湯、という言葉が伝えられない

ビザ代50ドルを支払い、遂にタンザニアへ入国。残ったマラウイの通貨クワチャをタンザニアの通貨シリングに両替しようと思ったのだが、公的にオフィスを構えた両替所が国境にはなく、イミグレーションの係官に尋ねると、「そこらへんの路上両替商つかまえてもいいけど、ムベヤに行くと両替所あるわよ」とのことだったので、国境を越えて一番最初の大きな町ムベヤに行ってから両替をすることにして、バスターミナルへと歩く。

「両替いかがっすか?」イミグレーションを出るなり闇両替の連中がやってきた。一応レートを聞いてみる。確かオフィシャルのレートでは1クワチャ=10シリングだったはずだ。

「6.5でどうよ。」無理無理、少なくとも10はないと。

「ひぇー!そんなので替えられるとこないぜ!じゃあ、7でどうだ。」無理やと。

「分かった!8.2だ。」どっちみちここで替えるつもりないから。

「ちょっと待て!仕方がねえな。10でいいよ。」おや?なら、替えてもいいかな。残っていた6000クワチャをポケットから出す。お金を受け取るまで渡してはいけないぞ。

「はい、どうぞ。6000。」はいどうもどうも。

とそのまま6000クワチャを渡す輩がいるとお思いですか。あなたアホですか。ここにもまた、トーゴのカツオ君のような原始的な奴がいました。

6000クワチャ=60000シリングです!ゼロが一つ足りません!「流れでこう、両替しちゃった」という外国人がかつていたのでしょうか?それともただ単にボクが馬鹿にされているのか?

ゼロが一個足りないではありませんか、といちいち突っ込む気すら失せサーっと静かに歩きだす。

「10っていったじゃないかー!」と後方から叫ぶ闇両替の男。お前いっぺんカロンガの水辺に生息するフルチン族に囲まれてこい。

気をとりなおしバスターミナルへ。約1キロ歩く。と、遠くない?もちょっと国境近くに作っても良かったくない?

ムベヤ行きのバスに乗り込むとすぐに出発。何度も言わせていただくが、東アフリカよ、あなたは何と移動が楽なのだろう。そして改めて西アフリカよ、お前は何で30時間も待たせたりしていたのだろう。

山を越え、町を駆け抜け一路ムベヤへ。途中、いつものように停車したところで物売りがやってきたのだが、彼らの売っている物の中に一つ、今まであまり目にしなかった、そしてボクの目を引くものが。

Avocado。

好物アボカド様。ごろっごろしてるやんさ!!それおいくらかしら?「これ全部で1000!」

皿に載せられたアボカドの数約六個。六個で1000シリングか。って一体何円何クワチャ?

咄嗟のレート換算ができずに買い渋っているうちにバスは発車してしまった。えーとたしか100シリングは7円とかだったような・・・てことは

六個で70円!?一個あたり10円ちょい!?

しもた・・・わてしもた・・・買い逃した・・・。株の取引でタイミングを間違えた株主の心境と紙一重である。

昼過ぎにムベヤに到着。ここから先の予定を特に考えていなかったので、ここに一泊するか、さらに移動するかを見極めるべく、とりあえず銀行へ行くついでに町を歩いてみる。

両替所をみつけたのでクワチャのレートをチェックしてみると、6.5と書かれている。オフィシャルのレートは10。何という極悪さ・・・もう少し粘って国境の闇両替と交渉しておくべきだった。どうするんだよ残った6000クワチャ。およそ3500円分という大金だぞ・・・。こうして無駄に使えない通貨を溜め込んでいくのだ。未だバッグの奥へ潜んでいる誰も欲しがらないガンビアの通貨ダラシ約千円分のように・・・。

仕方が無いのでクワチャの両替はとりあえず諦め、タンザニアシリングをATMからおろし、バスターミナルへと戻る。ざっと歩いた限り、ここムベヤの町もあまり興味深いものはなかったので、イリンガという町まで一気に移動することに。

が、イリンガ行きのバスで丁度今出発するものがなかったので、イリンガ行きのバスのある途中の町まで向かうバスへ乗り込む。

「このバスはンジョベに行くんだけどもよ、イリンガ行くんだったらあんたはマカンバコで降りるんだ。チマラ越えたらマカンバコだ。んでマカンバコ、マフィンガ、イリンガだ。」

訳の分からない町名が次々に耳に飛び込んできたので混乱する。ともかくマカンバコで降りればいいんだね?マカンバコ。ピッコロの必殺技みたいで実に覚えづらい。

一番前の席中央、フロントガラスのすぐそばに座り、タンザニアの景色を眺める。マラウイよりもさらに広大な緑が一面に。

17時頃、マカンバコへと着いた。ここでイリンガ行きのバスに乗りかえればよいのだが、ここからイリンガまでは更に数時間かかるだろう。となると到着は夜になってしまう。あまり暗い中宿探しをしたくなかったので、今夜はこのマカンバコへ泊まることにしよう。

随分高地にあるせいで、かなり涼しい。適当に歩き、見つけた最初の宿にチェックイン。安くて、部屋にコンセントがあれば大体オウケイなのだ。

そしてオバチャンがにこにこと愛想がいいのが気に入った。英語がほとんど通じず、意思の疎通は大変だが問題ではない。

タンザニアも一応英語が公用語にあげられてはいるが、人々は日頃スワヒリ語を主に使用しているようだ。スワヒリ語。全く知らない。

荷物を置いて町を歩き、市場を探す。先ほど逃したアボカドを手に入れるため!待ってろオレのアボキャード!!

大通りを歩けば大抵市場は目につくものなのだが、どこまで歩いても見当たらない。ので、そこらへんの人に尋ねる。「ああ市場ね。アボカド買いたいの?そっか、んじゃ、連れてってやるよ。」

そう言ってママチャリを出動させてくれたオッチャンのお言葉に甘え、後ろにのせてもらう。「はいここらへん。アボカドでも何でも見つかると思うよ。んじゃな!」もちろんタクシー代を要求することなどなく颯爽とママチャリを再び漕いで消えていった。ありがとうオッチャン。

大通りの一つ向こうの通り、というか路地に野菜市場はあった。そしてアボカドあったあった。

イキのいいのを一つ200シリング(14円!)で購入し、おまけにマンゴー、トマトも連れて帰る。

すると商店の男が「うちでも何か買ってって!」といったニュアンスのことをもちろんスワヒリ語で言ってきた。やたら愛想がいいので立ち寄り品定め。特に欲しいものはなかったのだが、「これ!食パン!サファリのお供にどう!500シリング!」35円で食パンが一斤。マラウイより随分お安いじゃないか。じゃ、それもらおっかな。

「え本当!?ありがとうアサンテー!ありがとね!はいこれあげちゃう!」とピーナッツをひと握りサービスしてくれた。にこにこ笑顔がとても気に入ったので写真を撮ると、さらに嬉しそうににかにか笑う。アサンテー。

さらに路上食器屋さんで、でかすぎず、かつ汁物もいけそうな丁度いい大きさのどんぶりをみつけたので購入。シンプルな青いどんぶりなのだが、よく見ると密かにHello Tanzania、Karibu Tanzaaniaと書かれているのが気に入った。

そうして買い物をすませ宿に帰ると、早速そのどんぶりを使うべく、持ち歩いていたインスタントラーメンを食すべく、オバチャンにホットウォーター下さい。と英語で尋ねる。

「あいよ。ウォーターね。」

ありがとうオバチャン。でもね、これ、冷たいよ・・・これでラーメン作ると、驚きの不味さになっちゃうと思うんだ。あのね、ホット!ホッ!アチチっ!ね?ホーッ!

往年の藤井隆にも届きそうな勢いでホットホットを連呼するも、通じない。そうだ、隣にカフェテリアがあった、あそこでもらおう。

すいませーん、ホットウォーターください。マジマジ。

マジとは日本語で「本当です」と若者が表現する際に使われるがスワヒリ語では水という意味らしい。さっき知った。

「あいよ。マジね。ほい。」

なみなみとどんぶりに注いでくれてアサンテありがとう。でも、これも冷たいや・・・

ほんの数分前と同じアクションを、再度。藤井隆のホットホット。

「きゃははー!もう全っ然わっかんないわねー!」

と言いながらなのかどうかは定かでないが、笑いながらもボクの言っていることが分からないというリアクション。「アイドントスピークイングリッシュ。スワヒリ語しゃべんなさい。」

ごめんなさいまだタンザニア日が浅くて、ノースワヒリなんです。「だめだこりゃ。」

湯。日本語ならたった一音の言葉が、伝えられない。諦めて、後ろの席で地元民が食べているライス&野菜を注文してみる。

ここでも値段を聞きだすことと、肉は要らないと伝えるのに一苦労したが、終始皆笑顔でにこにこしていたので嫌な気分にはならなかった。

マカンバコ。ここも何もなさそうな町だが、カロンガやムベヤより、どこか居心地が良い。そして人々が温かい気がする。

一人旅の難点思い知る

翌朝は、市場で入手したいとしのアボカドとトマトを細かく刻み、ハロータンザニアのどんぶりに入れて醤油とごま油をたらしサラダにし、それを食パンに挟んでサンドウィッチという素敵な朝食をいただき、いざ移動イリンガへ。

ミニバスに乗り込みやっぱりすぐさま出発。二時間ほどでマフィンガという、Zを付けるとロボットになりそうな名前の町に着き、さらに一時間半ほど走ると、目的地イリンガに。

そもそも何故イリンガ。全ては、マラウイで出会ったジャイカ隊員の方の、「イリンガ近くのルアハ国立公園が、安くて一杯みられていいみたいですよ。」の一言に始まったのだ。

そう、アフリカといえば・・・

黒人、内戦、犯罪、発展途上、白人支配・・・

というイメージがあるが、それよりももっと先に思い浮かぶ事柄があるだろう、そうです正解

サファリ。サバンナ。動物。ライオン。キリン。ゾウさん!

このイリンガの町から二時間ほど車で走ったところに広がる、ルアハ国立公園というところにどうやら、彼らが、本当の野生の動物達がいるらしいのだ。

しかもタンザニアに多くある他のメジャーな国立公園よりお安く、客も少ないらしいのだ。

ええ、基本的に観光には興味を示さない人間であることは、この旅日記をご覧の方ならご存知でしょうが、でしょうが、こればっかりは!

キリンさん(野生)だけは生の迫力で拝みたい!!

のです。小さい頃は動物奇想天外を欠かさず観て、将来動物園の飼育員になることを夢みたり、肉食べないと言い張ってマクドナルドでフライドポテトのみを食べたりしていたほど、動物が好きだったのだ実は。

その当時ほどの情熱は残念ながら消えうせてしまったが、今でも動物は好きだ。特にキリンゾウライオントラは。小学生の頃一日飼育員を動物園でやらせてもらった際、他の皆はキリン舎やゾウ舎だったのに、ボクだけ爬虫類舎にまわされ、ニシキヘビを首に巻き、ワニの背中を流すという辛い過去を払拭するという意味でも、是非本場アフリカのここタンザニアで、サファリツアーに参加し、キリンさんやゾウさん達に会いたい!できればお安く!

早速町へ出て、ツアーオフィスを訪ねる。「ジープのチャーター諸々のお値段が一泊二日で350ドルですね。それに別途各自で入場料20ドルと、現地での宿代およそ20ドルをそれぞれ支払っていただくことになります。」

ジープチャーター代をどうにかしたい。誰か他にツアー参加希望者はいらっしゃいませんか?「いませんねえ。それから、あまり皆様シェアをしたがらないようで。」

大体みんな友達や家族と来てるんだもんねっ。

ボクは、独りだもんね・・・・

そうですか。じゃあ、とりあえず誰か見つからないか努力してみます・・・

寂しい笑みを残してオフィスを去る。誰かって誰よ。どこよ。マラウイにはあんなにいた外国人が、ここイリンガにはほとんど見当たらない。

一人で350ドルを負担するのは辛い。そしてそれ以前に一人でサファリツアーに参加することが辛い。スリランカでその辛さは身をもって味わった経験があるだけに尚更・・・。

どうなるボクのサファリへの夢。そして爬虫類舎担当という辛い過去の払拭。

夢潰える、時費える

あれから四日の月日が経ちました。四日という時間がどれほどのものか他の言い方で表現してみると、96時間。5760分。そしてそれは345600秒にも及ぶ。

生まれたばかりの馬や牛なら四日経てばもう小走りだってしちゃう。テーブルの上の食べ残した弁当からカビが生えちゃう。

それほどの時間を、ただ、ただひたすら、私は待っていました。サファリへと共に旅立つ仲間が来ることを信じて。夢を信じて。

だけど、さすがにもう限界だよ・・・。毎日、観光客はいねが?わるいごいねが?と町を徘徊し、ツアーオフィスに観光客きてねが?わるいごいねが?と尋ね、「ごめんなさいね。全く来てないわ。」と哀れんだ表情で言われ、あとはひたすらグーグル。

さすがにこれ以上「待ち」に時間を費やすことはできないので、四日たった今日、夢を諦めました。三十まで頑張ったけど、やっぱオレには才能なかったんだよな。実家に帰って、八百屋継ぐよ。とプロデビューへの夢を諦めるストリートミュージシャンのように。或いは、もうちょっと行けると思ったんだけど、そろそろ胃腸が限界みたい・・・。と賞味期限切れの牛乳を捨てる貧乏女学生のように。

そっとバスターミナルへ赴き、次なる目的地ダルエスサラームへのチケットを購入したのでした。

夢が少し叶ったところでひったくられる男

翌朝のバスで、「サファリに参加していたわけでもないのに四泊も、特に何もない町イリンガに滞在した男」は旅立った。

ダルエスサラームで人と待ち合わせをしていたため一番早い便で出たかったので、他より4000シリング(280円)も高い上等なバスへ乗り込む。スタッフが自慢げに「これはマレーシアから来たバスなんだぜ。」と言うだけあって、今までアフリカで乗ったどのバスよりもキレイで新しく、豪華だ。

出発して30分。うとうとしていると「モーニーン。」と微笑みかけるスタッフに揺り起こされた。「はい、飴ちゃんですよ〜。」

飴ちゃんを一人二個づつ。飴ちゃんのために起こされて若干疎ましい気持ちになったが、懐かしい鼈甲飴のような味のするその飴ちゃんを口に含んだ途端そんなことはすっかり忘れる。

さらに30分ほど走ると今度はミネラルウォーターが配られた。4000シリング高く払うとこういうサービスが受けられるのかタンザニアでも。値段と質がいつもそぐわないアフリカにおいてこれはかなりレベルが高い。もしくは他が極端に低い。

数時間が経った頃、いつものようにジャミポッドに耳を傾けながら景色を眺めていると、50メートルほど先に、見慣れない、それでいて見覚えのある物体が目に飛び込んできた。

細長いモノの先で木の葉をつつき、その細長いモノの付け根には胴体のようなモノがあり、そこからさらに四本細長いモノが地面に向かって生えている・・・。

模様は、網目で茶色と黄色・・・・まさか・・・

キ・・・・

キキキキ樹木希林!!!!!!!!!

キリンだー!!!!!!!!!!

しかも二頭!!

と驚き興奮を隠せないでいると間髪おかずに今度はゾウさんの群れが!!!!!

なに!?なんなのなにここ!!??

さらにさらにカバ!!!親子で水場に!!!!!!お口ぱっかーん!!!

ただの「移動中のバス」から普通に野生動物が見られるなんて。アフリカでないとあり得ないシチュエーション。そしてボク以外の乗客は誰一人見向きもしていないなんて。「えそれ普通やで?」

ボクのipodやデジカメには食い入るように熱視線を送ってくる彼らなのに、キリンやゾウには無関心。普通逆やろ!日本ではね。でもここはアフリカ。

実はこのイリンガ、ダルエスサラーム間のルートは、途中ミクミ国立公園を通るようになっていたのだ。だから突然大盤振る舞いでキリンさん達が現れても現地の人達は驚きも桃の木もしなかったのだ。

しばらくの間冒険家の眼差しで外を見つめ続け、国立公園をぬけると、ようやく落ち着きを取り戻し、ウトウトしたり、ジャミポッドをきいたりする。

すると今度はクッキーとファンタが支給された。どこまでもラグジュアリーなこのバス。スタッフも接客業を心得ているらしく終始微笑みを絶やさない。いつもなら絶対に安いほうを選ぶボクだけど、たまには贅沢をしてみてもいいのかもしれないことを知った。

八時間ほどでダルエスサラームに到着。陽が傾き始めている。して待ち合わせの相手とは、久しぶりに利用したカウチサーフィン(若干違うが簡潔に説明すると、タダで泊めてもらえるとこ)で見つけた人で、タンザニアで働いている中国系アメリカ人のジンさん。

電話をかけ住所を聞き、タクシーで向かおうとするも、法外な金額を提示され、さらにバスを見つけたのでそちらで向かう。贅沢はそう毎回するものではない。

待ち合わせ場所のバーへ到着し、再び電話をかけると、「じゃあそこを左に曲がって歩いててよ。今から向かうから道の途中で落ち合おう。」と言われ、バーのすぐそばにあった曲がり角を左に向かう。

こっちであっているのだろうか。と少し気にしつつ歩いていると、背後に車がやってきた。車道をそれて入り込んできたのでここらへんに駐車でもするのかな。

がっし

ブチッ

キュイーーーーーン

ノーーーーーーーゥ!!!!!!!

駐車でもするのかな?なんて?気な事をぬかしていたヤツ誰だ。出て来い。私だ。

馬鹿!バカバカバカ!荷物ひったくられちゃったじゃないの!!!! 背後から静かに現れた車。四人ほどの若者が乗っていて、後部座席から大きく身を乗り出した男に「がっし」と手にもっていたバッグをつかまれ、ひっぱられたせいで「ブチッ」と手提げの部分がちぎれ、見事に奪取した奴らは「キュイーーーーーン」とアクセルを踏み込み逃走。奪われた男は虚しく「ノーーーーーーゥ!!!!!」と叫ぶ。

やられちまったよ・・・。が、世の中諦めが肝心なこともある。二秒で諦め、引き返す。だって中身

・インスタントコーヒー
・ソイドリンク
・カップ
・コイルヒーター
・どんぶり
・水
・フォーク、スプーンセット
・使用済みパンツ
・ゴミ

だったから。食器や食料はほとんど買ったばかりだったし、フォーク、スプーンセットはいただき物なので大切にしていたけれど、幸い被害額からするとそこまでではないので、さっさと諦めがついた。

今までやられてきたのに比べると、可愛いものだ。あのクソ野郎共め、「ざまあみろファッキンジャップ」と思っているのだろうが、むしろこっちがざまあみろ。せっかく奪ったものが彼らにとってはほぼガラクタ。

ただ一つ気になるのは、ボクが持っていた中で一番高価だったカルバンクラインのパンツ(他はユニクロ)。誰か、穿くのか?

使用済みだけれど。穿くのか??それとも捨てるのか???

そこんとこだけはっきり知りたい。おそらくひったくり集団も悩んでいるに違いない。「どーするよ?」「いやオレいらねえよ」「でもカルバンクラインだぜ?」「・・・だよな。」「でもなんかすっぱくね?」「明らかニオってるっしょ」「どーするよ・・・」

いっそ捨ててくれ・・・。

待ち合わせ場所のバーに戻ると、ボクを探していたジンさんを見つけた。そしてたった今起こった事の顛末を伝えると「アイムソーリー。車で迎えに来てたんだけど見つけられなくて。」

だってやっぱりボクが方向を間違えてたから。

ジンさんは、バーを背に左方向へと言ったのに、それを、角を左に曲がる、と解釈したから。方向音痴は今日もブレない感度。

車にのせてもらい、ジンさんの家へ。ほんの一分の距離だった。そしてそこは・・・・豪邸だった。

門の所に警備員が常駐していて、中へ入ると見事な一軒家が四軒並んでいる。そのうちの一つの前に駐車。もしかして・・・もしかしなくても、ここがジンさんの家?「そうだよ。」

彼の職業をきいてすべて合点がいった。ジンさんはアメリカ大使館にお勤めの方だったのだ。キャー

玄関を開けると上等なシステムキッチンを備えた台所、そしていまだかつてアフリカでは見たこともないようなグレー毛並みが美しいセレブ猫、リビングには巨大テレビジョンとマック、ソファーにエアコン。

「ここの部屋使っていいよ、バスルームはその中で、お湯のスイッチはここ。エアコンのリモコンはこれだからまあ、好きに使ってよ。ワイヤレスとんでるからネットもできるよ。あと、キッチンも適当に使ってね。」

家に入ってから荷物をおろすまで、何度ワーオと感嘆の声をあげたことか。アフリカを旅して一番の宿は、エチオピア航空の用意してくれたホテルだったが、このジンさんの家はそれをも上回る贅沢さだ。

「これから友達のバースデーパーティーに行かなきゃならないんだけど、ジャミも行くかい?もちろん家で休んでたいならそうしてくれてていいけど」と誘ってくれたが、移動の疲れと、持ち前の出不精のため、休ませてもらうことにした。

近所のスーパーで食材を買って、醤油パスタを作って食べながら、エアコンのきいた部屋でインターネット。「ホット」シャワーを浴びて、セレブ猫をなでながら素晴らしい弾力を発揮するベッドに寝転ぶ。いつもは猫のかわりにダニや南京虫に囲まれながら腰のあたりが陥没した薄っぺらなマットレスに寝転んでいるのに。

ううんお金は問題ないから

心地良い眠りからさめ、ベッドでごろごろしながらインターネット。まるでNIPPONのような暮らし。ジンさんの作ってくれた朝食をいただく。「ジャミは何か予定あるの?」

両替と、ザンジバル行きの船の時間や料金調べるくらいで、他は特にないかな。基本的に観光に興味ない人間だから。「そっか。じゃあ今日は休みだから町まで連れてってあげるよ。でボクはホテルのカフェでちょっとパソコンでやらなきゃならない仕事をしてるから、その間用事済ませたり、町歩いてみたりすればいいんじゃない?」

何から何までありがとう!お言葉に甘え、車で町まで連れていってもらう。そして、その中で一番巨大な、キリマンジャロというホテルへ入る。ホテルのカフェってこれですか・・・。

ひとまずカフェまで一緒に行くも、どう考えてもホテルの雰囲気とボクのファッション(汚れきった短パンに穴のあいた色あせたTシャツ)がミスマッチ極まりなかったので、貧乏だけれど空気は読めるボク、早々にホテルを出る。

両替商を何軒か見つけるも今日は日曜。全て閉まっている。両替のみならずほぼ全ての店が閉まっているので、タンザニア第一の都市なのに閑散としている。

港へ行き船の時間と料金を調べ、適当に歩く。

そして迷う。

ダルエスサラームの町は、碁盤の目のような分かりやすいものではなく、変にひねくれた形なので、西へ向かっているつもりでも道がひん曲がっているため気がつくと全く違う方向なのだ。それに輪をかける形でボクの方向音痴。

どうにかホテルまで戻るも、まだもう少し時間があったので、浜辺へ歩いてみる。

地元民達憩いの場らしく、家族連れや若者、カップルなどがあちこちに。

岩に腰掛けぼーっとしていると、同じように岩に腰掛けぼーっと海を眺めているタンザニア人の男がちらほら。

アフリカ人も、たそがれるんだ。

常に陽気で?気で大人も子供もふざけあってバカ笑いしているという印象が強かったが、中にはこうしてたそがれる輩もいることを知り、より親近感を覚えた。

たとえ彼らに「たそがれている」という自覚がなく、ただ「あー腹へった」と考えているだけなのだとしても、やたらたそがれてばかりいる日本人から見ると、彼らは間違いなくたそがれている状態なのであった。

ホテルへ戻ると、「これから友達と映画観に行くけど、ジャミも観る?もし家でゆっくりしてたいなら、もちろんそうしてくれてもいいけど。映画館行く途中にどうせ家の近く通るし。」

うーん、どうしよっかなー。ちなみに・・・映画っていくらぐらい?「8000シリング(560円)だよ」

は、はっせんシリングかぁ・・・560円、と日本円に換算するとバカ安価格なのだが、8000シリングとなると高いのよ・・・ボクがいつも泊まっている宿代の1.5倍と説明すればそれがいかに高価かお分かりいただけるだろうか。

などと考えていると、「あ、もしチケット代が高くて行くのためらってるんだったら心配しなくていいよ!喜んでそれは出させてもらうから。」とジンさん。そ、そんなそれはだめです!あんな豪邸にタダで泊まらせてもらってその上映画代をおごってもらうなんて、だめすぎます!お金は全然問題じゃないから大丈夫!さっきATMでがっつりおろしたし!うん!じゃあ行こうかな!是非!

本当はお金が一番問題だったのにもかかわらず、虚勢を張ってしまった情けないNIPPON男児。

まるで日本や欧米のような大きなショッピングモールの中に映画館はあり、そこで初めて何を観るのかを知った。実写版シャーロックホームズ。普通料金聞く前に映画の内容聞くだろ。

同じくアメリカ人であるジンさんの友達と一緒に中へ。四人中四人がポップコーンと炭酸飲料を携えて入っていった。超アメリカー!

二時間ほどの映画を楽し、んだあと、「どうだった?」とジンさんに聞かれるも、あうん面白かったよねー!4割も理解できてないけどね。と答える。やはり字幕無しだと相当きつい。

「イギリス英語だったから余計に聞き取りづらかったかもね・・・」とフォローしてもらいつつ、家へ帰る。日常会話はそこまで苦しむことなくできるので、ついつい英語が話せる気になってしまっているが、映画を観る度に思い知らされる。まだまだ程遠いことを。

もっと洋画を観ねば。とジンさんが持っている洋画の類をがっつり頂く。そして二人でラザニアを頂く。

ザンジバル。って何

再びバスで町まで足を運び、船のチケット購入、両替等を済ませ、ジンさんは仕事に行っていないので一人豪邸でネットサーフィンなどしてだらだらと過ごし、夜は一緒にトマトパスタを作って食べたりして、翌朝、三泊させていただいたジンさんの家をあとにする。本当にありがとう!めさくさ助かりました!「いえいえ!気をつけて旅楽しんで!」

港へ向かい、ザンジバル行きの船へ乗り込む。「シーガル」とカタカナで書かれた船へ。エコノミークラスが満席だと言われファーストクラスを購入せざるを得なかったため、不本意だがまたしてもちょっと贅沢をしてしまった。

が、ファーストクラスと言ってもただ前方の席をファーストクラス用に仕切っただけで、席自体はエコノミーの席とかわらない。

やけに眠たかったので、出航するなり熟睡。船旅が好きなボクは出航するなり甲板へ出て海を眺めるのが常なのだが、うかつにも到着するまで起きなかったため、海を一切眺めることなくザンジバルへと降り立った。

タンザニアではあるものの、かつて奴隷貿易、イギリス人支配などを経て一度は独立国であったここザンジバル、島へ立ち入るのにイミグレーションを通過しなければならないので、入国カードに記入、パスポートにスタンプを押された。

港を出るなり客引きにたかられる。めぼしい宿は調べてきていたものの地図の類を持っていなかったので、そのうちの一人に連れていってもらう。

高い高いとはきいていたが、やはり高い・・・ザンジバルの宿。6軒近くまわり最安値だったところですら10ドル。そのくせ一ヶ月前からザンジバル全体が停電中なため、電気がない。電気がない宿に10ドル。

それもこれも、政府がザンジバルにおいては、宿泊客一人につき5ドルという謎の料金を、宿から徴収しているせいである。政府のばか。

シャワー、洗濯をすませ外を歩いてみる。ザンジバルの中心地ここストーンタウンの町並みは、どこかインドのバラナシを思い出させる雰囲気だ。迷路のように入り組んだ小さな道があちこちに駆け抜け、そこを沢山の人々が行き来する。子供達が店先で遊んでいたり、そんな小さな道をバイクが走る。

ヒンドゥー教徒がいるのもバラナシを思い出させる要因の一つかもしれない。スワヒリ文化、アラビア文化などがごちゃ混ぜになった不思議な場所、それがザンジバル。だそうです。

陽が沈むのをビーチで眺め、食堂でビリヤニ(炊き込みご飯)を食べて、屋台でチャイを飲む。ビリヤニ、チャイ。ますますインドを思い出させる組み合わせ。インドが恋しい。

すっかり暗くなったので宿へ帰ると、すっかり暗くなった外よりもさらにがっつり暗い。ろうそくをもらいその炎を頼りに部屋へ。

電気が使えないためパソコンで映画を観ることなどできない。本も読めない。そもそも本がない。

寝るしかない。

久々に日本人とカラム


宿の隣の小さな食堂で、揚げパンとチャイを食べ朝食をすませ、冗談半分で宿のオーナーに値下げ交渉をすると、10000シリング(700円)にしてくれた。幸先の良い一日。

聞くとここザンジバル、サンゴ石灰岩から出来た島らしく、東岸へ行くと海がかなりキレイだそうだ。それじゃあ向かってみよう。

が、町の名前すら知らないので、ひとまずインターネットで調べる。ふむふむ。パジェという町があるが、そこはどこも宿代が恐ろしく高いので、その近くのジャンビアーニという町へ行くと良いとのこと。

明日ジャンビアーニへ向かうことを決定し、再びストーンタウンを練り歩く。海沿いを歩いていると、地元民がたむろする魚市場を発見。

その先に、幅70センチ程の、落ちると海、という建物の裏の道を行き来する人々を見つけたので、行ってみる。

すると突如、茅葺き屋根の半分屋台半分食堂のような店が現れた。そこで皆一様にご飯を食べたり、チャイを飲んだりしている。

まだお腹は減っていなかったので、チャイを頼む。ひたひたになるほど満タンに注がれたチャイ。たっぷりで嬉しいのだが、海からの風がビュウビュウと吹き荒んでいるため、カップを手にとるとひたひたのチャイが吹き飛び、飲めない。そして熱い。

「こっち側座ればいいよ」と見かねた青年に促され反対側に座ると、どうにか飲めた。学生らしく、しばらくあれこれおしゃべりをする。「学校を卒業したらすぐにでも働きたいんだけど、どの会社も経験者しか雇ってくれないんだ。だから新卒の学生達は仕事が見つけられないんだ。経験者しか雇わないって言うけど、じゃあ一体ボクらはどこで経験を積めばいいんだよって言いたくなるよね。」

西アフリカにいたときも学生から同じことを聞いた。なんとも馬鹿げた条件である。日本にも経験者優遇というのはもちろんあるが、未経験者だって採用されるところはいくらでもある。それがこちらだとほぼ全ての会社が経験者のみ採用。どこかが矛盾している。

「なんかアドバイスない?」と言われるが、うーむ・・・・。何も思いつかなかったので、とりあえず、日本で働くのはよしたほうがいいかもね、外国人は長時間労働をさせられた挙句断然日本人より低所得だって聞くから。と何のアドバイスにもならない事を言う。

「わかった!じゃあそろそろ学校戻る!またね!」頑張れ若者よ・・・と励ますボクは住所不定無職。

さらに歩き回っていると、日本人旅行者に道を聞かれる。「リバーマンゲストハウスどこか分かります?」知らなかったが、ヒマなので一緒に探す。

そこらへんにいた人に尋ねると案内してくれ、発見できたのだが、宿は電気のみならず水もないらしいので、それならボクが泊まっているパールというとこならまだ水は出るし、他より安かったですよ。と言うと「じゃあそっち行ってみようかな」

二週間だけタンザニアを旅しているユージさんという方。ボクの部屋にベッドが二つあったので、それをシェアすることに。

またまたストーンタウンをあちこち練り歩き、さっき見つけた地元民の食堂でピラウ(これも炊き込みご飯)を食べ、インターネットへ行くというユージさんと別れ部屋に戻り、パンツのヒモを直すという地味すぎる作業に没頭する。

夜になるとバス停の向かいに屋台が出没するので、そこで夕食をとる。ライス&ベジタブル。豆のソースがべらぼうにうまいが、ユージさんは見事に腹を下している最中だったので串焼き二本で済ませていた。

「移動前なんかは、もう前日の夜から食べないですからね」と移動中に腹が痛む苦しさを知るユージさんは語る。さすがに前日の夕食はぬけない。お腹ヘルデショ

相変わらず電気はないので、さっさとベッドに入り、真っ暗闇の中あれこれ喋り続け、23時過ぎに就寝。

どこまでも遠く碧い海

翌朝早々に荷物をまとめ、バスターミナルへ。砂糖のかかったねじりドーナツを二個、日本の堅揚げチップスのような食感がたまらない手作りポテチを買い、オッチャン達に交じってジンジャーティーを飲む。

一杯50シリング(3.5円)のこのジンジャーティーが、風邪なんて一発で治してくれそうなほどピリっと美味くてユージさんは腹を下し気味だというのに二杯も飲んでいた。

ダラダラとよばれる乗り合いバスは9時丁度に出発。人が集まっていなくても出発してくれる東アフリカの交通機関に、しつこいほどに感激する。

ジャミポッドをききながらのどかな風景を眺めていると、スコールがやってきた。トラックの荷台に椅子と屋根をつけたようなこのダラダラは、屋根がある以外は野ざらし状態なので、雨が降りはじめるとくるくると巻いているビニールシートを皆でおろした。

もうやんだ

おろして15秒後、一瞬で雨が上がったその時、ボクとユージさんは見事なハモりでもってして上のセリフを口にした。思わずハモっちゃうほど一瞬の出来事。

一時間半程で、メインの通りをそれ村落地帯に入ると目的地ジャンビアーニに到着。インターネットで検索した際に見つけたマライカゲストハウスという宿へむかう。

「カリブー(ようこそ)。」とにこやかに笑うスタッフに迎えられチェックイン。

ビーチが徒歩うん十秒の距離なので早速着替えて海水浴へ、とその時、スタッフがやけに小声で、密談でも行うかのような素振りで「ちょっとちょっと・・・こっちへ・・・」と手招きをしてきた。

一体何事だ?闇取引かしら?

「すみませんが、今宿代払ってくれますか」

普通に喋りなよ!?人目をはばかる必要性皆無だよ!?

至って真面目な表情で語りかけてきたので、至って真面目に支払いを済ませ、今度こそ海へ。

ぎゃ。

碧い!!!まさかタンザニアにこんな碧い海が存在しているなんて知りもしなかったので、俄然興奮して駆ける。

ぬぽ。

ぬかるみが強力で身動きがとれなくなる。

ワサワサ。

そして気味が悪くなるほど大量に群れるウニ。

さらに引き潮真っ最中らしく、前方何百メートル先まで、果てしなく遠く浅い。どうしてもバシャバシャと泳ぎたかったので、頑張ってぬかるみやウニを避けつつ突き進むが、いい加減遠すぎるので諦めた。

仕方がないので腰ぐらいの深さの場所で沐浴をし、引き返す。

すると今更潮が満ちてきて、急に足がつかないほど深くなり、焦る。

宿へ戻ると他の日本人客がやってきていたので、飲み放題のチャイを頂きながらおしゃべり。聞くと、ナオさんというこの方は、ほぼ世界中旅をしてきているそうで、南アフリカまで行き、そこから西アフリカへと飛ぶというので、それなら私ついこの間まで西にいましたからありったけの情報を。とあれこれ提供する。

小腹がすいたので何か食料を調達しに行こうと村を歩いてみる。

安食堂とか、小さな商店とか。

ない。

旅行者向けの若干高いレストランならいくつか見つかるが、地元民のたむろするような場所が一切見当たらない。炎天下に歩きまわったものだから余計に腹が減ってしまった。そして収穫ゼロ。

あきらめて宿へ戻り、チャイをがぶ飲みして空腹を紛らわす。

オーナーの息子をはじめとして、近所の子供達が集まってきてはしゃいでいるのを微笑ましく見ながら本を読む。

メー!メー!メー!

微笑ましく

メー!メー!メー!メーエ!!

ほ、微笑ましく

メーメーメーメーメー!!!!!

じゃかましいわい!!!全員が全員ヤギになりきってテーブルの周りをメーメー言いながら這うものだから落ち着いて本も読めやしない。そしてふざけあった挙句誰かが泣き出す。まさに子供。

本当に良かった・・・。保育士を目指さなくて・・・可愛さ余って憎さ百倍のキッズに毎日囲まれて暮らすなんて、かなりの体力を要することだろう・・・。改めて保育士を目指さなかった自分の選択が正しかったことに安堵。

子供好きだったはずなんだけどなあ

陽が沈み、勿論電気がないのでランプに火を灯してもらい、待つ。

飯を。

宿代に夕食と朝食が含まれているので、ひたすら待つのみなのだ今は。朝から食べたものといえば、ドーナツ二個とポテチ、それから大量のチャイ。腹、へりまんがな。

19時半を過ぎたころ、ナプキンとフォーク、スプーン、ナイフ、そしてなんと箸が並べられた。嬉しい予感。

来ました!飯です!食物です!炭水化物です!!!

ビリヤニ(炊き込みご飯)、魚のフライ、ジャガイモとサラダ。いただきます。う、うまい・・・ビリヤニにやたらシナモンがぶちこまれていてその木屑を取り除きながら食べるのが面倒だったがしかしペロリ。空腹時に食べられない物なんてないのさ。

「それはもう終わった。まだ少しある。」

と少し不思議な英語で、「おかわりがあるよ」と言ってくれるスタッフのお言葉に甘え一同おかわりもしていよいよ満腹。幸せである。振り返って上を眺めると、満天の星空。食後のチャイを飲みながらのんびりとおしゃべり。キッズももうおうちへ帰ったから今度こそのんびり。

そして

旅の夜に日本人が三人集まったら必ず起こる現象・・・それは・・・

大富豪。

宿にトランプがあったなら、やらない手はないじゃないか。

地方ルール等細かい取り決めを事前に話し合いいざ対決。日本大富豪組合とか、そういう公式な団体が現れてはくれないだろうか。公式ルールを定めてくれると随分やりやすくなりそうなのだ。

遠くへ行きたい、ウニを食べたい

ぐっすりと眠り8時過ぎに起床、本を読みながら外のテーブルでくつろいでいると、朝食がやってきた。パン二個にオムレツもしくは目玉焼き、それにチャイという至ってシンプルなものだが、美味しくいただきます。

しばらくそのままくつろぎ、ふと思い立ち皆でウニを捕りに出陣する。バケツ、それからウニをキャッチするための枝二本。

「今日のお昼はウニどんぶりやで。一人十個づつやな!!フハハハ!!!」

と期待に胸を膨らませ腹を空かせ向かう。食べられるウニ、食べられないウニとあるらしいが、よく分からないのでとりあえず拾ってみる。

よく見かける普通の黒色のヤツと、ちょっと赤みがかった紫色のヤツ、それから桜の大紋のような模様をしたヤツがあるらしい。黒と紫はいくらでもみつかるので、それらを失礼してナイフでばっくり開けてみる。

身がほとんど無い。かすかに見えるオレンジの部分をすくって毒見してみるも、「ウニっちゃウニ・・・」とイマイチなお味。桜の大紋ウニでないとダメなのか。必死で探す。

20分程探し続け、ようやくナオさんが一つみつけたが、それ以降一切見つからないままに潮が満ちてきて、ウニ捕り合戦終了。

一人十個づつやなとかぬかしていたあの頃が懐かしい・・・

とりあえず紫のヤツを七個ほどバケツに入れ宿へ戻ると、オーナーのハジさんというオジサンが町から帰ってきていたので早速捕ったウニを見せる。

「このトゲの短いこいつ以外は食べられませんネ。」

やはり紫のヤツはだめだった。でも少し身があったし、かき集めればイケるんじゃ・・・?「いやー、やめといた方がいいと思いますヨ。」え・・・?毒でもあるの?「分からないけどもしかすると・・・」

速やかへ海へ戻り紫式部さん達を還す。さようなら。短い付き合いだったけれど有難う。余生を楽しんでね・・・。

ウニ丼ランチが急遽暗礁に乗り上げてしまったにもかかわらず、既に白ご飯だけオーダーしているので、急いでおかずとなるものを探しに村を歩く。何か・・・おかずを・・・・

少し離れたところにようやく小さな商店を見つけ、そこでトマトとオクラを購入。僻地価格のため若干高い。

帰るなりトマトとオクラを細かく刻み、醤油で和える。それをしろご飯にぶっかけて丼気取りでいただく。ナオさんが「ここで会ったが百年目」とインスタントの味噌汁を下さったのでそれと共に。

うみゃい!!!

ご飯が進む進む。オクラのネバネバ感と醤油だけでここまで美味くなっちゃうものかと。やはり我々醤油人。

「それはもう終わった。もう少しある。」

と今日も不思議な英語を使うスタッフにおかわりを頼み、ウニは無くとも大満足な昼食を、16時にいただいた。16時に。

そして今日もやってきてははしゃぎまわるキッズ達を、「微笑ましく」見ながら本を読む。

オーナーのハジさんがやってきて、「今日の夕食は、海藻のスノモノです。」きゃー!!

ハジさんは日本食を作るのが上手だそうで、スノモノなんていつぶりだろうかとあの酸っぱいモノの味を思い出しながら楽しみに待つ。

実を言うとそこまで腹は減っていないが、20時前に夕食がやってきた。海藻の酢の物と、野菜スープ、魚のフライに白ご飯。見事なまでに日本食なメニュー。いただきまう!!

ん?海藻の酢の物は、これまで食べてきた酢の物とは一味違ったが、すぐそばの海でとれた海藻が今まで食べたことがないほど何だかぷりぷり歯ごたえがあって、これはこれで美味い。

ボリューム満点の夕食をたいらげると今宵も、やれフリーメーソンだの2012年がどうだのと喋り続け、大富豪。ウノまで導入したものだから夜更かししてしまい深夜1時にようやく床に就く。

根よ生えるでない

たっかいし、この後乗る予定の船のスケジュールとか考えたら今日出ないといけないので。と、今日ここを発つことを前々から宣言していた私。

ユージさんも前々から「パジェの町のパラダイスへ泊まって贅沢してくる」と宣言していた通り、朝食を済ませるとあっさりと発っていった。

ボクは夕方までにストーンタウンへ戻ればいいので、とりあえずはこのまましばらくくつろぐことに。ナオさんは体調が芳しくないためもう一泊はここにしていくそうだ。

残った二人で旅の話をする。世界地図を広げ、行った国や、行きたい国について語らう。あそこ良かったよねー、とか、あそこ良かったよー、とか、あそこ最悪やったわーとか。尽きることがない。

そうこうしているうちに昼を過ぎてしまう。ストーンタウンへ戻るならそろそろ出発しなければならないのだが・・・どうも・・・腰が重い。足元が重い。

あらやだ。

根っこ生えちゃってる・・・!!

快適な環境に身を落ち着かせると毎回根っこが生えてしまい動けなくなるのです。もれなく今回も・・・。どうしましょ・・・

男は10分間考えた末、根っこ抜けねえや、と諦め、今朝方、今日チェックアウトしますと告げたスタッフに、もう一泊しますと宿代を払ったのであった。

そうと決まれば有意義に根っこタイムを楽しまねば。隣町のパジェに無料でワイヤレスインターネットが使えるカフェがあるとの情報を入手し、ナオさんと共にパソコンを背負ってビーチ沿いを一時間歩いてゆく。

「ウチのオカン、アタシが一年間旅しとっても一切連絡してこんからね」

ボクとこのオカンは、ラオスをロドスと呼び、謎のズンバというダンスを習ってるけどね。などとお互いのオカンの特徴について話し合いながら。

パジェ。宿代が格段に高いと聞いていただけあって、欧米人客がもっさり群れている。そしてカイトサーフォンなどという小洒落たマリンスポーツを楽しんだり、ビーチに寝そべって日焼けに勤しんでいたり、トロピカルなドリンクやビール片手にビーチチェアに腰かけていたりする。

間違っても彼らはランチにトマトオクラ丼を食べたりはしていないだろう。

そんな中にあるパジェバイナイトというカフェで、見事ワイヤレスをキャッチし、インターネット。食事をすると恐ろしい金額になるので、コーラとフライドポテトのみを注文。

ジェネレーターの電源オフと共に終了し、一時間かけて歩いてきた道を帰る。

潮が満ち始めていたので、大通りに出てアスファルトを歩きながら、人種について語る。割と熱く。

宿に着いた頃には汗びっしょりで異臭を放っていたので急いで海へ飛び込み清める。

今日の夕食はなんと、魚の煮付けと海藻の天ぷらに白ご飯!めさくさ美味いではありませんか。生姜が効いた煮付けは汁までご飯にぶっかけてきれいにたいらげ、海藻の天ぷらは無敵のアイテム醤油をたらしながらぱっくんちょ。幸せです。

中庭に椅子を持ち出し、今日も満天の星空を眺め、こういった際にほぼ毎回する、宇宙規模の妄想を二人で繰り広げる。

星の光ってね、何万年もかかって今ボクらの目に飛び込んできとるわけやろ?ほしたらもしね、その星が消滅したらね、光はどうなるんやろ?消滅したらそれと同時に光も消滅すんの?それとも、星が消滅する前に既に飛び出した光は、何万年かは光り続けるんやろか?

他の星にも絶対生命体はおると思う。ただでもそれは地球に生きる我々人間が考えるような生命体ではなくて、むしろ生きる、とか食べる、とか死ぬ、とかいう概念さえもなくて全く別次元で、そやけど彼らの中ではその別次元の概念なり生存意義なりがあって・・・えーと・・・訳分からんなってきた

この二つの謎について毎回問いかけるのだが、答えを知る人には未だ出会ったためしがない。そして途中から自分が何について話しているのか分からなくなって終了するのだ。それほどまでに宇宙は壮大。

根っこ抜きました

そんな壮大な妄想をしたまま寝たせいか、パスタを素手でぐちゃぐちゃと和えて大勢の人間に配るという壮大な夢を見た。

朝食をいただき、荷物をまとめる。いよいよ発たねばならない時がきたのだ。ナオさんも出発するというので共に。

10時にダラダラがやってきたのでそれに乗り込む。一時間と少々でストーンタウンへ舞い戻ってきた。

そのまま港へ向かい、ダルエスサラームへ帰る船のチケットを購入する。エコノミーのチケットはいくらですか?と何度尋ねても、「一等が25ドル、VIPが30ドル。今なら特別に一等の料金でVIPにしてあげるわよ。」としか答えてくれないので、25ドルでVIPに成り上がる。

夜の出航まで時間があるので、屋台でピラウ(炊き込みご飯)を食べ、またまたワイヤレスを求めて旅行者向けのカフェへ。勿論注文はコーラのみ。そしてインターネット。

結局夕方まで見事にそこに居座り続け、軽食を買って船へ乗り込む。ヴイ・アイ・ピーはどこですか?とやたらヴイ・アイ・ピーをアピールしながら中へ入ると、前回同様カーテンで仕切られた先の、普通の席へ通された。

が今回は夜行で早朝着のため、マットレスを用意してくれた。座席の足元にそれを敷く。さすがヴイ・アイ・ピーだ。地べたにマットレスなんて超が付くほど贅沢じゃないか。

VIPといえば貴族。貴族の遊びとえば

やっぱり大富豪。

二人しかいないのでカードの枚数を減らしてやってみる。盛り上がらないかななんて思いつつやってみると、意外に面白い。大富豪はいつだって面白い。

恐ろしいほどボクが圧勝して夜は更けた。

キリマンジャロへ登らないのにそっち方向へ

早朝6時にダルエスサラームに到着するなりそのままダラダラに乗り込みウブンゴバスターミナルという所へ。ほぼ全箇所行きのバスが発着しているそうだ。

ボクはこのままヴィクトリア湖に面した町ムワンザに行きたかったのだが、生憎直行バスは既に出てしまっているらしく、モシという、キリマンジャロへ登山する人達が主に向かう町へと行ってみることにした。

ナオさんはこのあとマラウイへ南下するので、ボクが辿ってきたルートを逆行。がこちらも生憎ムベヤという国境に一番近い町へ向かうバスは出てしまっていたので、途中のイリンガへ向かうことに。そう、あの、ボクが無駄に四泊もした所だ。

短期間ではあったが情報交換も行え、楽しい時間が過ごせました。またどこかで。と別れを告げバスに乗り込む。

8時前に出発。隣の席が空いていたので二席使って寝転んでいると、首と腰をひねりすぎて目を覚ます。痛い。

途中停車する度に現れる物売りから、焼きもろこしを買って食べる。そしてさらに何を思ったか、パイナップルを丸ごと三個買い込む。何を思ったのだろうか・・・

だってね、三個で百円やったんやもん・・・

そりゃ安いけどもやなお前・・・独りだろ?と気づくまでにはもう少し時間がかかる。

昼食休憩でピラウを食べ、ウーンコを済ませると「早く来い!もう出るぞ!」と動き始めたバスに向かってダッシュ。時々せっかち。

八時間近くかかってついにモシへ到着。宿へ向かう前にムワンザ行きのバスを調べる。「早朝6時発。35000シリングやで。」

えー!そんな高いん!?そんなはずないやろー!ちょっと今までのレシートとか見してみてやー。などとブーブー言っていると、32000シリングに値下がった。ラッキーなのか、まだ高いのか、本来いくらなのかよく分からないがレシートを見ると確かにムワンザ行きは全て35000シリングだったのでよしとする。

ウモジャホステルという、誰かがオススメしていた宿へ向かっていると、「キリマンジャロのツアー行かない?ほらみてこれ!昨日も日本人がツアーに参加してこうやってノートに感想書き込んでくれたんだよ!」とガイドがついてきた。

ノートを見てみると、確かに日本語。「でもこれ何て書いてるかわかんないから、訳してくれる?」と頼まれたので、ありのままに訳してみる。

ガイドは親切で、気が利いていました。10年以上登っているプロらしく安心してついていけました。登山に必要な色々なグッズを無料でくれたりして助かりました。料金は810ドル支払いました。ガイドとの会話が少し疲れましたが、一人での参加だったせいかな?

「なるほど、ふむふむ。ほらねー!いいでしょ!?悪いこととか書いてないでしょ?」

あー。一個だけあったみたい。「え?」

ただ一つ気になった点は、食事が他に比べてイマイチだったことです。「ブフォ!!」

そう訳した瞬間一緒についてきていた別の会社のガイドが嬉しそうに笑った。「それはさできるだけ安くしてっていう彼の要望に応えた結果そうならざるを得なかったわけでさー・・・」と慌てて弁解をするガイド。

でもそこまで気にはしてないみたいだから良かったってさ。「でしょー!?そうなんだよ。だからキミもどう?」

残念だがキリマンジャロに登る気も予算もなかったので丁重にお断りし、名刺だけもらって宿へ。チェックインしても尚着いてきて少し疎ましかったが、もし誰か見つけたらこの名刺渡しといてあげるから、と告げると大人しく去っていってくれた。

もう大分暗くなってきてはいたが辺りを散策へ。市場で丁度いいサイズのカップとコイルヒーターを発見。ついこの間ひったくられてしまったのでまた買いなおさなければならないのだ。が、あと一息値下げしてくれなかったのであきらめる。そのあと一息を日本円に換算するとたったの35円だという事は内密にしていただきたい。こっちじゃ大金

部屋に帰り、勢いで買ってしまったパイナップルを独りで丸ごとたいらげる。テーブルも床も手もべちゃべちゃになってしまった。何をやっているのだろう。

明日下痢をすることを確信。

剃り込みます

この宿も朝食が付いていたのでもれなく頂く。バイキング方式だったのでトースト、チャパティ、ゆで卵二個、チャイをがっつりと。腹が痛くなるまで食べ続けてしまう貧乏性の悲しい性よ。

外を散歩し、インターネットでこの先購入しそうな格安航空券を検索して驚きの安さに一人興奮し、両替などもし、いざ尋常にバリカンを持ち出す。

バスルームへ向かい、ビニール袋を洗面台に敷き、エイサー!

ウィーン。

剃り込んだ。思えば去年の8月から放置しっぱなしだったボクの太くて多くてうねりまくった毛。某R&Bアーティストを真似て右側だけ剃り込んではい出来上がりってどうよ?と鏡を見ながら考えるが、どこをどう見ても酔っ払って寝ている間友達にヤられた可哀想な子にしか見えなかったので、左側も剃り込む。

すると今度は往年の不良少年の定番スタイル、ツーブロックないしウド鈴木にしか見えなくなってしまったので、潔く全て刈る。

ツーブロックの状態で「ハロー」と挨拶をして10分後またやってくるとツルツルになっていたためか、宿泊客のイタリア人に「ワオ」と驚かれたので、全部イっちゃったと答えておいた。

スッキリシャワーを浴び、再び鏡を見つめる。そして気づく。

生え際と額の肌の色が明らかに違うことに。

髪の毛があった部分は日焼けを免れていたせいで、未だナチュラルな黄色人種を保っていたのだ。なんと滑稽な。

そんな滑稽な姿を晒すべく再び散歩へ向かい、日差しや風が直に頭皮に当たることに違和感を覚え、大阪に留学していたことのある現地人と話し、少し早めの夕食をとり、やっぱり食べ切れなかったパイナップルを掃除係のオバちゃん達にプレゼントし、明朝出発に備えおとなしく部屋で過ごす。

要するに大したことない一日。

膀胱と首と腰を攻めないで


5時に起床し、荷作りをすませ、入念にウンコも済ませ、バスターミナルへ。まだ辺りは暗く、肌寒い。

前回よりも一回り狭いバスに乗り込むと、6時丁度に出発。風が冷たいので布や寝袋をかぶり寝る。

二時間程で目を覚まし、ジャミポッドを聞く。途中停車した所でピーナッツを買い朝食とする。

景色がやたらどでかい。どこまでも続く高原や、山々。そこを突っ切る道路。所々見かける工事現場に必ずといっていいほど数人の中国人が交じっている。彼らが指導しているようだ。

隣にズドンと臼のように大きな女性が乗り込んできて、狭いバスの狭い座席がさらに窮屈になる。

体勢を変えることが困難なため、ケツが、骨盤が痛い。

それに加えこの悪路。にも関わらず容赦なく高速で走り続けるバス。障害物を乗り越える度に乗客全員が飛び跳ねる。そして固い椅子に腰を打ちつけ悲鳴を上げる。

休憩が無い。腹が減る。トイレへ行きたい。膀胱が張る。

そのような過酷な状況が、どれほど続いたか。

14時間続きました。

終盤にさしかかると、障害物が現れバスが揺れ動く前に腰を浮かせるために神経をすり減らしたししてもう身も心も膀胱もボロボロ、パンパン。

ムワンザはタンザニア第二の都市だと聞いていたのだが、そんな第二の都市へ向かう道路がこんなのでいいのかい?いいのかい・・・・

ともあれようやく地獄をくぐりぬけると、もう時刻は既に20時を回っていた。とりあえず安宿を探そうと歩きだすと、タクシーの運転手に「あまり荷物を持って一人で歩くのは良くないと思うけど・・・」と止められ、つい最近のひったくられ経験を思い出し大人しくタクシーへ乗り安宿へ。

5000シリング(350円)の、旅行者より現地人向けの宿へチェックインし、すぐさまトイレへ駆け込み乗車。

膀胱の張れがひいていく喜び・・・

途端空腹を覚え、近くの食堂で珍しくライスにチキンも付けてみたらば、チキンがゴムみたいに固くて無念だった。こんな大変な一日の終わりぐらいいい思いしたかったのに。

世の中そんなに甘くない。

ヴィクトリア湖の壮大な様を感じることなく

翌朝早々に港へと赴き、ここムワンザから、ウガンダとの国境に近いブコバという町へと向かう船のチケットを購入。丁度今夜発の便があるというので助かった。無駄にもう数泊なんてしたくなかったから。

宿のスタッフと交渉して一泊分の半額を支払い18時まで部屋を使わせてもらえるようにして、パソコンをカタカタと叩いていたら、

「ミスター。時間切れだよ。PM6時だよ。」

へ?まだまだ陽は高く、時計を見ても13時。はっ。そういえば、彼らにはスワヒリタイムというややこしい時間が存在しているのだった・・・。この間もバスのチケットを購入する際、何時出発なのだ?と尋ねると「8時半よ」と答えられたのだがどうみても彼らの座席表の出発時刻の欄には2時半と書かれてあって、ちゃうやないかどっちが本当やのん!とまくしたてると「これはスワヒリタイムなの」と言われたのだ。

ややこし・・・ともかくボクはスワヒリタイムで生きていないので、通常の18時までここに居座らせていただきます。

「もー。分かったよ・・・」と去っていくスタッフ。そんなしょんぼりせんでも・・・そんなに出てって欲しいんか!?

いや、宿代半額も払ったんだから18時までいて当然です。気をとりなおしパソコンカタカタ作業に集中して、午後はインターネットを探し練り歩いたり、歩きつかれてコーラのみならずファンタレモンまで飲むという恐ろしい事(贅沢)をしてしまったりして時間をつぶす。

18時になったので荷物をまとめていると、「ミスター。」18時ぴったしに出ていけコールがきた。

そ、そんなにもか!?それほどまでにも私に出ていって欲しかったのか!?

ボクが出るなりシーツを剥ぎはじめた。洗いたかったのか・・・

港への道中どこかのレストランで夕食をとろうと思っていたのだが、「終わっちゃったよ」「ライスはねえよ」港へ着くまでどこも見つからず、結局泊まっていた宿の近くまで戻って食べる羽目に。米が食べたい時は、どれだけ疲れていても苦労しても、妥協しない主義。チップスに甘んずることは許されないのだ。

が、大荷物を背負っての往復は中々疲れた。

19時半、港へ戻ると丁度乗船開始。二等席へ。二等でもスリーピングとシッティングとあり、ボクは勿論安いほうのシッティングを購入したので、早めに席を確保。

見る見るうちに人が乗り込んできて、やはりシッティング、寝転ぶことは困難に思われたので、席の上の荷物置きによじのぼり、そこを陣取る。若干硬いがジャストサイズ。これって、だよね?

お洒落ぶった人達が好むロフトタイプのお部屋と同じだよね?

21時の定刻通りに出航。西アフリカならこのまま港で一泊が常だろう。

安い二等なだけあって、窓一つない地下の部屋だったため、楽しみにしていたヴィクトリア湖の眺めはおろか、甲板に出て星空を眺めることすらかなわなかった。船旅の醍醐味は甲板にありなのに・・・。

硬い荷物置きに寝袋を敷き、船旅の感覚を何一つ味わわないまま眠りにつく。

さようならタンザニア

とてつもない便意に目を覚ますと、船も丁度ブコバに到着したようすで、あたりもざわつきはじめた。時刻はまだ6時前。

パイプに亀裂が入っていたせいで四方に水を散らしながらとてつもない勢いで流れるトイレに朝からおののき、下船。

ここから国境行きのバスを見つけるべく、バスターミナルを聞いて歩きだすと、港で待機していた国境行きシェアタクシーに呼び止められたので、乗り込む。

15分程で人が一杯になり出発。陽が登り明るくなり始めた。

二時間弱でイミグレーションに到着し、出国手続きをすませる。

が、国境らしき雰囲気を一切かもし出していない。そして入国側のイミグレーションが見当たらない。

そのまま車はさらに30分ほど走り、ようやく国境にたどりついた。するとまたしても出国イミグレーションが。「もうスタンプ押されてるなら行かなくてもいいよ」とどこからともなく現れた人に言われる。

え?何の為に二箇所もイミグレーションを設置しているのだろう。素朴な疑問に対する答えを得られないままタンザニアこれにて終了。

振り返ってみると、観光らしいことをしたのって、ザンジバルだけではないですか。


ウガンダ日記

タンザニア(2010年1月4日〜1月22日)