外へ出て、尋ねる。ミュージアムはどちらに?「あっちだよ」あっちですね。ミュージアムはどちらに?「そっちですぞ」そっちですね。

皆ちげえよ方向。再挑戦したのに、やはりたどり着けないまま、面倒くさくなって退散。駅で翌日コロンボ行きの電車の時刻をきいて、宿へ帰る。

野菜やらを煮込んでスープを作り、皆としゃべる。キャンディの大学で学んでいるという日本人の女性が遊びにきていたので色々としゃべる。

夜もスープと、お持ち帰りにした今朝のガンガーフードを食べ、ティーをがぶがぶと飲みながら皆としゃべる。しゃべってばかりいる一日。

安息の地キャンディちゃん、そして聖地スリランカさようなら

起きるなり軽く荷物をまとめ、皆でガンガーへ。他の皆はここで食べるのが初めてだったようで、ツウぶっておばちゃん、いつもの、としっかり指をさしながら注文。皆もえらく感動した様子だ。「通っちゃうわあたし!」

長らく世話になった宿の代金を全額支払い、荷造りをすませチェックアウト。きくとここからわざわざコロンボまで行かなくとも空港行きのバスがあるという。では急ぐ必要はないな。

どこかに出かけていたカヴィが帰ってきて、連絡先を交換し、スーパーでお菓子を買ってきて皆とくっちゃべる。昼を過ぎた頃いよいよ出発。皆にまたね、ありがとう、ここは居心地が良すぎるので絶対にまた戻ってきます、と告げる。

バス停につくなり空港近くの町ニゴンボ行きのバスをみつけ乗りこむ。スリランカでジャミポッドを聴きながらこうしてルルラーと歌っていられるのもこれが最後。歌いおさめしとくか、と窓を大きく開けたらドババババババババ。怒涛の勢いでスコールがやってきた。

道は川のように雨水で溢れ、窓がぼろぼろのバスには水が浸入、膝が濡れる。

こちらのスコールは勢いが激しい分止むのも早く、しばらくするとおさまった。辺りはすっかり暗くなり、19時半ニゴンボに到着。歩いてすぐのところに空港があり、ゲートにたっていた軍人に、「またくるんですか?」「おそくなりますか?」と滑らかな日本語で聞かれたので不意をつかれ、あはいまたきます。多分遅くなっちゃうと思います、と普通に答えてしまった。

空港に入り、ベンチで待機。フライトは翌朝5時。随分と時間がある。ありすぎる。余ったルピーを使ってスーパーでお菓子や飲み物を買い込み、つまみながら仮眠。

起きると1時半で、カウンターが開いたのでチェックインをし、イミグレーションへ。約一ヶ月、あの御方の生まれた地だというばっかりに観光に力を注いだものの、結局人には向き不向きがあることを思い知らされたここスリランカ。でもとにかく緑が多く、人も優しく、テロは恐ろしく。また来たいと心から思える国だ。

パスポートにスタンプを押され出国。したはいいもののまだ時間があるので、再び仮眠。そして5時、寒さで目を覚ました頃、ようやく搭乗開始。

9のA席へ。「あの、すいませんここ多分私の席なのですが・・・。」なーに言ってんだか私が9のAですよあら?ここ9のFだ。大変に失礼申し上げつかまつりました。飛行機に滅多にのらないオバチャンのような凡ミスをおかしてしまった。

離陸するなり熟睡するも、機内食の時間には必ず目を覚ます私。機内食といっても格安航空券なので、サンドウィッチとコーヒーだけだったが、よしとしよう。いただけるものは全ていただくのだ。

飛び続けること数時間、9時、懐かしの旅の基点バンコクへ上陸。もうすぐひとまずの旅の終わりが近い。ような気がする。少し寂しい。だって、貯金残高が寂しいんだもの。


スリランカ(2008年2月6日〜3月1日)

マレーシア日記