真夜中着でも助かった

あっさりとモロッコに入国し、途端に騒々しくなった辺り。モロッコだ。タクシーを広いここナドール( Nador )の町の駅まで向かう。かなり新しく、つい数週間前から使われ始めたという駅で、ドナの彼氏のいるフェズ( Fez )行きのチケットを98ディナール(約1150円)で購入し、乗り込む。

エアコンが効きすぎて寒い電車に揺られ、二時間程眠ると、Taourirtという発音のよくわからない駅に到着、電車を乗り換える。

電車を降りても外も肌寒い。秋、ですね。

乗り換えた電車はコンパートメントタイプのもので、四人づつ仕切られた個室のような席に着く。エアコンはついていないのでだいぶ過ごしやすく、さっきの電車よりもゆったりしているので、また、眠る。

寝袋が心地良い。僕のはオーストラリアでもらった安物の寝袋なので、保温性にそこまで優れていなく、こういうちょっと肌寒い環境に最適なのだ。言い換えれば、極寒の地では使い物にならない。

3時間半ほどで目的地のフェズに到着。すると駅までドナの彼氏ムニーラとその連れが迎えにきてくれていて、共にタクシーで、メディナと呼ばれる旧市街へと向かう。

そこで安宿まで連れていってもらい、また明日、と別れる。ホテルモーリタニアというこの安宿、一泊シングルで80ディナール。およそ940円。高!

モロッコって意外と高いのね。

路頭に迷って断食で苦しんで


夜中、蚊のうっとうしさに目を覚まし、蚊帳をとりだし再び眠る。快眠。9時過ぎに起床。ラマダーンにそれとなくチャレンジしてみることにした。

水を飲んでしまったのは一日目だからと許してもらうことにして、日没まで何も食べない。ぞ。

11時にドナとムニーラと待ち合わせをしていたのだが、案の定現れないので一人でメディナを散策。初めてで迷わずに行動出来る人はまずいないだろうというほど入り組んだ路地路地路地。

普通の、単純構造の町ですら迷う僕がここで迷わないわけがまずないじゃないか。

ホテルを出て五分で迷ったが、それを悟られまいと私大丈夫です顔で突き進む。モロッコ人達に「ニーハオ」だの「コンニチハ」だのと声をかけられる。この感じ、久しぶり。欧州ではまずない状況だから。

そして毎度のように「ちょっと案内してあげるから!」と絨毯屋に連れていかれ、あれこれ買わないかと言われる。こういう類の妖怪、じゃなくて客引きはもう腐るほどみてきたので、適当にあしらい、エジプトで覚えたアラビア語をいくつか話し、そこからアラビア語講座へと話題を変え、新たな単語を覚えたところでそんではさようならと店をあとにする。

ところで、ここモロッコでは人々はモロッコ方言のアラビア語、フランス語、ベルベル語が使われているそうなのだが、エジプトのアラビア語も理解してくれるので割と使える。が、できればモロッコ方言をしゃべったほうがよさそうなので、一から勉強し直しである。

などと勉強できますわたし風なことをほざいている間にもどんどん迷い、挙句の果てにはメディナの外に出てしまい、影ひとつない炎天下の道路をひたすら歩く羽目になった。おまけにラマダーン。

腹へった喉かわいたここはどこぽこあぽこ。

全く予期せぬタイミングで、デ、デジャヴ?と一瞬目を疑った、見覚えのあるさっきの絨毯屋に戻り、どうにかそれを起点に宿まで帰ることができた。

すみませんラマダーン。まだ初日だから・・・水を飲んでしまう。

ムリはいけないよ。

バタンとベッドに倒れこむとそのまま一時間寝てしまっていた。起きてネットカフェに行く途中、モロッコ人のケンカをみかけた。話にきいていた通りだ。ラマダーン中は気がたってケンカや事故が格段に増えるのだそうだ。 何のためのラマダーンですか。

今日のラマダーン終了時刻は18時35分。毎日二分づつずれていくそうだ。太陽にあわせて。現在18時。もう少し・・・腹へった・・・路上に屋台がどんどん現れ始めた。

もう少し、宿で待機しようと帰っていると、偶然ドナ、ムニーラ達に会った。「今朝はごめん!爆睡してた!」予想通りだったからいいよ気にしないで。

ムニーラの家に招待され、念願のご飯をいただく。もう気が狂いそうである。そしてこのご飯の豪華さよ。トマトと野菜のスープ、パン、魚のフライ、魚の目からとったエキスで作ったペースト、鶏肉の心臓、甘いデニッシュパン、ミルクシェイク、オレンジジュース、ざくろ・・・凄まじい勢いで遠慮なく食べてしまった。

かたじけない。シュクランギッダン(どうもありがとう)。ようやく落ち着いたところで、食後のミントティーをいただきながら、それでもざくろを食べる手が止まらない僕は、ムニーラ達に日本語を教え、アラビア語を教えてもらう。「他の奴らも知らない日本語教えてよ」と言われたので、「爆笑」「ヤンキー」「ハナクソ」この三つを丁寧に教えておいた。もっと他になかったか。

それから、お母さんにお礼をいって、近くのカフェへむかう。狭苦しいけどくつろぎ空間がモットーです、と言いたげなカフェである。そこにさまざまな旅行者やちょっといなせな地元のヤング達が集まって、所狭しと会話を繰り広げている。

ポーランドから11人の大所帯でやってきた人達に囲まれ、しゃべる。狭い。苦しい。腰痛い。

「むっさギターの上手い男がいるのよ」とドナに聞かされていたその人物が演奏を始める。う、ウマ・・・そのギターさばき、指使い。モロッカンソングがこのフェズの空気とマッチして実に素敵だ。歌も上手い。エモーショナル。って何。

昼間の疲労が色濃く残っていたせいか、眠気を覚えたので23時過ぎには宿に帰り、就寝。明日の朝の分も今食べておこう、と買って帰ったチョコパンをほおばっておいた。

ラマダーン続くのか、オレ・・・

文明は砂漠にまで及ぶ

このようにしてフェズで数日過ごし、とりあえず移動しよう、と宿をチェックアウト。ドナがコピーしてくれた某ロンリープラネットモロッコ版の地図をひろげ、次の行き先を思案する。

と、丁度フェズの右下、アトラス山脈近辺に、Er-Rachidia(多分読み方エラチディア・・・)という大きめの町があるじゃないか。行ってみよう。

バス停で確かめると一日に十本近く出ていて、料金は82.5ディルハム。うむ、なかなかよさそうではないか、さあ出発。

その前にインターネット。グーグルぐぐる。一応町の情報収集しておかないと。ふむ。すると、驚くほどヒットしない、エラチディア。ようやくヒットしたかと思って開いてみると、そこにはかつてここを旅した人の日記が。

「本当に何もないんだなあこの町。」

さて、気を取り直して、地図を広げてみる。うむ?エラチディアの左(西)のほうに、そういえばドナが「ここいいよ」って言ってたトドラ峡(Todra Gorge)てのがあるじゃないか。

検索。さっきの謎の町よりはヒット数も多く、宿などの情報もある。ほほう。いってみようか。

さらにあれこれ調べると、そこから右下(南東)、エラチディアのほぼ真下(南くん)に、なにやら有名な砂漠の町メルズーガ(Merzouga)というのがあるではないか。

しかも毎晩一本、ここフェズから直行バスが出ている。よし決めたこいつに決めた。

おや?そういえば・・・

そういえば昨日カウチサーフィン経由で僕に妙なモロッコ人からメールが来ていたような。今一度チェック。

「ハロー。もしメルズーガに来ることがあれば連絡してね。ラマン」

わお。ぴったんこかんかん。説明しよう。カウチサーフィンには、今自分のいる近辺にログインしている他のカウチサーファーを検索する機能がついていて、それを利用してこのラマンという人物は僕にメールを送ってきていたのだ。

というわけで早速返信。今宵フェズより参ります。泊めていただけると幸いでございます。

十分程で返事がやってきた「ウェルカーム。そんじゃ明日バス停まで迎えにいきます」やった。やったね。

まさかモロッコの砂漠でカウチが見つかるとは思わなかったぜ。フェズ駅前のバス会社、SUPRA TOURSにてメルズーガ直行のバスチケットを140ディルハムにて購入、21時の出発時刻まで、無駄に徘徊してみたり、ラマダーンを中止してクスクス(モロッコの代表的なお料理。クスっとした小さな米粒のような物体に、煮込んだ野菜とチキンがのっかってあってうまいのだ)を食べたりして時間をつぶす。

それでもまだまだ時間があったので、メディナからバス会社のオフィスまで、25キロ超えの荷物を抱えて歩いてみる。

基本的に皆タクシーやバスを使う距離である。妙な東洋人に興味を持った地元民(おっさん)に、道中握手を求められたりしつつも、小一時間で到着することができた。

曇っていて風もあったので汗をかくことがなかったのが幸いだ。しかも到着した途端に雨が降り始めたではないか。よっぽど日ごろの行いがよかったとみえる。

オフィスの前に座り込んで黙々と本を読んでいると、通りすがりのオッチャン二人が「メルズーガ行きのバス乗るのか?こんなとこ座ってたら危ないぞ、荷物盗まれるぞ。となりのカフェでコーヒーでも飲みながら待ってなさい。」と言われ、それもそうだと思いカフェにいきコーヒーを飲みながら待つ。

と、そのオッチャン二人も後からやってきて、丁度本日のラマダーンが終わって朝食(時刻的には夕食だけれども皆ブレックファーストと呼びます)をとっていて、干しぶどうとパンとタバコをくれた。親切なオッチャンめ、ありがとう。

ようやく21時になり、バスに乗り込み出発。最初のうちはノリにノってジャミポッドをききながら口パクしていたのだが、すぐに疲れて熟睡。

何度も停車して各地で人を乗せつつ進み行き、夜は更ける。寒!そしたら強力な暖房入って暑!

会って早々ドアを破壊させた男

深夜2時、食事休憩、夜が明ける前に、ラマダーンが始まる前に皆、「夕」食をとるのだ。僕もリンゴを二個買ってかじり、フェズで買っておいたマフィンと、ひまわりの種やピスタチオのミックスおつまみを食べる。寝る。

目を覚ますと既に辺りは明るくなっていて、時計をみると6時半を過ぎていた。

む?む?

腹部に違和感を覚える。懐かしいこの感覚それに次いで襲い来る「危機感」。

久々うんこもれそう。

ラマダーンを強く意識して朝が来る前にあれこれ食べておいたおかげさまで、体のリディム(リズム)が崩れたもよう。ジャミポッドを聴いて精神統一。

や、やめろ重低音のきいた曲は!!

急いでプレイリストを変更し、リラックスできる曲を聴く。まさかのゴンチチ大活躍。

先ごろ無事出産を終えた友人の苦しみを想像しつつ、それに比べればこんなもの、チャラヘッチャラさ。と己をなだめ、目を閉じて静かに肛門様を〆る。

ようやくメルズーガ手前の町リッサニ(Rissani)に到着。あと37km・・・もつのか俺・・・。しかもここで停車した途端客引きがバスの中の僕にまで声をかけてきてやれこのバスはメルズーガに行かないだの砂漠ツアーはどうだだのとやかましいので、一瞬腹の痛みを忘れてしまったではないか。

あ、ありがとよ。

しばらくしてようやく出発。37km・・・あと何分だ・・・そして何だこのちょっとした嫌がらせは・・・悪路。

昨日まで雨が降っていたらしく、道が巨大な水溜りになっている箇所がいくつかあり、その度に減速せざるを得ないバス。

もう、突っ走っちゃってよそんなの無視して。

水戸の肛門様が限界を向かえそうになった頃、ついに、ついに!メルズーガ到着。

「どこのホテルに泊まるんだ?」ときいてきてくれる運転手のおっちゃんに、ともかくトイレへ行きたいと告げ、ともかくバスを降りる。

すると一人の客引きが現れたので、ともかくトイレを探している旨を告げると、「まだ朝早いから皆寝てるよ。あそこの裏でしたらいい。」と空き地を指差したので

ただ今催しております。ヒーリング効果のある森の画像、か何かでも想像してお待ち下さい。


気分爽快この世はパラダイスぅ!さて、ラマンに電話をかけたいのだが生憎公衆電話はカードのみだったので、客引きの男に携帯をかり、かける。

「オッケーちょっとそこで待っててね。」

携帯かりた分いくら?ときくと「20ディルハム。」と言われ何一つ疑うことなく支払ったが、数時間後改めて思い返して気づいた。高!!凡そ2ユーロ。260円である。

ともあれ、20分ほどでラマンがかけつけてきてくれ、バイクの後ろにまたがり彼の住む村へと向かう。5kmほど離れた場所なのだそうだ。

コンクリートの道路から脇へそれ、あぜ道をガガガと向かう。僕の荷物が重たすぎるせいで、バウンドする度跨っている荷台が後輪とこすれて不吉な焦げ臭いにおいがする。

そして意外に遠い。

バイクとラマンの肩を掴んだ腕がぷるぷるしそうになる。でも、だだっ広い荒れ果てた大地を走る感じが、どことなくモーターサイクルダイアリーズに思えなくもなくて、ちょっぴり嬉しい。

ようやく到着した彼の村は、真後ろに砂漠がそびえるまさに砂漠の村だった。「ここがカウチサーファー用の家ね。はいこれカギ。わたしはすぐそこの店で働いてるから。」

なんと。自宅とは別にまるまる一軒、カウチサーファー用に家を所有しているのだ。しかもでかい。寝室が二つにキッチン、バスルームにリビング。砂漠の村の家だからこれまた土壁でできていて風情が漂っている。素敵やんさ〜!!

荷物をおいてラマンの店へ出向き、彼の愛娘、一歳のファディマと対面する。下の歯が二本だけはえていてニコっと笑うと恐ろしく可愛いのだ。よく笑う子供は本当に愛くるしい。

それから少し辺りを散歩するも、昼間にあちこち歩きまわると体力を消耗し、ラマダーンが大変になるので、大人しく家に帰る。

が、部屋のカギがあかない。確かにさっきは閉められたのに。何度試してもあかないので、ラマンに言うと、「これは問題発生やわ・・・」と言って姿を消し

トンカチを持ってきて壁を破壊した。

ギャ!え!!?いいの!?ええのそんなして!!申し訳ございませんわたくしの不手際のせいで・・・と平謝り。「いいのいいの。あとでこの壁の土、水につけてまた塗りなおすからおいといてね。」

本当にそんなに簡単に直せるものなのかと思いながらもバス移動の疲れのせいか、熟睡してしまっていた。

起きたら壁直ってた

えぇぇ。砂漠の家って便利・・・なのか。

ほっと安堵してまだまだ押し寄せる睡魔の波に飲まれ、眠る。

結局一日中眠り、ついに本日、完璧なるラマダーンに成功!夜明けから日没まで一滴の水も、一粒の米も口にせずして過ごした!万歳。

でもね、思ったの。ラマダーンしてると、まともに旅行できないよね。喉の渇きと空腹を恐れて日中の外出慎んじゃったら、何もできやしないよね。

そしてもひとつ思ったの。僕ってもともとまともには旅行してないから、支障はきたさないよね。

万事快調。が肛門騒ぎは二度と御免こうむる。

砂漠散歩

翌日は朝から散歩へ出かける。歩いて五分で砂漠です。数日前に雨降って地固まったところなので、かなり歩きやすくなっている。

空には雲ひとつない青空が広がり、それを背にどでかく続く砂漠。砂のベージュと空の青が綺麗に映える。町を見渡せるポイントまで登り、一休み。と、町の向こうに湖らしきものを発見。ようし、歩いてみようではないか。

磁石で方角を確認。南西へ。ジャミポッドをききながらひたすら歩く。時々磁石を確認すると、全然違う方向へ行っていたりする。

二時間近く歩いてようやく到着した頃には喉がカラカラでパリパリだったので、ラマダーンを速やかに中止して水をがぶ。飲み。湖に足をつけて休憩。しているとラクダの群れも湖に向かって歩いてきた。こんちは。

いつまでも座っていたところで特に何もないので、帰る。今度は北東の方向へ。

炎天の下歩いているので汗がじわじわと滲んできて、リュックを背負っている背中から不快な臭いが漂ってきて自分にイラっとくる。

帰りも一時間強かかり、家に着いたころには力を使いきり、即刻シャワーを浴びて残った今日の時間は部屋でごろごろすることにする。

と、新たなカウチサーファーがやってきた。フランス人のカップルフレッドとルーシー。レンタカーでここまでやってきたそうだ。

しばらくごろごろしていると、夕陽を見に行かないかと誘われ、二人の車に乗せてもらう。

町を少し離れた場所で、そこにはだだっ広い荒野と低い山があるだけで、その向こうに巨大な太陽が沈んでゆく。何度みても凄まじい存在感だなあいつは。死ぬまで見飽きるなんてことはなさそうだ。

「あっ」という間に沈んでしまい、用が済んだらさっさと帰る。またごろごろしていると、ラマンが夕食に誘ってくれたので皆でお邪魔する。ミントティーをいただく。このティーが、至極似ているのだ。僕のじいちゃんの家で飲んでいたお茶の味に。懐かしい。どくだみ茶に近い味。な気がする。

そしてご飯はチキンタジン。旨いのだ。これを皆で食べる時は、最初に野菜をたいらげ、最後にチキンを分け合うのが正しい食べ方だそうだ。

フレッド、ルーシーとラマンは流暢にフランス語で会話を楽しんでいる。そりゃそうだ。彼らはフランス人だもの。だがモロッコ人、なんなんですかこの人達は。ほぼ全国民がアラビア語とフランス語、ベルベル語の三ヶ国語を喋るそうなんです。そして観光客を相手にしている人達に至ってはそれに英語、スペイン語なども加わりもう訳が分からない。

パリに三週間もいたのにフランス語の勉強を怠っていた自分を激しく省みる。

愉快なモロッコ人宅へステイホーム

午前中のんびりと過ごし、荷造りをし、部屋を掃除して、砂漠の町メルズーガを発つ。幸運にも、マラケシュに向かうつもりだと話すとフレッド、ルーシーもマラケシュに戻るというので、車に便乗させてもらえることになった。

ラマンとその娘ファティマに別れを告げ、出発。と、走り出して数分後、フランス人のオッサンがヒッチハイクをしていたので乗せる。

メルズーガから少し離れた町で降りるまで、ひたすら何かフレッドに話しかけていたので、よく喋るオッチャンやわーと思っていたら、「さっきのオッチャンちょっとおかしいで。ひたすら真実とは何かみたいなこと説明してきよったわ。」とフレッド。

時々そういう人に出会う。旅をしていると。宣教活動ではないが、何やら熱心に語りかけてくる人に。

気を取り直して走る。ジャミポッドや、ベルベルミュージックのカセットテープなどを聴きながら。

ひとしきり歌い疲れると後部座席で熟睡。起きると目的地ウアルザザットという町に到着していた。

二人がメルズーガに来る前に、カウチサーフィンで世話になったカマルという僕と同い年の青年の家へ再び泊めてもらうのだそうだ。

仕事終わりのカマルを町でひろい、さらにその妹ネーマをひろい、市場で買い物を済ませ家へ向かう。途中、凄いものを見た。見てしまった。

かつてないほどに赤く煌々と燃え滾る夕焼けを。パノラマを越えるパノラマ。荒野以外に何もない場所を突き進んでいるので、夕焼け拝み放題なのだ。一心不乱にシャッターを切るが、だめだ。写らないのだこの凄まじさは写真には。夕焼けモードで撮ってみても、感度や露出を変えてもだめだめだ。

肉眼での迫力は伝わらない。残念無念。

アスファルーという村にある彼の家へ到着すると、兄弟のジャーメル、アブドゥルとおとっつぁんおっかさんが出迎えてくれた。

陽が沈み丁度今日のラマダーンが終わった時間だったので、朝食をいただく。甘いミルクティに野菜のスープ、パンとオムレツ。ああ美味い。皆で食べると尚美味い。

食後におとっつぁんとフレッドと、アーモンドの殻を使ったパチンコ遊びをする。いや、縮小版ビリヤードといったほうがよいかもしれぬい。ぬい。

それからモロッコ版トランプ、その名もカルタで、フィフティーンというゲームをする。 手持ちの札4枚、場に4枚の札があり、1枚づつ場にカードを出し、数字の合計が丁度15になれば自分の得点にできる、というシンプルなゲームだ。

しかしこのカルタ、普通のトランプと違うのが、8、9、13のカードが無いところ。不吉なのか。そうなのか。何故無いのかは、モロッコの七不思議のうちの一つとなっている。のか。

僕が見事に勝利をおさめたところで、近くにあるカフェで働いているラシッドという名のイトコを訪ねる。ここでもミントティー、通称ベルベルウィスキーとアーモンド、オリーブなどのつまみをいただき、談笑。

が、ほぼフランス語。時々気にかけて英語で話してくれるその気遣いをありがとう。

一時間ほど過ごすと「タジンが出来上がる頃だな、帰ろう。」と家へ。

さっき食べたばかりじゃないか、と誰が言ったか知らないが、今はラマダーン中。さっきのは朝食、数時間経てば昼食をとるのは普通だろう。

皆でテーブルを囲み、ぺろりとたいらげる。食後のフルーツもぺろりんちょ。幸福な食卓でした。

またしてもカルタで圧勝し、0時をまわった頃就寝。この後家族の皆は4時に起きて夕食をとっていた。ラマダーン。著しく生活リズムを狂わせる行事。

モロッコの村版グランドキャニオンへ


ぐっすりと眠りのろりと9時前に起床し、外でツメを切りながら小猫とじゃれていると、「ドーシュ?ドーシュ?」とおっかさんがきいてきた。ああ、シャワー!はい、いただきます。

わざわざお湯をバケツに用意してくれていた。シュクランビッゼフ!(むっちゃありがとう。)アラビア語はエジプトで少し勉強したのを覚えていたので、小出し小出しで使っているのだが、モロッコとエジプトでは若干違うのだ。方言のようなものだそうで。エジプトならシュクランギッダン。それ故またしても覚え直さなければいけない。畜生。

ともあれ汚れきった体をすっきりまるっと清め、くつろいでいると、自分達はラマダーン中なのにも関わらず、僕達に朝食を用意してくれた。なんと優しい家族なのだろうか。

感謝してぺろりといただき、車でスーク(市場)へ行ってみることに。

青空市場でした。青空の下毎週(多分)開かれる市場。日用品から食料までありとあらゆるものが並んでいる。ぐるりとみてまわり、一緒に来ていたラシッドが野菜を買おうとすると、その野菜の男が「外国人と一緒だから3キロで100ディルハム(およそ1300円!)」などとぬかしたのだそうだ。

ヤな奴。だがちょっとラシッドには申し訳ないような気になった。結局買わなかったのだけれども。

ウアルザザットの町で水などを買って、家に帰る。そしてカルタ。

今度は「うすのろ」に似たゲームをする。うすのろをご存知ない方は各自グーグル下さい。全ての札を均等に配り、手持ちの札を見ないまま一枚づつ出してゆく。そして2が出たら「ハババ!」と叫び、10が出たら「ボンジュマダーム(ボンジュールマダム)」と呼びかけ、11が出たら「ボンジュムシュ(ボンジュールムッシュ)」と声を張り、12が出たら敬礼とともに「レイセン!」と雄たけびをあげる。そして1が出たら可及的速やかにその1の札の上に手をのせる。一番遅かった人はそれまでに場にたまった札を全部もらいうけなければならない、最初に手持ちがなくなった人が勝ち、というルールだ。

これが容易に盛り上がれるシステムになっていて、面白い。皆必死だもんで、ハババ!と叫びながら札を取ってしまったり、マダムが出てきたのに敬礼をしてしまったり、こんがらがっちまうのだ。

ひとしきりはしゃぐと疲れたので、小猫を腹にのせ昼寝。幼稚園生のような暮らしぶりですみません。

結局飛び交うハエの鬱陶しさのせいでろくに眠れず、皆で近くの岩場に探検に向かう。

ヘッドランプ持参で。畑を越え、川を渡り、岩を登る。どこへ向かうの俺達。 岩といえど一部砂が固まったような部分もあるので、足場が不安定。慎重に、時に裸足で突き進む。

と、到着したらしい。な、なんだこれは。謎の洞穴発見。

遥か昔に何者かが生活をしていたような場所だそうだ。こんな岩山の中腹に作ったのは、敵が容易に攻めてこられないようにするためだろうか。奥へヘッドランプと共に潜入すると、小部屋がいくつもあり、ますます生活臭がする。

しかも、洞穴をロッククライミングするとさらに上にも小部屋が続いていたのだ。二世帯住宅?

撮影会を終えると、陽が沈んできたので帰る。川でサンダルをばしゃばしゃと洗いながら歩き、途中見つけたカエルに接近してクローズアップ撮影をしたり、落ちていたコルクのような物を拾って持ち帰ったり、まるで少年ボーイズ。平均年齢は26。

腹を空かせて家に帰ると、これまたジャストなタイミングで朝食。ナンにスパイスだかペーストだかを塗ったものと、野菜のスープ、ミルクティーをいただきます。ハッラ!(ラは巻き舌で。辛!)どうやらナンにチリが潜んでいたようだ。ハッラ!!急いでミルクティーのおかわりをいただき、死なずにすんだ。

食後はまたしてもカルタ。すると窓の外枠に小猫がしがみついて「入れて〜!」と鳴いていたのでドアを開けてやると、ミャ〜と走って入ってきた。可愛すぎたので思い切りじゃれてやった。

しばらくすると昼食のタジンが出来上がり、皆でいただきます。ごっつぁんです。

その後、ついに、本腰を入れてフランス語を勉強することに。ルーシーとカメルに教えてもらう。主に旅で使う用語を。フランス語はこの先まだまだ役に立つのだ。

しかし難しい。数字なんてもうアホだろう。なんで70が、「60と10」という言い回しになるのだ。どういう概念をもってしてこんな風にしたんだフランス人は。あああああああ

アトラスの山に酔う

夜中何故だか暑くて、さらにかゆくて眠れず、3時に外に出て風に当たったりしていた割には早起きで9時前には既に目を覚ましていた。

朝食をいただき、とびついてくる小猫にも分けてあげ、シャワーを浴びて爽やかな男になったら、皆で畑見学へ。歩いていると近所のファディマという女の子もついてきた。

とうもろこしやザクロ、無花果など色々。貴重な食料。ぐるりとみてまわり、帰って荷造り。家族の集合写真を撮り、二泊させていただいたカメル達とお別れだ。

おとっつぁんが「正月にまた来るか?」と言ってくれたので、イルシャアッラ〜と答える。神の望むままに、という意味なのだが、先のことなんて分からない、なるようになりましょうといったニュアンスでよく使われる素敵な言葉。予定は未定、がモットーの僕にぴったりだ。

いよいよマラケシュに向けて出発。距離にすると180km程度とそんなに遠くはないのだが、アトラス山脈という、4000メートル級の山を越えなければならないので、カーブがやたらに多く、結構時間がかかるそうだ。

毎度恒例ジャミポッドを聴きながら歌い、ノリにノリつつ突き進む。間もなくアトラスの山へさしかかり、急激に気温が下がる。さぶっ!!それにしても雄大な眺め。アトラス。カーブを越える度に果物売りのオッチャン達が現れるのがロールプレイングゲームに出てくる敵っぽくて笑えたが、それも最初のうちで、段々とこう胸がドキ・・・いや・・・むかむかしてきた。

写真なんて撮ってらんない・・・これをまさに、車酔いと呼ばずして何と呼ぼうか。

後部座席に横たわり、生命を存続させようとする僕の本能の赴くままに眠気に誘われる。

起きると「いぇーい!マラケシュだぜー!大気汚染いぇーい!」とフレッド。どうやらマラケシュに到着していたようだ。あっけなかったアトラス!

車に便乗させてもらえただけでもありがてえのに、さらに、「オレのオカンがマラケシュに家もってて、でもそれ売りに出してて誰もいないから使い放題なんだよね。泊まってく?」と素敵なお誘い。もうそりゃあもう、遠慮しやせん。お邪魔します。

ごく一般の、モロッコ住宅を想像していたのだが、何かが違う。さっき、ゲートをくぐってきた。警備員が常駐している区域。高・級・住・宅・街。

「着いたよーん」ぎゃーーーーーーーーーー

ぬぬぬなんだこれは。家というよりもむしろリゾートホテルと呼んでさしつかえなさそうな素敵なおうちじゃないか!吹き抜けの階段が中央にそびえ、奥にゴージャスなソファを携えたリビングルーム、上には3部屋の寝室それぞれバストイレ付きってあなたどうなってるの。

「もう、自分家みたいにくつろいじゃっていいよ。」ムリ。無理だよフレッド。だってこれまるでホテルだもん。「実をいうとオレも自分家とは思えないんだわ。違和感生じてる。」

二人の地元の友達ステファニーもここに泊まっていて挨拶。荷物を置いてしばらく、くつろごうとしてみる。どこに落ち着けばよいのかわからないのでテーブルと椅子のあるところにおさまり、パソコンを開きドラゴンボールを観てみる。

18時すぎ、腹が減って戦も何もできやしないので、皆で晩飯を食らいに出かける。タクシーをひろい、マラケシュ一番の観光客スポット、メディナ中央のスーク(マーケット)へ。

到着すると、写真でみたことのある光景が目にとびこんできた。広場に無数に軒を連ねる屋台屋台屋台。そして客を呼び込もうと各国語で叫ぶ店員達。

顔つきがそうなのか、皆フレッドにはオラ!とスペイン語で話しかけ、その度フランス語で「スペインじゃね!」と説教する。そして僕にはお決まりの「ジャッキーシェーン!」もうええから。と言いたくなるが言ったところで仕方がないので微笑み返し。すると「ミヤサコデス!ソンナノカンケーネー!」と嬉しそうに続ける店員。これで日本人のハートはがっちりキャッチ!なつもりなのだろうが、おやめください。

もし、毎度お騒がせしますのミポリン演ずる生意気な女子中学生ノドカ、やキョンシーに出てくるコウモリ道士、四万十川料理教室のキャシイ塚本先生などの物まねを不意にしてみせてくれたなら、間違いなく僕はその店員の働く店で食べるだろう。

だが、ソンナノカンケーネーの類はやめてほしい。ぞっとする。それを教える日本人にもぞっとする。まあ、不意にミポリンの物まねをされてもそれはそれでぞっとするだろうけれど。

そんなこんなで、適当な屋台に腰を落ち着け、チキンクスクスを注文。スープがやはり美味い。クスクスは、フェズで食べたもののほうが断然よかった。チキンパサパサ、味も薄くて残念な仕上がりだ。

ともあれ空腹は満たすことができたのでよしとして、スークをぶらぶらと歩いてみる。どうせまた明日やってくるので、チラ見程度にして、タクシーで帰る。タクシーで。

ブルジョワジー・・・

金遣いの荒いのがまだ止まない。そしてカメラをスられかける


もう随分とネットしてないから、ちょっといってきます。とステファニーに告げると「え三週間ぐらい?」ときかれたので三日も行ってないんだよ、とこたえ。「え?それって、随分なの・・・?そう・・・」

基本的に一日一回はグーグルの画面を見ないと妙な感じがする体質。サイバー人間。

とりあえずメディナの中へ入り、迷い込んでみる。意外にもすぐにネットカフェがみつかり、久々に、実に三日ぶりにメールをチェック。受信件数の少なさにぎょっとする。

これからの行き先に関する情報を検索したりして、終了、一旦家に帰り、パソコンを置いて再びメディナへ。

昨日は夜で、しかもタクシーを使ったので距離感がつかめなかったが、歩いてみるとスークまでそんなに遠い距離ではなかった。というかすんなりとスークまでたどり着けた自分に少し感動してしまった。

ぶらぶらと歩いていると、ジャラバという、ムスリムの伝統的な衣装を売っている店にさしかかった。上からすっぽりとかぶる薄手のコートみたいなもので、パジャマに最適!風なのだ。ひそかに欲しかったので、見てみる。

ふむふむ。なかなかええやんさ。で、いくら?「550ディルハムね。」ダボ!7000円近いやんけ!んなわけなかろう!「じゃあいくら?」相場が良く分からないのでとりあえず半額以下の200にしてみる。そこから交渉が始まり、あっという間に250まで下がったが、他の店ものぞきたかったので、またあとで、と立ち去ろうとすると「分かった200!」

これは、きっともっと安い。またあとで来まーすと去ると後ろから「イルシャアッラー」と聞こえてきた。こういう使い方もあるんだね。

そしてもう一つの店で同じジャラバを発見、きくと「300ね」いきなり200ディルハムも違うぞさっきの店と。ということは200なんかよりももっと安いはずだ。メイヤ!(100)にして。ノコッスシュワイヤ(ちょっとまけて)と言うと「無理!じゃあ100じゃなくて300じゃない値段、いくらなら買う?」だからメイヤですってば。「オーケー200!」それから150まで下がり、いいやメイヤだ、と言い続けると最終的に110で商談成立と相成った。

これが果たして安いのか普通なのかまだまだ高いのかよくわからないが、オノレ的に納得できたのでよいだろう。

さらに歩きまわっていると、ランプ屋の男に呼び止められたので、シーシャ用のタバコを探しているんだと話すと、店まで案内してくれた。が、タバコ1箱50ディルハム(650円)などとぬかすので、やめた。エジプトと比べると元も子もないのは承知だが、エジプトなら100円で買えるんだぞしかも全く同じ物じゃないかこれ。

やってらんないので立ち去り、ランプ屋の男、アブドゥルにミントティーをごちそうになり、しゃべる。丁度昨日でラマダーンが終わったので、昼間にティーを飲んでももう大丈夫なのだ。そこかしこでパンを頬張るオッチャン達が見受けられる。なんだか微笑ましい光景だ。

世間話の合間にすかさず自分や兄弟の店の宣伝をしてくるアブドゥル。今日はツーリスティックな一日にしてみようと、彼の兄弟が働く近くのスパイス屋へ足を運んでみる。

スパイスのみならず、ハーバルオイル、ティー、など多種多様なものが置いてある。おちゃっぱの一つでも土産用に買ってみようかときいてみると、ティーの他にこんなのもいかが?と勧めてくる白衣の男。「ベルベルファーマシーへようこそ」石鹸のような、いい香りのする物体を勧められる。「寝室に置いておいてもそれだけでリラックスできますし、こうやって手首に少し塗るとほら、いい香りでしょう?」ビカーム(いくら)?「おひとつ50ディルハムでございます。」ばか高いじゃないか。

が、場の雰囲気とブランドに弱い典型的日本人の血が騒いでしまい、「今ならこのミントティーとハーバルティーもおつけします」との売り文句に負けて、お得感を覚え、その石鹸のような物体二つとおちゃっぱ3袋を100ディルハムで購入してしまった。

値下げ成功した気分でしばらくいたが、冷静になったころ考えると、ばか高いじゃないか。おちゃっぱなんてそこらへんで何十円で手にはいるだろうし、石鹸のような物体だってあんな小ささならもっと安かったはずだ。

時既に遅し。納得しちゃった自分がそこにいたので、いさぎよく諦めよう。しょうがない。今日はツーリスティックな日なのだ。

ひとまず買い物を終え、次なる目的地のためにバスターミナルを探す。

とりあえず南に歩いてみて、マハッタオートビースフェーン(バスターミナルどちら)?とたずねる。ただのバス停に案内されたのでお礼を言って速やかにバス停をあとにし、ツーリストポリスで尋ねると、地図をくれた。

バブドゥカラ(Bab Doukalla)という所にあるらしい。メディナの中を歩くと時の迷い子になってしまうので、外に出て塀に沿って歩く。

ようし。迷わずたどり着けた。そこで次の目的地ダフラ行きのバスがないか尋ねると、直行バスは470ディルハムであった。グーグルさんにて検索した結果によると、アガディールという町で乗り継いでゆけば400ディルハム程度でいけるはずなのだが、と言うと「そしたらあーた、タンタンいきんしゃい。ほいでタンタンからダフラいきんしゃい。んだら安いよ。」とすすめられ、タンタン行きのバスを購入。160ディルハム。

ところでタンタンってどこ?地図をみせてもらう。「ここでっしゅ」ほほう、ダフラとマラケシュの真ん中あたりの町だった。ふむ。いいでしょう。行ってやろうじゃありませんか。名前の響きがどことなく好きですタンタン。

明後日の出発の時に、フレッドの家からどれくらいかかるのか計ってみようと、メディナを通って帰ってみると、美しいほどに、見事なまでに迷いに迷った。

するとそこらへんにいたキッズが案内してくれたのはいいが、またしても広場に戻ってきてしまったうえに、なんかちょーだいとせがまれた。何もないで。

それだけじゃ事足りず、男とぶつかった際にポケットに入れてあったカメラをすられそうになったではないか。ストラップがぺろんと出ていたのがいけなかった。

寸でのところで防ぎ、事なきを得たが急激に苛立ちを覚えコロスゾ!と叫び振り返った頃にはもういなかったぜ畜生。

踏んだり蹴ったりで都合二時間近くかかってようやく家に辿り着いた。あんちきしょう。が、出発当日はメディナを通らず外を周ったほうがよさそうだ、という結果を得られただけでもよしとしようではないか。

荷物を置いて少し休んだら、懲りずにまたしてもメディナへ。今度はしっかりと道を覚えつつ歩く。屋台で腹ごしらえをして、今度はCD屋でモロッコ及びベルベルミュージックを仕入れてみる。

そこでもCD5枚で250ディルハムに始まり、値段交渉。結局メイヤ(100)で成立。そろそろお気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、1〜10の他にメイヤしかアラビア語の数字を覚えていないので、やたら100ディルハムで話をつけようとしているのだわたくしは。

メイヤメイヤ。

帰ってCDを取り込もうとパソコンに入れると、一番ききたかったKhaledという超有名おっちゃんシンガーのCDが、空ディスクだった。くそあのCD屋め。明日文句言ったるどう。

皆でゴージャスなソファーでカルタに興じて、少し踏んだり蹴ったりな一日の苛立ちがおさまったところで、お休みボンニュイ。

もう少し嫌な思いをしてね

マラケシュを発つ前の日。旅にいらなくなった荷物とちょっとした土産を日本に送るため郵便局へ向かうも休みで、文句を言ってやろうと思ってCD屋に行くもまだ開店しておらず、挙句の果て帰り道に頭のおかしいババアに「うへへ〜」という具合にがぶり寄りされいきなり頭をベシっとしばかれなんじゃお前こらー!とキレる羽目に。

しばきかえそうにも一応、生物学的には女なのでしばけず、通りがかった青年に「あいつ頭おかしいから!ね!ほっといて、そうだうちにティーあるよ飲もう!」となだめられる始末。漫画的にこの時の僕を描写していたならきっと真っ赤な顔で鼻息フーン!の猛牛状態だろう。

踏まれたり蹴られたりの小さな災厄はまだ終わってなかったらしい。

大きなのがどかんと降りかかるのは勿論嫌だけれど、このちまちまとした、嫌がらせのような災厄も結構苦い。

というわけでこの日は大人しくブルジョワジーな家で過ごす。

夜になるとフレッド、ルーシー、ステファニーの三人も帰ってきて彼らの故郷フランスはブリタニー地方の伝統的なクレープを作ってくれた。ラムとウォッカで乾杯して皆で食べる。たっぷりのバターに砂糖をもっさりかけて食べる。セボーン。

作りながら食べるので一同台所に集結。段々酔っ払ってきてゲップがとまらない。最終的にはゲップで会話。

空腹が満たされカルタ遊びも一区切りつくと、もうぐだぐだになりソファーに寝転ぶ。そして僕は明朝五時にはここを出るので、先にお別れを言って寝床についた。

ながーい移動のはじまりはパトカーで連行から

4時45分起床。静かに荷造りをして家をでる。バスターミナルは丁度メディナをはさんだ反対側にあるのだが、メディナを通って行くと十割の確率で迷うことを思い知っていたので、メディナには入り込まず塀に沿って歩く。

すると、警察に呼び止められる。「おはよう、何やってんの?」

タンタン行きのバスが早朝発だからバスターミナルまで歩いているんです。「そうか。でも今の時間そんな大荷物背負って暗い街を歩くのは危険だぞ。タクシーでいきんしゃい。こっちおいで。」

と反対車線に立ってタクシーを探してくれる警察のおっちゃん。何台か停まるも運んでくれる気配がないので「よしこっちおいで、パトカー乗んな。連れてったるから。」

ありがとう!何と心優しい警察官なのだろう。「マラケシュから北の人間は、悪い奴多いから。特に都市部は。気をつけないかんでよ。」うん。おっちゃん南部出身なん?「そうやでえ。」

などと話しているうちに到着。「そこが乗り場だから。なんか問題が起こったらすぐ側の警察官に言いなさい。そんじゃ、気いつけてな。ボンヴォヤージュ。」

日本の警察官も、道に迷った外国人旅行者がいたらこうやって親切にしてあげてくれているのだろうか。昨日までちょっとした嫌なことがちまちま起こって、マラケシュを嫌いになりそうだったのだけれど、この警察官のオッチャンのおかげで全て消し飛んだ。朝から嬉しい一日。

バスに乗り込み、6時20分出発。すぐさま睡眠。2、3時間後どこかの村に停まる。念のためトイレにいくと、見事に放出。前回のバスで辛い思いをしていたので今回はかなり警戒している。

そこからは何時間か走って休憩、を繰り返し、尻が痛くなってきた18時前ようやくタンタンに到着。名前の響きが素敵なタンタン。降りたバスターミナルですぐさまダフラ行きのバスを尋ねると「ないで。」

ん?「タクシー!サプラトゥワー!」え?

タクシーで、SUPRA TOURSのオフィスまで行けということらしい。5ディルハムのグランタクシーに乗って向かうと、CTMという公営のバス会社の前でおろされ、結局そこから歩いてスプラツアーズまで向かった。

22時発があるらしいと聞いていたので尋ねるも、全くもって英語が通じない(フランス語を勉強しなかった自分のせい)ので、さっぱり訳が分からないが、どうやらバスは深夜1時発で、チケットはバスで直接買えという意味合いらしい。

今現在18時過ぎ。随分と時間がある。どうしてくれよう。こんなくそみたいな大荷物を持って町を歩きまわるわけにもいかないし。

近くの宿で部屋をとってみた。150ディルハムといわれたのでもっと安いとこ知りまへんか?ときくと「60の部屋あるけど・・・きったないのよ。」とレセプションのおばちゃん。汚かろうがなんだろうが、どうせ数時間しかいないから大丈夫です。で、50ディルハムにほんの少し値下げをしてもらい。

腹が減っちまったので、近くのレストランでタジンを食べる。ぎょ!うまい・・・マラケシュのタジンは煮込みが甘くて全然美味くなかったのだが、ここのは結構にこにこに煮込まれていて美味い。さらに今まで食べてきたジャガイモや人参のものとは少し具が異なり、玉ねぎやトマトが主役で、さらに肉も柔らかいし小気味よくコショウがふられてあってベリグッドだ。

ぺろりとたいらげて、引き続くバスの旅に備えつまみのピーナッツと大豆を大量購入。ネットカフェで?気にブログの更新などをし、シャワーを浴びてリフレッシュ、時間まで静かに読書。

乗り継いだほうが安く済むと思ってタンタンに来たのに結局宿をとったりして高くついているような気がしなくもないが、途中休憩ができたのでよしとすることにする。

時計は23時半を差している。ん?確かタンタン行きのバスの時計は一時間早かったような。もしかして西サハラ地域はまた時間が違うのか?と思い外に出て時間を尋ねると、0時半だという。ぎょ!

慌てて荷物をまとめオフィスへ向かう。ダフラ行き一丁!「2時やで。」え?

情報が交錯していて訳がわからない。とりあえずオフィス前で待つ。約一時間後、時間を尋ねると「今?今はあれだ、0時半だよ。」



それじゃあ僕の時計と同じじゃないか。一人で勝手に時差があると思い込んで慌てて一人で勝手に無駄に長時間路上に座り込んでいたのか。では一体何故さっき時間を尋ねた人は0時半と言ったのだ。英語だからだ。いけない。フランス語を覚えないといけない。

で、本当の、2時が近くなったころ、改めてチケットについて尋ねると。「今日はもう一杯やで。明日の4時だね。」

は・・・

それじゃあ一体僕は何のためにここに座り込んでいたの。じゃ、じゃあ手前のラヨーン行きは!?「ないね。」え・・・「あ、ちょっと待ちな。CTMなら今から行けばバスがあるよ」ウイー。

すぐさまタクシーでCTMのオフィスへ向かう。ラヨーンを一丁。「あいよ。5時発ね。」

ヴェ・・・

現在の時刻は2時。さらに三時間も待たなければならないのですか。他に手立てはないので、チケット代120ディルハムを支払い、再びオフィスの前に座り込み、待つ。眠りこけそうになる。こう、頭が落ちそうになるとがくんとなって起きる、電車でよく見かけるアレを繰り返す。

と、「奥にベッドあるから寝ていいよ、バスきたら起こしたるから。」お前いい奴!ありがとう。

従業員の仮眠用のベッドを貸してくれ、遠慮なく爆睡させてもらう。

まだまだながーいバス移動

ちゃんと起こしてくれ無事にバスに乗り込み5時出発。そして再び眠る。深く眠るためにアイマスク代わりに目元に布をぐるぐる巻きにしていたので、起きるとラヨーンだった。時刻は10時。

その場でダフラ行きのチケットを170ディルハムで購入。大の便を済ませるとすぐに出発。今度はスムーズに乗り継げた。

さらに眠る。寝てばかりいるように思われそうだが、実際寝てばかりいるので仕方が無い。

約二時間後ランチ休憩。調子にのってそこでティーを一人で1ポット丸飲みしたせいで、ウーンコーをしたくなってしまったが、コーウンにもすぐまた停車しCTMのオフィスに立ち寄ってくれたので事なきを得た。

いい加減眠るのにも飽きたので、読書に耽ってみる。乃南アサ氏の凍える牙という本。途中からどんどん面白くなってゆき、一気に読み終えてしまう。ポケットベルが出てきたくだりには時代を感じた。

ひたすら砂漠に次ぐ砂漠を走りゆくバス。この道路を建設した人々に敬意を表する。西サハラってもっと過酷な旅になるものだと思っていた。

陽もくれかかり、いよいよ目的地ダフラが近づいてくると、右手、つまり西側に海がみえた。海。大西洋。ここをずうっと真っ直ぐ西に泳ぐと、キューバあたりに辿りつく。なんだかドキがムネムネするではないか。

天気はドがつくほど曇りで、時折雷が光って美しい。むしろ、かっくいい。なんて思っているとポリスチェック。パスポートを見せ、職業をきかれ、無難であろうレストラン勤務と答える。同じバスに乗っていたイギリス人カップルはティーチャー、ライターと答えていた。本当らしい。

そこから都合三回程無駄にポリスチェックで同じように職業をきかれ、ついに、ようやく、いよいよ、ますます、ほとほと、ダフラに到着。時既に19時。

バスを降りると、一つ前のバスで到着していたギリシャ人のアゲロスというおっちゃんと会い、そのおっちゃんがバスの中で捕まえた地元民のムスタファにイギリス人カップルも一緒に安宿へ連れていってもらう。

ホテルアルマシーラ( HOTEL EL MASSIRA )というところで、シングル40、ツインで80ディルハムだったのだが、シングルが満室だったので、ギリシャのおっちゃんアゲロスとツインの部屋をシェアすることに。

まさかこのオッチャンとこの先滅茶苦茶なことになっていくなんて、この時の僕は知る由もなかった。

「マラケシュでビデオカメラを盗まれちゃったから、ちょっとカメラ屋を見に行こう。」と僕とムスタファを引きつれ外に。あちこち歩きまわって誰にでも話しかけ、そして話し込む。気になるものがあったらすぐさま向かっていってはぐれる。

忙しないオッチャンアゲロス。カメラを盗まれたのも数分間その場に置いてトイレにいっていたかららしい。そりゃ盗まれるよ!

結局探していた物はみつからなかったらしく、腹ごしらえをするべくレストランへ。海沿いの町なのだから、シーフードがいいじゃないそうじゃない。イカと白身魚のフライのセットを注文。

はじめに米とレタスとゆで卵をマヨネーズで和えたこれサラダなの?ご飯なの?という品を食べる。うまい。そしてメインのサマカ(アラビア語でサカナ)、カラマリフライ、さらにバゲットとフライドポテト。どいつもこいつもいい味してやがるのでぺろり。

色々と案内してくれたムスタファの分は二人で払い、幸せな満腹感を得たところで宿へ帰る。

シャワーを浴び部屋であれこれしていると、ビールを飲みに行くと出かけていたイギリス人の二人も帰ってきて、明日の西サハラ本格越えモーリタニア行きタクシーのチャーターについて話し合う。

宿の従業員の知り合いのドライバーと交渉。通常一人300ディルハム程度ときいていたのだが、350だという。なら明日直接タクシー乗り場まで行って探せばよいといって部屋に戻る。

すると最終的に275まで下がったのだが、もしかすると250でみつかるかもしれないので、そのドライバーに頼むのはとりあえずやめにしておいた。

越えます。西・サハラ

「下痢の音きこえた?」と起きて早々開口一番にアゲロスに尋ねられ、何事か全く理解できないでいると、どうやら腹を下してしまい夜中にすんごい大音響を轟かせたらしい。耳栓しといてよかった・・・

荷造りをして、四人で出発。タクシーで、モーリタニア行きのタクシーがたむろする場所まで向かう。

たむろしているではないか。そして交渉。「300ディルハムだって。なら丁度いいからオレ達先に行っちゃうね。」とイギリス人カップルは一足先に発っていった。275まで下がったんだよ昨夜、と言ったが大した額じゃないからいいよ。と。確かに大した額ではないが、悔しいじゃないかここまでタクシー代払ってきておいて昨夜のドライバー価格より高い金額を支払うなんて。

同意見のアゲロスと僕は、別のタクシーと交渉。ファリーというドライバーのおっちゃんは「もしあと二人ぐらい客できたら275でいいよ。」と。ダコ。OK。

ちょっと用事があるから戻らなければならないというファリーの車に乗って、一旦町まで。すると運良くそこでこれから帰るところだったモーリタニア人ファットゥをひろい、交渉成立。275ディルハムで出発。

先に出発していった二人はドライバーの他に助手席に二人、後部座席に四人という大層窮屈な状態で300ディルハム支払ったのに、僕達はゆったりゆらゆら全部でたったの四人で向かう。

アゲロスはビデオカメラを撮影しながらひたすらドライバーのファリーとしゃべる。とまらない。気さくなオッチャンだ。僕は、眠ります。

何時間たったのか分かりやしないが、半分の地点にカフェがありそこで休憩。砂漠のど真ん中で飲むよく冷えたコーラの美味いこと。

ダフラの町で買っておいたパンやピーナッツで軽く昼食をすませ、さらに突き進む。

一面荒れ果てた大地。よくもまあこんなところに道路を作ろうなんて思い立って、そんでもって本当に作ったものだ。ますます敬意を表します。全世界の全国民が僕のような性格だったら、「うわめんどくさ」と言ってもうどうにもこうにもならないだろう何もかも。よかった。そうじゃなくて。

五時間ほど走ったのだろうか。ついに国境に到着した。

ここでもポリスに職業をきかれ、「ほほう、レストランか、それはいいな。」などとほのぼのとした会話を交わし、出国スタンプを押してもらう。

モーリタニア入国側のイミグレーションまでは、突然道路ではなくごろついた岩と砂漠の悪路を走る。な、なんで!?ここまで頑張って道つくったのに、なんでここだけやめたん!?「あー。あー。あーもういい加減めんどくさ。」てなっちゃったのかな?

そんな悪路を3キロ近く走った先にようやく、モーリタニアがみえた。


モーリタニア日記


モロッコ(2009年9月11日〜25日)