期待度高いシリア

ヨルダンを出国し、ビザ代20ドルを支払いシリア入国スタンプを押される。エジプトやヨルダン方面の大使館でのビザの取得が出来なくなって、国境でとるしかないと聞いていて、少し心配していたのだが、そんな心配が屁と一緒に吹き飛ばされるぐらい、あっけなくビザ取得。

ダラーという町のバスターミナルでセルビスのおっちゃんにおろしてもらい、そこから間髪おかず首都ダマスカスへ向かうバスへ乗り込む。100シリアポンド(約200円)。またポンド。通貨ってわずらわしいものですね。

満員になると出発。しばらく走ると、なにやらプラスチックのカップが配られた。一体何が起こるというのだ・・・な、なんと・・・お水のサービス。一瞬「もしかしてティー?」と欲をかいて期待してしまったが、それでもこんなところでこういうサービスが受けられるとは思ってもみなかったので、少し感動して涙がちょちょぎれた。

感動して以降は嘘です。

一時間半ほどでダマスカスに到着。一歩変換を間違えると随分と人聞きの悪い首都のような気がするけれど、そんなわけなかった。ガラージュソマリエというバスターミナルから、安宿の近いガラージュバラムケというバスターミナルまでまたもやセルビスで向かい、そこで道に迷っていると、すかさずモハメッドという名の学生が案内してくれた。

「名前は何ていうの?」アブッドゥと申します。エジプト人の友達にもらった名前。「え!本当?僕のミドルネームもアブッドゥ!モハメッド・アブッドゥだよ。」ほほう!これまた偶然で。「失礼かもしれないけど、ひとつ質問していい?」ええ何でもどうぞ。「アブッドゥの宗教は何?」うーん、どれかと言われると、仏教かな。「そっか!じゃあブラザーだね。」え?モハメッドも仏教徒なん?「いや、イスラム教徒だけど、人類皆兄弟って言うじゃない。」そりゃ大した考えだ。イスラム教徒の人って、時々他宗教を頑なに否定してくるんよね。そして神はアッラーだけなんだ!とか熱く語ってくる。でも、それってどうなん?とか思っとったから、モハメッドみたいなイスラム教徒もおるって分かってちょっと安心しました。

そうして道案内を終えると「僕の連絡先、いる?もし何か手助け必要なら電話してきてよ。あ、ううんいらないなら全然電話しなくていいからね!」と日本人みたいに遠慮がちに連絡先をよこしてくれた。シリア人一発目から好感もてました。

それからコリアハウスという、まさに韓国人の経営する宿へチェックインし、ヨルダンで「もう使わんからあげる」ともらった某地球の歩き方を片手に散策する。と、「おい!おーい!ちょっと来なさい!」と軍人だか警官だかに呼び止められる。何事ですかと歩み寄ると「ねえねえ何人?日本人か!ウェルカム!」そしてこちら方式のあいさつ、握手をしながら頬をぴたぴたっと合わせるのをやられた。結構暇らしい。写真を撮るとえらく喜んでくれた。

ヒジャーズ駅という、使われてないけど歴史的になんだか価値のある駅を見学。中に入るとステンドグラスが午後の日差しをうけ、なんともいえない美しい光景を生み出していた。

一通りシャッターを押して、今度は旧市街のほうへ歩いてゆく。金曜日はイスラム国では休日なので、あまりお店が開いてはいなかったが、それでもなんというか、一歩旧市街に足を踏み入れると、まるで新市街とは違った雰囲気に包まれていた。大黒摩季のら・ら・らの歌いだしの部分を口ずさみそうな雰囲気分かるかな。

どこもかしこも手当たり次第撮影しながら歩き、便意を催したところで帰る。コリアハウスなので僕は外国人。他の宿泊客は皆韓国人だと思っていたら、日本人が三人もいたので、しゃべり、旅の話をし、コリアンのおばちゃんがくれたスイカを頬張り、二日ぶりにシャワーを浴びて寝る。

クリスチャンを気取ってみる

宿の情報ノートに書いてあった、マルムーサという町へ他の日本人の方と三人で向かってみることにした。そこは、荒野の奥地にぽつんと建った教会で、訪れる人々を無料で泊まらせ、無料で三食施してくれるそうなのだ。無料という言葉が給料の次か同じぐらい好きな僕は、ペトラ遺跡であんなに迷ったの誰?と尋ねたくなるほど素早く荷物をまとめた。

いらない大きな荷物はコリアハウスに預け、ガラージュアバッスィーンというバスターミナルから、これまたセルビスでネベックという町まで向かう。そこからはタクシーでしか行けないときいていたのだが、セルビスの運転手のおっちゃんが、そのまま追加でお金を払うとマルムーサまで連れていってくれた。

ネベックの町を少し過ぎるとすぐさま荒野が広がった。氷室京介がプロモーションビデオを撮影していてもおかしくない光景だ。15分ほどで目的地マルムーサへ到着。

本当に、その教会以外何もない場所だ。そして教会も長い階段の上の上、崖に建てられているので、ようやく教会の中に入った時は息も切れ切れだった。

「ようこそ。今夜こちらで泊まられますか。さあ水をどうぞ」と素敵にもてなされ、椅子に腰かける。真下はまさに崖なので、落ちたらぐちゃぐちゃですね。と、本当にそうなったら笑えないであろう冗談を言う。

さらにウェルカムティーまでいただき、ほっと一息つく。週末というのもあってかなくてか、欧米人が結構多い。

それから部屋まで案内される。わーお・・・随分と景色のいいところで、ベッドの丁度三つある部屋じゃないですか。これでタダやなんて・・・バチ当たりますまいか。「瞑想が19時半から、夕食は21時半からですので。」

休憩してから、少し離れたところにあるもう一つの教会まで散歩してみる。ん?方向違わないかい?散歩というか、クライミングに近いニュアンスのこの道のり。まあよしとしようか。思いがけずクライミングを堪能し、その教会より随分高い位置まで登りつめた。

わ、わーお・・・圧巻。氷室京介がプロモーションビデオのサビの部分を撮影していても何ら違和感のなさそうなこの光景。気持ち良くなったあまりついTシャツを脱ぐ。大自然と融合するには裸が一番しっくりくるのだ。

さらにさらに上へと登っていくと、何故か車道がそこにあった。こんなところに車が何をしに来るのだろう。頂上まで先が少し思いやられる距離だったので途中でやめにして、写真を撮ったり、音楽をきいたりする。まさかシリアのこの場所でたまを聴くとは思わなかった。「今日人類が初めて、木星についたよ♪」の直後のツイター!!を力み調子で叫ぶのが乙。

徐々に陽が暮れかかってきた頃、下山してシャワーを浴びる。アンマンの町のど真ん中になくてどうして荒野の僻地のここに普通にあるのだろう。水。

そして19時半。教会の中へ入り、瞑想。初めに神父さんとシスター達がアラビア語で何事か唱えると、電気が消されロウソクの明かりと、あとは静寂だけになった。

久々にこんな静けさの中に身を置いた気がする。人間の生活とは、随分耳に支配されているものなのだな、と思う。音が少なすぎて、耳鳴りのようにキーンと音が聞こえるような気さえしてくる。音がないと、逆に落ち着かない体になってしまっているのだろうか。

ギュルルルルル

静寂に身を置き心ひそかに瞑想をしていても、体はやっぱり正直なのですね。腹へった・・・。

小一時間すると電気が点き、聖書を配られ、それを皆で読み始めた。が、もちろんアラビア語なので意味が分からない。時折きこえるハレルーヤハレルーヤ以外。

さらに配られた聖書が英語だったので、苦労しながらも少しづつ、読んでみる。ふむふむ。ふむふむ。GODとLORDの違いはなあに?つまり神と主の違い。なあに?そして、どうしてその神だか主だかは、一度造りあげた世界を、「こりゃいかん、悪いぞ」と、全滅させてまた造りなおしたりしたの?随分身勝手じゃないか。アダムとイヴはヘビに騙されたのか、へえ〜。

今まで全く興味も機会も持たなかった聖書。読んでみると、あまり意味が分からない。そりゃあもちろん英語だし、まだ数ページしか読んでいないのだけれど。神って何だ。

22時、予定より少し遅れてようやく終了し、念願の夕食。アイーシュというパンに、チーズ、トマト、キュウリ、ツナ缶、ジャム、ティーという質素なはずのものなのだが、ここにはレストランはおろかお店一つないので、全てが貴重に思え、夜中に腹をすかすまいとたらふく食べさせてもらった。感謝して食べました。

歯磨きを終えると一気に消灯され、辺りは闇に包まれた。満点の星空が頭上に広がる。それだけで明かりになりそうな気がしてくるぐらい、キラキラと瞬いている。流れ星をいくつか見て、眠りにつく。なんと贅沢な夜でありましょう。

ますます分からないキリスト教の世界

翌朝は6時に目が覚めたので、昨夜の食事の洗い物を手伝おうと教会へ向かったが、扉が閉められていたので、二度寝。8時前に再び目を覚まし向かうと、もう洗い物は終わりかけていたので、次手伝います!と言ってお祈りの部屋へ入る。

日本語の聖書が置いてあったので、昨日の続きのところから読んでみる。日本語だから読みやすいかな、と思いきや、日本語も日本語で、解せない。一体全体

わたしはあなたをおびただしくふやそう

ってどういうこと?もしかすると、おびただしい数のジャミラがこの世にちらばるようなそんなイメージ?えぇぇ・・・

さらに、サラという90歳の女性が子供を産んだり、父親を酔わせて一夜を過ごした娘が身ごもったり、生まれて八日後に包皮の肉を切り取られたり(割礼)。朝っぱらから随分脳みそがぐるぐるしてきちゃった・・・。

お祈りの儀式の途中、隣の人と両手で握手をして逆隣の人にまわしたり、パン切れとワインを一口いただいたりもした。酒を用いるのは仏教ないし神道でも見かけたことがある。

すると、お祈りに参加していた家族のうちの小さな子、ヨセフがフィーチャーされ始め、服を脱がされ、水がめの中に入れられようとしている。何ごとか分からず泣き叫ぶヨセフ。も、もしや・・・か、割礼!?ぎゃー!切っちゃうの!?ねえ切っちゃうの!?

いーい湯っだっなっあはは

関係ないのに無駄に緊張してしまった僕をよそに、ヨセフは聖水のようなもので体を清められただけであった。んま、紛らわしい!神聖な儀式なはずなのだが、ヨセフの家族は総出で息子の晴れ姿を!とビデオカメラをまわし、他の人達もフラッシュをたきつつパシャパシャと撮影していた。そういうフランクな雰囲気嫌いじゃないので、もれなく僕も撮影。

晴れてめでたくクリスチャンになったらしいヨセフは皆から祝福を受けているが、当の本人は何が起こったのか知る由もない表情。「知ったこっちゃあるかい」子供って、いいですね。

お祈りの後に洗礼の儀式もあったので、今回も少し遅めに終了し、10時頃朝食をいただく。ヒヨコ豆だかなんだかのサラダとパンとティー。これまたうまい。今度こそはと、食べ終えるなり台所へ向かい、皿洗いを担当させてもらう。オーストラリアのタイ料理屋で来る日も来る日も皿を洗っていた甲斐がありました。

一緒に来たあとの二人の方々は、もうダマスカスに帰るというので、それを見送り、一人ここマルムーサに残る。だってタダなんだもん。それに随分と落ち着く場所らしい。

アラブ風呂って大袈裟に言うけども

翌朝運良く神父さんがダマスカスに出かけるというのでそれに便乗させてもらい、二泊三日のクリスチャンかじってみるツアーを終えた。かじる程度で充分です!

銀行やインターネットカフェで野暮用を済ませ夕方、ハンマーム、とどのつまりアラブ式風呂、良く分からないがなんとも興味をそそる物体が存在しているという情報をキャッチした我々、ないし我は、一体それがどんなものなのか真相を明らかにすべく、旧市街へ足を運んだ。どこらへんがアラブ式なんだい。

途中道端で良く見かけて気になっていたベリージュースを飲む。10ポンド(約20円)でこれは実にうまい。カキ氷のシロップみたいだけれどもうまい。それに屋台のオヤジ、の隣に終始座っているオッチャンがやたら関西の見事なイントネーションをもってして「ええよ〜ええよ〜」と連呼するのもベリージュースの意外なうまさに拍車をかけた。ええよ〜。どゆ意味

そしていよいよ、何軒か巡った挙句、1180年創業以来男共がたむろしつづけているという(男性専用なのだ)、由緒あるハンマームヌールッディンへ入湯することにした。料金は他所より若干高めの300ポンドだが、由緒代だろうきっと。

貴重品をまず預ける。「はいよーくみてて。お金とカメラ、このロッカーに入れたね。で、カギかけたね。そしたらカギ、あなた持っててね。」とセキュリティの万全さをそれとなくアピールされ、続いてその他の荷物を壁にひっかけ、脱衣。

腰に布を巻き、お風呂セット片手にいざハンマームの世界へ。

日本の温泉と同じような具合に中へと突き進むと、もわーん。湯気、むしろ蒸気がたちこめている部屋へ到着。そこに蛇口と水がめのようなものがある。なるほど、ここで体を洗うと、いうことだな。

他にも数人客がいて、体を洗っている。久々シャワー以外の方法で洗うのは心地良いのだが、いかんせんこの布が邪魔だ。肝心要の部分がしっかり洗えないじゃないか。

それでもなんとか身を清め、奥の小さなスペースへ。ほほう、なるほど。つまりはだ、

サウナだ。

アラブ式風呂なんていうものだから無駄に期待をふくらませて挑んでしまったが、要はサウナだ。垢すりやマッサージも受けられるのが魅力のひとつなのだろうが、別料金なんだもん・・・。

まあ、由緒代ですね。とサウナに勤しんでいると、パレスチナ人が数人入ってきて話しかけてきた。「どっからきたの?」日本です。「おおヤバーン!俺っちパレスチナ!こいつさ、明日結婚するんだぜ!」ほほう、それはそれはおめでとう。

すると本人以上に盛り上がった友人及び本人が、歌いながら肩を組み、風呂の中を盆踊りのような軽いステップで闊歩し始めたではないか。そしてあろうことか「こっちこいよ〜!」とトレンディドラマにでてくる青年よろしく爽やかに僕を誘ってきた。

断る理由も見当たらなかったので、ともに肩を組み、闊歩する。これがハンマームかあ。そういうことだったのネ。ちゃんとガイドブックなんかにも書いておいてほしいよなあ。「ハンマームとは、サウナの中で肩を組み軽いステップで歌いながら闊歩し、互いの親睦を深める場である」

それから体を洗い始めた彼らは、中学生の修学旅行現場と見紛うほど「おいお前ゴシゴシしてやるよ!」「おいやーめーろーよー!」などと思い切り背中をゴシゴシしあったりなどしていた。

見るからに30代〜40代なんだけどな

ハンマームの何たるかを思い知った僕は、ほんの20分ほどで出てしまった。湯船のない風呂に長居は無用。

するとスタッフのジッチャンが、新しい布を巻いてくれ、さらに「ちょっとお顔よこしなさい」とタオルで顔を拭いてくれた。ふいて「くれた」というよりふかれた、が正しいか。細かいサービスそれがハンマーム。

結論:日本の温泉が世界一。

天空の城ラピュタ。風のお城

ダマスカスを発ち、北上してハマという町へ着いた。ここは水車が有名な町だそうで、言い換えれば水車以外特に見所のない町だそうだ。

陽が落ち始め涼しくなってきた頃、町を散策。なるほど町のいたるところに水車が。ギコギコと巨大な水車が音を立ててまわる姿は、なかなか見応えありだったが、地図にのっていた水車を一通り全部みるのに二時間とかからなかった。

途中でくわした地元の親子に「フォトフォト〜」と写真を頼まれ撮影してあげると、お礼にシャイととれたての桃をくれた。シリア人は人が良いとよく聞いていたが、確かに良い人が多い。

夜は、チキンサンドとしぼりたてのオレンジジュース。日本でもよくみかけるケバブサンド屋の店頭でぐるぐるとまわっている大きなチキンの塊、あれです。

翌朝、同じ部屋に泊まっていたイタリア人のデイヴィッドとともに、クラックドシュバリエ、という城へ向かう。ハマの町から30分ほどダマスカス寄りのホムスという町でセルビス(乗り合いミニバス)を乗り換え一時間半ほどで到着。

僕が遺跡関連に全く興味を持たないことは、ピラミッドの項あたりで皆さんご存知かとは思われますが、ところがどっこいこのクラックドシュバリエ、ああ言いにくい名前、は、なんだかとても好きな予感。

入城料が150ポンド(300円)とそこそこ手ごろなことが一番大きな理由かもしれないが、それにつけてもこの城とこの街の雰囲気、まさにラピュタ風。苔むした岩の感じなんかもうそのものジャン!

色んな方向に道があって、迷路のようだがともかくくまなく潜入してゆく。日差しの強い昼間だが、一歩城の中に入ると気温差10度はあるんじゃないかというほど涼しい。パズー!

すると奥のほうで何やらおかしな衣装を着た人々が。観光客相手の記念写真隊かなと思いきや、映画の撮影中らしい。監督らしきワイシャツの男が「もっと右!そう!そこ!」といった感じで取り仕切っている。エキストラと思しき連中は「写真とって〜」と外国人に自ら依頼している。

一体何の映画なのだろう、とデイヴィッドと話す。「よくわかんないけど、B級のにおいプンプンだね」とデイヴィッド。一所懸命撮影に挑んでいる彼らには申し訳ないが、僕もそう思う。

そうして一通りぐるりとみてまわり、頂上へ到達。そこからの眺めはなんとも言えぬ清清しいもので、「あの地平線」と地平線はおろか水平線すら見当たらないのに口ずさんでしまう。

ラピュタってそういえば、どんなお話?ペンダントが爆発?三つ編みのばばあが活躍?

覚えてないのにラピュタや〜!と興奮する僕はまだまだミーハー。それでもクラックドシュバリエは素敵でした。

アレッポ百歩


ハマを発ち、さらに北上してお次はアレッポという街へ。一時間半ほどで到着し、さて安宿街へ、と歩き始めると、どこからともなくシリア人があらわれ、「街へ行くのか?そうなのか?だったらあのバスでいくんだよ。たったの5ポンド!キャムヒアキャムヒア」Come hereのアクセントがとってもイカしていたので、彼に言われるまま市内バスに乗り込む。

シティセンターと呼ばれるまさにシティのセンター部分で下車し、宿を探す。そしてやはり地図を読み違え、方位磁石をかざし違え、気がつけばアレッポ城という観光スポットに先乗りしてしまっていた。先乗りしたところでこんな大荷物担いで歩けやしないので、道を尋ね、汗だくになりながらどうにか着いた。

ガイドブックに乗っていた宿は高かったので、近くに散在するうちのKawkab Al Salamというホテルへチェックイン。「シャワー浴びるかい?あっちだよ」と汗にまみれた僕を見かねて案内してくれた愛想のいいじいちゃんと、レンガ造りの壁が気に入った。シングルで300ポンド。

水を浴びてすっきりしたところで、外を歩く。先ほどのアレッポ城へいってみる。こちらも入城料150ポンドらしいのだが、うーん。クラックドシュバリエほどの、こう、ソソるものがなかったので、城壁のまわりを一周してみるだけにした。

もちろん、城壁の周りだから、壁しかみえやしない。楽しくもないうえに日陰もないので、早々に退散し、スーク(市場)へ足を運ぶ。ダマスカスの旧市街も好きだが、こちらもなかなか風情があってよろしい。

しかしながら、およそ30キロの無駄に多い荷物を担いで歩きまわったせいか、異様に足が重いので、宿へ帰って昼寝。ファンタストロベリー味がぶ飲み。これまたカキ氷のような味わい。

夜はまたしてもチキンサンド。あまりバリエーション、選択肢がないのかただ僕が選択してないだけなのか分からないが、こればかりで少々飽きてきた。

老人ラファエルのおはなし

翌日はトルコ行きのバスのチケットを予約したり、軽く散歩したり、部屋で映画を観たりして過ごした。

その夜、宿に泊まっていたレバノン人のラファエルという名のオッチャンに「ジャパン、こっちきてすわんな。話でもしよう。」と呼ばれ、「ちょっと代わりにわしの携帯でメールを打ってくれんか。やり方わからんのだよ。」いいですよ。と、言われるまま文章を作成する。

「わしは今とても悪い状況下にある。お前の助けが必要だ。今すぐに電話をしてくれ。もししてくれないのなら、わしはお前にとって何ものでもないということだな。」

一体こんな文章を誰に送るのだろう、と気になりはしたがきかずにいると「ファッキンわしの息子だよ。電話も出やしねえ。」

「わしは二ヶ月前までオーストラリアの刑務所にいたんだ。」え!何したん!?「人を撃った。それで四年間入れられていた。」

日常会話ではそうそう登場しない「人を撃った」という発言に若干驚いたが、あくまでも淡々と語るので、あへえ〜そうなんだ〜とすぐに飲み込んでしまった。そこから彼がひとつひとつ話し始めたその内容といったら、死海の塩なんかよりも、大阪のおばちゃんの化粧なんかよりもずっと濃いものだった。

「わしはかれこれ45年間旅し続けてるんだ。初めて旅にでたのは16歳のとき。今わしは61だからな。レバノンからシリア、トルコ、ギリシャ、ユーゴスラビアを抜けてイタリアのローマまで、一銭ももたないで旅にでた。ある時はヒッチハイクをして、ある時はセックスをして金を得た。当時のわしはもっと痩せて男前だったからな。セックスで金が稼げた。」

「その時ギリシャでクリスという男と出会ったんだ。やつは人生で一番の親友。ボーイフレンドでもあった。」

ボーイフレンドという言葉の意味に首をかしげていた僕をみて「ボーイフレンドだよ。愛し合ったさ。でもな、セックスなんて次元じゃないんだ。やつは、本当の、本気の親友だった。初めて会った時は酔っ払ってケンカしたけど、すぐにお互い何か感じたんだ。そういうのは喋らなくても伝わるからな。やつとは一緒に20年間旅した。偽造パスポートでどこへでも行った。そして偽造パスポートやドラッグを売りさばいて巨万の富も得た。日本へも行ったことがあるぞ。1977年ぐらいだったかな。温泉にいったんだが、皆素っ裸で驚いた。でもすぐに脱衣所に戻ってわしらも素っ裸になった。面白いな文化の違いというのは。」

「100ヶ国以上は旅した。中東にもアジアにも南米にも行った。アフリカでな、人喰い族とともに一週間過ごしたこともあった。」あ!なんかそれきいたことある!本当に彼らは食べてたの?「もちろん。死人を食べるんじゃなくて、生きた人間を殺して食べるんだ。でもわしは食われなかった。そいつらのうちの一人とファックして気に入られたからな!だはは」だ、だはは・・・

「あと、ちんぽこが10メートル近くある部族にも出会った。すごいぞ本当に見たんだ。歩くのに邪魔だからベルトみたいに腰に巻いてたぞ。」即座に稲中にでてくる先輩力士を思い出した。長すぎ。

「ギリシャの奥地で僧侶になったこともある。そこは女は決して立ち入れない場所でな、行ってみると僧侶みんなファックしてんだ。すぐやめたよ。」

「本当に色んな所に旅した。でもな、もうわしの人生は終わってるんだよ。12年前に。」

「その時わしはスウェーデンの刑務所に入れられてた。」刑務所ばっかやん。「人を撃ってな。」殺したの?「いや、殺してはいない。で、その間に、クリスが死んだ。」

「アフリカでドラッグを売りさばいていたらしい。そこで誰かに殺されたんだ。」

「その二ヶ月後、妻が死んだ。」奥さんは病気かなんかだったの?「心臓発作だ。心労が絶えなかったんだろうわしのせいで。わしの妻はな、もとは従兄妹だったんだが、わしの仕事のことも、クリスとのことも全部知ってたんだ。それを全部知ったうえで、結婚してくれた。最高の女だよ。」

「最高の妻と、一番の親友をいっぺんに失った。わしはもう終わったようなもんだろう。自殺でもしたほうがいいと思わないか?もう老いぼれて昔みたいに仕事はできない。こんな醜い姿じゃ誰も近寄ってこないから、セックスしようと思えば金を払わなきゃならない。昔と全て逆だ。本当だぞ。年をとると、何もかも遠ざかっていくんだ。」

僕の経験値でどうこうと答えられる次元じゃないので、ひたすら耳を傾けるのが精一杯だ。

「でも、今またわしはギリシャに向かっている。ギリシャにいけば金を貸しているやつらがいくらもいるから、その金を取り戻せば家族の世話にならんで済むだろう。そのために行かなきゃならないのに、そこに行くまでに金がかかる。今のわしはその金さえない。だけど家族はわしに金を貸そうとしないんだ。もうあちこち出歩かれたくないんだと。誰もわしを理解してくれない。」

それで息子にメールを送っていたわけですか。「レバノンの政府め、四年間刑務所にいたから四年間パスポートは発行できませんだなんてぬかしやがるし。」じゃあお金あっても行けないじゃんなんて野暮な質問はもはや生まれなかった。

「コカイン1000ドルで買わないか?レバノンもどりゃすぐに手に入るぞ。」あはは、でも必要ないや僕。「どうして必要ないなんて分かるんだ?試してもないのにどうしてそれが良いか悪いか、好きか嫌いかなんて言えるんだ?俺の言ってることおかしいか?」

あ、うん基本的には間違ってないと思う、けど、ね、倫理的というか、法律的には間違ってるよね。でも、コカインの話じゃければ、ラファエルの言っていることは正しいのかもしれない。ただの先入観や人からきいた噂なんかだけを鵜呑みにして、何も自分で挑戦しないで、それは嫌いだ、それは悪い、なんてどうして言えよう?百聞は一見に如かずという言葉は古くから日本にもあるわけだし。

よしこれからは極力何でも挑戦してみようなんて思ってみたものの、ラファエルが体験してきたことのほとんどを、試せる気がこれっぽっちもしない。

シリア最後の夜に、壮絶な人生を歩んできた男の一片を垣間見ることができて、よかった。

そして、僕って、まだまだぬるい!

シャーシャーという音は通常ウンコのかもし出すものではない

夜中に少し気持ちが悪くて目を覚ます。チキンサンドを思い浮かべると吐きそうになった。何故。

8時過ぎに起床すると、首が物凄く痛い。寝違えた。そして、下痢。ここまではいつも通りのジャミラなのだが、やはりどこか、吐き気に近い感じがよぎる。悪霊でもいたのかこの部屋に。体調を崩すと、まず自分の食生活を省みるものなのに、いの一番に悪霊のせいにしたがる性格どうにかして。

祟られたように首が痛く、祟られたように止まらない下痢。どんな食べ物を、飲み物を想像しても気持ち悪く、水だけ買ってきて正露丸をともに飲む。持ち歩いている無印の干し梅をつまむ。少し吐き気がやわらいだ。目には目を。酸味には酸味で対抗というわけですか。

だがおまけに耳の奥まで痛み出していよいよ悪霊にとり憑かれた気になる。

悪霊はさておき、昨夜、僕はコーラとミックスジュースとオレンジフローズンドリンクと水を一気に飲み干した気がする。いや、気がするとかではなくて、確かに。それが主な原因な気もする。いや、気もするとかでもなくて、確かにそれだろう。

全くこれから大移動だというのに・・・オレとしたことが・・・ギリギリまでトイレと部屋とを往復して、時間がきたのでバス停へむかう。

そこでさらに有料トイレを利用、朝から何も摂取していないのに、大盤振る舞いで排出ばかりするものだから、胃も心も頭もなんだか空っぽだ。

アレッポを出発し国境へと向かうバスの中も、ひたすら肛門様の監視。この肛門が目に入らぬか!と迫り来るシャーシャーウンコどもを脅す。出てくるでないぞ。

一時間弱で国境に到着し、コーウンにも「2〜3時間は待つ気でいよ。」と本に書かれていたのにいとも簡単に手続きは完了した。

あら、シリア終わっちゃった。またウンコ話で〆ちゃった・・・。


シリア(2009年6月26日〜7月4日)

トルコ日記