ドキがムネムネ。全く違うアフリカと

搭乗して席に着くと、CAのお姉さんに飴ちゃんを配られる。飴ちゃんか。一時間少々のフライトだったので、さすがに機内食はないのかと若干肩を落としつつ離陸、ウトウトしていると

「チキン?もしくはビーフ?」

きたのねーーーーー!!!!ぱっちりおめめが覚めました。チキンをお願いいたします。

ぺろりと美しいほどにたいらげ、食後のコーヒーでほっと一息ついていると、ベルト着用のサイン。もう着陸だそうだ。

イエメン。久々のアラブ圏。久々の非アフリカ。久々のイスラム圏。

つい先月首都サナア近くで自爆テロがあったそうだ。百聞は一見に如かズ。危ない危ないって言ったって、そんなものテレビやインターネットの情報でしかない。この目を信じて行ってみればいいじゃーん。

イミグレーションで入国スタンプを押してもらい、両替を済ませ市内へ。向かおうとするのだが、時刻は既に22時をまわっていて、バスが終了してしまっている。タクシーは2000リエル(1000円)だと言う。バスならたったの50リエル(25円)で行けるものを・・・。

それでは私、ちょっこすこちらで。と到着口のベンチに荷物をおろし、若干の哀愁を背中に漂わせホームレスよろしく就寝。

人生の歯車が狂う出会い、その日

早朝6時には目を覚まし、空港をあとにする。お目当ての安宿があるタハリール広場という場所へ、バスを乗り継いで向かう。

流れる景色がアラブ一色。モスクがそこかしこに建ち、イスラム建築の家々が並ぶ。アフリカとは全く違うその様子に、ほっとするような、はっとするような、ふぁっとするような気持ちになる。

マナハホテルという、日本人旅行者の集う確率の極めて高い宿へチェックインし、荷物をおくなりすぐさま外へ。向かう先はただひとつ。インド大使館。

ここでインドビザを取得せねば、なかなか大変なことになるのだ。もうインド行きの航空券を持っているし、もし取得できなければ、最近始まったというアライバルビザ(一ヶ月のシングルで60ドル!)しかないのだ。つまり、最悪の場合一ヶ月しかインドへいられないのである。

インドは一ヶ月で満足できる土地ではない。おつまみがちょっとつまむ程度じゃ満足できないように・・・。

どこの国でもそうなのか、インド大使館には常に人がひしめいて、我先にと押し合いへしあいしている。もちろんここも例外なく。

申請用紙に記入し、エチオピアの大使館で用意するように言われた書類(ホテル予約、資金証明、イエローカードのコピー等)を全て手に持ってカウンターへ臨む。

「うむ。あのですね、六ヶ月のマルチ(六ヶ月以内なら何度でも入出国ができるビザ)は廃止になったんですよ。なので三ヶ月のシングルを発給します。」

そそんな!何でですか!?「それが我々の決めた要項だからです。」それは非常に困ります!というのも、私はですね、インドの後ネパールへ行き、その後またインドに戻ってこなければならないからです。せめてダブルで(二回入国できるビザ)!

「無理ですねー。それでは来週の火曜、午前中に料金の45ドルを支払いにお越しください。それで午後受け渡しとなります。」

ああどうしよう。シングルビザ(一回しか入国できない。一回出ちゃうともう入れない)なんて!だがこれ以外に方法は残されていなかったので、諦めて申請する。

その代わり、あれだけ気合を入れて用意した書類は一切求められず写真一枚のみだった。拍子抜けとはこのことである。新喜劇の役者なら見事にコケただろう。

宿へ帰り、朝から何も口にしていなかったので腹ごしらえをし、インターネットへ。

すると「日本人ですか?」と、日本人のおばちゃんに声をかけられる。「ここのパソコンで日本語使えるようにできないですかね?」よくわからないが言語設定のあたりをいじってみる。変わらない。すみませんよく分からないですねえ。「ありがとうございました。ところで、ドバイからイランに船出てるか知りません?」

ド、ドバイからイラン!?日本人のおばちゃんで、しかも一人でドバイからイランに海路で向かおうとするなんて、只者じゃあないぞ・・・。ちょっとそれも分からないですねえ。

そこで話は終了。まさかこのおばちゃんの只者ではないっぷりに人生を変えられようとは、この時ミジンコも思っていなかった。

雑事をすませ宿へ戻ると、宿泊している女性と、さっきのおばちゃんがおしゃべりをしていた。さきほどはどうもーと再び挨拶をすると、「私ヒーラーです。」ああ、ひいらさんですか、僕はジャミラです。

「ヒーラーさんって知ってます?」え?あひいらさんて名前じゃなくて?ディーラーの方ですか?

「ヒーラーです。ヒーリングをする人です。まあ、スピリチュアルな人間ですね。」

二度も聞き間違えてしまった。ヒーラー。スピリチュアル。エジプトにいた時似たようなドイツ人女性と出会った事があったが、果たしてヒーラーとは・・・スピリチュアルという言葉や、人をあまり信じていないボクは、半信半疑で彼女の話をきいてみる。

「各地で難病を治したり、がんの治療をしたり。日本以外の先進国ではどこでも、外科医や精神科医とタッグを組んでヒーラーは活躍しているんですよ。」

「ある土地で、台風をそらして下さいって地元民からお願いされて、それじゃあそらしてみせますって約束してそう天に願ったら、それから一度も台風が来なくなったんです。」

興味津々に聞きつつも、どこか疑わしげというか、にわかには信じがたい。

でも話をするときこのヒーラーさんは、常に真っ直ぐ相手を見つめている。ボクはあまり人と目を合わせて話す事をしない性質なのだけれど、彼女に見つめられると、何故か反らせない。どこか不思議な人だ。

夜になり、三人で旧市街へいってみる。ヒーラーさんの友達のモハメッドというイエメン人もやってきて、サンドウィッチとシャイ(紅茶)を頂きながらああだこうだ、ああでもないこうでもないと話をする。

やっぱり目をみてしっかりと話しかけてくるヒーラーさん。何ともいいようのない、疑わしいのにもっと話していたいと思わせる人。

しかも、京都出身らしいのだが、ボクの地元愛媛の、実家から歩いて十五分という超近場に住まっていたことがあるという。何か縁を感じずにいられない。

「私はお金には一生困りません。常に自分をさらけ出して、自分の心に正直に、嘘偽りなく、真実に生きているから。そうやって生きていると、お金は自然と入ってくるようになっています。」

正直。真実・・・。そういった言葉を聞くと胸のあたりが苦しくなる。何故か?理由は知っている・・・。

ボクの、今付き合っている彼女が最近思い悩んでいる件についても相談してみると、「それは彼女が、現状を変えようという勇気がないからや。それを誤魔化して言い訳してるからや。」

詳細は割愛するが、ずばりと、何一つ言い淀むことなくそう答えるヒーラーさん。

翌日早速その旨を彼女に史上最長と言えよう長さのメールにて伝える。

魚旨いがひっかかる。ひっかかるのは骨でもないあれ

ヒーラーさんの言葉を伝えると、彼女は少し前に進めそうな状況にあって、そのタイミングでメールが来たからこれはこのままいけそうだ。と嬉しい返信があった。

今日はそのヒーラーさんと、あちこち旅行中の日本人夫婦、この間のモハメッドの五人でフィッシュマーケットへ行ってみる。

そこへ向かう最中も、ヒーラーさんの、過去のヒーリングの話を聞かせてもらう。「自分の中の汚れ、真実と向き合って、それを綺麗にして乗り越えられる人はほんのわずか。何人か見てきてるけど、皆ぎゃーあって叫びながら、物凄い辛い、恐怖に打ち勝ってきてるんよね。もちろんその場限りで元に戻ってまう人もいてるけど。」

汚れ、真実・・・また胸に突き刺さって苦しい。

マーケット前でバスを降りるなりもうウオ。ウオのにおいが立ち込める。賑わうマーケットへ足を踏み込み、早速サバを三匹、タイを一匹、エビを500グラム買う。

それを持って近くの、調理場とでも言おうか、マーケットで買った食材をその場で調理してくれる所へ行き、サバとエビは油で揚げ、タイは味付けしてグリルにしてもらう。

それを持ってさらに近くのレストランへ。そこでサラダと、ホブスという大きなナン、飲み物を注文し、いざ尋常にいただきます。

ウンマーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

サバうまいタイうまいエビうまいホブスうまいカナダドライうまい。久々にこんなにたらふく魚介類、というよりも食べ物を腹におさめた気がする。いつも節約を心がけていたり、食べるのを忘れていたり、そういう生活が続いたせいで胃自体も小さくなってしまっているのだ。

「それはいかんで。自分の体はしっかり自分で管理して、粗末にしたらいかん。皆自分の体を自分で作り上げたような気になってるけど、違うやろ?もうそれこそ神秘やでこんなん。」

気をつけます。しっかり食べてもちっと太りましょう・・・。

たらふく食べた後だというのに、女性陣は「あそこのスーパーんとこにサーティワンあるからアイス食べへん?」と別腹を惜しげもなく披露。

スーパーでモハメッドとあれこれ話す。日本語教室へ通う25歳。実に勉強熱心で、覚えた日本語を教えてくれたり、どうして日本人は一緒にいる間と別れ際は「写真送るからー!」「絶対日本招待するからー!」「メール送るからー!」って言うのに別れた途端一切連絡してこなくなるのか?と質問されたりする。

社交辞令で、その場限りの約束をする日本人。そういった人に今まで何人も会ってきたために、モハメッドは、日本人も日本も好きだけれど、少し信用できなくなっているそうだ。申し訳なく思う。

約束は守るもの

いやあうまかった楽しかったと笑顔で別れ、宿に戻って荷物を整理していると、T字型のカミソリの刃がとれていたので、つけようとガチャガチャやる。

シュパーン

勢い余って、親指の皮シュパーン。流血騒動に発展。部屋で一人。

ヒモで指を締め付け必死で血をとめ、ロビーに出ると、新しい日本人のお客さんと出会う。

アキさんという方で、今までの旅の経路などを伺うと、西アフリカへも行ってきたという。同士よ・・・。西アフリカへ行ってきた人は皆、いかに日本人と会う確率が少ないかを知っているので、何故か盛り上がる。

世界最古の生きる都市、その旧市街


今日は一人街をぶらぶらと歩いてみる日としよう。

今泊まっている宿から歩いて十分弱のところにある旧市街へ。足を踏み入れた途端イエメン建築の家がどこまでも軒を連ね、ただ歩いているだけで楽しい。なんなんだここは一体・・・これが一国の首都だとは・・・使い古された形容をすると、タイムスキップをしたような感覚。スリップ。どっちだっていい。ともかく2010年のこの世のものとは思えないほどレトロな雰囲気に満ち溢れた街なのだ。

そこを歩く人々までまるでタイムスキップ。スリップ。男性は腰布をはき短剣を携え豪勢なベルトを巻き堂々とし、女性は目と手先以外の全身を真っ黒な布で包み込み妖しく艶やかなオーラを漂わせ、子供達は大きな瞳をきらきらさせながら駈けずりまわっている。

なんじゃこりゃ。

スークと呼ばれる市場の区域へ入ると、やっぱり迷ってしまった。そろそろ足も疲れたので帰りたいでも帰れない出口ドコ。すると「ハウアーユー?」とオッチャンに声をかけられ、「まあまあシャイでも飲んでおしゃべりしようぜ」と誘われる。

ここがエチオピアだったなら、そしてこのオッチャンがエチオピア人だったならこうも簡単についていかなかっただろうが、ここはイエメン。オッチャンはイエメン人。少し喋っただけで、人の良さそうなのがみてとれたので誘われるままシャイ屋へ。

「日本はいい国だよ。人も優しいし親切だし。タマーム(グッド)。」そう言ってくれるオッチャン。いえいえイエメンこそ素敵ですよこんなお洒落で美しい旧市街はあるし皆本当に優しいし明るいし。

「カートスークはもう行ったかい?」いやまだです。カートというのは、エチオピアで言うチャット。例の噛みタバコのようなものだ。イエメン人の男はほぼ八割が一日中このカートを噛み続け、頬っぺたをシマリス並みにぱんぱんに膨らませて座り込んでいるか、真顔でどこかへ向かっているのだ。ジャンビイヤ(短剣)をさして堂々としているのに頬だけシマリスという姿が非常に愛くるしい。

カートスークへ連れていってもらい、「ちょっとどうぞ」と葉っぱをいくつかもらう。噛む。やっぱりまずい。がエチオピアのチャットほどは渋くない。ちょっとやそっとじゃ何ともないが、シマリスになるほどかみ続けていると、ハッピーな気分になれるのだそうだ。

最後にシーシャ(水タバコ)用のタバコ屋さんに案内してもらい、オッチャンとサヨウナラ。「楽しかったかい?」はいとても。また近いうち旧市街には来るのでその時会いましょう。

宿に帰り、アキさんと、ヒーラーさんと三人で夕食へ。野外レストラン、ビルとビルの間の屋台みたいな所で、中華料理ばりの強火がゴウゴウと燃え盛る中作られる謎の石鍋に入った豆カレーと、ホブス(ナン)、パン、シャイをいただいて、帰りにフルーツジュース屋さんへ寄り話し込む。

今日も言われた。「自分の心、真実に嘘偽り、疑いがあると、どんだけ頑張ったところで落ちていくで。」

この人と面と向かって話していると、全てを見透かされているような気になってしまう。自分の中の真実・・・。

今日もその言葉で苦しんでしまう。真実と向き合い全てをさらけ出す。そんなことできるわけがない。そんなことをしてしまったらもう今までみたいに生きてなんていけない・・・・。

イエメン人のこの人の良さはどこから沸いてくるの


泊まっていた宿がどうも痒い。シーツを替えてもらっても尚痒い。いつも左側を下に寝るのでそちらサイドがぼっこぼこになっている。ダニないし南京虫の仕業だろう。

というわけで、アキさんと二人、ヒーラーさんの泊まっているアルナスルというホテルへ移動する。ほとんど同じ料金で、随分清潔で広々とした場所なのだ。やはり寝床は重要。部屋が落ち着かないと、常に外を出歩いたりそわそわしてしまっていけない。

昼前に近所のレストランで腹ごしらえ。中東でお馴染みのぐるぐるチキン(店先のグリルでぐるぐるとまわされながらこんがり焼かれる鶏肉さまの敬称)、モロヘイヤ(緑のねばねばスープ)、スパイスで軽く味付けされたライスを頂く。

カリカリのチキンはスパイスの味付けが絶妙だし、モロヘイヤは食べている姿を逆再生したら完全に汚物を吐き出しているようにしかみえないけれど和食、さしずめとろろを思わせるようなネバネバ感とあっさり味がこれまたたまらないし、ちょっと多めの料金を請求された気もするが幸せな旨さだったのでよしとして、またもや旧市街へ。

今日は金曜なので多くの店が休みだが、やはり旧市街は美しい。二人で歩いていると一人の時より随分楽だ。余裕を持って人々と接せられる。

カメラを向けると子供達のみならず若者、オッチャン、ジイチャンまで喜んでくれるし(流石に女性は撮れないけれど)、日本人か?そうかそうか!と売り物のスイーツをまるごと一個試食させてくれるし、砂糖を少量購入したいと言うとちょっと待ってなと走って向かいの店からコップ一杯分もらってきて、はいどうぞとプレゼントしてくれる。

ここまで高確率で誰も彼も人の良い国が、果たして今までにあっただろうか。道行く人が親切なことは多々あるけれど、旧市街の中のスークにある土産物屋の、観光客慣れしていてスレていてもおかしくないような連中まで良い人なのだ。

店に入ると、にっこり笑って迎えてくれる。が、それっきり。普通ならがっしり食いついてきてあれ買えこれ買えと勧めてくるものなのに。

ボクの好みの柄の布を発見。黄、緑、ピンクの派手なストライプ模様。こういうはっきりした色使いがたまらない。これもやはり教祖様の影響かと思われます。

広げてみると、ばかでかいじゃありませんか。丁度ベッドシーツに良さそうだったので、2300リエルのところを、交渉の末2000リエルで購入。約千円。日本で買うと3980円はくだらないだろう。もっと粘ればもう少し安くなったろうけれど、これまた人が良かったので、いいやこれで、と納得。

ちなみにこの店の青年は、将来四人お嫁さんが欲しいらしい。「グイグイいきたいんだもん!」と抱負を語る彼の瞳もこれまた輝いていた。グイグイいきなさい。

今夜も石鍋とホブス(ナン)を食べ、まだイケそうだったのでフルーツ屋さんでパフェのような物を食べて帰る。想像を絶する甘さで気分を悪くする。

それからヒーラーさんの部屋へお邪魔して、また色々な話をきかせてもらう。何なのだろう。この方と喋っていると、全てを見透かされていそうで、心臓はばくばくと音を立てて脇から汗はだらだら流れて落ち着かないのに、それでもやっぱり話を聞きたくて足を運んでしまうのだ。

「これから自分の心に正直に、真実に素直に生きるって約束できるか?」怯む。足が竦む。心の中では、そんなことできるわけないと思いつつも、できないなんて言えなくて、はい。と約束してしまった。

「じゃあ明日禅を少し教えましょう。」禅?ZEN?禅って、禅ですよね?はぁ・・・はい。何だかよくわからないが、まあ分かったフリをしてやり過ごせばいいか、タダならラッキーと腹の底でそう思いながら答える。

崩壊、告白

翌朝ヒーラーさんの部屋をノックノック。おはようございます。「ジャミラに謝っておかないかんことがある。もしヒーリングするならイエメン価格でいいって言ったけど、それは私に、あなたをなんとかしてやりたいという焦りがあったせいで、今まで半額とかでやってあげた人いたけど、結局そういう人達は乗り越えても元に戻ってしまってたりしてたのよ。昔はお金なんてとらなくていいってやってたんやけど、やっぱりこっちも本気でやるわけやから、相手にも腹をくくるというか、覚悟を決めてもらいたいんよね。そのために、15000円っていう、払うには覚悟がいる金額を提示してるの。」

ゲ!お金かかるのか!ならいいです・・・ヒーリング・・・いいです・・・そう言おうとすると、「でもあなたはここで自分の真実を受け入れないと、もしこの場は逃げられたとしても、落ちていく一方ですよ。分かりますか?」

分かります。「恐怖や苦難を乗り越えるのは、そりゃものっすごく勇気のいることですよ。でもね、それを乗り越えられんと、人は大きくなれへんし、人の事だって思ってやれんし愛せん。分かるか?」

分かります。「じゃあ、その自分の中の、真実、自分の中の問題が何か、分かるか?」

分かります。分かりきっている。明白すぎて辛い。死ぬまで絶対に誰にも言わないで過ごそうと思っていた事。たった一つの悩み。体が震え、声も上ずっている・・・ここでこの事を言うと、今まで思い描いてきた人生プランは全て崩壊してしまう。どうしようどうしようと思いながらも、もう口からはぼろぼろと心の奥底に閉じ込めていた言葉がこぼれ始めていた。

実は、今まで、25年間生きてきて誰にも言ってない、隠し続けている事があります。

・・・・・・。

それは・・・、自分の中に同性愛の部分があるという事で・・・。

「そうか。でも今の世の中、男と女、それだけで愛する相手を選ぶなんて間違ってるんやで。もうそんな時代やない。私のまわりにもそういう人いてるけど、さらけ出してる人は本当に素敵で、あたしなんかより断然気つくし魅力的やで。」

でもそんな自分が気持ち悪くて、そんな自分を家族や友達に知られでもしたら、物凄く悲しませてしまうし・・・

「何でそう思うんや?過去に何かあったんか?」

昔、小学生の頃ぐらいに、家族でテレビを観てて、オカマかなんかが出てたんです。それを見てオトンが、こんなんが我が子やったら縁切るわ。って何気なくぼそっとつぶやいたんです。それを何故かずっと覚えとって。覚えとるってことはずっとひっかかっとるってことやと思う・・・・

「そうか。」

でもその後に、オカンが、それでも自分の子供やろ、って言ったのも覚えてて・・・そう口にした瞬間視界がぼやけた。涙が溢れてしまった。まさか自分に、映画以外のものでこんなに泣く一面があるなんて思いもしなかった。ボロボロと涙を流しながら、上ずってろくに声も出ないが、話し続ける。

「分かってるんやん。お母さんはちゃんと分かってくれるってこと、知ってるんやんか。」

はい・・・。本当は、その事を言って傷つけるのが怖いんじゃなくて、そうやってさらけ出した後自分が傷つくのが一番怖いんです。

それで、自分で、自分のそういう部分を蔑んで、嫌悪して・・・。さも普通の人間みたいなフリして、平気なフリして・・・心を麻痺させて・・・。封じ込めて。そうやっていったら、全部まるくおさまるんや。誰も、自分も傷つけんですむんやって思って。

時々麻痺しすぎて本当に、オレ今彼女も友達も家族もおって幸せやとかって思ったりしてました。きっと、好きなフリして、好きなんやって思い込んどったらいつかまた本当に好きになれるんちゃうかって。

「そんなな、同性愛が悪い事やとか、気持ち悪いとか汚らわしいとか、全部世間の作り上げたもんやろ!世間って分かるか?世の中の、間やで?そんな間に惑わされてどうすんねん!それこそ間抜けや!良い悪いなんか、そんなんで判断するもんやない、自分の心が決めることやろ」

はい・・・。もう顔面ぐしゃぐしゃである。

ずっと、ずっと溜め込んで誰にも言えなかった真実。会って数日のこの人に、まさか全部吐き出すことになるなんて。もう戻れない。もう逃げられない。

「それで、どうする?」

どうする?

と聞かれた途端恐怖心が波のように押し寄せてきた。手にも脇にもびっしょり汗がにじみ、顔面の毛が逆立ち、体が震える。どうする?何をどうするというのだ・・・と戸惑いながらも、何をするべきかは本当は知っていた。

このことを、彼女、友達、家族皆に告白してみようと思います。「思いますじゃあかん。しますって言い切らな。言い切ったらほんまにそうなるねん。」告白します。「よし、ほな今からやってみるか?」

はい。メール作って、送ってきます。まず一番に、彼女に謝りたいです。「じゃあまず彼女から送ってみよか。」

うーん。 いや、でも、彼女からとかって言って様子うかがってから他の皆に言うのも、その間ももどかしいので、もう一気に、全員に言います。「ははは!すごいやん!ほないっといで。」

言ってしまった。ああどうしよう・・・今度こそ本当に逃げられない。恐怖におびえながらメールを作る。でも、もうどうにでもなれ、ああもう知らーん、とどこか他人事のような、現実感のないような気にもなる。

ここで勢いを止めてしまうとまた足がすくんでしまいそうなので、メールを作り終えるなりすぐさまインターネットカフェへ。

が。

つながらない。昨日はここでつながったのに!こういう時に限ってどうして!畜生もどかしい!あれ?今ボクは、あんなに死ぬまで言いたくなかった事を全て書いたメールを、一刻も早く送りたいと思っている。なんじゃこりゃ?怖いのに、逃げたいし隠したいのに、ネットがつながらないとなると逆に送りたくなってしまっている自分にまたしても驚く。

早足で他のネット屋へ赴き、今度はつながった!急いで、何をそんなに急ぐことがあろうか。急いで、彼女、家族、友達、そして某ミクシイの日記にて全て告白。

丁度全て送り終えた瞬間、ブチっ。停電。

なんじゃこりゃもうさっきから!もう少し送りたい人達がいたが、一番最初に言わなければならない相手には全て送ることができた。

フワフワして益々現実感がない。オレは一体何をしたんだっけか?少し吹っ切れたのか、ぶっ飛んだのか。

帰って報告。やってきましたと。「そうか。ようやったな。じゃあ、ヒーリングするか?」え今までのは違うんですか?ヒーリング?って具体的にどんなんするんですか?「最後の仕上げなんやけど、ベッドに横たわってもらって、体に光を送り込みます。」

これまたよく分からないが、やりたいです!さっきまではお金かかるなら・・・とか、15000円は高いやろー!と思って、疑っていたのに、もうどうでもいい。そう思えた。それ以前に、もう既にお金じゃ払えないほど助けられている。彼女がいなかったら、ここで出会わなかったら、まだまだ深い闇を心の中に隠し続けて苦しんでいたのだと思うと、ぞっとした。それに比べたら15000円なんて屁だ。メタンガスだ。

「それじゃあ少し何か食べて、シャワー浴びたら一時間後にきてください。」

外でサモサなど軽食を買って帰り、部屋に戻ると、出かけていたアキさんが戻ってきていた。ビビる。あんな告白をしてしまった直後に、他の誰かに実際会うと、ビビる。シャワーを浴びてそそくさとヒーラーさんの部屋へ逃げ込む。

今アキさん戻ってたんですけど、ビビってしまって、ダッシュでこっち来てしまいました。「一時間後って言ったやんかー。ほなアキに言ってみたらええやん?試してみ?」

いきなり、私は同性愛者ですって言うんですか!?えぇ・・・・「ちょっと聞いておいてもらいたい話があるんやけどって先聞くねん。それでうん何なにー?って言ってくれたら話せばいいし、聞きたくないって言われたら言わんでいいやんか。」

はぁ・・・やってみます。うわー怖い!がくがく震える足で自分達の部屋に戻る。既に顔面は緊張で不自然に強張っている。そして不自然に会話をスタートさせる。

は、はははー。禅をやるっていって行ったら、なんかもう大ごとになっちゃいましたー・・・。「そうなの?えーどうしたの?」今まで誰にも、生まれて一度も人に話してなかった事を、告白してしまったんですよえぇ。

「えぇ!?そうなんだ!?」というのもボク・・・同性愛者なんですよ。「ああそうなの!?大丈夫大丈夫。オレの周りにもいるし、オレは大丈夫だから!」

い、言えた・・・・。しかも大丈夫だって言ってもらえた・・・・。それから詳細を話し、今しがたメールを送ってきたというと、「まじで!?すごいね!めちゃくちゃ勇気いったでしょ!うわ、すげー!」勇気というかなんというか、もう逃げ場がないとこまで追い込まれただけというか、だって今朝の今朝まで言うつもりなんてなかったし、ヒーラーさんの話も分かったフリしてやり過ごそうとしとったし・・・。

「何かオレってよくそういう人の話を自分に置き換えて想像するんだけど、辛いね。だってずっと誰にも言えなかったんでしょ?つれぇー・・・。」

辛かったですよーハハハー。こんなにひょうひょうと自分の事を語る時が来るとは・・・。

一時間後再びヒーラーさんの部屋へ。「どうやった?」言えました!で、アキさんはそんなん大丈夫やっていってくれて、また全部話して・・・。「よかったなーあ!簡単やろー?大した問題じゃないねん!ほなヒーリングやろか」

ベッドの上にうつ伏せになり、リラックスする。目を閉じる。見えないが、手をボクの体に近づけているのが分かる。なんだこの温かさは。

ほわーんと温かいのを感じるのだ。手が近づいた部分に。それから、今度は実際にボクの体に触れる。マッサージともなんともいえない、これまた妙な何か。さっきよりも直接的に感じる手の温もりが、首筋に触れた途端涙がまた溢れ出てきた。こんな風に誰かに優しく触れられることなんて今までなかった。そりゃそうだろう。自分が相手に何もさらけ出していなかったのに。

頭を触れられ、ツボマッサージのように指でぐいっとやられる。「ん?何やこれ?うわあ。これはひどい。ここ自分で触ってみボコってなってるやろ?んで痛いやろ?」痛っ!何じゃこりゃ。今まで気づきもしなかった。おでこの真ん中から10センチ程上の部分に、小さなコブのようなものがあり、押さえると確かに痛い。

「これはなあ、誰か許せない人がいるんやろう・・・」自分です。

許せない人と言われた瞬間口をついて出た。自分です。自分が許せない。こんな風になってしまった自分が。こんな異常な人間になってしまった自分が。そしてそれを認めたいのに認められず侮蔑して、嫌悪し続けてきた自分が。隠し続けて、皆を騙し続けてきた自分が。許せない。

そう言い始めると、また涙が溢れて、うまく喋ることができなくなった。「そうか。これは相当大きなカルマやったんやなあ。辛かったなあ。」

辛かったなあ、と言われ涙を拭ってもらった瞬間もう心の中がぐしゃぐしゃになってしまった。ずっと、誰かに慰めてもらいたかったんや。ようやく言えた・・・ようやく慰めてもらえた・・・。

その後は、目をつぶり、ただただヒーラーさんの言う言葉に耳を傾け、光りを浴びて、そして自らも光りを放ち、チャクラを開くイメージをして、ようやくヒーリングが終了した。このへんはやはりよく分からなかった。

もう自分でやれる最善は全て尽くした。あとは受け止めてもらう人々に委ねるだけだ。それでどうなろうが、それすら受け止める覚悟ができた。腹をくくれた。HARAKIRI BANZAI!ん?

その結果


翌日ネット屋に行きメールをチェックすると、送った相手のほとんどから返信があった。ちなみに告白した内容は、以下のようなものです。


『ヒーリングという、人の心の汚れを取り去ってきれいにする仕事をする人に出会いました。

最初は怪しい新興宗教とかカルト的な人じゃないかと半信半疑だったのですが

誰に対しても本気で接してくれて、自分に正直に生きろ

自分の魂に嘘つくな、自分を大事にできん人には誰も愛せんし手助けもしてやれん、て言われて叱られて

ずっと、25年間ずっと、誰にも言わずに押し殺して隠し続けてきたことを告白しました。

今朝の今朝まで、告白する気はありませんでした。その人にすら嘘をついて

さも分かったようなフリをしてやり過ごそうとしてました。

でも告白しました。

僕は同性愛者です。

その事を他人に言うなんて思いもしてなかったから、死ぬまで隠していくつもりやったから

いざそれを告白するってなったとき、震えて、息苦しくてたまりませんでした。

号泣してしまいました。

これを言ったら、家族や友達や彼女を傷つけてしまう、それやったら

自分一人抱え込んで騙し続けて隠し続けて、へっちゃらなふりして生きて

死んでいったほうがましや。って思ってました。

でも、本当はそれ以上に、それを告白した事で自分が傷つくのが一番怖かったんです。

やから、自分の中に、同性愛の部分に対する嫌悪感を積み上げて

自ら気持ち悪いと蔑んで、お前頭おかしいんちゃうかと思い込ませて

それでいて、「自分は同性愛者じゃないけど、そういうのに偏見はないです」

などと偉そうに理解したふりをして偽って取り繕って生きてました。

今まで付き合った女性を本気で愛したことはありません。

この事を聞いて、きしょくわるいとか、ずっと騙してきやがってとか

もしそう思った人がいれば、遠慮せずに縁を切ってください。

あいつ最悪やでって言いふらしてくれてもかまいません。

家族からも友達からも彼女からも縁を切られる覚悟で

今回告白することにしました。』


「言ってくれてありがとう。そのままで生きてくれればいいよ。うすうす感づいてはおったよ。昨日ジャミラが黒人の女の人を連れてくる夢をみて、何か妙な気分やったんよ。」とオカン。兄からも、「そやからって、何も変わらん。お前はオレの弟や。」と。ネット屋で一人涙ぐむ怪しい極東人inイエメン。

その他にも、メールや某mixiにて、地元の友達、前のバイト先や会社の友達、先輩、同級生、旅で出会った友達から、夥しい量のメッセージが返されてきた。

誰一人、縁を切るなんて人はいなかった。

心のどこかで、きっとボクの友達は受け止めてくれるだろう、と思っていたし期待していたけれど、それでも、誰一人いなくなっても生きていけるほどの覚悟が必要だった。そうでないと、告白できなかった。

詳細は、もったいないのでここでは書きません。それぐらい、皆温かくて、自分が思っていた以上に器の大きな人達だった。

一番嘘をついていた、一番大好きな相手、彼女すらも、許してくれ、受け止めてくれ、これからも何でも話せる友達としてよろしく、と言ってくれた。

ただ、オトンには、手紙で書いたほうがいいんやない?というオカンの提案に基づき、B5用紙4枚に渡って正直な、ボクの本当の姿を書き連ねてエアメールにて送っておいたので、答えはまだ先だが、もう大丈夫。

どんな風に言われようとも、もう何も怖くない。それでもボクは、オトンの息子だから。

今思うと、何とちっぽけな問題だったのだろう、巨大な宇宙の中の、小さな地球に生きる、さらに鼻くそみたいに小さなボクの、心のほころびなんて、もうミクロン単位にちっぽけだ。

と、乗り越えた今ようやく思えるようになったが、こればかりは乗り越えるまでは絶対に分からないのだ。頭ではちっぽけだと割り切って理解しているつもりでいても、いざとなると、いざ自分が乗り越えるとなると、その巨大な宇宙のイメージよりもさらに巨大で深い恐怖に飲み込まれていたのだ。ずっと。25年間。

あーあほくさ

昨日までの自分の人生が、やけにあほくさい。

そして、これからの人生がますます楽しみで、面白くなっちゃった。

しかも、ボクが最大の秘密をさらした事で、友達からもいくつか、秘密にしていることを話してもらえた。何と嬉しい出来事なのだろう。自分の事を、生まれて初めて信じてもらえたような気がした。真実、本音、正直、腹を割るといった言葉の意味を、生まれて初めて頭でなく心で理解できた。

絶対に自分一人では苦難は乗り越えられない。乗り越えられる人もいるかもしれないが、ボクの場合到底無理だった。ここイエメンで、ヒーラーさんに出会って、救ってもらえたことは、偶然でも何でもなくて、「然るべき遭遇」なのだと教わった。この世に偶然なんて何もないのだと。

逃げ場をなくし、追い込まれてようやく告白できたと書いたが、実は一度たりともヒーラーさんからボクの所へやってきたことはなくて、全てボクの方から出向いていっていたのだ。逃げ場をふさいでほしかったのだ。追い込まれたかったのだ。

頭や理性では逃げよう逃げようと思っていても、本心や本能の部分が告白したい、全部さらけ出してしまいたいと叫んでいたのかもしれない。

「これからは、ジャミラが色んな人救えるんやで。」え?ボクが?「そうやで。今回あんたが告白したことで、あんたの周りの人の中にあった偏見を取り除いてあげれたんやから。」そうなんかな。「そうや!」

確かに、これからは、友達の悩みや苦しみを、本気で、真剣にきいてあげられそうだ。ボクと同じような苦しみに悶える人を、救ってあげられそうだ。きいてあげたいし救ってあげたい。

ボクの人生を全部変え、好転させるきっかけを作ってくれたヒーラーさん。それなのに何一つ、恩着せがましいところがない。何ちゅう人。

「背筋をピシっと伸ばしなさい!真っ直ぐにしてると、天とつながって光が降りてきて芯が通るんや。」

ありがとうを死ぬまで言い続けても足りないので、死ぬまでは言い続けないことにしよう。でもやっぱり、ありがとうございました。出会うべくして、あなたに出会えて本当に良かったです。心の底の底の底のその裏の裏から、感謝しています。

通常営業再開、日本語学校へ

かくして新生ジャミラが誕生したわけですが、忘れちゃいけないここはイエメン。イエメンという国で化けの皮が剥がれ、一皮むけ、no more包茎!という変化、進化を遂げられたのも何か意味があるような気がする。

ボロボロに汚れて苦しんで憎んで恐怖した心が、イエメン人の何気ない優しさや笑顔に、随分救われたから。

そんな素敵なイエメン人のモハメッドの通う日本語教室へ、連れていってもらうことになった。

日本語がペラペラのイエメン人、そして彼の日本人の奥さんが教師をやっている。教室にお邪魔するなり、「コンニチハドウモハジメマシテ。」と礼儀正しく挨拶をしてくれる生徒さん達。

授業が始まり、先生がホワイトボードに「小テスト」とこれまたなめらかな日本語で書く。先生が日本語の文を読み上げる。「あなたの国から、日本まで、飛行機で何時間かかりますか?」「80円切手を十枚と、50円切手を十枚買いました。合計何枚をいくらで買いましたか?」

な、なんですかそれは・・・。難易度高くて日本人のボクですら、えっとはちじゅうえんがじゅうまいとごじゅうえんがじゅうまいで、ん?飛行機でなんじかんです?とこんがらがってしまう。

日本語で算数の問題をやってのけるなんて。

そして彼らのモチベーション、勉強に対する意欲の高さに感動した。隣に座るモハメッドは一所懸命に手を挙げるし、他の生徒も「15時間カカリマス!!」「20枚で1300円デス!」と答えているではないか。日本の学生には、これはないだろう。先生も間違っていたらそこをしっかり反復して分かるまで教えるし、素晴らしい。

なんだか嬉しくて、始終にこにこ、いやにやにや、いやにたにたしながら授業を眺めていた。時々口をはさみつつ。

テストが終わると、一人一人が日本語で自己紹介をしてくれた。「ようこそイエメンへ!ボクの日本の名前はタカシです!どうぞヨロシクお願いシマス!」

そして最後にボクとアキさんからも自己紹介。久々に人前に立つのでやけに緊張してしまう。若干落ち着きない様子で、ボクの名前はジャミラといいます。今は仕事をやめて三年間旅を続けています。イエメンはとても人が良くて、優しくて、ご飯も美味しいし、あのモロヘイヤが特に好きなのですが、美味しいし、街並みは美しいし大好きです。

オ!オモンナ!

何を普通に挨拶してるんだかオレよ。もうちょっと機転をきかせて小粋なジャパニーズジョークの一つでもかませなかったものだろうか。と反省。

日本代表選手として旅をするにはまだまだ修行が必要なようだ。一皮めくれただけじゃまだまだ・・・。 もう二皮めくれるべく、小粋なジャパニーズジョークを今宵考えておこう。

総工費7億円はどこからきたんですか

当初の予定としては、首都サナア以外にも、何ヶ所か一泊程度で近郊へ赴こうと思っていたのだが、何だろうこの感じ、そうその感じ

めんどくちゃい

それにサナアだけでも充分楽しいのだ。飯うまい宿きれい人優しい天気いい、他に何を求めましょうか。そんなわけで、今日もまた旧市街へと足を運び、子供達を激写、日本語教室へ通うムハンマドに案内してもらい、イエメンTシャツを購入する。

旅に着るTシャツにおける、ボクの中の三大条件をここでひとつ箇条書きにしてみよう。

・ろくでなくても白でなし。
・ 生地はテロテロの安っぽいものがよし。
・そして実際安いものがよし。

白いTシャツは清らかさや潔さを表現するのにもってこい、アタックにトップもこぞって白いTシャツを起用しているが、旅に白はノーグッド。何故なら、

果てしなく汚すから。 日本とは違いまだまだアスファルトで整備されていない道の多い国々をバスに乗って移動すると、あら不思議あっという間にTシャツがベージュに染まる。ちなみに顔をこするとドス黒いアカが取れる。

埃。

なのでいつも濃い色をチョイスするようにしている。誤魔化すことも時には必要。そして生地はテロテロ。何故。

軽量速乾だから。生地が薄い分かなり軽くなり、その結果洗濯してもすぐに乾く。移動の多い旅人にこれは必須条件。生乾きの状態で荷物をまとめ移動せねばならない時・・・。それはのちの異臭騒ぎに発展する恐れがあり、非常に危険極まりない行為。さらに最終的にもう一回洗う羽目になったりして地球にも優しくないのだ。

最後に安価。これはTシャツにとどまらず何事においてもボクが最も重要視する事柄だが、二つ目のテロテロ生地をチョイスすると自動的にこの三つ目の条件はクリアできる仕組みになっているので、安心して買い物を楽しんで頂きたい。(語尾が某地球の歩き方風)

何ヶ所か土産物屋を回った結果以上の条件を満たした、深緑色のテロテロTシャツを400リアル(200円)で購入。アラビア語で「ハッピーイエメン」と書かれその下に城らしき建物とジャンビーヤ(短剣)のイラストがプリントされた、いかにも土産物な一品だ。

地元民が見ると「うわっ・・・」と思うに違いない。「寿司天ぷら」とプリントされたTシャツを着て浅草を闊歩する欧米人観光客に我々が出くわすのと同じ感覚であろうと予測される。

それから、インド大使館にパスポートを受け取りに行き、歩いてすぐの距離にある巨大なモスクを見学することに。遠く離れた旧市街のホテルの屋上から見ても一目で分かる巨大さ。

近づくにつれその絶対的な存在感がワナワナと押し寄せてくる。なんじゃこりゃとはこの事だ。

一緒に行ったアキさんは一瞬で撃ち抜かれてしまったようで、言葉を失いただただ感動している。外観をあらゆるアングルで撮影していると、腰布にシャツというラフな格好でモスクへ向かうおっちゃんと出くわす。

おっちゃんこれすごいね!くそでかいよ!むっさくさ綺麗やんさー!!「中入るけ?」

え?入れるの?は、入ります!丁度夕方のお祈りの時間らしく、ぞろぞろとモスクへ向かう人々に紛れて我々も潜入。敷地内に足を踏み入れ、芝生の所に座ってますます巨大なモスクを眺めていると、お祈りを終えて中から出てきた中年の男性と目があったので、アッサラームアレイクン。と挨拶をする。

「おや?あんたらムスリムか?」あ、いや違うんですけど・・・「あ?じゃあ何でここに入ってんだよ。」

そう言って我々を連れてきてくれたおっちゃんを問いただす男性。基本的にモスクの中へはイスラム教徒以外立ち入ることを許されていないからだ。

おっちゃんが慌てて「いやこいつらもムスリムだから!」とフォローしてくれたので事なきを得たが、これは気をつけねば・・・。敬虔なイスラム教徒は往々にして旅行者に対して親切なのだが、一たび宗教の話題になると、本気になることが多いのだ。

そしてその本気度が尋常でなく、恐怖をさえ感じるほどなのだ。実際に、異教徒が襲われる事件も発生したりしているらしい。くわばらくわばら・・・。

怯んでいると、おっちゃんに「んじゃ中入るけ?」と誘われる、そそんな、大丈夫なんですか!?ボク達みたいなまがい者が乱入しても・・・「ムスリムだって言っとけば大丈夫よ。それにオレ警察だし。ね?」

そう言って胸ポケットから警察IDを取り出すおっちゃん。そうかそれなら安心

え警察!!!

腰布にシャツだからてっきりそこらへんの物売りかジュース屋の主人だと思っていたら、警察だったとは・・・。お祈りやお昼休みには着替えて外出するそうだ。

靴を脱ぎおっちゃんに連れられ巨大なモスクの入り口へ。空港と同じようなセンサーを使った荷物検査を受け中へ。かなり厳重な警備。

お邪魔いたします。ドブワ!!!

ますますなんじゃこりゃ・・・その巨大さときたら、実家の敷地百個分!ぐらい・・・と言えば伝わるだろうかもしくは余計分からなくなるだろうか。ともかく一面に上等な絨毯が敷き詰められ、ぶっとい柱がモスクを支え、壁面と天井じゅうに精巧で細やかな装飾とアラビア語の文字がびっしり。

中でもドーム型になっている天井の部分が特に美しい。「フォトフォト!」え!写真撮っても大丈夫なの!?「マフィムシュケラ(問題ないぜ)」じゃあ、お言葉に甘えて・・・二台のカメラを駆使してありとあらゆる被写体を撮影する。

アキさんはもうお口ぽっかーんと言ったところで、完全にひれ伏したような状態になっている。絨毯に膝をつき、ひたすら虚空を見つめる姿が一瞬敬虔なムスリムに見えてしまった。そんなにもか。

「セブンミリオンダラー。」警察のおっちゃんぼそっと何かをつぶやいた。ん?セブンミリオンダラー?ななひゃくまんどる?

7000000ドル?

ドゥギゴゲー!!!!!!? ???

それはもしや、このモスクにかかった総工費のことかしら?「アイワ(そうやで)。」超がつくほど大雑把に日本円に換算するとおよそ7億円・・・・。

建物自体新しく、ここ数年のうちに建てられたに違いないが、7億円とは・・・アラブ半島で唯一石油の出ないイエメンは、物価も賃金も他と比べて格段に安い。そのような国に7億円のモスクが存在しているなんて・・・

どこだ。そのお金の出所はどこだ・・・。物好きな石油王が寄付したのかそれとも物好きな石油王が引田天功にプレゼントした油田を引田天功が売り払って寄付したのか・・・?

ご存知の方ご一報ください。ジャミラ特製「使い終わった色んな国のバスのチケット」をプレゼント致します。尚、発表は発送をもってかえさせていただきます。

一通り見てまわり、モスクを後にする。おっちゃんシュクラン(ありがとう)!「アフワン(いいえの)」いいもん見ただな〜と歩いていると、シーシャ(水タバコ)屋さんを発見したので中へ。

エジプトで既にシーシャ本体は買ってあるのだが、肝心のタバコを少量しかもっていなかったので、アラブ圏も最後だし、これを逃すと手に入れにくいぜ、ということでタバコを大量仕入。

缶入りの長期保存可能なタイプ(メロン味)を一つと、イエメンで初めて見かけた、バケツに入った量り売りタイプの新鮮なもの(オレンジとミント味)をそれぞれ一つづつ購入。まるで中毒者のような買いっぷりだが、いいだろう。普段タバコを吸わないボクだけど、シーシャだけは吸っちゃうのだ。

ニコチンが欲しいということでは一切なくて、ただあの空間、シーシャをぶくぶくと吸っている空間、シーシャを吸いながらシャイ(紅茶)を飲みつつ、友達と語らい合う空間がたまらなく好きなのだ。

商店街で野菜やメロンと、古着屋で150リアル(70円ぐらい)の長袖シャツも購入してなんだか今日はやけにショッピングを楽しむ女子の心境だ。荷物はどんどん増え続ける・・・。

宿に帰り、パンに野菜やチーズを挟んで食べながら、アキさんのくれた「一休さん」をはじめとするアニメの主題歌を聴く。

グ・・・・グッペポーーーー!!!!!

何といい歌詞なのだろう!昔のアニメソングには、実は物凄く元気のでるフレーズがちりばめられていたのだった。

「あー あー なむさんだー とんちんかんちんとんちんかんちん 気にっしないっ
気にしーないー 気にしーないー 気にしーないー
望みは高く 果てしなく わからんちんどもとっちめちん とんちんかんちん一休さん♪」

人生最大の苦難を乗り越えたばかりなので余計に染み渡るのだ。苦しみや悲しみ、恐怖にうちのめされている人達へ。アニメソングを一人静かに聴いてみてくださいとここにアニメソング療法を提唱するがいかがだろう。

モスクの巨大さよりもアニメソングの偉大さに胸を打たれたボクは例外で、アキさんは帰っても尚モスクの感動に浸っていた。それぐらい本当に素晴らしかったのだあの名前も知らないモスクは。

あでもアニメソングもやっぱり素晴らしい・・・

これ以上君らのことを好きにならせないで下さい

買ったばかりの「寿司天ぷらTシャツ」に着替え、起床早々一休さんを聴いて元気もりもりに一日をスタート。

モロヘイヤ!モロヘイヤ!

この間食べたモロヘイヤという、とろろのようなネバネバのスープが食べたくて仕方がないので、昼食をそこでとることに。この数日間で何回モロヘイヤ食べたいとつぶやいていただろう。この情熱をデモ運動なんかにまわすとかなりの効果が期待できるはずだ。

ナスとトマト炒め、ライス、サラダ、ぐるぐるチキン、そしてモロヘイヤ!!!

ワ、what the hell is this?

思わず欧米人ぶってしまうほど今日の飯は全てが旨い。こう、腹の底から「うんんんんんんま!!!」と吠えたくなるような旨さ、お分かりいただけるだろうか。旨味があると言うのだろうかこれを。それともシェフの気まぐれ?

食べ切れなかった分は持ち帰って夜食べることにして、ネット屋さんへ向かっていると、スイーツ屋さんのあんちゃんに「ヤバーン(ジャパン)!ちょっとおいでー!」と呼び止められる。

やあどうもこんにちはーありがとうねーでも今お腹いっぱいだからまた今度〜とそのまま過ぎようとすると、駆け寄ってきて「いいからいいから!」と腕を掴まれ店内へ連行される。

にこにこ笑いながらアラビア語で何ごとかを話しかけてくるあんちゃん。よく分からないがにこにこ笑って、いやーどれもこれも美味そうだねーなどと返していると、小皿に、できたてのスイーツを盛って差し出してくれた。

いや、頼んでないしお腹一杯なんやけど・・・これ、マフィフェルース(ノーマネー)?「もちろんタダよ!食べてみ!」

えー!ええのん!?そんな頂いてもてええのん!?シュックラーン(ありがとう)!!さっきまで腹一杯だとほざいていたのにタダと知るなりすぐさまとびつく極東人。

う、うんめーーーーー!!!!!

今日は昼食にしてもこれにしても、美味すぎるものばかりと出くわす。できたてだもんでまだ温かいのだ。どういうスイーツかというと・・・説明できない。モチモチしたモチのようなものと、甘すぎずなめらかに溶けてゆくホワイトチョコのような味のする砂糖菓子、ほんのり塩味が日本でもブームを起こしそうな色違いの砂糖菓子、ピーナッツをつぶして混ぜた、ケーキのようで全く異質な物体・・・あやはり説明できないのでフォトアルバムのイエメン頁をご参照ください。

さらに、コーヒーというよりお茶そのものなイエメンコーヒーも一杯づつと、お持ち帰り用にベビースターラーメンのようなスナックを袋につめてくれてもう何とお礼をしてよいやら・・・とりあえずリュックに入っていた飴ちゃんを一握りあげてみた。

何故こんなにも良くしてくれるのだろう。「チャイナ?」と聞かれ、ヤバーン(日本)と答えると途端に「タマーム(ナイスだね)」と言ってにこにこ笑ってあれこれしてくれるのだ皆。このホスピタリティはどこから生まれてくるのだ?

例えば道を歩いていて後ろから来た車にクラクションを鳴らされる。ふりむくと、大抵の人はイライラしたような表情で通り過ぎていくのが普通なのに、ここイエメンだと、クラクションを鳴らしておきながら、にっこり笑って手を振ってくるのだ。なんなんだ一体この国民は。

他にも、旧市街のような、割とツーリスティックな場所を歩いていると、今までは「ウェルカームうちの店みるだけタダよちょっとみてってー」と必死に商売してくる連中が必ず何人かはいたのに、ここだと、「ウェルカーム」とだけ笑ってそのまま去って行くのだ。何が彼らをそうさせるのだ・・・。

ネット屋さんに行っても、丁寧にボクのラップトップをつないでくれて、終わったあとありがとうとお礼を言うと、「他に何か手伝えることあるかい?」ときいてきてくれたり、オクラを買ったらキュウリ一本おまけしてくれたり・・・枚挙に暇がない。

日本人もこれを見習わねば・・・。ギスギスした喧騒の中生活しているとそりゃあどうしたって自分までギスギスしてしまうかもしれないけれど、もし日本人全体がイエメン人のように温かい心を、赤の他人にまで分けてあげられるようになったら、さすればもう、日本は世界最強の国となりうるのではなかろうか。

殺人だって自殺だって格段に減るに違いない。そうだ、イエメンに行こう。

憎悪にまみれて心が歪みきっている方や自殺希望者の皆様、日々の忙しさに囚われて誰かを思いやってあげることができない人は、今すぐイエメン行きの航空券を手配してみるとよいのです。

水タバコが日本にもたらす効果

翌日、近所の商店の、この間砂糖をもらってきてくれたあんちゃんや、昨日のスイーツ屋の気前のいいあんちゃんに、一緒に撮った写真を現像してプレゼントすると至極喜んでくれた。

そしてもらってばかりでは悪いので今日はちゃんとスイーツを買おう、といくつか持ち帰りで頼むと、またもや沢山おまけしてくれた。あーもうやめてー嬉しすぎるからー

デジタルカメラはまだまだ第三国では高級品で、一部の人しか持っておらず、例え持っていたとしても現像する人はさらに少ないため、こうやって写真を現像してプレゼントしてあげると、非常に効果的なのだ。ふふふ。

昼はジュージューに焼いた牛ひき肉モロヘイヤソース石鍋とホブス(ナン)をいただき、適当に散歩をしていると、シーシャ(がその場で吸える)屋さんを発見しちゃったのでアキさんと勇み足で向かう。

久々のシーシャ。実にモロッコぶりである。ということは、ほぼ半年ぶりである。プカプカーと吸いながらシャイを飲み、語らい合う。ああ幸せやね。

お互いに恐怖や苦難を乗り越えて晴れ晴れとした者同士なので、それについて回想してはああだこうだと言い合い、やはり旅は素晴らしい、もうやりたい事以外やっている暇はない、日本にいると気づかない事に多々気づかされる、ああやはり旅は素晴らしい、尊敬する人の放つ言葉は重みが違うよね、世の中想像を絶する人生を歩んできた人がいるもんだね、そしてやはり旅は素晴らしい・・・

シーシャを吸っていると、自然と、目を見て話し合う時間ができる。こういう場所だから言える事がでてくる。シーシャって、素晴らしい。

日本のタバコを、全てシーシャに替えたら、日本はもっとゆとりのある国になるんじゃなかろうか。何故ならシーシャは、歩きながら吸うことができない。立ち止まって、座ってゆっくりとでなければ吸えない。そして一人では多少きつくて吸いにくい。つまり、自然と、誰かとゆっくり語り合う時間が出来上がるのだ。

ボクが村長になったら、集会所ないし公民館にシーシャを設置して、少なくとも週に一回はそれを吸いながら村人皆で語り合いたい!いや、そうします!

と村長になった暁の公約をここで勝手に発表した。村長不足の村がございましたらご一報下さい。シーシャを担いで向かいます。

そんなイエメンとも離別の時


エチオピアに向かうアキさんを見送った翌日、ボクも宿をチェックアウトする。明日早朝のフライトなので、今晩は空港で寝ることにしたのだ。

モロヘイヤ食べたい・・・

一人つぶやき、食堂へ。今日は金曜。休日。皆こぞってモスクへ行きお祈りをする日。時刻は13時すぎ。まさしくお祈りを終えたばかりのイエメン男共が波のように押し寄せて店内はとてつもなく騒がしい。

そんななか、一人神妙な面持ちでモロヘイヤ納めをし、もう思い残すことはない。と店を後にする。いや、無論また訪れるに決まってはいるが。だって首都にしか滞在していないんだもの。

そして一人今一度シーシャを吸いに行く。日差しがきつく喉が渇いていたので、シャイではなくコーラを注文して、ぐびぐびと飲みながらぶくぶくとシーシャを吸う。

ウゲギゴギャーーーーー!!!

やはり一人でシーシャ一本はきつい。頭がくらくらしてしまい、おまけに便意と吐き気を同時に催しトイレへ駆け込む。

シーシャにコーラの組み合わせがいけないのか、たらふく飯を食った直後がいけないのか、一人で一本がいけないのかは不明だが、一旦コマーシャル、シーシャを中断して休憩。

休憩するためのシーシャを休憩して休憩をとるという、ミイラ捕りがミイラに、合併吸収しようとした会社が逆に飲み込まれて華麗なる一族で、のような状態ですか。どういう意味ですか。

ふと、航空券を取り出し確認する。早朝発って面倒だよなー全くもう。ん?

出発時刻、9:45。

ん?

早朝ちゃうやん・・・。普通の朝やん・・・ちょっと早起きして7時にホテル出発でよかったんやん・・・。

が、もうホテルのシングルルームは一杯だし、今日で使いきれるようにしていたので所持金は300リエル(150円)しかない。

しゃーねえなっ

サンドウィッチや惣菜、パンを買い込んでバスで空港へ。12時間近くベンチで過ごす羽目。そんな羽目ならはずしたい・・・。

ラップトップで映画をみていると、清掃員の男に「マイケルジャクソン?」と訊かれる。え何が?あ、マイケルジャクソンの映像はないかということか。ありますとも。

93年にルーマニアはブカレストで行われた、伝説的なライブの映像が。失神者続出で救護班が息をつく暇もないという驚異的な映像が・・・。

流し始めるなり他の清掃員に警備員、アーミーのおっちゃんまで集まってきて、口々に「マイケルジャクソン」「まいけるじゃくそん?」「マイケルジャクソーン」と話しながら見入る。

アフリカでも絶大な知名度と人気を誇っていたが、ここイエメンでもやはり彼は凄まじかった。結局深夜1時近くまで観て、寝袋をひっぱりだしてそのままベンチで眠る。

そして翌朝9時45分の便でついにイエメンを発った。〆がマイケルだったのは乙ということにしておこう。


二年ぶりのインド日記

イエメン(2010年3月1日〜3月13日)