謎のレッドブル集団

6時。にわかにうごめきだす周囲。何故。何故そんなに積み込まれているのだ、大量のレッドブル、何故。翼が欲しいのか。眠気まなこでぼんやり眺めていると、

バコッ。

唯一のテリトリー、後部座席が外された。そしてそこに、冷蔵庫が積み込まれている。3台。お前らの目的は一体何だ!で僕はどこに座ればいいの・・・

前方にみつけた空席にすかさず座り、いよいよ国境へ。5分で到着。そんなに近かったん・・・イミグレーションで両替をする。ここでもまた手持ちのキップをとりあえず全部差し出す。すると1220000キップが1830000ドンになった。もはや意味が分からない。横取り40万とかそっちの世界。

出国スタンプを押され500メートルほど歩かされ、入国。あっさり。国境越えの興奮を味わう暇もなくベトナムへ。バス発つ。結構な山の上にいたらしく、下山して進みゆく。田んぼがやたら目につく。トトロの田園風景に似ている。猫バスが爆走するあのあたりを思い描き、心和ませる。「メイのばか!」

バスの窓から顔を出し、排気や外気を吸い込んで、ipodを聴きながら歌う。これが本当に楽しい。意外に長持ちするわがjamipodを誇らしく思い、どこかから漂ってきた松の木みたいな香りにまた心和ませていたら、停車。道のど真ん中でこれ一体なにごとかね。警察が入ってきた。そして、

バスごと署に連行される。ますますなにごとかね。なにやら運転手やベトナム人がひそひそと話し合っている。

ひそひそ話・・・冷蔵庫・・・レッドブル。

レッドブルか!?あ全然わからない。署でベトナム人全員事情聴取。ただの旅人であるアメリカ人カップルそれから日本語ペラペラの韓国人シンと僕は、警察署の外に干してある椎茸を眺めたりして待たされる。

ひそひそ話・・・冷蔵庫・・・レッドブル・・・警察署の干し椎茸。

干し椎茸か!?結局真相は謎に包まれたまま15分後何事もなかったかのようにバスは再び出発。気づけばもう夕暮れ時。そろそろフエに着いてもいい頃だ。すると前に座っていたベトナム人のおばちゃんが「さあ、もうすぐフエよ!準備して!」といったニュアンスで話しかけてきた。

やけに皆親切だな突然に。ありがとうと礼を言い、ついに到着。思えば長い道のりだった。バンビエンを出発したのは確か昨日の13時だから軽く30時間ぐらいかな。じゃあな!あばよ!とバスに別れを告げおりると

Hue 17km

あの黄色い看板なに?プロミスです。じゃあこの不思議な看板なに?フエまで17キロです。

「あらよっと、フエまでいくのかい。7ドルでどうだ。」かっちーん。畜生だまされた!レッドブルズにまんまと!フエまでそんなに遠くはないけど歩けない距離、でおろされそこにタイミングよく待ち構えるバイクタクシーのおっさん達。

グルじゃないか。グルグルじゃないか。魔方陣グルグ・・・頭めっちゃんこ爆発しそうだぜ(毎度お騒がせしますのミポリン風)!シンも頭めっちゃんこ爆発しそうだったので、歩いていこで!へん!「そですね」と歩き出す。

おっさん達がついてくる。「7ドル!」払うかぼけ!反対車線いこで。へん!反対車線へ。おっさん達、反対車線だろうがついてくる。

「5ドル!」すざけんな!へん!「ようし5ドルだ乗った乗った!」乗るか!3ドルやったら考えてもええけど「そりゃあ無理だじゃあ4ドル!」さようなら「分かった3ドルだ。」

実は歩いてフエまで行けるか自信なかったので結局3ドルでバイクタクシー略してバイタクに乗ることに。乗る羽目に。もう夜。フエまで歩いて行ける自信はなかったけど、疲労と怒りで木っ端微塵に散られる自信ならあった。でもここでは散られない。

散る寸でのところで宿に到着すると従業員が日本語で「ダイジョウブ?疲れたデショ。」といたわってくれさらにこの宿、部屋はドミトリーなのにバスタブがある上にシャワーの勢いもトイレの勢いも素晴らしく良い。そしてこの旅初のテレビとふかふかベッド。救われた・・・。汚れ荒みきった体を洗い流すと、ヨゴれやケガれが汚濁色の泡となってとれた。

ほぼつがなく観光

翌朝は8時すぎに起床、朝シャンなるものを小粋にかましているとドミトリー略してドミに新たなお客さんが。日本人のヒデオさん。シンと3人で朝飯を食べに。

ブンを。ベトナムのヌードルと言えば皆様ご存知フォーでしょう。が、実は他にも麺の種類があるらしく、それが今食べたこのブン。その他にも、えーと、えーと、えとですね・・・い、バラエティ豊かなラインナップでお送りしてゆきます。大して詳しくない。

しかしウマい。ベトナム料理め。でもなぜたったいま店員の娘に小突かれたんだろう。僕スカートめくりか、何か粗相いたしましたか?

まあよしとして、自転車を借り散策へ。フエの見所のひとつ(らしい)フラッグタワーへ行ってみる。やはり中に入るのにはお金がいるらしく、それなら外観楽しみましょうよ!と外堀を一周する。途中喉がかわき、ニョックミアで潤す。いわゆるさとうきびジュースだ。ライムをちとしぼって飲むと、超・ウマい。しぼり器がかっこいいのでおばちゃんに頼んでしぼらせてもらう。結構力がいる。おばちゃんスゴいネ。

そして開いていない博物館で一休みしたのち、Dong Ba Marketという市場へ。駐輪代がいるらしく、係のばばあが「5万ドン!」とぬかしてきた。ばばあ!ここに3千ドンて書いとるやないか!だまされんでえ!するとばばあとそのまわりのおっちゃん笑い出す。まったくよう。

しかしあれだ。ベトナム人って、容赦なくベトナム語で話しかけてくるのだな。外国人相手でも。そっちがその気ならこっちだって。日本語、しかも方言をもってして雰囲気で会話する。これがなかなか楽しい。意味は、分からない。

ヒデオさんがTシャツの値下げ交渉をしていたのでみてみると、突然隣の店のおばちゃんが割り込んできて「1枚5千でいいわよ」と。「勝手に人の店のもん値下げしてんじゃないわよ!」「ああん?」「おうコラ」とケンカをおっぱじめるお隣同士。さらにその隣のおばちゃん、自分の店の、いかにも売れ残っている風なアクセサリーの類を鷲づかみにして僕のTシャツをひっぱりそこへぶちこんできた。これが本場の押し売りだね。

ぐるりとまわっただけで大分体力を消耗し、影で少し休み、ここから15キロ先にあるという、トゥアンアンビーチを目指す。自転車こいで海をみにゆく。1時間かけてどうにか到着、汗ばっしゃりかいた後に飲むコーラのウマさときたら。たまんねーな(毎度お騒がせしますのミポリン風、二度目)。

そして今年初泳ぎを実行。砂浜がきれいだ。空も青い。軽く泳いだら思っていたより満足してしまい、さっさと帰る。また1時間の道のりを・・・途中自転車をパンクさせたり、コーラを買ったらお釣りのこまかいのがないからと飴ちゃんをもらったりしつつも無事帰り、シャワーをすっきり浴びて皆で晩飯を食いにでかける。フォー!

縁は胃なもの

翌日からは小雨がしとしとと降り続き、ネットをしたり飯を食ったり飯を食ったり、飯を食ったりと、何をするでもなくフエに滞在。宿が心地良いと動けなくなるのだ。参るのだ。これでもいいのだ。

旅立つヒデオさんに別れを告げたらまた新たなお客さんがドミにやってきた。これまた日本人の女性ナツさん。なんだか、話しやすい人で、5分ほどで打ち解けられた。こういう人が、たまにいる。似たようなニオイだとかテンションを持つ人とは、すぐに仲良くなれるけど、基本的には人見知りなんですジャミラ。誰も聞いてない。

さらにやってきたジョニーさんなる人達と、部屋で大胸筋トレーニングをしたり、稲中の表紙を真似て写真撮影をしたり。それでも小雨はまだまだ降り続き、めげずにステーキセットを食べにいき(超安い)、カフェでベトナムコーヒーとケーキをいただきながら読書を楽しむなどして過ごす。雨男な僕は雨を憎みがちだけど、こうして、のんびりと、雨に霞んだ町をながめるのもたまにはいいもんだ。

そろそろ移動の気配がしてきた頃合い。ナツさんも丁度次の町ホイアンへ向かうというので、僕もバスのチケットを購入。翌朝、ナツさんのより50セント安いチケットを購入したために、別々のバスで向かうことに。ほんじゃ向こうでまた。一足先に向かう彼女を見送り、数十分後僕も向かう。ジョニーさんとはここでお別れだ。面白い人との別れはいつも名残惜しい。

さて、何故僕のチケットが50セント安いのかというと、「バスが古いから」だそうだ。しかし、このバス、めっさきれいやんか。エアコンがんがんで、めっさ寒いやんか。

昼過ぎホイアンに到着。ジョニーさんが教えてくれた宿へと向かう。そういえばナツさんとはどこで待ち合わせなどと一切取り決めていなかった。まあいいかと町を歩きはじめたら5分で再会。地球は小さい。2人して世界遺産の町ここホイアンを練り歩く。ほほう。なるほど世界遺産。中国仕立てな町並みが素敵だ。風情、情緒が、ある。ような気がする。

ここでも市場へ足を運ぶ。どこにでもある。市場だから。そこでいい塩梅の布を発見。早速店の姉ちゃんに値段交渉。覚えたてのベトナム語「デップヤァイ(べっぴんさん)」を連発し、おまけにシルク(多分シルクの肌心地のする別の素材)の寝袋もセットにして、値下げ成功、購入。

さらに別の店でシルク(もはや肌心地はコットン!な素材)のマネーベルトを購入、「ベトナム人かと思ったよおまえ」と店主に言われる。今のところ、全ての国で現地人に間違えられているのだけれど、これは喜ばしいことなのか?両手あげて喜んで、いいのか?

ともあれ休日のショッピングを楽しんだティーンの女の子ばりにるんるんで宿に帰り、 晩飯へまたでかける。屋台で食おう。「バンカン」とかいうお好み焼きのアレを揚げてサラダにしたようなものや(自分の日記に書き留めてあった表現をそのまま使ったが全く意味が分からない。どんなんだったんだ。)、「ミーガー」というヌードルを食べる。

腹を満たし歩いていると、中学生らしきベトナム人の少年達が声をかけてきた。そしておもむろに「チューして!」とナツさんにせがんできた。「ええでー」とノリ気なナツさん。ええんですか。するとおもわぬ反応に驚いたシャイな中学生は、物陰につれていきこっそりチューをしようと、

したが結局しなかった。中学生って、そうなんだよね。そういうのやたらやりたいのさ。青春を垣間見てなんだか楽しくなり、屋台でシントー(激ウマ)というフルーツシェイクを飲みそこでも店のあんちゃん達とよく分からない会話をしてガハガハと笑い、宿に帰り寝る。

番組関係者になりすます

翌朝、宿でぶれっくふぁーすとを食べていると、おばちゃんが、「ミーソン行かない?世界遺産よ!素敵よ!予約したら、コーヒータダにしてあげるわよ!」と言ってきたので、じゃあ。と次の日のミーソン行きバスを予約する。どこだよそれ。

自転車こいで海をみにゆく(二度目)。ここホイアンからほんの3キロほどのところにあるCUA DAIビーチへ。

着いた!海!波!高い!!ナツさんは高波恐怖症らしく僕一人波に立ち向かう。本当に、波高い。やっぱりちょっと泳いだら満足し、あがる。

となりには男女8人夏物語!みたいな地元のティーンがきゃぴきゃぴしている。楽しいんだよね。あの年頃は何やっても楽しいのさ。ここでも青春を垣間見て浮かれていると、ポケットからお金を落としていたらしく、その夏物語ティーンズが拾ってもってきてくれた。なんていい子達!あれ?1000ドン足りない。と思ったとき視界に入ってきたのはさっと1000ドンを拾い何食わぬ顔でしまいこみ去ってゆくおばあちゃん。ま、まいっか。いいんか?いっか。

帰る途中、「ええ感じやなあ」と気になっていた小道へ自転車こいで行ってみる。あぜ道。

そこで突如始まった笑ってコラえてダーツの旅風インタビュー。こんにちはー。あのー、僕達東京から来たんですけどー、日本テレビってご存知ですか?このへんで見所とかありますかー?

シュールな吐息を返されただけで何も情報が得られないのはそう、相手が牛だから。牛へのインタビューをあきらめ次は通りすがりの人たちにやたらテンション高めで挨拶する。自分がテンション低いときにやたら高い奴に絡まれると、ものすごく鬱陶しい。まさにそんな感じ。

腹がへってきた。通りすがりの牛や人がだめならと今度は民家におしかけ、このへんに食堂とかないですか?もしくはお宅で食べさせて!と図々しくも少女に尋ねる。困った様子。そりゃ困るよね。

「ない」と言われ次探すかとその家を出た5秒後、バイクにまたがったあんちゃんが現れた。すかさずナツさんがジェスチャーをもってして「腹へった!飯食わせて!」と伝える。まさかのOK。微笑みの貴公子!喜び勇んであんちゃんのおうちへお邪魔する。

笑ってコラえてから突撃隣の昼ごはんへ急遽番組内容を変更し、さっそく食卓へ招かれる。あんちゃんのおかんと弟、それから親戚が出迎えてくれた。

初のベトナム家庭料理!ごはん、それからカトゥーンという魚、なんらかの御浸し、ゴーヤとカトゥーンのスープ。いただきます。ン、ンゴイ(ベトナム語でうまい)!ンゴイ!連発。そしてカトゥーンも連発。一同笑う。もしかしてカトゥーンが日本語でジャニーズ事務所所属のアイドルを意味するって知ってるんだろうか彼らは・・・。

気づけばご飯を4杯もおかわりしてしまい満腹になった我々取材班は、せめてもの礼儀として皿洗いをさせていただく。「いいから!やんなくていいからあっちで休んでな!」肝っ玉母ちゃんにそう言ってもらったがここはジャパニーズサムライソウルがだまっちゃいねえ。皿洗い、させてください。

井戸から水をひき皿を洗い、「こいつ食っちまうのよ」と見せられた裏庭に潜んでいた巨大な豚におののき、3歳の御子ダァと遊び銃撃戦を繰り広げヤられ、お宅の住所を聞いて帰る。写真を現像して送るのだ。

まーたしても市場へ向かい、レターセットとマンゴー、ぶどう、洋ナシを購入。あやうくパンツ(女性用)も買わされそうになった。売れりゃいいのかあんたら・・・。宿に戻りフルーツを冷蔵庫で冷やし、昼寝。

夜、昨夜シントーを飲んだ屋台へ行き、うまそうな飯モノを発見したので注文。BUN THIT NUONGというそれは、白い米の麺の上にキュウリと大根の千切り、炭火で焼いた肉、それからビーフシチューのようなタレがぶっかかった食べ物で、めさめさウマい。

食べ終え、店のちょっとぽっちゃり兄ちゃんヴォイン(名を体であらわしている!)とその妹バンに、ベトナム語講座をひらいてもらう。といっても、片っ端から目にうつる果物や色々を指さして、これなんて言うん?と訊きメモするだけだが。楽しい。

そこで冷蔵庫で冷やしていたフルーツを思い出し、宿から持ってきて、切ってもらい皆で食べる。尚楽しい。楽しくなりすぎて、「マンゴー」にちなんだ卑猥な日本語を駆使して、下劣な会話をくりひろげた僕とナツさんは、愚かしい。

ミーソン素敵よ・・・!?

ぎゃっ。ミーソンへ向かうため早起きしたら、目が腫れていた。昨夜は、お下劣な会話に花咲かせたりはしたけど、失恋して夜通し枕を濡らしたりなんかはしてないよなあ。まあいっか。いいのか?いっか。

今日はウーンコーがよくでる。それが目の腫れとなんらかの因果関係を持つのかどうか。どうでもいい。

ミーソン行きのバスへ乗り込む。走り出して数十分後、マイクをにぎったおっちゃんが突然しゃべりだした。バスガイドらしい。ミーソンの説明などをして、カラオケを始める。一人悦に入るおっちゃん。感情移入の仕方が尋常でない。しかしこれがミーソンにまつわる歌なのかそれとも単なるおっちゃんの自慰行為なのかは、誰も知らない。

そんな余興もありつつ到着、ミーソンとは、つまり遺跡らしい。「はいここで60000ドンの入場料を徴収しまあす」えっろ六万ドン!?きいてないよ!!某ダチョウ倶楽部まんまのリアクションをしてしまう。昨日支払ったバス代に全て含まれていると思っていたのに。宿のおばちゃん何も言わねがっだ。というか俺達知らなすぎた。

渋々支払いいざ遺跡へ。ジープに乗り換える。はは、はははは、大方の予想を裏切らない我らがミーソン遺跡。素敵な過去からのおくりもの、ミーソン遺跡。

しょ、ショボ・・・。遺跡と全く関係ないオジギソウやけもの道に興味を奪われ、ミーソン散策をしていると、ゴール。終了ーー。なんという・・・!!

がっかりする間もなく終了した世界遺産ミーソン遺跡ツアーから帰った我々取材班は、ツアーで一緒だった世界一周旅行中のご夫婦と昼飯へ。ホイアン名物カオラオ、ホワイトローズ等いただく。どんな料理かというと、いうと、忘れたがウマかったのは確かだ。旅の話などをする。

夜はまたヴォインの屋台へ。そしてまたBUN THIT NUONGをぺろりんちょして、冷蔵庫で冷やしたマンゴーを切ってもらい皆で食べる。すると隣の席のヤツが注文したパフェのような物体が目に飛び込んできた。な、なにあれ!!!「シントーヤム」ヴォイン!それくれ!俺達にも!

作ってもらう。アボカド、ドラゴンフルーツ、カスタードアップル、マンゴー、その他フルーツをざくざくつぶして、そこに練乳と砂糖、氷とココナッツチップをちりばめている・・・魅惑のデザート。ふふふ、ふへ、ふふふ・・・ふまい!

魅惑のデザートとの出会いを今果たしたばかりなのに、明日僕は次なる目的地、ニャチャンへと向かう。 さようならシントーヤム。

事態は泥沼化

ナツさんとも、屋台のヴォインとも別れを告げ早朝6時にバスはここニャチャンへと到着した。宿へチェックインをし、とるものもとりあえず再び寝る。9時頃起床し、同じ部屋だった日本人の方と朝飯を食いにでかける。

フォーーー。お茶を出してもらったのだがぬるかったので、ヴォインに教えてもらった単語「ダー(氷)」を店員に向かって叫ぶ。なんと!氷がでてきた。なにもヴォインのもとで卑猥で下劣な会話ばかりしていたのではありません私。

午後、泥温泉があるらしい、という情報を入手し自転車を借りて向かう。やはり迷う。持ち前の方向音痴を持ち前のいつかたどり着く根性でカバーし、無事到着。

おぉ!ここは!温泉というか、ちょっとしたスパ〜SPA〜なフンイキさえ感じさせるおしゃまな施設ではないか。それだけに、入場料は60000ドン(約420円)と若干セレブリティ価格。

軽くシャワーを浴び、浴槽へ。するとスタッフがバキュームカーのホースのようなものを持ってきて、発射!みるみるうちに泥にまみれる浴槽と男二人。

なぜかそこにカンボジア人のぽっちゃりしたおっちゃんも乱入、泥にまみれるなり「君はなにカンボジア人?」と尋ねられる。日本人ですが。「あははカンボジア人みたいな顔してるね!」あははっ

目にも泥が入り込み、このままだと今後の人生を泥として過ごさざるをえなくなりそうなほどまみれちまったので、頃合いを見計らって洗い流そ、うとしたら「待てぇい!まだ洗い流しちゃいかん!乾かさんかい!」

ど、泥奉行!ぽっちゃりおっちゃんに引き止められ、男三人棒立ち。も、もういいですか・・・・皮膚がぱりっとなってきた頃ようやく洗い流す。すっきりついでに併設されたプールで優雅に泳いでみようじゃないかということになり、リゾート地でエレガントにふるまいバカでかいサングラスをかけてカクテルなど飲んでいる欧米人よろしくプールへ飛び込む。

気がつくと宿に戻っていたのはそう、プールが40℃近い素敵な温度に保たれていたためエレガントさを演出する間もなく上がり、さっさと退散したから。

昼寝などして、海へ散歩へ行き、弾けない三線の練習をさも弾けるかのような表情でして、夜は近所のぶっかけ飯屋へ。卵焼きや焼き鳥、空芯菜、小魚やその他もりもり惣菜がぶっかかった飯のうまいこと。

家族経営のその店は皆フレンドリーで、「娘があんたのことハンサムだってよ!」とボスのおっかさんに言われ、もれなく舞い上がる。気をよくした僕はここでもまた食材をひとつひとつ指さして名前を教えてもらう。するとドライマンゴーをくれた。非常に気分の良い店だ。ふふ、ハンサムだってさっ・・・うへへ・・・

解せないベトナム人

二代目スケバン刑事麻宮サキこと南野陽子が宿にいるという何ともいえない夢をみて起床し、いつもどおりフォーを食べ、インターネットへ足を運び、また海を散歩していたら、昼間っから酒盛りをしている地元の集団に「こっちきんさい」と誘われる。

ビールを手渡され「ヨーイ!」どん?「ヨーイ!」なるほどヨーイとは乾杯を意味するらしい。僕の地元の方言で「よーい」という言葉は「おいおい」といったニュアンスでよく使われるのでなんだか親近感。

せんべいやカニまでいただく。するとおばちゃんが突然「あんた金払いなさいよ!持ってんでしょたっぷり!2万ドン払いな!」とまくしたててきたので困っていると、その旦那らしきおっちゃんが「OK、OK、払わなくていいから。ヨーイ。俺たち友達だから。」

そう言って手をにぎにぎしてきた。うーん・・・ちょっとにぎにぎが過剰だけどもおっちゃんありがとう。またしばらくビールを飲んだりしゃべったりしていると今度はおっちゃんがこしょこしょと「1万5千ドンね。こっそりね。」と。

えぇ!?どないなってはりますのん!?でもビールもらったし、一応払おうかと「おばちゃん、お金おっちゃんにはらっとくで?」と言うと、おばちゃん「いいの!払わなくていいから!おんめえ何勝手なことしてやがんだこの野郎□○×☆・・・!!」

え、えぇぇぇ・・・・!?なんでさっきと言ってること逆なんだよあんたら・・・そんな問答が二度ほど繰り返され、面倒くさくなったので帰る。ベトナムはカカア天下文化だときいていたがまさに、カカアはおっかなかった。でもやっぱり言い分がひっくりかえったのは解せない。

少量の麦酒で酔っ払ってしまいそれから宿で爆睡、起きたら夜。昨日と同じぶっかけ飯屋へ。ボスのおっかさんは覚えていてくれたらしく、注文する前にぶっかけ飯がテーブルに置かれた。

「うちの娘カノジョにどう?」どう?と言われましても私無職なうえ浮浪者でありますゆえ・・・おっと、今日はお吸い物のサービス付きだ。それではお宅の娘さんと交際させていただくことにします!

とはいかず、笑顔でかわし店を出てまた海へ散歩。砂浜に座り込んでぼーっと考え事などしていたら、「なんたらかんたら!」と地元のティーンに逆ナンされる。うほっ!何言ってるのかわかんないけど日本人です僕「げっベトナム人じゃねえのかよ。会話になんねーよ」

そしてあっという間に去っていった。え、えぇぇぇぇ・・・・

翌日は4時間近くインターネット屋にひきこもり(だって一時間たったの3000ドンつまり約21円)、本を読み、ぐだぐだとすごす。

夜、三線を持って海に行き、浜辺で練習をしていると、年のころ17歳ぐらいのベトナム人男子がとなりに座り、僕の演奏に聞き惚れる。ほほう、分かってんじゃねえかこいつぅ。名をトゥアイというその男は、21歳の大学生。将来ツアーガイドになりたいから外国人とおしゃべりがしたいそうだ。

えなにじゃあ、俺の演奏に聞き惚れてやってきたわけじゃなくて?あそう。小一時間しゃべり、またね。

今宵もまたぶっかけ飯屋へ。その道中偶然ロドス(ラオス)のボートツアーで一緒だったイスラエル人と再会。こういうことが本当によくある。旅人が行くところはまあ大体一緒だからね。

今日はご飯のおかわりと魚を一匹おまけにくれた。ますますサービスがよくなる。すると「30になったらここ帰ってきてうちの娘と結婚しなさいよ!今はまだ14だけどその頃にはいい感じでしょうよ」おっかさんそんなあなた・・・またもや笑顔でかわし三線をみせるなどして話題をすり変える。やはりベトナム人と結婚てのは少々荷が重いよね僕にはね・・・愛があればね大丈夫だけどね・・・などと考えながら床につく。

モテた気になる

翌朝、今日はフォー以外のものを食べようと出かける。10分後「フォーください」。フォー以外になにがあるか、大して知らなかった・・・。

ビーチへ向かい、宿の日本人の方と足バージョン羽子板のようなもので遊ぶ。ベトナムではそこかしこで皆これに興じている。これがなかなか難しく、まったく続かないでいると、女子中学生らしき4人組がよってきて、参戦。

だ、断然うまい・・・ニッポンダンジ、情けない。そして三線に気づかれ、貸す。写真をとろうとしたら、逃げる。また戻ってきて三線をいじる女子達。写真!逃げる。何度目かのチャレンジでようやく捕獲に成功。乙女の恥じらいを知る「撮られたいけど恥ずかしいし一人じゃやだしー」。そういう年頃。

宿に帰り荷造りをすませ、最後のぶっかけ飯へ。着くなり「いやんもう許婚ぇ〜」的に出迎えられる。おっかさんそんなに娘を安売りしないで・・・今日もぶっかけられてらあ。うめぇ。卵焼きがゆで卵になっている。今晩サイゴンへむけて出発する旨を伝える。「え!?そうなの!?でも、戻ってくるのよ!絶対!」結婚はしないけど戻ってくるよいつかきっと。ハンガブラン(またね)

宿に戻りバスを待つ。フロントの娘ホァンとしゃべり、ベトナム語を教えてもらう。すると突如メールアドレスと電話番号を書いた紙を渡される。ん?えぇ!?これってどういうこと?もしや俺のこと・・・正直ぶっかけ飯屋の娘より可愛い・・・うふふ・・・などと浮かれているとバスが来て、あっけなくお別れる。

突然のほのかな恋の予感を引きずったまま出発したバスに揺られる。窓からは心地良い風が。そして仰いだ空には流れ星。あぁ、バスに乗るべきでなかったのか俺・・・

ビブリオへのプロローグ

早朝、目的地であるサイゴン(ホーチミン)へ到着。適当な宿へチェックインし、ぐるぐると歩く。シントーをみつけ飲む。苺味おいぴい。店の娘、その兄とおしゃべる。暇さえあればベトナム語を教えてもらう。

それから市場を散策し、戦争博物館へ。観光にあまり興味のない僕だが(じゃあ何で旅してるのといった質問は事務所的にNGでお願いします。僕にも分からないから)、ここだけは物凄く行ってみたかったのだ。

入るなり目に飛び込んでくる凄惨な写真。米軍からおよそ人とは思えないような仕打ちを受けているベトナム人の姿をみていると、不覚にも泣いてしまった。どれほど痛かったろう、苦しかったろう、悲しかったろう、憎かったろう。

アメリカ人め。と思いながら歩をすすめていくと、今度は反戦のために焼身自殺したアメリカ人青年の記事が。アメリカ人すべてが悪いのではなくて、一部の政治的な人達や、それ(戦争)をよしとする人達が悪いのだ。もっと知らなければいけない。

なんだかどっと疲れて宿に帰り休んでいると、同じ部屋にいたハーという名前の日本語を話せるベトナム人の女の子に話しかけられ、明日一緒に孤児院に遊びに行かないかと誘われる。是非とも!そしてコーヒーでも飲みに行こうと外へ出かける。そこで偶然ハーが知り合いのドイツ人と再会し、共にコーヒーをご馳走になる。やったねダンケシェン。

しかしなんだか、腹が・・・減りすぎである。ドイブン(腹へった)・・・。ようやく飯にありつけたのはハー達と別れた19時すぎ。屋台でイカチャーハンを注文。ドカ食い。2分でごちそうさま。食い足りず別の屋台でシントーとワッフルのようなものも購入しぺろりとたいらげ、旅行会社へ次なる目的地プノンペンへのバスのチケットを予約しに行き、宿に帰り、ハーや日本人の女性達とおしゃべりをして深夜2時就寝。

おれの来世は腸炎ビブリオ

ここからしばらくはタイムテーブル方式でお楽しみください。

5:30、腹痛で目覚める(あちゃー夕べ水分とりすぎてもたかなー)。トイレへ。下痢(diarrhea)。いつものことだと軽んじて、再び就寝。

5:40 激しい腹痛に再び目を覚まし、ダイアレアアゲイン。(あれれー一向にやむ気配がないぞー?)

5:50 三度トイレへ駆け込み乗車。普段のダイアレアと明らかに一線を画す痛み。みぞおちを断続的に殴られ続けているよう。どうにか治まり、立ち上がった瞬間、眩暈。発熱。体中から一瞬で汗が吹き出る。

確か昔ごっつのコントで松ちゃんが稲川惇二風霊能力者に扮し、怖い話をしようとしたら頭からものすごい量の汗がしたたりおちるというのがあったな(まさにそれじゃん・・・)。 脱水症状。 二段ベッドの上で寝ていたので登ろうとしたら、はしごじゃない部分から登っていて自分にびっくり。意識が朦朧としている証だ。水を飲む。

の た う ち ま わ る

7:00 目を覚ました日本人の方々に苦痛を訴え、正露丸をもらう。効果ゼロ。

8:00 孤児院に一緒に遊びにいこうと約束していたハー起床。ごめん、今日行けんわ・・・。「大丈夫ですかー?」(ううん大丈夫じゃないよ。)

死 に 物 狂 い

で水を買いに行き、前に日本人の方からもらっていた粉末スポーツドリンクを溶かし、飲む。染み渡る。 それからずうっと、トイレとベッドをNOTA-UCHI-MAWARI、眠たいのに、寝ようとする度みぞおちが激しく痛み、眠りに入ったとおもったら同じく激痛で目を覚まし、ううううわうううぶぁぶぁぼうう・・・唸る。発熱、吐き気、下痢の大盤振る舞い。

(日本はええ国やったなあ・・・) 薄れゆく意識の中、眼前にたちはだかる黒い影。

「ハロ〜〜ゥ」 (!!!!!!!??????)

身の毛がよだった。そして乳を触られた。 黒く長い髪、鋭く伸びた爪、浅黒い肌、 不気味なカマ声・・・こいつは・・・

宿の従業員の男。 昨夜もドミで話していると執拗に接近してきては二人で飲みに行こうと誘ってきた男。 お前・・・人が死にそうになっている時に・・・ さらにその男はベッド横の椅子に座りTシャツをめくり「ねえねえこれみてえん」といわんばかりに自分の乳首を指差す。

強い吐き気を催す。 必死の思いで、一人にしてくれ!!!と怒声をあげる。 英語が通じない。 もはや老人のように衰えたこの手でシッシッと合図するとようやく消えた。

19:00 下痢は続くもののようやく痛みがひきはじめ、孤児院から帰ってきたハーと、同じドミのスウェーデン人と3人でピザ屋へ。 回復していきなりピザってそれって。 「肉団子!ビール!はいはいはいすいません!ソノクツドコデカッタノ!」 その日本語一体どこで覚えたんだいスウェーデン人。だが皆と話して笑っていると、痛みがほとんどないのである。人体の不思議。

まとめ

原因:急な暴飲暴食もしくは屋台のイカチャーハン。

結果:急性胃炎およびオカマからのわいせつ行為

有効:ヨーグルト等乳酸菌とビフィズス菌配合の整腸薬(正露丸は下痢止め。悪い菌まで腹にとどめてしまうのでノーグッド)、オカマに有効な薬はなし

従業員:吐き気の一言。あの顔・・・思い出すだけでサブイボ(鳥肌)

感想:いろんな意味でケツのひきしまる思いでした。 通勤途中の「うんこもれそう」そんなのちょろいと、今なら言える。自信を持って。皆さんも時にはたちどまって、日本という国がどれだけ衛生的で、安全で安心で、美味しいか、振り返ってみてください。

そしてお腹を壊してください。 しかしやはり、我が身を持って苦しみを味わわないと、人の苦しみなんて分からないものですね、今度自分のまわりにのたうちまわりびとがいたら、きっと優しくしてあげようと思いました。また一つ男度あがった!の?

恐れいりながらの出国

地獄をデッサンにしたような一日を生き延び、翌日には移動。怖い。バスが物凄く怖いのである。下痢とバス、とは昔からよく言ったもので、この二つは決して互いに気が合わず打ち解けることはないのだ。似たようなことわざに水と油、クラッシュギャルズと極悪同盟などがある。

途中休憩で空腹を覚えるも恐れをなして我慢、コーラを飲むにとどまる。

意外と大丈夫だったらしく、しかもすぐに国境へ到着。バスを降り、換金をすませ、出国。恐れ入る間もなくあっという間に国を出てしまったではないか。国境越えって、どれもあっという間だな。ベトナムさようなら。痛かったよ。



ベトナム(2007年4月1日〜4月15日)

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