なにしにきたベトナム

例の一件のおかげさまで、予想外の一時帰国をひっそりと果たし、失った30万円を取り戻すため地元のしがない部品会社で約二ヶ月働き、せっかくだからと金鳥の夏、日本の夏を満喫しまくってしまったのちの8月25日、いよいよNARITA AIRPORTへ向かう。

心持ちはきわめて前回と同様、ほんとにこれでしばらく日本とお別れ?まっさか。実感なんて沸かないもので。チェックインをすませ母親と地元のだいぶイってる友達夫妻に電話をし機内へ。そうこうしているうちにさっさと離陸。あっけない。JALのCAに手厚いサービスをしてもらいながら優雅に映画鑑賞。ここへきて観たかった舞妓Haaan!!がみれるとは。しばらく柴咲コウの美しさに心奪われる。そして機内食をぺろりんちょ(ぺろりとたいらげるの意)してぐだぐだしていると、

おやまあホーチミン着陸22:40。ベトナムエアラインのチケットだったためベトナム経由バンコク行き。でもね、乗り継ぎ便は明日の10:00。うんとね、今23:00。用もないのにベトナム入国。とりあえず空港内で寝ようとベンチを探す。「空港のなかで寝たいのですが、どこかございませんか?」近くの警備員にたずねる。

「うんとね1時にはしまっちゃうよ。あそこにベンチあるから寝てみたらええんちゃう」あそこ??あーあそこ???「ありがとう」あそこ。とびっきりのアウトサイド。でも寝られないよりまし。。。ベンチに寝転ぶ。もしだれかが「何を待ってるんだいそんなとこで」こうきいてきたら「夜明けを待ってるのさ」と答えてやろう。くさいぜ、まったくもってくさいぜ。

ん!!??

臭い!!!

いくら台詞が臭いからってほんとににおってくるわけないだろ、ってふと左方向に目をやると、いかにも業者風(ぎょうしゃかぜ)を吹かしたやつら。ドリアン。どどドリアン!!ものっそ積んでる!!積んではるよ駒子はん姐はん(舞妓ハンより)!!!

くさい・・・それでも寝られないよかまし。固いベンチで再出国初日の夜をむかえ、30分後ベンチから落ちそうになり起きる。それでも寝れないよか・・・結局5:42、ばっちり起床し、となりにやってきたばあちゃんとその孫と戯れ、

8時チェックイン。ほんの半日間の滞在を終え出国。10時ようやく離陸。一路バンコクへ。やっぱ俺ってどうにもこうにも空が好きなんだな、雲と雲の間を飛ぶその不思議な感覚に心踊り、写真撮影。そして機内食をぺろんとたいらげ、食後のコーヒーまだかなとか思っているうちにさっさとバンコク着陸。コーヒー用にとっておいたケーキを慌てて一口で飲み込む。


とりあえずタイランド

流れ作業的に入国手続き、荷物の受け取りを済ませカオサン行きのバスに乗り込む。特にみたい景色もないので寝る。カオサン着。いつも泊まっている80バーツ(約240円)のゲストハウスへチェックインし、休む間もなくチェンマイ行きバスのチケットを買いにむかう。280バーツ(約840円)で購入。

その後47番のバスで大都会サイアムへ。無駄に歩き回り、どでかいスーパーでシャンプーとバディソゥ(ボディーソープ)を、かたっぱしからにおいを嗅いで回って購入。このもっさい東南アジア顔のおいらがシトラスな香りってどうなのこれ。いいよねべつに、自問自答をくりかえしながらカオサンに戻りさっそくシャワー。なるほどシトラスジャミラ。

固いベンチで体を痛め、方向音痴で足を痛めたためいきつけの屋台で飯を喰らい奮発してマッサージへ。1時間180バーツ。高いの安いのどっちなんだい。ともかくどこを揉まれてもぐりぐりされてもフィーリングッド。悩める街にみつけたパラダイス。気分爽快でマッサージ屋をでるとスコール直後でいささか川のようになった通りを軽快なSTEPで宿へ戻り、就寝。ベッドで寝られることの喜びをかみしめる。

翌日は17:30のチェンマイ出発までまたもや大都会サイアムへ足を運んだりシェイクを飲んだり、日本で買ったら1890円(こまけえな)はするであろうムスクなスメルのボディスプレーを129バーツで購入してお得感を噛みしめたりして過ごし、ようやくバスへ。

途中休憩をはさみながらクーラーのききすぎたクールなバスの中、ベトナムで買った布大活躍やんかあ、と一人るんるんしながら就寝。時折イスラエル人の女の子と尻をぶつけたりもして。

6時、チェンマイ着。方向音痴略してホンチ(略さなくてもよい)な己のわずかな記憶を頼りに前回泊まった宿をめざす。どうにか到着。宿のおばちゃん覚えてくれとるかな、少しドキをムネムネさせながら「ハロー」おばちゃん登場。寝起きのようす。

「はろー。んん。んんんん!!??あー!!!」覚えてくれていたようでホっ。「ひげチョキチョキしたやんかあ」そんなことまで覚えとってくれたんかえ!?何を隠そう、僕とこのおばちゃんはあごひげをチョキチョキしたされた仲なのだ。チェックインはあとでいいよと言われ部屋に入り、寝る。

起きる。チェンマイに存在するという、ドアノブをカバーしてロックするカギ(不審人物はもとより宿の人間の侵入をも防げるクレバーアイテム)を探しに街へ。ない、ない、ない。探しても探してもないので、屋台でヌードルを食べ宿にかえり、寝る。

起きる。19時。夜になると出現する屋台街へいき、焼き鳥(3バーツ)とあんかけ焼きそばみたいなあんかけ焼きそば(20バーツ)をぺろん。バナナシェイクを飲みながら宿へ戻り部屋へいこうとすると、「ジャミラー!ジャミラー!」我の名を呼ぶのは誰ぞ?ふりかえると宿の娘ニムの姿がそこにあった。

「髪切った?」と森田一義アワーのような言葉を投げかけ、再会を喜ぶ。「あたい11月にフロリダに行くことになったからそこで会おで」すごいやん自分!いくいく。メールアドレスを交換し世界地図を眺めてああでもないこうでもないとしゃべり、そんじゃまたねとバイバイしたあと宿の息子アッポーとチョコミントサブレを食べて、就寝。

翌日ヒゲのお手入れをして再びクレバーなカギを求めて歩き回る。ない、ない、ない。腹が減りチャーハンを食べもうあきらめて帰る。ないよなあ、ないよねえ、ねんだなあ。その時、

あったーーーーーーーー!!!

ものすごい勢いで偶然みつけたカギ屋へかけこみ、これみして!うわーこれやー!おっちゃんこれやでえ!ロットダイマーイ(まけてくれへん)??250バーツのそれを値切る。「OK240ね」うーんそんじゃ230ね?「ええで」おっちゃんありがとう!!欲しかった春色ワンピをゲットした乙女の心境でるんるん帰宅。

さっそく試しにドアノブに装着してみる。勢い余って落とす。なんか欠ける。「ぁもげてる。」破損。だいたい僕はいつもこう。接着剤で修復。完了。満足。ここへきてようやく足の疲れに気付き、お昼寝。

起きる。とってもヒマ。夕焼けが赤かったからドアを開けシャボン玉をする。赤かったからシャボン玉って意味分かんないよね。僕も意味分かんない。飽きる。まだまだヒマ。ついに登場ぷよぷよ。携帯にダウンロードされたぷよぷよに没頭。全クリしたところでネットを少々。

屋台へいき焼き鳥とチャーハン。ココナッツ風味の甘いたこ焼きのたこ無し(誰か名前教えて)みたいな物体を食べながら宿へ戻ると、日本人の学生さんに声をかけられしばしトーク。洗濯してシャワーを浴び、4ヶ月ぶりに三線(沖縄のあれ)を取り出し、音を調節し1曲弾いて、はいしまいました。寝る。

翌朝バスに乗り遅れる夢をみてあせって目が覚めて、朝食をいただき昨夜話した日本人の学生さんとまたしばしトーク。していると10:00過ぎ迎えのバスがきて、宿のおばちゃんにセイグッバイしていざロドス(詳しくはこちら)との国境の町チェンコンへ。

バスの中では常に俺の親友jamipodを聴く。15時頃チェンコンに到着、出国手続きをしボート乗場へ。ボート代30バーツを払おうとした時小銭をぼろぼろ落とし、「何しとんじゃ」ねーちゃんに笑われる。とりあえずこっちも笑う。ボート乗船。乗客3人。相変わらずミルクティ色なメコンを渡る。

ぱぱっとラオス

あっさりとメコン川を渡り終え、ロドス入国。 国境の町フエイサイで一泊し翌朝ルアンナムター(ロドス北部)へ向かう。バスが走り出し景色が流れる。これだよこれ。この邪馬台国な景色こそロドス。そんな中通り過ぎていくバイクや自転車にのった女の子達がやたらタオルや傘で顔を覆っている。

そっか、ロドスガールだって日焼けはやだよね。でもねおじょうちゃん、それ、左手。左手だよ?そんなちっちゃな左手じゃあギンギラギンにさりげなくもなんともない日差しは防げないよ。という余計な心配をよそに無事ルアンナムターに到着。

とりあえずここで一泊して明日さっさと中国入りしよう。バス停近くの宿へチェックインをすませ市場でヌードルを食べたところで、国境の場所把握しとこっと、と歩き出す。すると日本人のおっちゃんに声をかけられ、少し話す。

ボーダーってどっちですかね?拍子抜けした様子のおっちゃん「えっと、多分歩いていったら5時間ぐらいかかると思うよ」どぅえ!?ここ国境の町やないんですか!?「ここからバスでいくんだよ」全くもって知らなかった。

その後バスターミナルへここルアンナムターから国境を越えて中国のモンラーという町までむかうバスの値段と時刻をみにいき、そこでまたおっちゃんから色々教えてもらう。このおっちゃんは中国から戻ってきたそうだ。とりあえずチベットに行ってみようと思っているのですが。

「じゃあクンミンからいくの?」え、クンミン、というところがあるんですか。何もしらないのねジャミラGO TO HELLとは言わず親切に教えてくれるおっちゃん。しばらく話しているとどこからともなく日本人のじいちゃんが現れ、「昨日フエイサイで夕陽ながめてたでしょ」とたずねてきた。

え、なんでしっとんですか!?んぬあ!!あそこにおった・・・てっきりロドス人だと思い込んでフエイサイの景色にとけこんでいたじいちゃんその人だった。20年前から中国に通っているといういわば中国人(ちゅうごくにん)なそのじいちゃんからもさらに中国の情報をキャッチして、宿に戻りなんか臭い部屋で就寝。

夜中に甲高い声で「コンニチハ」ってきこえてきたのが夢なのかニワトリなのか日本人なのかマイケルジャクソンなのか分からないまま6時過ぎに起床。

サンドウィッチを買ってバスターミナルへむかい8時出発。ようやく未見の地へ足を踏み入れられることの喜びとドキドキと少しばかりの不安に胸を踊らせ、乗車5分で眠りにつく。目を覚ますとなにやら皆バスから降りている。小便休憩かなんかかなあと外を見やると国境だった。慌ててバスを降り出国手続き。たった三日間のロドス滞在を終える。

行き当たってばったりと中国入り

そこから1kmほどむこうの中国側国境へむかい、さっくり入国手続きをすませ、再びバスに乗り込みモンラーへ。ついにきた中国、どんなだよ。興奮気味に窓の外を眺める。悪路だよ。国境こえた瞬間漢字まみれじゃないかと思うもたいして景色はよくないので寝る。

1、2時間後モンラーに到着。バスをおりたらあやしげなおっさんが英語で話しかけてきた。「両替せえへん?」銀行でするわー。ヤミ両替は偽札つかまされることがあるからやめときなって昨日のおっちゃん言てったしな。

「銀行土日しまっとるで」うそやん。真偽のほどは定かでないながらも全く知らない街でおよそ25キロの荷物をかついで銀行を探し回ることを考えるととってもレイジーだったので少し残っていたタイバーツと米ドルを元にかえてもらい、チケット売り場でもたもたしているとさっきのおっさん。

「どこいくん?」クンミン。するとカウンターのおばちゃんに伝えてくれた。「普通のやつ売り切れでもう高いやつしか残ってないんやて」高いやつ・・・330元。えーと元の計算は5×3やったな。かける5でバーツ、そっからかける3で円。

これも昨日のおっちゃんが言ってたな。かしこいな。ということは330×5×3やから、どぅえ!?ほぼ5000円やん!!いきなりそんな高いの無理。 じゃあジーホンにする。33元で行ける景洪とかいてジーホンと読むその街へ急遽変更し、ちょうど出発するところだったバスに乗り込む。偽札かと思いきや問題なく使えたし、通訳してくれたし、あのおっさんええ奴やったんやろか。何者。疑問に思いながらまたもや寝る。

18時頃ジーホン着。なんだよここ。宿どうしよう。バス停でぼけっとしていると老いぼれたばあちゃんが寄ってきて、こてこての中国語でマシンガントーク。いや分からないんですけれども。紙とペンを渡す。すると「住宿 一人 10元」ばあちゃんそれほんと!?即決でついていく。

くわんてぃんくわんてぃん

到着。宿っ、というか、ここばあちゃんちやんか。ばあちゃんちにベッドおいてみましたみたいなとこやん。まいっか。10元(150円!)払って、設備についてたずねる。ばあちゃんシャワーどこ?「ここ。」トイレは?「小便はここな。うんこはあっち。」・・・・。どうやら小便はシャワーと一緒に流しちまいな、うんこは公衆便所いきな、ということらしい。あ、うん・・・。

気をとりなおして腹ごしらえ。屋台でワンタンを食べる。んお!?うまい!3元!ワンタン15個近く入ってこのお値段!TVショッピングならサクラのおばちゃん達の「ええぇぇ!?やすぅぅぅぅい!!」のどよめきのあと電話殺到だろう。

ぶらぶらと近所を散策して夜、宿というか家に戻り、シャワーを浴び(猛烈なアンモニア臭の中)、ベッドでチルアウト。しようと思ったら暑くてどうにもならないので扇風機をつけようとONにする。動かない。

ばあちゃーん!!扇風機うごかんよ?こわれとん?「くわんてぃんくわんてぃん。」え??こわれとん??「くわんてぃん。」くわんてぃん・・・って一体。結局その扇風機はあっけなくしまわれ、寝苦しい夜を過ごす。

お手洗いの範疇を超える中国四千年の歴史

翌朝次なる街ダリ(大理と書きます)へむかうバスのチケットを167元で購入し、ばあちゃんと実は居たじいちゃんにバイバイしてぶっかけ飯をバスターミナル近くで食べる。するとついにきてしまった。便意。覚悟を決め公衆便所(公厠と書きますね)へ挑む。

1st Round、便所に入る前から強烈な悪臭。いや、極悪臭。
2nd Round、こんなところで5角(0.5元)徴収。
3rd Round、掃除ってさ、何だと思う?って問いたくなるほど汚れた床。そして無扉。ドア無し丸見え丸見せ状態。
4th Round、いざ勝負、ってうぎゃーーー!!尻下約50cmにホットなシット!!!しかも今なら増量中っぐらいの。

意を決しうんこ、いやここではあえてクソと言おう。クソを。終える。シットオンザシットの光景を目にしてしまい吐き気を催しながらやっとの思いで外へ出る。完全KO・・・おいらの負けだよ。クソひとつでこんなにも体力を使うなんて・・・。中国、四千年も歴史築いてるくせになんで便所こんなままなんだよ。 どうにか正気を取り戻しバスに乗り込む。

うわお、寝台バスだよ。これがほんとの寝台バスだよ。通常のバスのように座席が倒れるシート、といったものではなく、パラマウントベッドの高さ調節機能が壊れたものを座席としてバスに埋め込みましたよ、みたいな、まさに寝台バス。

少しだけ中国四千年を見直す。こりゃあ楽だねえとくつろいでいると横でやたら窮屈そうにしているどでかい西洋人。ちっちゃすぎ?話しかけてみると「おお!英語しゃべるんか?」あ、うん少し、ボク日本人です(中国人ほとんど英語通じないのねん)。

「そうか。でも悪くないよこれ。」と明らかに足を折り畳んだ状態で笑って言うその巨人はオランダ人のピーター37歳。中国初めてなんやけど、トイレ凄まじいよね。「だはは。確かに。」と軽くカンバセイションして、外を眺めええ景色もあるやんかとまた少し中国四千年を見直し、就寝。

世界遺産の町大理へ


深夜2時頃山中でエンストしてひやっとしたりしつつも翌朝7時、大理に到着。バスターミナルのあるここは大理でもシャグワン(下関)という新市街らしく、ここからさらにバスで旧市街のある大理へむかう。大理なのに大理じゃないってなんだかわけわからない。東京ディズニーランドだけど舞浜駅みたいなことですね。そんなこんなで今度こそ大理に到着。中国っぽい中国風建物がならぶ。

好きやなーこの街。「そうかえ」ピーターと共にバスから降り、またもや宿どうしようと二人で突っ立っているとチャンネー(お姉ちゃん)が話しかけてきた。全編中国語なので紙とペンを渡す。

「二人 40元」おおっ。安いんちゃう?いってみん?「いってみよか。」旧市街の中を少しはずれた静かな場所に連れていかれ、部屋をみるとなかなか清潔でおまけにTVもある。キメ。チェックインして清潔な水洗トイレでウーンコーをしてほっと一息つき、二人で散歩へ。

近所でみつけた肉まん屋でピーターは丸いやつを、僕はちょっと四角いやつを買って食べる。「おいしいで。なんか砂糖入って甘い。」とピーター。僕も一口食べる。あれ?なんもない。「まじでか。」

具が偏っちゃってんのかなーこらー具ー早くでてこないと食べちゃうぞー。もう一口。ない。もう二口。ない。。もう三口。なかった(過去形)。ピーター爆笑。全くもって笑えない。具の無い肉まんて。もはや肉まんじゃないじゃないか。このまん!!まんめ!!

やたら喉が渇いただけの本場中国の「まん」を堪能し、ぶらぶらして宿で休憩したり、昼飯を食べにまた出かけたり(今度はヌードル。う、うまい。)、ピーターと別れてアウトドアショップに行きノースフェイス(NORTH FAKE)のゴアテックス仕様ジャンバーをたったの200元(約3000円。日本で買うと多分30000円。)で購入し、夜は炒飯をたべにいき、宿でコーヒーを飲んでのんびり話したりして眠りにつく。あれ、寒い。まさか九月に毛布かぶるとは思ってもみなかった。

翌日は朝からビザの申請をしに公安局へ(中国はノービザで15日間まで滞在OK、大理では1ヶ月ビザが即日もらえちゃうんだって。相変わらずビザの意味はよくわかっていない)。そこで偶然名をナオトという日本人と出会い、ビザが発給されるまで一緒に飯を食ったりビザ用の写真をとりにいったりする。

14時半、再び公安局へ。公安のおっちゃん、15時にとりにきてって言うたわりには申請用紙もパスポートも昼前と位置変わってないやんけ。何もやってないやん。「パソコン壊れとるからもうちょい待って」うんわかった。

待つ。しかしパソコンを直す気配はなく、なんならお茶飲みながらブラインド越しに外をながめてみたりしている。お前はデカか。それでも待ち続けているとようやく発給。ビザ代160元を払い宿へ戻る。

夜はピーターとナオトと共に飯を喰らい、旅の話をする。なんとこのピーター、もう3年もオランダに帰らず旅をしているそうで、訪れた国をたどった地図をみせてもらうと、ほぼ全部。恐れ多いアフリカ大陸もちゃっかり縦断している。でかいだけのことはあるななんて思いながら宿へ戻り就寝。雨。

世界遺産の町麗江へ

ダウンタウンの浜ちゃんがスーパーの店長をしているという夢をみて起床。荷作りをして朝食。今日僕は次なる街リージャン(麗江)へ向かい、ピーターはまだ大理にステイというわけで、セイグッバイなのである。11時半まであれこれ話して、バスが来たため別れる。また方向一緒やし会うやろ。と。

バスに乗りいざリージャンへ。途中凄まじい霧に襲われてお先真っ白とか思っていると割とあっけなくリージャン着。はい、いつも通り宿どうしよう。とぼちぼち歩いているとうまい具合に宿屋のチャンネー(お姉ちゃん)につかまり、シングルで20元の宿へチェックイン。

若干部屋がうんこくさいのが気になる。バックパックを置いて散策へ。リージャン何があるんやろ。もう、全く何も知らない。しばらく歩くと風情のある街並みが現れ、その中へもぐりこむ。こっちらへんに宿いっぱいあるんやんか、と歩いているとなんだかすごいことに。

中国人観光客が大盛り。こ、ここ観光地だたのね。歩いても歩いてもオールドタウン。想像以上にでかい。歩く。歩く。ここどこ、、、。迷う。方向音痴がまたしてもイカンなく発揮されてしまったようだ。その後二時間程迷い18時頃どうにか宿へ戻り疲れ果て気付けばそのまま朝まで寝ていた。

オールドタウンから遠いのと、若干のうんこくささが否めなかったため、この宿をチェックアウトし、古城内でみつけたユースホステルへ移り、ぶらぶらしたり市場で飯くったり腹を壊したりして二日間ほど過ごす。もうリージャンいいかなと思い、ピーターに薦められた虎跳峡(こちょうきょう。フゥティアオシア。Tiger Leaping Gorge)という所へ行ってみることに。

中国人バックパッカーとつるんでみる

が、いざ虎跳峡に着いてみると、何やら雨で川が増水しているため閉鎖されていると隣に座っていた英語が話せる中国人に言われ、またもや、どうしよう。するとその中国人に「俺らこの先の白水台(バイシュイタイ)てとこいくんやけど、一緒にきたらええやん」と誘われ「うんじゃあいく」虎跳峡から謎の白水台に変更。

昼飯を皆で食べ(パーティ方式)、 出発。すぐさまなにやら恐ろしい断崖絶壁とそのはるか下には濁流現る。おびえながらも一同興奮気味に撮影。USJのアトラクションのようだ。ちなみにUSJに行ったことは、ない。そんな景色もやたら続くと飽きるもので、一同爆睡。

白水台到着。宿どうしよう。でも今回は中国人(男二人女二人)がいるからそいつらに任せてついていく。一人10元。安い。でも10元てことは、ジーホンの悪夢再び・・・?やはり便所は凄まじかった(裏の畑のど真ん中に突如現れた掘っ立て小屋、のようなところでした、足元のベニヤ板と板の間にうまく産み落とさなければならないタイプ)。だがなぜだろう。もうあまり臆することはなくなっていた。慣れってすごいね。

荷物を置いて一息つく間もなく一同外出。白水台の名の通りの白い何かを見にいく。入場料30元。たけえよ。入場料のかかる所には基本的に入りたがらない体質なのだが、ここは和を乱すわけにはいかないので素直に払い、登る。

うん。景色はいいし、カルシウムたっぷりっぽいけど、これだけ?これだけで30元?と思ったことは決して口にせず楽しむ。それにしても中国人はカメラ小僧の僕よりもはるかに写真をとる。そしてポージングが、古い。ここでも四千年の歴史を感じずにはいられなかった。

夜はまた宿でパーティ方式に豪華なディナー。殺したてのニワトリを1羽。軟弱な日本人はニワトリがさばかれる様子を直視できなかった。情けない。中国は食べ物に対しても何に対しても、至極動物的だ。

その全てがいいとは思えないけれど、こと食べ物に関しては、日本のようにパック詰めされた肉をスーパーで買う無機質さより、断然いいと思った。おいこら。直視できなかったくせに何を偉そうに。 食後は皆で中国版大富豪をしたり、弾けない三線を披露したりして宿のおばちゃんと息子も一緒に楽しみ、1時就寝。

翌朝7時半に起きて、ちべたい水で顔を洗い、皆で米の麺をいただく。そこで少し鼻毛がでているのが気になるけど気さくなヤンという奴が「日本人は麺とかスープずるずるーって凄いんやんね。」と言ってきたので、そやで。こんな感じにズルズルー。これがええのよ。と返す。

でも中国人ってそれ以前の問題いっぱいあるよね。僕達バスん中レストラン中でタンは吐かんよ。列にはちゃんと並ぶし、店先で子供に小便さしたりせんし。と思ったけどそこはぐっと飲み込んで言わないことにした。

それから今更みんなの名前をきいて、自分の名前を漢字で書いてみせる。すると一同一斉に 「クワンティンイー」 。へえなるほど俺の名前は クワンティンイー なのか。なんだか、どっかできいたことあるような響きだなあ。祖先が中国人だったのかなあ。

・・・・!?

いや、ちがう。これ、あれだよ・・・. クワンティン 。

――――フラッシュバック――――

ばあちゃーん!!扇風機うごかんよ??こわれとん??「くわんてぃんくわんてぃん。」え??こわれとん?「くわんてぃん。」くわんてぃん・・・・・・・・。

なんなんですか僕の名前は扇風機の故障と何かしらの因縁があるのですか。全くわけがわからない。

そうこうしているとバスがきた。中国人達はまたリージャンに戻るということで、ここで再見(ばいばい)。ありがとうなー!色々助かったでー!僕は一人次なる目的地シャングリラへ向かうため宿でおばちゃんから中国の少数民族、ナシ族の話を聞きながらバスを待つ。

すぐにバスは来て、携帯電話に内蔵されていた中国語機能で「ほんとにありがとう。また会えるのを楽しみにしとるよ」とおばちゃんに礼を言い、バスへ乗り込む。景色は相変わらず綺麗だけどお腹一杯なので即寝。

寒さに震え目を覚ますとなにやら街がみえてきた。シャングリラくさいぞ。到着。さあ、宿どうしよう(いい加減この宿どうしよう、やめなさいよ私)。とりあえずユース(ホステル。青年旅舎)をめざそうと歩いていると、ちょっとしたタクシーのあんちゃんに声をかけられる。

ユースいきたいんよ。「おっけー10元」高いわ!歩くね「んわかった5元」ほんとうは1元のバスに乗れば簡単に行けたのにそんなこと知る由もない当時の僕は「おうけい」乗り込む。

ユースについてドミ(トリー)へチェックイン。またしても近くに古城があったので散策して、ちょいと疲れたところで昼寝。起きると何やら日本人らしき人物がドミにやってきたので、寝起きの不細工な顔で、日本人ですかー?と話しかけると、「どぅおお!?びっくりしたー!!イスラエル人かと思いましたよ!!!」

今まで数々の現地人に間違えられ体験はしてきたが、ここまで、そんなオーバーにのけぞらなくても!とこっちがびっくりしてしまう間違えられ方、しかもイスラエル人は初めてであった。嬉しいんだか悲しいんだか。なんだか面白いその日本人はユージという名前らしく、年齢をきくと同い年だったので、俺も22。というと「うそだよ26だよ。」と何故か完全否定された。

そんなこんなで(どんなこんなで)他にも宿に日本人がいて、その中の一人が松茸を買ってきていたので皆で串焼き屋へ行きそれを焼いてもらう。しめじ感覚でこんなに松茸。美味い。中国産。

その後古城の中央広場で盆踊りが開催されていたので参戦。意外に難しい。「ラオスー」となりのばあちゃんに、「あれが先生(ラオスー)だよ」と言われ目をやると、なんとも優雅な、それでいてキレのある盆踊りマスターがいた。か、かっこいい・・・

ひとしきり本気で踊って汗をかいたところで、少し登ったところにある寺へ。ライトアップがいやらしい。ピンク色ってどうなの。センスの無さが際立っているね。宿に戻りユージ氏と松茸を買ってきてくれた松茸くん通称松ちゃんと三人で、旅の話を筆頭に、あれこれと熱く語る。基本的に先のことはあまり考えない体質な僕だが、結構ディープな会話をしたせいでこの夜は少し色々考えながら床についた。


翌日は郵便局へいったりコップを2元でゲットして浮き足立った午前を過ごし、午後いつものように一人jamipod片手に散歩しているとくっきりきれいな山と山の間に寺らしき物体をみつけ、いっちょ登ってみるかと突き進んでいくと牛の放牧場みたいな所に迷い込み、じいちゃんが現れたので、

ニーハオじいちゃん。わし上登りたいんやけどっからいける?と話しかけると、何も言わないまま真顔で「牛みたな。4元払え。」というジェスチャーをされ、おいおい真顔だよじいちゃんこええ。まあ不法侵入やしな・・・、と仕方なく3元だけ払って先へ進むと結局有刺鉄線がはりめぐらされていて登れず、断念してかえっていると犬に追い掛けられ、なんだかとっても凹んだりして過ごした。

翌朝ユージ氏と松ちゃんは一足先にラサへ向かうとのことで、二人を見送り、自分もそろそろラサ行きのチケットを買おうとバスターミナルへ。558元(!)で購入。すると後ろに並んでいたのがどうやら日本人らしく、話しかける。

そしてその日は一日その日本人、マユ氏と丘に登って息を切らしたり、 リュックを探して通りの店をみながら歩いていると1元ショップなるものを発見し、そこで、そこで、そこで、SEXYトランプを二個もゲットしたり(超SEXY)。

あれ。キャメロンディアスと写ってますよ。これあれやんね、一切肖像権とか無視したあれやんね。さらに軍服屋みたいなところで小洒落たハットを9元で入手、これまたルンルンしたり。そんなことをしながら来たるべきラサ行きのバスを待つ。

動かないバスはただの鉄塊

9月14日 午前9時のシャングリラ発ラサ行きバスに乗り込む。ここでもまた寝台。これから約4日間かけて標高4000mを越える山々を駿馬のごとくかけぬけて憧れの地ラサへ向かうのだ。憧れてはいるものの、そこに何があるのかなんて何も知らない。

草原が待っているような気がする。昨日買いこんだお菓子と酸素水を早速食らう。お菓子。うんお菓子だ。酸素水。これから酸素濃度が薄くなるからいまのうち摂取。うん。

うんこれただのソーダですね。

そんなこんなで走り出したバス。4日間バスに乗りっぱなしだと思うとなんだか気が引き締まる。気が引き締まってちょうど40分程たったころ。

たっだいまあ

あれ?ラサ到着にしては早いよねえ。あれ?なんか見たことある景色だよねえ。

シャングリラですね。

出発から40分でバス故障ってこれラッキーそれともアンラッキー。アンラッキーだろうよ。修理屋で待機。すること3時間。ようやく再出発。そんなこんなで走り出したバス。4日間バスに乗りっぱなしだと思うとなんだか気が引き締まる。気が引き締まってちょうど20分程たったころ。

た、ただいま・・・・・・・

シャングリラですね。修理屋ですね。

イライライライラ・・・・どないなってはりまんのん駒子はん姉はん!!(舞妓Haaanね)こちかて安くない金払って乗ってますのん!!どないもこないもあらしまへん!!!日本の常識持ち込んだあきまへん!!

だよね。あきらめが肝心。あきらめて修理屋の娘(推定年齢4歳)とシャボン玉をして遊ぶ。こちらの予想以上にシャボン玉にはしゃいでくれてなんだかバスの遅れだとか昨今の政治情勢だとか、そんなことどうでもよくなっちゃった

そんなとき、

「ジャミラ、このバス明日まで動かないらしいよ?」

唯一バスの中で英語が話せるホンコンガイ、ルゥイにそう言い放たれる。あ、へえ、あ、そうですかへえ・・・・・もうどうでもいい。 近くの飯屋でルゥイと、一緒にいたクンミン(昆明)出身のおっちゃんにごちそうになったらもうさらにどうでもよくなり就寝。

ゲロを吐かせていただきます

翌朝6時、隣にいたチベットのばあちゃん同士のばかでかい話し声で目が覚める。ばあちゃんばかでかいよ・・・。ウ・・・ウンコ・・・きました便意。修理屋の裏にあるみるからに激しそうなトイレへ向かう。案の定激しい。でももうだいぶ慣れたし、大丈夫だよね。きっとだいじょうb・・・・


ウギャーーーーー!!!!


なにやら糸をひきながら伸縮をくりかえし眼前を通り過ぎる白い物体これなあに?なめくじ?かわいいね。毛虫?トイレにきちゃだめだぞっ。


うじ虫じゃねえか。


あと少しで俺の足元に!!というギリギリガールズよりギリギリのラインでどうにかうじ虫の魔の手を逃れバスに戻る。朝から疲れる。バスはまだまだ動きそうにないので近所を散歩して帰りに道端に転がる豚の腐った死骸におそるおそる挨拶したりしているとあっという間に夜。

またしてもルゥイとクンミンのおやじことヤンに誘われ飯屋へ。そこでトランプ登場。負けた奴がビール一気といういかにも日本的な催しがはじまった。これはなんだかまずいぞ・・・もともと下戸なジャミラ。負ける負ける。こういう時の悪運ってなんて強いんでしょう。飲まされる飲まされる。ほんの数杯一気しただけで既にグロッキー。

その後何故か近所のでかい犬と記念撮影をしフラフラでバスに戻り寝る。おえ〜。一時間後目が覚める。頭痛。そしてこれはまさか・・・・そのまさかの吐き気。しかも一刻を争うほどの。一刻を争いながら人の波をかきわけあわててバスの外へ出る。早送りの千鳥足で道路の向こうへ渡る。もう我慢できないっ

うべべべべべべ

ずるっ

べちゃべちゃべちゃべちゃ・・・・

説明しよう。上の擬態語を。道路の向こうに渡った瞬間こらえきれない思いを吐き出してしまった私ジャミラ。雨上がりのぬかるんだ地面で思い切り滑り、ついこの間るんるんで購入したジャンバーとジーパン(アウターとデニム、とかそういう言い方はしない)の上に見事にオンザロックでゲロったのである。

そんなわけで我に返った僕は、「洗わなきゃ」の一心で近くに流れていた川へ走り、まるでおねしょパンツをこっそり洗う少年のようなあわれな面持ちで、ごしごししたのであった。その川、たしか汚かったよね。

我に返ったついでにすっかり忘れていた寒さまで取り戻してしまい、ほのかに、いや確かにゲロくさいびしょびしょの服を無理やり袋に入れて密封し、着替える。

密封したこれ、いつ洗えるかな・・・到着4日後だよね・・・危険度5を表示しそうな爆弾を抱えたまま薄れゆく意識のなかそう思った僕は、稲中で田中が半年間ゴミ袋にためつづけたオナラの濃度ぐらいの凶器にはなるだろうという答えを出し眠りについた。


中国、それから一瞬ベトナム、タイとラオス(2007年8月25日〜9月15日)

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