ガンビアのクソ。

セネガル出国をすませ、歩いてすぐのガンビア入国側のイミグレーションオフィスへ。もう夜も遅く、早くバーラに向かってバンジュール行きの船に乗らないといけないのに、「ちょっとこっちに。」と中へ連れていかれ、あれこれ質問される。

そしていかにも人の悪そうなその事務官に「時にキミ、日本人はこの、クリアランスっていう用紙が必要なのを知ってるか?」ビザならとりましたけど。「ビザじゃないんだクリアランスだよ。これがないと、あとあと問題になるんだよねえ誰でもない私が。」はあ、そりゃあ知りませんでした。そしてギリシャ人は必要ないという。ビザさえも必要ないという。何か変だ。

「で、このクリアランス、今日金曜だろ?明日土日だから、キミはダカールまで戻って、月曜にならないともらえないわけだよ。」はあ?そもそもクリアランスって何だちきしょー。「どうする?」どうするって、どうにかならないもんかねえ。スタンプ押してくれません?「無理だろう。何かキミにできることはないのか?」

ここに来るまでのタクシーで一緒だったサンコンという男が「早くしないと船が!つまりその、あれだよ」つまり、ワイロです。

ワイロをとっとと渡してスタンプ押してもらいなさいと、遠まわしに言っているのだ。するとアゲロスが。「分かりました事務官。私はミュージシャンなので、歌を歌ってさしあげましょう。」と歌い始めた。

微妙な空気が流れる。もう一人の若い事務官は、笑う。ボス事務官は、真顔。「もう一曲いっときます?」とアゲロスが言うと少し笑って「はは、じゃあどうぞ。」と。

「船が!船逃したら大変だよ」とサンコン。あーもうちきしょーばーろ払えばいいんだろ!ポケットにあったいくらかのセファを取り出す。7000セファあった。それをみたボス事務官、目の色を変えて「10000だ!」と言ってきた。お金を出してから10000だ!と言うまでの間の短さに、引いた。

なんだこいつは・・・金の亡者だ。腐ってはる。

すると「ダメ!そんなにあげる必要ない!1000で充分だろう!」そやけど金わたさなこいつスタンプ押さんやろ!「スタンプなんか要らないだろ!戻ればいいじゃないか!」と冗談だか本気だか分からないことを言うアゲロス。結局5000セファ(約1000円!)を握らせスタンプをもらう。

なぜだかサンキューとお礼を言って去っていった自分。あほかわしは。

急いでサンコンと、その友達と四人でタクシーに乗り込みバーラに向かう。そこで「あの、その、オレ達の分も出してくれない?」とやや遠回しにタクシー代おごれと言ってきた。「おいおい、ちょっとぐらい休ませてくれよ今さっきあの事務官ともめたばっかりなのに。分かった、あとで船代出すから」

そして出発。こういった局面からのアゲロスは頼もしいというか、素晴らしいのだ。うまい具合に友達になってみせるのだ。巧みな話術と笑顔で。

23時過ぎ、バーラに到着して猛ダッシュ。チケットを買って今にも出港しそうな船まで走る。「ちょっと荷物もったる!」とサンコン。ありがとう。

ま、間に合った・・・。

甲板の椅子に横たわり、休むと、間もなく出航。はあ・・・なんとややこしいルートなんだろう。今さっきおこったくそ事務官とのやり取りを思い出してまた腹立たしくなるが、夜風の心地よさと、ようやくバンジュールにたどり着ける安堵感とで、すぐに忘れた。そして今夜は満月。

全て洗われた気に。

ならない。

でも綺麗な月だまんまると。

50分程で到着。港でパスポートチェックを受け、サンコンにすぐそばの安宿まで連れていってもらい、チェックイン。電話番号を教えてもらい、また数日後に会おうと約束して別れる。

とにかくべっとべとに汚れて疲れきった体を清めようとシャワーへ。

長かった。朝のサンドウィッチから何も食べてなかったので、宿の皆が食べていたご飯の残りを分けてもらう。パスタとチキン。うまいじゃん冷めてもうまいじゃーん。

とてもフレンドリーな人々としばらくおしゃべりして、さっき国境で起こったことを説明すると、「何それ何のため!?何のための5000セファ!?くそばかだねそいつ!」と自分のことのように怒ってくれたのが嬉しかった。

さあ、寝よう。

ついに、本当にようやく、リラックスできる場所へ

翌朝どっぷり汗をかいて目を覚まし、両替に行き50ユーロを1850ダラシに。ダラシって何だ。荷造りをして、港町を少し歩く。ミカンを500グラムと、焼きもろこしを一本かって朝ごはんにする。

宿の皆に礼を言って、バカウという海沿いの町までの行き方を教えてもらい、バス停まで向かう。

スーパーで水と、ココナッツクッキーと、謎のアップルチーズスナックを買う。アゲロスはバナナチーズ。他にマンゴーチーズもあるよ。豊富なラインナップって一体これ誰が作ったの。

マレーシアだ。食べてみる。う、うま・・・・アップルのちチーズな風味うま・・・

ミニバスに乗ってバカウへムカウ。近!30分もしないうちに到着した。

忘れていた。ここが超ちっちゃい国ガンビアであったことを。

なんだかツーリスティックなにおいのする町。マーケットやゲストハウス、スーパーにインターネットカフェ。何でもそろってるじゃないか。

二軒ほど宿をみて、エジプト人オーナーのおっさんアリが人のよさそうな感じだったので、バカウゲストハウスというところに泊まる。

料金も二人で400ダラシ(約1300円)と割と安めで、部屋も広く冷蔵庫、扇風機も完備、湿気が多くてくさいのがアレだが、西アフリカ始まって以来初ではなかろうか。料金に品質が伴っている部屋に泊まるのは。

大満足で早速たまっていた汚れ物を洗濯し、たまっていた疲れをほぐすべく昼寝。アゲロスは一人町を散策。

結局陽が沈むまで寝続け、19時すぎに帰ってきたアゲロスと、このバカウゲストハウスのレストランで夕食をとることに。

素晴らしい。豊富なメニュー。サンドウィッチ以外のものをメインディッシュにする喜び。宿は全体的に古ぼけていて、インテリアも、エジプト人オーナーのおっちゃんアリがいろいろ集めてきてはめちゃくちゃに並べてややしんどい感じがするが、そんなこと気にならない今更。

だって、まともな食事ができるんだもん。

アゲロスはシーフードとライスのセットを、ボクはトマトスープとエビチャーハンを注文。果たしてガンビアクオリティ、どうなんでしょう。値段はそれぞれ250ダラシ(約850円!)とこちらにしては少々張るが、この際贅沢しちまいましょう。

トマトスープがまずやってきた。一口。

うんま!!!!!!ガーリックトーストがぶちこんであってうんま!例えインスタントだったとしても構わない。うまいこれ!

シエラレオネ人のウェイトレスにいかにうまいか伝える。

そしてアゲロスのシーフードとボクのエビチャーハン。きゃー可愛く盛り付けされてるーツーリスティックー!

あーーーーーーー。

美味しい食べ物って、一番簡単に幸せを感じられる手段なんですよね。

と料理研究家のおばさまのようにアゲロスに説明する。だってうまいんだもんエビチャーハン!

ここのところイライラして、疲れきっていたのもきっときちんと美味いものを食べてなかったからなんだよ。ああ生きててよかった俺って幸せ。

久々に満腹感を覚え、ウェイトレス達とおしゃべりして一足先に部屋に帰ると、あれだけ昼寝したのにぽっくりと朝まで寝入ってしまった。

妙な祭りに首を突っ込む

翌日は午後16時頃まで熱心にパソコンと向きあい、バカウの町を散策、アミスビーチという、まさにビーチに足を運んでみる。

15分程で到着。が、特に大したビーチではない。地元のキッズが水遊びをしていたり、若者達がサッカーをしていたり、まあほのぼのとはしているが、特に見所は、ない。水もそんなに綺麗ではない。

それでも、こんな場所でも外国人向けのプチリゾートホテルのようなものはあり、白人のファミリーが休暇を楽しんでいたりする。何故君たちはリゾート休暇にガンビアを選んだのだ。

海に沈む夕陽を見たかったのに、アミスビーチは北方向に位置していたため、気がつけば太陽は丁度左斜め後ろあたりにちゃっかり沈んでいった。

アミスビーチもういいや。と宿に帰る。

途中、雰囲気の良い路地を見つけ、村の集落へ入り込む。こんな狭い道にやたら車が行き来して、やたら大勢の人間がどかどかと歩いている。週末だから?るんるんなの?

群れをみつけると混ざらずにいられないヌーの心境で、その人間の流れる方向に向かってみる。

するとどこからともなく音楽がきこえてきた。なんだろう。

モスクを発見。礼拝の時間か?やや、この音楽はムスリムのお祈りの類のものではない。もっとアップビートだ。

モスクを越えてさらに奥へ。

さらに大量の人間を発見。なにやらお祭り騒ぎじゃないか。しかもラップトップを従えたイマフウなDJまでいる。

ク、クラブ?村に?パ、パーリー?

DJに尋ねてみる。何事ですかこれは。「ウェディングだよ」

ほほう!結婚パーリーだったのか。それはめでたい。なるほどやけにドレスアップした色鮮やかな女性達が目につくわけだ。勝手に中に入り、写真を撮っていると、いつものごとくキッズがたかってきた。

「ねーねーボクも撮ってー!」「わたぴもー!」「お前邪魔すんなオレやぞー!」

リクエストにおこたえして次から次にWARABE達を撮影。今度は「ボクにカメラ使わしてー!」「あんさん撮ってあげるからそれ貸してー!」と違った要望が。

キッズにカメラを貸すと知らないうちにデータを消されていたり、レンズ触ってべちゃべちゃにされたりするので、うーん大丈夫だよー君達沢山撮ってあげるからねー、と国営放送のおにいさん口調で返す。

はっ!忘れていた!音楽を求めてきたんだったオレは!

テントの下で太鼓、サックスにパーカッションが鳴り響き、それに合わせて女性達が歌って踊る。胸がばっくりばくばくする。これこれこのビートアフリカン!

日本の祭りの、盆踊りのようなのろのろしたものではぬわい。血沸き肉踊るような激しいビートに合わせて激しく体を動かし、独特なリズムの取り方で手を叩く。

かっくいい・・・

みんな楽しそうだ。すると、割と良い子そうなヤヤという男の子が、「あの中入って写真撮ってきてあげる。」というのでカメラを渡す。

子供がカメラマンなので皆嫌がることなく笑ってくれているようだ。が、あまりの熱気と人の多さで、ヤヤの姿を見失ってしまった。

もしや・・・・!カメラ持ってかれちゃった?

ああ・・・・と若干焦ってしまったが、心配ご無用だった。数分後沢山の写真を撮ってヤヤは戻ってきた。ありがとう。むっちゃいいやんこれー!「ちょっと待って今度妹連れてくる」

といってちっちゃなちっちゃな、1歳にも満たない女の子を連れてきてくれた。「ジャミ抱っこして。」と言うので抱っこさせてもらい、一緒に写真を撮る。お母さんもやってきた。めさくさ可愛い娘っこだね!「んふ。ありがと。」

その後もアフリカンなビートと踊りは続き、ヤヤ達と大量の写真を撮る。

すると今度はDJタイム。「へいへいへーいおまいらやってるかー!今日は盛り上がっていこほぜへーい!」らしきことを叫びながら皆をあおるDJ。さっきの生演奏とはまた違った、アフリカンポップスが流れ始めた。

引きも切らないキッズを撮影し続けていると、サリーという女の子が話しかけてきたので、そういえば新郎新婦はどこにいるんだ?と尋ねる。「今ハネムーンでアメリカよ。」

へ!?

新郎新婦なしでこんなに盛り上がっちゃってるの!?この人達は。ええ!!??「こっちじゃ珍しくないわよ。新郎新婦いなくても、彼らを思って祝うの。」はっはあーそれは全くもって日本にはない発想。

もし結婚式及び披露宴、二次会を新郎新婦なしでやっちゃったりしたら・・・ちょっとこの団体あぶないんじゃないの君達一体何を祝ってるの・・・と思われるに違いないちげえねえ。

それから、音楽についてもきいてみる。これガンビアンミュージックなの?「ううん、セネガルよ。さっきの生演奏もセネガルの音楽。セネガルは大きいからね。ガンビア、ちっちゃいからね。てか囲まれちゃってるからね。」そ、それもそうだね。

「ねーねー、マイケルジャクソン好き?」う?うん好きだよ!悲しかったね彼がいなくなったのは。「うん、あたしWe Are The Worldが好きなんだ。」アフリカの西の、セネガルに囲まれたこんな小さな国にまで、彼の音楽は染み渡っていたのだ。改めて怪物マイケルジャクソンの巨大さを知る。

そんなことを話している最中も、「ハロー!」「ねーねー!」「おーいこっち!」と四方八方からちっちゃい手が伸びてきてボクの体を掴んできては、写真を撮ってとせがんでくる。スリラーだ。

宴もたけなわとなった頃、ボクのカメラのメモリーも一杯になり、んじゃまたね、と結婚パーティをあとにする。

ローカルの、しかもアフリカンの結婚パーティ模様なんてなかなか見られる機会がないだろうに、ラッキーだった。

撮った写真を見返すと、その夜だけで250枚。キッズ恐ろしい。

しかし、こんな、こーんなちっちゃい3歳ぐらいのキッズでも、素晴らしいリズム感を持ってして素敵に腰をふりふりダンスできるあたり、ますます恐ろしいアフリカン。日本人にあのリズム感は、なかろう。残念ながら。盆踊りが染み付いているんだろう。

情熱って一体なに

のんびりと午前中を過ごし、近くの食堂でベネティと呼ばれるアフリカ版ぶっかけ飯を食べる。味付けご飯に煮込んだ魚や野菜がこれでもかと、これでもですかとぶっかけられていてたったの20ダラシ(約70円)。 唐突に辛いチリや得体の知れない苦い物体が現れたりするというアトラクション付きで二度美味しい。ですか。

おっちゃんこれ美味いね!と隣に座っていた老人に声をかけると「二種類あんのよこの店。わしのはもっと辛いんじゃ。あーから。」としわくちゃな笑顔で答えた彼の額には大粒の汗がだくだくだった。

インドもタイもそうだが、何故暑い国の人々は、暑いのに辛い物を食べて「あへーかっらー!」と汗をかき、暑いのに熱い物を飲んで「今日も暑いね」と過ごすのだろう。科学的に何か根拠でもあるのだろうか。誰か知ってたら説明して下さい。それともただ・・・全体的にMなの?

どこかに行っていたアゲロスが帰ってきて、ちょっと一緒に出かけようと言うのでついてゆく。するとミニバスの中で突然

「ジャミー、ものっそ巨大なお願いがあるんやけど・・・」と話しかけてきた。何なにどしたん急にあらたまって。「わしら明日ガンビア発つって言うてたやん?それ、あと二、三日延ばすことできんやろうか?わし、まだまだジャミと旅続けたいんよ!でもな!もうあと二、三日ここに滞在したいんよ!」

聞くと、アフリカの民族楽器コーランを演奏する有名なアーティスト一家と知り合ったらしく、ミュージシャンである彼はかねてからの夢だった、伝統的な音楽とのコラボレーションをはかるべく依頼したらば、見事アポがとれちゃったらしく、明日からスタジオを借りてレコーディングをすることができる羽目になったというのだ。

特に断る理由も、急いでガンビアを出なければならない理由もなかったので、いいよ。もうしばらくガンビアに居ることが決定した。

しかしアゲロスの積極的な旅の仕方には本当に感心する。嫉妬さえ覚える。そこまで彼をかきたてる原動力は一体何なのだろう。

あれか。

パ、

パッションか。

そういえば、この僕の四半世紀近い人生を振り返ってみても、パッションと呼べるような、熱く燃えたぎるほどに夢中になった事柄って、あまりないような気がする。

小学校の時、ちょうどエアマックス全盛期の時はナイキにハマり、卒業文集にも将来は靴屋さんか法術家(後者は流し読みして下さい。キョンシーオタクにしか分からないので)になりたいと書いたがブームとともにすぐに冷め、 高校の時にはバイクに憧れ色々なバイク雑誌を読み漁って免許までとったものの結局お金がなくてスカッシュというアンティークというにはおこがましいような年代物のスクーターしか買えず、挙句二週間でぶち壊れ、バイクへの熱もぶち壊れた。

音楽は人生を通してずっと好きで、大好きなアーティストのライブに行くためなら地元から船に乗って大阪にまで行ったり、有給をとったりしたものの、かといってその音楽好きが高じて自分で何か楽器をやるわけでもなく、曲を作って歌うでもなく、ただただ聞いて踊る一方だ。

凡人なのだ。

だから、「なあジャミ!わしら二人で何か作ろうぜ!クリエイティブなことしよう!ジャミが台本書いて映画撮ってもいいし、なんか、なんか残せるもん作ろう!」と最近やたら誘ってくれるアゲロスの姿をみても、一体何ができるのだ、それにちょっとめんどくさい・・・と思ってしまう自分にほとほと呆れてしまうのだ。

絶対にやってみるべきなのに、そうと分かっているのに曖昧な返事でお茶を濁してフェードアウト。きっと、熱中できるような細胞が備わっていないのだ。

権力社会と御祭騒ぎ

と自分のいけないところを細胞のせいにしたところで、件のアーティスト一家の家に到着した。

レコーディングに、もう何人かアーティストを呼ぶことができないかと商談相談にきたらしい。僕は中庭でくつろいでいる大家族の奥様方に紛れ、おしゃべりをする。

3歳ぐらいの娘っ子がやってきたので、ヒザ小僧をこちょこちょしてやると見事に笑った。すると流れたての鼻水をべっちょりとプレゼントされた。ジュ、ジュリジュフ・・・(オロフ語でありがとう)。

みかんをもらって頬張っていると、商談が終わったらしく、またねーとその大家族をあとにする。きくと、47人ぐらいいてその全員がミュージシャンなのだそうだ。ジャクソン一家みたい。

「何か、微妙だった。彼らはプロ意識高いから、他のアーティストとはあまりやりたくないみたい。ところで、これからセルクンダってところで、ミリタリーのバンドとかコーラン奏者がコンサートやるんだって、観に行く?」行く行く。

でも、約束は?さっき行きのミニバスで出会った婦警さんと、急激に親しくなって、このあと一緒にグンジュールって所に遊びに行こうって言って、アドレスと電話番号まで聞いてたじゃないか。しかも団扇がわりに借りたDVDそのまま持ってきちゃってるよ。

「大丈夫大丈夫。」大丈夫って。オレ人の物盗みたくないし、約束もやぶりたくないんやけど。せめて電話したら?「携帯持ってないのに。大丈夫。」

文化の違いなのだろうか。欧米人、いや、非日本人で今まで出会ってきた連中は、得てして時間にルーズで、というか大らかで、それじゃあ19時に、と約束したところでぴったりに来るはずはないし、むしろ結局来なかったりもするので慣れてはいるのだけれど、やっぱり約束を守らない人間は、嫌だ。

何も知らされないままもどかしく待ち続ける側の苛立ちや面倒くささを知っているから。

が、電話番号やアドレスを聞いたのも、親しくなったのもアゲロスなので、結局何も連絡しないまま、セルクンダへ到着。向こうもアフリカ人なので、大して気にしていなさそうだが。そうだといいと願いつつ。

もう夜になって暗い町の中、そこいらへんにいた人に「セレモニーがあるってきいてきたんだけど」と尋ねると、すぐ近くでやっている会場へ案内してくれた。

詳しく聞くと、このセレモニー、ミリタリーの役人さんの赤ちゃんの命名式なのだそうだ。赤子の命名のためにこんな大規模にやってのけるなんて。権力のみなせる業だ。

アーティスト一家のうちの一人がこのミリタリーのバンドメンバーだというので、早速会いに行き、あれこれとしゃべる。

間もなくライブが始まった。コーラン奏者が歌いながら演奏し、太鼓やドラム、ベース、ギターがそれに合わせる。コーランというのは、何といおうか、琵琶のような形をした弦楽器をハープのように両手で縦にぽろりんと弾くもので、音色はやわらかで、曲も割りとゆっくりだ。なのに指はわっさわさと動いて、素早い。なかなかどうして容易でなさそうだ。

そして一曲終わるごとに、ドレスアップした婦人達がテントの向こうから大名行列のように現れて、空の洗濯バケツの中に5ダラシ、10ダラシ札をぽいぽいと投げ入れては消えてゆく。

そういうあれなのか。どういうあれだ。赤子にお年玉?

次はミリタリーのバンドによる演奏と、歌。さっきのコーランよりもアップビート。婦人方もヒートアップしてきて徐々に踊り始める。例によって情熱的な、獣的なアフリカン踊り。

そのうち揃いの衣装に身を包んだ少年二人が登場し、中央で踊り始めた。これが、凄いのだ。アフリカの血を持つ人間のみできそうな動きが次から次へと繰り出され、腰を振り、会場をあおる。日本のキッズダンサーとは何かが、何もかもが違う。レッスンで培ったものとは別次元だ。上手なダンサーなら日本人でも沢山いるだろうが、彼らのは、もっと根っこが特殊なのだ。と思う。ダンスに関する知識もないくせに熱く語ってしまった。

子供達は、前方でビデオを撮影していたアゲロスに近づいていく。するとアゲロス、突如子供達と共に舞い始めた。およそ50のおっさんとは思えないほど激しい勢いで。

どっ!!!

と会場が沸く。皆楽しくて大笑い。さすがアゲロス。最後にはでんぐり返りまで披露して砂まみれに。

ミリタリーバンド、キッズの次は、若者ミュージシャン達による太鼓集団バンド。ジャンベが三人もいて、さらにドラム、肩にのせる小さな鼓のようなものまであって、それにギターがラインをひく。

熱狂。アドレナリンの類がどぼどぼと溢れ出してもうとまらない婦人方は、交代に中央に踊り出て、リズムに合わせて激しく舞う。

おばちゃんだって激しいんだから。

そして一人の若い女性が椅子に座り、リズムにあわせてエロティックに腰を振り始めると、男どもが一気に押し寄せてきた。た、単純・・・!逃すまいと必死でムービーを撮るボクも、単純。

23時を過ぎても尚続く宴。いい加減疲れてしまったので椅子に座って休んでいると、さっきの少年ダンサー達がかけよってきたので、写真を撮ってやるとごく普通に喜んだ。踊っているときとはまるで別人、普通の子供じゃないか。少しおしゃべりをしてみると、セネガル人らしく、ボクのカメラに残っていたパリの写真をみると「今度ボクも連れてって」とおねだりしてきたので、今度の今度の今度な!と言っておいた。

帰り際には抱きついてきて、「遊びにきてね。」と電話番号を教えてくれた。ありがとう。でも、きっと、もう会わないんだろうな・・・。

旅って、出会いって、何なんでしょう。

ともかく疲れたので泥のように眠る。泥のように。泥。



んん

んんん?

あらら?

結局赤子も赤子の名前も明らかにされないままだったことはこの際触れないでおきましょう。要は踊れりゃいいんだ。ね、結婚パーティに新郎新婦いなくてもオッケーな国だもんね。

大旅行中の小旅行

かくして念願のコラボレーションをすることになったアゲロスが、今日から数日間スタジオを借りてレコーディングに励むことになったので、不意に時間を持て余したボクは、ちょっと東へ赴いてみようと、小さなリュックサックだけ背負ってバカウのホテルを出た。

なにやら「ワッス」と呼ばれる村があるらしい。行ってみようじゃないかオッス。

宿のオーナーアリに、一泊だけワッスに行ってきます、と告げると「何でまたワッス?なして?ねえなして?」と聞かれた。特に理由はないのだけれど・・・「そんじゃあジョージタウンにしな!ワッスはただのさびれた村だぞ!宿なんてないし。ジョージタウンのほうがもっとちゃんと揃ってるから。」

なにやら「ジョージタウン」と呼ばれる島があるらしい。行ってみようじゃないかジョージ。

バスでバンジュールまで出て、そこからバーラ行きの船に乗る。セネガルから入ってきたときに乗ったのと同じ船だ。

船で隣にいた青年モハメッドに、ジョージタウン行きのバスについて尋ねると、「値段とか分からないけど、あとでバスターミナルついたらきいてあげる。」と言ってくれ、一時間後船が着くと一緒に降りた。

無駄に入念な荷物及びボディチェックを受け(靴下まで調べて君達は一体何を摘発しようとしてるの)、バスターミナルへ。モハメッドがきいてくれたバスにさっくりと乗り込む。「175ダラシだって。」

ドライバーに値段を確認し、さらに他の乗客にも値段を確認する。しつこいようだが、これが結構重要だったりするのだ。

モハメッドに礼を言うと間もなくバスは出発。満員になるまで何時間も待たされずにすんだ。売り子からかった、ビニール袋に入った謎の凍った黄色いヤツ、を飲む。凍らしたヨーグルト味のチュウチュウ(ポッキンアイスと呼ぶ輩もいるが私は断然チュウチュウ。)のようだ。うまい。

隣り合わせた、あだ名をガウチャーというこれまた青年としゃべる。なんでガウチャー。「好きなサッカー選手の名前なんだ。」ほほう。生憎スポーツには詳しくないので分かりませんが、ガウチャー。名前というより何かの職業のような響き。ガウチャーやってます。

ジャミポッドを聞きながら流れる風景を眺めてうーんいい気分だったのは確かなのだが、走り出して2、3時間が経過した今、ボクは憤然と問いただしたい気分だ。あなたたち!それ必要ですか?と。

その、無駄なポリスチェック。

5キロごとに「ストップ!ポリスチェック!」とかかれた看板が路上に掲げられ、その度停まらされては、何をするでもなく、そのまま通過させたり、「ヨーメーン調子はどうだよ!」とおしゃべりをしたり、一応IDチェックをしてみたり、荷物を棒でつついてみたり。

つついて何が分かるのよ。動いたら違法動物所持の疑いで逮捕!とかそういった狙いなの?

都合15回近く停まらされもう一同うんざりを絵に描いたような表情だ。ガウチャーも「ここの警察まじアホやで」とぼやく始末。

陽も沈み始め、明るいうちに着かないと宿探しが面倒だなんて思っていたら、ポリスチェックの次はミリタリーチェックが登場した。新登場。

ドライバーと何やらしゃべる銃を持った軍人。すると車の上に載せていた荷物をおろせと命じてきた。そこで乗客が「早くしろよ」みたいなことを口にしたのだろうか。突然仕事を放棄して元いた位置に戻っていった。

そして他の車の相手をし始める。なにこれどうしたん?「あの軍人機嫌悪いみたい。」

アホかと。スネるな軍人よ。

結局15分近く立ちすくまされた我々。ようやく荷物を調べるのかと思いきや、「戻せ。」と。

中を開けるどころか触りもしないで「戻せ」と。何がしたかったんだお前は一体。するとコソコソとドライバーを呼び出し茂みのほうへ。

コソコソコソコソ・・・

クソクソクソクソ・・・

全くもってクソなんだからあいつら。通行料とでも称してるのだろうか、あいつらはドライバーから小銭を巻き上げているのだ。

軍人だぜ?収入だってしがないバスのドライバーよりいいはずだろう?なのに何をちまちまとせせこましいことをしてやがるのでしょう。

これだから国家権力は。

ジョージタウンに到着する頃にはもう辺りはすっかり暗くなっていた。ジョージタウンは小さな島のようになった場所なので、渡し舟に乗る。所要約三分。するとそこで待ち構えていた客引きのアブライに「150ダラシで宿あるけど、いかが?チンパンジーやカバなんか見られるボートツアーもありますよ」と紹介され、特にあてもなかったのでついてゆく。

ALAKA-BUNG LODGEというその宿は、なかなかいい具合に仕上げられたゲストハウスで、部屋自体はシンプルだが、壁にアフリカンなペイントが施されてあったり、中庭に木があったり、落ち着けそうだ。

とにもかくにもべとべとの体を清めたかったので、シャワーを浴び、それからアブライと外を徘徊する。

商店でパンを買い、路上惣菜屋さんでおかずを買う。が、豆をつぶしてペースト状にし、玉ねぎや何かと和えて味付けしたものが、25ダラシもするという。チキンに至っては50。ツーリスト価格だそうだ。

店番のふとっちょな女の子に笑顔でマケテヨと頼むが、英語が通じない。西アフリカで広く話されているフラ語しか話せないらしいのだ。アブライに通訳を頼み、「ありがとう」や「綺麗」のフラ語を教えてもらい、それを駆使しながら値下げを交渉するも一貫してツーリスト価格はゆるがないので、あきらめて25ダラシで豆を購入。

サンドウィッチにして、川のほとりで食べる。まだ月が上がってきていないので、星が燦々と、煌々と瞬いている。天の川もばっちりだ。

アブライと色々しゃべる。なんと彼は、このビジュアルにして19歳(見た目25)、しかも未婚で一児の父だそうだ。「彼女と彼女の家族と暮らしてるんだけど、まだ結婚はしない。10年後ぐらいかな〜」日本ではまずまかり通らないが、アフリカでは普通なのだろうか。

子供は生まれてまだ一と月半だそうだ。「みたい?」みたいみたい!アブライの家へお邪魔する。

いましたちっちゃい野郎が。彼女と、その家族にも挨拶して、少ししゃべる。停電中なのでろうそくの灯りだけのキャンドルナイト。

キャンドルナイトと言うと聞こえがいいが、実際は扇風機もとまっちまっているので、室内で過ごすには暑すぎた。中庭へ移動し、星明かりの下ゆっくりと流れる時間を過ごす。

「オレはここの暮らしが好きなんだ。バンジュールや都会はゴミゴミして、忙しくて、騒がしくてやってらんないっしょ」んだね。よく分かるそれ。ボクも田舎生まれ田舎育ちだから。でもトーキョーにも住んでたから、田舎も都会もどっちも好きだな。「ジャミは両刀だ。」

それから何もみえない真っ暗な町を歩き、「ここが病院。ここでオレの子供生まれたんだ。」と案内されるがやっぱり何もみえないので、今日はもう帰るわーと言って宿へ戻り、就寝。

まだまだ停電中なので、ダクが汗汗で寝苦しい。やっぱ電気のある都会がいいかも・・・

来た道帰る

翌朝7時、アブライに起こされた。寝苦しかったはずなのだが、朝は涼しく、割とよく眠れた。彼ら地元の人間は早起きして涼しいうちにあれこれと動き回るのだそうだ。そして暑い日中は影で昼寝。

「ジョージタウンの重要な見所案内してあげる」というので、一緒に歩く。16世紀頃使われていたという古いマーケット跡や、奴隷のための収容所などを案内してもらう。その昔ここジョージタウンは、イギリスに支配された奴隷達の場所だったのだそうだ。詳しい話は、忘れた。

それよりも、アブライの案内っぷりが実にこなれた様子で、むむ?と思わせたので、途中で、アブライごめんな、先に言っとかないかんのやけど、オレガイド料とかは払えんからな?と伝えておくと、「大丈夫大丈夫!そんなの求めてやってるわけじゃないから!」と言ってくれたので一安心。

数箇所見て回り、宿に帰る。荷物をまとめる。出発。え!もう出発!?そう、明日にはガンビアを発つから、今日中にバカウまで戻らなければならないのだ。あの忌々しいポリスチェックの五時間をまた。

船着場でバスを待つ。その間、不意にアブライが「あのさ、そのう、お金とかじゃないんだけど、ガイドしたり色々手助けした分のその、何か、ない?」と言ってきた。それって、お金くれって言ってるのと同じじゃん。

でも本当に残りのダラシが少なかったので、お金はあげられないし、他に今あげられるものもないから、近いうち一緒に撮った写真を現像して家に送るよと約束すると、「分かったありがとう!また来年おいで!」と言ってくれた。

対岸に渡り、バスに乗り込む。とそこで、キャンペーンカーのようなものが停まっていて、なにやら声高にキャンペーンしている。車の宣伝ペイントをみてみると「TRADITIONAL MEDICINE AND HOME CARE FOUNDATION」と書かれており、その横に凄まじい勢いでゲロを吐いている男や、うんこ座りをして尻からナニかを排出している下半身、ベッドで妻と裸でいるもどこか陰鬱な表情の夫、などのイラストが描かれている。説明すると「熱」「寄生虫」「精力の低下」に効果テキメン!というわけだそうだ。

さすがトラディッショナルな薬。多方面に渡っておキキになるのですね。

ちょっとラリったデザインのその車に見入っていると、間もなく出発した。さようならジョージ。一体何をしにきたんだろう。

昨日と同じように何度も何度もポリスチェックを受けつつ、来た道を帰る。14時にはどこかの町に停まり、運転手をはじめ他の乗客達は広場に行きお祈りをする。どんなに暑くても、欠かさずお祈り。どんなに貧しい物乞いの子でも、隅っこに座ってお祈り。宗教って。

チベットで買った数珠をつけていると「キミはムスリムか?」とよくきかれる。イスラム教徒も数珠を使うのだ。多分仏教徒だけど、イスラム国にいるときはムスリムだよと答えると、「そうかそうか!ありがとう!」と何故か感謝されたりする。宗教って。

ますます不思議だ。なんて思いながらジャミポッドを聞く。隣の子供がピーナッツを分けてくれた。殻をパキパキ割りながら食べる。のどかだ。

昨日よりも若干早くバーラの町に帰り着いた。船に乗り、バンジュールへと戻る。

その船の中で、ぼろぼろのTシャツを着てビニール袋をぶらさげた子供とおしゃべりをする。写真を撮ると「やめれ〜」と照れる。暑いなしかしなんてしゃべっていると、唐突に、「おかあちゃん死んだんだ。」「おとうちゃんももう年とってて仕事できないから、お金がない。」などと話し始めた。

多分ボクがお金をくれるかもしれないと思って話しているのだろう。が、それはかわいそうだね、はいじゃあお金、とあげるわけにはいかないので、黙って話を聞く。

船を降りてもついてきて、「ここからボクの町まで遠いんだけど、バス代がない。喉かわいたけど水も買えないや。」と、ごく自然に、妬ましいような感じではなく話してくるので、バス停で水を買って、二人で飲む。そんじゃオレはここからバカウに帰るから。と言うと、「うん!ありがとう!またね!ボクは適当に乗せてくれる人探して帰る」と一人歩き去っていった。気をつけるんやで!と手をふる。

数分後、走り出したミニバスから、さっきの少年がとぼとぼと歩いているのが見えた。今朝ゴミ箱から拾ったTシャツを入れたビニール袋を提げて歩く少年。

こういう時、どうするべきなのだろう。いくらかお金をあげればいいのか?それじゃあきりがない。いつも考える。彼らからみたら随分な金持ち、旅行者はどうするべきなのだろうと。

結局答えはいまだに見つかってないし、多分「これです」なんて答えはないんだろう。

屋台で牛串とパンを食べ、インターネットに行きメールをチェックして宿に戻ると、丁度今日のレコーディングを終えたアゲロスが帰ってきた。

「ジャミ!もう素晴らしいんだよ!偶然に偶然が重なってものすごいプロデューサーと出会えたんだ!彼に少しメロディを与えると、すぐにそれがぶわーっと広がって、もう素晴らしい曲が出来上がってくるんだ!そして昔、子供の頃作ったメロディが何故か急に蘇ってきたりして、信じられないぐらいプロフェッショナルな仕上がりだよ!」と興奮しながら今日の出来事を話してくれた。

「だけど、レコーディングがさ、本来なら今日で終わるはずだったんだけど、随分ゆっくりとやるもんだから、来週までいなくちゃならなくなったんだ・・・。本当は明日にでもジャミと一緒にガンビア出たいんだけど、でもこんなチャンス二度とないから、とことんやらないといけないんだ。」

それから、どこかに安いアパートを借りて二週間ぐらいのんびりガンビアで過ごさないかと提案してくれたが、ボクは断った。もしそうすれば、きっと楽しいだろうし、クリエイティブな事ってなんだ?と思い悩む僕にヒントをくれるかもしれない。

けれど、なぜかヨッシャー!と乗り気にはなれない。多分、そうすると、この旅が自分の旅じゃないような気になって、少しづつフラストレーションが溜まっていって、結果アゲロスに嫌な思いをさせてしまいそうだから。と説明する。「そうだな。分かるよ。うん。それに、一人になるのは、ワシにとってもいいことでもあるしな。作業により集中できるし。」

この先のルートは大体一緒だし、またどっかで合流して旅続けよう!と約束し、今日のところはもう遅いので寝ることにした。

結構な間一緒に旅をしていたので、急に一人になると少し心もとない気もするが、それもまた旅股旅。フランス語圏ではアゲロスに頼ってばかりいたので、一人でもふんばってみないと。

さようならガンビア


翌朝、いつもより早く7時に目覚め、ここのところ通っていたサンドウィッチ屋さんでチキンサンドとコーヒーをいただき、荷作り。そして、アゲロスとしばしの別れ。

「Stay youngだぜジャミ。年はとっても心は老いちゃだめよ。」と素敵な言葉をもらって、また近々どこかで合流しようと約束して、バスに乗り込む。

セレクンダという町まで先ずミニバスで向かい、そこでセネガル行きのバスを探す。「んだらまずこっからブリカマいって、んでからジゴロだな。」道行く人に尋ねるとそう返ってきたので、ブリカマという、なんとなく美味しそうな、もしくは新たな若者発信の言葉のような町へこれまたミニバスで。

30分ほど走り、ブリカマ着。ここで三度ミタビバスを乗り換え、南部セネガルとの国境の町ジゴロへと向かうガラガラと呼ばれる、ミニバスよりちょっと天井が高く、ちょっと車体がデコトラチックにペイントされた乗り物で向かう。

突如田舎のあぜ道のようなところを通り始め、思いがけずガンビアの素朴な一面を目にすることができたが、これは運転手がショートカットのためにとった道なのかはたまた正規のルートなのか?正規だとしたら・・・それはそれで素敵。

ジゴロ着。ガラガラを降りて少し歩くとすぐ国境がみえた。イミグレーションへ。出国スタンプを押してもらっていると、係の女性が「朝食代ちょっとおごってくれへん?」ととってもあっさりライトにワイロを要求してきたので、ちょっと待ってね、よいっしょ、はい!どうぞ。とピーナッツを一握りあげると「さーんきゅ」とこれまたとってもまったりライトに礼を言われた。

ワイロに始まりワイロに終わったガンビアだが、終わりよければ全てよし。ピーナッツぐらいよしだろう。よし。


ギニアビサウ日記


ガンビア(2009年10月3日〜11日)