発展国と勘違いしてしまいそうになる首都

謝礼(治験・・・)に目が眩みドイツで約一ヶ月過ごし、久々の先進国での快適な生活をインジョーイした僕は、マリで出会ったドイツ人の友達ダニエルとベルリンで再会し、一泊させてもらうとさっさと欧州を後にした。やはり欧州及び先進国にはあまり興奮しません。

海南(ハイナン)航空という聞いたこともない会社を利用するのでいささか心配でもあったが、乗ってみるとこりゃ大したもんだ、機体は割りと新しいし各座席にきちんとモニターがついているではないか。モニターがついている飛行機に乗る事なんて久しくなかったので感動したが、もれなく全ての映像がドイツ語に吹きかえられたものか、中国語のものだったので観るのをやめにした。

乗客のほとんどは中国人、もしくは旅行へ向かうであろうドイツ人。機内食やスナックが供されるなり、中国人達はここぞとばかりにおかわりを申し出ていた。日本のおばちゃん観光客もこんな感じなのだろうか。もらえる物はもらっとく精神、嫌いじゃない。

ベルリンを19時半に発ってから、約9時間。ついに北京国際空港へ到着した。二年半ぶりの中国。人民パワーに負けませぬよう。

首都の空港だけあって巨大、トイレも綺麗、まるで今までみてきた中国と正反対な仕上がりに驚く。イミグレーションで久しぶりにニーハオと審査官の女性に挨拶。「日本人ですか?コンニチハ。」

とても愛想がよかったので、審査官の態度を五段階評価できるボタンで「ベリーグッド」を押しておいた。こういうボタンがある事にも驚きだ。ベイジン気合入ってんな。

予約しておいたRed Lantern Houseという宿へ向かうため、空港からのシャトルバスで西単(シーダン)という所まで。

30分程て到着すると、今度は市内バス22番に乗り換える。が、見当たらない。そこらへんの店の兄ちゃんに聞く。

久々英語通じない国!!!!

バス、アーシャオアー(バス、22)!ウォーシャンチュィーシンジエコウ(シンジエコウに行きたい)

すると地図を出して、何やら探し出してくれたのだが、よく分からない。謝々!とりあえず礼を言って歩いてみる。ホテルのスタッフなら英語が通じるだろうとドアマンらしき人に尋ねてみる。

英語は通じなかったがシンジエコウに行きたい旨は伝わったらしく、「あっちやで」と方向だけ教えてもらい、

さっき居たところに戻ってきた。

バス乗り場には22番の表示がないので、ここではないのだろうけれど、念のためここでも今一度尋ねてみると、「シンジエコウなら626番でいきな!」とのこと。

間もなくやってきた626番のバスに乗り込む。おっ、正解だ。前方に22番のバスも見えた。目印の吉野家(北京には沢山ある)がみえたところで降りて、小道へ入っていくと、宿の名レッドランタンそのままに、赤い提灯が大量にぶら下がった宿を発見。

チェックインをすませ、両替屋を探すも見つからず、ATMで2000元ほどおろし、腹ごしらえ。面館で冷麺じみたものを食べてみる。繁盛していて7元(91円)もする割に、それほど美味くない。

宿へ戻り、ボクの好物ワイファイ(無線インターネット)が飛んでいたのでしばらくメールチェック等をし、同じドミトリーの部屋にいた日本人のカップルと喋る。タイから北上してきて中国はもう二ヶ月も旅しているらしい。なかなかの好き者ですね。

夜は食堂で牛肉面を食べる。今まで中国で食べてきた麺類で一番美味いかもしれない味に感激するも、宿に帰るなり物凄い勢いで下痢を催した。シャーシャーです。

一ヶ月もの間、ドイツという国で超衛生的な物しか口にしなかったせいで、胃腸が随分ヤワになってしまったらしい。この調子で不衛生な物もどんどん口にしてまた免疫をつけねばと心に誓う。

時差ボケがこんなにも辛いだなんて知らなかったよね

翌朝目を覚まし、時計を見てひっくり返りそうになってしまった。いや、ひっくり返りはしないが、それほど驚いた。時刻は既に15時だったのだ。翌朝なんてものじゃない。

中国とドイツとの時差は六時間。つまりドイツはまだ朝の9時。なるほど。それなら・・・仕方なくない。

日本人カップルのヤス君、ユリちゃんに「どんだけ寝るねやろー言うててん。」と訝しがられるほど寝てしまったこの時間のロスを取り戻すべく、さっさとハミガキをすませ外出。

地下鉄にのって外国人出入境管理処(外国人管理局)へと向かう。この地下鉄も割りと新しいものなのか、綺麗だし、改札を通る前に必ず空港と同じような荷物検査をしなければならない。

寝起きだからという言い訳なんて通用しないほど見事に反対方向の電車に乗ってしまい、無駄に往復しつつ2号線に乗り換えて目的の駅へ到着し、そこからさらに人に尋ねつつ管理局へ辿りついた。のだが。

「ミンティエン(明日)。」警備員に止められた。何だオレの格好がみすぼらしいからかそうなのか!?「ファイブオクロック。」え?17時に閉まった!?今は?

17時と4分をお知らせします。

ああオレのばか、オレのばか。

反対方向へさえ行かなければ間に合ったのに・・・。またミンティエン(明日)やってくるしかないので、退散。ラーマ寺というのがこの近くに見所としてあるらしく、歩いてみる。

博物館だか寺だかよく分からない建物は数箇所発見したが、どこも入場料がかかる上に、こちらも17時で閉館していらっしゃったため、素通りして再び地下鉄へ。

天安門という駅があったので向かってみる。天安門といえばあれだろう。天安門事件だろう。詳しくは、何も知らない。(電子辞書で調べて今しがた知ったが、あえてここで転載することもないでしょう。この旅行記でそういったものを求めている人がいないと踏んで。)

駅を出ると、まあそれはそれは大きな建物天安門。そのど真ん中に、おそらく毛沢東と思われる人物のこれまた巨大な肖像画が掲げられている。

その左方には「偉大なる中国共産党万歳!」(多分)とどでかく書かれていて、何ともいいようのない不快感を覚えた。

この巨大な国家は、チベットやその他少数民族の人達を不当に支配しているにもかかわらず共産主義万歳だなどと声高に宣言しているのかと思うと、気持ちが悪くなった。

宿へ帰り、近くの屋台で涼皮(リャムフィー?)というものを買ってみる。何故なら、それが、どこからどう見ても、インドのデリーやダラムシャラ、ネパールのボダナートといったチベット人居住区で食べていたラピそのものだったからだ。

あのきしめんみたいな平たくモチモチした麺、にんにく酢や醤油等使っているソースまで全く同じじゃないか!それにゴマだれとキュウリの千切りも和えられて美味さ倍増。

雰囲気からしてこちらの涼皮がオリジナルで、チベットに伝わっていたような気がするが、どちらでもよかろう。だって美味いんだもんこれ。

シャワーを浴びて、インターネットをしていると、ドイツ人の青年がやってきたので喋る。ついこの間までドイツにいたんだよ云々・・・「ドイツ語喋れるの?」とドイツ語で聞かれ、いや・・・と答える。一ヶ月もいたなら勉強もできたろうに。勉強嫌いな自分に乾杯。「そっかーそうなんだ!俺も日曜にベルリンに帰るんだ。」

ところで、中国はあれだよね、FacebookやYoutubeは見られないように制限されてるよね。不便やわー。「そうなんだよ。でも、見られるようにできるソフトあるよ。知ってる?」

そう言ってSDカードに入っていたフリーゲートというソフトをもらい、それを立ち上げてからアクセスしてみる、み、見られた!!ありがとう!ダンケ!「ビッテシェン」

中国の情報操作はきっと他のどの国よりも酷く、チベットに関する事柄も中国国内からは調べられないようになっているらしい。テレビではもちろん中国政府がチベットに対してどういう事をしているかなんて報道されないから、国民は知る術がないのだ。そこまでチベットに関心を抱いている国民がいるかどうかも疑問だけれど・・・。

再びチベットへ行く夢絶える


時差ボケが全くもって直らない。朝の6時までぱっちり冴えたおめめどうしてくれよう。皆がすやすやと眠っている暗闇の中一人静かにジャミポッドを聞き続ける辛さったら。無いぜ。

が、このまま寝ていてはきっと昨日と同じように15時起床になってしまうのが目に見えていたので、アラームをセットし10時に起床。ほとんど寝られていないので逆に眠気もない。

ドイツならまだまだ寝ている時間なので、朝一のウンコも出やしない。調子狂いっぱなしだけれどいつまでもきばっていられない。

リヴェンジをかますべく再び管理局へ。ビザの料金等調べ物をすませ、今度は北京駅へと足を運んでみる。

各方面行きの時刻や料金を調べる。そもそも何故この、トイレが色んな意味で超大国な中国に戻ってきたのかというと、チベットに今一度行きたかったためだ。

二年半前にまた会いに来ると約束したチュドゥン、ペマ、ロサの三人娘に会いに行くため。が、チベットはますます監視が厳重になってきて、一筋縄では行けそうにない。

チベットで出会ったお友達のコーズイさんから教えてもらった情報によると、つい最近チベット自治区のホテル全てに外国人管理用のIDカードリーダーが設置され、外国人は必ずガイドを伴ったツアーで訪れ、IDカードを所持して登録し、公安に全ての行動を報告しなければならなくなったというのだ。

さらに町の至るところには監視カメラが見張っており、不審な言動(中国から見て)をしている外国人やチベット人がいるとすぐに尋問されると。

ここまでくるとストーカーとしか思えない。反吐が出る。一体中国は何がしたいのだろうか。そして一体チベットの人達が何をしようというのだろうか。

長距離バスターミナルへも便や時刻、料金を調べに向かう。地図も何もないので、バス停の名前を書いたメモのみを頼りに、道行く人にそれを見せつつ。

こうやって道を尋ねたり、話したりすると中国人はとても優しく明るい人達なのに。

情報収集を終え、宿に戻り、電話を借りる。コーズイさんのお友達の、日本語がペラペラのチベット人、ナンジェーさんにかける。

あ、どうも初めまして、日本語大丈夫ですか?「あはい。大丈夫ですよー。」物凄く流暢。

かくかくしかじかで、ツアーに参加しないで個人でチベットに行きたいのですが、可能だと思いますか?「いやー今はもう、ガイドを雇って、ツアーを組んで、それを全部公安に届け出ないと行けませんねえ。しかも、日本人なら日本人だけのグループじゃないとだめなんです。」え!何ともまあ・・・そうですか。

例えば闇バスとかいった交通手段も、もう無いんですかね?「そうですねえ。あったとしても、見つかったら即追い返されますしね。」

仮にたどり着けたとしても、宿に泊まれるかも定かでない。ツアーに参加すると果てしなく高額の料金がかかる。もはや絶望的なチベット再訪問の夢・・・。はあ。

今現在のチベットがどれほど侵食されているかをこの目で見たいというのも勿論ある。けれどそれよりも、僕はただ、チュドゥン、ペマ、ロサに会いたいのだ。それだけなのに。

なのに、もし幸運にもチベットに戻ることができて、さらに幸運にも彼女達に再会できたとしても、会うのは店の中だけにして、滞在もなるべく短くしたほうがいいのだそうだ。さもないと、外で会っていて各所に設置された監視カメラに僕と彼女達の姿が度々写されると、後々彼女達が不当な尋問を受けかねないという。

そっかあ・・・。悔しいけど、今回は諦めようかな・・・。ちなみに手紙は普通に届くと思いますか?「政治的な内容を書かなければ届くと思いますよ。北京から送るんだったら中身もチェックされないかもしれないですし。」そうですか。じゃあ、手紙で我慢することにします。色々とありがとうございました。

「いえいえ、またの機会に。」

がっくし。夢途絶えた。

きっと、本気で探せば闇バスといった手段も見つかると思う。もしくは前回と同じくシャングリラの町からでている公共バスで中国人とチベット人に紛れ込んでいけば大丈夫かもしれない。

だが、ようやくラサにたどり着いても宿に泊まれず追い返される羽目になったら・・・などと考えたら、そこまでのリスクを冒して向かう気力が・・・無い。北京からシャングリラまでも、直線距離で軽く2000キロはある。

きっとまた別の機会にいけると信じて、今回は諦めよう。

この不発弾的なやりきれない思いを少しでも吐き出したくて、ファック人民政府などとFacebookに書き込んだけれど、虚しさが増すだけであった。

するとダライラマ法王(もFacebookやっているのだ!!)が「怒りに怒りで返してはならない。誰かが貴方に怒りをぶつけてきたとして、貴方まで怒りをぶつけ返すと、その後は悪い方向にしか向かわない。」と書き込んでいらっしゃったのを読み、愚かしい行為に及んだ自分を反省。

チベットを諦めた末にとった針路は、北

チベット行きが危ぶまれることは薄々予測していたので、そうなった場合どう針路をとるか、実は前もって考えていたのだ。その針路は・・・

ぁモンゴリア〜

モンゴルである。

ずっと前から行きたかった国の一つ。我々日本人のルーツ(モンゴロイド)。蒙古斑(英語ではまんまモンゴリアンスポットと呼ばれるそうだ)の出所(?)。モンゴル相撲。遊牧民。

きっと楽しいに違いない。国民のほとんどがラマ教だそうだ。つまり、チベット仏教。これは・・・!!ますます興味深い。

そうと決まればすぐさまチケットを。昨日のバスターミナルへ。国境の町二連浩特(エレンホト。中国語ではアーリェンハオトゥ)へ向かうバス大人一枚下さい明日発。

「明日のバスは明日の朝にならないと出るかどうかわかんないのよねえ。だから、10時ぐらいにここに電話して確認してみてね。」え、あはい・・・。

出端を挫かれた感は否めないが、まあいいだろう。出端はいつだって挫かれるのが私の常。十個入りのショーロンポーを4.5元(58円)で頂く。ウマ・・・!中国は何が良いって飯が美味いのがいい。西アフリカのあの過酷な日々が思いやられるほどに。

夜はまたヤス君ユリちゃんとあれこれ喋ったりなどして過ごし、あちこち歩きまわった疲れもあってか23時には就・・・寝

0時起床。寝られへん・・・何で・・・何で寝られないんですかこの体は!!!!

疲れているのに寝られない。俗に言う不眠症のような状態。不眠症に悩まされる人々の気持ちが少し分かっちゃった気がした25の夜。

久々の寝台バス、久々の丸見せ便所

結局3時まで眠れない状態が続いた。もう堪忍してよ。9時には起床し、バス会社へ電話をする。英語はおそらく通じない、僕も中国語ができないので宿のスタッフに代行していただき、確認。

「今日バス出るそうですよ。16時半発、料金は179元です。30人乗りだっていってたからおそらく寝台ですね。」

事細かにありがとう!助かりました!すぐさま荷作りをし、出発。後日ヤス君もモンゴルへ向かうそうなので、連絡先を交換しておいた。

宿からバスターミナルまで、最も安い手段で向かおうとするため、市内バス乗り場まで荷物を担いで30分近く歩き、109番バスで北京西駅へ行きそこからさらに20分歩く。我ながらアッパレな節約術。だってここまでの交通費1元(13円)で済んだもの。

無事エレンホト行きのチケットを入手し、涼皮とコーラ、カットメロンを買ってターミナルのベンチで食べる。

時折、本当にこれで良かったのかな・・・。チベット・・・。と考えてしまい、その度無力感に苛まれたりしつつ寝転がり仮眠。

16時前、バス乗り場前まで降りて待っていると、子供にウンコをさせる母親が目に飛び込んできた。

ええ、それだけなら何ともない、ごく普通の行為なのだけれど、場所がさ・・・あなたそちらトイレじゃなくってよ。とデヴィ夫人なら苦言を呈しちゃうに違いない場所。

トイレの入り口の前の沢山の人が行きかうところ

なんだもの。 惜しい!惜しかったよ!もうちょっとでトイレなんだけど、ゴメンそこトイレじゃない!母親!惜しかったよ!

密かに苦笑していると、何とその母親、用を済ませた子供を抱えてそのまま去っていった。清掃員のおばちゃんが「ちょっとアンタ!こんな置き土産もらったって一つも嬉しくないんだからね!」と怒号を上げている。

惜しい母親よ、さすがにそれはイカンだろう。公衆の面前にウンコ放置プレイはいただけませんぞ。と影ながらプンスカしていると、数分後母親がちゃんと戻ってきて掃除をしていったので一安心。

日本にいて、「どこかの母親が我が子をバスターミナルの床の上でウンコさせてそのまま放置プレイしていったからどうなってんだって思ったんだけど後から戻ってきて掃除してったから一安心した」などというほっとした話略してホ話はまず有り得ないだろう。

ともあれ16時半、バスに乗り込む。宿のスタッフが予測していた通りの寝台バス。しかも土足禁止。かなり清潔だ。僕がかつて乗ったことのある寝台バスはいずれも汚く、床には食べカスやゴミが散乱していたから、これも首都北京のなせる業かと感心してしまった。

出発したのはいいが、どう見ても乗客が少ない。僕を入れて7人てあなた。全く儲けにならんでしょう。まあいいか快適だし。

20分後、どこかへ停車。全員降ろされる。ん?チェンジ?バスチェーンジ?もちろん通じないが、雰囲気からしてそうらしい。そりゃそうだろう。乗客7人をこの大層なバスに乗せていくなんてのは、きっと予定表通りに運行する日本や先進国でないとしないだろう。

一時間以上待たされた挙句、他のバスターミナルから出発したらしいエレンホト行きのバスに合流させられる。バスはさきほどのものより随分古いが、こちらも寝台なのでよかろう。

寝不足の為腰を落ち着けるなり就寝。やはり寝台バスは良い。中国に関する事柄で数少ない尊敬できるポイントの一つがこの寝台バスだ。

目を覚ますともう辺りは暗く、時折稲光が走り、小雨が降っていた。小腹が空いたので、周到に用意しておいたおやつの煎餅とチョコレートをむしゃむしゃと食べる。遠足か。遠足だ。

ひたすら北へと向かうバスは、深夜0時をまわった頃ようやく停車した。トイレへ。

うっふぉーお!来た来たー!久々来ましたニーハオトイレ。

七つほどならんだ穴っぽこ、そこに並んでしゃがみ、力むオレ達。

あれほど忌み嫌っていた世界的に最も汚いトイレなのに、二年半ぶりにいざ体験すると、どこか懐かしいような、むしろ待ち望んでいたような感覚をおぼえた。もちろんケツの数十センチ下には積もり積もった他人のウンコ、隣には他人がウンコ、というおぞましい状態ではあるのだけれど。

無事任務を終え、軽く食事をとり再びバスへ。夜は更ける。中国式便所に耽る。

内モンゴルで既に大草原ですって


早朝4時。何となく目を覚まし、窓の外を見る。え!!!何じゃこりゃ!!

一面草原やんけー

いや、モンゴル=大草原ってイメージはしてましたよそりゃ。でもね、チベット=高原と思い込んで行ってみたらラサは町だったんです。だからモンゴルっつったって町だったりするんだろうなと思っていたらこれ。

まだモンゴルに到達していない、中国の、いわゆる内モンゴルという所なのにすでにこれかいな。たまげたもんだぜ・・・。

たまげたのも束の間、眠気には勝てず再び夢見る夢子ちゃん。

まわりがざわざわざわざわつき始めたころ目を覚ますと、時刻は9時、辺りは、町だった。エレンホト到着。600キロの移動を終える。

バスを降りるなり客引きが、読んで字の如く僕の腕を引っ張って宿へ連れていこうとしてきた。北京は都会でクールな印象が強く、誰もこのようにしつこくやってくる人がいなかったので、これも、鬱陶しいながら嬉しい。

客引きについていこうかと思ったが、まずは自分の足でバスターミナル周辺を歩いてみようと、断って歩きだす。

ターミナル正面のすぐ向かい側にレストラン兼住宿(安宿)があったのでのぞいてみると、中々清潔な部屋が30元(390円)とのこと。北京のレッドランタンハウスでは、ドミトリーにも関わらず50元(650円)という大金を支払っていたためか金銭感覚が狂い、あオッケー30元ねー。とチェックイン。

「ぁジャパン?アナタノオナマエハ、ナンデスカ?」宿のおばちゃんが突然片言の日本語を話し始めた。ジャミです。バヤルララー(モンゴル語でありがとう)と答える。

少し辺りを散策し、部屋に戻ると急に眠気をおぼえ、そのままベッドに沈み込んでしまった。

14時過ぎに目を覚ます。なんだろうこのだるい感じは。まだ時差ボケが直っていないのかはたまたただ単に僕が怠け者なだけなのか。

むんずと起き上がり、朝から何も食べていなかったためレストランへ。豚肉と青菜炒めのぶっかけ飯。油っこいが中々美味い。お値段8元(104円)。

それから、インターネットカフェへ向かい、一時間ほど情報収集をする。モンゴル手前まできて、この先の情報を何一つ調べていなかったのだ。現をぬかしてブログとか更新してるからいけないんだ。

インターネットを終え、いくらですか?と尋ねると、店のぽっちゃりした子が「不要(いらない)」と。いやいや、インターネット一時間やったので、おいくらですか?「いい、いいよいらない。」と笑ってお金を受け取ろうとしない。

まさかインターネットカフェで料金いらないなんて言われるとは夢にも思ってなかったので、その不意打ち感も相まって急激に嬉しさがこみ上げた。謝々!バヤルララー!とお礼を言って店を出る。

あの子は中国人だろうかモンゴル人だろうか。どちらにせよ、気前の良い子だ。やはり田舎のほうへ行くと、こういう人の温かみがある。どこの国でも。有難い。こういう瞬間がたまらなく好きだから旅はやめられない、らしい。

そのまま町をあちこち歩きまわる。店の看板はほとんどが、中国語、モンゴル語、ロシア文字のモンゴル語の三つの言語で書かれていて面白い。モンゴル語に至ってはアラビア語並みに解読不能だ。

リキシャのおっちゃんに「乗ってけ?」と言われてニッコリ笑みを浮かべながら首を横に振ってみたり、キャンペーンか何かなのか、シャンプーを片手に壇上で力説する女の子とそれに見入る聴衆を眺めてみたり、やたら道幅が広いのに気づき、ああ中国は広いからなあと納得してみたりする。

さあここで一泊充電したらば明日はいよいよモンゴリア突入だ。


一旦モンゴル日記


ただいま中国これはこれで好き

中国側のイミグレーションもすんなり通過し、さあ向かうは一路北京。五分で到着。「バスチェーンジ。」少し英語の話せるモンゴル人のおばちゃんが教えてくれたありがとう。

バス会社のオフィスに荷物を預け、腹が減ったので食堂へ。一度来たことがある町だとどこに何があるか大体把握しているからやはり楽だ。

チャーハンを注文。うん、そしてやはりここのチャーハンは薄味。付け合せのザーサイと一緒に食べると丁度いい塩梅。お茶も無料で飲めるし、中国に帰ってきたら、これはこれでほっとする。

市場に行き、夜食分にリャムフィ(涼皮)を買い、隣の果物屋でチェリーを買う。一キロいくら?「15元。」15元?キロやろ?イーキロやろ?「ドゥイ(はい)」

じゃあ、5元分ください。大体300グラムぐらいのはず。が、何じゃこりゃお買い損セール中ですかあなた。全然足りんやんか!「5元だろ!これだよ!」とおばちゃん。おい!計りみてみ?全然、300グラムもないやんか!もっと、はい、これぐらい入れて〜。と言いながら袋に足すと、「何やってんだよ!5元はそれだけだよ!」と足した分をまた戻すおばちゃん。

ちっきしょー1キロ、15元、ね?そうやろ?手の平にボールペンで書いてみせる。「ええ!?違うわよ!」あいだに旦那らしきおっちゃんが入ってきて説明。すると1キロ30元。違うやんかさっき15言うたやんか!「キロじゃないわよ!」キロじゃない単位を中国語で言われたがよくわからなかったので、もういいや。疲れた。

だけど、こういう交渉ももうできなくなっちゃうのだと思うと、それはそれで物足りない気がしなくもない。

はい、ボク、帰国するんです。 三年余に及んだ旅が、ついにお仕舞いと相成るのです。ふぉふぉふぉ

バスターミナルに戻り、ハミガキウンコ洗顔をしてすっきりしたらラップトップで映画を観たりなんかして、出発の15時を待つ。

オフィスに荷物を取りに行くと、「日本人か?」とスタッフのおっちゃんに聞かれたのでそうやで、と答えるとニコニコ笑って何かしら言ってきたが分からないのでボクもニコニコ返ししておいた。よくわからないが人の良さそうなオッチャン。

15時、バスに乗り込む。寝台だぜ。やっぱ好っきゃねん寝台。出発して、ジャミポッドを聞きながら景色を眺めていると、何もない土地に無数の恐竜が現れた。

あれこれまた夢の類ですか?いやいや違う。中国が威信をかけて作り上げた、オブジェの類らしい。しかし3キロ近くに渡って無作為に置かれたこれらの恐竜・・・な、なんで?

仮眠をとっていると、突然金縛りにあい体が浮いたような感覚を覚えて目を覚ました。な、なんで?

きっと疲労のせいだろう。連日移動の繰り返しだから体が調子狂っちゃったんだから。

イスラム世界がよくわかる本、という本を読む。イスラムの歴史が多岐にわたって詳しく書かれてあるが、ボクの読解力が乏しいせいか、イスラム世界がよくわからない本だった。が、中国にもイスラム教徒が数多く存在しているのには驚いた。

世界で一番多いのはキリスト教、それについでイスラム教だそうだ。仏教はその次のヒンドゥー教徒、の次。そういえば仏教徒はあまり宣教活動というのをしていないような。そしてキリスト教は宣教者がうじゃうじゃいたような。

渋滞に巻き込まれ停車したついでに外へ出てハミガキをして、満月をカメラにおさめ、再び走り出したバスに揺られて寝ていると、あっという間に600キロの移動を終え北京に到着していた。時刻はぬわんと早朝4時。

初めて人民とチベットに関する会話をして知った恐怖

バス停から北京南駅へ向かい、すぐさま次なる目的地青島(チンタオ)行きの切符を手に入れる。11時発。しばしベンチで休憩して、近くの食堂でショウロンポーを朝食に頂く。モンゴルのボーツよりはるかにレベルの高い美味さ。

駅構内にあった郵便局でチベットの三人娘に宛てた手紙を送る。無事、人民に奪われることなく届きますように。政治的な内容は書いてないが、ボクの実家の住所やメールアドレスを添えたのは大丈夫だろうか。彼女達からの返事があることをひたすら祈る。

11時、プラットホームへ降りて乗車。こ、これは・・・新幹線とちゃいますか?275元もしただけのことはある。北京〜青島を6時間で駆け抜けるだけのことはあるような近代的なボディやんか。

指定席に座る。うーむ、快適。発車して尚驚いた。ゆれないぶれない。静かな走行ですこと!眠ったり、持ち帰りで買っておいたショウロンポーを食べたりしていると、乗客全員にミネラルウォーターが配られた。チベットで採取された水らしく、その新鮮さを全面に押し出したパッケージをみて、何ともいえない気持ちになる。採取?搾取?

18時前、あっという間に青島に到着。駅を出るなり大急ぎで港へ。徒歩、いや競歩で。軽く2キロはあったように思う。が、生憎オフィスは閉まっていた。仕方がない、明朝また来よう。

あ、実はですね、ここ青島から日本の山口県は下関という所へ船が出ているのです。無類の船旅好きのボクとしては、いくら時間がかかろうとも、このルートで、海路を経て帰国したかったのだ。空路でバビューン飛んで急なギャップを楽しむのも乙だが、今回は海路が粋。

三年三ヶ月の旅最後の宿探し。こうやって大荷物を担いで汗だくで探し回ることももうしばらくないのか。よっしゃ行きますよー一軒目!「30元」安いね!でもシャワーない!狭い!次!二軒目!「50元」なかなかきれいだね、40元で!「いいよ」やったね!じゃあカギ下さい、「カギねえよ」カギねえですか!はい!

はい?ちょっと待った!カギ無しちょっと待った!それはいけないでしょう!カギはないと困っちゃうでしょう!高速の北京語で何やら説明されたが理解不能!人はいいけれどカギがない宿なんて前代未聞なので次!三軒目!「280元」高い!次!既に1キロ近く駅の方へ戻ってきてしまっている。

四軒目「満室」はい次!五軒目!「90元」高い!けど一応部屋見せて!あ、清潔!50になりませんか!「うーん、60ならいいよ。」55でお願いします!「だめよ60よー。」いーん。分かりました。日本円にして約780円、若干高いが、旅の最後ぐらい、清潔な宿に泊まってもいいじゃない。

それに何より、ここのスタッフの素晴らしく愛想の良いこと。にっこり笑って部屋を案内してくれる若い娘と、若作りがいやらしくない、可愛らしいおばちゃん、それから理髪店店主です、みたいな風貌だけどいちいち「シャワーのスイッチはここで、終わったら消してね、部屋のカギは私らが預かるし、廊下にはほら、カメラもあるから安全だよ」と説明してくれる見るからに人の良さそうなおっちゃん。

シャワーを浴びて滝汗を洗い流すと、夕食がてら青島の町を散策へ。適当に繁盛していそうな食堂へ入り、麻婆豆腐とキャベツ炒め、白ご飯を頂く。ボクが日本人と知るなりスタッフがざわざわ集まってきて「モシモーシ。バカヤロ〜」と言って嬉しそうに笑う。

中国人は何故かモシモシとバカヤローという言葉だけ知っていて、それを日本人を小馬鹿にしているのかそれともただ単に知っているから言ってくるのかは定かでないが、それにいちいち腹を立てていてはきりがないので、受け流すようにしている。

すると隣で食べていた男性客二人が「日本人ですか?」と英語で尋ねてきた。「日本のアニメ好きなんだ。」それはそれは。どのアニメですか?と聞き返しタイトルを教えてもらったが中国語なのでどのアニメかわからなかった。「中国を旅行してるの?」うん、今回は北京だけ行って、それからモンゴルに行って戻ってきて、明日には日本に帰っちゃうんだけど、二年半前に雲南省とチベットに行ったよ。

「中国は好きかい?」うん、みんなフレンドリーだし優しいし、中華料理は美味いし好きですよ。でも政府は好きになれないかな。そういえば、あなた達はテレビでチベットに関するニュースを目にしたりしてますか?「どういった?」良いニュースなり、悪いニュースなり。「時々ね。」

そっか。二年半前にチベットに行ったときは、割と自由がきいたんだけど、今はどんどん厳しくなっていて、外国人は高い料金を払ってツアーを組まなきゃ入れなくなっちゃったんだ。ラサ市内には警官がそこらじゅうに立って監視してるんだって。おかしいよね。政府はそうやってどんどんチベット人をコントロールして。

と政府の批判を始めた途端、真剣な表情になって彼らは「そういった話はここでしちゃダメだよ。そういう社会的な話はしちゃいけない。あそこは綺麗だね〜とか、あれはとっても美味しかったね〜とか、それだけにしとかないと。」と言ってきたので、そんな、あそこ綺麗だねー、美味しかったねーなんて話だけじゃなくて、こういう話もちゃんとするべきだと思うけど。と返す。

少し癪に障ったのか、何やら早口な北京語で言われたが分かりません。そして彼は、「チベットは中国に属しているし、台湾も中国だから。」と言ったのだ。散々中国人はかなり情報操作をされていてチベットや台湾が中国の一部であって当然、という考えを持っているとは聞かされていたが、直接聞いたのはこれが初めてだったので、衝撃的だった。

だったら何故政府は、その中国の一部であるチベットの人達を沢山殺すの?と返すとまたもや「だからそういう話はしちゃいけないってば!」と言われた。そうして話題を他に移そうと「青島は好きかい?」などときいてきたが、まだ今日着いたばかりだから分からないけど、きっと好きだよ。ときちんと答える。

「ボクはねインドが好きじゃないんだ。」しばらく当たり障りのない会話をしていると唐突に言い出した彼。理由を尋ねる。「インドと中国は、昔戦争してて・・・」ちょっと待って、インドには行ったことある?インド人と会ったことある?「ないけど。」

ボクは、この間までインドを旅していたし、二年前にも行ったことがあるよ、それで色んなインド人と会って話したけど、みんなフレンドリーで親切な人ばかりだよ。もちろん騙そうとする人もいるけど。

過去にはさ、どの国だって悪い事いっぱいしてきたよ。日本だって中国に酷いことしてきたよね、でもあなたは日本の事好きでいてくれてるんでしょ?「いや、ちょっとァリトル・・・」あ、減ってる・・・。とにかく、一度インド人と話してみてよ。好きじゃない、嫌いって言うのはその後でもいいんじゃない?「インド人フレンドリーなの?」めちゃくちゃフレンドリーですよ。

過去の事、自分の国が受けた傷の事はもちろん忘れるべきじゃないと思うけど、でもそれに固執してあの国は昔あんな酷いことをしてきたから嫌いだ。なんて言ってたらいつまでたってもそのままだよ?何も進展なんてしないよ?それってもったいなくない?「そうだね。」意外と素直。

またあれこれ話をして、今度は「やっぱりボクは自分の国が好きだし、政府もとても良いと思う。」と彼ら。政府のどういうところが好きなの?「キミはどうして中国政府のことが好きじゃないの?」それを説明しようとするとまたチベットの話をしなきゃいけないんだけど・・・「あじゃあいいや。」

チベットの事は中国人同士でもかなりタブーとされているのかもしれない。ここでふと違和感のようなものを覚えた。今までボクは勝手に、「中国人は情報を操作されているから、政府がチベットにどういう酷いことをしているか知らないんだ、だから平気でチベットは中国のものだなんて言えるんだ」と思っていたけれど、どうやらそうでもない気がしてきた。

これだけチベットの話を嫌がり、避けて、警戒しているということは、本当は彼らも知っているのではないだろうか。中国政府がしていることも、チベット人がどういう目に遭っているかも。それを踏まえた上で中国政府最高だなんて言えるということは、国民もかなり危険なのではないだろうか。

もうあまりこういった話題に触れたくなさそうだったので、テレビは時々は本当の事も教えてくれるけど、間違った、都合のいい情報を流すこともあるからボク達は常に気をつけてそれらを受け止めるようにしないとね。特に中国は。と最後に言うと、「そうだね。そうするよ。お会いできて良かったよ。青島を楽しんでね。」と去っていった。

割と穏やかな人達だったし、フレンドリーだったから言い争いにまで発展しなくてすんだが、それでも彼らの根底に潜む中国的な考えを垣間見て、かなりショックを受けてしまった。現実は思っていたよりずっと難しくて、恐ろしい。

スーパーでイヤゲ(嫌味な土産)をあれこれ買い込んで宿に帰る。が、先ほどの彼らとの会話がしばらく頭の中でループしてもやもやが続いた。

ツァイツィエンチャイナ

翌朝7時半に起床。目を覚まして一番に頭に浮かんだのは、やはり昨夜の出来事。うーん、ショック。

港へ直行し、下関行きのチケットを購入。いとも簡単に。列とか、ないんですね。売り切れてなんか、いなかったんですね。拍子抜け。

向かいの食堂でショウロンポーを一皿頂く。通常小さいものが十個程度なのだが、今回は中ぐらいのものが八個、かなり食べ応えがあり、朝からウエーとなってしまった。

チェックアウトの12時まで部屋で過ごし、荷物を預けて町の中心部へ。ネットカフェで軽くメールをチェックし、再びスーパーでイヤゲの買出し。残った人民元をきれいに使い果たす。おつまみ用の虫とか、謎の煮玉子とか、ザーサイとかザーサイとか、それからザーサイとか。ろくでもないのがミソ。

宿に戻り、総重量のかなり増した荷物を全て担いで港へ。愛想のいい娘、おばちゃんおっちゃんにありがとう、またね、とお別れをして出発。

昨日の倍近い汗を流しながらどうにか港に辿り着いてハッ!わて・・・タオル忘れてきた・・・

バックパックとイヤゲの袋を盗まれないことを祈りながらその場に置いてダッシュで宿に戻る。たかがタオル一枚だが、友達がくれたものだし、旅の最後の最後、ここまできて何かを失くすのが非常に悔しいのです。

はははー、タオル忘れちゃったみたーい。ありましたありがとう〜。再び宿のみんなにお礼を言いダッシュで港へ。ホッ。荷物は無事だ。

スッパ!己の体の汗臭さに慄く。こりゃまずいぞ・・・まずいがどうしようもないぞ・・・とりあえずショウロンポーとリンゴ炭酸を食べて飲む。落ち着く。

イミグレーションが開くのを待っていると、同じ船に乗る日本人の方に話しかけられる。中国に住んでいたことのある方だそうで、アメリカや日本国内を自転車であちこち旅したりもしたそうだ。

昨夜の出来事を話してみると、「公の場ではやっぱ話せないのかもねえ。広東省のあたりとかだと、北京の目が届かないし香港もすぐそこにあるような場所だから、そこらへんの食堂でもみんなガンガン政府の批判とかしてるけどね。あんな政府だから中国はいつまでたってもダメなんだよー!とかって。」

そうなんですか!そっかやっぱ公の場ではまずいのか。でも中国国民にも政府批判をする人もいるんですね、なんか少しほっとしました。

イミグレーションが開き、出国。あ、出国しちゃった!

神妙な面持ち、でもなく、下関行きの船その名もゆうとぴあ号に乗り込む。ちなみに中国語では理想之国号。わお。


旅、おしまい。だって船内はまるで日本だから。日本日記?へ。

中国(2010年6月8日〜14日、26〜28日)