お前が高山病にかかるなよ

というわけでシャングリラを出発する前からゲロやゲロや、それからゲロ等のアクシデントに巻き込んで巻き込まれた私ジャミラ。気がつくとすでにバスは出発していた。

待ちに待った出発できゃぴきゃぴはしゃぎたかったのになんだろうすごく頭が重いよね。しばらく安静の方向でjamipodに聴き入る。その後も3時間に一回のペースで停車したり、チベタンのばあちゃんはやっぱり早朝からばかでかい声で会話するからおかげさまでばっちり睡眠不足になったり、

休憩の際トイレはどこだときいたらロバ小屋に案内され、これって肥溜めの上に板何枚か敷いたよーってやつで、決してトイレではないよね?とみえない誰かに質問したり、時々バスの中を横切る人糞臭(ジンプンシュウ。ジン・プンシュウという名前ではない)に中国人への疑念を更に抱いたりしながら少しづつ少しづつ、バスは一路ラサへ向かう。

夜。バス、何度目かわからない故障。故障で停車しているのにあたかも夜ごはん休憩だよみたいな顔している運転手。ちっくしょうおまえー、別にもう何ともおもわないよ。

またもや香港男ルゥイとクンミンのおやじヤンと円卓を囲みごちそうになる。ビールを・・・・あなた今私にビールを差し出してきましたね?すすみません今日という今日は無理。ビールの黄色をみるだけで戦慄のシャングリラを思い出してすぐさま今食べたチンジャオロースーを巻き戻しそうになるから。たらふく飲まずに食べて会計。

毎回払おうとすると「いらん」と言われる。「上の人におごってもらうってのも中国での一種のリスペクトの仕方だから気にしなさんな」とルゥイ。まあ日本も似たような感じだけど、一応払う意思をみせるのもこれジャパニーズスタイルね。たとえおごってもらうつもりでも、出すフリぐらいはしてみるせこい男それがジャミラ。

バスに戻り出発。するのかと思いきや今夜はここでお留守番★。動かないだけだろうが。

翌早朝6時。まだ外は暗い。腹痛で目が覚め、トイレを探す。ない。さあお前達、大地へお還り。星空のもと・・・。命あるものは誰しもいつか大地へ還るんだよね、と大いなる地球に愛を感じながら・・・。
〜shit on the earth〜 人はこれを野糞という。

ようやく出発し順調に進む。そりゃあ一晩寝かせてやったんだからな怠慢バスさんよう。小事にとらわれて今まで触れるのを忘れていたけれど、ここ、もうチベット。

それを知ったのはついさっきのことで、ふとルゥイに「ジャミラ、もうチベット入ってるよ」と言われ驚いた時にはすでに酸素は薄いしくちびるは乾いているし、標高まさに5000m。もう最悪。なわけないじゃないか。みてごらんよこの限りなくブルーに近いブルーの空を。その空にむかってそびえたつ山々を。これさえあればもう何も・・・

ガリガリ

おっかしいなあ、青い空と白い雲と雄雄しい山を仰いでるだけなのに、ガリガリってことないよね、そんな音きこえてくるはずないよねえ。

!?

忘れていた。すっかり忘れていたよ。僕は21世紀に生きる現代人だったことを。地球と俺と、それだけあれば何もいらないなんて誰が言ったよ・・・僕は、今ここに文明を手にしていたのだった。文明と共に生きることに喜びを感じずにいられなくなった現代人ジャミラ。確かにきこえたよ。ガリガリって。それはゆるぎない事実だよ。

ジャミポッド(正式名称第三世代ipod、享年2歳)

生身の僕はこんなにびんびんしてるのに、機械の君が高山病にかかってどうするんだよ・・・最期の曲がジョンレジェンドっていうのもなんだか微妙じゃないか、説明書に高山病の恐れありだなんて書いてなかったじゃないか、君なしでどう生きてけっていうんだよ、目を覚ましてくれよジャミポッド・・・

この日の日記には「血の気引くよね」と当時の衝撃を生々しく記してあった。この血の気の引き方カンボジア並み。いつまでもガリガリと音を出し続ける我が子の苦しみを、この手で終わらせました(強制終了)。

わたくしのぶりぶりとヒマワリのボリボリ

そんなことなど露知らず、走り続けるバス。ジャミポッド死亡のショックが大きすぎたか、中華料理の油の多さに参ったか、もとからそういう体質だったか、再び、いや三度、いやよたび腹痛をひきおこし、

チベット高原のど真ん中で、私はそっと大地に腰をおろしました。 ぶりぶりっっぶーーー(大空と大地の中で一人の男が地球に共鳴している音)

そしたらバスが出発して遭難しそうになりました。こんなところに置いてきぼりされると、おそらく私明日の朝までには息を引き取っていますよもれなく。

ときに地球と共に素晴らしきハーモニーを奏でたりもしながら、順調に進んでゆく。山々を越え、町に着いた。そこで降りる者、新たに乗り込んで来る者を尻目に、僕は自分の尻を気遣いまたしてもトイレへ。公衆便所を探し通りを歩く。

トイレは中国語で「厠」と書いてあるので分かりやすい。あったぞあれだ。しかしカギがかかっている。そこのトイレを管理しているであろうおばちゃんに尋ねる。通じない。英語はもちろんのこと、拙い中国語も、通じない。

それではと、尻を突き出し「ブリブリー」と声を出しジェスチャーにて試みてみる。しかし通じない。あきらめて他をあたる。無い。厠が見つからない。まずい。バスがまた出発してしまいそうな気がする。それにそろそろ、粗相をしてしまいそうだ(漏らすと同意語)。もう一度さっきのおばちゃんのところへ。

なぜだか今度はあっさりとカギをあけてくれたうえに利用料金の5角も徴収しないおばちゃん。一体さっきまでの「なんだかわけの分からない男がブリブリ言ってるが、放っておこう」な雰囲気はどこへ。結局いい人だったのかなんだったのかは不明だが、ともあれ尻も落ち着きを取り戻し、バスにも遅れることなく乗り込め、出発。

すると隣にいた早朝バカでかい声のチベタンばあちゃんが「ほらよ」とひまわりの種をくれた。中国へきてからというものの、このひまわりの種をボリボリと小気味良い音を出しながら食べる人々を何度もみかけ、物凄く気になっていたのだ。ありがたくいただき、早速食べてみる。

が、ボリボリやパリパリという音は出ず、種もきれいに割れないため口の中が種の中身とその殻とで滅茶苦茶になる。食べたい種の中身の部分も一緒に殻と吐き出す羽目になる。これはどうしたものか。窓外に広がる景色に目もくれず、お口の中で試行錯誤を繰り返す。

ようやくコツをつかみ地元民のようにさりげなく軽快にボリボリと音を立てられるようになった頃には辺りは暗く、晩飯休憩の時間がきていた。

そこでもぬかりなく地球とのハーモニーを奏で、ヤンにラーメンをご馳走になり、今までの遅れを取り戻さんとしているのか、再びバスは走り続けた。

およそ5泊6日の旅の末ついに念願のラサへ

6時を回った頃だろうか、セインカミュが一日警察署長をしているという不可思議な夢をみているところをルゥイに起こされ、外へ出る。寒いのにいちいち呼び出してくれるとはなにごとだよ君、

「あれみてみ」と指差された方を仰ぎ見ると、そこには朝陽に照らされ真っ白に輝く雪山が。美しい。空の青とのコントラストが更に美しさを際立てている。

心を洗われた気になりバスへ戻る。ふと、昨日永い眠りについた我がjamipodを手にとり、ボタンを押してみる。無駄だとは分かっていても我が子が死んだなんてにわかには受け入れられない母象の心境。

「おつかれー」ん?まるでいつも通り出勤してきた同僚のようにさりげなく、電源をオンにしメニューを表示している君は確か昨日不慮の高山病で死んだjamipodじゃ・・・・

な、直っている・・・直っている!!!!恐る恐る曲を再生してみる。流れてくるのはいつものゴキゲンなメロディ・・・thanks god・・・キリスト教徒でもないのに神に感謝をした瞬間であった。

また調子に乗っているとガリっと言われてしまいそうなのでjamipodにはラサへ着くまでしばし休息をとっていただくことにして、寝る。

昼過ぎ、給油などしてさらにさらにバスは進む。15時、なにやら大きめな町へと辿り着いた。まさかここがラサではないよね、ラサってきっと草原だし、うんここはラサじゃない、と思ったらやはりラサではなかった。そんな町でルゥイは1、2泊してラサに向かうと言い降りていった。

なんだか、そろそろな気配が漂う。そろそろラサ。町を過ぎ大きな川を左手に走るバス。途中で降りていった人達のおかげで空いた二階席へよじ登り、寝転びながら景色を眺める。山、川、雲、太陽、全てが美しい。この美しさは到底人の手で作れるものではない。

陽の暮れかかった頃晩飯休憩。チンジャオロースー、麻婆豆腐、カエルのようなもの、肉をいただく。バスに乗ってからというものの、ほとんどヤンにご馳走になりっぱなしだ。以前ご馳走になったりして物凄く痛い目に遭ったので、少し心配をしつつもぺろりとたいらげる。謝々。

いよいよラストスパートな気配を漂わせ走るバスに揺られ、眠る。目を覚ますと、さっきまで枕元に置いてあったはずのカメラが無いことに気づく。汗。ベッドを降りて通路を見渡すも、無い。隣で寝ている中国人女性を疑う。盗んではいまいかと鋭い視線を投げかける。その様子をみてチベタンばあちゃんが、「下もよおく探してごらんなさい」とアドバイスをくれた。ベッドの下をライトで照らす。

ごめんなさい。中国人女性さん。自分の不注意で落としただけのカメラを盗まれたと勘違いし、疑ったりした僕を許して下さい。いつからこんなに疑い深くなったんだろうか。あれ以来だ。一種のトラウマだ。

ほっと一安心し、再び眠る。気づいた頃には時計は24時を回っている。外を見やる。町だ。ここはどこだろう。ヤンに尋ねる「ラサだ。」へーラサか、もう一眠りしようっと。

ラサか!!!!

ついに・・・ようやく・・・道中の苦労が多いほど達成の喜びもひとしおだと人は言うが、本当にひとしおだ。ここはもうひとしお足してふたしおにしてもいいぐらいだ。5日間バスに揺られ続け風呂にも入らないでい続け、ある種の仲間意識を持っていた乗客の皆に別れを告げ、宿へ向かおうとすると、

ヤンが「タクシー乗りな。連れてってやる。どこへ行くんだ?」と尋ねてきた。スノーランドホテル。えっと、雪域賓館、シュイユービングワン。「おーけい。」運転手に行き先を告げ向かう。

しかしあれだ、町だ。草原などどこにもありはしない。そもそもラサは草原だなんて誰が言ったのだ。おそらく誰も言っていない。勝手なイメージ付けはよくない。

宿に着きチェックイン、しようとしたらもう閉まっていた。そりゃそうだ、もう深夜1時前だ。他に宿を知らないので、いつも通り途方に暮れていると、ヤンが「わしの泊まるとこ来たらええ」と別のホテルへ連れていってくれた。

なんだか高そうなその名も日光ホテル、料金をチラ見(ちらっと見るでもなく見ること)すると200元(約3000円)近かった・・・でも仕方が無い、他にあてはないし、そう思って半額の100元を手渡そうとすると、「かまわん」さすがにこれ以上おごってもらうわけにはいかないのでもう一度手渡そうとすると「いいからいいから」。ありがたい反面、このパターンはあの時と似ている、と少し警戒する。

何を隠そう不肖ジャミラ、以前おごられにおごられまくった行きずりの相手とホテルを共にしてクレジットカードを悪用されたことがあるのだ。ヤンの親切に感謝しながらも、風呂にマネーベルトを持っていく。

5日ぶりのシャワー。何と気持ちのいい人間の営み・・・疲れや汚れが瞬く間に流れ落ちてゆく・・・思えば長い道のりだった。一時はどうなることかと思った。

そうしてヤンと少しおしゃべりをし、 心地良い眠気に誘われるまま、ふかふかのベッドに沈み込む。

今度は本当に盗まれました

相変わらずの下痢で何度か目を覚ましつつも、ゆっくりと9時過ぎに起床、素敵なホテルだがこれ以上こんな高いところに泊まってはいられないので早々に昨夜閉まっていたスノーランドホテルへうつろうと荷物をまとめていると「まあまあ、飯でも食べしゃんせ」とヤンに言われ、ホテル向かいの飯店へ。

ラーメンを注文し、ヤンとしゃべる。とはいってもヤンは英語が全く話せないし、僕もほんの少しの中国語しか知らないので、大体は雰囲気での会話。それでも何故か分かり合えるのが不思議でしょうがない。

一夜明けた今日、何も盗まれた物はないし、ヤンにも変わった様子はない。もしかしてこのおっちゃん、本当にただただ親切なだけだったのかもしれない。疑ったりして申し訳ない。いつからこんな疑り深い人間になってしまったのだろう。やっぱりあの時以来だ。

ヤンの住所を聞き、手紙を送る約束をする。ラーメンを食べ終えホテルをチェックアウト。タクシーを呼んでくれ、運転手に行き先を伝えてくれた。「またな!」最後まで親切にしてくれっぱなしだったヤン。おっちゃん、シェイシェイ!良い人って、いるもんだな。

劇的、でもない別れを果たした5分後、スノーランドホテルに到着。劇的に別れる必要がないほど近距離ですから・・・。チェックイン。旅人向けの安宿だ。3階のドミトリーへ。中には日本人らしき男性が一人。こんにちはー

「うわびっくりしたー、チベット人かと思った」

おめでとうありがとう。ついにここチベットでも見事に現地人に間違えられることができました。偉業達成、と受け取ってよろしいのでしょうか。「カム族の男そっくりやわー」カ、カム族?ともかくお騒がせしましたが日本人です

部屋に入るなり僕をチベット人と見間違えた彼はチベット語が堪能なコーズイさん。宿の中を一通り案内してもらい、あの忌まわしき袋に手をつける。洗濯。

数日間ゲロにまみれたまま密封された、買ったばかりのお気にのジャンパー。そっと開封・・・すると数百年もの間封印され続けていた悪霊がついに解き放たれたかのような勢いで、悪臭が鼻を突き刺す。

ゲロを発酵させると生ゴミのような臭いになるという実験結果がもたらされました。二度洗い。二度洗ってもなお悪霊の怨念は取り払えず、とにかく天日干しの刑に処す。

そういえばシャングリラで別れたユージと松ちゃんも、この宿へ泊まると言っていたはず。コーズイさんに尋ねると、それらしき男達は今朝旅立っていったとのこと。ニアミスで再会ならず。バスが故障しなければ。これもまた縁とタイミングなのだろうか。

久々のインターネットを軽く二時間半ほど楽しみ、小腹を満たしに外へ。屋台でちょいと大きめな揚げギョーザとフライドポテトを買う。う、うまい。宿へ戻り、いまや元気まんまん勇気りんりんのjamipodをききながらちょい寝(仮眠のポップな言い方)。ああ、死ぬほど落ち着く。窓から差し込む光が暖かい、温かい。人間にも光合成は必要なのだ。

それにつけてもチベットへ入ってからというものの、手肌の乾燥が激しいので、保湿クリーム的な何かを買うためまたしても外へ。観光客の多い通りではいずれも高い物しか置いていなかったので、少し入り組んだ路地のほうへ。

すると、怪しげなクリーム現る。しかもたったの2元ときた。お買い上げ。買い物上手気分で帰りがてら、保湿クリームついでに封筒や耳かき、そしてつい先日ハマってしまったヒマワリも購入。

18時過ぎ、先ほどのコーズイさんと、同じ宿にいた日本人のエージ、ショーエンさんと共にコーズイさん行きつけのローカルチベット料理屋へ。トゥクパとよばれる沖縄そばのような麺料理と、チャンガモというミルクティをいただく。ヤクの乳で作ったミルクティはややくせがあるが濃厚で美味。ほっと一息つきながら談笑。

店をでてジョカンという寺院のまわり、バルコルを散歩する。するとなにやらセール中の屋台が。Yシャツの叩き売りだ。「全商品2元!」と大声で叫ぶ店主につられ我々ものぞく。少し楽しくなった僕はサクラになりきり、うわこれやっすい!やっす!えーこれなんかフリルとかついててかわいいのに安い!とオーバーにアクションする。

それによって売り上げが伸びたのかどうかは知らないが、個人的に満足したので宿へ帰り、今日撮った写真でもみかえそうとジャージのポケットに手を突っ込む。

無い。カメラが、無い。あれ、ベッドに置いていったっけ、とベッドの周りを探す。無い。カメラが無いんですけど「あちゃーやられたんちゃう?」

あちゃーやられたみたい

どうやら、さっきふざけてYシャツ叩き売りのサクラを演じていた時に、人だかりにまぎれてスられたようだ。何をやっているんだろうか私は。無料でサクラを演じた挙句、無料でカメラをご奉仕してしまった。

カンボジアであれだけの目に遭いながら、またもや少しの油断が原因でスリに。ああ、カメラ小僧の僕からカメラを奪ったら、もうそれってただの小僧でしかないんだよ・・・「明日あたりどっかの店で並んでるんとちゃう」

明日あたりどっかの店で並んでいることを願い、過ぎたことを悔やんでも仕方がない、保険もおりるだろうし、と諦め就寝。昨夜バスの中で中国人女性を疑ったバチが当たったのだきっと。

ポリスレポートを入手、民族衣装に心躍る

夜中に隣の欧米人カップルから聞こえてきた喘ぎ声ときしむベッドの音、それから昨夜のスられたカメラのことを思い出したせいであまり眠れず、7時に起床、エージと朝食をいただきに近くの中華屋へ。肉まん4個。ここのは、ちゃんと「肉まん」だ。大理で食べた「まん」ではない。果物屋でマスカットを買い広場で食べながらしゃべる。贅沢だ。

そして一旦宿に戻り、いざ公安(警察)へ。カメラを盗まれたのでレポートを発行してほしいのですが・・・。「あっちへ行きなさい」と警備の人に言われ、隣の外国人管理局というところへ。用紙に盗まれた品、時刻、場所などの詳細を記入し、手渡すと

「パスポートのコピーをとってきなさい」。そのまた隣の店でコピーをとり再び管理局へ。そのコピーも手渡し待つことわずか10分。「はいよ」

あっけなく、驚くほど簡単にレポートを入手。あははっこれで万事オウケイじゃないか!電話屋さんへ行き保険会社へ連絡。手続き完了。よかった。今度は大事に至らなくてすんだ。それでも恋しい俺のカメラ・・・。

ほっと一安心した帰りに宿近くのカフェへ。日本人のショーエンさんがここでバイトをしているというので、お邪魔してみたのだ。バイトって・・・。欧米人ツーリストの喜びそうな、イイ雰囲気のカフェだ。

ローカルの店と比べるとやはり値は張るので、一番安いコーヒーを注文し、後からやってきたエージと、隣にいたニュージーランド人の女の子とおしゃべる。カフェでおしゃべるとなぜこんなにもほっとするのだろうか。

午後はコーズイさん、エージ、ショーエンさんと昨夜のチベット料理屋へ。チャンガモを飲みここでもおしゃべる。帰りに超市(スーパーマーケット)や戸外店(アウトドアショップ)をみて買い物をしたりして、ショーエンさんの知り合いのいる店へ行く。

お茶をいただきながらコーズイさん通訳のもと店のご夫婦とおしゃべる。なんだかおしゃべりな一日だ。チベットの民族衣装(アムドという地方のもの)を作っているお店なのだが、どれもこれも繊細な刺繍がふんだんに施されていて、圧倒される。

2300元(約35000円)もするというのだから圧倒されて当然だ。すると「着てみてもいいよ」とご主人に言われ、若干緊張の面持ちで試着させてもらう。なにしろ2300元だから。

長い。

左の袖がやたらに長いので、なげー。なげー。」と連呼していたらなにやらご主人のツボに入ったらしく「ナゲーナゲー!」と自らも連呼しながら笑っていた。ほんとになげえのだ。こんな機会滅多にないので記念撮影をする。

ちょっとキメ顔でカメラをみつめるとまたしても主人に笑われる。そして次は「向かいあって握手しているところを撮ってくれ」と謎のポーズをとらされ、撮影。首脳会談かなにかをイメージしていたのだろうか。

夜は中華飯店でチャーハンとトマトと玉子の炒め物をいただく。この「トマトと玉子の炒め物」がべらぼうにうまいのだ。しかも、はずれがない。どこの店で食べても間違いなくうまい。つまり、これがまずい店は、物凄くまずい店だといえる。

徐々にチベットを知る

久しぶりによく眠れ、のんびりと9時すぎに起床し、布団を干す。気持ちがいい。そしてコーズイさんと、宿の掃除係のおばちゃんの団欒部屋へお邪魔する。そこでバター茶をいただく。

チベットではよく飲まれているそうだが、お茶というには濃厚すぎるきらいがあると聞いていたので、少し警戒しながら飲むと、なるほど確かにお茶というには濃厚すぎるキライがあるな。むしろスープだ。スープとして飲むと、おいしい。味噌汁を湯のみで飲むと妙なのと同じだ。要は、先入観の問題だ。

さらにツァンパという、なにやら粉にバター茶をまぜてこねくりまわした物体もいただく。これもチベットではよく食べられているそうだが、いるそうだが、そこまで美味しいものでは、ない。しかしおばちゃん達みんな、明るくて優しい。

そういえば、コーズイさんに会い「ジャミラです」と自己紹介して早々、「ジャミラはチベット語で中国人さんて意味やからあんまよくない。文殊菩薩て意味のジャムヤンと名乗るとええで」とチベット名をいただいていたので、おばちゃん達に「ジャムヤンです」と自己紹介するとえらく喜ばれた。

こんな僕が文殊菩薩様でよいのだろうか。「うちの息子もジャムヤンていうのよ」チベットでは割とありふれた名前らしい。じゃあ、そこまで恐れ入らなくてもよい、のだろう。か。

おばちゃん達とのおしゃべりを終え、コーズイさん、エージとポタラ宮のほうへ歩いてゆく。聞くところによるとこのポタラがチベットの象徴的な建物だそうなのだが、なんと入場に100元もするのだ。しかも前日に予約しないといけないらしい。「め、めんどくさい・・・」

高いうえに面倒くさいので、入場はしばらく保留にしておくことにした。なのでそのポタラの向かいにあるパルブック寺というところへ。しかしそこも20元必要だったので、諦める。

入場料をなぜこんなにも払いたがらないのか自分でも分からない。趣味が節約だからだろうか。すると突如コーズイさんがお寺の前でチベット式のお参りを始めた。それを見た寺の人が「はいんなさい」と招きいれてくれた。ラ、ラッキー!

コーズイさんのおかげで急遽タダで入った寺。中にある色んな部屋の色んな仏様や神様に、ひとつひとつお布施をしてまわる。3回まわるのが良いそうだ。ところどころで静かに灯っているろうそくはバターから作られたものらしい。ヤクさまさまである。さらに階段を登っていくと、尼さん達が読経をしている。その声がやけに耳に心地よく、なんだか神聖な気分になる。

寺をでてまた歩く。市場を見つけたので入ると、ニワトリ、どでかいカエル、魚など、生物(ナマモノ)が激しくひしめきあっていたので少しげんなりする。揚げギョーザだけ購入し食べながらまた歩く。チベット料理屋をみつけ昼飯がてら入り、モモ(チベット風ギョーザ)とカレーチャーハンを注文。

やたら店員が若い娘だらけで、しかも店内の雰囲気がどこか「違う」と感じたコーズイさんが「ここもしかして、表はレストラン風やけど実は風俗関係の店なんとちゃうか」と言い始めた。言われてみると確かに・・・となると飯は大してうまくないかもしれないな・・・

などと疑いながら30分程待っているとようやく料理がきて、いただく。はい、非常に美味でございます。「普通の店やったな。二階怪しいなと思ったけど何もなかったわ」30分間妙にドキドキしたのが少しおバカっぽくて笑えた。

美味しくいただいた後エージは一人ノルブリンカという所をしっかり観光しに向かった。僕は、入場料が60元もかかるので・・・コーズイさんと引き続き散歩を敢行する。バスターミナルへ行ってみようとあちこち歩く。迷う。

二人して方向音痴のにおいむんむん。ようやくたどりつき、窓口へ。ここラサからネパールの首都カトマンズまでのバスがあるときき、それを調べにやってきたのだ。窓口の上にでかでかと「ラサ〜カトマンズ」と書いてある。

よし、カトマンズまでのバスはいくらですか?「メイヨー。」え?「メイヨー。」物凄く不機嫌な窓口の女に冷たくあしらわれ、さらに物凄い勢いで「お前達どこへ行くんだ!?えぇ!?」とたかってくるおっさんどもに恐れをなしてそそくさと逃げ帰る。

めっちゃ危険なにおいしたあそこ!「あれはやめといたほうがええ。」ちなみにメイヨーとは中国語で「ノー」の意味なのだが、どうしても「ねえよ」に聞こえ、余計態度が悪く感じられるのである。

帰りにジュースとアイスを買って、偶然みつけた寺(無料!)に入りお参りしようと思ったら工事中だったので、ポタラの裏のやけに整備された公園の芝生で陽気なチベット人の女の子達をみながら昼寝をしていたら、公安に起こされた。芝生で昼寝がだめだなんて。

ローカル向けの店へ行き二人でチャンガモを1リットル飲む。飲みすぎだろう。でも1リットル飲んでもたったの3元だからO・TO・KU。隣のテーブルの可愛らしいチベタン娘を男二人がチラチラとみている。その男まさしく我々。若干の怪しさをふりまきながら談笑し、寄り道しつつ宿に帰る。僕のカメラはまだ市場に出ていなかった・・・。

夜は再びエージと合流し中華料理屋へ。砂鍋という鍋をいただく。ギョーザや野菜がたっぷり入っていてうまい。その店の娘ドゥルガー、ミミとしゃべる。もちろんコーズイさんの通訳付きで。テンションが高く、明るくて可愛らしい娘っ子達だ。

その後、エージの知り合いの、世界一周中のご夫婦とも合流し、五人で宿近くの粋なファーストフード店「ディコス」でおしゃべる。そこで改めてコーズイさんからチベットや、ダライラマ法王についてのディープなお話をきかせてもらう。

何も知らずによくここまで来たものだ、自分よ。そしてそこでも店のアルバイトのチベタン娘、チュドゥン、ペマ、ロサに写真を撮ってと頼んだのをきっかけにしゃべる。話しかけるまでは黙々と仕事していたのに、一度話しかけたらすっかりチベタンの底力発揮という具合に、アゲアゲなテンション。特にチュドゥンは芸人並みだ。

宿に帰ると、シャングリラで出会ったマユ氏がいた。同じルートのバスでやってきたのだが、あちらはたったの3日で着いたそうだ。うらやましいやらなにやら。しかしチベット、えもいわれぬ楽しさ。

チベットを好きになる

午前中はコーズイさんから「ジャムヤン」をチベット文字で教えてもらい書き写したりインターネットなどして、昼、皆でこれまたコーズイさん行きつけのローカル向け定食屋へ。プレートに色々な惣菜とご飯が盛られたものなのだが、これが笑えるほどうまい。がはは。

和食に近い味付けで、どれも残さず食べずにいられない。店の娘が宮里藍似なので勝手に皆で藍ちゃんと呼ぶ。

午後は甜茶館という大衆ミルクティ屋、のようなところでチャンガモを飲む。ここの支払い方法が面白く、まずテーブルにお金を置いておくと、それに見合ったチャンガモを提供される。

そして、店内をあちこち行きかう店員が片っ端からおかわりをついでゆく。そしてまたお金を払う。もういらない、と思っていても飲み終わったカップをそのままにしていたら次々におかわりをつがれるのだ。まるでわんこそば。

お腹も満たされたあと、バスに乗ってタプチという寺へ。寺の外で酒を買い、それをお坊さんに捧げてお参りする。お布施をしてまわる。大きなお堂には、パンチェンラマとカルマパという偉大な僧侶の写真が飾られていて、その中央には観音菩薩の絵が。

「これは法王様を表しとんやで」とコーズイさん。ここチベットでは、中国からの弾圧で、「フリーチベット」はおろか「ダライラマ」とすら口にできない。口にすればすぐさま政治犯として刑務所へ入れられる。そんな中でもダライラマ法王をかわらず敬い続けるチベットの人たちは、こうやって心密かにダライラマ法王の象徴、観音菩薩を飾っているのだそうだ。

屋上まであがると、ラサの町が見渡せた。空は相変わらず澄んだ青と白。だが、このタプチ寺の裏には、刑務所があり、前述の理由などで大勢のチベット人達がここに収容されている。その刑務所がありありと見える、ときいて皆やってきた。興味本位でやってきたものの、実際にそれを目にするといいようのないやりきれなさを覚えた。

一通りお参りして外へ出ると、チベタンキッズが寄ってきたので秘密兵器シャボン玉で遊ぶ。さっき寺の中で出会い、ドラクエ式にパーティに参加したツボケンさんという方は、ポラロイドカメラでキッズのハートをがっちりキャッチ。

キッズ、持っているもの全てに対し「クチクチクチクチ!!!」と必死で叫んでくる。「お願い」という意味だそうだ。「ちょーだいちょーだいちょーだいちょーだい!」と。凄まじく貪欲。それがまたキッズらしく、可愛い。

夜はドラクエ式一行で、またしてもコーズイさんに連れられシャムデーと呼ばれるカレーライスを食べに。シャムは肉、デーがご飯を意味するそうだ。もちろん肉はヤク。ありがとうございますヤク様。しばらくおしゃべり、バルコルを歩く。そこで数珠を購入。数珠をつけているとチベット人ウケがいいらしい。うひひ。

そして今宵もまたディコスへ。ここでもまたおしゃべる。ダライラマ法王の素晴らしさそれからかわいさを教えてもらう。キュートな法王さまって。22時過ぎ、帰ろうと外へ出ると店先で偶然昨日仲良くなったディコス店員のチュドゥン、ペマ、ロサの三人娘と会ったのでつい日本語でバイト終わったん?ときくと「うん」・・・・会話が成り立った。宿の前まで皆で一緒に帰り、写真をとって別れる。相変わらずテンションが高い。ディコスガールズ。

レイプ騒動

早朝7時半頃エージに起こされ、身支度をして外へ。そう、ここチベットはずいぶんと西に位置しているにもかかわらず「中国」とされているから、時間ももちろん中国と同じ。ゆえに朝の7時はまだ暗いのだ。

そうして向かう先はジョカン。チベット人風の格好をしていけば、無料で中に入れるかもときいて、チベット人ぽいファッションに身をつつみ潜入するのだ。ジョカンの後ろに昇る朝陽が、美しい。とりあえずバルコルを一周する。

潜入すると意気込んでやってきたものの、入り口は、どちらに?それにしても朝も早くから五体投地に励んでいるチベット人達をみると、なんだか気持ちがほっこりする。「宗教」ときくとなんだか怪しい、いかがわしいイメージを、ただ漠然ともっていたのだが、ここへきてからというものの、そういう思いがなくなり、至極自然なものに思えてきた。

結局入り口がどこだか分からず宿に帰ってきたなんてことは、まさか、ある。朝ウォーキングを楽しめただけでもよしと、しない。何をやってるんだ俺は。これも方向音痴が招いた結果なのだろうか、などと一人考えていると、なにやら周りが騒がしい。

「事件だってよ!」学園ドラマの生徒役Aのような誰かにそう言われ、耳を傾ける。聞くと昨夜、酔っ払った韓国人が隣のベッドの女性を襲ったというのだ。何ですと!?夜中にそんな騒動があったなんて。なのに夢心地で寝ていたなんて。もったいない!

詳しくきくと、レイプ、ではなく、酔っ払って部屋で嘔吐し、隣の女性のベッドに飛び込んできて謎の雄たけびを上げそれはそれはタイヘンだったらしい。他の男性客に捕らえられパンツ一丁でシャワールームに連行される姿は、曰く「捕獲されたゴリラ」。

ああ、見たかった!しかしけしからん男だ。非難の嵐が飛び交う中「でもイケメンらしい」と女子の間でささやかれはじめた。すると女子、「ちょっとかわいそうかもね〜・・・。まわりに話せる人とかいなくてさびしかったのかもね」と、イケメンらしいの一言で態度が急変。世の中やっぱり顔なのかと男子は嘆いた。

ゲロにまみれたドミトリーはもはや寝られる状態ではなかったため、他の宿泊客は部屋をうつり、彼一人が何も知らず寝ている。起きたらゲロくさくて、まわりに誰もいなくて、自分パンツ一丁で。どういう心境だったのだろうか。

11時頃ついにその男が起床。記憶はないものの自分が何かをやらかした事を察した彼は僕達の前にやってきて「ごめんなさい」と一言。そこでコーズイさんが爆発「出て行け!!」「少し時間を下さい・・・。」そう言って部屋へ戻る男。ううむ、ジンロの飲みすぎには要注意!!

こんな騒動になっても、掃除のおばちゃん達は笑顔で「しょうがない子だねえ」とゲロにまみれたシーツなどを洗ってあげていた。優しいのだ。

ポタラ前でヌレヌレ

昼はまた皆で定食屋へ。何度食べてもうまい。その後超市(スーパーマーケット)で僕の世界一好きな洗剤タイド(Tide)のにおいをかぎまわって店員に変な目でみられつつも、購入して、バルコルを練り歩く。

二周目を歩いていたら偶然ディコスのハイテンション娘チュドゥンと会い、また夜遊ぼうなと約束して、ポテトと果物を買い広場で休憩。していると子供が近寄ってきて突然僕の股間にひっそりとそびえ立つイチモツ、通称おちんちんをつかまれる。

つかみたかったのだろう。それとも憎かったのか?俺のおちんちんが。ともかく、そういう年頃だ。大きな心で笑って許して(アッコ)宿へ帰りシャワーなどあびて、 夜、コーズイさん、ショーエンさん、スウェーデン人のマックスと共にディコスへ。丁度バイトあがりのチュドゥン、ペマと合流。ロサは残念ながらバイト中だ。

どこへ向かうのか分からないままチュドゥンとペマについて歩いていくと、ポタラ宮前の広場に到着。どでかい噴水が噴き出したり引っ込んだり、それに中国的センスの照明が飛び交っている。なかなかきれいだ。

すると隣にいたチベタン男子二人組が互いを押し合って「お前噴水とびこめよ」とじゃれあっている。どこの国でも男子が考える事はたいてい同じだ。それを見ていたチュドゥンが突然僕をひっぱり噴水のもとへ。「ややーめーろーよーぉ」

濡れちゃった。一度濡れたらスイッチが入ってしまい、全員巻き込んでヌレ祭り。九月といえどここは標高3600メートル。夜は寒い。なのにヌレ祭りを開催するのはどこのお坊ちゃんかしら。でもパーリーの最中はどんなに汚れてもヌレても気にならないのだ。若さの成せる業・・・でしょうか。

わけもわからない歌や踊りなどをまじえつつ宿のほうへ帰る。その道中もゴミでサッカーをしながら「ヘイジャムヤン!ジャムヤンパス!」「チュドゥン!」「ペマ!」人目もはばからず過熱。

一通りパーリーし終えて我にかえったチームヌレヌレ。我にかえると寒いので、着替えに一度帰り、また集合。そういえば晩飯がまだだったので、皆でモモ(チベット風ギョーザ)を食べに。行き先はチュドゥン達に任せてローカルのレストランへ。

モモとそれからトゥクパも注文する。ここのトゥクパは醤油ラーメンのようで美味だ。写真をとったり、おしゃべりなどして、次はノマドカフェへ。バイトが終わったロサとドイツ人サイクリストのアンドレアスも合流。

ツーリスト向けの小洒落たカフェなので、地元民ディコスガールズは初めてはいるようで、若干そわそわ。遠慮がちな態度が日本人みたいでかわいらしい。コーヒーとケーキを皆でいただく。チュドゥンと僕は、出国前に友達にもらった不気味なフィギュアで遊ぶ。

その二体のフィギュアの首をもぎ取りつけかえるチュドゥン。なんなんだこいつは一体。ほとんど会話は成立していないのに、楽しい。 12時過ぎまでおしゃべり、ディコスガールズを送って帰る。

ファインディングニェモ

のんびりと10時頃起床し、洗濯などをすませマユ氏、コーズイさんと例によって例のごとく定食屋でランチへ。そこでおしゃべり。マユ氏「ニェモっていうところに行ってみたい」。「なんじゃそら。」ガイドブックには「最後の秘境、お香の産地」と書いてある。なんじゃそら。最後の秘境・・・いってみましょう。早速東バスターミナルへ。

バスターミナルでニェモ行きの値段と時刻を聞いていると、どこからともなく堀内孝雄が現れた。「あ、堀内孝雄。」えっ?チベット公演?ご安心を。どうやら堀内孝雄のそっくりさんらしい。その堀内さんが値段や時刻を教えてくれた。もちろんコーズイさんが全通訳。明日の朝出発を決め宿に戻り、チョイ寝。

17時過ぎ、ショーエンさんがやってきて、カフェへ。トレーニング。トレーニング?実は、このカフェで何故だかバイトしているショーエンさんがしばらくツアーに出ていなくなるため、その代わりに何故だか僕が手伝うことになったらしいのだ。簡単なコーヒーの作り方と、メニューの説明などを受ける。久々の労働に浮き足立つ。

夜は、友達の友達は友達という具合に総勢八人で砂鍋屋へ。明るい娘ドゥルガーは今日も元気に接客をしている。労働は、尊い。鍋と、空芯菜もいただく。が、僕の胃はそれだけじゃ満たされなかったようなので、串揚げ屋台へ。

2軒ハシゴしてようやく満たされ、またもやディコスへ。バイトあがりのロサとペマと皆でしゃべる。まだバイト中のチュドゥンと、それから新キャラ、ヤンラーも時々僕達のテーブルにやってきてしゃべる。そこでチベット語を教えてもらう。

ピゥ!ツーツ!パクパ!ニョンバ!クッパ!覚えたてのチベット語をチュドゥンやペマにむかって吠える。それではここで翻訳こんにゃくをひとつご賞味ください。はい、先ほどのチベット語をリピートしてみます。猿!ねずみ!豚!キチガイ!アホ!

なんてはしたない!それからしばらく「ジャムヤンの豚ー!」チュドゥンのアホー!とまるで小学生の男子女子のような言い合いが続いたのは言うまでもない。そうしてコーズイさんに「もうあんたらやめなさい」と先生のようになだめられたことも言うまでもない。僕らの仲は深まるばかりだ。多分。

最後の秘境も人民まみれ

翌朝6時半に起床し、ウーンコーを軽く3回かまして東バスターミナルへ。ヒマワリの種等を買い込んで遠足準備。8時半頃、同じくニェモへ向かうというお坊さんにつれられバス、という名のバンへ乗り込み出発。すぐさま就寝。2時間半ほど走ったところで小休憩、ヒマワリをボリボリと食べて、また走り出す。

するとグラサンという名のサングラスをかけたいかついお坊さんが、突然お守りと薬をくれた。コーズイさんの解説によると、お守りは、いわゆるお守りで、薬のほうは、旅の道中体を壊したり、ツラくなったりしたときに飲むと、良いらしい。

病は気から。薬も気から。謎の顆粒で、これがインドだったら間違いなく睡眠薬の類だけど、チベットのお坊さんからいただいたとなると、効かないわけがない、気になる。プラシーボ効果絶大。それからほんの20分ほど走ると、ニェモへ到着。最後の秘境よ、かかってきなさい。

れ?あれれ?最後の秘境、中国語の看板だらけ、そして中国人だらけ・・・。人口12億の脅威。気をとりなおして腹ごしらえをしにチベット料理屋へ。トゥクパとチャンガモをポットで注文。マクダーナス(マクドナルドのネイティブな言い回し)も驚きの速さで出てきて、いただく。

麺が、もう一息だよ!だけれど美味い。一同ぺろりとたいらげ、お会計。「12元でございます」え!?一人!?ちょっと高くなーい?え!?4人で!?4人で12元!?一人あたり約60円・・・マクダーナス(マクドナルドのネイティブな言い回し、しつこい)も驚きの安さ。

満腹感と満足感の両方を得て意気揚々と歩き出す我々コーズイ御一行。岩山の斜面に建てられたお寺へと向かってみる。すると中からばーちゃんが登場し、中を案内してくれた。ここにもやはり観音様の絵が飾られている。法王様だ。

何ヶ所かあるお堂をお参りしてまわり、ちょっとお手洗いを・・・。野外トイレ。岩山の斜面で青空を仰ぎみながら足す用の清清しさよ。しかも今回は通常のような野糞といわれるはしたないものではなくれっきとしたお手洗いだ。軽く仕切られた小さなスペースと、足元には小さな穴があり、そこに足すのだ。用を。

そしてお寺の中ほどにあるお堂へお邪魔すると、中からお経が聞こえてきた。お坊さんが一人で唱えている。さらに奥へ入ると、岩穴の一角を利用して作った瞑想堂が。ほの暗く、バターろうそくの灯が静かにお堂を照らしている。この上なく穏やかな気持ちになる。閉所好きの僕だからなおさらだ。押入れとか好きです。

お経が終わったところでお坊さんのいるお堂へ戻ると、「まあ座んなさい」と促され一同着席。バター茶をいただき、お話する。「それではお経を唱えますね」と言われ一同神妙な面持ちで聞かせていただく。

読経がはじまると、お坊さんは片方の手で、水の入った大きなお椀に浮かべたバターで作ったいけにえのヤギをまわし、もう片方の手で鼓を叩きながら旗をふる。「こうしょうこうしょう」と謎の言葉を連呼していたので、それが「ショーコーショーコー・・・」という忌々しい団体の呪文に聞こえてしまって、なんだかお坊さんに申し訳ない気持ちになった。

と思いきや突然携帯が鳴り始めたではないか、誰ですか読経中なのに!マナーモードにしておきなさい!「もしもーし」えお坊さん・・・読経の最中に普通に文明機器を手にするお坊さんの姿に、こらえきれず笑う一同。通話が終了するとすぐさま読経を再開し、神妙な雰囲気に。しばらく続き、最後に何故か一人づつ頭をコツンとされ、仏様に供えていたツァンパとお酒をいただく。パクパクゴックン。

その後またバター茶をいただきながらおしゃべりを。するとお坊さんがそっと写真を差し出してきた。ダライラマ法王の写真。観音様の絵ではなく、ダライラマ法王の写真だ。もしこれを持っていることが警察に知れたらお坊さんは大変なことになるのに・・・。

そうまでしても法王様を敬うお坊さんの思いに、胸のあたりがズキュンときてしまった。もし、僕が熱烈な聖子ちゃんファンだったとして、でも聖子ちゃんのプロマイドを持つことが違法だったとしたら、果たしてそれでもプロマイドをカバンに隠していられるだろうか・・・。いや、ちょっと例え間違った。ともかく、思いの強さに心打たれた。

それから、このあたりでお香が売っている場所がないか聞くと、なんとこのお寺で作っているとのことで、連れていってもらうことに。さらに、お寺を出るときにカタと呼ばれる白い布をいただいた。これは、誰かが旅立つ時や誰かと別れる時、それからお寺にお参りする時などによく使われるものだそうだ。至れり尽くせりで有難いやらなにやら。

少し歩いたところに倉庫のようなものがあり、その中に箱詰めする前の線香や原料などが山積みにされていた。一つ一つにほひを嗅がせてもらい、いくつか譲っていただけると。SHIKAMO!ラサで買うと15元で売られているものを、産地割引とお坊さんの優しさ割引で5元で!3つほど譲っていただき、他の皆は恐ろしく大量に買い込み、お礼に遠足のおやつとしてもってきていたりんごを差し上げて、別れる。

中国人は沢山いるけど観光客はあまり来そうもない場所なので、道行く人達が珍しそうに我々コーズイ一行にニコニコ笑いながら手をふってきてくれる。帰りのバス(バン・・・)があるのかどうかも怪しく、少し心配していたのだが無事にやってきて、15時半頃ラサへと舞い戻る。熟睡。

19時前に到着し、シャワーを浴びて、今日もまた大人数で山城飯店へ。炒飯、焼きそば、トマト玉子、エトセトラ・・・ただでさえうまいのに皆で食べるから尚うまい。

食後はバルコルを散歩し、途中の数珠屋台で品定めをしたり、おっちゃんとおしゃべりをして、僕名前ジャムヤン言います。と言うともっていたノートにチベット語で文字をブラブラブラーと書いてくれた。観世音菩薩のお経だそうだ。オンマーニペメフン。不思議な響きだオンマーニペメフン。

宿に戻り、閉店前のレストランで半額のケーキを買って帰り、ぱっくんちょして就寝。

小洒落たカフェで労働(はたらき)ます

8時前に起床し、ショウエンさんとカフェへ向かう。そこでもう一人の働き手、広島出身の不思議なトモヤンという男を紹介される。会って五分で「あこの人しゃべりやすい」と思える男だ。世界各地を木を植えながら旅をしているらしい。

かくいう私も、中学生の時職場体験学習で木を植えたいと思い「林業」を体験しにいったら逆に伐採を教えられたことがある。だから何。緑を大切に。

開店前のカフェの窓を開け、朝ごはんのセットを、台湾人店長のシャンウェイという女性に作ってもらい腹ごしらえし、早速カプチーノなどを作る。自分で飲む。え。

エージが遊びにきて、接客ついでに一緒に客席に座っておしゃべりをしつつ、地味にやってくるお客さんの相手をする。なんとゆるい、楽しい仕事なんでしょう。

飲み食い放題ネットし放題でさらに給料として一日分の宿代25元(約375円)もいただけるなんて。ジャミポッドをつないで自分の好きな曲を流したりもできちゃうなんて。まるで自分のお店気分。

ベジタリアンカフェなのでとってもヘルシー。丸の内あたりにあったならきっとお昼休みに財布を小脇に抱えたOLがひきもきらないだろう。お昼はベジカレーを作ってもらう。細かく刻んだ野菜と、ふりかけの如くふりかかったゴマが美味。

8時から14時が僕で14時から閉店までがトモヤンというシフトに決定したので14時過ぎに一度帰っていたトモヤンが戻ってきた。だけど楽しいので帰らず居残る。写真撮影会。カフェで働くDJ、のイメージでお金をレコードがわりに回す姿や、お盆に妖怪のフィギュアをのせてテーブルに運ぶ姿などをおさめる。

そんなふざけた店員なのにもかかわらず、オーストラリア人のおばちゃん二人がえらくこのお店を気にいってくれたらしく、おつりの26元(約390円)をチップとしてくれた。チップ文化のない日本に生まれた僕にこれは衝撃的で、嬉しさのあまり二階の窓から飛び降りた。

りはせず、カプチーノをまた自分で作り、シャンウェイ手作りのチョコブラウニーをいただきまったりする。そして中国人店員のユエロンに簡単な英語を教える。まずはメニューを発音しましょう。

「ミックスジュゥース(Mix Juice)、ヴァヌラシェイク(Vanilla Shake)、カフィー(Coffee)、キャプティーノ(Capputino)、ペプスィ(Pepsi)・・・」

ペプスィまでいったところでユエロンが突如「ペ、ペニース?」と。爆弾発音。

ユ、ユエロンそれ間違えちゃだめよ!ペニス注文されちゃったら僕どうすればいいの!え僕がお盆にのりますか!?ペ・プ・スィ!ね!ペニスちゃう!あーびっくりした!「あーもう英語って難しいな!」少しづつ勉強していこうよユエロン、ね?ペニスはまだちょっと早いよ、ね・・・。どういう意味

気がつけばもう20時。12時間も働いているではないですか。でもほぼ休憩みたいなものだから全く疲れない。21時前、ようやくカフェをあとにし宿に戻るとエージ、コーズイさん、マユ氏、ショーエンさんとそれから宿のネット屋のおっちゃんと皆でシャムデーのお店へ。

べらぼうに腹が減っていたので、カレーピラフとトマト玉子を注文しドカ食い。チベタンのおっちゃんと皆でしばらくおしゃべり。会計しようとしたらおっちゃんが全部払ってくれた。人数も多いし結構な値段もするので皆払うと言ってもいいんだいいんだと受け取ろうとしないおっちゃん。

チベットの人達は割り勘とかケチケチした感じが好きではないらしい。それにしても、この会計はおっちゃんにとっても結構な出費なはず。それでも笑顔なおっちゃん。ありがたいけどなんだか申し訳なくなってしまった。

トゥジェチェー(ありがとう)!とお礼を言っておっちゃんと別れ宿に帰ると、コーズイさんの電気カミソリが盗まれていた。「おまけに速乾タオルもないわ。」人の使った速乾タオルと電気カミソリを欲しがる奴って一体・・・ともかく用心せねば。

おなごに誘われる

翌日も同じように出勤し、まったりと仕事をする。宿で隣のベッドで寝ているフランス人や、大理で会ったナオトやマユ氏がやってきて、またチョコブラウニーとコーヒーでべらべらと喋って勤務を終え、18時過ぎ宿に戻りシャワーを浴びて、また皆で晩飯へ行くというので19時待ち合わせてみると総勢11人。

おニャン子倶楽部みたいに会員番号つけたほうが整理ついていいかもよ、と思わざるをえない大所帯。行くはもちろん山城飯店。ビッグパーリィ。鍋や炒め物などたらふく食って、いつものメンバーでディコスへ。

ディコスで一番安いホットココアを注文しておしゃべりしていると、バイトのヤンラーがやってきて一緒にしゃべる。なかなかきれいな顔立ちをした娘だ。コーズイさん通訳のもとしゃべっていると、何か僕に向かって言ってきた。何て?

「ジャムヤン明日うちに遊びにおいでやて。」え!・・・・え?「遊びにいってもええけどこっちは重みがちゃうで。家いって遊んでほんで付き合うとかなったら即結婚やで。ほしたら家族全員養わないかんでえ。」とただ家に誘われただけなのに物凄くどっしりヘビー級のアドバイスをコーズイさんにされ、びびる。

おなごをひっかけたり誘ったりという色恋沙汰はこうみえて(どうみえて)得意ではないのに、ましてや誘われたりした日にゃもう私どうすればよいやら皆目見当もつきません。ハハ、アハハー、う、うんいくいく!と適当に返すのみでした。

恋煩いじゃなくて普通に患った

本日も同じように出勤、だが朝からやけに体がだるい。どうやら風邪をひいたようだ。シャンウェイに薬をもらって飲み、まったりまたまたと接客。まったりした仕事先でよかったがっつりした仕事先、例えばマクドナルドや吉野家だったらこれはもう無理だろう。

だるさはさらに拍車をかけて増し、エージ、コーズイさん、マユ氏の常駐メンバーが遊びに来た頃にはもう体の節々が痛くて仕方がない状態だった。こんなんじゃヤンラーの家になど行けない・・・どっちみち行けないつもりだけれど。

こぶ茶を飲み、シャンウェイにまた薬をもらい飲み、毎日くるフランス人にビタミン剤をもらい飲み、これでもかとジンジャーハニーレモンティを作ってもらい、飲む。そしてさらにこれでもかと携帯でぷよぷよをする。働きなさい。

16時前にトモヤンが来て交代し、ふらふらで宿に戻り寝る。16時半起床。早。だるい・・・。だるいのに、一応ヤンラーと約束したので、してしまったので、林さんとマユ氏と三人でディコスへ。するとヤンラー。とチュドゥンと、それから中国人店員の小梅(シャオメイ)という子がいて丁度バイトあがりらしく、テーブルで日本語講座をはじめる。

しかし、だるい・・・体が熱い。19時過ぎ、自然な流れで解散。ヤンラーのお宅訪問はうやむやなままフェードアウト。よ、よかった・・・のか。

一度宿に戻り、コーズイさんの友達で、日本語が話せるチベット人のニドュンという女の子と待ち合わせをして、皆でちょっと豪華な鍋屋さんへ。うまそうな肉がたっぷり。しかし少し腹の調子も悪く、油っこいものは、ベトナムで腹を壊したときのトラウマから、今は食べられない。

大根の漬物とほんの少し肉の炒め物と、鍋のにんにくと、ねぎときのこなど滋養によさそうなものばかりをつまんで、エージがくれたパブロンを飲む。パブロンはもっと早めにね・・・。フラフラで宿に帰り、ベッドに倒れこみ眠る。

一時間ほど寝たのだろうか、汗びっしょりで起きると、同じ部屋のたっちゃんという日本人が「ジャムヤンお客さんきてるよ」と。誰だ一体。

チュドゥン、ペマ、ロサのディコスガールズ。具合が悪いのを心配してわざわざ宿まできてくれたのだ。謎の薬ももってきてくれた。嬉しさで苦痛がやわらぐ。早速薬を飲んで、しゃべる。コーズイさんの通訳なしなのでジェスチャーと、なんとなくの会話だが何故か通じる。

ジャミポッドに入れていたお笑いの動画を見せて四人で爆笑したりして、帰っていった。その二分後位また「ジャムヤーン!」と声がするので外をみると三人が手をふっていた。まるで入院患者の見舞いだ。優しい奴らやなあお前らはほんとに・・・

病は気からというのも本当で、三人がきてくれてからだるさがほとんどなくなった。

もうすぐビザが切れるので

8時前に起床し、バイトへ向かうその前に、ついにエージがラサを出るというので、ウンコとハミガキをすませてから、握手をして別れを告げる。旅は出会いと別れの怒涛の繰り返し。寂しいけれど、会いたい人にはまた会える仕組みになっている。はず。

朝から割りと忙しい。朝のセットを求めて多くの西洋人がやってくるのだ。ちなみにその朝のセットというのが色々あって、まずパン、これが全粒粉と、ホワイト、それからチベタンブレッド(丸い朝マックのバンズのようなパン)から選べて、卵も目玉焼きスクランブルエッグなど焼き方が選べ、 それから旬な果物を好みでチョイスしてミックスジュース、や各コーヒー、それにおかず、など、かなり充実した内容なのだ。そんな素敵なものどもをバイトの特権で毎日タダ食い。自腹じゃまず来られない店だ。

するとトモヤンとマユ氏が心配して来てくれた。ありがたや。またジンジャーハニーレモンティをがぶ飲み。パブロン飲んで元気出して、清水夫妻にコーズイさんもやってきて、のんびりと接客。かなり調子がよくなってきた。

15時過ぎにこれまたコーズイさんのお友達で、チベット人の旦那さんを持つサキさんという女性が来て、なんと、日本から送られてきたという梅干しをいただく。果肉たっぷりですっぱくて、大変に幸せな味がした。風邪の菌どもめ。最後のとどめの梅干し様だどうだ参ったか参っただろう。

バイトをあがった後、マユ氏とともに旅行会社へ向かう。ついに、次なる目的地ネパールへと進むのだ。ビザが切れるから・・・。大抵の人はチベットからネパールへ向かう場合、ランドクルーザーなど四駆車をチャーターして道中見所をまわりながらゆくのだが、そのチャーター車が恐ろしく高額なので、僕とマユ氏は一気にネパールの首都カトマンズまで向かうバスをチョイスした。せざるを得なかった。

しかし、その直行バスというのも、あるらしい、という情報だけを頼りに来ただけなので、本当に存在して いるのかどうか分からない。領事館の向こうにあるらしい、というその「らしい」だらけの旅行会社を探すと、

あっさり見つかり、「はい、2日出発ね。650元(約9750円)」あっさり買えた。ランクルチャーターだと一人4万円近くするそうなので、かなりコスト削減になった。ウワフォーイ!

宿へ戻ってみると今度はコーズイさんがダウンしているではないか。外出できそうもなかったのでマユ氏とそれからたっちゃん氏と三人で韓国料理屋へ。ビビンバとビールで乾杯。ただでさえ下戸なのに病み上がり、というわけでビールはなめる程度に。

ビビンバはテールスープもついてお得アーンドうまい。いつもならぺろりんちょなのだが、今日はすぐに一杯になって残してしまった。かたじけない。

帰る途中ディコスガールズにまたばったり会い、皆でコーズイさんのお見舞いへ。ジュースを差し上げる。吐いたらしい。僕よりひどそうではないか・・・。辛そうなのでそっとして、マユ氏とディコスガールズと、近所のお店でバター茶を飲みながらおしゃべり。

コーズイさんが貸してくれた指さし会話帳がえらく役に立つ。またひとつキャクパ!というチベット語を教わる。教わるというよりも、「ジャムヤンのキャクパ!」となじられる。とどのつまりキャクパというのは、クソ!の意。

トイレに行ったついでにこっそり会計をすまそうとしていると、チュドゥンにみつかってしまった。凄まじい勢いでとんできて「いいから!」と自分が払おうとする。僕もひきさがるわけにはいかず払おうとする。のだが、店員にチベット語でペラペラっと説明してとっとと自分が払って席に戻ってしまった。チベット人たらもう。チュドゥンのキャクパ!

その後もしばらく汚い単語を駆使しての談笑。ふと、ヤンラーとは遊ばんの?ときくと皆一斉に、あからさまに嫌な顔をした。あ、そういう仲だたのね・・・。家いかなくてよかったね・・・。何言われたか分かったもんじゃない。

そうして帰り際にもうすぐ出発する旨を伝え、日本語で「うんこくさい」をジェスチャー付きで教えて、おやすみのかわりにチュドゥンウンコクサイ!「ジャムヤンウンコクサイ!」と言い合い別れる。

日常になりつつあるラサの生活

この日も同じように労働。日本人の皆が次々にご来店して楽しい一日だ。夜はトゥクパを食べにいった。

短くまとめようとすると一行で終わる。非日常も続くと日常になってしまうのだろうか。それともただ単に僕の文章がやたら長いだけだろうか。両方だろう。

心がきれいなチベット人

乾燥が著しく激しいチベット。寝る時は必ず枕元に水をおいているのだが、昨夜はいつもより乾燥していたのか、はたまた僕の呼吸が下手だったのか、呼吸に上手下手などあるのか知らないがともかく、夜中に口がカラカラになり、喉がはりついて呼吸困難で目が覚めた。なんちゅう土地だ、喉がはりついて目が覚めるほど乾燥しているって。

今日はバイトを休みにしてもらったのでのんびりと起床し、コーズイさんマユ氏と朝から山城飯店へ。隣の店でかった温かくて甘い豆乳を持ち込み、プチ肉まんを五個食べる。うーん、美味。

すると店員の女の子が、「会計いいよ、あたしのおごり」といってくれた。それは悪いからと払おうとすると、いいからいいから!と笑顔で、ごちそうしてくれた。しょっちゅう通っていたし、コーズイさんのおかげで仲良くなっていたから、友達と思ってくれたのだろうか。もう、どいつもこいつもいい奴ばかりだチベット人。

帰りにチャンガモを飲んでおしゃべりして、12時前にカフェへ足を運んでみると、シャンウェイ「ジャミ!何してはりますのん!!今日むっちゃ忙しいんやから!!」とお怒りのご様子。あれ、休みって言っておいたような・・・ごごめん!かわりにイタリア人が手伝ってくれていた。あれ、休みって言っておいた・・・っけか?申し訳ない。

それから夕方までかわるがわるやってくる人達とおしゃべりして、夜、ディコスへ。ここへ来られるのもこれが最後だからこの間もらったクーポン券を使って贅沢にチキンとかセットとか食べちゃいましょう。と注文していたらなんとコーズイさんがおごってくださった。おごられっぱなしでかたじけない人生。チュドゥンペマロサもちゃきちゃき働いている。

22時過ぎ、トモヤンとマユ氏と、これまた最後だからと、照明が消える瞬間をみようとポタラへ向かう。
バカ写真を撮って、待つ。あ!消えた!あれ?あ!消えた!一気にではなく一つ一つ消されていく照明を眺める。集中していないとどこが消えたか分からない。23:50ようやく全て消され、宿へ帰る。

するとまたチュドゥンペマロサと会って、明日出発やから、家の近くまで皆で送っていくわ!と歩く。近くまで着いて、少し立ち止まってしゃべる。

するとチュドゥンが、うつむいてしくしくと泣き始めた。またチュドゥン嘘泣きやろー!とのぞいてみると本当に泣いていた。まだ出会って間もないのに、言葉もろくに通じないのに。

凍える寒さのなか嫌がる僕を噴水に投げ込んでくれ、風邪をひいたらお見舞いにきてくれ、バター茶をおごってくれ、そして今別れの前に涙を流してくれている。正直女の子に泣かれると一体全体どうすればいいのかわからない未熟者な僕は、ただ、笑って、泣くなやー!ということしかできなかった。情けねえ。

また明日な、といい別れる。泣き続けるチュドゥンの肩を抱き、励ますペマとロサをみて、親友っていいやね、というか、チベット人って、いいやね、としみじみ思う。何故こんなにも純粋で真っ直ぐなんだろう。

ちょっぴり悲しいチベットとの別れ

翌朝9時、チュドゥンとペマ、ロサが来た。はいラクター(プレゼント)。とラオスで買った変なちっちゃい顔、を三人分あげる。そしてバルコルへ。最後にジョカンの中に入っておきたい、れっつらごと向かう。バルコルを周る。

チュドゥンがマユ氏と僕の手をつないできた。かわいい奴め。それを見守るペマとロサの五人で。すると突如チュドゥンが「オン、ドゥンブリドゥンブリ、スススメシシ」と謎の呪文を唱えてきた。パロプンテ系の何が起こるか分からない呪文かしら。とりあえず復唱する。「オン、ドゥンブリドゥンブリ、スススメシシ」本当は一体何のお経なのだろうか。

「あ、もうすぐバイトはじまっちまう、いこ!」と引っ張られバルコルをあとにする。え!あとにするの!?ジョカンに入りたかったのに・・・まいいか。連れられた先は裏の通りにあるローカルのチベット人でにぎわうトゥクパ屋さん。

皆でいただく。う、うまい・・・今まで食べた中で一番うまいトゥクパだ。やはり地元民のみぞ知るようなところのほうがうまいらしい。小皿に盛られたさくら大根のような漬物も日本みたいで美味しかった。はー食った食ったと腹を叩いていると、二杯目登場。

「ジャムヤンもっと食べな!」とディコスガールズ。でではいただきます。う、うま辛!!!!辛い!唐辛子たっぷりやないのこれ!明日ケツに来る辛さです。それでも嬉しくて全てたいらげる。「あバイト!」あわてて店を飛び出す。

またしても勘定をチュドゥンに済まされた。悔しいので、肩を組むふりをしてチュドゥンのジャンパーのフードにさりげなく、前におごってもらったチャンガモと、今日のトゥクパ代程度のお金を忍ばせる。我ながらいいアイデアだ。気づかずに洗濯したり落としたりしていたら・・・無念だね。

チュドゥンとロサをディコスまで見送り、遅番のペマと家の近くまでマユ氏と三人で歩く。すると、いつもは「ジャムヤンヤッポミンドゥ(ジャミラノーグッド!)」と言ってきていたペマが、「ジャムヤンヤッポドゥ(ジャミラグッド)」と言ってカタをくれた。嬉しくて、仕方がなかった。礼を言い、またあとでディコス寄るからと別れる。

宿をチェックアウトしてノマドカフェへ。何でも頼んでいいよ、と言ってくれたので、ミルクシェイクを注文。素晴らしい味だ。シャンウェイ手作りのチョコブラウニーやアップルストゥードルともお別れか・・・、皆と写真を撮り、調子に乗ってもう一杯ミルクシェイクを飲み、気持ち悪くなる。

15時前、スーパーにお菓子の買出しへ。長距離ドライブにグミはかかせないのだ。そしていよいよ荷物をまとめ、宿で会った皆にも別れを告げ、バスで旅行会社へ、向かおうとしたらコーズイさんがタクシーを呼び、行き先をチベット語で説明し、50元(これはもう大金の域)を僕に握らせてくれた。

いや!いいです!悪いですよ!と言っても「ええからええから」とさっさとタクシーを出させた。何とありがたい・・・。タクシーのバックミラーに写ったコーズイさんが、何か手を合わせてお祈りしているようにみえた。その姿をみて感激、うるっときた。あれが「うわーさぶっ」と手をこすり合わせていただけだったら・・・それはそれで良い。

到着が大分早かったようで、荷物を預け近くを散歩する。子供の写真を撮る。

ウンコMORERU

17時40分、10人乗り程度のマイクロバスに、15人と、その分の荷物が乗せられる。後部座席に左からマユ氏、僕、でかいネパール人、荷物、と座る。身動きが一切とれない状態で出発。とりあえず寝る。

プスゥ〜

さっきから、ガスがひっきりなしだ。腹の調子が芳しくない。こんなに屁が出続けるなんて、これはきっと何かあるぞ・・・

2、3時間走ったところで小休憩、車をおり一同立ち小便。ここで止まらないガスを一挙放出。家を出るときは元栓をしっかり締めておかないとね。と外出時の教訓を思い出しながら。

もうこれ以上出ないだろうというところまで出しきったので安心して再出発。

冷や汗滝汗これなあに?

約一時間後、ガスの次に現るべき宿敵の存在をすっかり忘れていた己のツメの甘さを憎む。数時間前調子に乗ってバニラシェイクを二杯も飲んだ己のふがいなさを憎む。お分かりになられるだろうか。宿敵と真っ向勝負をしながら(元栓が緩まないよう常にケツをしめながら)悪路にゆられるバスの振動に耐えながら、うたた寝するでっかいおっちゃんの体重に耐えなければいけないこの苦しさ。

寒いのにやたら汗をかいている不気味な僕に気づいたマユ氏「大丈夫?」いや、ウンコ・・・MORESO・・・」ここでケツ意。バスを止めてみせる。僕は死にません!

前に座っていたチベット人に、チンバタンゴユ(おしっこしたい)・・・と密かに告げる。何いってんだこいつは?という表情で微笑まれる。つ、通じてない・・・次にその前に座っていた中国人にむかってツ、ツォセオ(トイレ)・・・と訴えるもそもそも聞こえていないようだ・・・あーもう

トイレーーーーーーーー!!!!!!

あと1ミリで元栓から大いなるものが噴火してしまうのを必死でこらえ、大声で叫ぶと、止まった。と、とまったよ!!!バスが止まったよ!!!わっははーい!!!!

バスのライトが届かない距離まで小走りにならない小走りで向かい、ついに、大地にそっと腰をおろした。わあ、星がきれいだなあ〜

チベットへきてからというもの、幾度となく大地とハーモニーを奏でてきたが、これほどまでに見事な、完璧なハーモニーは初めてだったろう。

死なずにすんだ・・・

バスに戻ると皆笑顔。ははは、ゴメンねみんな、毎度お騒がせします。 再び出発。安堵感と疲れから、眠りにつく。

22時頃、シガツェという町へ到着、晩飯休憩。猪のごとく突っぱしりトイレへ猛進する。まだ残っていやがったラスボスが。今度こそ安心。ほんの少しだけヌードルを食べ、正露丸を飲む。もう大丈夫。もう・・・

元栓はしっかりしまったものの、相変わらずおっちゃんはでかいしバスは狭いし道は悪い。腰痛を覚えながら夜は更ける。

深夜、驚きの寒さで目を覚ますと、一同バスから降ろされ、警察によるIDチェック。ノースフェイクを身にまとい布をぐるぐる巻きにしても、そのわずかな繊維の間をぬって寒さが体の芯までやってくる。けれど、しんと冷えた夜空に冴え渡る星がこれまた驚きの美しさで、中国のトイレ事情の凄まじさなんてそもそも存在しなかったんじゃないかと思わせるほど、この世(夜)はきらきらして見えた。

喉の渇きとバスの狭さときつさと道の悪さは朝まで続き、眠ろうにも眠れずただただ眠い状態でいると、町がみえてきた。ネパール人にきく。ここどこ?「ダムよ。」ダム。ということは、はっ!

国境やんけ!!!!

こんなにスムーズに国境に到着していいのですか?こんな僕でも。ラサまでは5日もかかったっていうのに、信じられない。本当に国境ですか?「本当だよ」ついにネパール。行きたくて、楽しみで仕方がなかったネパール。でもネパールって何があるの?何も知らないよ。

国境が開くまでバスを降りて歩く。両替屋があったので、中国元をネパールルピーに替える。初めてのルピー札に感動。ルピーなんて、ドラクエでしかみたことないよ!

まんじゅう屋に入り、まんじゅうを食べる。まんじゅう屋だからね。食べ終えてほっと一息ついていると、周りの皆が並び始めたので、並んでみる。日本人は行列が好きだからね。するとなんだか古ぼけてラリったパンダの像がそっと置いてあった。こういうラリった中国的な風景もこれで見納めだな。あばよ!変なパンダ!

11時前、期待に胸や胸毛を躍らせながら、一ヶ月余り旅した中国、チベットを、遂に出国。

あ、そういえばばたばたしていて結局最後ディコスに寄られなかった。あんなあっけない別れが最後だったなんて。また、来るしかないでしょう。チベット。

チベット(2007年9月15日〜10月2日)

ネパール日記