ようこそいらっしゃいました。こちらの項では簡単かつ難解にこの不可思議なホームページの説明と私「ジャミラ」の誰も知りたくないであろう人物像及び半生を紐解いて行きたいと思います。これを読んでいる時間が皆様の人生のうちの無駄な時間ベスト50ぐらいに入ることを切に願いつつ。

Jamiraって何


このホームページの名前。ひとことでここを説明するとすれば、今流行りの「世界一周ホームページ」。なのですが、そうは問屋が卸してくれない。だって、世界一周しないんだもの。正しくは、世界6分の4周。約分して3分の2周。予算の関係大人の事情で北南米はまたの機会と相成ったわけで。ということで、ふたことでここを説明するとすれば、「
世界3分の2周ホームページ」。なんだかすっきりしないカテゴライズ。

ジャミラってだれ


今現在このホームページ内の文章を作成している私の通称。何故ジャミラなのか。名前の由来はあえてグレーにしておくことで、謎めいた感じを演出したいと思います。各自「あれがこうで、こういう流れでこいつはジャミラなんだ」とお考えください。ミステリアスな男はかっこいい。多分。

旅にでるまでの経緯(超ロングバージョン)


さかのぼること云年前。中学二年のジャミラ。なにげない会話の中で、「将来オーストラリアに住むわ。広いし土地安いけんでっかい家たてれるらしいで。」とどこかから入手したオーストラリアは土地が広くて安いという情報をもとに、友達にそう宣言した。「アホやん。」

そんなことなどすっかり忘れた数年後、高校の修学旅行で沖縄へ行ったことをきっかけに、「卒業したら沖縄の離島で暮らすわ。東京なんかて汚いところには絶対住みたないな。」と言い放ち、地元での就職情報など一度も探すことなくパソコンに向かいインターネットで沖縄の仕事情報を検索。

月給13万、宿食事付。働きながらダイビングのライセンスも取得できるというマリンスポーツショップを発見。メールにて面接等の連絡をとり終業式を休んで宮古島へ。シャムシェイドみたいな顔をした友達のMに話すと「俺もそこで働く」と「俺もB定食で」感覚でのってきたので、一緒に行くことに。

予約していた素泊まり民宿のおばちゃんに空港まで迎えにきてもらい、宿へつき宮古島へきた経緯を説明、これから面接へいく店の名前を告げる。すると、「へぇ〜そうなんや。それはええんやけど、あそこ飲み屋やで。マリンスポーツショップちゃうで。」

飲み屋とはいわゆるクラブのことで、おそらく女性は観光客や地元の殿方のお相手を、男性はボーイ的な仕事をする所だったのであろう。純粋の塊だったジャミラとMは愕然とし、そのまま面接へは行かずスーパーで買出しをし、宿で変な炒め物を作って苦いような、気まずいような乾杯をした。

翌朝、せっかくだから宮古島を散策しようとマウンテンバイクを借りて出発した五分後に大雨が降り出し間もなく帰宅、そうこうしているうちに飛行機の時間がきたのでおばちゃんに車で空港まで送ってもらい、地元へ帰る。「何しに来たんやろ・・・。」

見定めていた目標点が思わぬところで消えたジャミラは、就職も進学も決まらないまま卒業式を迎えた。音楽関係の仕事をしたいと思い再びインターネット検索。タワーレコードやHMV等のレコードショップへ履歴書を送るも無返答。すると何を思ったか某テーマパークで働いてみようと決意し、面接のため千葉へ。

近郊在住者のみ採用といわれたため、住んだことはおろか足を踏み入れたことすらない「麻布十番在住」と虚偽の履歴書を提出、「それでは明後日から来てください。」大慌てで荷物をまとめ地元を飛び出す。

二日間でアパートを決めなければならなかったので母親も一緒に。勤務地から30分ほどの駅で安物件を見つけ契約。鍵の交換や契約等の関係で実際に住めるまでは何日かかかるといわれ、たかがバイトへ行くのにビジネスホテルから出勤という出張サラリーマンスタイルを数日間とる。

こないだまで「東京みたいな汚いところには住まん。やっぱ沖縄やろ」と言っていた男は、「これがアメリカンドリームこと東京かあ。」と、千葉のど真ん中で感慨に耽った。

それから約7ヶ月、夢と魔法の国で楽しく働く。とてもそこの給料だけじゃやってはいけなかったので近所のファミレスをかけもつ。「ていうか俺、別にそこまであのネズミ好きじゃないよな・・・」完全に何を今更な考えが脳裏によぎり、やはり自分には音楽関係が向いていると思い込み、あてがあるわけでもないのに退社。一ヶ月間ファミレスで数時間働くだけという軽い無職生活を味わう。

数社に履歴書を送るととあるレコード会社でのアルバイトが決まった。

この転職(ともにアルバイト)が自分の人生を大きく変えることとなった。みたい。

夢にまでみたレコード会社での仕事。未体験の刺激、周囲の人々や環境に心地良さを覚え腰を落ち着ける。それから二年余。会社の人達とも親交を深め、楽しく過ごしていた時、なんとなく思った。「この先どうしようか」

その頃、夢と魔法の国でできた「おかまくん」という、将来タイのおかまになりたいと瞳を輝かせていた友達(性別・女)と月一程度でジョナっていた(ジョナサンで数時間だべり続ける行事のこと)際によく、「英語しゃべれるようになりたいよねー。留学とかワーホリしてみたい」 という会話を多くするようになっていた。

それいいかもねと軽く考えていると、「私行くの決めたよ。」おかまくんはそう言ってワーホリを決意し本当にオーストラリアへと旅立った。「わしも行こ」

しかし何をどうすればいいのかよくわからない。「とりあえず金やな。」定期預金口座を開設して毎月貯金をはじめる。最初は3万、そのうち5万と増えていった。金が貯まるにつれ多少現実味を帯びてきた海外逃亡進出。

「ていうかどこ行こ。」ワーホリということしか決めていなかったので行き先はイギリスかオーストラリアかカナダかな〜ぐらいにしか考えていなかった。

そんな時、中二のジャミラが突拍子もなく話しかけてきた。「オーストラリアは安くて広いでえ。」そうだ。オーストラリアにしよう。

ん???待てよ?脳みその奥の方で小さいジャミラが疑念を抱いていた。が特に気にとめることもなくオーストラリアに決めてみた。

ある年の春。そろそろまた海外旅行にでも行きたいなと思っていたら適当にウェブで応募していた替え歌コンテストで佳作に入賞し、なぜか五万円をもらう


これって、だよね?行けってことだよね?都合よく解釈した僕はすぐさまタイ行きの往復航空券を購入。最初は会社の同僚ユッケという、脳味噌まで筋肉でできた人物と二人旅の予定だったが金がないから断念すると言われ、延期にしようと思ったがタイへの衝動を抑えることができずに人生初海外一人旅をすることに。

といっても五日間。急いで出発日を決めたためほとんど準備することができず、とりあえず図書館から某地球の歩き方タイ編だけ借りてきて、リュックにTシャツとタオルと充電器とipod等自分の中での必要最低限だけ詰め込んでとんだ。

香港経由でタイに着き飛行機を降りると、リポビタンDのにおいがした。「これがタイのにおいかあ。」←多分ちがう。

そこからみるものにおうもの食べるもの全てが新鮮なタイを堪能し、時に詐欺師の家に招かれ、時にオカマのアパートに招かれ、濃い五日間を過ごした。

帰国後しばらくタイシックに陥りショボンとしていると、少し前に現れた小さいジャミラが脳みその奥から今度は数倍成長して現れた。「っちゃいなよ。いっちゃいなよ。」ピカン。そうか!なるほど!オーストラリア行く前にタイに行けってことか!

小さいジャミラは、「ただ単にオーストラリア行くんならおかまくんに先やられてんじゃん。だめじゃん。」そう言っていたのだった。

それからタイ経由オーストラリア行きと、前よりも具体的に目標が決まり俄然やる気がでてきた僕は、しばらくやめていたかけもちを再開するため、帰宅途中の駅にあるコーヒーショップ(カフェではない)でアルバイトを始めた。

インターネットとは本当に便利なもので、旅好きの人のブログやホームページをみかける事が多くなった。そんな中で一番多く見かけるのが「世界一周」をした人達のもの。「ふ〜ん。世界一周ねぇ。いつかいきたいねえ。」なんとなくそう思った。

するとまた脳みそのどこからか小さいジャミラが現れ「いっちゃいなよ。ぐるっと。それから、お前ウガンダに子供いるじゃん」そうだった。ウガンダに子供いるんだった。よし行こ。ウガンダの子供にも会いに行こ。行きたいとこ全部じぇんぶ行こ。

まわりの環境や自分の価値観の変化に伴い、今回の旅は思っていたよりもあっさりふんわりほんのり決行へと至った。


・・・長すぎる。数少ないであろう最後まで読まれたあなたへ。お疲れ様でした。こういう流れで、旅へ出ることになり、今ここにこういうホームページが存在するのです。人生って不気味ですね。

ジャミラ