二年ぶりのお前のにおい

エアアラビアという格安航空会社を利用してイエメンを発ったので、UAEのシャルジャという所で乗り継ぎ、現地時間の19時半、デリー空港に到着した。

隣の印度人に「ウェルカムトゥーインディア。」と歓迎され、興奮は絶頂に。遂に帰ってきた・・・。西アフリカで飯が全然うまくなかった時、バスが全然出発しなかった時、いつも思い出しては胸を焦がし、ずっと帰りたいと思い続けていた国、インドに。

日本人の多く集まるパヤルというホテルへタクシーで向かう。ぎゃ・・・。そういえば今は春休みシーズン。こんなにも日本人が多いとは・・・。ドミトリーの部屋も一杯だったので屋上に敷かれたマットレスで寝ることに。

近くでチョウメンという焼きそばのようなものを食べる。こ、ここはもしや・・・もしやもくそもなく、インド!鼻をつくこの雑踏や小便、牛やお香の匂い・・・紛れもなくインド。二年前の記憶がまざまざと蘇った。

ああインド。インドインドインド。こんなにも観光客の多い国へ来るのも久しぶりなのでなんだか妙な気分だ。もう少し歩きたい気もしたが、疲れていたので食事を済ませると宿に戻り、シャワーを浴びるなりすぐさま就寝。

二択を間違え路頭に迷い体調を崩す

あまりの日本人の多さに気圧され、翌朝別の宿へ移る。ニューデリー駅の目の前の通り、メインバザール付近の安宿を十軒以上たずね、値段と質のそこそこよいハッシュホテルという所にチェックイン。

値段は言い値の300ルピーから交渉して225ルピー(450円)。聞かれてもいないがここでボクの求める良い宿の条件を箇条書きにしてみよう。前にもどこかで書いた気がするが、構わないことにしてみよう。

・日当たり良好。光合成をしないと人体も腐ります
・マットレス良好。薄っぺらでボロボロで中央部分が陥没したやつだと腰を痛めちまいます
・清潔トイレ。部屋の外でもかまわないので、臭くないものを頼みます
・コンセント。これがないと電子系旅行者のボクは、多方面において、充電が切れます
・スタッフ良好。すれ違うときにせめてハローの一言でも欲しい。愛想が悪いと盗難を危惧します
・水。トイレが流せないと、歯を磨けないと、ボクの心は簡単にやさぐれます

この他にもあるが、枚挙し続けると遑がないので、このぐらいに。

さて、いよいよ本格的にデリーの町を歩こうと、イエメンで日本人から頂いた某地球の歩き方の地図をチェックして出発。大体の方角を頭に入れる。

本まるごと持ち歩けばええやんとお思いの方。その通りなのですが、重いので持ち歩きたくないのです。

コンノートプレイスという、何やら色々ありそうなエリアへ。ニューデリー駅を背にして右にひたすら真っ直ぐ行けばよかったはずだ。簡単じゃないか。

忙しなく行きかうインド人。路上にはさまざまな物売りや、散発屋さん、ヒゲ剃り屋さん、耳かき屋さんなどが並ぶ。屋台で立ち食いターリー(カレー定食)を食べ、レモンジュース(レモンをしぼった水に塩をまぜたもの。汗をかいた後に最適)を飲み、さらに真っ直ぐ歩く。

歩く。

歩く。

歩く。

コンノートプレイス・・・無い。何故。ふと標識を見上げると、「OLD DELHI」の文字。オールドデリー?ははは、笑わせてくれるじゃんこの標識、違うぜ俺はコンノートプレイスに行ってるんだぜ。オールドデリーは全く逆方向だろ。おいおい誰だよこれ設置したのは。間違ってるよ。

間違ってるよ。

間違ってたよ・・・。ニューデリー駅を背に右に行くとオールドデリーだった・・・左がコンノートプレイスだった・・・

そういえばボク、昔から二択問題弱かったんだよね。当てずっぽうの二択問題はほぼバツだったんだよね。

果たして今回の件が、二択問題と関係があるのか、ただただ方向音痴だっただけなのかは神のみぞ知る。

日差しの強い中二時間近く歩き、疲れたのであきらめて宿へ帰る。宿どっち・・・道行く人にニューデリー駅はどちらに?と尋ね、さらに一時間歩いてようやく帰りついた頃には既に夕方だった。

ベッドにバッタンキューと倒れこむと、そのまま20時まで寝てしまっていた。だるい。おまけに鈍い腹痛。初日から力みすぎちゃった・・・ささっと夕食をすませるとまたすぐ宿に戻り、部屋で映画「半落ち」を観ながら休息をとる。

樹木季林さんの演技がやっぱりボクを号泣させ、余計に疲れた。

会いたかったんだよチベタン


今度こそ間違えるわけにはいかない、というよりもむしろ間違えるわけがない。再びコンノートプレイスへいざ行かん。

二択で一つ間違えたなら、答えはもう、一つしかないのだから、さすがに今度は間違えることなく辿り着くことができた・・・。さて、トラベラーズチェックの使える両替屋を探そう。と歩きだす。

コンノートプレイスは中央に位置するRajiv Chowkというのを取り囲むように、円になって広がっているエリアで、その中にいくつか両替屋があるとのことなので、時々人に尋ねながら歩く。

歩く。

歩く?

歩く??

おや?これはまさか俗に言うデジャヴ・・・さっき通った場所と同じような景色が広がっている・・・。白昼夢の類だろうか?いや、そんな、寝ぼけてなんていないぞ。

一周してたの・・・

オレはハムスターか。何を?気に、気づかず一周してるんだよ・・・。しかも両替屋、さっき道きいた場所の真後ろだったじゃないか。間抜けにも程がある。

が、幸運にも一人で歩いていたため、この事実を知る者は他にいない。ふふふ。

無事両替を済ませると、そこからメトロに乗ってVIDHAN SABHAという場所へ向かう。近代的なメトロは、昼時ということもあってか、かなりの乗客で溢れかえりまるで日本のようだ。

15分程で到着し、駅を出るとリキシャ(チャリンコタクシー)に乗って今度はマジュヌカティラという、呪文のような響きのする所へ。

一体そこに何が・・・

実はここに、チベットからの移民が住むコロニーがあるのだ。2007年にチベットを訪れて以来、彼らの人の良さや、チベット仏教にすっかりしっかり魅入られてしまった身としては、行かないわけには行かないわけなのだ。

リキシャを降ろされるなりすぐさま目の前に、「TIBETAN REFUGEE COLONY(チベット難民居住区)」と書かれた門が現れた。きゃー!勇み足で参りましょう。

今度は臙脂色の袈裟に身を包んだチベットのお坊さん達がゾクゾクと!奥へ進んでいくと、チベットの土産物屋さんがたちならぶ。もちろん店員は皆チベット人。屋台で何やら美味そうなものが売られていたので、食べてみる。

ラピ(そう聞こえた)と呼ばれる、ぷにょぷにょの平べったい生地を折り畳んで切って、お酢、醤油、その他調味料をぶっかけて食べるきしめんのようなもの。チベットにいた時はトゥクパと言う、チベット版ラーメンならよく食べていたのだが、このラピは初めて口にする。

果たしてお味は超美味い。きしめんやん!確かグッドはチベット語で、ええと、忘れた。隣で食べていたチベット人に訊く。「ヤッポドゥだよ。」ああそうだ!ヤッポドゥだ。

二年半ぐらい前にねラサに行って、そこで仲良くなった友達に色々チベット語教わったんだけどもうだいぶ忘れちゃったんだえーと確か確か、ニョンバ!「クレイジーって意味だね。」あと、パクパ!「豚だね。」

それから、えーと、サルは何だったっけ?「ピゥだよ。何か変なのばっかだね。」そうそう、変な単語しか教わらなかったんだ。あのディコスの三人娘チュドゥン、ペマ、ロサのせいだ。

食べ終えると、ラピを作っていた姉ちゃんに、チョゥヤッポドゥ(美味しかった)と告げ、土産物屋を練り歩く。今日はとってもミーハーな気分なので、フリーチベットとプリントされたエコバッグや、手編みのブレスレット、チベット語でオームと書かれたネックレスを購入。

そして、まだ腹が減っていたのでもう一度ラピを食べる。はにかみ笑いでもう一杯、と注文すると姉ちゃんはにっこり笑って持ってきてくれた。だって美味いんだもん。

チリが多くて辛いが、味は随分和食に近い。これで一杯15ルピー(30円)は大したものだ。

満足して宿に帰り、ネットへ。メールをチェックすると、代々木のフリーマーケットでネクタイを押し売りしたのをきっかけに仲良くなったインド人シャキール、の従兄弟のアニーシュから「デリーに着いたら連絡してね」とあったので、電話をかける。

が、間違い電話。もう一つの番号にかけても誰も出ない。おいこらアニーシュ。

まあいいか、とネットを終え陽の暮れかかった町を歩く。どこで夕食をとろうかと適当に行ったり来たりしていると、「Excuse me?」と話しかけられた。

またどこかの店の客引きだろうと振り返ると、ギャ!!!

アニーシュやんか!!!何でここおるん!?「さっき不在着信があったからかけなおしたら、ネット屋の人が出て、そしたらその人がさっき日本人が電話使ってたって言ってたからジャミだと思って。そんでネット屋の場所きいて今学校終えてダッシュで来たんだよ!」

うっそん!それで今道端で偶然会ったん!?すごいなー!だってオレなこっちの方まで歩いてきたの初めてやったのよ!?いつもなら宿のすぐ近くで飯食ってすぐ帰ってたのに、いやー凄い偶然やわー!しかし二年ぶりやね!元気しとった!?

「うん!皆元気にしてたよ!」

ひとしきり怒涛の勢いで喋り倒し、落ち着きを取り戻すと、ボクの泊まっている宿を教え、それから近くのレストランで一緒にマライコフタというカレーの類の料理を食べる。

そういえばシャキールは今インドにいるんだよね?「うん。今は実家のチャタープルに帰ってるけど、週末にデリーに来るはずだよ。」本当!?やったね。あ、ちなみにシャキールはボクがインドにいること知ってるの?「知らないよ。」

じゃあ、当日まで秘密にしておいてよ。サプライズしたいから。「オッケー!」

再会の喜びを分かち合い、腹を満たし、アニーシュを駅まで見送る。「今大学が物凄く忙しくて、土曜にならないと会えないかもしれないけど、時間ができたら連絡するから!」いいよ無理しなくて。とにかくシャキールにこの事は秘密ね。「分かった!じゃあね!」ありがとう!

会いたいと思う人にはしっかり会える。最近そういう力がアップしたような気がする。偶然は、然るべくして遭遇することだから。

懲りずにチベットを求めて

あるんだと。まだあるんだと、ここデリーに。チベット人スポットが。なら行かない手はなかろう。

その名もチベットハウスという、ちょっとした博物館だそうだ。地図をデジカメに撮って出発。これを見ながら行けば、重く煩わしい某地球の歩き方を持っていなくてすむ。

Central Secretarialという駅までメトロに乗って向かい、そこから南へ歩く。

い、行き止まった!?いやむしろ行き詰まった・・・。眼前に立ちはだかるは巨大な大統領官邸。何故。確か地図の通りだとこのまま真っ直ぐぬけられるはずなのに・・・

ふと、腰元につけた方位磁石を水平に持ってみる。

うむ。これは西だ。私は喜び勇んで西へ歩いていたようだ。終わったドラクエのレベル上げをされている勇者ならこの、「無駄に西に歩く」行為も無駄にはならないだろう。はぐれメタルは思いがけず出てきたりするのだから。

だが、私は勇者でもなければそれをサポートする仲間の類でもない。レベルも上げる必要がないしはぐれメタルも現れやしない。

ああもう何やってんの俺!!!!!

地図をじろじろ見つめるのをやめにしてここからはしばらくひたすら方位磁石の「南」だけを頼りに歩いていく。

失敗は成功のババ

学べば学ぶもんですね。こんな私でも。ひたすら南に行った結果、突き当たるべき道に見事突き当たった。所要一時間にて。その道を歩き、400メートル程歩くと、あった・・・

ダーマ神殿チベットハウス!!!

簡単な荷物チェックを受け中へ。博物館とはいっても、5階建てほどのビルの1フロアーのみの本当に小さなものなので、大して期待はしていないが、いいのだ。だってチベットなんだもん。

チケットを10ルピー(20円)で購入。チ、チケットお洒落・・・和紙のようなものでできた折り紙大の正方形で、そこにチベットのタンカ(チベット版掛け軸のようなもの)に描かれていそうな絵と、金色の装飾が施されていてなんともゴウジャス。(フォトアルバム参照)

そして展示品はというと、そのタンカがいくつも飾られてあったり、歴代ダライラマ法王の小さな銅像などがガラスケースに納められているだけ、という至ってシンプルなものではあったが、見応えがあったかといわれればないと断言せざるを得ないが、いいんです。

入場料安いし。チケットかっこいいし。

ものの十分で退場し、上階にある図書室でチベットに関する本を立ち読み。していると「あのーすまねんだが、おらたち昼飯くわねばなんねんだ?んだがらそのー・・・」あ、そうですか。では、ここも閉めちゃうということですね?「んだ」はい、分かりました。

チベットハウス終了!!!

都合二時間近くかけてたどり着いた目的地を十五分であとにするこの潔さ!誰かこんなボクを讃えてくれないか・・・。

マクドナルドは贅沢の極み


そうこうしているうちに一週間もデリーに滞在し続けている私ジャミラ。極力資金は節約せねば、とは思っているのだが、その思いに反して所持金が笑えるほどの速さで消えていくのはこれなあぜ?

特に贅沢をしているわけでもない。朝食は部屋でチャイを作って飲んでみかんを食べたりするだけにとどめ、昼は食堂でターリーもしくはマクドナルドでマハラジャチキンセット、歩きつかれて帰ったらコーラを一本、日本に送る私用の土産物をちょろちょろと購入してインターネットは一時間20ルピー(40円)の所を利用するだけだし、夜はまた食堂でターリーや南インド料理のマサラドーサ(いずれも25ルピー程度)、もしくはチョウメン(焼きそば。15ルピー)

それから水を買って帰ってあとはひたすら部屋で過ごしているだけなのに、何故?

先週インドに到着してから両替した140ドルがもう消え去っているのは、何故?

宿代や日本までの郵送料は仕方がない。が、何故?

ろなるお。え?何か仰いましたか?

ろなるど。ん?ろなるど?

マクドナルド。ああマクドナルドですかそれがどうかしましたか?

・・・・・・・・

ぎゃあ。これだ。これだよ。マハラジャチキンセット119ルピーとか、アイスティーとソフトクリームとピザ風味パイしめて60ルピーとか、これだよ。

確かに、日本円にすると300円にも満たない額。ではある。が、ここは、インディアなんでスネー。食堂ですませりゃ60円程度で済むものを、二倍も三倍も払ってマクドナルドへ通うから

所持金はそそくさと逃げていくのよ。

でも、きちんと食事をとるのはとても大事なこと。自分の体を大事にできんと何もできへんで。と教えられたばかりだから。嘆きつつもこれはこれでオッケー。

※インドのマクドナルドにやってくる客は、カレーに飽きた外国人か、富裕層のインド人のみです多分。

とある男と合流、出端を挫かれる

そもそも何故、所持金が恐ろしく速く消え去っていくのを黙ってみながらも、一週間以上デリーに滞在し続けているのか、私は。

そして今再びデリー国際空港の到着口にいるのか。

到着予定時刻の21時50分丁度に空港に着き、待つ。さすがにまだ荷物をおろしていたりするだろう。待つ。

一時間経過

待つのは得意ではないが、待たねばしょうがないのでまだ待つ。

さらに一時間経過。時刻は0時に近い。あん畜生。まだか。もう帰ってしまおうかと思ったその時、前方から、見覚えのある顔が疲れ切った表情でやってきた。あれだ。

元会社の同僚兼友人、通称ユッケという韓国生肉のような男。

マレーシアでインドビザ取得のため一週間滞在していたのだが、直接大使館へは行かず謎のビザサポートセンターという場所で申請した結果、見事にビザが取得できず、つい二ヶ月ほど前から始まったアライバルビザを取得するはめになったのだそうだ。

ところがそのアライバルビザというシステムに、空港イミグレーションの係官達はまだまだ順応しきれておらず、「どうして事前にビザを取っておかなかったんだ。」「何の目的でインドへやってきたのだ。」「インドに知り合いはいるのか。」と今更きかれてもどうしようもない質問をされ、頑なにビザの発給を拒否され、二時間近く粘りに粘ってようやく取得できたらしい。

それだけ面倒な上に、事前に取得するビザよりはるかに高い60ドルを請求され、おまけにたったの一ヶ月しかいられないという不便不都合極まりないものなのだ。

宿のあるメインバザールへ帰り、近所のレストランでターリー(定食)を食べ、就寝。

かくして同僚兼友人ユッケの、初めてのインドは幕を開けたのであった。

ヨガもしないのにヨガの聖地へ足を運ぶ我々

デリーを一日パラっと観光し、ISBTというバスターミナルからさっさと次の町リシュケシュへと向かう。

バスで6、7時間らしい、と言うと「え!そんなかかんの!?」とユッケ。6、7時間でそんなになんて言っていたらきっとインドを旅する間ずっとそのセリフを吐き続けなければならないだろう。

久々のバスでの長時間移動。エチオピア以来だろうか。楽しくなってしまったのでジャミポッドを取り出しハミング。隣のおばちゃんの「なんじゃこいつ」という熱視線も気にしないー気にしないー気にしないー(一休さんを聴きながら)

予定通り7時間程かかってついにリシュケシュに到着。バススタンドからさらにオートリキシャを使って移動し、ガンジス河にかかった橋を渡りスワルグアシュラムというエリアで宿を探す。

今はどこも忙しいらしく(理由は後々明らかに)、ちょっと高いが他よりは安いGANGA SAIというゲストハウスへ350ルピー(700円。二人)でチェックイン。

もう夜遅く、どこの店も閉まっていたため、唯一開いていたレストランで、ヌードルスープ(小)とロティ(チャパティとナンの間のようなパン)という質素な食事をすませ、移動の疲れを癒すべく就寝。

明日は・・・嬉しい再会の日・・・あの人と・・・

再会に興奮するあまりカメラを紛失する男

なんだか朝から落ち着かない。四文字で表そうとするならそう、ソワソワ。このソワソワにはもちろんワクワクも含まれているからさあ大変。

ソワソワしていても仕方がないので「天上のシンフォニー」という、2012年に関する小説を読み終え、人類の、地球の、そして宇宙の神秘と真実について少し考え、近くのインドレストランでラッスィー(飲むヨーグルト)とチョウメン(焼きそば)を食べ、辺りを散策。

まだかな。まだ来ないかなあの人・・・。

ソワソワついでに胃腸もソワソワ。ここ数日ずっとだ。下痢という症状自体はボクにとって通常営業なのだが、ここ数日のそれは実に大盤振舞というか、タイムサービスというか、Buy 1 Get 1 FREEというか、とにかく出血直前大サービスなのだ。

だから余計に落ち着かない。

散歩を終え宿に帰るなりトイレへ駆け込み乗車、それを数回繰り返し、そろそろなんじゃないかしら。とあの人がやってくるはずの宿で待っていようと外へ出て歩き始める。

おや?

あの姿・・・いや、視力悪いからもう少し近づいて確認しよう。おや?

「Noooooooo Waaaaaaaaaaay!!!!!」ぎゃーーーー!!!

マライカだー!!!さかのぼること2007年の12月、ここインドはガヤという場所の駅で出会い、その後コルカタで一緒に動物園デートを楽しみ、お互い旅を続けつつ去年2009年8月に今度はボクが彼女の祖国デンマークを訪れ再会し、「来年はじゃあインドだわね」と再々会を約束していた相手。

がっしりハグしてはちきれんばかりの笑顔でにやける双方。ユッケにも紹介し、三人でマライカが予約していた宿へ向かう。が、予約がとれていなかったらしく、ボク達の泊まる宿へ。お向かいさんへチェックイン。

嬉しくてウキウキしてもうなんだか色々ままならない。「とりあえず私昨日の夕方4時から何も食べてないから、レストランいこー。」オッケーチャロチャロー(ヒンディー語でレッツゴー)。

あらら?

ちょっと忘れ物してまったから部屋戻るね。

おろろ?

無い・・・。カメラと、時計が、無い。

一体どこで!?ほんの30分程前までは確かにポケットに入っていたのに!さっきの宿へ確かめに戻る。このズボン尋常でなくポケットが浅いから落としてしまったのかもしれない。すいませんもしかしたらここのソファーにカメラと時計を忘れていってしまったかもしれないのですが・・・。

「ああ、時計ってこれのこと?ソファーの上に転がってたから保管しといたよ。」あ、あった!!ほっ・・・ところでカメラは見てないでしょうか?「カメラ?は知らないねえ〜。ソファの下は見てみたかい?」

奥に入り込んでいる可能性があるのでひっくり返して確認してみる。が、見当たらない・・・。どぼじで・・・・。

仕方が無い。カメラは幸いもう一台あるし、メモリーカードのデータもこの間コピーしたばかりだし、保険も効くから大きな損失にはならないだろう。不注意だった自分がいけない。マライカとの再会に舞い上がりきっていた自分がいけない。

レストランで半日ぶりの食物を口にしたマライカと、三人でおしゃべり。去年デンマークを発ったあとのお互いの旅の経路などを報告しあう。彼女はついこの間まで南米を旅していたのだ。そしてボクはアフリカ。ユッケはオーストラリア。ああ楽しい。

ああ楽しいけどカメラが気になる。

「これからガート(川沿い)でプージャ(ヒンドゥー教徒の礼拝)があるよ。ちょうど夕陽も沈む時間できれいだからいってみましょ。」

チャロチャロー。あでもその前に、もう一回だけさっきの宿に行ってみていい?もしかしたらカメラ見つかってるかもしれないし、もしかしたら宿のスタッフが見つけたのに黙って持ってるかもしれないし・・・。

そんな疑念を胸に今一度さっきの宿へ。すみません、カメラは見つかりましたでしょうか?「いんや、見てないねえ。」そうですか。じゃあ、レポートが必要なので警察にいってきます。

もしスタッフがこっそり持っているとしたら、この「警察に」という一言で若干たじろぐに違いない。「あうんいいよ問題ないよ。」あれ?もしやこの人本当にカメラ見かけて、いない?

「もう一回ちゃんとソファー調べてみたらいいよ」と言われたので、半ば諦めてはいたが一応調べてみる。ソファーをひっくり返し、長方形の何かが入っていないかまさぐる。

カタ。ん?今の音、長方形の何かが転げたような音・・・。まさか・・・

あったーーーーーー!!!!!!!!

ソファーの奥の奥に入り込んで、取り出し不能な状態になってはいるものの、この、ソファー内部に納められているにはうんと不自然な長方形の物体はまさしく、キャメラだ!!!

四方八方から手を突っ込むが出てこないので、ここに泊まっていた日本人の女性が、「ここ切って、取り出してまた縫えばいいよ。」とはさみと針と糸を持ってきてくれた。

「ボスが帰ってくる前に終わらせないと。シークレットシークレット!!」焦るスタッフ。ごめんよソファー切って!そして君を一瞬でも疑ってしまって!面目ない。

手早く取り出し、ソファーの手術を終えてくれた日本人の方と、スタッフにお礼を言う。ユッケとマライカもやってきて、ありましたえへへ・・・。と報告。「よかったねえ。しかし油断しまくりだわねえ。」

ああ良かった・・・なんと幸運な私・・・スタッフを疑ってしまった事と、マライカに会えた喜びで注意力が散漫だった事を深く反省し、プージャを見学しに行く。

このプージャを拝むのは二年前のバラナシ以来だ。ガンジス河に足をつけてみると、かちわり氷並みに冷たくて足元の血の気が引いた。

やっぱり素敵だインド・・・。こんな大仰な礼拝を日常茶飯事として毎夕やっているんだもの。牛は相変わらず我が物顔で街中を闊歩しているし、どいつもこいつもフレンドリーだし、物乞い集団だって「勤務中です」みたいな表情で楽しんでいるようにみえるし、あれこれあちこちをすっとばしてインドへ帰ってきてよかった。

明日は、12年に1度という年男年女、もしくは皆既日食ばりにレアな祭りに参戦。そのためにリシュケシュに来たのだ。

12年に1度の沐浴に参加して震える

翌朝7時に起床し、充電満タン、メモリーは前もって空にしておいたカメラを持っていざ出陣。「今日はものっすごいパパラッチデーよ!」と気合充分な12倍ズームのカメラを手にしたマライカ。

その12年に1度の祭りはクンブメーラーと呼ばれ、詳しいことは分からないが全国各地ないしネパールから集まってきたヒンドゥー教徒、1000万人が一斉にガートで沐浴をし身を清めるのだそうだ。そしてそれは1月から4月の三ヶ月半に渡って開催される。

1000万人というと、東京都の人口とほぼ同じ・・・東京中の人間が一斉に温泉に押しかけたらどうなるかを想像すれば、このクンブメーラーの、12年に1度パワーがどれほどかお分かりいただけるだろうか。

そもそもこのクンブメーラーは、リシュケシュから30キロほど離れたハリドワールという町で開催されるのだが、ハリドワールだとどこも宿は満室で、しかも恐ろしく値上がりし、簡易テントなどしかもうとれない状態だときいていたためリシュケシュを基点にしていたのだ。賢い子。

バスでハリドワールへと向かう。小一時間で到着し、窓の外に目をやった瞬間、マライカとボクは「ちょっとあれー!!!」と思わず声を上げてしまった。大・興・奮。

既にガートには続々と人が集まり沐浴を始めているではないか。その数1000万!ではないが、1万人ぐらいは優にいるだろう。

バスを降りてガートへと突き進む。各所に警官が立って整理をしている。混雑時の行列用の柵が設置されてあったり、雰囲気はまるでロックフェスティバル。楽器を持った西洋人のヒッピー集団もいる。

ガートが近づくにつれ撮影頻度がずんずん高くなる。「何枚撮ったか競争ね!あたしもう既に100枚ぐらい撮ってる〜」この女、日本人よりもカメラ好き。

レストランで朝食をすませ、川に沿って歩く。「あの小さい帽子かぶったおじいさん達と、緑と赤のサリー着てる人達はネパール人だよ。顔も違うから分かるよね。」わかんない。さすが、人生のうちの22ヶ月をインドに費やしている(渡印回数実に11回)マライカ、色々詳しい。

夜は涼しいリシュケシュ及びハリドワール地方だが、日中は日差しがきつくかなり暑い。「沐浴する?」全くその気はなかったのだが、暑くてやってらんなくなってきてしまったので、急遽ガンジス河で沐浴を敢行することに。

むしろ何故今までその考えが浮かんでこなかったのだろう。12年に1度のこの機会に沐浴しないほうがおかしではないか。皆既日食当日絶好のポイントにいるのにお腹を壊してトイレにこもっているようなものだ。

マサラと塩と砂糖の入った発汗後の水分補給に最適なレモンジュースを屋台で飲み、いざメインガートへ。サンダルを預け、その場で服を脱ぎさあ聖なる河へ。

まずはボクとマライカ。ユッケは「荷物もってるからいいよやっておいでオレ入んないし」と保護者的な発言。

足をそっと入れる。冷た!!!!!!!!!なんですかこれは。再びかちわり氷並みの冷たさにたじろぐ。

ええいしゃらくせえ!!一気に首まで浸かってみる。あ、あわわ・・・もし今ここで水揚げされて刺身になったらきっとお客様は「身がしまっててうめえな」と喜ぶに違いない・・・。全身がひきしまりすぎてなんだかぎこちない。

今度は他のインド人達を真似て数回バシャバシャと頭まで浸かる。するとどうだろう。

気持ちひ〜

汗がすっきりひいて丁度いい塩梅になりました。

マライカも続いて入り、頭まで浸かる。すると周りのインド人達が集まってきてそのうちの一人が「ハルハルガンゲって言いながら浸かるんだ。鼻はちゃんと閉じておくんだぞ。いいか?せーの」

ハルハルガンゲー

一体その呪文が何を意味するのかは知る由も無いが、楽しすぎる・・・マハリクマハリタヤンバラヤンみたいなものだろうか。

呪文を教えてくれたおっちゃんとマライカと三人で手をつなぎ、再びせーのでハルハルガンゲと唱えながら水中へ沈む。

「もっとだ!もっともっとだ!」

ハルハルガンゲー!そう唱え続けるボクの頭をがっしと掴み、浮き上がってくる度に沈めるオッチャン。い、息でけへん・・・!!

ちょっとしたリンチ行為もクンブメーラーの祭りの一環なのでしょうか?

ハハハハハー!嬉しそうに喜ぶおっちゃん。ハ、ハハハ、まいっかー!きっとこれも何か神聖な意味を持っているに違いない。と思いたい。

そして今度はユッケ。「入らないよ」と拒み続ける彼の荷物を全てはぎとり、さあおゆきなさい。12年に1度やで!?と説得する。「別にいつでも入れるじゃん。」ばか!クンブメーラーだから意味があるんやないか!ほれ!いきなさい!

あまりにも楽しそうにはしゃぐボクとマライカにつられたのか、それともただただ観念しただけなのかは分からないが、ついにユッケも沐浴!ハルハルガンゲー!

見ているともう一度やりたくなったので再び飛び込む。そして再び集まってきたインド人達と共にハルハルガンゲを連呼する。

するとどこからともなく、ヒンドゥー教徒の女性が眉間に貼るシールが流れてきたので、それを皆でぺたぺた貼って遊ぶ。平均年齢は26歳。

「それ貼るのはヒンドゥー教徒の既婚女性だけだよ。」と教えられる。あそうなの?まいいや。じゃそういうことでいいよね。と眉間に貼り、鼻の横に貼り巨大ボクロを演出し、目の下に貼り「泣きボクロってすきなんだよねー」と突然フェチを語る。

世にも奇妙な日本人とデンマーク人が出来上がったので、河から上がったあともかなり注目を浴び続けていたが、「12年に1度だからねー」と全てをクンブメーラーのせいにして気にしない。

「ワンフォトワンフォト。」マライカはかなり人気で、あらゆるところからインド人の男共がわいてきては写メをねだる。いつもなら断るマライカも、「今日は私も撮りまくってるからこれでフェアーかもね〜」と快諾。

沐浴で身も心も清めスッキリした我々は、飲み物を買って影で休憩。朝から早起きしてはしゃぎっぱなしだったためちょっと疲れがでたようだ。まるで修学旅行生。

全裸のババが祭りを牛耳る

14時過ぎ、チャイでも飲みに行こうかとレストランへ向かい、そこでまた休んでいると、店の外の通りを何やら不可解な集団が横切り始めた。

「ババだー!キャー!ババが来たわよー!」

急に興奮してカメラ片手に通りへと向かうマライカ。ババとは、普段は山奥で瞑想をしたりしている、仙人のような人達のことだ。

「キャー!ナンガババがいた!!!凄い凄すぎるー!!!」

な、何事ですのん!?ナンガババ?「ナンガは全裸って意味ね。今全裸のババ達が歩いていったのよ!後追いましょ!」

オレンジ色の旗を振りかざし、オレンジ色の袈裟に身を包んだババ達が大勢いる。どうやらこれからパレードが始まるらしく、続々と見物客が集まってきた。そして白や紫、赤、ピンクのストライプ模様の派手な衣装を着た楽器隊が踊りながら演奏を始めた。

ギョ。

なんじゃありゃ・・・・

今度はナンガババが、つまりは全裸の仙人集団が、体中を白く塗りたくり、マリーゴールドの花輪や数珠をいくつも首にかけ、闊歩しはじめた。かっこよすぎるやんか・・・皆足元まで伸びたドレッドヘアーをそのまま垂らしたし頭にぐるぐる巻きつけたりしている。

完全にミーハーなファンと化したボク達はその後をひたすら追い続ける。中にはサングラスをかけたババもいて益々かっこいい。

ディズニーランドのパレードのようにど派手に飾った車にのって、シヴァやクリシュナなどのヒンドゥーの神々の格好をした女の子が現れたり、街宣車のようなスピーカー付きの車から演奏に合わせ歌をうたう連中が現れたり、次から次に新しい妙な物体が目に飛び込んでくるため忙しい。

そしてそれを先導するのが、ナンガババ集団。ところどころで停まっては、タバコ(パイプのようなもの。もしくはガンジャ?)を皆ですい始めたり、踊り狂ったり、持っている刀で戦いを始めたり・・・

中でもサングラスをかけた割と若いババがまるでジミヘンドリックスのようで、釘付けにされてしまった。(このページのトップ画像がそれです)かっこよすぎるよババ・・・

凄まじすぎる・・・。「今までみてきた祭りの中で一番クレイジーだわーキャハハー!!!」とマライカ。確かに。全裸の老人集団が公共の面前で踊り狂っているのにもかかわらず誰ひとりそれを気に留めない、いやむしろ崇めている祭りなんて今までみたことがない。というか日本では起こり得ないだろう。

二時間近くババを追っかけ続け、ようやく疲れを感じ引き返す。あの後ババ達はどこまで行ったのだろうか。

ようやく落ち着きを取り戻した我々。「あたし620枚撮っちゃったみたい。えへ」狂ってる・・・一日に620枚も写真を撮らせるほど狂った祭り。それがクンブメーラー。

チャイを飲み、ガートに戻る。陽が沈み、今度はプージャ(礼拝)が始まる。警官や周りのインド人達に「それ何つけてんの?」と指摘され、そういえば我々は皆妙なシールを顔中に貼っていたことを思い出す。かまやしない。だってあんな全裸の白塗りドレッド集団がまかり通るんだもの。

プージャ自体は、参加者数が夥しいという違いはあるが、基本的にいつもやっているものと同じだったので、終わるなり退散、リシュケシュへと帰る。

何だったのだろう今日という一日は。あまりにも色々な出来事がありすぎて、今朝あった事が大昔のように感じられる。

リシュケシュへ戻りレストランで食事をとっている最中も、気がつけばぼーっと空を眺め、わけも無く微笑んでいる我々。「これ全部ババ達のパワーだよきっと。ナチュラルハイなんだわ〜!」確かにそうかもしれない。

心から、今この瞬間、今日一日を幸せだと思えた。ナンガババ達に感謝だ。12年後にまた会いたい。

もしくは12年後はナンガババとして参戦したい。

国が変わっても変わらないもの

心地良い疲れとともにぐっすり眠った翌日は、「最終的に830枚撮ってたわ」という写真のデータを交換しあい、のんびりと過ごす。

リシュケシュはヨガの総本山的な場所で、長期滞在する旅行者も多いため、あちこちに旅行者向けの小洒落た居心地の良いレストランがある。

そこで三人と、ここでばったり再会したマライカの友達のブラジル人と一緒にディナー。昨日のババの話や、デンマーク、日本、ブラジルの話をする。

日本語では、敬語を使う機会が多くて、その用法も様々で難しいんだという話をすると、「デンマークでは、敬語を使うのはクイーンと喋るときだけだよ。あとは皆同じ。」え!そうなの!?そもそもクイーンと喋ることなんてあるの!?「つまりは、敬語使うことなんてないってことだよね。」

何と・・・。やたら敬語を喋ってばかりな日本人からするとにわかには信じがたい事実。

続いて簡単な単語を教え合う。腹へったー。「ハラヘッタ?」そう、ハングリーって意味ね。腹一杯。「ハライパイ?」フルって意味。「デンマーク語ではスルダンと、メッツって言うんだよ。」ほほう。

じゃあ今度は、めっちゃうんこしたい。「メチャウンコシタイ。」凄い!発音上手だねマライカ!!「ちょっと待って今何でユッケは笑ったの?どういう意味?」さあ、彼に訊いてみてください。「もしかして、物凄くトイレいきたいとかそういう言葉じゃないでしょうね?」

何で分かったん!?まさか日本語が分かるのかマライカ。「だってジャミずっと下痢なんだもんここ数日。」洞察力が高いらしい。

そういえばロックシザーズペーパー(ジャンケン)はどうやって言うの?日本はねジャンケンポーンて言いますねん。「あひゃ!?ブラジルもジャンケンポンだよ!!!」えぇ!?んなことってあるの!?

「うん!ジャンケンポンて言うよ!!!」ひょっとすると日本からの移民が多いから、そういう人達から広まっていったのかもしれない。がしかし、日本の真裏に位置する国で、ジャンケンポンの言葉が飛び交っているとは。面白いじゃありませんか。

くだらない話で盛り上がり、うまい飯をたらふく食べる幸せ。「お腹いっぱいの時アァ〜っていうのは世界共通よね。あとさ、最後に一個だけ残ったアボカドとかを譲り合う習慣も」え!それって日本人だけかと思ってた。日本人はそれを遠慮の塊って呼ぶんだけどね。

「デンマークもそうだよ。で食べるかどうかちゃんと確認してから、じゃああたしが食べちゃいますよって宣言して食べるの。」

世界共通、いやアフリカとかでは見たことが無い気がするが、少なくともデンマークはそうなのか。

その後、残ったアボカドを奪い合うという醜い行為に及んだことは言うまでもない。

今度はインドにおけるチベット仏教の聖地へ

帰国まで残りの三週間をリシュケシュで過ごし、ヨガや勉強に費やすというマライカと泣く泣く別れ、ボクとユッケはバスでダラムシャラという町へ向かう。

電車が一杯だったのでバスを使うことにしたのだが、出発時刻がよく分からない。何軒か旅行会社に行って尋ねると、「ローカルバスだから確かじゃないけど、14時半ぐらいだったかな。」「15時だ。」「16時に出発だね。」との返答。

大体14時から16時の間で、と予測し13時半頃、ハリドワールのバススタンドへ到着しまたもや尋ねると、14時に出るという。乗り込んで少しするとすぐに出発した。

これはなかなか運が良い。普段のボクなら見事に逃すかもしくは、早すぎるかどちらかなのに。ババと沐浴のご利益ということにしておこう。

何度か休憩をはさみつつどぅんどぅん突き進むバス。聞いた話によるとおよそ12時間かかるらしい。とすると到着は深夜2時。なかなかの長旅だが、ジャミポッドがある限りボクはどこまでも行けちゃうのだ。

結果的に到着したのは深夜ないし早朝の3時45分。腰と尻がだいぶ疲れたのでとっととベッドに寝転がりたいところだが、辺りはまだ真っ暗でタウンバスも走っていないため、朝までバススタンドで仮眠。寝袋があれば大体どこでもイケるようになった自分がなんだか嬉しい。

二時間後、ユッケに叩き起こされ、バスを待ちマクロードガンジという旅行者や安宿の多く集まるところへ向かう。

そしてその車内で何故かユッケだけが汚いオッチャンにしつこくたかられていた。「5ルピーちょうだい。なあくれよ〜」ボクは外国人とみなされなかったのか、一度もたかられずに済んだラッキー。

バスを降りるなりやってきた客引きについてゆき、何軒かまわった中で一番安くてきれいなGreen View Houseという宿へチェックイン。ダラムシャラはどこも宿がきれいだ。

腹ごしらえをしに町を歩くと、屋台でモモ(ギョーザ)と、ラピ(きしめんのようなもの)を発見し頂く。美味い。

シャワーや洗濯、パソコンいじりなどの諸事をすませ散歩へ。日中陽のあたる場所はなかなか暑いのだが、日陰にいくとかなり涼しい、むしろ肌寒い。

町自体はそんなに大きいものでもないのだが、傾斜がきつく歩き疲れ、もう一度ラピを食べる。すっかりはまってしまった。その直後にトゥクパ(チベット版ラーメン)も食べて、やたら麺類で攻める今日。

滝があるときいたのでそちらへ向かってみる。すると途中、町中よりもやや高級そうな宿が立ち並ぶ場所にさしかかり、見渡すと宿泊客のほとんどがインド人の家族連れではないか。ほほう。ダラムシャラはチベット仏教の聖地、観光地であると同時に富裕層のインド人の避暑地でもあるらしい。

さて滝はどちらに・・・と歩き続けると、眼前に、ダラムシャラ及び山間部に似つかわしくない光景が現れた。半裸のインド人が、長方形の大きな敷地内に水をたたえた場所で、きゃぴきゃぴとはしゃぎまわっている・・・。

何でどうしてこんなところにプールがあるの・・・

避暑を楽しむのは大いに結構だが、仮にも標高1700メートルの土地で、そこに流れる水の冷たさといったらあなた・・・一気飲みをすると偏頭痛を起こすほどですよ。

まあ、彼らが幸せならそれでいい・・・例え修行中のデヴィ夫人のようにぶるぶると震えているとしても。

そのプールの先の細い道を抜けると、急に視界が開けた。どうやら滝へと続く道らしい。1キロ近く歩くと、同じように滝を目指す欧米人やインド人、川辺でくつろぐチベットのお坊さん達が見える。

行き止まる。

チョロチョロチョロチョロ・・・・

水漏れトラブル?

こ、これが噂の・・・滝・・・。その規模の小ささたるや、ネパールで見たデヴィズフォールという滝を遥かに凌駕するもので、入場料が取られていないから文句は言わないけれど、これで10ルピーでも取られていたならたちまち「この先滝」という看板を見つけるなり全て「この先水漏れトラブル」と書き換えるからね。

滝を観に行ったというよりも、インド人が震えながらも避暑を楽しむ様と、川沿いを歩いてきたというほうが正しい。

感動の再会20分で終了


今日も朝からモモとラピを食べ、散歩してチャイを飲み、バスで下の方のダラムシャラまで降りてゆき、バスターミナルで時間と料金を調べる。ぬかりないように。

こちらから上のマクロードガンジまでは約10キロ。なんとなく歩いてみる。バスはいくつも走っているので、疲れたらそれを拾うということにして。

すると、どこからか黒いメス犬が一匹、ボク達のあとを着いてきた。日差しが強く暑いのでハァハァ言いながら。どこかへ帰る途中なのだろうか?

あまりにも暑そうなので、水道を見つける度にちょっとこっち来んかね。と両手に水を汲んであげるとペロペロ飲み、「ごちそうさんです」とでも言いたげな顔でこちらを一瞥し、また歩き始める。

ちょっと先を歩いては、ボク達を待って、ボク達がペースを上げれば、すぐ後ろを歩く。少し疲れてきたが、こいつを放ってバスに乗り込むのはなんだかやりきれないので、頑張って歩く。

ようやく5キロ歩き、小さな集落に着くと、ずっと、「ちょっとどこまで行きはりますのん・・・?」と疲れ果てた表情で着いてきていた犬っころが、ついにギブアップ。「もうアカんわ」

それでももしかしたら・・・と何度も振り向いてみるが、やっぱり本当にギブアップしたらしい。なんだか戦友を失ったようで寂しい。

結局、もうちょっと、もうちょっとの精神で10キロ歩ききってしまった。所要2時間。全てはバス代10ルピー(20円)を節約するために・・・。

その節約した10ルピーを活かし、ワイファイの使えるお洒落なカフェで、苺シェイクを飲みながら優雅にインターネットに興じる。今後の大まかな行き先を大まかに考えるべく航空券を検索したりする。キルギス!?カザフスタン!?夢は広がるばかりなんですグーグル

18時半。日本食レストランで、ある人と待ち合わせ。が、「本日定休日」。念のためある人の泊まっているホテルを訪ねてみる。「さっき出てったよ」不在。

小さい町だしそのうち会うか。でも早く会いたい。そうだそういえば携帯電話。宿に帰り日本の携帯電話からかけてみる。「もしもし?」出ました。

ある人。それはコーズイさんという、二年前にチベットはラサで出会い、非常に多くの事を教わり、おかげでチベット人の友達ができ、ネパールで再会しピッツァとパスタをご馳走になり、一時帰国した際に再々会して家に泊めてもらっちゃった方なのだ。

そんなコーズイさんが、今回たった数日間の強行スケジュールでインドにやってきて、ここダラムシャラで開催されるチベットミーティングに参加されると聞いて、ボクも慌ててダラムシャラにやってきたのだ。

今一度ホテルを訪ねると、「ジャムヤン(ボクのチベット名で文殊菩薩の意)!」おおー!!!お久しぶりです!いやあレストラン定休日でしたねー!どっか他ん所行きます?「それがなまたこれからミーティング入ってもうてん・・・」え!それはまた多忙を極めたスケジュールで・・・

ホテルのロビーで、忙しなくやってくるミーティング関係者の方々と挨拶を交わし、その合間にボクと少し会話をし、見ているだけでこっちまで忙しくなってしまいそうなほど忙しそうな様子。

「もしあれやったらこの後ミーティングきてもええで?」と誘っていただいたのだが、まだまだチベットについては未熟者の身、ミーティングに参加したところであたふたしてしまいそうだったので丁重にお断りする。

「それか明日レストランで、日本人だけのミーティングあるし、そっちはもっとくだけた感じやからおいでや。」がしかし、明日の朝には我々ここを発ってしまうのです。「何やねん」

そうこうしているうちにミーティングが始まる時間がやってきて、それじゃあまたどこかで!と別れる。

20分。何一つ語ることができなかったが、まあこれはこれでいいだろう。またどこかで会うのだということだ。しかし、「ちょっと痩せたんちゃう?」アフリカでだいぶ痩せましたねえ〜

他にもうちょっと踏み込んだ会話をしてもよかったよね。

怒涛の弾丸移動劇始まる

たった二泊ダラムシャラで過ごすと、翌朝には荷物をまとめて出発する我々。下のバスターミナルへ向かい、10時発のはずなのに9時45分に出発しようとするバスに慌てて乗り込む。行き先はパタンコット。

そこでさらにバスを乗り換えアムリトサルという町を目指す。

三時間ほどでパタンコットに到着し、アムリトサル行きのバスを見つけて乗り込む。出発までまだ時間がありそうだったのでトイレに行き、お菓子でも買おうかと屋台をみていると、バスが動き始めた。

またも慌てて乗り込む。何だ今日のこの一連の慌てっぷりは。バスが遅れないのは、アフリカで散々それで辛い目にあった身としては嬉しいことだが、何も定刻よりも早く出発しなくたっていいじゃない。

バス代がいくらか分からなかったので、とりあえず500ルピー札を渡し、二人分だ。と言うとチケットに「500」と書いてよこしてきた。お釣りを後で返す際の目印だろう。

何度か別のバスターミナルに立ち寄り、その都度料金を回収していて、手元に100ルピー札をいくつも持っていたので、もうお釣りをもらえるだろうと思い、ちょっとお釣りを返してください、と尋ねると。回収係のその男は何故か笑みをうかべ、「待て待て、後で。」という仕草を返してきた。

よくわからないが、アムリトサルまではまだ時間がありそうなので、一旦引き下がる。

が、その後も何度か料金回収のため車内を行ったり来たりして、他の乗客にはお釣りを返しているではないか。もう一度、そろそろお釣りをよこしなさい。500ルピー払ったでしょう。と尋ねたら、やたら小馬鹿にしたような顔で、「は?何のこと?」と。

は?お釣り返せ言よんじゃ!お前そこに金持っとるやろが!!お金?英語分かりますか?マネー!金返せ!

ただお釣りを求めているだけなのにそれを返し渋るばかりでなく、小馬鹿にしたような態度をとるのに頭にきてしまい、怒りを抑えきれず大きな声を出してしまった。それでも一向にお釣りを返そうとしない男。

「300ルピー。」

分かっとるやんけ!そうやお釣り300ルピーやとっととよこせ!怒りに顔を歪めたボクをみてまたもや小馬鹿にしたように笑い、「後で後で」とまだ返さない。手元にお釣りは充分にあるのにも関わらず。

本当にお釣りがないならボクだって待ちますとも。でもこいつの場合は、何がしたいのか全く意味が分からないうえに癪に障る。

最終的には警察に連行することまで考え、そっとその男の写真をカメラに収めておく。ああ腹立たしい。久々にこんな理不尽なインド人に出会った。今回インドにやってきてから出会う人々がいい人ばかりだったので、余計に腹が立つ。

少し時間をおいて、隣に座っていたユッケが今一度「300ルピー返して。」と言うと、ようやく返してきた。ああ畜生め。こういう局面においては、いつだって先に怒って冷静さを失ったほうが負けなのを改めて思い知らされた。

どうにか罵声を浴びせるのだけはこらえたが、しかし許せない。何がしたかったんだこいつは一体。まあいっか、お金は無事返ってきたわけだし。ジャミポッドを聴いているうちにそんなことすぐに忘れた。

17時頃遂にアムリトサルへ到着。い、意外と大きい町だ・・・ここアムリトサルは、頭にお団子を作ってターバンを巻くスィーク教徒にとっての聖地で、彼らがこぞって参拝しに来る黄金寺院があるときいていたので、何故か勝手に、小さな町をイメージしていたのだが、普通に都会のゴミゴミした感じがして、ちょっと残念だ。

アムリトサルとしては、「お前が勝手に小さい町を想像していただけなのに残念がられるのは遺憾である」と意見したくなりそうなところだが、幸いアムリトサルは町なので、直接文句を言われる心配はない。

何軒か回って宿へチェックイン。とてもキレイだが二人で400ルピー(800円)というちょっと高級なところ。「外国人は半額なんだよ。インド人だと1000ルピーなんだからね。」と語るスタッフの愛想がなかなか良かったからまあよい。

ともかく腹がへった喉が渇いた。外へ出て安食堂を探すもなかなか見つからず、結局屋台でマサラドーサ(15ルピー)を食べて、春巻きを持ち帰って部屋で食べる。

高級な宿なので部屋にテレビが付いている。最近なんだかテレビという物体に魅力を感じなくなっていたボクは見向きもしなかったのだが、ユッケは部屋に着くなりスイッチを入れてチャンネルを回し始めたまるでテレビっ子。

そしてアニマックスというチャンネルで、やっぱりやっていた日本のアニメ。犬夜叉。日本語に英語字幕だから見やすい。見やすいが最終話に近いらしく、全くストーリーがつかめない。

お次は忍者ハットリくんとパーマン。これは二年前にバングラデシュにいたときもやっていた。ヒンディー語吹き替え版なのでストーリーは簡単だろうに意味が分からない。

が、ちゃんと声優というものが存在している点ではまだましだろう。アフリカで観た吹き替え映画などは、全ての役柄を一人の人間(大抵おっさん)がこなし、しかも大して声色に変化をつけたりもしていないのでただただ棒読み、さらに声の部分だけ消して吹き替えるのではなく、全ての音声を消してセリフを挿入するので、おっさんがしゃべっている間全ての音がシャットアウトされるという悲惨極まりない状態に陥っているのだ。

そんなことを思い出したアムリトサルの夜。

黄金寺院参拝、ターバンに囲まれる


ここアムリトサルも、もともと長くいるつもりはなかったので、観光をおっぱじめる前に次の目的地へと向かう電車のチケットを予約しておく。当初の予定としてはアグラーが次なる目的地だったのだが、急遽「ジャイプルいってみん?」とジャイプルをアグラーの前に挟むことに相成った。

鉄道予約センターで直接チケットをとると手数料などは一切かからなくてすむのだが、ものすごい行列で、しかも要領が悪いのかなかなか進まないので、近くのツアー会社で、30ルピーの手数料を支払い予約する。

朝食はそこらへんの食堂で。クルチャという食べたことのない物を注文。というよりそれしかメニューがないのだ。何種類かあるクルチャの中から、ゴビワラクルチャを選択したのだが、果たして何が出てくるのだろうか。

ウマーー!!!!

刻んだ野菜がたっぷり入ったパラタ(薄いクレープ、もしくはパンのようなもの)に、バターがのっかり、付け合せにサラダとカレー。何がウマいってバターが美味いんだよ母さん。

バターなんて高級品久しく口にしていなかったため、火垂るの墓でおばさんが、「まあーこれバターやないのー!」と驚いた時と同じぐらい感動した。

そしていよいよ黄金寺院へ。ヒンドゥー寺院などは大抵、ヒンドゥー教徒以外は入れないようになっているのだが、スィーク教徒はその辺寛大なようで、頭に布を巻いてさえいれば誰でも来なさいよ、なのだそうだ。

無料のクロークでサンダルを預け、日本の手ぬぐいを剣道部よろしく頭に巻いていざ入場。すると見えた見えた人口池の真ん中に堂々と建った黄金の寺。インド版金閣寺という陳腐な形容をすれば伝わりやすいだろうか。

ターバンを巻いてその人口池で沐浴をする本格的なスィーク教徒から、我々のような外国人観光客、それに異教徒のインド人観光客達で大いに賑わっている。

写真を撮りながら中をまわっていると、「すみません!スナップいいですか!?」とスィーク教徒の家族連れに声をかけられる。彼らの写真を撮って欲しいのかと思いきや、どういうわけかボク達と一緒に撮りたいらしい。

いいですよーとにっこり笑って、一丁前にターバンを巻いた4歳ぐらいの男の子を肩車してパシャリ。カメラを持っていないお姉ちゃんは携帯電話でパシャリ。

それからお兄ちゃんやお父ちゃんやよくわからないおっちゃん達とまんべんなく撮影し、皆が流れ込むように向かう黄金の寺その内部へと向かう。

丁度正午だったので、並んでいたスィーク教徒達が一斉にお祈りを始めた。ディズニーランドのそこそこ人気なアトラクションばりの、40分という待ち時間を経てようやく内部へ。足を踏み入れる際に敷居に手をあてその手をおでこに当てるのが礼儀らしい。真似してみる。

高僧だろうか。読経をしながら楽器を演奏する人達の中央におじいさんがいて、人々は彼に向かってお祈りしていた。

二階、三階部分をぱぱっと眺めると、五分で見学終了。寺院や遺跡観光は得てしてこのようなものだボクの場合。

帰りがけに、ジャリヤーンワラ庭園という、かつて大量殺戮が何がしかによって行われた場所へ足を運んでみたのだが、ただひたすらに庭園だったためこちらは二分で退場。とどのつまり、アムリトサルの見所は一応おさえたことになる。

町を歩いていると「夕方の国境セレモニー行かないか?タクシーで往復70ルピーだ。」と声をかけられる。アムリトサルから30キロほどの所にあるパキスタンとの国境で、毎夕国旗を降ろす儀式が行われていて、それがたいそうな見物だそうなのだ。

が、然して惹かれなかったので行かず、それよりも腹がへったので再びクルチャを食べる。他の地域であまりみかけたことがないので、アムリトサル近辺の料理なのだろうか。

夜、パソコンで華氏911というマイケルムーア監督の映画を観る。旅を始めて、少しづつ色々なことを知るにつれ、アメリカに対する自分の構え方や捉え方が変わったのは感じていたが、これを観てさらにそれが強くなった。

戦争をビジネスの一環として、金儲けのためにおっ始め、アメリカに何一つ害をもたらしたことのなかったイラクの人々を、「救済」と銘打って殺戮するアメリカ政府。

焼け死んだ赤ちゃんを抱えて叫ぶイラク人男性の映像や、それまでずっと息子が軍隊にいることを誇りに思っていたが、戦死してようやく自分がアメリカ政府に騙されていたこと、分かったつもりでいたけど本当は何も知らなかったことに気づいたアメリカ人女性の映像は生々しく衝撃的だった。

大きなことはできないかもしれないけれど、少なくとも真実を見極めて、それを知るということは、日本人であるボクにもできる。イエメンで会ったヒーラーさんも言っていた。今は無知だって罪になる時代。

そんな事をずっと考えたアムリトサルの夜。

毎晩アムリトサルと関係無いところに思考が飛んでいっているのは気のせいかしら。

超絶移動、ジャイプルへ

早朝4時半に起床し、荷物をまとめるなりリキシャに乗って駅へ。ああ眠い。早朝移動は極力避けたいのに、上手い具合に今日中にジャイプルに辿り着くにはこうするしかなかったそうだ。

6時半、ほぼ定刻通りに電車が到着し、出発。席に座るなりジャミポッドを聴きながら眠りに入る。

宮部みゆきさんの「理由」という昔読みかけでやめてしまっていた小説を読む。読み進めるうちにどんどん面白くなってくる。

チャイーコーヒーパニー(水)−カツレツーブレックファーストーと声を上げながら車内を行き来する物売りからチャイと、パンとカツレツを購入し腹ごしらえをしつつ、ひたすら本を読む。

なんてったって他にすることがないのだ。

二等座席のチケットなので、固い椅子に十時間近く座りっぱなし。いい加減腰とケツに欠陥が生じますよあなた・・・という頃ようやくデリーに到着。電車を出ようとすると、その倍の数のインド人が我先にと中へ入ってこようとするので、出入り口がちょっとした戦場と化した。

ああこれでこそインド人。だけど君たち、二分待てば、たった二分、人が出てくるのを待ちさえすればスムーズに入れるんだよ?インド人を分かったつもり、手馴れたつもりで旅していても、やっぱり時々彼らが分からない。彼らの「ここは気を長く」「ここものっすご急いで!」の判断基準が分からない。

しかし何ゆえデリーに。アムリトサルからジャイプル直行の電車が今日はなかったため、デリーで乗り継がねばならないのだ。できれば戻ってきたくなかった・・・無駄に一週間以上も過ごした町デリー・・・。もう、お腹一杯ですから!と言わんばかりにそそくさとニューデリー駅からデリー駅へ移動し、次の電車を待つ。

17時40分発車予定の電車が、17時25分に駅にやってきた。なんという定刻っぷり!感動した!わたし感動シタ!

案の定ボク達の席には既に他のインド人が座っていたが、チケット見せると、「イェス、ここは君らの席だ!」とやけに堂々と、だが素直にどいてくれた。

上の荷物置きにバックパックを置こうと持ち上げたのだが、腕力及び全身の筋力の無さが見事に祟って、その真下に落としてしまった。

落下したバックパックのすぐ隣には頭のピカっとしたおっちゃんが恐怖に顔をゆがめていた。ゴ、ゴメンおっちゃん!大丈夫!?と思わずピカピカ頭に触れそうになるのをぐっとこらえて謝ると、「あぶねがっだよー!頭かち割れるとこだったんだからよー!」と笑って握手して許してくれた。

そうこうしているうちに電車は出発。暑い。着実に暑さを増しているインドの四月・・・。この間デリーにいた時感じた暑さをかなり上回っている。

そうだ冷えピタ!昔友達がくれた、おでこに貼る熱冷まし用の粘着シートを貼り、すっきり爽快再び本を読む。

深夜零時。十時間移動のあとの六時間移動を乗り越え遂に、ジャイプルへ到着。深夜に宿探しをするのは億劫だったので朝まで駅で寝ようと思ったが、ユッケが「寝袋ないもん」というので宿を探す。

リキシャの誘いを全て断り、歩く。たった10ルピーを出し渋り、歩く。意外と遠い・・・。4軒目にしてようやく安価な宿を見つけチェックイン。KANTICHANDRA HOTEL。外観はかなり荘厳な雰囲気なので高いだろうと思っていたら、内部は割りと古臭く、二人で250ルピー(500円)というのも納得できた。

ともかく疲れ、果てていたので、近くで腹ごしらえをすませ、シャワーを浴びるなり即就寝。

名物のピンクシティが全然ピンクくない

9時半起床。隣のベッドを見やるとユッケの姿がない。どこか散歩へでも出かけたのだろうか。ハミガキをしながらトイレへ向かおうとすると、床に、人間のような物体が倒れ伏せていた。

「固いところで寝られる体質でよかったー。ベッド超暑いんだもん。」

島出身の人間なのに暑いのが苦手で、固いコンクリートの床がひんやりしていて気持ちいいと語る男。理解し難い。

のんびりと部屋でチャイを作って飲み、旧市街散策へと出かける。この旧市街が、ピンクシティと呼ばれていて、建物がピンク色に統一された中々見応えのある街並みだそうなのだ。

ジュース屋さんでパイナップルジュースを飲む。冷たくて美味。シティパレスという、宮殿めがけて歩く。やはり旧市街と名のつくところは、どこの国でも、どこの町でも雰囲気が良い。ここも雰囲気は充分に良い。のだけれど

全然ピンクじゃない。赤茶けた色の建物が並んではいるけれど、それをピンクと呼ぶなら呼んだっていいけれど、それも全部ではなく、所々普通の灰色の建物が混じっていたりしてお世辞にもここをピンクシティとは呼べない有様。

しかも、シティパレス通り過ぎてるじゃない。どっちみち入場料がかかるから入るつもりはなかったのだけれど。

路地裏のほうに足を運ぶと、サリーの生地屋さんが軒を連ね、色鮮やかな布に装飾を施したものが沢山並んでいて、サリーを着たご婦人方が品定めしている。女性はいつだってお洒落したい生き物なのでしょう。

来た道を戻っていると、「寺みてけ。無料だぞ。」と怪しげなおっちゃんに呼び止められる。あ、ここお寺なんですか?「クリシュナ寺院だ。無料だからみてきな。」階段を上がり中へ入ると、寺の管理人と思しき別のおっちゃんが現れた。

ここ無料だってきいて入ってきたんですけど・・・「寺はいつだって無料だ。屋上に案内しましょう。ピンクシティの眺めがみられるよ。」

そういって屋上へ。町の向こうに岸壁というか、岩山のようなものがあり、そこに要塞がたっているのや、岩山の上のガネーシャ寺院が見渡せる。中々見晴らしがいい。

が、やっぱり町はピンクシティとは呼び難い。おっちゃんに色々教えてもらい、最後におっちゃんの作った工芸品コーナーへ案内されたけれど、特に買うものはないやありがとう、とお礼を言うとどういたしまして。と静かに見送ってくれた。いいおっちゃん。

寺を出るとさっき呼び止めてきたおっちゃん二人がまだいて、なんだか面白そうなので喋る。

「何、どっから来たの?」日本からです。「そっかーベリーベリーリッチな国ねー!」そうなんですかね。

「でもあれだな、おめえ全然日本人に見えないな。」よく言われます。現地人に間違われることしばしばなんです。「いや、というか、なんか、貧乏そう。日本人ていうとさもっといい服きて、エレガントに振舞うでしょ?」

お褒めの言葉、有難き幸せです。ボクは普通の日本人観光客の方々とはちょっと違ったラインに立っているのかもしれませんが、貧乏そうというか実際貧乏ですし、貧乏そうに見えるのも旅をするうえではそう悪くもないんですよ。物盗りに狙われることもないし。こういう小汚い格好嫌いじゃないですし。

「いやーおめえはいいかもしんねえけどさ、他の日本人が困っちゃうでしょー。だっておめえを見たインド人達は、ああこれが日本人かーって思っちゃうでしょ。イメージ、ダウンでしょ?」

あははー中々言ってくれちゃいますんですね。それは確かにごもっともですが、でも、中にはこういう日本人もいたっていいのではないでしょうか。

「んまあいいけどね。とりあえず、新しいズボンを一つ買いなさい。がはは」

がはは。確かにこの短パンは汚すぎる。スペインにて3ユーロで購入してから、アフリカの旅をずっと支え続けてくれた短パン。ウガンダでも「ちょっとかしな。洗ってやるから」と友人のポールに思わず洗濯意欲をわかせるほど汚い短パン。そろそろ潮時なのかな・・・

気をとりなおし、小さなファーストフード食堂でマサラドーサを食べて、岩山の上のガネーシャ寺院も無料だとさっきのおっちゃんに聞いたので向かってみる。

途中急な便意にかられ、トイレはどこですか?と尋ねまわり、商店のおっちゃんに「そこらへんですればいいよ。ここインドだから。」と言われ、え、でも大きいほう、ビッグワンですよ・・・と答えると「そりゃいけねえや・・・ごめんここでしないで。」と苦笑いされ、最終的に小学校に押し入りトイレを借り九死に一生を得た。

岩山に近づくと下校途中のガキん子達がたかってきて、「5ルピーちょうだい!」とちょっとしたカツアゲに遭うが、じゃあ先に10ルピーちょうだい。そしたら5ルピーあげるから。と算数の問題形式に返すと、少しこんがらがったのか、考え込んで困った顔をしてしまった。

ガネーシャ寺院へと続く急勾配の階段を死に物狂いで上がり、ついに登頂に成功した登山家の面持ちで寺の門へ辿り着くと、「16時まで寺閉めっから。」と丁度閉門した管理人に打ちのめされた。

「ほれ、これ飲んでけ。」とウォータークーラーを指差すので、遠慮なくいただく。ギャー!!!恐ろしく冷たくて美味い。水道水だろうが気にしないー気にしないー気にしないー。

一息ついたところで改めて寺院から町を見下ろす。レゴのように角ばった建物が延々と続く街並み。やっぱりピンクではないけれど、水色がやや優勢な気もするけれど、美しい。町のずっと向こうに湖があり、そしてその湖のど真ん中に謎の宮殿らしきものが見える。もはやドラクエの世界。

リスがちょこまかと走り回り、どうやってこの急な階段を上がってきたのか犬が昼寝をしている。平和だ。

平和ついでに、観光大体終わっちゃった!もう、出ちまいますか?急遽今夜出発が決定。何をそんなに急ぐのか知らないが、かつてないほどに弾丸ツアー。

一旦宿へ。帰っていると、「ハロー!一緒に写メとってー!」と青年どもに呼び止められた。やたらにこにこして気持ちがいい輩に囲まれ、あらゆるアングル、あらゆる組み合わせで撮影。「ありがとう!ジャパン?ジャパンかー!いいね!ばいばーい」

歩いていて、目が合うとにっこり笑って手を振ってくれるおばちゃんや、子供達。ジャイプルは、人がいいな。人がいい町は必ずまた来たくなる。

帰って少し休憩するともう17時で、昼間クリシュナ寺院のおっちゃんに「モンキーテンプルからだと夕陽がきれいに見えるよ」と教えられたその場所へとリキシャに乗って向かう。

ガルタと呼ばれる場所らしく、旧市街の東の門を抜けると、すぐに丘が現れ、登り始めると、モンキーテンプルの名の通り至るところにサル猿サル。

そこに牛と犬とヤギとニワトリまで登場して路上がちょっとした、ちょっとした何だ。ちょっとした家畜農園状態だ。

食べ物を横取りしようとするのでキィキィ威嚇する猿。それを微塵も気にとめない牛。

頂上の寺院に辿りつくと丁度陽が沈むころで、真っ赤な太陽が一日の終わりを告げていた。が、町のスモークなのか霧なのか分からないが、霞がかっているせいで、町にどかんと沈む所は見られず、中途半端に霞みの中に消えていった。

帰りにアグラー行き深夜零時発のバスのチケットを購入し、適当に夕食をとり、一日歩き疲れた体をしばし休め、荷物をまとめ、23時過ぎに出発。

昨夜着いたばかりとは思えないほど色々な場所を訪れた一日だったので、もう何泊かしているような錯覚に陥ったが、一泊だ。一泊でジャイプル終了。

超絶移動はまだ終わらない。

そして紅茶の産地へ


「タージマハルとガンジス河を一応拝んでおきたい」というユッケの要望により、アグラー、バラナシと各一泊ずつ駆け抜けた。ボクは二年前に充分堪能しているので良いのだが、彼は果たしてそんな、たった一泊してちょっと歩いただけで、よかったのだろうか?よかったらしい。

ボクは他の旅行者と比べてかなり観光に興味を示さないほうであると自認しているが、ユッケのそれはボクをさらに上回るか、もしくは下回る。普段「何のために旅をしているの?」とよくきかれるこのボクが、「何でインドに来たんだ?」と思わず問い尋ねてしまったほどだ。

かくしてバラナシを、彼曰く「充分堪能した」のち、向かいますはいよいよ未見の地、ダージリン。広島と聞けば原爆コワイネー、韓国と聞けばヨボセヨ、インドと聞けばカレーと答える人なら必ず、紅茶と答えるに違いない所。それがダージリン。

バラナシから直行の電車はないので、まずは乗り合いリキシャでムガルサラーイという、バラナシから17キロの距離にある町まで行きそこから、ニュージャルパイグリ行きの電車に乗り込む。

たった二行で説明を終えたが、この間の移動距離、実に843キロにも及びます。正午過ぎにムガルサラーイを出発し、到着予定時刻は翌朝の4時半。

幸い寝台の席が取れたし、トイレはいつだって行かれるので、バスほど過酷なものではないだろう。席に着き電車が出発すると、トランプを取り出し二人で大富豪に興じる。

コーラ一本を賭けてやるとかなり切迫した戦いになり、いい具合に持て余し気味の時間をつぶすことができた。ボクが見事に大富豪の座をおさめたことは言うまでもないが言いたいので言っておこう。

それから、昼寝をしようにも暑すぎるのでひたすら読書。

陽が暮れてもまだまだ暑い車内で汗をかきながら、いつものごとくチャーイコーヒーなんたらかんたら〜と行き来する物売りをつかまえ夕食をとる。小さなチャパティ4枚とダール。10ルピー。以上。なんと質素な・・・

読書も終えてしまい、いよいよすることがなくなったので、不貞寝。が、再び、通常営業の範疇を飛び越えた下痢の症状に見舞われ、数時間おきにトイレへ起きなければならなかった。

ボク達が降りるべきニュージャルパイグリ、という何とも覚えにくい名前の駅は、終点ではない上に到着予定時刻が4時半なので、何が何でも乗り過ごさないようにしなければならない。

丁度4時半にユッケに叩き起こされ、まだ薄暗い外を目をこらしてみながら降車駅を待つ。通りがかった警官のおっちゃんに、ニュージャルパイグリは次ぐらいですか?とたずねてみると

「7時かそこらだな。到着は。」おやまあ随分と・・・時間が・・・あるではないですか・・・再び就寝。

ボク達は三段あるうちの中段と下段の席を使っていて、さっき中段を片付けて下段のシートのみにして、そこで二人寝ていてとても不気味に折れ曲がった体勢だったため、苦痛を覚えて目を覚ますと、時刻は既に6時半。外はもう明るい。

ぼーっと眺めていると、NEW JALPAIGURIの文字。つ、着いたー!今回もなかなか長い移動だった・・・。が、これで終わりではないのだ。本来の目的地はダージリン。ニュージャルパイグリはその中継地点にすぎない。

駅の案内所で、今日のダージリン行きのチケットはまだありますか?と尋ねる。実はこのニュージャルパイグリとダージリンを結ぶ電車が、トイトレインと呼ばれる、線路幅がたったの61センチしかない小さなもので、世界遺産にも登録されている観光名物なのだ。

せっかくならその世界遺産とやらに乗り込みたいじゃないか。しかし「お客さん。チケットはもう一杯だよ。キャンセル待ちだけでも70件近くあるし・・・。申し訳ないけど不可能だねえ。」

一日に一本しかない電車は、毎日予約で一杯なのだそうだ。世界遺産となった今でも尚人々の日常生活の足となって活躍しているトイトレイン。乗りたかった!残念だが翌日もチケットがとれるかわからないうえに、そのためだけにニュージャルパイグリに宿泊するのも嫌だったので、駅をでてすぐ前に待機している、乗り合いジープで向かうことにした。

電車で7時間かかるところが、ジープやバスならものの2、3時間で到着するらしい。その分若干お値段は高いけれど。

8時半に出発するなり景色も眺めず熟睡し、途中クルシャンという町で休憩して、丁度昼頃にダージリンに着くころにはすっかり気温が下がり冷え冷えしていた。一気に標高2134メートル。

何軒か見てまわり、交渉の末HOTEL PAGODAというメインの通りを一つ離れた静かなところにある宿に二人で220ルピーでチェックイン。

「今ダージリンは水道から水でなくて、高級な宿以外は皆タンクの水使ってるんだ。だからシャワーの時はバケツにお湯いれてあげるからね。」

水がないとはなかなか大変だが、どこもそうなのだから仕方がない。昨日からまともな飯を食べていなかったので、荷物を置くなり腹ごしらえに。

チベット食堂でビーフトゥクパとビーフモモを注文。しめて30ルピー(60円)。牛肉なんて口にするのいつぶりだろうか。きっとケニアあたりから食べていないに違いない。

モモは美味しかったがトゥクパはいくら病院でもおばあちゃん用でも、もうちょっと味あるよね。というほど味が薄かった。そしてこういう所にかぎって店のおばちゃんやおじちゃんがいい人だから、「これ味薄いよ!」と言えない弱気な自分。

ともあれ空腹が満たされると、なんだかどっと、眠気が押し寄せてきた。長距離移動の疲れがふいにでてきたらしい。宿に戻るなりぼってりと眠りこける。

眠りこけること約4時間。目を覚ますと既に時刻は17時。陽もかげってきていた。どうにか起き上がり、散策へ。安宿の沢山あるところから、チョウラスターと呼ばれる広場に向かう通りに、ずらっと屋台が並んでいる。セーターやニット帽などの衣類を主に、子供のおもちゃや日用品までいろいろあって楽しい。

みかんだけ買って通りを往復し、宿の近くで見かけた中華料理屋へいってみる。久々の中華。トマト玉子炒めが無性に食べたくなったのだ。トマト玉子炒め・・・それは最もシンプルで最も美味しい中華料理の一つ。

中国を旅行していた時、このトマト玉子炒めだけはどこで食べても美味かったのだ。つまり、トマト玉子炒めが不味い店は相当だということになる。

そんなトマト玉子炒め(この店の英語メニューではトマトオニオンオムレツとなっているが)と、チャーハン、野菜スープを注文し二人で分け合う。この際食べ方まで中華風に。

あ。えーと。あら?

全く期待していたものと違う、いや、むしろ英語メニューにはかなり忠実な、まさしくトマトとオニオンのオムレツがやってきた。決して味は悪くない。美味しい。が、勝手に、あのフワッフワでボリューム満点のトマト玉子炒めを想像していただけに、このこじんまりとしたオムレツが、やけに物悲しく思えた。

オムレツは何も悪くないのに。彼はただオムレツであるだけなのに。それなのにこんな理不尽な思いをさせて、ごめんよ。でもやっぱりちょっと、がっかりしちゃったよ・・・。

夜になるとかなり冷え込む。バケツ一杯の熱湯(お湯ではなく熱湯)で、シャワーを浴びる。熱い!と叫び急いで水をかぶる。冷たい!!!そういうプレイが存在して、今ここでそういうプレイを楽しんでいるように見られても弁解の余地がないほどに熱く、冷たかった。

布団にもぐりこみ、お互いの放ったガス、いわゆる屁が尋常でなく、通常起こり得る濃度をはるかに上回る臭さだったため罵倒しあいながらダージリン最初の夜を迎えた。

2000メートルでも高山病になるらしい

ダージリン二日目は朝から、ブティアブスティゴンパとよばれるチベット寺を参拝したり、これから向かう予定のスィッキム州へ立ち入るための許可証を発行してもらったり、紅茶園まで歩いていったのに工場見学には有料ガイドを伴わなければならないと言われ即座に退散したりして過ごす。なかなかアクティブだ。

そして昨夜とは別の、チベットレストランでテントゥクと言う、初めて耳にする麺料理を注文してみる。

テントゥクーーー!!!!

野菜たっぷりなスープに、固めのワンタンをちぎってぶちこんだような食べものなのだが、実に美味い。こんなチベット料理が存在していたことに驚いた。そしてメジャーな料理、トゥクパより断然美味い。

アクティブな一日をしめくくるにふさわしい一皿、一椀であった。

そして翌朝。何やらユッケの様子がおかしい。「夜中苦しくて目が覚めて、胸が爆発するかと思った。下痢だしだるいし・・・。」そう言ってベッドにうずくまっている。

胸が爆発、という表現を、緊張の度合いや色恋沙汰のときめきを比喩する時以外に、直喩的に用いるのを聞いたのが初めてだったため思わず笑ってしまったが、しかしこれはただごとではなさそうだ。

曰く、食欲不振、頭痛、腹痛、下痢、倦怠感、吐き気、関節痛、めまい等を覚えているらしい。

この聞くだけで体調をおかしくしそうな症状のフルコース。確か似たような経験がボクも昔・・・そう、チベットにいた頃に・・・ああ。高山病だ。それ、高山病ちゃうか?そんな高山でもないけどここ。

うずくまり続けるユッケを横目に、健康そのもののボクはこの日記の更新作業に集中する。

昼食は昨夜と同じレストランにて。昨夜のテントゥクの兄弟ないし姉妹メニューらしい、ギャントゥクというものを注文してみる。ふむ。今度は太麺でクリアなスープにやっぱり野菜たっぷりでこちらも美味い。

ユッケは全く食欲がわかないらしく、どうにかトーストとホットジンジャーレモンをたいらげていた。

「日本寺行こっか。」今日は日本寺にでも行ってみよう、とは話していたけれど、そんな状態で行けるのか?無理だろう?「でもせっかく来たんだしもったいないじゃん。」

じゃあ行ってみるか。と歩きだすも、ほんの数十メートル歩いただけで息を切らし、苦痛に顔をゆがめ立ち止まるユッケ。こりゃあ無理でしょう。「あとどのぐらい?」まだ2キロぐらいあるよ。坂だってきついし、無理やろ!帰るで!

帰るのにも一苦労し、ようやくベッドに辿り着くと倒れこんでそのまままたうずくまってしまった。本格的に高山病だ。寝ると苦しくて目が覚めて辛い、起きて歩いているほうがまだましだというが、歩いたら歩いたであのざま。一体全体どうしたものか・・・。

相変わらず健康そのものなボクは、あそこまで弱りきったユッケ、いや人間自体久々、もしくは今まで見たことがなかったかもしれない・・・などと考えながら果物やのど飴を買ってきて与えてみる。

そして一人またしても同じレストランに足を運びテントゥクを頂く。野菜たっぷりで温かいこのテントゥクこそ、ユッケの体に必要なものなはずなのに。食欲がないなら仕方がないのだろうか。ならボクが代わりにしっかり食べてあげようじゃないか。

部屋に戻ると益々苦しそうなユッケ。呼吸音がもはや変だ。宿のおっちゃんに話すと、「医者よんでやろっか?200ルピーかかるけんど。」と心配してくれたのでその旨を伝える。が、ユッケはただ首を横に振り再びうずくまった。

ボクもチベットのラサで高山病にかかったけれど、もっともそれが高山病であったことにはしばらく後まで気づかず、あーえらい風邪ひいてもた。と思っていたけれど、ともかくボクのそれなんかよりユッケの症状はずっと悪い。

薬局で買ってきた高山病の薬を飲んでも一向に回復しない、医者も呼びたがらない、飯も食えない。一体ボクに何ができるというのだ。

とりあえず、姿勢を正し、座禅を組んで手を合わせ、ユッケに向かってパワーを送るように集中してみた。

その結果、下山

夜じゅうずっと、咳をし続け、うつ伏せにうずくまり、トイレを往復し苦しみ続けたせいで、全く眠れなかったらしい。ボクも気になって6時には起床。全然良くなってないな・・・「モルヒネ欲しい・・・」ぽつりとつぶやく。そんなにか。そんなにも苦しいのか・・・!

今日あたりにはダージリンのそのまた向こうにあるスィッキム州へと行く予定だったが、これじゃあ行けたもんじゃないし、このままダージリンにいたって、高山病なんだから高地にいる限りそうやすやすと良くはならないだろう、と踏んで、山のふもとのスィリグリという町まで下りることにした。

わたしは超元気

「ジャミラはスィッキム行ってきていいよ。」と言われたが、こんな死にかけの病人を放って一人スィッキムに出かけたところで、楽しめるわけがないだろう。

ささっと荷物をまとめるなりすぐさまジープ乗り場へ。ここへ行くのにも十メートルおきに立ち止まるユッケ。末期。

すぐにスィリグリ行きの乗り合いジープはやってきて、下山。隣の人に「彼は体調悪いのかい?」ときかれ、どうやら高山病らしくて。と説明すると「スィリグリに行くのはいいけど、あそこは空気が汚れてるから、ちゃんと綺麗なホテルに泊まって、ミネラルウォーターを買って、屋台の飯は食べたらダメだよ。弱ってる間は。」と心配してくれた。

ぐんぐん下りるジープ。ぐんぐん変わる気温と高度。

そしてぐんぐん変わるユッケの顔色。

高山病って、こんなにも単純構造なんですか!?先生!?とボクが医学生だったら先生に飛び掛ってしまうほど、なんとも単純にユッケは回復した。その証拠に今彼は、紅茶畑の風景を、デジカメで撮影している。

そしてここへきて、リンゴを丸ごと一個食べた!

三時間ほどでスィリグリに到着し、安宿へチェックインする頃にはさらに回復し、普通に立ち止まらず歩けるまでになっていた。

昼食もチョウメン(焼きそば)をほとんど完食。少し昼寝をし、散歩へ出かけると「アイス食おっかな〜」と余裕の一言とともにストロベリー味をチョイスする始末。

高山病が単純なのか、それともユッケが単純なのか、教えて先生。

夜になるとほぼ完治に近いほど回復し、嬉しくてしょうがないのにも関わらずそれを素直に表現できない彼は、やけに「健康が一番!」とシャウトしたりいつものしょうもない口論を始めたり、要するに若干鬱陶しい仕上がりになってしまった。

するとその結果、二人して死にかけた


スィリグリくんだりまで高度が下がると、もう普通に暑い。部屋のファンを最大にして、スタッフがもってきてくれた蚊取り線香を置き、眠っていると・・・

なんだか息苦しくて目が覚めた。そして目を開くと物凄い痛みが走った。開けていられない。呼吸をすればするほど苦しい。喉が痛い。

一体何事だ?

・・・。

・・・・!!!!!!ギャーーーーー!!!!!!

電気をつけると部屋中が煙で覆われ真っ白になっていた。そしてその煙は二人のベッドの間の足元からもくもくと・・・そこには布団。

布団をめくる。

ボウッ

キャーーーーーーー!!!!!!!

最大にしていたファンの風を受けて、布団が燃え始めたではないか!!!慌ててバスルームにかけこみ、バケツの水をかける。どうにか火はおさまった・・・。一体全体どうして・・・

蚊取り線香。

寝る直前に、のど飴を探して自分の荷物を探っている時、荷物の上においてあった布団を確かこの位置に放り投げた気が・・・そしてその下には蚊取り線香があり、見事に着火・・・。

深夜零時に電気を点け、窓を全開にし、そこからもくもくと煙がわいてきているので外にいたスタッフが驚いてやってきた。事情を説明し、燃えたのは布団が少しだけだと知ると「んじゃおやすみ。もうちょっと換気したら寝なさい。」と冷静な様子だった。

「全然気づかなかった。オレ一人だったら死んでたかも。」と言うとすぐまた寝たユッケ。

以前にも自分の不注意が原因で火事を起こした経験のあるボクは、しばらくその恐怖と、煙による息苦しさで眠れなかった・・・。しかし、早いうちに目が覚めてよかった・・・死なずに済んだことを感謝し、自分の不注意を省みる。すみません。

久々の一人旅烏

翌朝、早々にレセプションへ赴き、マネージャーらしき人物に昨夜の一連の出来事を説明し、謝罪する。そして、焦がしてしまった布団代、弁償しましょうか?と尋ねると「ははは。いいよ。」と笑って許してくれた。有難い。普通ならこの際多めに請求してやるか、と弁償させてもいいぐらいなのに。

そして荷物をまとめる。ユッケが無事回復したのを見届けられたから、ボクは再び山間部へ舞い戻るのだ。ダージリンの東の方にある西ベンガル州とスィッキム州との州境の町、ランポというところへ。

すっかり体調はよくなったのだが、高地へ行くのを恐れるユッケはボクがスィッキムに行っている間スィリグリで休養。

かくして久々の一人旅。公営のバスで向かう。隣に座ったスィリグリ在住のインド人が、しきりに話しかけてきてくれる。「英語は全然だめなんだけど、日本人とこうしておしゃべりできてハッピーだなー。」と言ってもらえたのが、やけに嬉しかった。

2時間ほどでランポに到着してみて驚いた。暑いのだ。スィッキムなのに。

チェックポストで先日発行してもらった入域許可証を見せ、パスポートにスタンプを押される。ここが目的地だったのだが、あまりにも暑いうえに、見たところ普通の町だったので、そのままバスを降りずに最終地点のガントクまで行くことにした。

途中で降りていった隣のインド人にバイバイして、横になって眠っていると、14時半、スィッキム州の州都ガントクへ到着した。

安宿を探そうとバスターミナルを出て歩きだすと、見事に敷地内の行き止まりの方向だったらしく、同じバスでここまでやってきたインド人に、「あっちだよ」とこっそり教えられる。ありがとね(小声で)

ダージリンほど標高が高くないので、暑すぎず寒すぎず実に過ごしやすい気温だ。おまけに道幅もダージリンより広いので、なんだかゆったりした気分になれる。ホテルは沢山あるのだが、メインストリート沿いのところはどこもアゴがはずれそうなほど高かった。

適当に行ったりきたりしていると、M.G.MARGという、かなり整備されたきれいなアーケードのような通りを発見。な、なんじゃこりゃ・・・さっき見つけたドミノピザのお店もびっくりだが、こんな整備された通りにはもっとびっくりだ。

そのM.G.MARGを少しそれて下ったところにある、いかにも客の少なそうな宿を見つけ尋ねてみると、シングルルームが250ルピーだった。他はどこも600ルピーなどという恐ろしい額だったのでかなり安心したが、念のためもうちょっと他の宿も当たってから、もしみつからなかったら戻ってきますといういつものセリフを投げかけると、

「150(300円)でいいよ。」はいそれではここに泊まらせていただきます。チェックイン。

アーケードに出て、ファーストフード店でトゥクパを食べ、インターネットをしたりしているとあっという間に陽が暮れ、再び外に出ると、なんと雨が降っていた。

雨に降られるなんてイエメン以来だったので、ちょっとどうしていいか分からなくなったが、雨に降られたからといってどうするもこうするも、降られるしかないだろうと思い出し、濡れながら宿に帰る。穴があいて底がツルツルのサンダルの滑りが良すぎて、階段で転げ落ちそうになり恐怖する。妊婦でなくてよかった。

飽くことなくチベット寺巡り

一人旅と意気込んだものの、翌日にはほぼ完全に回復したユッケも、ダージリンより高度の低いガントクならいけるかも、とやってきた。再び二人旅。

エンチェイゴンパというチベット寺院を目指して歩く。ジャミポッドを聞き、歌いながら歩いていると、「自然の音きいてればいいじゃん。」とユッケに言われる。確かに、各地で、各地ならではの音に耳を澄ませながら町を歩いたほうがいいというのももっともな意見のような気もするが、ボクにとってはやはり、この、移動中にお気に入りの曲を聞きながら一人悦に入って歌うことのほうが楽しいし、優先的なのだ。

山の上にあるエンチェイゴンパに到着するなり、マニ車をくるくるまわす。そしてオンマニペメフンと経を唱える。自分は一つの宗教に固執しているつもりはないけれど、やはり生まれ育った環境のせいか、仏教寺院で両手を合わせていると、なんだか心が落ち着く。

隣接した学校では、チビっ子お坊さん達が勉強をしている。はつらつとした授業中のざわざわ音がどこか懐かしい。小学校の時の、校舎の三階の音楽室を何故か思い出す。イチョウの木が外で揺れて、午後の暖かな光が窓から差し込むあの感じ。

寺の中に入ると、壁一面にタンカと呼ばれる仏画が描かれていて鮮やかだ。普段はケチって入場料すら払わないボクが、自ら小額ながらお布施をしている。何故。

帰り道に、道端で拾った枝を振り回しながら、某アニメの某キャラクターの得意技を真似てみる。

ローズウィップ!!!

見えない敵をやっつけたのち、若干抑え目の声で、キレイな薔薇には、トゲがあるのさ。とつぶやきキメてみる。無論ユッケは完全無視。ボクが傍観者だとしてもそうするであろう。

旅の恥はかき捨て

恥なんていくらだってかけばいいのだ。どうせすぐ捨てられるのだから。

午後は宿の近くのレストランで、インターネットをしながらくつろいだり、食べても食べても減ってしまう腹を満たそうとあちこち食べ歩いたりしつつ過ごす。

翌日は朝からジープ乗り場へ。ガントクのすぐ近くの、ルムテクという町へ日帰りツアーを敢行するわけだ。目的はそう、チベット寺院参拝。懲りない私。 「どうせどれも一緒でしょ」こりごりなユッケ。

一時間弱で到着するなり、近くの食堂でトゥクパとモモを頂く。腹が減っては寺は巡れずとはよくいったものだ。

入り口にアーミーだかポリスだかが立ちはだかっていて、パスポートチェックを受け、門をくぐる。セキュリティが割としっかりしている。テロの危険性が、こんなのどかな町でもあるというのだろうか。何が起こるか分からないのが今の世の中。

20分ほど坂道を登ると、お寺に到着。入場料5ルピー(10円)を支払い、ここでもボディチェックを受け中へ。

うわお・・・お寺の大きさもさることながら、ここから眺める景色の美しいことよ。遠くに連なる高峰のその頭頂部に、白く雪がかかっていてなんとも見応えがある。今まで約一ヶ月間、共に旅をしてきたユッケがおそらく初めて、初めてここへきて何かを目にして「すげえな」とつぶやいたほどだ。

本堂へ入ると、丁度朝の読経中で、お坊さん、子坊さん達が、鐘を鳴らしながらお経を唱えている。

んが。何だろう。どこか全体的にだらけた空気。姿勢をくずしながら、あくびをしながら、時におしゃべりをしながらの読経。少しがっかりしてしまった。人間だもの、だらける時だってあるに決まっているのに、あまりにも、かつてチベットのラサで目にしたお坊さん達の迫力との差がありすぎて、がっかり。

同じ敷地内にあるお坊さん達の宿舎を勝手に見学し、その奥にあるゴールデンストュパと呼ばれるまさに金色のストゥパを拝む。少し「離れ」のような場所に位置する小さなお堂をみてみると、巨大なマニ車が鎮座し、おばあちゃん達がお経を唱えていた。女性用なのか。

一通り見て周ると、バス乗り場まで下りてゆく。案外にも早く終わっちゃったので、適当に辺りを散策してみることに。

何もなさそうな方向へ歩を進めていると、丁度家に帰る途中らしいネパール人のじいちゃんが現れ、喋る。無論ネパール語なんてミジンコ程度にしか話せないので会話というものは成立していないが、それでもお互いにこにこと喋り合う。

そこに英語の話せる若い女の子が現れたので、少し喋ると、何とブータン人だという。ブータン・・・いつか行きたくてしょうがない国。だけど観光客が行くにはツアーを組まなければならず、さらに一日200ドルも払わなければいけない国。

そんなブータンの人と初めて会ったので、嬉しかったのだが、やけに英語がネイティブっぽい言い回しなので少しおかしかった。

「Hi guys! it's damn hot now! ハーイ!今超暑いっしょ!」

さらに歩き続けると、なんと、発見してしまった。新たなゴンパを・・・。また寺・・・。

完全に現地人用な雰囲気のする、簡素な作りのゴンパ。お堂へ入り、お坊さんに挨拶。タシデレー。ここでも少しお布施を置いて、入り口の石段に座って休憩していると、ここに住み着いている犬っころたちがすりよってきた。

おいでおいでをすると、やけにブリっ子しながらボクのもとへ近づき、ペロペロとなめまわす。お前ペロペロしてくれるんは嬉しいけど、お口くちゃいよ!

それを見ていた別の犬もやってきてすりすり寄ってくる。こいつもペロペロ。首の周りや背中をかいかいしてやると、調子にのったそいつは結構強めの圧力をもってして甘噛みしてきた。

ライオンがじゃれて人間のほっぺたをぺろっとなめると、そのあまりのザラザラ舌と力の強さのせいで、ほっぺたがすりむけるそうです。

これはいけない。この調子でいくと肉に突き刺さる恐れがあるとみなし、いいこいいこしつつ徐々にフェードアウトし、ゴンパを後にする。

バス乗り場まで、来た道を戻って歩いている途中、ふと後ろを振り返ると、強めの甘噛み犬がついてきているではないか!

うっかりかわいがっちゃったばっかりに、「あこいつイケるかも」とついてきてしまったようだ。申し訳ないが、お前を一生大事に育ててやれるだけの甲斐性はオレにはないから、寺に戻りな。という気持ちを込めて、無視を決め込む。ゴメンよ強めの甘噛み犬。

驚異の速さでさよならインド

翌朝6時に起床するなり、荷作り。都合5泊、今回のインドの旅では一番長居したガントクの町を離れるときがきた。中心部から少し下ったところにあるデオラリという町のバスターミナルへ向かい、そこでカカルヴィッタ行きのジープに乗り込む。

カカルヴィッタ。ネパールの国境の町。イェス、たった一ヶ月という速さをもってして、インドとお別れするのだ今日のこの日に。

人が集まるまで一時間少々待ち、8時半過ぎに出発。やはりバスより小回りが利いて速いので、グイグイ追い抜きながら山を下る。

お、おええええええ。

急に気分が悪くなった。そうなんです。本来ボクは酔いやすい体質の少年だったのです。運転免許を取得し、己で運転をするようになってからはめっきり酔わなくなり、旅を三年以上続けあらゆる悪路をあらゆる交通手段で乗り越える時だって滅多に酔わなくなったボクだけど、やっぱり本当はナイーブでセンスィティブなガラスの少年だったの、かしら。

突然どこかのポイントで停車したので、ちょっとトイレに、とドライバーに告げ近くの食堂で大きい催し事を済ませると少し気分が落ち着いたのだが、戻ってみると何故かジープが出発していた。

「ジャミラー!」ドアを開けボクを呼ぶユッケ、とジープ。小走りで辿り着くとどうにか乗れた。こら!さっきトイレ行ってくるって言うたやろ!とドライバーに向かって叫ぶが、何故かドライバーは微笑んだだけで、すぐまた前を向き荒々しい運転を再開した。こんな微笑み返しいらない・・・

ギュウギュウの席から、途中二人降りたので、すぐさま横になり寝てみる。横になるだけでずいぶん楽になる。しかし何故こんなにも気持ち悪いのだろう。

「着いたで。」13時半頃、カカルヴィッタに到着したらしく、起こされた。荷物をおろし、イミグレーションを探す。と、どこからともなくネパール人が話しかけてきた。

「インド出国のスタンプはもうもらった?」いんや、これからだけんども。「だったらインド側のパニタンキまで戻んなきゃいけないよ。ここはネパール側の国境だよ。」え。どれぐらい戻らねばならねんだ?「まあ、すぐだよね。」

確かにボク達はカカルヴィッタ行きのジープに乗り込み、現にカカルヴィッタに到着したわけだけれど、ドライバーもちょっと気ぃ利かねぇもんがなーあ!どうみても観光客、外国人なんだから、インド側のイミグレーションを通過しないといけない事ぐらい分かるはずなのに。そしたら一声かけてくれればそこで降りたのに。あの微笑み返しのドライバー。

そうは言っても彼は彼で「乗客をカカルヴィッタまで送る」という業務をやってのけただけなので、正確には非はない。文句を言ったところで何も始まらないし終わらないので、重い荷物を背負ってジープで来た道を歩いて戻る。大きな橋を渡り、少しいくと到着。

文字にすると「大きな橋、少し行くとイミグレ」至って簡単なように思われがちだが、実際は炎天下の中30キロ近い荷物を背負って20分程歩いていたので、もうちょっとしんどい。そのしんどさをイメージしながら読んでいただけると、少し報われます。

イミグレに到着したのは良いのだが、肝心のオフィサーが不在。時刻は14時近く。先に着いて待っているオランダ人のカップルに尋ねると、「ランチタイムらしいわよ。」と笑いながら教えてくれた。国境ゆるゆるじゃん。

30分程その場で待ち続け、ようやく戻ってきたオフィサーに用紙を渡され必要事項を記入し、出国のスタンプぽん。

さようならインド。某ユッケ曰く「二度と来ない」。ボクは死ぬまでコンスタントに訪れ続けます。だってまだまだ未見の地だらけだもの。来れば来るほどずぶずぶとのめりこむ妙な国。そしてやはり、短期で来た旅行者は「二度と来ない」と言い残して立ち去る妙な国。


ネパール日記


インド(2010年3月13日〜4月15日)