無駄に停車し続けるバスのばか

マリを出国して、ブルキナファソ側の入国イミグレーションまで20キロもあった。一体、その間に2つほどあった村に住む人々は、何人なのだろうブリ人?マルキナファソ人?

そんなことよりも、ビザは大丈夫だろうか。イミグレーションに到着すると係官に促されるまま小さなオフィスへ。パスポートを見せる。ボンジュール。サバ?割と愛想をふりまいておこう。

「ボンジュール。サバ〜。ところで、ビザはどこだ?」

やはり聞かれた。当たり前だ。あ、あのその、ここでいただきたいのですが・・・。無理ならいくらかワイロを手渡す覚悟。

「あトランジットビザね。はいはい、んじゃこれに記入して、あと写真一枚と10000セファ。」

無駄に心配していたのが見事に無駄だった。いとも簡単に一週間有効のトランジットビザが取得できたではないか!

ほっとして無事入国手続きを済ませると、再び出発。

5分で停車。おもむろにドライバー達は積荷を全ておろしはじめた。んん?もうウワイグヤなのか?そんなはずはない。しかもこんな何もない場所なわけがない。「荷物検査やで。」そういうことか。

「セボーン(オッケー)。セボーン。セボーン。」とファスナーだけ空けられたバッグを上から覗くだけの、明らかに無意味な、何の危険も防げそうにない軽い荷物検査が執り行われる。じゃあすんな。いっそやめちまえ。

気をとりなおし出発。今度は2分で停車。バスを降りきちんと一列に並ぶ乗客達。前へならえの号令でも出たのか?「パスポートチェックやで。」ああ煩わしい!そんなのチェックするやつが車にきて窓からチャッチャとチェックしたらええやんか!なんて非合理的な方法を・・・しかもきちんと前へならえして並んでいるところが滑稽で余計にイラっとする。

カルシウム、不足シテイマセンカ?

イライラいけないね。心はいつも、穏やかに。今度こそまともに走り始めたバスに揺られて「コロコロ」

コロコロ?コロコロってなんだいそりゃ。揺られてユラユラなら分かるけどコロコロってそりゃちょっと比喩間違えてるんじゃないかな。「コロコロ」

コロコロっ

窓の外から、コロコロと、落ちてくる、茶色い小さなコロコロこれなあに?

「ンメェェェェェ」

ヤギのウンコちゃんでした。屋根の上に縛り付けられた出荷中のヤギが、便意を催し、それに従うままコロコロと、ウンコちゃんを放出していたのでした。

肩から太ももにかけて面白いほど不愉快にコロコロと、ウンコをかぶる窓際の男、ジャミラ。もう糞だり蹴ったりやで・・・

彼らが下痢気味でなかったのがせめてもの救いやで・・・

そんなクソアクシデントに見舞われつつ、17時過ぎにウワイグヤの町へ到着。この町に特に用事はなかったので、そのまま首都ワガドゥグへ向かうバスのチケットを購入。またここでも人が集まるまで待たなければならないので、夕飯を済ませに外を歩く。

スパゲッティ食べたいな・・・と思いながら歩いていると見つけたレストランに、タイミングよくスパゲティがあったのでいただく。渡りに舟とはまさにこれやで・・・と心の中で今朝覚えたことわざを唱えて一人ほくそ笑む。

20時に人が集まり、出発。もう二時間や三時間なら早いじゃんかと思えるほど待つことに慣れつつある。

疲れて眠っていたため、目を覚ますともうそこはワガドゥグだった。23時。これから大荷物を背負って夜の町を徘徊し宿を探すなんて、宿代がもったいないうえにあまり安全な行為ではないので、今夜はこのバス会社の待合いスペースで野宿をしよう。

寝袋に貴重品の入ったリュックと己の体を収納し、頭には布をかぶり、ベンチで眠る。いい夢見れますように。

まだまだまとわりつくビザ問題

「こんな天井の低い所にいるからおかしくなんのよ!」と薬師丸ひろ子に叱られながら逃げ出す夢をみて6時に起床。いい夢、だったのかな。

事前に調べておいた宿へ、道を尋ねつつ向かう。いつものように迷いつつも、親切なじっさまに案内してもらい無事到着。チェックインを済ませるなりすぐさまシャワーへ。砂まみれの体を清める。

足元に流れ落ちる泡が全て茶色。まるでチョコレートホイップだね。

連日移動のため溜まっていた洗濯も済ませ、ようやくスッキリ。がしかしなんだここのトイレは・・・水が流れないどころか、何か得体の知れないモノが蠢いているではないか・・・!ここは中国か?異臭を超えた悪臭に吐き気を催す。助けて・・・

逃げ出すように外出。トイレもそうだが、ビザを取得せねばならないのだ。

コートジボワール大使館へ足を運び、五ヶ国共通ビザが欲しいのですが。と尋ねると、やる気のなさそうな係官に「フィニッシュ。あれもうないわよ。」と言われる。ここでも無理なのか・・・「グンギン行きなさい。パスポートオフィスあるから。」

グンギン?捻挫でもしそうな名前だがそれはどこだ。タクシーで向かうと、昨夜野宿したバス会社のすぐ近くにあった。

中へ入り、申請すると、「んじゃこれに記入してね。25000セファね。明日の16時受け取りね。」

取れた。あっけなく。しかも随分と安い。このビザ一つでコートジボワール、ブルキナファソ、トーゴ、ベナン、ニジェールの五ヶ国をさくさくとまわることができるのだ。バマコのコートジボワール大使館の、コートジボワールビザのみで60000セファプラスホテルの予約票が必要というふざけた条件は何だったのだろう。そして何故国によって同じビザなのに値段が違うのだろう。

アフリカだから。

ネットカフェを探していると、男に声をかけられたのでついでに道を尋ねると、案内してくれた。そして

「2000セファ払え。」と請求してきた。なんだか妙な雰囲気をかもしだしていたが、やはりこういう類の奴だったか。フランス語分かりまぺーんと無視して歩くと「ユースピークイングリッシュ?」と言ってくるのでええ話しますが、と答えると、「ダ、ダラー。モネー。」と唯一知っている単語でもって改めて請求してきた。

なんだブルキナファソ。こういう国なのか。初っ端から印象悪いぞう。何故お前にそのような金を支払わなければならないのか、と英語でまくしたてるとそれ以上はついてこなかったが、気分が悪い。まるでセネガルだ。

案内されたネットカフェでは自分のラップトップが使えなかったので、他の場所を探す。するとまた男に声をかけられたのでついでにネットカフェの場所を聞くと、同じようにお金を請求された。

おいブルキナ!しっかりしろ!

プンスカ怒りながら結局自力でネットカフェを見つけた。

そろそろ落ち着きたい。心穏やかに一日を過ごしたい。そこでふと、ドゴンの村で出会ったスペイン人に教えてもらったワガドゥグの宿のことを思い出す。「新しくてキレイだし、スタッフも優しいし、キッチンも使えるのよ!最高だから是非いってみて。これ電話番号ね。でも宿の名前がわかんないの。」

ネットカフェの少し英語を話せる男に頼んで、代わりに電話をかけてもらう。住所と宿の名前を聞き出してくれないか。「ウイ〜。いいよ。」

「何か、迎えに来てくれるって。」5分ほど待っていると、宿のスタッフが現れ、車で宿まで連れていってくれるという手厚い親切をうけた。

す、素晴らしい・・・。「個室は今ないけど、ドミトリーは一泊3000セファ(約600円)だよ。」スペイン人がゴリ押ししていたのがすぐに納得できた。センスの良い壁のペイントに、清潔なトイレ(もちろん得体の知れない物体なんて蠢いていない)、シャワールーム、道具の一通り揃ったキッチン、清潔な部屋・・・そして冷蔵庫!これで一泊3000は素晴らしいですぞ。

翌日来ることを約束し、今日のところは既にチェックインしている宿へ帰る。

と同じ部屋に、車で旅をしているポルトガル人のおっちゃんと、なななんと、日本人の男性がいた。アフリカに来てからというものの、いや、なんならパリを発ってからというものの、ほとんど日本人と出くわすことがなかったので、心底驚いた。

ほぼ同じようにモロッコから南下してきたというカツヤさんも、同じように全く日本人に出くわすことなくアフリカを旅してきたらしく、お互いに久々の日本語での会話に興奮する。

調理器具や調味料をあれこれと持って旅をしているそうで、チャイを作っていただく。か、感動的なウマさ・・・。しかもマサラチャイ。アフリカンティーの25倍ウマい。

「もうアフリカいいや・・・西アフリカじゃなければどこでもいいから行きたい今すぐにでも。」とカツヤさん。分かる、分かっちゃうその気持ち。そしてインドやアジアがやたらに恋しいこの気持ち・・・さらに和食への恋心・・・ああうどん食べたい。豆腐食べたい。ラーメン食べたい。東南アジアも美味かったよね・・・。

叶わない夢を語り合い、慰め合う。現実は、厳しい。腹が減って外へ食料調達へ向かうも、あるのは数パターンしかないぶっかけ飯と、サンドウィッチなどのみ・・・加えて何故かアフリカは、夜になるとご飯屋を見つけるのが困難。

道端で見つけた「トー」という西アフリカ料理を食べる。水分過多な、ぶじゅぶじゅの肉まんのまんの部分のような食べ物だ。それにソースをつけるのだが、見事なまでに微妙な味だ。不味くはないが、これを好んで食べる人の気が知れない。

無難な落花生を買って帰り、またチャイを作っていただき、まだまだ日本語会話に花を咲かせる。と、スタッフの女の子達が、その日本語が面白いのか、ボクの発する言葉をリピート再生して真似るので、ウンコという単語を連発してみせる。

「ウンコ?ウンコー!ウンコディ?ウンコダ?ウンコマリ?」

年頃の乙女がこれほどに恥ずかしげもなくウンコを連発するなんて。嬉しいのでその活用形「ウンコくさい」も教える。そしてブルキナファソで話されるモーリー語を少し教わったりもする。

「アイシテルゥウンコクサイ〜」

覚えたての日本語を楽しそうに連呼する乙女に幸あれ。

ついに訪れた幸福な環境

翌朝宿を発つ際、スタッフに「どこいくの?」と聞かれたが別の宿に移るとは言えず、次の町へ行くと小さな嘘をついたことに少し後ろめたさを感じつつ、昨日の素晴らしい宿オベルジュバオバブへ向かう。

あのおぞましいトイレは実は誰も使っていなくて、もう一つ割りとまともなトイレがあったので、ここでも問題はなかったのだが、同じ料金ならやはり断然バオバブがいい。 人間の欲はとどまることを知らない。

徒歩5分の距離にあるそこへ移り、一息つくとカツヤさんと共に散歩へ出かけてみる。湖を見つけたというのでそこまで。

市場や駅、線路などを歩き、袋入りの冷凍ジュースを飲みながら、ひたすら歩く。

思ったより遠いのね・・・。そして、この間バマコで購入したサンダル、思っていた以上に酷い質なのね・・・。歩けば歩くほど、足の裏の皮が剥がれ、足全体に疲労が溜まる仕組み。

湖に着いたはいいがただの泥沼で、特に何もなかったので、そのまま来た道を帰る。

宿に帰った頃にはもう足がボロボロで、このままでは今後の旅に大いに支障をきたしそうなので、新たに、ビーチサンダルを購入。ただのビーチサンダルがこれほどまでに歩き心地の良いものだとは、思わなかった。人生まだまだ知らないことだらけ。

それからビザの受け取りに行き、市場で野菜や果物を買って帰り、のんびりとおしゃべりをしながらチャイを飲んだりする。

夜は久々に自炊。キッチンと冷蔵庫の両方使える宿なんて、アフリカに来て初めてではなかろうか。ああ素晴らしい。そして日本人の作る飯のうまいこと。

醤油のうまいこと。

幸せです。食後にはグァバやスイカをデザートに頬張り、ボクのラップトップで映画鑑賞をする。ああ、ここは本当にアフリカなのだろうか。

心身共にようやく癒され、落ち着きを取り戻すことができる環境を得た我々は、一日中のんびりと過ごし、飯を炊き、日本語で会話をし、映画をみるという贅沢な休息期間をしばらく設けることにした。

ブルキナに何しにきたのと聞かれると


そのように数日間、特に目立った動きをみせず休息を設け続けたあと、ようやく重い腰を上げ移動と相成った我々極東人。

ブルキナファソ第二、もしくは第三の都市ボボデュラッソへ。一泊分の宿代を節約すべく夜発のバスに乗り込むと、深夜1時に到着。迷うことなくそのままバス停に居残り寝袋を広げ、就寝。バス停で野宿がもはや苦でない。むしろ室内より涼しくてEE JUMPなんて思ってしまう。

夜明けとともに目覚め、目ぼしい宿へと歩いて向かう。タクシーなんて贅沢品使えない使わない。

途中みつけたローカルなカフェで、休憩がてら朝食をとる。オムレツサンドと練乳たっぷりのコーヒーのセットがしめて300セファ(約60円)。言い忘れていたが、ここブルキナファソは、他の西アフリカ諸国よりもこのローカルカフェの居心地が良いのだ。

カウンター席のようなものが設けてあって、ちゃんと一息つける仕組み。だいたいの店がなぜか水色にペイントされているが、それは彼らの好みだろう。風水的に客寄せ効果でもあるのだろう。か。

町から幾分離れたカサアフリカという宿に辿り着き、チェックインをすませるとすぐさま外出。バス会社へ。またもバス。

明日の午後発のバマコ行きチケットを購入。ん?バマコ?聞き覚えのある町だがはて・・・。

マリじゃん。もう済んだ町じゃん。何故また戻るのだ私は。

実は、実を言うと、実を言わなくとも、日本からはるばる、友達がマリ観光へやってくるのだ。それに合流するために、今一度マリのビザを20000セファ(約4000円)も出して取得し、明日今一度勝手知ったる町バマコへと舞い戻るのです。それもまた旅路。

本日の任務「チケット購入」を終了したため、パパイヤやトマトを買って速やかに宿へ帰る。こんな暑い日中に用もないのに出歩くなんて、気力体力労力の無駄遣いも甚だしいじゃないか。

結局夜まで日本のテレビドラマ鑑賞に耽り、屋台で飯を食ってさっさと寝た。ボボの町、何か見所あったのかしら。

何しにきたのか聞かれると、困ります

のんびりと午前中過ごし、宿をチェックアウトしバス会社まで45分かけて歩く。タクシーはやっぱり使えない主義。カツさんはボボの町から少しの距離にある別の町へ向かうらしいのでここで一旦お別れ。また近いうちどこかで会いそうな予感。

15時発のバスは、遅れることなく15時5分に出発した。ほぼ定刻通りに出発するとそれだけで嬉しくなれちゃうのがアフリカの旅。

少し口をあんぐり上向けて眠ったら、ジャミポッドを聴きながら風を受ける。心地良い。17時半頃国境に到着。荷物チェックやパスポートチェックを済ませ、出国のスタンプを押してもらう。

一週間有効のトランジットビザは実は一昨日で切れていたのだが、予想通り何の問題もなく通過できました。これを融通が利くというのならアフリカの公共機関は日本より良いのかもしれない。

というわけで再びマリ日記へ・・・


ブルキナファソ(2009年11月3日〜12日)