激しいエリザベスさん
ガンビアを出国して、セネガルの入国イミグレーションまで、タクシーで5ダラシ、およそ20円でいけたのだが、せっかくなので歩いてみる。
「ボンジュール」国境こえた途端どこからともなくフランス語ですよ。セネガル人ですよ。国境っておかしな不思議なもんだ。
意外に遠く、2、3キロはあったようだが、途中出くわした茂みから現れたキッズと写真撮影をしながら歩いているとすぐに到着した。
まったくもって、西アフリカの子供はどいつもこいつも可愛い。カメラの前であほみたいなポーズをとってオレがオレがとしゃしゃり出てきたり、突然謎の歌を歌い始めて謎のぐねぐねしたダンスを踊ってみたり。日本人や、先進国ではなかなかお目にかかれない存在だ。
そんなわけで二度目のセネガルへ入国。セレティというこの町で、もう少し南のジガンショールへ向かうガラガラに乗り込む。「2700セファだ。」ふっふーん、さっき警察のおっちゃんにきいたら2200って言ってたもんね2200にしろー。「うーん分かったちきしょー」とちゃんとした料金で乗ることが、できたはできたのだが、生憎10000セファ札しか持ち合わせていなかったので、残っていたガンビアダラシで支払うことに。「んだら150ダラシね」あいよー。
とすんなり払ってしまったが、150ダラシはおよそ2500セファ。あまり料金交渉が意味を成していないことにだいぶ後になってから気づく。
200ダラシを渡しお釣りをまっていると、向かいに座っていた女の人が「ヘイボーイ!早く彼にお釣り渡しなさいよ!」と少し心配して急かしてくれた。「ボンジュール。あたしはエリザベス。ギニアコナクリ人よ。隣にいるのは妹のベッシー。」ジャミラ日本人です。どうもありがとうよろしく。
それから少しばかり話す。ギニアコナクリでつい最近勃発した内戦はもう落ち着いたの?「うん。昨日家族に電話したらもう大丈夫だって。」そうか。それはよかった。おかげでギニアコナクリ行きを断念していたのだが、もしかしたら行けるかもしれないな。
ジャミポッドを聞きながら不気味に鼻歌をかましたりしつつ2時間ほど走ると、目的地ジガンショールへ到着。今日はとりあえずここで一泊して様子をみて、明日の朝ギニアビサウへ向かおうと思っていたらば、「ヘイジャミ!ジャミもビサウ行くんでしょ?今日行くの?」あ、うーんうん!今日行く!「じゃ一緒にいきましょ!」とジガンショールに到着してから急遽予定を変更し、今日一気にギニアビサウの首都ビサウまで向かうことにした。
バスターミナルでビサウ行きの乗り合いタクシーを見つけ、交渉。エリザベスが。「1人4000セファだって。バスだと3500だけど、あっちはいつ出発できるかわかんないからね。こっちなら6人集まればすぐ出発できるし、こっちでいいよね?」うん、ボクも夜遅く到着するのは嫌だから、こっちで行こう。
「荷物代、あんたでっかいから1000、そっちの姉ちゃんは500な。」は!?すすざけんな!どこのどやつが荷物に1000セファも支払うってんだちきしょう、高くても500までしか払ったことねえぞ!とフランス語でいえないので英語でエリザベスに伝えると、彼女がフランス語で交渉してくれた。
「700だって。どうする?」まだまだ高くて払えたもんじゃないが、わざわざ彼女が交渉してくれたわけだし、諦めて支払う。
荷物を車に載せ、人が集まるのを待っていると、「おーいビッグマン。お前はあれだな、女にあれこれやらせて挙句に金まで払わせて、男らしくないなあ〜」と誰だかしらないが黒い男、まあ全員黒いのですが、が話しかけてきた。何言っとんじゃ誰がいつ彼女に払わせたりしたええ!?わしゃちゃんと自分で自分のチケット代払ったぞい!と言い返す。
「でもさっきお金受け取ってたじゃねえか。」ただ小銭に替えてもらってただけだんにゃろ。「ふーん。でも普通、アフリカの男はな、女に料金交渉なんかさせねえで常に堂々と前に立ってるもんだぞ。」一体何なんだこの男は。アフリカの強い男をアピールしているようだが、こんなちまちまとどうでもいいことを責めたててくるお前のほうがよっぽど男らしくないじゃねいかい。
あんたどこの人ですか?「ガンビアだよ。」あぁあ。ガンビア好きだったのに。ガンビア人も好きだったのに。何でいちいちそんなこと言ってくるのかねえあんたは。ガンビア人嫌いになりそうだよ。「お前、今日どこから来たんだ。」ガンビア。「え!そうだったの!?なーんだっははー!オレお前のこと好きだぜヘイフレンド〜」ガンビア訪問者だと急に好きになるのか。お前嫌い。と笑いながら言い返し、人が集まったので車にのりこむ。
さっきの失敬な男の事は忘れ、風景を楽しむ。緑が濃くなってきている。そしてあっという間に国境に到着、たった二時間ほどのセネガル滞在を終え、ギニアビサウに入国。
ボクは何の問題もなく入国できたのだが、当然だビザ代9000円も払ったのだ、エリザベスはパスポートを失くしてしまいスタンプラリーでもやっているんですかと問いたくなるような紙切れ一枚で国境を飛び越えてきていたらしく、さっきまではいくらか金を握らせて乗り越えてきたのだがついにギニアビサウ入国のイミグレーションで機嫌の悪い女警官にあたってしまい、「パスポート無いんでしょ。ムリよ。」
と完全無視されていた。「マダームお願いしますよー。ビサウで兄が待ってるんです。」すると我々の乗っているタクシーのドライバーがやってきて、エリザベスからお金を預かり、それを持って代わりに交渉しにいった。
要は金。そのよく肥えた女警官は、1000セファでようやく重い腰をあげ、はれて全員入国完了と相成った。
ギニアビサウ。一体どんな国なのか。さっきの国境も、ギニアビサウに入った途端に人々はポルトガル語もしくはクレオール語をしゃべり始めた。見た目は全く同じなのに、国境と言う妙なラインを越えた途端言葉までかわってしまうなんて。ますます不思議だ世界。
風景はのどかさを増し、さらに緑は深く、所々に川や池があって、なんともジャングルジャングルした国だ。
すると、「ジャミは彼女いるの?」とエリザベスが突然きいてきたので、うん日本にいるよ、と答えると「じゃあアフリカには?」いないよ、日本の彼女だけで充分だから。「あそう?そうかしら?へーじゃあアフリカにいる間なーんもしないんだ。」と意味深に笑みを浮かべるエリザベス。
察して思わず笑うと「ガッハッハー!意味分かっちゃったみたいね。どう?女の子世話してあげようか!ね!」アハハー!いや大丈夫心配しないでね「えー本当に?本当のホントに?だってさー、てことはさー、こう、己で己を磨くというか、慰めなきゃならない局面に立たされたりするわけじゃない?どうすんのそゆ時。」そしたら己で己を、ですよ。「えーそれだったらさーせっかくだったら他の誰かと慰めあったほうがいいじゃないそうじゃない?」
といってサングラスを下げじろじろ〜っと見つめてくるエリザベスと目が合った瞬間、ガッハッハー!とまたしても笑いあう。本当に大丈夫だから!ありがとう!「そう?んならいいけどさー。」
アフリカに入ってからというもの、安宿が売春宿も兼務していたりするのでこういった話はちょくちょくボクの前に訪れるのだが、アフリカ人女性はやたら陽気に「ティキティキどうよ?」と言ってくるので面白い。売春、の持っている陰鬱で危険なイメージとはかけ離れた感じだ。
とはいってもそんなものはボクには必要ないので、さらっと流していきましょう。
「おいコラー!1000セファ返せ!!!お前あたしの金盗んだだろ!!!」と凄まじい怒声が聞こえてきたのはそんな話でガッハッハと笑った数十分後のポリスチェックの時だった。
何事かと声のするほうをみてみると、その怒声をあげていたのは他でもないエリザベス。みるみるうちに野次馬や交通整理の警官まで集まってきてえらい騒ぎに。
しかも襟元を掴んで怒声を浴びせていた相手は我々のドライバーではないか!騒ぎが落ち着いて車が出発したあと話をきくと、さっき入国したときにドライバーに預けたワイロの2000セファのうち、使わずに済んだ1000セファを後で返すと言ったのに今になってそんなの知らないと言いだしたために、凄まじく怒り狂ったのだそうだ。
結局お金は返してもらえたようだが、それにしても物凄い剣幕だった。日本人の女性があそこまで怒り狂っている場面に出くわしたためしがないが、アフリカだと割りとよく見かける。
その後何事もなかったかのようにボクのジャミポッドでM.I.A.を一緒にきいて、ノリノリで所狭しと踊るエリザベスを見て、アフリカンのタフさを思い知った。
どでかい夕陽が沈むのを西の空に見て、あっという間に暗くなり、19時を過ぎたころようやく首都ビサウへと到着。そこでエリザベスとベッシに別れを告げ、市内タクシーで、あらかじめ調べておいたホテルカラコルという場所へ向かう。
これがもう・・・
地獄。史上最悪の宿
前置きしておくと、このギニアビサウという国は、普通に、当たり前のように電気供給がまともでないので、夜はほとんどの家や店がキャンドルナイト、一部の宿や店のみジェネレーターで自家発電という21世紀の常識を覆しそうなところなのだ。
ホテルに到着し、部屋をみせてもらう。電気は自家発電で問題ないようだ。おほー、部屋を空けるなりベッドを這いずり回る茶色い物体一匹みっけ。ゴキブリ。(またの名を平八郎。何故かボクの父はそう呼びます)
室内にバスルームはあるも、水でナイ便器にいつのものかわからナイうんこに使用済みのコンドームが沈んでるじゃナイ。
「バケツに水入れてもってきてやるよ」で、おいくら?「8500。」はぁ!?えぇ!?
えぇ!?
マスオさんもびっくり価格8500セファっておよそ1700円。恐ろしいよ。あなた恐ろしいよ。この質でその値段を堂々と掲げられるあなた恐ろしいよ。
5000セファ!だって水でないしゴキブリいたし「水なら持ってくるって!問題ない!8000!」
6000!あとでここのバーで何か飲み物注文するから6000にしとくれよ。「だめ!7000だよ。」ここから約20分にわたって6000対7000の熾烈な戦いが繰り広げられるも、一向に引かない従業員に
負けた。
ここまで粘ったの久しぶりなのに、それでもマカらない。諦めて7000セファを支払い、ともかく喉が渇いたので外でコーラを買いがぶ飲み。路上にわんさかとひしめくフランスパン屋台でそれを買い、卵とマーガリンをはさんでもらって立ち食い。
オブリガードーぅ(アリガトウ)!唯一知っているポルトガル語を駆使して人々と交流を図る。キッズにはカメラを向ければそれでイチコロ。瞬く間にわんさかとひしめくフランスパン屋台のまわりにわんさかとキッズがひしめいた。
「ポケットとか気いつけや。」フランス語が話せるトーマスという男が、撮影で忙しくしていたボクに注意を促してくれた。オブリガードーゥ!
まだまだフランス語はちんぷんかんぷんだが、身振り手振りで会話して、やはり最終的にはオブリガードーゥでごまかして帰る。
部屋に帰る。憂鬱。おぞましいバスルームに足を踏み入れ、ベトベトに汚れた体を、バケツの水で洗い流す。そしてバスルームには電気がない。
足元に何か触れた気がしてウギョー!と軽いパニックに陥る。ゴキブ・・・!違ったただのゴミだ。
余ったバケツの水で、おぞましい便器を流す。7割は消滅したが、見事に近藤ムさんは残った。凹む。
もう現実逃避するっきゃないよ!とパソコンの電源を入れ、らんま2分の1や踊る大捜査線といった日本の作品を観る。ああ焼きそばうまそ・・・湾岸署って清潔なんだろうな・・・などと遠い日本を思いながら。
ブチっ
23時、ジェネレーター期間終了。もちろんファンも停まる。みるみるうちに汗が吹き出てくる。なのに、ナノに何故外の音楽は止まないの。爆音。レゲエもいいけどこの状況でラブ&ピースを歌われても何も感じられない。
とにかくもう、寝てみよう。寝転がってみる。
暑い汚い五月蝿い臭い!!!!!!!!!!!!四重苦
何本エクスクラメーションマークをつければこの思い君に届くだろうか。
耳栓をしても尚けたたましく鳴り響く音楽、流れ続ける汗、それらが蓄積して邪悪な臭いを放つマットレス、そのせいでマットレスの上においている荷物全てが臭くなってしまうという悲しさ、7割は消滅しても残りの3割でさえ一人の人間を窮地に追い込むことなど容易い便器の残り香、それが五分に一回襲い来るせいで鼻にタオルをかぶせる、すると息苦しくて、暑苦しくて目を覚ます、さらに吹き出る汗、こんなものに7000セファも支払った悔しさ・・・
23時過ぎに床につき、上記の一連の作業を早朝4時まで続ける辛さを、少しでも分かってもらえるだろうか、君に届いただろうか。
悪夢を見た。現実が悪夢なのに夢の中でまで辛い。家族に売られ妖怪に殺される夢を。せめてもの救いはその妖怪がぬいぐるみのように可愛いキャラだったことぐらいだ・・・
地獄。
今までも凄まじい宿はいくつか体験してきたが、それらはそれなりに、分をわきまえて安い料金を提示してきていたから我慢できたが、こればっかりは酷い。酷すぎる。こんなものに1500円近くも払わされたということが、恐らくもっとも辛い。
さようなら。おととい来やがれ。いや、おとといにだって来やがるな。
7時には再び暑さで目を覚まし、逃げるように宿を出た。とにかくビサウから、この宿から離れたい一心で。
地図を見ると、東のほうにガブという町がある。そこで少し滞在して、そこからセネガルに戻ることができれば、ビサウに戻る必要も、たった一日でこの国を後にする必要もないだろう。なんせビザ代9000円も払ったのだ。一日でなんて、出られない。でもとにかくあの宿からは・・・
通りすがりの人に尋ねると、どうやらうまい具合に、ガブという町には宿もあって、さらにそこからセネガルに戻ることも可能だそうだ。よし、いきましょう。
タクシーでバスターミナルへ行こうと道端に立っていると、昨夜少し話したトーマスがたまたま通りがかって、ボクのかわりにタクシーをつかまえてくれた。「気をつけてな。ボンヴォヤージュ。」オブリガードーゥ!!!
一変天国、ガブガブのガブ
バスターミナルで乗り合いタクシーを見つけ、チケットを買う「2800セファね。」はい。他の乗客もこの値段を支払っていたのでオウケイ。
「荷物代1000ね。」やっぱりきたかー。セパボンそれいくないよあんた。せめて500で合計3300あげるはいどうぞ。「無理だ。しっしっ」ちぇ。じゃあ待ち時間長くても少し安いバスで行くわこんなろ。と荷物を抱えて立ち去ろうとすると、
「プスープスー。3300。」プスープスーとは、空気の抜ける音を表現するときに使う擬音語と同じ音で、言葉ではないが、アラブ人やアフリカ人が道端で友達や売り子を見つけて呼ぶ時によく使っている。つまり、「ちょっと待て3300でいいからこっちに乗りな」ということ。
この、一瞬立ち去ろうとする素振り、は料金交渉に最も効果を発揮する行為。今回は本当にバスに乗り換えようとしていたので、思わず交渉が成立してラッキーであった。とはいっても、500セファだって本当なら払いたくない。
チケット売り場で人が集まるのを待っていると、やたら皆、ジャムの空き瓶に入ったミルクティーのような飲み物を美味そうに飲んでいるので、気になってそれなんだい?とたずねると、「カバセイラだよ。うまいぞ。」ティー?アイスティー?「カバセイラ!」
聞いても分からないので頼んでみる。たったの100セファ(約20円)。空き瓶に氷を入れて、そこにバケツから謎のミルクティー色の液体を流しこむ。少しシェイクするとあっという間に冷たくなった。ゴクっ。ゴクゴクっ。ガブガブ!ウマー!リンゴジュースでした。
100パーちゃう!?ねえこれ100パーとちやう!?と誰にともなく叫びたくなるような濃厚なリンゴジュースが20円ってこれ素敵。昨夜の地獄のことなどもうすっかり忘れてしまった。
40分ほどで人が集まり、出発。3列シートの乗用車に運転手を含め8人が乗り込んだ。幸運にも助手席をゲットできたので、いつものようにぎゅうぎゅうで汗だくツユだくの目にはあわなくてすみそうだ。
あばよビサウ!もう来ねえからね!走り出して数十分もすると、ビサウの地獄の宿なんて本当に存在したのかしら?と思わせるほどのどかな風景が広がる。所々に茅葺き屋根の家がたっていて、人々が暮らしているのがみえる。
こういう、村村ムラムラしたところで過ごしたいのに!何故オレは町から町へと移動して、町に滞在して・・・まるでシティボーイ。最も大事な風景はいつも素通り。
だって、宿ないんだもん村には。田舎に泊まろうのロケならちょっと頑張っちゃうけど、カメラマンもいないし、色々苦労するから、無難に、町へ。
Tシャツ焼けした腕が非常に不恰好だったので、裾を捲り上げて肩まで焼いてみたりしつつ、快適に車は進む。ジャミポッドも絶好調。そして、ここギニアビサウには、ガンビアのような忌々しいポリスチェックがほとんどない!
10時に出発したから丁度3時間だ、13時過ぎに、ガブに到着。名前の響きからして何かを予感させるこの町は、やはりビンゴだった。期待していた通りの、大きすぎず小さすぎないのどかな町だ。
市内、いや、町内タクシーに乗り換え、宿まで連れていっておくれと頼むと、RESIDENSIA DJARAMA、レジデンシアジャラマというところに連れられた。
ビサウの悪夢再びとなるのだろうか・・・恐る恐る中へ。
ウギャーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
めっさいいやんか!!清潔な部屋に、ちゃんと水が出る清潔なバスルーム、そしてリラックスできるバルコニー、随所にペイントされたアフリカンな壁画、さらにリラックスさせる鉢植えの数々、そして何故かインドの大スターシャールカーンとアヴリルラヴィーンのポスター。
いい!いいよここ!してお値段いかほどで?「12500セファね。」えぇぇぇぇ・・・・ちょっとそれはきついというか何といおうか、無理です・・・お邪魔しました・・・いやほんとセボーンなんですけど、それは高すぎて無理なので、オブリガードーゥ・・・10000まで下がったが、それでも高かったので他をあたろうと外へ出ると、
「カモン。」もう一度呼ばれ、「8000だ!もうこれ以上は無理だからな!」えー、せめて7000。7000にしてはいただけませんか。「8000!もうすでに4500も値下げしてんだぞ!これ以上は無理だ!」
あのビサウの地獄絵図に7000払ったんだから、ここで8000なら、いいか。いいだろう。雲泥の差だろう。1000セファ足すだけでこれだけ素晴らしい宿に泊まれるんなら、いくら貧乏旅行者の私でも、払いますともそのぐらい。やるときゃやるんだ。
そしてどーんと3つもベッドがある部屋を与えられ、早速水の出るバスルームでシャワー、昨夜の邪悪な気よ去れ!と唱えながら洗濯をする。
スッキリして一息つき、バルコニーで日記をしたため、辺りを散策してみる。イフィショー(暑い)。市場を歩いていると、丁度いいサイズのスチール製カップを見つけたので、購入。
それをカラビナで腰にぶら下げ、毎度やっているように、不審に通りを徘徊する。町の中心を離れ、ずうっと真っ直ぐ歩く。暑い。きりのいい所で折り返し、宿に帰っていると
「おーい!」と声がした。だあれ?振り返ると右手の家から誰かが手招きしている。まんまとおびき寄せられてみる。ボンディーェ(こんにちハ!)と挨拶をすると、「シヌワ(中国人)?」と聞かれた。モロッコ辺りにいたときは、やたら「ジャッキーシェーン」と呼ばれたが、こちらでは、「イーハオ(ニーハオ)」もしくは「シヌワ」と呼ばれることが多い。時々フィリピンもしくはインドネシアとも呼ばれる。
ジャポネやで〜と答えると「おおジャポネかあ!ジャポネはセボーン良いよ!まま、座って座って。」と家族に迎えられ、お言葉に甘えて着席する。
少し英語の話せる兄ちゃんがいたので、それとフランス語を交えつつ会話をする。そしてメモとペンを取り出し、臨戦態勢を整える。言葉の通じない人達とコミュニケーションを図るには、彼らの言語を教わろうとしてみせるのが一番なのだ。
すると乳を惜しげもなくぼっろーんと晒した陽気なおっかさんが歩み寄ってきて、「カネーカ!サパートゥ!カベーサ!」とそれぞれコップ、サンダル、頭を指差しながら教えてくれた。クレオール語らしい。
「カミーサ(Tシャツ)!カベール(髪)!オレージャ(耳)!ナリースィ(鼻)!カネータ(ペン)!」
やたら四文字の言葉が多くて、しかもフランス語のようにタンが絡まったような発音でないので聞き取りやすい。
それから体の各部を次から次に教えてもらう。「ガルガンティ(首)!バリーガ(腹)!ラバーダ(尻)!ペルナ(もも)!ジュージュ(膝)・・・」ちゅおっと待った!大事なところを忘れてもらっちゃあ困るぜ。ここは?と股間を指差してみせると、あははと笑って
「コジョン!」なるほどコジョンか。コジョンコジョン・・・と連呼していると皆が笑い出した。ジャポネでは、コジョンはチンチンて言うんだよー!と教えると、おっかさんの息子のハルナ(男)が「チンチン!じゃあこれは?」と後ろにいた弟だか甥っ子だかのパンツをおろし指差すので、それはキンタマやでー!と正しい日本語を教える。クレオールでは何ていうの?「オーヴ!」
コジョン、オーヴ、コジョン、オーヴ、また連呼する。皆笑う。やらしい。こういうお下劣なネタは万国共通して笑わせられることを知っているので、若干わざと大袈裟に連呼する自分のやらしさよ。
その他にもまともな言葉や、彼らのもともとの言語、フラ語を教わったりしているとあっという間に陽が沈んだ。するとおっかさんが「もう暗くなったから、今日は帰ってぐっすり寝て、また明日遊びにきなさい。」と心配して言ってくれた。
この人達とは会って間もないが、間もないどころか二時間ほどだが、まるで邪気が感じられない。明るくて、にぎやかで、優しい人達だとすぐに分かった。また明日来ます、それではコジョンオーヴ、と言って宿に帰る。
覚えたてのクレオール語をメモをチラチラ見つつ駆使して近所の食堂でスパゲティを注文、いただく。うまい。
この町も当たり前のように電気がないが、宿にはジェネレーターがあり20時から電気が使えたので、扇風機をまわしつつパソコンをいじくりまわす。蚊帳を張って外で日記を書いていると、蛍が飛んでいた。
夜風が涼しい。静かな夜。
昨日の今頃ボクはどこにいたんだっけ。あれは現実だったのだろうか?あの、地獄めは。
クオリカネカホリカネゾ
深津絵里に嫌われるという、ちょっとショッキングな夢を見はしたが、可也健やかに爽やかに安眠を得ることができた。夜中のうちにジェネレーターは切られ、扇風機も止まっていたが、そんなもの必要ないほどに朝は涼しかった。
窓辺でヒゲの手入れをしたり、バルコニーで手紙を書いたり、のんびりと午前を過ごす。カーテンがやわらかい風にゆられて頬をなでる。空には大きな雲が広がり、ハゲワシ達が風に乗って気持ち良さそうに羽根を広げている。穏やかだ。この上なく。
ここで冷やしうどんかそうめんを食べられたなら、それ以上の幸福なんて今この瞬間この世に存在しないんじゃなかろうか、と思う。
和食をいただきたい。和食と触れ合いたい。和食を食い倒したい。
和食和食和食ワショクワショクワショクワッショーイ!!
これ以上和食のことを考えていると脳みそがうどんの麺になってしまいそうだったので、散歩へ出かけてみる。市場で小さなビニール袋に入った冷凍ジュースを買って、焼きとうもろこしをかじりながら歩き、洗剤と石鹸を購入し、汗がしみじみと染みてきたのでもう帰る。
ファンタやぁ〜。暑い国で汗をかいた後に飲む炭酸飲料の美味さときたら。
昼寝を小一時間ほどかまし、再び外出。昨日お邪魔したカマラ一家のもとへ。歩いていると、「ニーハオ」。100メートルに一回ほど聞こえてくる声に反応してジャポネだよとアピールする。「こっちこっち!こっちいらっしゃいませ!」と男共に手招きされたので、ちょろっとのつもりで寄ってみる。
すると彼らのうちの一人、ブバカという男が英語を話せたので、色々しゃべる。「どこいってたの?昨日も見かけたけど、ちょっと声かけるのためらってたんだ。無視したりする人もいるでしょだから。」アフリカ人もためらったりするんだ。と意外な一面を知ったことは口には出さず、昨日出会った家族の家に遊びに行ってるんだ。ボクが英語と日本語を教えて、クレオール語教わって・・・と返す。
「それならフラ語覚えたほうがいいよ!クレオールはこことカーボヴェルデでしか使われてないし。フラならギニアコナクリでもマリでも通じるから!」よっしゃやったろ。メモとペン出動。
旅に使えそうなものや基本的な言葉を学ぶ。「タナーラ(元気?)」「ジャントゥ!(うん元気)」「ジャラーマ(アリガトオブリガートゥ)」「ニャレージャ(こんばんは)」「ヒーレイジャ(おやすみ)」「ホントヤータ(どこ行ってんの?」
ホ、ホントヤータ?本当やーた?
「クワトーリ(どういたしまして)」、「アルニャーメ(こっち来て食べんしゃい)」、「ジャンゴレ(勉強する)」、「ヤーデ(行く)」、「ナンデ(聞く)」
ナ、ナンデ?何で?
「コジェル(いくら?」、「ホンノビエテラ(名前は何でい?)」、「ジャンゴ(明日)」
ジャンゴ!ってボクのネパールでのあだ名じゃないか。
言葉って非常に奥ゆかしくて不思議に面白いものですね。同じ発音同じ言葉なのに、発する人と場所によって文字も意味も違ってくる。
昔むかし、全く別の土地で、全く別の人が、全く別の物をみて、それにジャミラと言葉を与えた。チベットでは中国人を意味し、モロッコでは美しいを意味し、インドでは女の子の名前に使われるようになった。
すすごくね?これすごくね?と若者風に感銘を受けつつ、異なる国の異なる言語にますます惹かれてゆく。
ブバカのお店にお客さんがきたところで、おっといけねえまた後でねとカマラ一家のもとへ。
すると今度はおっちゃんに呼び止められ、「昨日も見かけたけど、どこ行ってんだい?おっちゃんらとおしゃべりせんかね。」と誘われたが、また明日にでも、と礼を言い歩を進める。
日本人が、外国人をみかけてこういう風に気軽に声をかけて家に招くなんてこと、するのだろうか。いや、滅多にないだろう。先進国と呼ばれる気取った国々では、物は溢れていてもこういったモノは失われているのだ残念ながら。
あら?ところでカマラ家どこだ?と一本道なのに迷っていると「ジャミー!」ハルナが気づいて呼んでくれた。あここやったーんやーん!目の前だった。
タナーラ(元気?)ときくと満面の笑みでジャントゥ(元気やでえ)と答えてくれた。家の裏にいたおっかさんや嫁だか妹だかにも挨拶していくと、皆にっこにこ笑って返してくれる。ガブ、ええとこやでえ。
さっきブバに教えてもらったばかりの「ミロファーラジャンゴレフラ(フラ勉強したい)」を使ってみる。と、そうかそうか!と昨日と同じように、体の各部をフラ語で教えてくれた。
書き連ねるときりがないので最重要部分のみ抜粋。「ボッテレ(ちんちん)!」「コロージェ(きんたま)!」
フラ族の人に会った際には是非おひとつどうぞご利用下さい。ちょっとオリエンタルなレストランに行けばメニューにありそうですね。ボッテレのコロージェ風パスタ。
二歳ぐらいのスッポンポンの子供を抱っこして写真を撮って皆と笑う。カメラに写った自分の顔を見て嬉しそうに笑う彼らを見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。
15分程子供を抱っこしていただろうか。ママがやってきて抱きかかえて連れていくと、ボクのTシャツに若干うんこがついていた。なんせスッポンポンだもんで。子供って自由だなあ。ちょっとクサっ
お勉強会を続けていると「ジャミ、アルニャーメ!」とおっかさんが鍋を持ってきた。ニェーリ(ご飯)にマーフェリッイというツミレのスープをぶっかけて皆でいただきます。手を合わせて、ジャポネではイタダキマスっていうんだよ。と教えて。
ノモッイ(グッド)!うまい。手で食べる。インド式とは少し違い、親指で押し込むように食べるのではなく、手のひらで丸めてばっくり放り込む。アフリカンスタイルは細部にわたってワイルドです。
ボクが食べる姿をハルナが撮ってくれるので、白目をむきながら食べてみる。おいしさアピール。なのか。
ごっつぁんでした、ジャラーマありがとうオブリガードゥ!再びハルナの兄ちゃんだか従兄弟だかのムサに英語を教えていると、これまたあっという間に陽が沈んだ。するとこれまたおっかさんが心配して、また明日にしなさいといってくれた。本当は明日出発するつもりだったのだが、さっき出会ったバブや、カマラ一家が「五ヶ月ぐらいいればいいじゃん」と言ってくれるので、もう一日滞在することにした。
なんだか後ろ髪ひかれるときは無理に出発しなくたっていいんだ。予定は未定。
ハルナとチャリで2ケツ(自転車で二人乗り)して町まで連れて帰ってもらい、「ジャラーマ!エンオンセインジャンゴ!(ありがとうまた明日な)」と別れる。
店を閉めた後待っていてくれたブバカ達と少ししゃべり、明日はとりあえずまだガブにいることにしたと伝えると「よかった!五ヶ月いればジャミフラ語完璧に話せるようになるよ!」
五ヶ月は無理だよ。でもまた明日。
観光に興味のないボクの、旅する理由の一つが今日みたいな一日なのです。
教えて教わる
今日も昨日と同じように午前中はのんびりまったりと過ごし、ブバカの所へ。そしてフラ語を教えてもらい、日本語を教える。
小二時間ほどの授業を終えると、「ジャックゴル!」とピーナッツを買ってわけてくれた。なにそれ?「食べんしゃいて意味ね。」食べるはニャーメじゃないの?「ニャーメは、直接口にぶちこむときで、ジャックゴルは皮をむいたり、食べる前に何かする必要があるときに使うのよ。」ふっへーなんじゃそりゃ。意外に細かいんだねフラ族。
「喉はかわいてない?」と言ってまた水を買ってくれるブバカ達。それぐらい自分で払うから!といっても「大丈夫オレらだってそれぐらいのお金あるから!心配しないで」そろいもそろって優しい連中だ。
15時過ぎ、ちょっとカマラ家行ってくる、また18時頃に帰ってくるから、と立ち去ろうとすると「ジャミはオレ達よりあっちのほうが好きなんだ・・・」と若干寂しそうにブバカが言ってきたので、そんなんちゃうよ!比べたりしてないし!ただ、また今日も来るって約束してあるからよ〜。「そっか!んならいいや!楽しんでおいで!でも18時半には戻ってきておくれよ!18時だともっといいけど。」分かった!努力する。
そしてカマラ家へ。途中また昨日声をかけてきてくれたオッチャンが「あんれー?今日出るんじゃなかったのかー?明日もしまだいるんだったらワシらとも話そうな!」とまた声をかけてくれた。
タナーラ!裏口にまわって皆に声をかけると、にっかり笑って「ジャミー!ジャントゥー!」と返ってきた。本当に温かい家族だあんちきしょー。
そして早速英語を教える。「hair。chair。mouth。tree。」舌を巧みに使わなければいけない単語にさしかかると、「ヘ、ヘアォ?シェアォ?んマウツ?トゥウィー?」と苦しそうに発音するムサが面白い。フランス語もかなり面倒な発音が多いが、英語もそれなりに難しいようだ。
陽がくれかかった頃、「アルニャーメ!」と今日もまたご飯をご馳走になる。皆でばっくり右手で食らう。皆で食べると何故こうも美味いのだろう。
「ジャミ、これからサッカー行くから、カメラで撮って!」とハルナに頼まれたが、18時をまわっていたため、もう帰らなきゃ。と断る。明日の朝にはセネガルに戻るんだ。だからこれが最後。手紙送るから住所教えとくれよ。
おかあちゃんの名前と住所と電話番号を教えてもらい、いよいよさようなら。ジャラーマブイブイ!ありがとう!「ジャミ!ちょっとこっち来て。」おかあちゃんに呼ばれ家の中へ。一体全体何がどうした。
「ここ、フォト。」記念に家の中を撮影していってくれということらしい。何故。よくわからないがお茶目なおかあちゃんのリクエストにお答えして撮影する。「ジャミジャラーマ!」満足いただけたようだ。
それから、皆で写真を撮りたいというと、家の前に全員集合してくれ、総勢十人以上で記念撮影。まるでウルルン。素敵な、一生物の写真が撮れた。
途中までハルナに見送ってもらい、「ジャラーマ。ありがとなハルナ。」と別れる。ちょっぴり寂しい。
18時半丁度にブバカ達のところに戻り、「丁度今店閉めたとこ。もしジャミが疲れてなかったら、これからウチくる?」とブバカが誘ってくれたので行く行くと二つ返事。
辺りはもう真っ暗で、ブバカの家に到着して家族に会うも、ほとんど顔が見えない。ブバカの部屋にお邪魔するとランプを点けてくれ、また子供達が順番に挨拶にきてくれた。ああ見えた見えた。タナーラ?ときくと照れながらジャントゥ、と言って握手をしてヒザをまげる仕草がとても可愛い。
約一名まるで鬼に食われる赤子のようにボクを恐れて泣き叫ぶ子がいはしたが、それもまとめて可愛い。
ブバカの歴代の彼女達との写真などを見せてもらう。結構いる。でどれが今の彼女なの?「あえーと、この子。でも、この子とは結婚しないんだ。ボクが結婚したいのはこっちの子。」は?どういうこっちゃ!彼女おんのに彼女じゃない子と結婚したいて。「ボクらのしきたりで、今の彼女とは結婚できないんだ、こっちの子じゃないとダメなの。」ああ。まるで五十年前の日本じゃないか。「そうなの?」そうだよ。今は皆自由に結婚できるよ。「へえー。」あまり興味がなかったらしい。
それから彼の通う英語教室の先生の家へお邪魔することに。
ママサリというギニアコナクリ人の先生は、先生なだけあって英語がとってもお上手。中庭で音楽をききながら、中国茶をいただく。アフリカでは、GUN POWDERという危険なにおいのする中国茶がかなりポピュラーで、それをじっくり煎じてさらにがっつり砂糖を入れて飲むのだ。
甘いどくだみ茶みたいな味で、正直インドのチャイやエジプトのシャイ、モロッコのミントティのほうが断然美味いが、これはこれで別に悪くもない。
ラジオから流れるギニアビサウミュージックに耳を傾けつつ、おしゃべりをする。アメリカのヒップホップはこんなところでも人気らしく、Lil Wayneなんかがよく流れていた。アメリカ。
すると、唐突に、心臓をばくつかせるような音が聞こえてきた。これってもしかして・・・!「クドゥルだよ。」やっぱり!アンゴラ音楽クドゥルだ!そうか。ここギニアビサウもアンゴラも、元ポルトガル植民地でポルトガルが公用語だから、ビサウ人もクドゥル聴くんだ。クドゥルのCDってここでも手に入る?「あるよ。」やったー。んじゃブバカ明日の朝一緒に買いに行こう!「ジャミクドゥル大好きなんだね。」
うん。それもこれも例の、スリランカの教祖の影響なのですが。
眠たくなってきたので、22時前に帰る。するとブバカが宿まで送ってくれた。道中、話しながら突如手をつないで(しかも指を絡めて!)きたのでギョギョっとしたが、イスラム国やアフリカでは、仲のいい友達同士なら当たり前のことなので、やめんかい!と離すこともできず手をつないで帰った。
さようならギニアビサウ、愛すべきガブ
翌朝さっさと荷作りをすませると、宿のオッチャンがくれたコーヒーを飲んでブバカの所へ。タナーラー!「ジャントゥー!」皆既に集まっていて、丁度朝食時だったらしく「アルニャーメ!マッフェリティガやでー」とピーナツソースのぶっかけご飯をご馳走になる。
ぎゃー。めたんこに美味い。こちらで最近よく食べる西アフリカ料理は、辛すぎず濃すぎず、日本人にはとっつきやすい味だ。
そして早速ブバカとCD屋さんへ。何軒かまわって、クドゥルのあるところで、購入。といってもパソコンに入っている曲をCD-Rに焼いてもらうだけなので、アーティスト名も曲名も不明。ちょっと残念だが、念願のクドゥルだ。おまけにギニアビサウミュージックも詰め込んでもらう。
満足です。「しかしジャミはほんとにクドゥル好きなんだね。踊れる?あの狂ったダンス。」無理無理!あいつらおかしいやろ!とんでもない体の動かし方するもんね!などと話しながら、荷物を取りに戻り、バスターミナルへ。
ブバカの友達が働いていたので、さっくりと乗り合いタクシーを捕まえ、さっくりとお別れ。ありがとう。写真現像して手紙と一緒に送るからな!電話もかけるし!ありがとうブバカー!「うん、ありがとう!またね!」ブゥゥン。タクシー発車。
また大事な友達が増えた。また戻ってきたい国が増えた。
しかしなんだ、この道はなんなんだ。凄まじい、ジャングルのような小道を突き進むタクシーに揺られ、これもまたギニアビサウ。とジャミポッドを聴きながら楽しむ。
二時間程でピラーダというセネガルとの国境の町に到着。あっさりと出国スタンプを押してもらい、別のタクシーでカベンドゥという町まで向かう。出発まで少し時間があったので、近くの食堂でまたしてもぶっかけ飯をいただく。
ノモッイ!これ美味いよ〜!などと話しているとタクシーが出発するというので、急いでかきこむ。するとトマトと間違えてチリを丸ごと食べてしまい、口内炎上。吉原炎上。ディアンディアン!水ちょうだい!「がはは!あほやこいつ〜」と笑われる。本当に辛いんだから。辛いというか、痛いんだから。
しばらくして鎮火し、ようやく落ち着いたと思ったら今度はタクシーが炎上。ではなく故障。ドライバーが何やらいじくって、皆で車を押してエンジンをかける。ようし。
進まない。エンジン切れる。
またドライバーが何やらいじくって、皆で押して、エンジンをかける。ようし。
ちょっと進む。エンジン切れる。
4回ほどこれを繰り返しても一向に直らないので、ドライバーが来た道を戻って、別の車を呼んでくるのを、じっと待つ。
一時間以上立ち往生して、ようやく直り出発。ちょっと嬉しくて一同拍手で沸く。
セネガルを嫌う。
ワサドゥンというセネガル側の国境で三度目のセネガル入国を済ませ、カベンドゥまで。
カベンドゥに到着すると間髪おかずに今度はタンバという町行きのバスに乗り換え出発。セネガルに入った途端、荷物代を1000セファも請求される。国境越えるとこうも違うのか。セネガル人。結局500だけ支払う。ちぇ。
しばらく進むと、どこかの町で停車し、バスを乗り換えろと言われる。タンバまでの代金は支払ってあるので二重払いは必要ないが、面倒だ。しかもここでまたかなり待たされる。陽がすっかり沈んでしまった。
19時になって人が集まった頃出発。向かいのファミリーとフラ語で少し会話して、途中売り子からバナナを買ってむさぼって、ポリスチェックで態度の悪い警官にわざわざ荷物を見せ苛立って、タンバに着いた時には既に22時をまわっていた。
近くの安宿でとりあえず今夜は休もう。とベッドに荷物をおろしていると、突然男がやってきて、「バマコへ行くのか?」ときいてきた。うん、でも明日の朝行くわ。「それなら今丁度バスが出るところだから、今行けばいいじゃないか。」え?そうなん?でいくら?「5000。」ほほう、じゃあ、いっちゃおっかな!
と男に連れられタクシーに乗り込む。で、いくらだっけ?「チケットが25000と荷物代が5000で合計30000だよ。」はぁ!?自分さっき5000ゆうたやんけ!しかもそんなに高いわけないわ!無理無理、帰るわ!タクシー戻って!大体荷物代5000て頭おかしいやろ!約千円やで!
興奮するとフランス語じゃ説明できないので英語でまくしたてる。するとガソリンスタンドで停められ、その男の友人らしき店員(英語が少し話せる)に「30000じゃだめなのか?」などと聞かれるが当たり前じゃそんな高いわきゃないやろー!と言ってついでにタクシーのドライバーに300セファだけ支払って帰ろうとすると、「ノー!1000だ!」とドライバーが言い始めた。
あほかお前は!ほんの数分走って戻ってきただけでなんで1000もするんや!300で上等じゃ!「いいや!1000!」そして店員にガガガと文句を言って、それを店員が訳してボクに説明する。「片道500で往復1000だって。」トランクに入れたバックパックを取り出そうとすると閉めてその上に肘を乗せ、「払うまでわたさへん」の態度をとるドライバー。
ああ嫌だ嫌だ。なんなんだこいつら。結局800セファを支払う羽目に。宿に帰り、荷物を置いて近くの屋台でサンドウィッチを食らう。疲れた。しかもそこのサンドウィッチ屋のオッサンが、フランス語がわからないボクをちょっと見下げたような態度だったのでさらにイライラし、疲れた。
というか一体なんだったんだあの男は。バスが出るからと突然現れたあの男は。そもそも、なんなんだセネガル人は。
そういえば、ダカールにいたときアゲロスが言っていた。「セネガル人は金金金。どうにかして金をせしめようという考えしかないから嫌いなんだよ」と。ようやく理解し始めた。あの時は料金交渉の類はアゲロスに任せっきりだったからあまり何も思わなかったが、今ようやく・・・
そしてこの後もっともっと・・・
急激にガブの皆が恋しくなった。ハルナやブバカ達に会いたい。ウルルン。
セネガル人全てを嫌いになりそうだ
7時過ぎには起床し、バスターミナルへ。バスターミナルといっても、道路沿いにバスが停まってそこに人が集まっているだけの場所だが。
そこで、バマコ行きではなくもっと手前の、でもマリのカイエという町行きのバスを探す。そこで働いている男が「12500ぐらいだったと思う。こっちで座って待ってて。バスそのうちくるから」と言ってきた。
12500!?カイエ行きでその値段なら、じゃあバマコ行きの30000も本当だったのかもしれない・・・などと思っていると、別の男が話しかけてきた。ああ、昨夜の謎の男らしい。暗かったうえに記憶力があまりよろしくないので、顔を覚えていなかったが、そうらしい。一応、本当にこのバスで働いていたらしい。
それから何人か、そこらへんの人や、売り子などにカイエ行きの値段を聞く。「大体10000ぐらいだったかなー」。そうかやっぱそうなのか。「7000ぐらいだよ。」え!?うっそ!マリ人の売り子にそう聞かされ驚愕。危ない危ない。
バスがやってきて、同じくカイエに向かうギニアビサウ人のマオドという男と一緒に乗り込もうとすると、「12500だ!」と徴収係の男がぬかしやがるではないか。そんなはずない!7000てきいたもん!おかしいで!「分かったよ!チケットが9000、荷物が1000で10000にしといてやるよ!」
とりあえず乗り込み、人が集まるのを待っていると、マオドが「カイエまでは7500だよ。」と教えてくれた。さっきマオドがボクに料金を教えようとすると、あの男めマオドに何かまくしたててお前は黙ってろみたいなことを言っていたんだ。畜生め。
おいこら!チケット7500らしいやないか!荷物代2500ておかしいやろ!高すぎやろ!と猛抗議。フランス語で返されるため理解不能。さらにマオドにフラ語で説明されるがそっちもあまりよくわからない。
ともかく、せめて1000返せ!「何が問題なんだ?そんな少しのお金。何も問題ないじゃないか。」などとふざけたことをぬかすので、おうそうか、返さないんなら他のバスを探すから荷物おろせ。と出て行こうとすると「わかった!後で返すから!」
結局9000。荷物代に1500も支払った計算になる。ああ疲れた。疲れたうえに悔しい。腑に落ちない。しかも人が集まらない。
8時にはバスターミナルにいたはずなのに、出発したのは12時だった。すると隣に座っていたマオドが、2000セファがどうのこうのと言ってきた。何のことだ?と何回も聞き返していると、どうやら「国境手前のキリダの町までは料金払ってるんだけど、カイエまではまだ払ってないんだ。2000セファおごってくれない?」と言っているようだった。
ちょっとこいつの神経を疑ってしまった。たった今嫌なセネガル人との交渉で1500も余分に支払わされたのを目にしていたはずなのに、よくもおごってなんて言えるなお前は。軽い感じで聞いてきたので、こちらもつとめて軽い感じに、無理。もう9000も払ったんやで?これ以上何で払えたりしますか。と返すとそれ以上聞いてはこなかったが、しかし残念だ。いい奴だという印象を持っていただけに。
朝から余計な体力を使い疲れてしまったため、何度も窓枠で頭をぶつけつつ眠っていると、突然妙な音とともにバスが停まった。タイヤがパンク。
やたら整備不良の車にひっかかる今日このごろ。ツイていない。
結構時間がかかるようなので、1キロ先のバラという町まで皆で歩き、そこで待つことに。
食堂で同じバスに乗っていた親子がぶっかけ飯を食べていたので、それ何?ときくと「アルニャーメ」とスプーンをよこしてくれたので一緒にいただく。ジャラーマ。お礼にファンタをあげると、またジャラーマといってバナナをくれた。こういう、ごく自然な優しさにはお礼をしたくなるのだ。
16時、いい加減待ちくたびれたころようやくバスがやってきて、再出発。マオドとジャミポッドを聴きつつ。
18時、国境の町キディラに到着、すると、バスの連中が「ここで降りて、こっちのタクシーに乗り換えてくれ。」と荷物をよこしながら言ってきた。はあ!?お金は!!「カイエまでもう払ってあるから」じゃあオレは一銭も払わなくていいんだな!?「うん。」といって去っていった。本当か。本当なのか。
ニキニキニン?ニキニキニン?と謎の呪文を唱えつつ群がってきた女の子達にあちこち触られながらバイバイと言ってタクシーに乗り、「パスポート。」とドライバーに言われおろされる。ああ、イミグレーションですか。はいどうぞ。とポリスにパスポートを見せると、「スタンプはここじゃないよ。町にある警察署でやっとくれ。」え?なんじゃそりゃ。
ドライバーに言うと「じゃあそこのタクシーで町まで行ってきてくれ」お前が連れていってくれてもいいじゃないか。「無理だ。」じゃあここで待ってるんだな?お前カイエまで運転するんだろ?「違う!オレはディボリまでだ!」ディボリって!すぐそこじゃん!え!どゆことどゆこと!金は!カイエ分まで支払ってあるんやぞ!
すると面倒くさくなったのか、さっきのバスの連中から預かったであろう3000セファをよこされ、荷物をおろされた。隣にいたタクシーに警察署までいくらだときくと「1000だ」とまたふざけたことをぬかすので、あーもう!んもう!とぷんすかしながら歩いて町まで戻る。
結局私は、タンバからキディラまでの道のりに6000セファ支払ったことになるのですね。確かここまでは4000で来られたはずだから、荷物代が2000なわけですね。
泣きたい。
警察署に向かう道すがら、「バマコに行くのか?ならバス知ってるから案内してあげるよ」ともう見るからに面倒くさそうな男がついてきた。
出国スタンプをもらい、ここからほんの1キロ先にあるディボリのバスターミナルまで歩いていると、その男が「ここでチケット買えるよ!ほら!ね?」とレストランの店先に座っていた男と彼が持っていた本物らしきチケットを指差した。ほほう、マリはどうやらバス会社がしっかりしているらしい。バスの写真やバス会社の名前が印刷された、いかにもチケットです!なチケットを見て少し安心し、いくらだ?と尋ねると「3000。」と正規らしき値段だったので、ここで購入。
ところで荷物代は請求されるのか?ときくと「1000ぐらい」無理です買いません「ノープロブレム。」荷物代は要らないと訂正してきた。
無事チケットを入手し、そんじゃあとディボリに向かっていこうとすると、最初の男が「オレがこのバスチケット教えてやったんだから、タバコの一つでもおごってくれたってよくないか?」と言ってきた。でました。面倒くさい面倒くさい。じゃあこれバナナあげる。と余っていたバナナを二本あげると、「そんなのいらない!」と男。チケット売りの男は嬉しそうにバナナを頬張る。
んじゃ、改めましてさようなら、と歩きだす。
一分後、慌てて戻る。
今オレここにヘッドライト忘れてなかった!?とバナナを食べていた男に尋ねると、「さっきの男が持ってったよ。」
サーーーーーー。暗くて男の姿なんか見つけられそうもない。どこへ行きやがったあの男。置き忘れた自分の不注意がいけなかったが、それにしてもたった一分のすきにさっさとヘッドライトをちょうだいして姿を消すあの男って一体。確かマリ人とセネガル人のハーフだといっていたな。
セネガル人め。
大事に使っていた、もらい物のヘッドライト。今まで洞窟や停電中など数々の場で活躍をみせてくれたヘッドライト。失ってしまった。ほんの小さな物だが、アフリカでかなり重宝していたのと、セネガル人にやられた悔しさで、悲しみ倍増。
しね!あいつ絶対バチ当たってしんでまえ!とブツブツ文句を言いながら暗い夜道を歩く。
しかし暗い。足元がほとんど見えない。
ズコっ!!!!
今こそヘッドライトが必要なのに、と思っていた矢先、溝にはまって見事に転倒。ヒザを思い切りすりむいた。流血。
泣きたい。殴りたい。叫びたい。
二度とセネガルなんか来るかボケが!ああ痛い。最悪な一日だ。
「ディボリに行くの?」ボロボロの体で歩いていると、バイクに乗った男に声をかけられた。また面倒くさい奴なのか?もういいだろう充分痛めつけたろうオレの事は・・・と思いつつもうんそうだよ、と答えると「バマコに行くの?」ううんカイエまで。もうチケット持ってるから。「それどこの会社?」しつこいなあ何だよこいつは、とチケットを見せると、「なんだやっぱり!ボクの働いてる会社のバスだ!丁度いくところだから後ろ乗んなよ!」え、でもお金は?タダ?「当たり前だろ!」
どうやら普通に親切な奴だったらしい。アラビア語を話すというのでイスマック?と尋ねると「ムスタファだよ」と。そしておまけに英語も話せたので、たった今おこった悲惨なヘッドライトと転倒事件の顛末を話すと、「それは災難だったね。」と同情してくれた。
「そこにいる奴にカイエ行くって言ってごらん、手助けしてくれるから!」とおろされターミナルに到着。ベンチで寝ていた男に話しかけると「シヌワ?」ううんジャポネだよ。「ブルースリーだ!」えらく嬉しそうにブルースリーの映画について語り始めた。アダマという名の彼もまた、このバス会社で働いていて、マリ人だそうだ。
セネガル人じゃない!
それだけで信用に足るような気さえしてしまう今なら。フランス語をほとんど理解しないボクに、ひとつひとつジェスチャーを交えつつ話してくれる、内容はやっぱりブルースリーだけれども。そしてここでもまた、さっき起こった事件について愚痴る。と、「大丈夫。もうここマリだから。」
え?うそやん!まだ入国スタンプ押してないもん!「でもマリだよここ。」
確かにセネガルは既に出国した。そうか。ボクはもうマリにいたのか。
なんだかそれだけで随分気が楽になった。
汗や砂埃で汚れ、疲れ果ててうとうとしていると、別のマリ人が「朝までここで寝てたらいいよ。」とゴザを敷いてくれた。あちらとしてはほんのちょっとの親切だったのだろうが、今のこの状況のボクにはその優しさがかなり染みた。ありがとう!と言って寝転ぶ。
しばらくするとなにやら涼しい風が吹いてきた。おいおいまさか扇風機まで用意してくれたのかよそこまで親切にしてくれなくていいよ〜。と目を開けると、雷が光り、人々は屋根の下に移動し、風がびゅうびゅうと吹いていた。ああ、スコールだ。さ、さすがに扇風機まではないよね!
間もなくおびただしい量の雨が降り始め、一同屋根の下で待機。それでも、周りにいるのがみんなマリ人なことや、ゴザや、強い眠気のおかげで、ぐっすり寝られた。
マリ日記へ
一瞬セネガルとギニアビサウ(2009年10月11日〜16日)