メリークリスマスインディア

出国をすませインド側のイミグレーションで並んでいると、パスポートチェックが無駄に三回も行われ、少し苛立ちを覚える。そこへさらに、「ヘラヘラ〜」まさにヘラヘラそのもののような顔で笑いながら列に割り込んでくるインド人が続出。ジャミラの顔も三度まで。三度目に割り込んできたインド人をついに、こらお前何しとるんじゃちゃんと並べ後ろに、と叱り付ける。

重いバックパックを担いでいたから余計に苛立ってしまった。もっと大きな心でいないとな、と少し省みていると、次は荷物検査官が、「何それ何それ、みしてみしてー」と持っていた三線を指さして言うので、楽器です、とだけ答えると

「えーうっそちょっと弾いてみて弾いてみてー、まま、ここ座ってお茶でも飲んでいきなよ」いえ、結構です先を急いでますので「いいじゃんいいじゃん」あの、疲れてますので、もう行ってもいいですか。やや声を張り上げる「じゃあ、そっちの荷物を開けてみせなさい」何も危険な物なんて入ってませんから。

「危険じゃなくても、あれだ、エッチな本とか入ってるかもしれないだろ。」はい?んなもんあるわけないでしょ、仮に入っていたとしても別段問題ないでしょうが。「わかったわかった。もう行っていいよ。じゃあな。」では、失礼します。

普段ならこんな面白い検査官いたら迷わず食いついていくのに、さっきから苛立ちっぱなしだったためそんな心の余裕がなかった。八つ当たりしてしまって申し訳ない。今度エロ本を持って詫びに行こう。

ようやく入国を済ませ、残っていたタカを全てルピーに両替しバスにのりこむ。すぐさま不貞寝。

14時、ちょっと懐かしいコルカタの街に到着し、前に泊まっていたマリアゲストハウスのドミトリーへチェックイン。隣のベッドのタイ人と少ししゃべる。タイ人バックパッカーに会うのは初めてかもしれない。

シャワーを浴び、インターネットへ。するとバングラデシュへ発つ前に電話をしたタカさんミエさん夫妻からメールが。「お先にアンダマンへ行っています。あちらで会いましょう。ジャミラと同じ日に向かうであろう日本人に出会ったので彼らを訪ねてみてください。マリアに泊まっているようです。」

そもそもアンダマンとは、インドから遠く離れたビルマの南あたりに位置する諸島のことで、それ以外の事はよく分からない。「アンダマンいかへん?」とタカさんミエさんから誘われたので、アナコンダいくいくー、と二つ返事でのっただけである。

それから件の日本人、モトさんフミさんを訪ねる。 チケットの買い方等を教えてもらい、また明日、と部屋をあとにし外出。

なんと船のチケットを購入するにあたって、証明写真が必要だそうで、近くの写真屋さんへ。現像を待つ間屋台でチョーメンとチャイで軽く食事をすませ、ATMで5000ルピーをおろす。しかし、散々人の多い街ダッカをみてきたが、ここコルカタも負けじと人が多い。

それに、今日はクリスマスだ。ネオンが至るところで光り、それに引き寄せられるかのように人々は街を歩く。今朝からのイライラがおさまりきっていなかったため、クリスマスに浮かれるインド人の多さにまたしても苛立ちを覚えてしまう。

ブルースカイレストランでマンゴーラッシーを飲み少し休憩して、また外を歩いていると、お面をかぶった小さな子が「メリークリスマス!」と声をかけてくれた。メリークリスマス。いかん、イライラしていてはいかん。ありがとうコルカタのお面小僧。

19時、水を買ったりたまったデジタルカメラのデータをCD-Rに焼いたり、出来上がった写真をとりに行ったり、通りを行ったり来たりする。と

ジャミやーん!

ん?ふは!?あの怪しいたたずまいの男は・・・トモやんではないか!チベットでともにカフェのバイトをしていた、植林をしながら旅をしている見た目韓国人の、トモやん!

怒涛の勢いで話しながら再会を喜び、「ソフトクリーム食べる?」食べる食べる!とソフトクリームを食べにいき、ペロペロしながらクリスマスの夜の街を歩く。男のみで。クリスマスに女といなければいけないなんて誰が言った。そんな俗な考え方しているのなんて日本人ぐらいだ。それに僕はクリスチャンではない。

クリスマス、男、ソフトクリーム・・・。そうは思っているもののやはり若干の違和感を覚えてしまうあたり、僕もまだまだ俗な人間ということだろうか。

ベンチに座りしばらくしゃべり倒す。寒くなってきたのでレストランへ行き大してうまくもないカリーと冷え切ったパラタを食べ、解散。

ベンガル湾へ航海のとき


今日、まさに今日アンダマン行きの船に乗り込む。はずなのだが、まだチケットを購入していない。この船のチケットというのが、やけにややこしいシステムで、何日と何日のチケットは、何週間前のこの曜日とこの曜日にしか買えない、と決められているのだ。インド人ならではの意味不明さだ。

僕の代わりにきいてくれていたタカさんミエさんの情報によると、今日、朝のうちにオフィスへ行けば当日券が買えるとのことなので、7時半には起床し、外へ。パスポートのコピーも必要らしいと直前になって知り、慌ててコピー機を探す。

まだ朝早いため店もほとんど開いていない。サダルストリートを行ったり来たり。ない。そうこうしているうちにShipping Corporation of India、通称SCIという船会社のオフィスが開く時間になってしまったため、慌てて向かう。

タカさんがメールで教えてくれたオフィスまでの道のりをたよりに向かう。えーと、交差点にボーダフォンの看板をみつけたらそれを北東の方向へ・・・・へ?方位磁石を取り出し、そちらの方向へ。が、全くもって目的地らしきオフィスが見当たらない。道行く人々に尋ね々々どぶねずみよろしくちょろちょろと歩き回っていると、運良くコピー機をみつけ、さらに運良くオフィスもみつけた。

二階へ通され、カウンター前で待つ。同じく当日券狙いで朝からそわそわしながらやってきたというオランダ人のオッチャン、ビョープとしゃべる。「本当に買えると思うか?」いやあ、どうだろう、でも友達が前スタッフにきいたら今日買って今日乗れるって言ったらしいよ「だといいんだがよ・・・」ソワソワ、sowa sowa。

10時半、カウンターが開いて、運命の時。「んで、おたくら今日乗るの?」はい!「あいよ、席は?」いっちばん安いのでお願いします「バンククラスね。はい、それじゃあ証明写真とパスポートのコピーよこして。1312ルピーね。」や、ややや、やったー!!!「やったな!俺らやったな!」46歳のビョープと大喜び。

チケットを受け取り、「早く荷物まとめて準備しないとな!タクシーで帰ろうぜ」とビョープとタクシーをシェアしてサダルストリートまで戻る。「また港へ行くときタクシー割り勘で行こう」と約束し、宿へ戻る。

三日間の船旅だそうだ。しかも格安バンククラスという謎のチケット。どの程度食料が調達できるのか皆目見当もつかないので、非常食の買出しをする。

2リットルの水を3本、ポテトチップスにチョコレートやビスケット、パイナップルにバナナ、リンゴ、ミカン、ダメ押しでポテトチップスをもう一つ買い込む。大量に買うものだから、店のオッチャンが3ルピーおまけしてくれた。ありがとう。こういうちょっとしたサービスが物凄く嬉しい。

空腹を覚えたので屋台へ歩いていると、今朝コピー機を探しているときに出会ったインド人と再会し、近くの屋台でオレンジジュースとマサラドーサという、パンケーキにマサラ入りマッシュポテトをはさんだような南インド料理を食べる。げ。9ルピーでこの美味さ。おしゃべりそっちのけでマサラドーサをむさぼる。

13時過ぎ、モトさんフミさん、ビョープ、それから同じドミトリーに泊まっていたイスラエル人のダフナという女の子、僕の五人でタクシーをシェアし、いざ港へ。わくわくがとまらない。

港というより倉庫、といったほうが適切であろう場所へ到着し、中へ。船がみえた。想像していたものより随分立派で巨大だ。フェリーだまさしく。チケットをみせ、乗船中はパスポートを預けなければいけないということで、預け、メディカルチェックを受ける。このメディカルチェックを受けないと乗船できないのだ。

「どこか体調が悪いところはありますか?」いいえ。以上。これって、メディカルチェックと呼べるのかな。ともあれ受診済みのサインをもらい、いよいよ乗船。ここでも外国人を優先してくれた。ありがたい限りだ。インド人と同じ列で待っていたら、何時間かかったことか。

船に乗り込む瞬間のこのわくわくさん。たまらない。旅に出る、という気がするから好きなのだ。バンククラスの場所へと案内される道中、少し上のランクのA/Cドミトリーというエアコン付きの部屋をのぞく。涼しそうだが、全てがやけに白く、病院みたいで気が滅入りそうだった。

さてバンククラスはどうだろう。ほほう・・・。病院のほうがまだましだね。まるで要塞。薄暗い、深緑色に塗られた鉄筋が丸出しのスペースに、ずらりと二段ベッドが並んでいる。が、正直雑魚寝のとてつもなく不安定な部屋をイメージしていたので、随分ほっとした。寝られさえすればそれでよい。

ベッド番号は決められていたが、好きなところを取ってよいと言われたので、旅人同士固まって一箇所に陣取る。互いに荷物を見張れたり何かと利点が多いだろう。二段ベッドの下段に腰をおろし、みかんを食べくつろぐ。上段はイスラエルのダフナ、向かいはモトさんとフミさんだ。

「食券買えばレストランでご飯食べられるらしいよ」とどこからともなく情報が入ってきたので、レストランへ行ってみる。三日分の食券ください。「君達バンククラスだろ?ダメだよここはファーストクラス用のレストランだから。バンククラス用の食堂は別にあるから。」と追い返された。

皆に報告するともう一回行ってみましょう、と再チャレンジ。「なに三日分買うの?450ルピーね。」買えた。さっきは頑として売らなかったくせに。これもまたインド人の適当さよ。

常にガタガタとゆれているので、外へ出てみると船が動き始めていた。夕陽を眺め、皆としゃべる。僕達五人の他にも、同じくバンククラスや、ちょっと贅沢にファーストクラスをとったヨーロピアン達もいて、きくと彼らは数日前に予約しにいったらバンククラスが売り切れていたため仕方なくファーストクラスをとったらしい。今日普通にバンククラス買えたよ?というと「なぬ!?」と至極悔しそうにしていた。

ということは誰かがキャンセルした分を僕とビョープは運良く買えたのだろうか。だとしたら、それはそれは、ラッキーなことだ。この船が今年最後の便だったから、もしこれを逃していたら年越しはさして楽しみのないコルカタで過ごすところだった。

22時過ぎにベッドへ戻り、この船最初の夜を迎える。

船旅には卓球とトランプ

昨日購入した食券には、三日分の「モーニングティ、朝食、昼食、おやつ、夕食」が含まれていたので、6時にわざわざ起床し、チャイをもらいにゆく。せっかくお金を払ったのだから、これを逃す手はあるまい。

ほっと一息ついて、二度寝。まさしくチャイのみをもらいに起きたのだ。8時半に再び起床し、朝食へ。さすがファーストクラス。なかなかどうして豪華ではないか。チャパティ、カリー、惣菜にフルーツ。チャイ。ぺろりとたいらげ、三度寝。

10時に目を覚まし外を見ると、船が動いていた。実は昨夜、あれから何故かベンガル湾に出るでもなく、コルカタ近辺の、ガンジス河下流の部分で停まっていたのだ。デッキへ出てジャミポッドを聴く。まだまだガンガーなので、汚い。わら人形や犬が流れていた。

四度寝、12時半に起きて昼食へ。ナスとサラダとカリーとチャパティとスイートライム。うまいではないか。それからまたデッキへ出てビョープやモトさんとしゃべり、ファーストクラス用の卓球部屋へ侵入。久々の卓球に滝汗。インド人とも少し勝負し、疲れたので外で風にあたり休憩、五度寝。

食っちゃ寝を見事に体現している一日。なんと怠惰で、それでいて幸福な一日だろう。陽が沈み始めたのでデッキへ出て、ジャミポッドのリラックス時用プレイリストを聴きながら夕陽を眺める。Sigur Rosが身に沁みる。

18時半、夕食。チャパティと、ダールと、ご飯とポテト。それからバラナシで食べた甘いゲロ風ポリッジのデザート。また気分悪くなるかな、とやや警戒しながら口にしてみると、前回のように生温かくなく、冷めていたので美味であった。食べ物とその温度の重要な関連性を知る。ぬるい炭酸、冷めたラーメン、ああまずいまずい。

食後またしてもファーストクラス用のラウンジに侵入し、ビョープ、モトさんフミさんと大富豪大会。ルールを教えるとビョープはすぐにのみこんだ。やはり大富豪は世界基準。熱い戦いが繰り広げられ始めたころ、スタッフがやってきた。「あの、お客様はファーストクラスでいらっしゃいますか?」

いいえ、バンククラスの平民共ですが何か?「こちらのラウンジはファーストクラスのお客様専用となっておりますので、どうかご退室くださいませ。」とインド人にしては珍しく割りと丁寧に言われたので、大人しく追い出される。所詮僕らはバンクの民。

ベッドに戻り、みかんをつまみながら日記を書いていると、同じくバンクの民のインド人が異様に群がっているのでのぞくと、設置されていた小さなテレビで大ヒット映画、シャールクカーン主演のオムシャンティオムが放映されていた。本当に皆映画が好きなのだなあ。途中から映画を観るのは嫌いなので、一人デッキへ出てジャミポッドを聴く。月明かりが濁った河に映ってきれいだ。

いよいよベンガル湾へ、そして運転室潜入

6時半、太ももに強い痒みを覚え、タイガーバームというオロナイン的ポジションの軟膏を塗って起床、デッキへ出てみると、う、海だ。青い海だ。ガンガーを抜けついにベンガル湾の大海原へとやってきたのだ。興奮して駆け出してしまう。どこへ。

8時半朝食、ミルクが浸ってふにゃふにゃのコーンフレークと、イモ、惣菜とパン、本日のフルーツグァバ。グァバは塩をふって食べるとなんとも美味い。皆はあまり塩をふりたがらなかったので、全部もらった。知らないのねこの美味さ。

デッキへ出て、ジャミポッドを聴きながらずうっと海を眺める。奇しくもその時流れていた曲はPixies のGigantic。ジャイゲンティック(巨大な)海を前に「ジャイゲーンティック!」とサビに合わせて叫ぶ。360度、どこを見渡してもそこにあるのは海だけなのだ。

因みにこの日の日記にもその大海に感激した様子が綴られていたのだが、最後に「インド洋のど真ん中やで・・・」と括られていた。残念ながら正しくはベンガル湾である。

同じくデッキでぼうっとずうっと海を眺めている連中とおしゃべりをして、12時半昼食。ご飯とチョウメンとベジターリーとスープ、本日のフルーツパパイヤ。炭水化物のオンパレード。

それからこっそりとまたもやファーストクラスへ忍び込み、シャワールームを拝借。ここだけホットシャワーが使えるのだ。バンクの平民のくせに。ばれないように通常6分のところを4分に短縮して済ませ、すっきりとした顔でデッキへ。

シャボン玉を飛ばして一人遊び。他の皆もやってきたので、買い込んでいたパイナップル丸ごと一個をカットして、一緒に食べる。余った皮は海へ還す。自然に還るものは海に流してもよい、というのが僕の考えなのだが、インド人はそうではないらしく、エブリシングイズオーケー精神をモットーに、次々に、段ボール箱や残飯などを容赦なく海へ廃棄していた。海が綺麗なことがアンダマン諸島の売りなのに、これでは間もなくインドとかわらなくなってしまうじゃないか。悲しい現実。

ベンガル湾に出て初めての夕陽を眺める。息を呑む。一面が太陽の橙色に支配されてゆく。それが段々と濃さを増し、あっという間に沈んでしまう。それからあとは一気に闇が訪れて、月と星が夜を支配し始めるのだ。宇宙って、何。

などと果てしない考えに耽っていたら、「さっき試しにきいてみたら運転室みせてくれるって!」とダフナが言ってきたので、旅人総出の12人でこの大海原を進みゆく船を操縦している部屋の見学へ。

大きな巨大な羅針盤や、針路表、ガンダムみたいな無数のボタン(ガンダムについて詳しくは知らない)など、まさに運転室そのもの。そりゃあ運転室だからね。いい大人の一同が年甲斐もなくはしゃぐさまが、修学旅行のようで楽しい。

一通り見学しお礼を言ったところで18時半、夕食。チャパティ、ダール、野菜、ご飯。たらふく食べて、ベッドという名の要塞へ戻る。今朝からなんとなく感じてはいたのだが、やはり体調が優れない。だるい。風邪だろうか。風邪には改源、ということで薬を飲んで仮眠をとる。

が、暑くて寝ていられない。滝のように汗をかいて目を覚まし、デッキで風に当たる。皆がいたのでおしゃべりをして、22時就寝。太ももの痒みも気になる。

音楽発表会 、格好良く言うとセッション

8時半の朝食前に目を覚まし、すぐさまレストランへ。今日はチヂミのような物体にココナッツのソースをかけたもの、パン、本日のフルーツオレンジ。ぺろりとたいらげるも未だ体調が優れないので今一度薬を飲んで二度寝。

またしても滝のように汗をかき目覚め、デッキへ。海の青さがさらに増している。せっかくの絶景も体のだるさや頭痛のせいで楽しめず、ラウンジで横になる。

12時半昼食をぱぱっとすませ、ダメ押しに薬を飲んで、再びデッキへ。すると北東の方向に島がみえた。もしやあれは、ビルマ?近くにいたインド人にきくと、あのあたりはビルマではあるものの、ほとんどが中国の軍基地となっているらしい。いただけないな。

ジャミポッドを聴いているとなにやらフミさんがインド人に「あいうえお」表を作って日本語を教えていたので、一緒に交じる。それがいつの間にやらヒンディー語講座にかわり、ダフナ達やインド人の友達も集まってきて、大所帯になっていた。が、講座の終了とともに一瞬で消えた。皆気ままで良い。

それから海を眺めていると知らぬ間に寝てしまっていた。16時、ティータイムなのでチャイとビスケットをもらいにゆき、デッキでいただいていると、遠くに何かが蠢いている。

海面を蠢くいくつかの物体。めがねをかけて見る。な、な、なん・・・と・・・

イルカではないか!イルカの背びれがあちこちに!生まれて初めて目にする野生のイルカちゃんに興奮を隠しきれず皆に知らせ、デジタルカメラにおさめようと試みるもうまく撮れないので、あきらめ肉眼で楽しむ。間もなく陽が傾き、人生のうちで何番目かに入るであろう美しい夕焼けに、心奪われる。

夕陽を背に泳ぐイルカの群れ。クリスチャンラッセンの絵でしかみたことがないです私。何色、と定義ができないような複雑な、見るものを圧倒する色だ。 誰にともなく感謝をしたくなる。幸せです。

18時半夕食。これが船旅最後の晩餐なので、「何月何日、済み」というようにチェック方式で一枚になっていた食券を回収され、席につく。風邪のせいかあまり食べられず、不覚にも残してしまった。申し訳ない。

最後の夜だから、と三線を担いでデッキへ。皆も集まっていて「なんか弾いてみて」と言われ若干キンチョーしながら披露する。するとオーストラリア人のキャメロンもディジュリドゥというアボリジニの楽器を持ってきて、吹いてくれた。

しばらく好き好きに練習していると、ファーストクラスのちょっとセレブ風インド人ファミリーがやってきて、「聞かせて!」とリクエストしてきたので、歌付きで童神という曲を演奏する。恥ずかしながら拍手をいただき上機嫌に。次にキャメロンがディジュリドゥを披露する。「うちの娘は歌がとっても上手なんだよ。」とファミリーのお父さんが言ってきたので、じゃあ是非その歌きかせてください、と今度はこちらからリクエスト。シャイな日本人ならやーだー、などと恥ずかしがるものだが、そこはインド人「ええー、いいよー。」

「ベンガル語とヒンディー語と英語どれがいい?」と自信満々な様子なので、じゃあベンガル語、するとしなやかに歌い始めた。う、上手い。伸びる伸びる。これならお父さんも自慢したくなるのもうなずける。うん、上手いね。ほほう、そうきたか。

長い。

1コーラス程度かと思いきや、フルコーラス、4分強ばっちり歌ってくれた。しかも聴いたことのないベンガルソングだから、終わりかな?と思って拍手をしようとしたらまだCメロだったらしく、吉本新喜劇よろしくこけそうになってしまった。

結局その後ヒンディー語も英語も歌ってもらった。英語の曲はセリーヌディオンのタイタニックのテーマ。カラオケで歌うとかなりの高得点を叩き出すであろう素晴らしい歌声であった。コンサートの後は日本語やヒンディー語講座をひらき、「楽しかった。おやすみなさい。」とファミリーはファーストクラスへ帰っていった。

旅人連中はまたもやファーストクラスのラウンジに侵入し、トランプ大会。シットハットという外国では有名なゲームをする。ルールは忘れてしまったが、手持ちの札が先になくなったら勝ちという類のゲームだ。

ひとしきり楽しみ、23時半には就寝。いよいよ明日は夢のアナコンダ諸島に上陸だ。

パラダイス銀河のはじまり

この船最後の朝陽を拝もうと、皆で6時に起床しデッキへ。あっという間に昇る真っ赤な太陽を眺め、朝から爽やか三組より爽やかな気分になる。

荷造りをすませ、二度寝。7時半に起きると、もう船は停まっていた。ぞくぞくする。パスポートを返してもらい、アナウンスにしたがって、ついに下船。

あら?アンダマン諸島の玄関口、ここポートブレア、別段綺麗じゃないと思ってしまったのは僕だけだろうか?海も大して澄んでいないし、インドと変わらぬ雰囲気。ともあれ、イミグレーションでパーミット(入島許可証)をもらい、さらに国外でもないのにパスポートにスタンプを押され、外へ。

ここから先は全く情報がないので、モトさんフミさんや、ダフナ達について、オートリキシャをシェアしてもうひとつの港まで向かう。

港の向かいにあった食堂でプリー(チャパティを揚げたもの)とコーラを注文し、腹ごしらえをして近くを散歩する。するとマーケットのようなところへ辿りついた。バスターミナルやガンジー像などもある。どうやらここがポートブレアの中心部のようだ。

インターネットカフェをみつけ、メールをチェックするが日本語が一切読めない。するとタカさんミエさんから英語でメールが届いていた。日本語が読めないのを知っていて英語で送ってくれたのだろうか。賢い二人。先に到着してニール島というところにいっているらしい。へえ。どこだそこ。

港に戻り、チケット売り場前で大富豪。これから皆はハヴロック島というところへ向かうそうだ。へえ。どこかしら。流れに身を任せ僕もハヴロックへ向かってみることにする。チケットを購入。がここでもインド人は要領が悪く無駄に時間がかかる。チケットなんて、お金をもらって券を渡すだけなのに、何故こんなにも時間がかかるのだろうか。

同じ船でやってきた旅人のほとんどがハヴロックへ向かうようなので、皆でボートに乗り込む。デッキに茣蓙を敷いて、昼寝をしたり、お菓子をかじりながらしゃべったり。

徐々にまた海が青さを増してゆく。そして二時間程でハヴロック島に到着。埠頭におりたった時点で、飛び上がるほどの海の透明度に一気に胸が高鳴る。これがアナコンダの底力・・・。逸る気持ちをおさえ、係員にパーミットを見せ、宿探しに。

沢山の客引きが待ち構えていたのでそのうちの一人にオートリキシャでエコヴィラという宿まで連れていってもらい、部屋をみる。部屋というより、ハットというバンガローよりも少し簡素な作りのものだ。海も目の前で綺麗なのだが、念のため他の宿もみてみることに。

ホリデイインという宿へ。こちらも綺麗なのだが一泊200ルピーと多少値が張るので、次。サンライズという宿。ここも綺麗だが、あいにく満室だ。それから数軒みてまわり、海に面してはいないもののハットはなかなか綺麗だし、値段も150ルピーと他より安いグリーンなんとか(忘れてしまった)という場所に決める。モトさんフミさんもここにチェックイン。

宿を探している間に真っ暗になってしまったので、今日はボブマーリーがエンドレスに流れ続ける宿のレストランでモトフミさんと夕食を共にとり、のんびりと語り、21時すぎにはハットへ戻り床につく。まだ頭が痛む。太もものかゆみも増している気がする。

史上最高に安上がりで贅沢な大晦日

7時半、大量に夢を見たせいかあまり眠った感じがしないまま起床。夢の内容が日本やらインドやら村上龍やら安室奈美恵やらがぐっちゃぐちゃにまざったものだったので、自分がアンダマン諸島に居ることを再確認するまで少々時間を要した。

改めて痒みの激しい右足の太ももを確認すると、見るも無惨な状態になっていた。ただ単に蚊にかまれただけだと思っていたのだが、気がつくと太ももから尻の辺りまで手のひら大に広がっているブツブツ・・・。道理でかゆいわけだ。

そしてそれに痛みが加わり、痛かゆい。なんだこれは。ただの虫にしては強烈すぎる。南京虫だろうか。そういえばバングラデシュから帰ってくる時のバスの座席、シートがやぶれてスポンジがはみ出していた。そういうところに時々潜んでいるときいたことがある。あー!!!!痛かゆい!!!!

あまり意識しないように心がけ、たまっていた洗濯物を済ませ、庭に干す。目一杯太陽を浴びて洗濯物も気持ちがよかろう。モトフミさんも丁度起きてきたので、三人でビーチへ。

わわわ・・・どこの誰が、ここをインドだと信じられようか。この澄んだブルー。さらさらと白い砂。写真を撮り、膝までつかった途端急激に空腹を覚え、食欲には何も勝てないことを悟り、マーケットのある島の中心部まで歩いて食堂へ。

パラタとチャイを注文。わわわ・・・今まで、といってもそんなに大して食べてはいないが、今まで食べてきた中で一番うまいパラタだ。オッチャンやるやんかー!焼きたてでモチモチのパラタと、それにつける四種類のソースとのコンビネーションがたまらない。お好みソースとマヨネーズを混ぜ合わせた通称オーロラソースの絶妙なコンビネーションよりもさらに絶妙。しかもパラタは一枚6ルピー。ソースはタダときた。

食べ終えて適当に散策していると、エエ感じの路地をみつけたので入ってみる。この、「適当に散策中みつけたエエ感じの路地に迷い込む」も僕の旅の中で最も好きな瞬間ベストいくらかに入るひとときだ。

しばらく突き進むと民家に辿り着き、庭にココナッツの実のような物を干していたので写真を撮っていると、家からジッチャンが出てきた。アンダマンの人々もベンガル人が多いときいていたので、覚えていた少しのベンガル語でアッサラームアライクム、と話しかけると、「おう、中入れ入れ」と招かれ家へお邪魔する。

そこでさきほど干していた謎の実をじっくりとみせてもらう。ジッチャンがそれをくるみ割り器のようなものでバコっと割って開けて、中身をパクっ。するとそこから葉っぱのようなものがでてきて噛み始めた。なるほど、噛みタバコの一種らしい。お前もやってみるか?と言われ試してみる。

ん、ん苦い!そして渋い!モジャナイ(モジャは「おいしい」、ナイは「ない」の意)!と叫ぶと一緒にいたバッチャンが笑って「そんじゃ出しんしゃい」と言ってくれたのでぺっぺと吐き出す。英語は全く通じないのでひたすら覚えていたベンガル語を羅列しておしゃべり。

まだ渋そうな顔をしていたのでバナナをくれた。ごちそうさまでした、とお礼をいい宿へ戻る。帰り道、ジャングルのような山が背後にひろがっていてやたらにわくわくした。

ハットで休憩しながら日記を書いていると、隣にギバという名前のフランス人がチェックインしてきたので
しゃべる。ギバちゃん。すると、宿の前の道を何者かが歩いている。

ゾ、ゾ、ゾウさんやんかー!

あまりにも非日常な光景が日常的におとずれる島。興奮のあまり昼寝をしていたモトフミさんにわざわざ報告する。

午後、Tシャツやパンツの他にジーパンや布なども洗う。そういえば今日は大晦日。全く大晦日感などない場所だが今年の汚れ今年のうちに。

スッキリしたところで一人散歩へ。途中犬に吠えられたじろぐも、ふん、お前なんか怖くないんだぜ、と強気な風でいく。ずんずん歩いてゆくと、ビーチ沿いを離れ山のほうへ向かいそうだったので戻る。

15時すぎ、モトフミさんに、No.7ビーチへ行こうと誘われ、向かう。No.5ビーチが僕らの泊まっている宿の近辺で、もう一箇所これより大きなNo.7というビーチがあるそうだ。マーケットまで歩いていると運良くそのNo.7行きバスが通りがかり、乗り込む。

山をぐるりと回り反対側へ走るバスからの流れる景色がまたジャングル感たっぷりで、心躍る。陽が傾き始めた頃到着し、ビーチへ。No.5よりも広く、波も高い。2007年泳ぎ納め。海水が太ももに沁みて痛いがそんなこと気にしていられないほど美しい。

海の中、水面から拝む夕陽のこれまた凄まじいこと。神秘的な光を放ちながら沈んでゆく太陽。あんなの、ただ丸いだけなのに、生まれてから腐るほどみてきているのに、何度みても僕の心を鷲掴みにして離さない。変なやつだ。太陽。

完全に沈みきり闇が訪れ始めたので近くにあった食堂で夕飯。ベジターリーとチャイ。ぬぬぬ・・・今まで、といってもこれもさほど大して食べてはいないが、今まで食べてきたターリーの中で一番うまい。ロケーションがそう感じさせるのかとも思ったが、きっとそうではない。

アンダマンの人々は料理上手なのだきっと。穏やかな空気の中で生活しているから、あくせくすることなく穏やかに料理を作ることができるのだろうか。大切なのは、あせらないこと。とサクラさんも言っていたような(映画「めがね」より)。

全員でおかわりをして、18時半最終のバスでマーケットまで帰る。今日は人生で一番の大晦日だ。間違いない。こんなにのんびりと過ごせたことはいまだかつてなかった。などとしみじみ考えていると、バス停にたむろしていたオス犬が、もの凄い勢いで腰をスウィングしながらメス犬の尻を追っていた。

メス犬を捕らえられてもいないのに既にスウィングがとまらないらしく、スウィングしながら歩くさまがあまりにも滑稽で、せっかく人がしみじみ考え事をしているときにこの野郎、と不快感を覚えたがこれも穏やかな空気の中で生きる犬達が何ものにも縛られることなく本能のままに生きている証拠だきっと、と思うことにした。きっとね。

大晦日なので、「よいおとしを」と電話屋から実家にかけ、旅の無事と、アナコンダ諸島の凄まじさを報告する。聞くと三ヶ月も前にネパールから贈った布が昨日ようやく届いたそうだ。エアメールで送ったはずなのに。何エアだ。三ヶ月って。

宿に戻りシャワーを浴び、大晦日もかわらずしつこくボブマーリーを流し続けるレストランでモトフミさんと、今年最後のディナー。下戸だけれどビールで乾杯し、年の最後にここにいることの幸せを熱く語り合う。

そして大富豪納めをして、サンライズゲストハウスへ足を運ぶ。今夜はビーチで年越しパーティが催されるそうなのだ。着くと既に皆ぶりんぶりんと踊っているではないか。まだ0時まで時間があるので、人気の少ない砂浜へ。照明の届かないここは見事な闇に包まれて、寝転ぶと空には満天の星。見上げながら語る。

星の光は、何万年も前にその星を出発し、今ようやく僕達の目に届いていると聞いたことがある。すると、今こうして光り輝いている星でも、いくつかは実はもう消滅していて、消滅する前に出発した光のみが地球まで届いている、なんてこともありえるのだろうか。それとも、消滅してしまうとその時点で全ての光も消え去るのだろうか。考え始めたらいつだってきりがないのがコスミックな話題。

流れ星を何度もみては少女マンガの主人公ばりに目をきらきらと輝かせ胸をときめかせ、いい時間になってきたのでDJブースへ戻り、ビール片手に踊る。流れている音楽はただひたすらに四つ打ちが続くだけでつまらないものだったが、大晦日だから気にしない。

いよいよ楽しくなってきてぶりんぶりんと踊っていると、突然音が止まりDJが「5!4!3!2!1!ハピヌーイヤーーーー!」とシャウトした。

五秒前カウントっていかがなものでしょう。心の準備もできないまま気がつけば年をまたいでしまったではないか。歴史的瞬間も過ぎてしまえばただのパーリーナイトなので、踊り疲れたところで宿に帰って眠る。

南京虫と初日の出

痛かゆいがもはやただの痛いに成り代わり、ズボンの薄い生地が触れるだけで呻くほど苦しい。そのせいで全く眠れない2008年最初の夜を過ごす。太ももに広がったブツブツは、一つ一つがその大きさを増し、水ぶくれのような状態に。みているだけで気味が悪い。

あそうだ、水ぶくれなら水ぬけばいいんだ、と思い立ち持っていた裁縫用の針で、そのブツブツをつぶしてゆく。元旦の、早朝3時に僕は一体何をしているのだろう。

ブチっブチュっ

い、痛い!!!中断し、消毒を吹きかけそっとする。そうこうしているうちに4時になり、初日の出を拝みに再びビーチへ。痛みは増す一方。まだDJは続けていて、踊っている人もちらほら。月灯りに照らされて海も砂浜も随分明るい。腰をおろし日の出を待つ。

痛い・・・。ズボンが擦れてしまうので座ってさえいられない。立ったままひたすら待つ。徐々に暗い夜の空がブルーにかわってゆき、ピンクやオレンジの入り混じったなんともいえない不思議な色に染まる。そしてついに真っ赤に燃え滾る2008年最初の太陽が昇った。感慨深く、貴重なひととき、だったはずなのだが、そんなのん気なこと思っていられないほど痛む太もも。ハッピーニューイヤー。

部屋に戻り、ズボンが触れないように、ウェットティッシュとして持ち歩いていた赤ちゃんのおしりふきをブツブツにあてがい、包帯などないのでガムテープではりつけ固定する。僕は、2008年元旦早々、一人部屋でおしりふきとガムテープを太ももに貼り付け過ごしています。なんて誰が言えよう。ろくに眠れていなかったので急激な眠気に襲われる。

9時半、わずか二時間半の睡眠も、チクチクと痛む太もものせいで満足に得られなかった。もう嫌だ。右足を根こそぎ切り落として交換したい。できれば南京虫にかまれても痛くもかゆくもないロボコップみたいな足と。

ハミガキをしているとモトフミさんも起きてきて、三人で朝ご飯を食べにマーケットまで。昨日の絶品パラタ屋さんはもう完売してしまっていたので別の店へ。パラタ。おかわりしようとしたらそこも終わってしまい、また別の店へ。バナナドーナツとチャイを注文し、ようやく腹が落ち着いたところで、ビーチへ。

泳ぎ初め。をするも風が強く雲も多くなってきて、肌寒くなったのでさっさとあがり、近くで焚き火をやる人があったので、そこで暖をとり、なんだか新年早々万事スムーズにすすまないなあなどとぼやき、部屋に戻って不貞寝。

やはり痛くて不貞寝すらままならず、電子辞書で虫さされや水ぶくれについて調べつくし、部屋の外で日記を書いていると隣のフランス人ギバちゃんがやってきた。雨もふりはじめた。しばらくしゃべる。

「俺ニール島いってたんだ。シュノーケリングやったんだけど、すごいよ。ウミガメとか、ジュゴンまでみれたよ。」え!ただのシュノーケリングで!?なんてこった。ニール島は確かタカさんミエさんがいるはず。なおさら行かねば。

ギバちゃんがレンタルバイクを持っていたので、のせてもらいマーケットまで。晩飯を食べようと店を探していたら、ダフナや、船で一緒だったアイルランド人のマイケル達もいたので、皆で一緒に食べにいこう、とベアフットというレストランへ。モトフミさんや他の皆も集まって総勢10人以上の大所帯。日本の飲み会を思い出す。

魚チャーハンを注文し、ぺろりとたいらげ色んな人と語る。皆随分リラックスしていて、良い。が、十分おきに太ももが疼き、全くリラックスできない人間約一名。

宴が終了して皆好き好きに散っていったので、僕は大人しく部屋に帰り、もう一度消毒をして22時前には就寝。とんだ元旦だ。南京虫さんとご一緒だなんて。光栄です・・・

健やかであることの喜び

電子辞書情報によると、水ぶくれの治療として紫外線療法というのがあるとかいてあったので、紫外線なら浴び放題だ、とビーチへ向かいひたすら太ももをお日様に向けて一日をすごした。

インドの虫にはインドの薬、ということでインド製のItch Guardというかゆみ止めを塗ってみる。イッチガードと紫外線のダブル効果で、心なしか、痛みがおさまってきた気がする。

三が日も終わる今日、7時半に目を覚ます。痛みに睡眠を妨げられずに済んだ。太ももをみてみると、つぶした水ぶくれの痕が乾いてかさぶたになっている。随分治っているではないか。やはり紫外線治療が効いたらしい。そりゃそうだ。あんな、水着を異様に捲くりあげTバックを決め込み不自然なポーズで一日ビーチに寝転んでいたのだから、治ってくれないと困る。

9時、モトフミさんと絶品パラタを食べに。今日はまだ売り切れていなかったのでおかわりもできた。それから自転車を借り、港のチケット売り場にポートブレアまで戻るボートの時間を調べにゆき、インド人しかいない静かなビーチを見つけたのでそこで泳ぐ。

随分遠浅なので歩いて沖までゆき、大声で一人カラオケ。青く澄んだ海の真ん中でカラオケ。気持ちひー。砂浜へ戻るとモトフミさんの二人は仲良く砂遊び、城を作っていたのでまーぜーてー、と一緒に作らせてもらう。

「城は外壁を強く固めなきゃだめよ」とフミさんが言うので、外壁を担当し砂をべたべたとはりつけてゆく。なんかインドの町でみかける牛糞みたいですね、こういうの壁にはりつけてよく乾かしてますよね「ほんとだこれはまさに牛糞建築だわ」ぎゅ、牛糞建築ですね。

外壁を強く固めたのはいいアイデアだったが、敵はさらに強大だった。潮が満ちるのは全くの計算外だったため、30分後には王国崩壊、海のもくずと消えてしまった。さっさと城を見捨て泳ぎ始めると、フミさんが「男は最後まであきらめちゃダメなんだよ!城を守りなよ!」とモトさんと崩れゆく城を必死で食い止めようとしていた。熱い二人だ。でも潮には勝てないよ。

熱い戦いを繰り広げたため腹がへったので再びマーケットへ。サモサをいくつかかじり、今度はサイクリングで島散策。リュックに携帯スピーカーとジャミポッドをひっつけ疾走。お気に入りのビートが僕をさらに速くこがせる。自転車の速度で流れてゆく風景が心地良い。

海沿いの道を越え山の方へずんずんと進んでゆく。村があった。そしてそこには、ジブリの世界が広がっていた。舗装された道が途絶え砂利になったので、自転車を置いて歩きだす。するとどこからともなくアンダマンキッズが沸いてきた。必殺シャボン玉の刑に処す。

今までシャボン玉の類をみたことがなかったのか、かつてないほど大はしゃぎする一同。その声につられお兄ちゃんやらお姉ちゃんも集まってきて瞬く間に人だかりができた。シャボン玉をプレゼントすると、少年が独り占めして逃げようとしたので、ちゃんと皆で使えよ、と言うと素直にきいてくれた。バラナシの一部のひねくれた子供とは違うなあ、アンダマンキッズは。

そういえばインドで初めて、ここアンダマンでは誰からもバクシーシだのルピーだのと言われない。物乞いがいないのだ。

さらに先へ突き進むと行き止まりだったので、引き返す。すると庭を牛と一緒にぐるぐる回っているインド人をみつけたので、気になって突撃してみる。牛の力を利用して、お米のモミを取っていたらしい。知恵だなあ。「チャイ飲んでいき」いただきます。

オカン、オトン、娘、息子としゃべる。ここでもカタコトのベンガル語を駆使して、モトさんとフミさんはブリブラ(彼氏彼女)なんだよ、と説明すると「ジャミラにはいねえのか?」ときかれたのでブリブラナイ!と叫ぶと見事に笑われた、「だはは!お前ブリブラナイのか!」

しばらくしゃべり、お礼を言って家をあとにする。空が茜色に染まりはじめた。今日も一日が終わる。こうやって特に時間を気にすることなく太陽と共に目覚め太陽と共に一日を終える生活なんて、日本ではなかなか難しいだろうと思う。望めば誰にだってできるはずなのに。ともあれ、背中から聴こえてくる音楽が楽しい。

マーケットで夕食。ターリーとチョウメンを瞬く間にたいらげる。今日はよく遊んだのでいつもよりも随分腹が減ったのだ。

宿に帰り、大富豪に白熱し、21時には寝る。21時って、昨今の小学生よりも健全じゃないか。

海猿海ジャミラ

いつものように絶品パラタを食べ、今日はバスでNo.7ビーチの近くにあるエレファントビーチというところへ皆で行く。

オーストラリア人のキャメロンがココナッツを少しわけてくれた。実はあまりココナッツは好きではなかったのだが、よよよ?なんとなく、うまい。なかのプリプリした白い実、かじるたびに味わいがでてきて、なんとなくうまいと思えてきた。ジュースのほうは相変わらず炭酸のぬけた奇妙に甘いビールみたいな味でいただけないが。

ばしゃばしゃと泳ぎ回っていると、足にチクリとした感触を覚え、クラゲかな?いずれにせよもう痛かゆいのはこりごりだ、とすぐさまあがる。茂みにつながれていた観光客用のゾウさんを間近で観察、及び盗撮する。「こら!撮ったあかん!」インド人に叱られ退散。

日焼けしながら本を読む。雲行きがあやしくなってきたので昼食も兼ねてレストランへ避難し、チャイとパラタを食べる。これがまた焼きたてで実にうまい。パラタなら一生食べていられそうだ。

雨はふりそうになかったのでビーチへ戻り、再び泳ぐ。一人筋力トレーニングも兼ねて沖でばたばたと浮いていると、ダフナがシュノーケルをしてやってきて、「ちょっと潜りたいんだけど、一人じゃ怖いから一緒にきてくれる?」と頼んできたので、いいよー、とシュノーケルも何もないけど一緒にさらに沖まで泳ぐ。

「サンゴしかみえないよー。もちょっと沖までいってくれる?」いいよー。「うーん、何も見えない。もちょっと沖まで、大丈夫?」うんいいよー。「あと二分したらあきらめる!」りょうかい。結局少しの魚とサンゴしかみられなかったようで、あきらめて戻る。

「あれ?なんかさ、あたしたち全然進んでなくない?」確かに。随分泳いでいるはずなのに、全くビーチと自分との距離が縮まった気がしない。「というか、流されてない?」そんなことないよ、ちょっとずつは戻ってるはずだよ。

「やっぱり進んでないよ!どうしよう・・・あたしもう疲れてきた・・・」だいじょうぶ、落ち着いてゆっくり泳げばいいよ、ちょっとこんなふうに背泳ぎとかすると楽だよ「無理!もう無理!どうしようもう帰れない!」少しづつパニックになってきたダフナ。

僕まで怖がってしまうと一巻の終わりなので、落ち着かせようと、あれみて、もうすぐ夕陽沈むよ、そんなあせらずにあれ眺めながらちょっとづつ泳ごうぜ「そんな余裕ない!シュノーケルが邪魔で逆に息できないよ!」シュノーケルを持ってやり、手をひっぱって先に泳ぐ。が依然ビーチは遠いまま。遠くでフミさんがこちらに手を振っている。今それどころじゃ・・・

それでも「あーもう無理!ムリよ!」と取り乱すので、無理っていっても泳ぐしかないんだから、ね、もうちょっとがんばりましょう「うん・・・」と少しづつゆっくりと泳ぎ進む。

徐々にビーチが近づいてきて、手ごたえを感じたらしく、弱音を吐かなくなったダフナ。その調子やでえ、と泳いでいると、ガツッ。痛っ!調子にのった途端サンゴに足をぶつけた。サンゴはとても鋭いので少し触れるだけでもすぐに切れるのだ。サンゴにぶつけないように気をつけてね、というと「まともに泳げないじゃん!サンゴ怖い!はぐっ!痛!あたしもぶつけた!あーもうやだ・・・!」再びパニックに陥る。

パニックついでに物凄い勢いで泳いだので一気に進め、気がつくと足がつくところまで戻ってきていた。ダフナも続いて足をつけ「助かった・・・。」と僕に飛びついてきて、「ありがとう助けてくれて。一人じゃ本当に無理だった。」いいってことよ、と本当は若干自分もビビっていたことを隠し勇敢な男を決め込んだ。

モトフミさんに説明すると「あたしさーてっきりすんごい楽しんでんのかと思った!やけに長いこといるなー、なんか色々みつけたのかなーって。」とフミさん。手を振ってきたのはそういうことだったのか。こちらはSOSの意味合いをこめて手を振り返したのだけど・・・。

なにはともあれ、少し足を切った程度で無事陸に戻れたので一件落着、夕陽を拝んで、バスで帰る。

マーケットでパコダとターリーを食べ、疲れたのでさっさと宿に戻り、20時には就寝。いよいよ小学生より健全な成人男。

予期せぬタイミングでの再会は驚きと喜びに満ちるものだ

7時起床。そりゃ20時に寝たら早起きもするでしょう。太もももずいぶん治り、今はひたすらかさぶたがかゆい。がこのかゆいは大したレベルではないので、放置。

青春漂流という、フミさんから借りた20年前の本を読み、がむしゃらでいることの素晴らしさを朝から教わる。二人も起きてきたので、いつもの絶品パラタ屋へ。今日は6枚も食べてしまった。好きなんだもの。チャイを飲んで、ほっとしたところで宿へ戻り、部屋の前でジャミポッドを聴きながらくつろぐ。もう読む本がなくなってしまったので、何度も何度も読んだ吉本ばななさんの哀しい予感を読み返す。相変わらずぐっとくる本だ。

などと考えていると、前方から何者かがこちらへ向かって歩いて、いややや小走りで駆けてくる。誰だろうねえ、朝っぱらから元気なこの人達は。

ジャミラーーーーーーーーーー!!!!!!!!

うななななななな・・・・・ふふ、夫妻!!!タカさんとミエさんであった!全く予想だにしていなかったので、見事に驚いた。抱き合い、感動を分かち合う、かと思いきや第一声「どしたんその髪型キショ!!」とミエさん。そりゃないぜ・・・。確かに波に漂う岩海苔のようなヘアスタイルではあるけれども。

コルカタで会えるかと思いきや「お先に」と置いてきぼりを喰らい、ポートブレアにいるか思いきや「ニール島いってまあす」と置いてきぼりを喰らい、結局年越しを共に祝えず、このまま行き違って散り散りになってゆくのだろうか、と落胆していたので、非常に嬉しかった。

連絡もスムーズにとりあえずにいたのでその間のもどかしさを一気に吐露。互いの行動を報告し終えたところで「つかあんたポートブレアでメールみたならニール島来いよ!」あら?そういわれると、そう、なの?「なーにハヴロックいっとんねん!」あらあら?そういうことになっちゃうの?アハハ!

僕の行方も、そもそも船に乗れたかどうかも分からないまま二人はニール島で待ってくれていたらしい。船が港に着く度に、ジャミラ来たかな?と迎えにきてくれていたと。そんなことなど露知らず、僕は流れにまかせてハヴロックへ上陸し、年越しパーリーでぶりぶり踊っていたそうだ。アハハ!

いくら待っても一向に現れないので、あきらめてハヴロックにやってきたら、道端でダフナに出会い、聞くと僕らしき怪しいアジア人がこの島に上陸していて、この宿に泊まっていると知り、わざわざ訪ねてきてくれたのだ。アハ、ハ!

それから3人で散歩へ。まだまだ積もる話があったので、上沼恵美子も凌駕せんばかりの勢いでしゃべり倒す。レストランでヨーグルトを食べ、しゃべり倒し、ジープに乗ってNo.7ビーチに向かいながら、しゃべり倒し、ビーチへ着いても尚、しゃべり倒す。

夕陽を眺め、ようやく落ち着きを取り戻し、チャイを飲んでバスで帰る。ギバちゃんと遭遇し、また今夜集会があるというので、レストランへ。今回も大所帯。なるべく日本人だけでかたまらないように皆と話すよう努めるも、やはり夫妻との積もる話が止まないので、しゃべり倒す。

22時半頃おひらきになり、宿へ帰る。いやあ、驚いた、驚いた、驚いた一日だった。

チケット売り場のオッサンとケンカ、何でそうなるの?


実をいうとわたくし、こんだけありゃ足りるやろ、とコルカタで5000ルピーだけおろして遠路はるばるやってきたのだが、どうもおかしい。帰りの船代を全く考えていなかったらしく、ざっと今後の宿代、食事代等計算すると、帰りの船のチケットが買えるかどうかという、非常に危ういラインなのだ。

というわけで、ポートブレアまで戻ってATMを探さなければならない。きくとポートブレアにすらプラスカードの使えるATMがあるかどうかも定かでないのだが、とりあえず行ってみないことには、分からない。

8時に宿をチェックアウトし、リキシャで港まで。チケットを150ルピーで購入。出航は10時だったので、腹ごしらえでもしようと近くの食堂へ足を運ぶと、「よっ。」ごく自然体で、コルカタで別れたヒロシさんがパラタを食べていた。な、なぜここに!?「なんか、予定より時間が余っちゃったから来てみた。」なるほど。そういうことってあるよね。

僕もパラタを注文し、食べていると、ポーーーー。あら?9時半、船が出ちゃった。なぜかしら?まあいっか、と引き続きパラタを食べ、10時に港へ戻ると、案の定さっきの船はポートブレア行きだったらしく。まあよし、14時の便で行けばよいだろう、なんて歩いていると、

港の入り口あたりで「こういう、茶色いハットをかぶった日本人なんですけど、みかけませんでした?」とインド人に尋ねているタカさんとミエさんを発見したので、茶色いハット?と自分のかぶっていたハットを手に声をかける。

「あんた何してんの!?ポートブレア行ったんちゃうの!?見送りきたら船もう出た言うから焦っててん!」あ、かくかくしかじかで、乗り損ねたのです。「なんやねんそれ。しかも茶色いハット?てものっそ、ドラマみたいなタイミングで現れよってからに。」

話すと、ヒロシさんと夫妻はネパールのポカラでトレッキングに参加しているときに知り合っていたらしく、ここでも偶然の再会が果たされたようだ。とことん狭い、世界は。

夫妻の泊まっている宿の近く、港からも歩いてすぐのところにスマイルゲストハウスという一泊50ルピーの宿をみつけたので、ヒロシさんはそこにチェックインし、僕は夫妻の部屋に荷物をひとまず置かせてもらう。

せっかくなので泳ぎますか、と海へ飛び込み、浜で僕がリコーダー、ミエさんがハーモニカをめちゃくちゃに吹いてビーチセッションを気取る。13時すぎ、再び港へ向かう途中、「ATMなかったと思うけどなあ。」とミエさん。え?そうなの?じゃあ、船代ムダだな。その分を生活費にまわして、もう少し節約すれば、帰りの船代も間に合うかも、そうかも!そうだぜ!

やーめた。ポートブレアはもっと宿代が高いし、それでATMが見つからなかったらいよいよお金がなくなってしまう。それならここでもう少しのんびり、節約しながら過ごしたほうが賢いじゃん、というわけで、僕もスマイルゲストハウスにチェックイン。

とりあえず朝購入したチケットを払い戻してもらおうと、16時頃チケット売り場へ。

あの、これ今朝買ったんですけど、10時出航って書いてあったのに、9時半に出航したものだから乗り損ねたんですよ、だから払い戻ししてください。 「無理だよ。船は9時半出航ってもともと決まってたから。」え?でもここみてくださいよほら、ほらこの時刻表、10時って確かに書いてありますよね?もともと決まってたってどういうことですかね?

「あーそれね、それ古いやつだわ。皆9時半て知ってたからね。だから皆乗り遅れてないでしょ。」はい?何故皆知ってるなんて言い切れるんですか?そして何故古いやつと分かっていながらいつまでもこの時刻表を貼っているんですか?どう考えてもそちら側のミスでしょう。そのせいで僕は乗り損ねたのですから、150ルピーを払い戻してください。

「無理だっつってんだろ。自分のミスだろう、何故船に乗って待ってなかったんだよ。」朝食をとっていたんですよ。なんせ出航は10時でしたからね。ここに10時と書いてありましたから。あなた方のミスですね。「お前のミスだ!」お前のミスやろが!「お前の!」お前の!「お前の!」ファックオフ!!!!

何を言っても払い戻しをしないというので、ついカッとなってチケットをぐしゃぐしゃにしてオッサンに投げつけてフンガフンガと歩いて帰ってきてしまった。カルシウム、足りてマスカ?

ひとまず落ち着こうと、ジャミポッドを聴きながらビーチに一人腰かける。いや、やはり冷静に考えてもあちらのミスなので、怒ってしまうのもいたしかたなかったはずだ。でも、チケットを投げつけるのはあまりよくなかったな、と反省。

皆に報告すると「インド人やからねー。あたしらしょっちゅうやでえ。チケット買うんに並んでるときなんかとくに。」今までケンカがなかったのはなぜだろう、と思いかえすと、こういうチケットの類はいつも近くのツアー会社で予約していたからだった。チケットはツアー会社で買う、という一種の刷り込みというか、思い込みがあって、駅でとろうと思いつくことがほとんどなかったのだ。

過ぎたるはさっさと忘れ、腹が減ったので皆でマーケットへ。夕食。今日は四人いるので、なんと、鯛のグリルに手をつける。贅沢な。チョウメン、ご飯、パコダも。「日本人の、いかに魚をきれいに食べるかをみせたろで」と骨以外全て食べつくす。

「ほっぺたうまいねん」目ん玉いただきます。そして残った骨は近くにいた猫にあげ、鯛は跡形もなくなった。隣の西洋人は身の部分をつついただけでかなり残している。ふふ、勝った。鯛さんもこれだけ綺麗に食べられると成仏できることでしょう。

それから恒例大富豪大会を開催し、22時、宿に帰りスマイルゲストハウス初めての夜を過ごす。前までいたグリーンなんとかゲストハウスとさして変わらないハット式の部屋で、お値段三分の一なら、断然こちらでしょう。ただ、備え付けの枕からじいちゃんちのようなニオイがするが。カビ?

オッサンに負けて勝った。そしてニール島へ

港近くの食堂で朝食。ドーサと、イドゥリーという蒸しパンのようなものを注文。これまたうまい。帰りになんとなくチケット売り場をのぞいてみると、殴り書きのようだが新しい時刻表が貼られているではないか。ポートブレア行きの時刻が正しくなっているだけでなく、あるかどうかも分からなかったニール島やその他近隣の島行きの船の時刻表も作られている。へへへ、勝った。オッサン、やるやんか。

畜生と思いながらもちゃんと正しい時刻表を作ってくれたようで、ちょっと見直したぜ。そして、ニール島へ行くには一度ポートブレアに戻らなければいけないと思っていたのだが、ちゃんとここからの船があることを知り、すぐさま宿へ帰り電卓とにらめっこする。い、行ける・・・しかも、今日行ける・・・!

ポートブレアへ戻りそこからまたニールへ行かなくて済む分、船代が浮いてそれを宿代にまわせるのだ。これなら、行ける。俺、イケるよ!

突如決まったニール行きを皆に報告すると「俺もいこっかなー」とヒロシさん。ではご一緒に。そしてタカさんが作った手描きのニール島詳細地図をもらう。手書きですぐに詳細が描けてしまうほど小さな島だそうだ。さらに「あたしもニール戻りたい」とミエさんが恋しがるほど良い島らしい。

さっさと荷造りをすませチェックアウトし、14時半の船に乗るべく12時は港で待機。なぜなら、並んでいないとすぐに売り切れてしまう可能性があるからだ。チケット売り場はいつだって要領が悪い。

他にもオーストリア人、スウェーデン人、デンマーク人も何人かニールに向かうらしく、交代で列をキープする。ダフナやアイルランドのマイケル達はもう既にニールにいるそうだ。14時、ようやく売り場が開いた。そんなに近寄らなくてもチケットは逃げないよ、と言いたくなるほど執拗に列からはみ出すまいと引っ付いてくるインド人。鬱陶しい。どうにかチケットを無事購入でき、船にのりこむ。

「またハヴロックでな!」と夫妻としばしのお別れ。ほんの数日間です。出航。甲板で昼寝。目を覚まし少しするとニール島に到着。ぎゃ!ハヴロックよりも海が澄んでいるではないか。どこまで澄み渡れば気が済むんですかアンダマン・・・

タカさんの地図を手にリキシャをかわし歩いてパールパークという宿を目指す。よっぽど小さな島を想像していた。そして確かにかなり小さい島ではあるが、歩くとなかなかの距離があった。しかも25キロの荷物を抱えている。そしてパールパークが見事に島の端っこに位置している。汗がとめどなく流れ、疲れ果てようやく到着すると「ごめーんね、満室」がくん。と音が出るほど肩を落とす。

ひとまず休憩し、バナナを食べ失われたエネルギーを取り戻す。気も取り直し来る途中にみかけたタンゴという宿をたずねてみると「あっちゃー、満室だわ。」がくん。同じく宿をみつけられずにさまよっているスウェーデン人、オーストリア人、デンマーク人とともに、そこのレストランで休憩。「どうしようかねえ。」最悪野宿ですかね、と提案すると「いいかもね、一回やってみたかったし」とヒロシさん。

ともかく腹が減っては戦も宿探しもできないので、ベジターリーを注文し待っていると「パールパーク、800ルピーのコテージなら二つ空いてるってさ。丁度男四人女四人だし、どうよ?一人200ルピーづつで。」とオーストリア人が誘ってくれた。200ルピー!!!今の、経済不安定な状況でそれはかなり痛々しかったが、他に当てがなくてはどうしようもないので、とりあえず一泊はそこに泊まることにした。

広々としたコテージではあるが、800ルピーも支払えるほど綺麗でもないし、シャワーの蛇口は折れかかっているし。が文句は言ってられない。荷物を置いて、レストランに戻り注文していたターリーを食べる。ドカ食い。空腹が絶頂に達していたのでご飯を三杯おかわりした。店員や隣にいた西洋人女性にクスクスと笑われたが、むしろこれだけがっつり食べるなんて、サムライっぽいだろう?と少し誇らしげな表情になる。勘違い。

四人づつ別れたはいいものの、コテージにはキングサイズのベッドがひとつしかない。どうしたものか、と考えあぐねていると、オーストリア人が「俺ハンモックと蚊帳もってるから外で寝るよ」と譲ってくれた。 というわけで、デンマーク人と、ヒロシさんと僕が三人仲良くキングサイズのベッドで寝ることに。

すると前乗りしていたダフナやマイケル、キャメロンが遊びにきて、「蛍みつけたから見に行こう」と。真っ暗闇の中小さな懐中電灯を持って浜辺へ向かう。

草むらを踏み分け歩いていると、わしゃわしゃと巨大なカニ、カニ、カニ。そして、蛍。ほた、どぅ。波打ち際に生える小さな木々にのみとまって、群れている蛍。煌々と優しく光り輝くほたどぅ。ふと空を見上げると眩しさを覚えるほどの星。燦燦と夜空に広がる星。かつてないほどの天然の電飾に一同感激。「クリスマスみたい」

どこまでも僕達を圧倒し続けるアンダマン。地球はまだまだ美しい。

衣食住の住を失う

さすがに何泊も800ルピーのコテージに滞在するわけにはいかないので、早々にチェックアウトして別の宿を探す。昨日訪ねたタンゴの他に、もう一軒あったココハットという宿へ。

「ノールームだよっ。」あははー、部屋無いってさっ。もう他にあてがないので、それではこの敷地内の、そうだあそこのベンチで寝させていただくことは可能ですか?「うん、いいよっ、勝手にしやがれよ。」ありがとうございます。恩に着ます。

野宿がめでたく決定したので、早速荷物を持ってビーチが目の前に広がる、屋根付きのベンチを陣取る。もちろん壁もドアもないため、荷物を柱にくくりつけ、朝食をとりに屋台へ。パラタとチャイ。

オーシャンビュースペシャル野宿プランの陣地に戻り、遠浅の海へざぶん。百メートルほど歩いてもまだ浅いという、恐るべき遠浅。だが砂がまぶしいほど白くきめ細やかで眺めがよいので、多少波のエキサイティング感はないものの、なかなか素敵なピーチだ。

昼も同じくパラタとチャイで済ませ、メインバザールをぐるりと見学し、別のビーチへ歩いて向かう。が、やはり道を間違えたらしく民家に到着してしまい、そこの住人に道をたずね、到着。が、こちらも干潮の真っ只中で浅い。

そして、大量のサンゴの死骸。これらが生きていたらさぞ美しかったろうに。あまり好きではないけれど、サンゴ。遠目にみると綺麗だが、よくみるとブツブツで気色悪いじゃないか。しかし、この死骸。津波の被害だろうか。それとも温暖化の影響だろうか。いずれにせよ残念だ。気色は悪いが生きていて欲しい。

ビーチ沿いに歩いてメインバザールまで戻り、ジュゴンレストランというオープンしたての店で、ターリーを注文。数十分かかるというので、ヒロシさんとしゃべりながら待つ。注文されてから全て作り始めるので本当に数十分待たされ、空腹に頭を抱えそうになったころようやくやってきて、食べる。

んが、んは、んぱ・・・・ぱぱぱ・・・・激ウマ。しっかりおかわり三杯。これはハヴロックの食堂と同じくらいべらぼうにうまい。チャイでシメて、オーシャンビューノーウィンドウのスウィートルームへ帰る。

ベンチの上にタオルや衣服、布等を敷き並べ、簡易ベッド完成。風もあるので割と涼しい。なかなか快適な夜が過ごせそうだ。20時就寝。

21時起床。かゆい。ようやく南京虫の脅威から解放されたと思ったら、今度はサンドフライという、砂浜に生息する吸血バエの総攻撃。蚊よりも随分小さいためなかなか見えない。

浦島太郎よろしくウミガメに胸をはためかす。


かゆい。かゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆい。これぐらい連呼すればかゆさが伝わるだろうか。音もなく現れて血を吸い逃げ去るサンドフライ。布で全身を覆うも効果はさほど現れず。一時間おきに目を覚ます。

ようやく心地よい眠気に誘われはじめたと思ったら、今度は風がやんだせいで蚊まで襲ってくる始末。かれらはタチが悪い。常に耳元をとびあの不快極まりない甲高い羽音を親切にもきかせてくるのだ。腹が立つから思い切り耳元にビンタをするも蚊はとっくに逃げ、残るのは耳元の痛み。それを夜じゅうずっとやられてみた日にゃ、気がおかしくなって当然だ。

だが気をおかしくしたところでこのかゆみも、サンドフライも蚊も消えないので、平常心を取り戻すべく砂浜に腰かけ、空を眺める。満天の星空。プラネタリウムより鮮明な瞬き。ああ、あの星には、蚊もサンドフライもいないんだろうなあ。いっそあちらで暮らせたら、かゆみと一晩中戦う必要なんてないのに。

正しくは部屋さえみつかればそれだけで万事解決なのだが、なにぶん気がおかしくなる寸でのところなので、そういう考えは浮かばなかった。

ひたすら朝がくるのを待ち、7時起床。起床といってもほとんど寝ていない。ヒロシさんも辛かったそうだが割りとよく眠れた顔をしている。なんというタフさ。バザールでパラタとチャイ、の定番朝食メニューをたいらげ、シュノーケルセットをレンタルしNo.1ビーチへ。この島にもいくつかビーチがあり、No.1ビーチはシュノーケリングにもってこいのポイントだそうだ。

登校中のアンダマンキッズと挨拶しながら歩き、到着。波、高!我々のスウィートルームのビーチとは比べ物にならない高さ。喜び勇んでシュノーケリング開始。潜るなり目に飛び込んできたのはトロピカルなフィッシュ達。

ニモで一躍有名になったクマノミもちょこまかと泳ぎまわっている。ばっしゃーん。クマノミ、ばっしゃーん、ク、クマノばっしゃーん。波が強すぎてクマノミどころではなくなってしまったので、一旦ひきあげる。きくと波の落ち着く午後が良いそうだ。

今度はNo.2へ。バザールでチュウチュウ(ポッキンアイスと呼ぶ者もある)を1ルピーで購入し、ついでにバナナも一房かついで歩く。チュウチュウちべたくておいち。

到着し、シュノーケリングを開始するも一面サンゴの死骸。岩も多く泳ぎにくい。あきらめ、再びNo.1ビーチへ戻る。えらく潮がひいているが、まだまだ泳げそうなのでシュノーケリング。やはりこちらのほうが透明度が高く、生き物も多い。二人共一心不乱に潜る。

相変わらずトロピカルなフィッシュはあちこちに見受けられるのだが、それ以上の、もっとこう、ワオ!と欧米人的にリアクションをしてしまいそうな、大物が見当たらない。例えばジュゴン。ギバちゃんはここでジュゴンを見かけたそうだ。あのブサかわいい人魚に私も会いたい。

「そう簡単に姿現しちゃアタイの名がすたるワネ」とジュゴンが言ったのかどうかは定かでないが、一向に姿を現す気配がないので、ぐるりとまわったら帰ろうか、と話していたその時、特派員がみたものは!(かなり古いが投稿!特ホウ王国風)

海底をすいすいと、ゆらゆらと、自由に、時に考えなしに、優雅に、適当に、泳いでいるあの丸みを帯びた手足、そして甲羅・・・ウミガメさまあああ!!!

大きさからいって中学生ぐらいの、おそらく下校中のウミガメ。嬉しくて必死で追いかけるも、すぐさま更に深いポイントへと消えていってしまったため二分程度しか見ていられなかったが、それでもいい、可愛いんだもん。

どうせならクマノミとかからいじめられていてくれればよかったのに。そしたらやめろよ!いじめ反対!とあのウミガメを助け、お礼はいいから、さあさ、竜宮城へ行きましょう、背中乗りますね。ととんとん拍子に事が進んだかもしれないのに。

興奮して体力を消耗してしまったらしく、砂浜で仮眠。ここでもサンドフライの脅威。もう知らない。小一時間後、今一度、ダメ押しでシュノーケリング。人間は欲深い生き物だから、ウミガメにどれだけ感動しても、もしかしたら、もしかするとジュゴンが・・・とまた潜ってしまうのである。

「あなたの落としたのは金の斧ですかそれとも銀の斧ですか?」いいえどちらも落としていませんが、私はジュゴンがみたいので、その金の斧と銀の斧をいただいて、すぐさま売り払いダイビングセットを購入したいと思います。ささ、それらを私に。「あなたは正直者ですが欲の塊です。ジュゴンはいくら高性能なダイビングセットを導入したところで、心の薄汚れたあなたの元へは現れません。」

だったらギバちゃんは心が綺麗だったっていうのかい!?ただ純粋にジュゴンにあいたいと思う心が、薄汚れているっていうのかい!?そんな!これってただの運でしょう!?

一人ぼうっと海に浮かんで海底を凝視し続けていたため思考が不安定な状態に陥ってしまった。その上陽も沈んできて、体も冷えてしまったので、ジュゴンはあきらめ、陸に上がる。無念だが、これが現実だ。いくらドキュメンタリーでも、テレビじゃあるまいしそうそう簡単にうまくはいかない。

夕陽を眺めすっかりジュゴンの事など忘れ空腹で頭が一杯になったので、ジュゴンレストランへ。今日も激ウマ。そういえばこのレストランの壁には、とってもチャーミングなジュゴンが描かれているではないか。僕にはこのチャーミングジュゴンと激ウマターリーさえあれば、万事快調よ。おかわり三杯。

泳ぎ疲れ、たらふくに食った途端眠気。幼稚園児並みにシンプルな体のシステムに多少滅入ってしまったが、シンプルこそ全て。全ての物事はきっと単純なのだ。

そして今日も単純に蚊とサンドフライに襲われながら眠る。善後策はなし。ただ耐えるのみ。

お金が足りない、大人気ない

どんなに辛い状況でも、続けば慣れるものよ、と誰かが言っていたが、その通りかもしれない。昨夜はよく眠れた。蚊もサンドフライももれなく襲ってきはしたのだが、体が慣れてしまったらしい。これでまた一つタフガイへ近づいた。かもしれない。

荷造りをすませ8時にチェックアウト。チェックインもしていないのでアウトしようもないが、気分はチェックアウト。9時前に港へ行き、船を待つ。ヒロシさんはもう何泊かしていくというので、僕一人ポートブレアに戻るのだ。奇跡のようなアンダマンの日々ももうすぐ終わりだ。

パーミットを見せ船に乗り込む。するとその船からモトフミさんが!入れ違いでニールへやってきたようだ。情報提供をし、それではまた、と別れる。

船代は出航してから係員が一人一人徴収しているので、そのうち来るか、と特に気にすることなくヒロシさんにもらった本を読む。一時間弱で到着し、スムーズに下船。もうあの透明な海はここにはない。

あら?そういえば船代、払っていない。これはもしかしてもしかすると、ラ、ラッキー?この間払い戻しされなかった分を哀れに思って、きっとこっちをタダにしてくれたのだ。都合の良い解釈は時に人を幸福にする。

セントラルゲストハウス、というところにタカさんミエさんがもうハヴロックから戻ってきて泊まっているはずなので、道行くインド人に尋ねつつ歩く。途中銀行ATMをみつけ、プラスカードを試してみるも利用不可。

屋台でレモンジュース休憩。げ!なんじゃこりゃ!アフロにハット、スーツにヴェスパのあの刑事の死に際のセリフをまたしてもつい言ってしまうほど、意外なウマさに驚く。しぼりたてのレモン果汁と、氷水、オレンジや黄色のシロップ、それに塩を少々まぜて、シェイク。路上バーテンダー。

さらに歩いてようやくセントラルゲストハウスに辿り着き、チェックイン。するとスタッフに「あんたインド人?」と真顔で聞かれた。日に日に顔の濃さが増していっているのだろうか、僕は。

ドミトリーの自分のベッドに荷物を置き、一休みすることなく再び外出。ATMを探す。ついにプラスカードの表示のあるATMを見つける、も、タイミングよく前の人が使用した後故障した。

あきらめて、帰りの船のチケットを買いに港へ。14時にカウンターが開くとのことなので、しばらく待つ。同じくチケットを買いにきたインド人で徐々に列ができてゆき、並ぶもなかなかカウンターが開かず、14時20分ようやくスタッフが昼休憩から戻ってきて、のっそりと業務を再開しはじめた。

9だというから9番のカウンターに並んでいたのに、実は3番4番だった。イラっ。並び直し待っていると、恒例のインド人おしくらまんじゅう大会。大人しく、文字通り大人のように待てないものか。押し合いへし合いしたって待つ時間は一緒だというのに。イライラっ。

そこに小学生ぐらいの小さな男の子が一人やってきて、おそらく親に頼まれたのだろう、チケット代のお金をにぎりしめて並んでいたので、僕の前へ入れてやろうとすると、そういう時に限って他のインド人が「だめだだめだ!ちゃんと後ろに並べ!」とえらそうに言ってきた。イライライラっ。

そして遂に、物凄い勢いで駆け込んできた男が僕の前にさも当然かのように割り込んできたので、カチコーン。怒り心頭に発してしまい、こらお前何しとんじゃ、皆待ちよんじゃが後ろに並べや、というと「What happened?一体どうしたっていうんだ?What's the problem?」と白々しく聞き返してきた。

お前がプロブレムだばかやろう「Why not?なんでだめなんだ?」こらあきまへん・・・と英語で喋るのをやめ、日本語で罵声を浴びせる。まわりのインド人も、何であのジャパニーズはあんなに怒ってるんだ?と不思議そうな顔でこちらを見ていたが、そのうちの一人が察したらしく、その男に後ろに並ぶよう指示してくれた。

そんなこんなでようやく帰りの船の切符を購入し、帰ろうとすると「落としたよ、イヤホン」とまだ列に並んでいるさっきの男の子が僕の宝物ジャミポッドを聴くのになくてはならない存在のイヤホンを拾ってくれた。優しい少年め。どうせならこの子を割り込ませてやればよかった。

帰りにもう一度銀行へいってみるも、結局プラスカードは使えないことが判明した。じゃあプラスカードのマークをでかでかと看板にのせないでよ。レモンジュースをがぶ飲みして宿に戻り、シャワーを浴びるとようやく落ち着き、仮眠を、とれない。ここにも蚊の襲撃。あきらめて窓から夕陽を眺める。

本を読んでいると、タカさんミエさんが訪ねてきてくれたので、ともに夕食へ。二人がポートブレアに何泊かしていたときに通いつめていたという食堂で、チョウメンとパラタ、そしてコーラを注文。コーラは水より高い。

当たり前だが、贅沢品なのでよっぽど喉が渇いた時にだけ飲んでいいように自分の中でルールを作っていた。今宵は、よっぽど喉が渇いている。よく冷やされた瓶入りのコーラが目の前に。ストローで、大事に大事に、そして凄まじい勢いで、飲む。プシャーーーー!!!CMのオファーが2、3来てもいいぐらいの飲みっぷり、美味い。上手い。

幸せの絶頂に至ったところで、今日あったことなどをしゃべり倒す。インド人について、しゃべり倒す。

宿に帰り、また明日、と各自部屋に戻り就寝。蚊帳を借りられたのでよく眠れそうだ。

ポートブレアを観光客っぽく観光

僕とは違いしっかり各国を「観光」している夫妻に誘われ、今日はポートブレア周辺を巡るツアーへ参加する。港へ向かい、周遊チケットを購入、が。ついに資金が不足している事に気づき、夫妻へ報告すると、「それじゃあ貸しといてあげる」と1000ルピーをどんと貸してくださった。懐の大きさに感謝。このご恩は、A・T・Mでお金がおろせ次第お返しします。

無事チケットを購入でき、遠足気分でおやつをもって、水筒にチャイを満タン入れ、ボートに乗り込む。出航。10分たらずでロス島という島へ到着。するとそこでまたチケットを買えと言われ、何故だ、もうすでに周遊チケットは購入済みだ、というと「それはボート代だけだろ。入島代は20ルピーは別だ。」

それでは何故今まさにそこのインド人達は次々にチケットを買わずして入っているのだ。「あいつらは無視してるんだ。」じゃあ私達も払えません。全員平等に払わせるべきです。では。と立ち入ろうとするととめられた。

「それにカメラを持っているならカメラ持ち込み代で別途20ルピー必要だ。」何ですと!?なら写真は撮りませんので、預かっていて下さい。「それはできない。20ルピー払って中へ入れ。」分かりました、ともかく写真は撮らないので払わなくてもいいですね。「why not?何でだよ払え!」何でや!おかしいやろ!

と最近めっきり多くなったインド人との、「そもそも争点がおかしいケンカ」が始まった。最終的に「ネパールの国王だってなー!なんとかなんだぞ!」と脈絡のない話を始めたので、やってられない、とあきらめて40ルピー支払い中へ。腑に落ちない。そしてインド人はやたらワイノット?と言いながらこちらを苛立たせる。ワイノーッ?

ぐるりと島を一通り見回すも、やはり歴史的資料に興味を抱かない僕には、20ルピーを惜しませるものだった。

気をとりなおし水筒のチャイを皆で回し飲みして、ミエさんが密かに持参したパパイヤにしゃぶりつき、次はヴァイパー島という島へ。到着。

ゴミが多く、遺産も風情も何もあったものじゃない。なんでこういうところでポイ捨てできるかなあインド人は。小高い丘の上の絞首台も味気なかった。さっさとボートに戻り、次はノースベイというポイントへ。

到着。小さなグラスボートとよばれる、足元がガラスになっていて海が見えるボートに乗り換え、浜へ。ちょっとした自由時間らしく、野放しにされたので、パンとチャイで昼食をとり、木陰で休憩。するとインド人客達は、何故か救命用の浮き輪で海遊びを始めた。えー

上空からヘリでみつけたら溺れている集団にみえたことだろう。そんなこんなであっという間に陽は沈み、すぐさま訪れた闇の中ポートブレアへ舞い戻る。

マーケットでタカさんのTシャツ探しに奔走。一度ニール島でみたデザインのアレが欲しいらしいのだが、全くない。一点物だったのかしら。結局見つけられず、食堂でターリーとドーサ。急激なドカ食いのせいか、胃がびっくりしてきりきりと痛んだ。

レモンジュースを飲んだらそれもすっかり良くなり、ますます自分の体は単純構造であることを知る。疲れたのでリキシャで宿まで帰り、21時には就寝。いよいよ明日はインド本島へ帰る。

アナコンダさようなら

肌寒さに目が覚め、7時、荷作りをすませ、外へ出ると、ハヴロックで出会ったギバちゃんに再会した。何も言わずにニール島に行ってしまったので、会えてよかった。朝飯をともに食らおうと、歩く。近くの食堂でパラタとチャイ。他より少し高いうえに大して美味くなかったので無念。

食べ終え、夫妻に教えてもらった「めっちゃうまい焼きたてパン屋さん」へ足を運んでみる。ジャナタジャナタ・・・あそこだ、ジャナタベーカリー。すみません、パンください。「日曜は休みダヨ」

もうこういう逆サプライズというか、がっかり系のハプニングには慣れっこなので、すんなり諦めて宿に戻る。嗚呼、焼きたてほくほくのパン・・・船旅のお供にふんわりもちもちのパン・・・

夫妻とギバちゃんとしゃべっているとオランダ人のオッチャンビョープとも再会。ビョープはニール、ハヴロックのみならずあまり誰も行っていない北部の島々にも足を伸ばしたらしい。まだみぬ楽園が。いつか行かねば。

そうこうしているとギバちゃん出発の時刻に。ギバちゃんはインドのチェンナイという、まさに僕達がこれから向かおうとしている町で交換留学生として学んでいる大学生で、あまり時間に余裕がないため飛行機でヒュンと帰るのだ。チケット代は三倍近いが、時間は二十分の一以下に短縮できる。

またチェンナイかどっかでな!と手をふり、我々もシメの作業に入る。マーケットに行き水筒にレモンジュースを詰め込んでもらう。タピオカのようなプチプチした、一見すると微生物のようなトッピングもつけてくれた。それから今一度Tシャツを探す。が結局お目当てのブツはみつからず、少し妥協して別のデザインのものを購入。宿に戻り、荷物を担いでリキシャで港へ。

14時半すぎ、門が開けられ、見覚えのある待合室で待機。そしてまたもや「体調はすぐれないことないですか?」ええ、いたって良好です。という数秒の質疑応答、その名もメディカルチェックを受け、受診済みスタンプをもらい、イミグレーションで、インドからインドに帰るだけなのにやはりパスポートにスタンプを押され、一ヶ月有効だったパーミットを返却し、荷物検査もしていざ乗船。

行きよりも随分客が少なく、空席だらけだったが、一応座席が決められていたので、そこへ向かう。すると数え切れぬばかりの小さなゴキブリのような連中がたむろしていたので、速やかに上の階へと移動。シャワーを浴び、ついでに洗濯もすませ、スッキリ。ベッドに寝転がり日記を書く。

17時、船内散歩。今回も食券を手に入れるべくレストランへ行くと「お前は何クラスだ?」と案の定きかれたので、バンクの平民ですが、と答える。「ここはファーストクラス用のレストランだ。買えやしないよ。」そこを頼むよ、前は買えたのですよ。

「うーむ。それじゃあ、毎回食事にくる度にチケットを買いな。そしたらオッケーだ。」それと食券をまとめて買うことの違いや必要性がいまいちわからなかったが、まあ、それでも食べられるなら、そうします。と去ってゆく。

僕達の他にも4人ぐらいイスラエル人がいたので、外国人で一致団結し、ガラガラの部屋を外国人スペースにした。それからいまいちど皆でチケットを買いにいくと「お前ら何クラスだ?」バンクですが。「食券が欲しいのか?」ええ。「じゃあ、三日分で466ルピーだ。」なんだその半端な値段は。そして買えるのか。さっきのあれは一体何だったのだ。これでこそインド人。訳が分からない。

ともあれ無事今回も食券が手に入ったので、早速レストランへ。ターリー。やはり客が少ないのでガラガラだ。なかなかうまい。ナスの御浸しみたいなものがあったので、ぬほほ、と丸呑みしたらどうやらチリの類だったらしく、口内炎上。明日の肛門が恐怖。スパイシーフードは二度辛い。

三人でデジカメをみながら別々に行動していた間の旅について語る。旅話はいつもわくわくする。

ベッドに戻ると謎のインド人が待機していて、謎にベラベラと喋って消えていった。どうやら酔っ払っているようだ。念のため荷物をチェックするが、何も盗られていないようなのでほっと安心し、20時半には就寝。

大富豪、読書、平和で特に何も起こらないベンガル湾の旅

朝食にパンとドーサとミルク、じっとじとのコーンフレークをいただき、デッキへ出て各々読書を楽しむ。ヒロシさんにもらってずっと読んでいる、「アルジャーノンに花束を」という本を一気に読破。最後にどばっと泣いてしまった。

泣き疲れ昼寝。そして大富豪大会。かっぱえびせんよりもやめられないとまらない。ついつい徹マンしてしまう和田アキ子並みにとまらない。革命に次ぐ革命で戦場は修羅場と化す。もう行きに充分楽しんでしまったので、外の青い海もそっちのけで大富豪に夢中になる。

気がつけば陽は沈み、夜になっていた。夕食のターリーもチキンが激辛でまたもや炎上。食事を終えるなりすぐさま大富豪。もはや中毒。

読む本が再びなくなってしまったので、夫妻に借りた「世界の宗教と戦争」という本を読み始める。仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教など各宗教や戦争について分かりやすく説明してくれている。これなら勉強嫌いの僕でも割と理解できる。ふむふむ。なるほど!そうだったのか!キリスト教とイスラム教がユダヤ教から派生していたなんて知らなかった。

宗教によって戦争は起こり、そして宗教によって人は心のより所を得て穏やかに生きることができる。宗教って、結局何。ニンゲンって何。

などと考えながら寝ていると、今日も酔っ払いのインド人が侵入してきて、イスラエル人の女の子に絡んでいる。「出てって!ここは外国人だけの部屋なのよ!」「オーケーオーケー。フレンドシップね」「何言ってんの!?大体皆寝てるのにそこに入り込んできてフレンドシップもくそもないでしょう!」

「あはは、フレンドシップだってばあ」「何がフレンドシップじゃボケこら!」とついにカチンと切れてしまった女の子がインド人につかみかかる。

女の子の友達がそれを止めて、落ち着かせ、インド人に静かに「今はもう皆寝ているから、友達なら気を使ってまた明日きてくれ。な?」と諭す。すると大人しく出て行き、一安心。

かと思いきや十分後また現れ、今度はそのインド人の友達二人も連れていた。「こいつ、謝りたいらしいんだ。」と友達が説明。「ごめんよ。さっきは。」と酔っ払い。女の子は「今すぐ出て行ってくれたら許すわ。もう話すことはございませんさよおなら」とドアを閉めてカギをかけた。

一件落着。あまり酒を飲んだくれているインド人をみたことがなかったので、これはこれで面白かった。

お利口になった気がしますぼくわ

翌日も一日読書。朝食、昼食をはさみつつ世界の宗教と戦争を一気に読み終える。あっという間に17時になっていたので、この船最後の夕陽を拝むべくデッキへ。陽をうけて空にいくつも光線が広がっているのが読書を終え少し賢くなった気がする僕の心にぐさっときた。

間もなく闇が訪れ、次は月をニコンの10倍ズームで撮影しようと反対側へ移動。はっ。月がない。そんな馬鹿な・・・神隠し・・・と一瞬あたふたしたら真上にいらっしゃった。灯台下暗し。

うさぎはインドでも餅つきしているらしい。満足してレストランに向かい、夕食。今日はエッグカレー、ライスにチャパティ、ダールとライスミルク。炭水化物たっぷりだ。そして大富豪。食べ終えるなり、誰からともなくトランプの準備をはじめるあたりがまさに中毒者。

今日は僕が富豪っぱなしだ。タカさん弱い。21時40分、いい加減出てってくれよ、とレストランのスタッフに言われるまで止まらなかった。時を忘れるこの面白さ。ベッドに戻り就寝。

浦島太郎現実に返る


7時に起床、朝食をぱぱっと食べ、荷造りをすませついに下船。そこで例のイスラエル人の女の子が「よかったらこれもらってくれない?」とハンモックをくれた。この先使うかどうか分からないが、もらえるものはもらう主義。もらわずにいられない主義。また荷物が増え、移動に苦労するっていうのに。

南インド一番の都市、チェンナイへ上陸。ついに終わった。あの楽園パラダイス(重複)が。本当にあんな場所あったのだろうか、と疑いたくなるほど、今僕は「まさにインド」のような光景を前に立っている。さようなら、アナコンダ。いいえアンダマン。また来ます否が応でも。

アンダマン諸島(2007年12月26日〜2008年1月16日)

南インド日記